1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #328 社会に秩序を取り戻せ!..
2025-06-22 40:26

#328 社会に秩序を取り戻せ!宋の時代に生まれた「朱子学」という必然

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のエピソードでは、朱子学の起源とその影響力について深く掘り下げています。特に、宋の時代の背景がどのように朱子学を生み出し、日本などに与えた影響についても考察しています。宋の時代に誕生した朱子学は儒教を基にした新たな思想であり、社会秩序の回復を目指しています。主義氏は若くして成功を収めた後、自らの学問の追求を続け、政治にはあまり関与しなかったことが特徴です。番組では、宋の時代における「朱子学」の出現が社会秩序に与えた影響について詳しく考察し、儒教を基盤とする朱子学がどのように実践的な知恵を提供したのか、知識人たちが仏教と儒教をどのように使い分けていたのかを探っています。また、朱子学の誕生が宋の時代における宗教的思想との関係の中で重要な役割を果たし、特に仏教との競争がそれを促したことについても議論を交えています。

朱子学の導入
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の丹野共介です。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いしまーす。さあ、今回から新しく朱子学に入っていくというところでした。
そうですね、これまで西洋の哲学やったと思うんですけれども、時代も場所もガラッと変わりますという感じなんですよ。
うん、久々の東洋で楽しみにしてるね。
ちょっと僕もワクワクしてるんですけど、前回までやったカントさんですね。
カントさんは、当然ヨーロッパドイツの人ですけれども、時代的には1700年代とかなんだよね。
はいはいはい。
むしろ現代に近いぐらいなんですけど、今回やるとしている朱子学、人としては朱姫さんって言うんですけど、
朱姫さんは1100年代の人なんですよ。
ほうほうほう。
そう。なので、時代的にはカントから600年ぐらい遡るんで、まあまあだいぶ昔なんですよね。
ちょっとまた古いなとか、全然イメージわからないよっていう方もいらっしゃるかなと思うんですけれども、
どうしても東洋、特に中国の歴史とかって結構ややこしかったりするので、
ちょっとその辺も踏まえて、この朱姫学とか朱姫っていうのがどういう立ち位置だったのかっていうところもお伝えしながら、
朱姫学の思想的な部分とか考え方っていうものを今回扱っていこうと思っておりますよって感じですね。
日本への影響
はいはい、なるほど。それこそ確かに朱姫学って名前だけは聞いたことあるけど、
そもそもね、これ中国なんだよね、まずね。
そう、まず中国、そうですそうです。
で、1100年代にできてると。
なんかもうその辺からわかんないもんね。
なんならさ、もう古代中国ですって言われても全然信じちゃうぐらいのさ、
そのぐらいの感じだから、もう古いも新しいもないというかね。
まあでもそうだよね、朱姫学って言葉自体はまだ記憶に残ったりとかさ、
たぶんテストで書いてると思うんだけど。
うん、そうよね。
うん、でもじゃあそれは何?って言われたら、うーん、なんかわからん。
まあ僕もそんな感じだったし。
たぶんね、皆さん聞いてくださった方も、ほとんどの方やっぱりわかんないんじゃないかと思うんですよね。
うん、なんかあれだよね、それこそ明治維新とかさ、
あの変の時になんか日本に入ってきた、学問の一つみたいなさ、入ってきたというかさ、
なんかその辺で書いた気がするよね、テストで。
え、違います。
違うの?
全然違います。
朱姫学、陽明学とかってなんか書かされた気がするけど。
朱姫学と陽明学はあるんだけど、朱姫学自体はね、そのあたりの市内とかだけかな、
まだ入ってきてる。
そう、前、関係ないんだ。
全然前、そうそう。
まあ実はそのあたりももうちょっとちゃんとやりたいなと思ってるんだけど、
やっぱ日本にもね、めちゃめちゃこれ影響を与えてる学問とか考え方なんですよね。
うんうんうん。
で、ちょっと先にそこから流れていくと、江戸時代あるじゃないですか、徳川幕ね。
開いた時に、その徳川家康が、
じゃあこれから日本を治めるぞと統一してね、
やってくぞっていう時に、実は採用した学問っていうか知識っていうのはこの朱姫学なんだよね。
へー、あ、そうなんだ、あ、そこなんだね。
全然ね、理不尽じゃないか。
ここで結構、大臣その1個までなんだけど、
徳川幕を作る時にこの朱姫学っていうのを基準にして、
大名とかそういう人たちに、なんかお前たちもこれを学びなさいみたいな。
もう僕はこれを基本にしてやってくぜみたいな、そんな感じだったらしいんだよね。
はあはあ、そうなんだ。
そうそうそう。だから、そういう意味でいくと、
まあ今はさ、もちろん朱姫学なんて、たぶんまだまだなんでって言われてるかな。
朱姫学をなんか日頃から親しんでますとかさ、学んでますっていう人ってほとんどいないと思うんだけど。
まああの、学校の教科にないからね、まずね。
あ、そう、ないから、確かにね。
国語とか算数みたいにね、そうなんだけど、
ほんと今から、まあ江戸時代って150年ぐらい前まではさ、全然江戸時代だったわけなんだけど、
そのぐらいにはもうほんと全然朱姫学ってやっぱ大きな影響を持ってたし、
まあ、民衆一般とかまではちょっとわかんないんだけれども、
ある程度知識人までいくと、
宋の時代の背景
まあそれをあるして学んでる人とかあるいはそれを批判してる人、知った上で、
いやそうじゃないんじゃないかって言ってる人っていうのが全然いたっていうふうな感じなんだよね。
へえ、そうなんだ。じゃあ全然日本でそのあたりか江戸時代かに広がってるというよりはむしろそのトップダウンでもうこれにしようって、
いいなと決まってたやつがそうなのか。
そうですそうです。
だから逆にそういうことも知らないぐらいさ、やっぱ朱姫学ってね、もうあるし、僕ら意識は昇らないと思うんだけど、
僕らね、そういうふうなやっぱりわかんないことなんで一個一個やっていこうと思うんですけど、
ちょっと無理やりね、その勘とかの流れっていうのが一応、それで面上的にはあるんで。
あ、あるんだ。
それで面上的にはね。
はいはい、ハエト的にね。
ハエト的には、そうそうそう。
ちょっとだけお話しすると、カポってさ、そのなんていうんですかね、ペルニクス戦慶とかって言葉を何度もさせたと思うんですけど、
要は外から内、要は自然とか経験っていうものから捉えるんじゃなくって、人間の方に世界を理解する仕組みがあるんだとかさ、
まだ道徳みたいな実戦理士とかだと思うんですけど、
生きてる意味をどう見出すのかみたいな、そういうことを見出していきましたよっていうことをお話したと思うんですよね。
はいはい、人格とかってやったもんね。
そうそうそう、道徳法則みたいなやつだと思うんですけど、
そういう意味ではある種、外の世界を素朴に受け入れるんじゃなくて、
それを理解する仕組みか、働いている、まさに働きみたいなものっていうのを明らかにしたって言えると思うんですよね。
そういう関係を捉えると、主旗っていう人が資格でやろうとしたのも、結構似てると感じられてて、僕には。
へー、あ、そうなの。
要はそういう世の中の在り方みたいなものを、当時の常識とか発想とはまた違うやり方で捉えようとか、そういう原理を見出して形にしようとした人なんだよね。
へー、そうなの、ほうほうほう。
その中でも秩序とか、構造みたいなものっていうのをやっぱり大事にしていて、
ただ当然、種子学と関とか近いからみたいな話をする人は、別にGoogleとかで検索しても、すごい近いですとか、発想が似てるとかっていうことは特に書いてないわけよ。
ああ、一般的な話ではないんだね。
学術的には全然ないんだけど、印象としてはそういう部分で繋がりがあるって感じていただくと、少し馴染みが出てくるというか、
そういうことをやろうとした人なのかもね、みたいな。そういうふうに捉えやすくなるんじゃないかっていうふうに思っております。
へー、なるほど。
その前に、いきなり種子学やりますって言っても、さっき兄貴が言ってくれた通りで、別にそもそもどんな時代の、何の人よってなっちゃうと思うんで。
第1回は普段、人隣とか人生とかっていうことをお伝えするんですけれども、ちょっとその時代背景とかも含めて今回はお伝えしたいと思っておりますよ、という感じなんですけれども。
改めるとこの種子学なんですけど、このシュキさんっていう人。シュキがいわゆる名前だよね。種子はいわゆる孔子とか孟子とかっていう子っていう先生みたいな。
はいはいはい。
いまいなので種子学ってのは種先生が作った学問ですよ、みたいな。そういうふうな感じなんですよと。
これが1100年代にできていくんだけれども、さっきもおっしゃった通り中国だけじゃなくて、日本とか韓国とかね、そういう周辺の国にもめちゃめちゃ影響を与えていくんですよ。
おそらく、これちょっと僕もまだちゃんと学べたいんだけれども、おそらく現在の日本人、僕たちにも結構影響を与えてるっぽいです。
その無意識的にね。なのでその辺まで実は行きたいなと思ってて。なので種子学やって、さっきはよく言ってくれた養命学っていう、ちょっと種子学を発展して開発させたものがあるんだけど、
それやって、日本の江戸時代みたいなところまで、今回足を伸ばしていけたらいいなとか思ったりはします。っていうのは助け取りなんですけど。
なるほど。今作りながらだからね。どこに繋がってるかっていう。
そう。あと別のホットな話題があればね、そっちになっちゃうかもしれないんだけれども。今ちょっと構想してますって感じなんだけど。
もう一回その中国の話に戻るとですね。種子さん、1100年頃ですよって言ってたんですけれども、そういう新しい発想とかそういう学問、哲学ができるときってやっぱり時代の中ではめちゃめちゃ影響してるんですよね。
当時どういう時代だったかっていうとですね、この1100年から遡ることをさらに200年。当時はね、中国唐っていう王朝があったんですけど、
その安定政権など、唐が滅んで、軍有格強、戦乱の時代の五次十国っていう時代になっちゃうんですよ。そこは本当に戦争に明け暮れたりとか、権力争いとか、社会ももうめちゃめちゃですみたいな、結構そんな時代なんだよね。
その中で当然、社会の秩序ってのも乱れるし、生きていきやすい世の中になってくるって人々も思うわけなんですよ。
っていうときに50年くらいそういう時代が続くんだけれども、それを統一した政権っていうのが、ソウなんだよね。
っていう感じで、五大地獄の次はソウなんですけど、それは結構、ちゃんと安定した国を作っていこうっていう感じなんだけど、
これですね、やっぱり武力、要は戦争時代の後の国なんで、武力っていうのは良くないというか、ちゃんと抑えましょうと。
若者っていうものを大事にしましょうっていうふうな政権になってくるんだよね。
もうあんなに戦乱のごちゃごちゃした世の中、もういいわみたいな感じになるんだね、みんなね。
そうね、なるし、あとやっぱり空手戦とか起きちゃうから、せっかく統一したのに自分たちがまた追いやられちゃうっていうのも良くないんで、
もうこれからは武力じゃなくて学問だって言って、それでも抑えつけちゃうんだよね。
で、そういうふうになってくるんですけれども、そこで実はまた復活していってくるのが科挙なんですよ。
これも教科書とかでたぶん学んだことあると思うんですけど、いわゆる国家官僚、今で言うと、なんていうんだっけ。
公務員試験?
そう、本当に公務員試験だね、そうだね。
で、それを合格すれば、いわゆるエリート官僚になれる、師大夫とかって言うんだけど、そういう知識人に、いわゆるどんな人でもなれるよみたいな、
そういう豪族とか貴族とかの指定とかだけじゃなくて、本当に一般の人たちもそれに合格したりすれば、そこに入れる、仲間入りできるぜみたいな、そういうふうな制度があったんですよね。
はー、はいはい。
これ自体が随とかだから、かなり古からあったんですけど、その後代時刻のお茶目茶の中で一回衰退するんだよね。
朱子学の時代背景
それをひっくり取り上げて、これによって我々は学問、知識っていうものを使って、ちゃんと国を作っていくぜみたいな、そういうことを僧の人がやってくるんですよと。
で、その家教やってくるんだけどもね、その家教ってどんなものでしたかっていうと、もちろん時代によって違うんだけども、
まさにこれが儒教、法師とかが始めた儒教の教えの参詩、いわゆる祭ポエム、ポエムって言ったらいいか、っていうものを作るっていうものが大きな内容で、
なので、いわゆる家教を通れば知識人とか師大夫って嘘になれるっていうことは、要は儒教の知識を学べば社会的な地位とか、あるいは立心出世ではね、そういうものができるっていうふうな国が出来上がっていくんだよね。
はー、なるほど。
だから今でいくと、それこそいい大学入れば官僚になって安泰みたいな、まあ今はそうじゃないみたいな話もあると思うんだけど、
っていうのが、まさに全土で行われてましたみたいな、そういうふうな時代ですよと。
なるほど、ある意味生まれ関係なく、ほぼ関係なくみたいなね。
そうだね。もちろん学ぶ環境が通ってるとかっていう意味では、お金がある人とかの有利とかってあったらしいんだけど。
教材ないんですけどみたいなね。そもそもないんですけどみたいな。
勉強できないんですけどみたいな感じがしちゃうからね。
で、まあそういう家教ってあるんだけど、ここであと趣旨学が出てくるんですけど、
実はこの趣旨学って、大元をたどると儒教なんですよ。
へー、そうなの?
うん。サイトでこれも知らない人もいらっしゃるかと思うんですけれども、
趣旨学って、アレですよ、なんだろうな、こう、アップデート儒教みたいな、新儒教みたいな感じなんですよ。
なので、全く新しい学問を手切って作りましたっていうことじゃなくて、
この儒教っていうものをベースにして、ある種当時にリバイバルしたみたいな、
その時代に合わせて復活させたみたいなものが、趣旨学なんですよね。
へー、そうなんだね。はいはい。
逆に言うと、当時の儒教って、いわゆる教科書的なお勉強なんですよ。
要は、受験科目ってさ、よく言われるけど、これ、勉強じゃ何になるんですか?みたいなさ。
あー、はいはいはい。
そうそうそう。今更古典やって、この現代のAI時代に役立つんですか?とかってあると思うんだけど、
当時の儒教も結構そんな感じで、それは100人とかで完了になるために勉強するんだけど、
正直これやって、実際の政治うまくいくんですか?とか、
俺の人生良くなるんですか?みたいな、結構そんな感じだったらしいんだよね。
なるほどねー。はいはい。難しいとこはね、それはね。
あの、六法全書と判例をめちゃくちゃ暗記して、役立つんですか?っていう、
役立つんだけど、それだけじゃないんだよねー、みたいな。
そうそうそうそう。必要なんだけど、
やっぱりそれで本当に、人生にとっていいんでしたっけ?みたいな感じになっちゃうんだよね。
いうふうな話があった時に、そういう時代に、実はその主師、主義っていう人が、
その儒教を本当にリバイバルして生き生きとした。
これだったら、やっぱり儒教いいよね。とか、ちゃんと学ぶ必要あるよね。みたいな。
そういうふうにアップデートしたよっていうふうな感じなんですよ。
へー、そうなんだ。ほうほうほう。
うんうん。
っていうのが、大きな時代的な流れとか、なんで主師役で生まれたかっていう背景なんだけれども、
私は主義さんね、この人どんな人だったかっていう話なんですけれども、
主義さんは、宗の時代、1130年に、今は中国の福建省っていうところで生まれておりますよ。
一応お父さんも官僚というか公務員か、地方公務員みたいな仕事があったんだけれども、
あんまり優秀じゃなかったみたいで、
結構ね、大きな話でいくと、貴族とか良いところの生まれとかじゃなくて、
本当に食べるものとか着るものにも困るみたいな、
割とそういう生活をしたらしいんですよね。
うーん、そうなんだ。公務員で困っちゃうくらいなんだね。
あ、そうそうそう。
なんか割と、本当に地方の役人さんっていう感じだったと思うんだけど。
うんうんうん。
で、地方はですね、なんと悪いことに、主旗が14歳の時にお父さんが亡くなっちゃうんですよ。
結構ね、若くしてお父さんが亡くなってしまっても、身寄りがなくなるっていう感じなんだけれども、
そこでお父さんも結構良い人だったみたいで、
地方で働いてる時にある種仲良くなったというか、
そういう役人さんたちとこういう人だった中で、
自分が亡くなった後は嫁と主旗、息子を頼むぞというふうな感じで託して亡くなっていくんだよね。
うんうんうん。
その託された人たちが結構有力な政治家というかそういう人もいたようで、
そういう人たちから訓導を受けながらは主旗さんは座っていきますよと。
うんうんうん。
うん。で、やっていくんだけれども、最終的には実はこの主旗さんは先ほど言った架橋という式に受かるんだけれども、
なんかね、ちょっといろんな本を読んだり調べたりしてもあまりにもサラッと書かれてて、
なんかよくわかんないんだけど、
この本屋がね、ちょっとおどけたのが18歳の時で、
おお。
この時に一流試験を突破してるんですよ。
うわー、そうなの?
そう。で、翌年19歳で最終試験の伝誌っていうやつを受かってるんだけど、
へー。
受かってるんだけどね、これちょっとウィキペディア情報なんですけど、
今日の競争率って、なんかさ、あるじゃん、大学入試1.5倍とか3倍ですとかあるじゃん、5倍ですとか日本だと。
なんか3000倍とからしいよね。
はいはいはいはいはい。
うちはもう、なんかその最終合格の平均年齢とかも36歳とかなんだけど、
うんうんうんうん。
これってあくまでも受かった人の平均年齢なのよ。
なるほどね。
だからその周りには、そもそも一生かけても受かんないみたいな人とか、
そういう人がザラにいるわけよね。
なるほどね。
そう。っていうのかで、19歳でこの人、趣旨産5億してるのよ。
ちょっと尋常じゃない?
うん。
3000倍っていうのは知らなかったけど、本当に何十年かけて受かっていくみたいな。
それで受かれば、安泰ぐらいのやっぱ、
そうなんだよね。
そう。
受かったら、その人だけじゃなくて一族労働取り上げられてハッピーみたいな感じだから、
はいはい。
本当に親戚中が応援するみたいな感じらしいんだけど、
うんうんうんうんうん。
さっき言ったより主義産さ、もうお父さんも亡くなってるわけよ。
うん。
っていうふうな状況で、なんか受かっちゃってるのよ、19歳で。
うわー、すごいね。
だからなんでそんなことできたのかとかは正直、もしかしたら、
そのレベルあるのかもしれないけど、ちょっと調べた中では見つからなくて。
あのさらっと18歳で受かりました、みたいな19歳で。
異例の若さで受かりましたみたいなことになって、異例も異例でしょみたいな、どういうことって。
うん、そこもっと掘ってほしいみたいなね。
いや、気になりますっていう感じ。
だから、今で言うと当然、年齢関係って受け入れるからあれなんだけれども、
本当に全国もし一桁みたいな、そんな感じだよね。
うんうんうんうん。
で、まあめちゃめちゃ優秀でしたって話なんだけれども、
そこからが面白いのが、こんなクソ若くて優秀で受かったら、
もうなんか政治家としてバリバリクリアじゃんっていう感じなんだけど、
実は政治家としてはそんなに耐性しないんですよね、この人。
うーん、じゃあ一回やってるんだ、そういう仕事してたんだ、ちゃんと。
そう、もちろん普通にそういう官僚の仕事してるんだけれども、
正直あんまり興味がなかった時代で。
ほうほうほうほう。
そう、だからその国からさ、こういう官職にしてますとか、こういう仕事をしてくださいってお出しが下るわけなんだけど、
なんかそれも辞退させてくれみたいなね、そういう申請書書き回したりとか残ってるらしいんだよね。
へー、あーそうなんだ。
そうそう。
で、まあもちろん断りきれないから、いろいろ知事みたいな仕事とかそういうのやってるんだけど、
まあもう自分の学問をやりたいんだと。
うんうんうんうん。
そういう自分の学問を体系化して、そういうのをまとめたいんだ、そっちが得たいんだっていうのをね、
もうちょっとこうね、仕事したくありませんみたいな、なんかそういう風な感じだったみたいなね。
ははははは、だからこういう若い天才あるあるなのかもしれないね、自分の世界観というかね。
うん。
もう見えてるもんね。
ある種類なんだから。
いやそうそう、だから多分ね、むしろ国としても使いづらかったんじゃないかな、逆にね優秀すぎてこう。
うん。
っていう風な話もあったんで、まあただ逆に言うとやっぱそういう風な一風変わった天才だからこそ、
まあそういうね、朱子学っていう学問の体系、自分の本当に名前を判断するような学問を作りますとか、
まあそれまで中国だけじゃなくって、まあそういうことはちょっとあの韓国とか日本とかさ、
まあそういう周辺諸国にも広まっていきますよみたいな、そういうことができたんじゃないかなという風には思うんだよね。
へーそうなんだ、ほうほうほう。
うん。で、まあもちろんね、官僚としては仕事もいろいろあるんだとは思うんだけれども、
まあ一応その70歳まで彼は生きていて、まあ弟子に見守られながらも亡くなりましたよみたいな。
仏教の影響
まあ精霊ってやっぱりそういう主義を慕う人とか、やっぱりそこについて学ぼうとする人は結構いましたよっていう感じなんだよね。
へー、じゃあまあ食べるためには仕事しながらだったりとか、そこはやってたのかな。
まあそうだよね、そこは。
ある種いわゆるライスワークみたいな感じでまあ仕事はしながら。
こんだけ優秀な人だとさ、本人的にはライスワークのつもりでもさ、めちゃくちゃ成果出せる可能性もあるよなと思って。
確かにね、確かにあると思う。
そういう意味では別に仕事ができないとか迫害されたとかっていうのは残ってないっぽいので、
多分普通にいい仕事をして、書き時間を使って悪夢を作りますよみたいな。
普通が多分すごいレベルが高かったんだよね。
そうだよね。
うん。
まあっていう意味でもね、ちょっと主義さんのすごさというか、
捉えきれないぐらいのすごさって感じていただけたんじゃないかと思うんですけれども、
そんな感じで人生としてはさらっと見てきたんですけど、
1個ね、このタイミングで触れたいことがあって、
それは今、儒教とかそういう話をしてきたんですけれども、
当時やっぱ中国の思想みたいなことを見たときに、やっぱりきっとも啓発されたのは仏教なんですよ。
はいはいはいはい。
この宗の時代、古代時刻で混乱が続いた後の宗の時代においても、
やっぱり仏教の方がどっちかっていうと主流派なんだよね。
うんうんうん。
儒教とその実践
さっき言った通り、佳境では儒教っていうのが扱われてるんで、
この師大夫っていう人たちは、いわゆる儒教のスペシャリストなわけですよ。
うん。
だからそういう意味ではもちろん儒教ってめちゃめちゃ詳しいんだけれども、
さっきも言った通り、やっぱりちょっとお勉強的な感じなんだよね。
はいはいはい。
うん。例えば論語とかもあると思うんですけど、
例えば論語だと、聞いたことありますかね。
例えば、「己の発せざるところ、人に施すことなかれ。」みたいなさ。
うんうんうん。
これ論語の言葉なんですけど、
いわゆる自分がやって欲しいことは人にやっちゃダメだよみたいなことで言うと、
めっちゃわかりやすいってわかりやすいじゃないですか。
うんうんうん。
うん。だからある種すごい実理的だし、
シンプルに誰か聞いてもわかるって意味ではいいんだけれども、
やっぱりそういう知識層というかさ、
やっぱりいろんなことを考えて仕事をしたい人からすると、
ちょっともう足りねえなみたいな感じになるらしいんだよね。
あー、まあね。うんうん。
抽象的すぎるとか、もうちょっと詳しくそこをみたいなね。
むしろ具体的すぎるかな。
えー、そうなの?へー。
うん。
だって自分のして欲しくないことは人にはしたダメですってさ。
あー、そっか。
そうそう。だからそれなんでやっちゃダメなんですかとか、
それでどういうふうな原理原則から導かれてるんですかみたいなものがないんだよね、儒教には。
あー、そっかそっかそっか。
なるほど。そう思った理由を教えてになっちゃうのか、その儒教の方針の言うことはね。
うん。
はあはあはあ。
でもなんか儒教はそこはなくって、
単純にいわゆる昔の聖人、聖なる人とか優秀な人がそう言いましたとか、
うーん。
これが正しいことなんでこれをやりなさいみたいな、そういうふうになっちゃうんだよね。
なるほどなるほど。
うん。
逆に言うとさ、仏教界ってこれまでも散々やらせていただいたんですけれども、
我々はやっぱりまさに高尚、中尚度の高い高尚な議論の手言教みたいなさ、
この世界は網目みたいになって、一歩一歩のものが相互に映し合っている鏡のようなみたいなそんな世界観みたいな話とか、
うーん。
我々は座禅で言うと実践方法があって、
そういうふうに座るとまさに下脱というか、そういう悟りの境地に行けますみたいな、
まあそういうものが体系化されているっていうふうなものが仏教ってあるんだけど、
うーん。
そういうのって仏教には全然ないんだよね。
ああ、そうだったんだ。はいはい。
うんうん。
だからそういう意味で言うとやっぱりその、
私大夫、そういう知識人の人たちも表向きには儒教を大事にしているんだけど、
裏というか自分の悩み、なんでこういう世の中に生きているのかとか、
自分の例えば生きる意味があったかもしれないと考えるとすると、
そっちが仏教で満たしてますみたいな。
うーん。
結構そういうふうな、二重の姿勢というのがあったらしいんだよね、スタンスというか。
そうなんだ。
うんうん。
実際主義自身も、結構若い頃っていうのは仏教に魅了されて、
受教なんて所詮はお勉強だみたいな、
俺はこの生きて学問である仏教を学ぶぜみたいな、結構そんな感じだったらしいんだけど、
へー。
だけれども、やっぱりどんどんいろんな勉強をしていく中で、
僕に仏教っていうのを違和感を持つわけですよ。
わー面白そうだね。こんな人がどういう違和感を持ったのかね。
そうそうそう。
それこそじゃあ空、一切皆悪、まあ知識促是空か。
うん。
これもさ、よくソイデスラジオも取り上げると思うんですけれども、
そこに対して主義者さんは、本当に空なのだろうかと考えるような人なんだよね。
うんうんうん。
みたいなところで、もしかして受教の方が、いろんなこと説明できるんじゃね?とか。
あーはいはいはいはい。
それを使って、世の中でいろんなことを解き明かした時に、
仏教を乗り越えられるんじゃね?みたいな、
そういう、直接思ったかどうかは別だけれども、そういうことを考えていくわけですよね。
うーん、なるほど。
ただ当然、仏教を乗り越えてもめちゃめちゃ大変なことで、
当然、いわゆる世の中の在り方、この宇宙はどうなってるかっていうところから、
人間の心とはどういうものか、
あるいはそれをどう扱って、どう制御するかみたいなところまで、
仏教ってある意味、全てを解き尽くしてる体系なわけだよね。
いやー、その1100年当時、さっきハイトが言った、ケゴン教みたいなものもすでにあるんだよね。
もちろんある。
恐ろしいものを乗り越える。
そうそうそうそう。
っていうところを、ある意味向き合った上で、
これも受教で乗り越えてやろう、っていうふうに思ったわけですよ。
はー、そういうことなんだ。はいはいはい。
うんうんうん。
なので、それをちゃんと問題意識を持って、いくつかやっぱり言ってやり遂げた。
それを修士学として、後の人がちゃんと学んで、これは良いものだとか、
これはやるに値するという学問として鍛え上げたっていう人が、主祇っていう人なんだよね。
ふーん。
っていうところを聞くだけでも、結構主祇さんのすごさというか、
なんかやべえことをしてそうっていう感じは、ちょっと伝わったんじゃないかなと思うんですよね。
あー、そうはねー。
一気になんか、ただのさっきの過去、18歳、19歳で合格とか、
ちょっと自分の違う深みを感じるような今の話を。
あー、そうそうそうそう。
だからこれ多分ね、本当何でもそうなんだけど、プラテスでもプラトンでもそうなんだけれども、
やっぱりちょっとね、こうやって3、40分くらい背景とか、
なんかこう、経緯を聞くだけでもさ、なんか土産者じゃねえぞみたいな、そういう感じってするじゃないですか。
あー、まあね、まんまと思わされちゃうよね。
まんまと。
本当にこれまで修士学って全然知らなくて、
ただちょっと今回関とか東洋に行くっていうときにやろうと思ってやって、まあ何冊か本を読んだぐらいなんだけれども、
やっぱりめちゃめちゃ魅力的だなってやっぱり思ったんだよね。
なので、そういう意味で言うと、本当知るってね、やっぱ大事だよな、楽しいよなっていうのに本当尽きるんですけど、
まあそれを今回皆さんとね、分かち合って学び合っていきたいですよっていう感じなんだよね。
はいはい、なるほど。あ、ごめん、1個質問なんだけどさ。
あ、どうぞ。
修士学、えっと、ちょっと待って、仏教、あと儒教、あと今回修士学っていうのが出てきたんだけども、
修士学って学問なのか、宗教なのか、まあもちろんその仏教が学問なのか宗教なのかっていうのが難しいと思うんだけども、
あの、仏教と修士学って並列に並べていいものなの?
その辺の定義というか、何なんだろうっていう。
あ、オッケー、それでいくと、修士学とか儒教は、いわゆる宗教ではないですよ。
はいはいはいはい。
もちろんその孔子を聖人として崇めるとかってあるんだけれども、いわゆる崇拝者なんか儀礼的なものをやるとか、
何かその孔子を信じれば救われるみたいな、そこは一切ないんだよね。
あくまでも現実社会に生きるときの厳しさとか規則とか、大事にしてるものっていうのを伝えてますよっていうものなので、
明らかに違うものです。
それでいうと仏教は、まあ神様いないけど基本、
救いとか、やっぱそっちの方になってるのかな?
まあ宗教とは何かっていうのは難しいけれども、
ある種、そういう儀礼的なものの発展とか、例えばそれこそ偶像崇拝的なことがやっぱり発展していく、
そういう儀礼とかさ、何だろうな、まさに儀式とか、そういうものを発展してることが宗教だとするなら、
仏教は宗教だけど儒教はやっぱり違うっていう感じだよね。
儒教はあくまで学問みたいな話?
そうだね。
そこは明確に違うんだね。
仏教は宗教の引き出しに入れてもいいけど、
儒教は宗教の引き出しには入らずに、どっちかというと学問の引き出しに入りますよっていうところが明確に違うと。
仏教との比較
違うね。
朱子学も同じだね。
宗教じゃなくて学問の方の引き出しに入りますよっていうイメージで大丈夫。
大丈夫。
はいはい、OKOK。
もちろんね、そんな簡単に分けられるものじゃなくて、重なってる部分もあるんだろうけど、っていうのは今日の話から感じたけど。
そうだね。
やっぱりいわゆる朱子さんが、朱子さんか、
何かすごい赤目立ち祀られて神になりましたかっていうと、そういう感じは全然ないんだよね。
あー、そっかそっか。
うん。
あくまでもそういう儒教っていう中で、それを発展させた一人の偉い人っていう感じで。
あー、だから、ある意味その儒教はわからないけど、朱子学に至って、若干その哲学といってもいいような領域に入ってる部分もある、もしかすると。
別に入っていると思う。ちょっとこれ次回までちゃんとお伝えしようと思ってるんですけど。
いわゆる定型化されている知識とか、そういう抽象的な原理原則とかから、そういう世の中を解き明かすみたいな発想でいくと、
かなりやっぱり哲学っぽい。哲学とは何かっていうと、それはまた難しいものにもあるんだけど。
そうだね。
そう。ただ単純に朱子さんが一人で何か考えました、思いつきですとか、自分の経験談をまとめましたとかじゃなくて、
そういうところの歴史的な経緯とか流れとか、そういったものを踏まえながら取りまとめていったっていう意味では、
すごくやっぱり、哲学っぽいというか、そういう思想としてやっぱりまとまってるっていう感じではあるんだよね。
なるほど、なるほど。わー、どうもどうも。
一応ね、宗教なのかどうかみたいなさ、仏教と並べて、どっちが、仏教のほうがいいとか、朱子学のほうがいいみたいな話になっちゃうと、
あれ、宗教どうしたっけ?みたいな。それとも仏教の哲学というか、思想哲学面のほうの話、どっち?みたいなさ。
うん、確かにね、確かに確かに。
でも結局ね、定義は難しいっていうところなんだろうけどね。
あくまでも、あくまでも朱子学に関しては、明晦日やっぱり学問、なので宗教とはやっぱり競反作用ということですね。
朱子学の意義と背景
はいはい、了解しました。
でもありがたい、やっぱりそういうところも、確かにね、ぼんやりしてると混ざっちゃうと思うので。
いやー、だって宗教って教って入っちゃってるからね。
まあ確かにね。
朱子学は学だけど。
はいはいはい、確かに。
まあそんな感じで、今回朱子学とは何ぞやというか、その後に向かう手前としての時代背景、
まあそういうね、戦乱の時代から、そうっていう時代になって、
ある種学問とかそういうお勉強的なことがむしろ大事にされるようになってきた。
時代において、こういう手記というのが出てきたんですよとか。
あとは、まあ宗教、さっき兄貴も言ってくれたけど、宗教って学問だよね。
そういったものが再評価される中で、
遠い仏教という思想的にはすごいライバルがいるわけですよ。
というときに、それを乗り越えよう。
その仏教とはまた違う思想で、この時代というものを説明してやろうみたいな。
そういうことをやろうとしたのが朱子さんですと。
はいはいはい。
というふうなところをお伝えさせていただいたんですけれども。
次回ですね、いきなり主旨学とはっていく前に、
やっぱり今兄貴も言ってくれたけど、
やっぱり宗教とか法師とかって、やっぱりまだ全然わかんないと思いますし、
そういった手伝いももちろんやってないじゃないですか。
やってないやってない。
そう。
なのでちょっとね、せっかくなので、
ちょっとその主旨学とはの前に、
宗教とはみたいなところで、
すごいサラッとになっちゃうけれども、
皆さんも名前が聞いたことあるかな。
法師とか孟子とか、あと順子っていう、結構有名な3人がいるんですけど。
その3人、言っても時代的にはもうめちゃめちゃ無名なんだけど、
その宗教の端みたいなところをちょっと見ることで、
主旨学に至る流れというか、
あ、こういう風な宗教の考え方がある中で、
主旨学っていうのができたんだねみたいな。
そういうところを次回、1回分で本当にサラッとになっちゃうと思うんですけれども、
次回の予告
お届けしようと思っておりますっていう感じですね。
おー、はいはい、まあそうだね。
だからもう、今回まんまと思わされたけれども、
こんなに凄みのある主旨だよね。
主旨さんが、ある意味その千年以上も練り上げられてきた仏教の考え方じゃなくて、
この宗教の方を元にその世の中とか考え始めたのかっていうところって、
凄い興味あるもんね。こんな人がなんでそっちに引っかかったん?
確かにね。別にね、仏教とは言いなってさ、そのまま仏教をすごい出典させるとかでもありそうだもんね。
ね、さっき言ったときは、ちゃんとそっちに興味持って仏教もしてるわけじゃん、仏教側もね。
そうそうそう。
その上でやっぱり、仏教だ俺みたいなさ、何があったんだろうっていうのが凄い気になるから、面白そうだね。
はい、なので次回は主旨学以前っていう感じで、この仏教の方ですね。
これをちょっと広く見ていこうと思ってますので、ぜひぜひお楽しみいただけたら嬉しいなと思っております。
はい、わかりました。では次回ですね、主旨学に入る前に仏教の方を見ていくというところで楽しみにしていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
40:26

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