まあそれをあるして学んでる人とかあるいはそれを批判してる人、知った上で、
いやそうじゃないんじゃないかって言ってる人っていうのが全然いたっていうふうな感じなんだよね。
へえ、そうなんだ。じゃあ全然日本でそのあたりか江戸時代かに広がってるというよりはむしろそのトップダウンでもうこれにしようって、
いいなと決まってたやつがそうなのか。
そうですそうです。
だから逆にそういうことも知らないぐらいさ、やっぱ朱姫学ってね、もうあるし、僕ら意識は昇らないと思うんだけど、
僕らね、そういうふうなやっぱりわかんないことなんで一個一個やっていこうと思うんですけど、
ちょっと無理やりね、その勘とかの流れっていうのが一応、それで面上的にはあるんで。
あ、あるんだ。
それで面上的にはね。
はいはい、ハエト的にね。
ハエト的には、そうそうそう。
ちょっとだけお話しすると、カポってさ、そのなんていうんですかね、ペルニクス戦慶とかって言葉を何度もさせたと思うんですけど、
要は外から内、要は自然とか経験っていうものから捉えるんじゃなくって、人間の方に世界を理解する仕組みがあるんだとかさ、
まだ道徳みたいな実戦理士とかだと思うんですけど、
生きてる意味をどう見出すのかみたいな、そういうことを見出していきましたよっていうことをお話したと思うんですよね。
はいはい、人格とかってやったもんね。
そうそうそう、道徳法則みたいなやつだと思うんですけど、
そういう意味ではある種、外の世界を素朴に受け入れるんじゃなくて、
それを理解する仕組みか、働いている、まさに働きみたいなものっていうのを明らかにしたって言えると思うんですよね。
そういう関係を捉えると、主旗っていう人が資格でやろうとしたのも、結構似てると感じられてて、僕には。
へー、あ、そうなの。
要はそういう世の中の在り方みたいなものを、当時の常識とか発想とはまた違うやり方で捉えようとか、そういう原理を見出して形にしようとした人なんだよね。
へー、そうなの、ほうほうほう。
その中でも秩序とか、構造みたいなものっていうのをやっぱり大事にしていて、
ただ当然、種子学と関とか近いからみたいな話をする人は、別にGoogleとかで検索しても、すごい近いですとか、発想が似てるとかっていうことは特に書いてないわけよ。
ああ、一般的な話ではないんだね。
学術的には全然ないんだけど、印象としてはそういう部分で繋がりがあるって感じていただくと、少し馴染みが出てくるというか、
そういうことをやろうとした人なのかもね、みたいな。そういうふうに捉えやすくなるんじゃないかっていうふうに思っております。
へー、なるほど。
その前に、いきなり種子学やりますって言っても、さっき兄貴が言ってくれた通りで、別にそもそもどんな時代の、何の人よってなっちゃうと思うんで。
第1回は普段、人隣とか人生とかっていうことをお伝えするんですけれども、ちょっとその時代背景とかも含めて今回はお伝えしたいと思っておりますよ、という感じなんですけれども。
改めるとこの種子学なんですけど、このシュキさんっていう人。シュキがいわゆる名前だよね。種子はいわゆる孔子とか孟子とかっていう子っていう先生みたいな。
はいはいはい。
いまいなので種子学ってのは種先生が作った学問ですよ、みたいな。そういうふうな感じなんですよと。
これが1100年代にできていくんだけれども、さっきもおっしゃった通り中国だけじゃなくて、日本とか韓国とかね、そういう周辺の国にもめちゃめちゃ影響を与えていくんですよ。
おそらく、これちょっと僕もまだちゃんと学べたいんだけれども、おそらく現在の日本人、僕たちにも結構影響を与えてるっぽいです。
その無意識的にね。なのでその辺まで実は行きたいなと思ってて。なので種子学やって、さっきはよく言ってくれた養命学っていう、ちょっと種子学を発展して開発させたものがあるんだけど、
それやって、日本の江戸時代みたいなところまで、今回足を伸ばしていけたらいいなとか思ったりはします。っていうのは助け取りなんですけど。
なるほど。今作りながらだからね。どこに繋がってるかっていう。
そう。あと別のホットな話題があればね、そっちになっちゃうかもしれないんだけれども。今ちょっと構想してますって感じなんだけど。
もう一回その中国の話に戻るとですね。種子さん、1100年頃ですよって言ってたんですけれども、そういう新しい発想とかそういう学問、哲学ができるときってやっぱり時代の中ではめちゃめちゃ影響してるんですよね。
当時どういう時代だったかっていうとですね、この1100年から遡ることをさらに200年。当時はね、中国唐っていう王朝があったんですけど、
その安定政権など、唐が滅んで、軍有格強、戦乱の時代の五次十国っていう時代になっちゃうんですよ。そこは本当に戦争に明け暮れたりとか、権力争いとか、社会ももうめちゃめちゃですみたいな、結構そんな時代なんだよね。
その中で当然、社会の秩序ってのも乱れるし、生きていきやすい世の中になってくるって人々も思うわけなんですよ。
っていうときに50年くらいそういう時代が続くんだけれども、それを統一した政権っていうのが、ソウなんだよね。
っていう感じで、五大地獄の次はソウなんですけど、それは結構、ちゃんと安定した国を作っていこうっていう感じなんだけど、
これですね、やっぱり武力、要は戦争時代の後の国なんで、武力っていうのは良くないというか、ちゃんと抑えましょうと。
若者っていうものを大事にしましょうっていうふうな政権になってくるんだよね。
もうあんなに戦乱のごちゃごちゃした世の中、もういいわみたいな感じになるんだね、みんなね。
そうね、なるし、あとやっぱり空手戦とか起きちゃうから、せっかく統一したのに自分たちがまた追いやられちゃうっていうのも良くないんで、
もうこれからは武力じゃなくて学問だって言って、それでも抑えつけちゃうんだよね。
で、そういうふうになってくるんですけれども、そこで実はまた復活していってくるのが科挙なんですよ。
これも教科書とかでたぶん学んだことあると思うんですけど、いわゆる国家官僚、今で言うと、なんていうんだっけ。
公務員試験?
そう、本当に公務員試験だね、そうだね。
で、それを合格すれば、いわゆるエリート官僚になれる、師大夫とかって言うんだけど、そういう知識人に、いわゆるどんな人でもなれるよみたいな、
そういう豪族とか貴族とかの指定とかだけじゃなくて、本当に一般の人たちもそれに合格したりすれば、そこに入れる、仲間入りできるぜみたいな、そういうふうな制度があったんですよね。
はー、はいはい。
これ自体が随とかだから、かなり古からあったんですけど、その後代時刻のお茶目茶の中で一回衰退するんだよね。
教材ないんですけどみたいなね。そもそもないんですけどみたいな。
勉強できないんですけどみたいな感じがしちゃうからね。
で、まあそういう家教ってあるんだけど、ここであと趣旨学が出てくるんですけど、
実はこの趣旨学って、大元をたどると儒教なんですよ。
へー、そうなの?
うん。サイトでこれも知らない人もいらっしゃるかと思うんですけれども、
趣旨学って、アレですよ、なんだろうな、こう、アップデート儒教みたいな、新儒教みたいな感じなんですよ。
なので、全く新しい学問を手切って作りましたっていうことじゃなくて、
この儒教っていうものをベースにして、ある種当時にリバイバルしたみたいな、
その時代に合わせて復活させたみたいなものが、趣旨学なんですよね。
へー、そうなんだね。はいはい。
逆に言うと、当時の儒教って、いわゆる教科書的なお勉強なんですよ。
要は、受験科目ってさ、よく言われるけど、これ、勉強じゃ何になるんですか?みたいなさ。
あー、はいはいはい。
そうそうそう。今更古典やって、この現代のAI時代に役立つんですか?とかってあると思うんだけど、
当時の儒教も結構そんな感じで、それは100人とかで完了になるために勉強するんだけど、
正直これやって、実際の政治うまくいくんですか?とか、
俺の人生良くなるんですか?みたいな、結構そんな感じだったらしいんだよね。
なるほどねー。はいはい。難しいとこはね、それはね。
あの、六法全書と判例をめちゃくちゃ暗記して、役立つんですか?っていう、
役立つんだけど、それだけじゃないんだよねー、みたいな。
そうそうそうそう。必要なんだけど、
やっぱりそれで本当に、人生にとっていいんでしたっけ?みたいな感じになっちゃうんだよね。
いうふうな話があった時に、そういう時代に、実はその主師、主義っていう人が、
その儒教を本当にリバイバルして生き生きとした。
これだったら、やっぱり儒教いいよね。とか、ちゃんと学ぶ必要あるよね。みたいな。
そういうふうにアップデートしたよっていうふうな感じなんですよ。
へー、そうなんだ。ほうほうほう。
うんうん。
っていうのが、大きな時代的な流れとか、なんで主師役で生まれたかっていう背景なんだけれども、
私は主義さんね、この人どんな人だったかっていう話なんですけれども、
主義さんは、宗の時代、1130年に、今は中国の福建省っていうところで生まれておりますよ。
一応お父さんも官僚というか公務員か、地方公務員みたいな仕事があったんだけれども、
あんまり優秀じゃなかったみたいで、
結構ね、大きな話でいくと、貴族とか良いところの生まれとかじゃなくて、
本当に食べるものとか着るものにも困るみたいな、
割とそういう生活をしたらしいんですよね。
うーん、そうなんだ。公務員で困っちゃうくらいなんだね。
あ、そうそうそう。
なんか割と、本当に地方の役人さんっていう感じだったと思うんだけど。
うんうんうん。
で、地方はですね、なんと悪いことに、主旗が14歳の時にお父さんが亡くなっちゃうんですよ。
結構ね、若くしてお父さんが亡くなってしまっても、身寄りがなくなるっていう感じなんだけれども、
そこでお父さんも結構良い人だったみたいで、
地方で働いてる時にある種仲良くなったというか、
そういう役人さんたちとこういう人だった中で、
自分が亡くなった後は嫁と主旗、息子を頼むぞというふうな感じで託して亡くなっていくんだよね。
うんうんうん。
その託された人たちが結構有力な政治家というかそういう人もいたようで、
そういう人たちから訓導を受けながらは主旗さんは座っていきますよと。
うんうんうん。
うん。で、やっていくんだけれども、最終的には実はこの主旗さんは先ほど言った架橋という式に受かるんだけれども、
なんかね、ちょっといろんな本を読んだり調べたりしてもあまりにもサラッと書かれてて、
なんかよくわかんないんだけど、
この本屋がね、ちょっとおどけたのが18歳の時で、
おお。
この時に一流試験を突破してるんですよ。
うわー、そうなの?
そう。で、翌年19歳で最終試験の伝誌っていうやつを受かってるんだけど、
へー。
受かってるんだけどね、これちょっとウィキペディア情報なんですけど、
今日の競争率って、なんかさ、あるじゃん、大学入試1.5倍とか3倍ですとかあるじゃん、5倍ですとか日本だと。
なんか3000倍とからしいよね。
はいはいはいはいはい。
うちはもう、なんかその最終合格の平均年齢とかも36歳とかなんだけど、
うんうんうんうん。
これってあくまでも受かった人の平均年齢なのよ。
なるほどね。
だからその周りには、そもそも一生かけても受かんないみたいな人とか、
そういう人がザラにいるわけよね。
なるほどね。
そう。っていうのかで、19歳でこの人、趣旨産5億してるのよ。
ちょっと尋常じゃない?
うん。
3000倍っていうのは知らなかったけど、本当に何十年かけて受かっていくみたいな。
それで受かれば、安泰ぐらいのやっぱ、
そうなんだよね。
そう。
受かったら、その人だけじゃなくて一族労働取り上げられてハッピーみたいな感じだから、
はいはい。
本当に親戚中が応援するみたいな感じらしいんだけど、
うんうんうんうんうん。
さっき言ったより主義産さ、もうお父さんも亡くなってるわけよ。
うん。
っていうふうな状況で、なんか受かっちゃってるのよ、19歳で。
うわー、すごいね。
だからなんでそんなことできたのかとかは正直、もしかしたら、
そのレベルあるのかもしれないけど、ちょっと調べた中では見つからなくて。
あのさらっと18歳で受かりました、みたいな19歳で。
異例の若さで受かりましたみたいなことになって、異例も異例でしょみたいな、どういうことって。
うん、そこもっと掘ってほしいみたいなね。
いや、気になりますっていう感じ。
だから、今で言うと当然、年齢関係って受け入れるからあれなんだけれども、
本当に全国もし一桁みたいな、そんな感じだよね。
うんうんうんうん。
で、まあめちゃめちゃ優秀でしたって話なんだけれども、
そこからが面白いのが、こんなクソ若くて優秀で受かったら、
もうなんか政治家としてバリバリクリアじゃんっていう感じなんだけど、
実は政治家としてはそんなに耐性しないんですよね、この人。
うーん、じゃあ一回やってるんだ、そういう仕事してたんだ、ちゃんと。
そう、もちろん普通にそういう官僚の仕事してるんだけれども、
正直あんまり興味がなかった時代で。
ほうほうほうほう。
そう、だからその国からさ、こういう官職にしてますとか、こういう仕事をしてくださいってお出しが下るわけなんだけど、
なんかそれも辞退させてくれみたいなね、そういう申請書書き回したりとか残ってるらしいんだよね。
へー、あーそうなんだ。
そうそう。
で、まあもちろん断りきれないから、いろいろ知事みたいな仕事とかそういうのやってるんだけど、
まあもう自分の学問をやりたいんだと。
うんうんうんうん。
そういう自分の学問を体系化して、そういうのをまとめたいんだ、そっちが得たいんだっていうのをね、
もうちょっとこうね、仕事したくありませんみたいな、なんかそういう風な感じだったみたいなね。
ははははは、だからこういう若い天才あるあるなのかもしれないね、自分の世界観というかね。
うん。
もう見えてるもんね。
ある種類なんだから。
いやそうそう、だから多分ね、むしろ国としても使いづらかったんじゃないかな、逆にね優秀すぎてこう。
うん。
っていう風な話もあったんで、まあただ逆に言うとやっぱそういう風な一風変わった天才だからこそ、
まあそういうね、朱子学っていう学問の体系、自分の本当に名前を判断するような学問を作りますとか、
まあそれまで中国だけじゃなくって、まあそういうことはちょっとあの韓国とか日本とかさ、
まあそういう周辺諸国にも広まっていきますよみたいな、そういうことができたんじゃないかなという風には思うんだよね。
へーそうなんだ、ほうほうほう。
うん。で、まあもちろんね、官僚としては仕事もいろいろあるんだとは思うんだけれども、
まあ一応その70歳まで彼は生きていて、まあ弟子に見守られながらも亡くなりましたよみたいな。
さっき言った通り、佳境では儒教っていうのが扱われてるんで、
この師大夫っていう人たちは、いわゆる儒教のスペシャリストなわけですよ。
うん。
だからそういう意味ではもちろん儒教ってめちゃめちゃ詳しいんだけれども、
さっきも言った通り、やっぱりちょっとお勉強的な感じなんだよね。
はいはいはい。
うん。例えば論語とかもあると思うんですけど、
例えば論語だと、聞いたことありますかね。
例えば、「己の発せざるところ、人に施すことなかれ。」みたいなさ。
うんうんうん。
これ論語の言葉なんですけど、
いわゆる自分がやって欲しいことは人にやっちゃダメだよみたいなことで言うと、
めっちゃわかりやすいってわかりやすいじゃないですか。
うんうんうん。
うん。だからある種すごい実理的だし、
シンプルに誰か聞いてもわかるって意味ではいいんだけれども、
やっぱりそういう知識層というかさ、
やっぱりいろんなことを考えて仕事をしたい人からすると、
ちょっともう足りねえなみたいな感じになるらしいんだよね。
あー、まあね。うんうん。
抽象的すぎるとか、もうちょっと詳しくそこをみたいなね。
むしろ具体的すぎるかな。
えー、そうなの?へー。
うん。
だって自分のして欲しくないことは人にはしたダメですってさ。
あー、そっか。
そうそう。だからそれなんでやっちゃダメなんですかとか、
それでどういうふうな原理原則から導かれてるんですかみたいなものがないんだよね、儒教には。
あー、そっかそっかそっか。
なるほど。そう思った理由を教えてになっちゃうのか、その儒教の方針の言うことはね。
うん。
はあはあはあ。
でもなんか儒教はそこはなくって、
単純にいわゆる昔の聖人、聖なる人とか優秀な人がそう言いましたとか、
うーん。
これが正しいことなんでこれをやりなさいみたいな、そういうふうになっちゃうんだよね。
なるほどなるほど。
うん。
逆に言うとさ、仏教界ってこれまでも散々やらせていただいたんですけれども、
我々はやっぱりまさに高尚、中尚度の高い高尚な議論の手言教みたいなさ、
この世界は網目みたいになって、一歩一歩のものが相互に映し合っている鏡のようなみたいなそんな世界観みたいな話とか、
うーん。
我々は座禅で言うと実践方法があって、
そういうふうに座るとまさに下脱というか、そういう悟りの境地に行けますみたいな、
まあそういうものが体系化されているっていうふうなものが仏教ってあるんだけど、
うーん。
そういうのって仏教には全然ないんだよね。
ああ、そうだったんだ。はいはい。
うんうん。
だからそういう意味で言うとやっぱりその、
私大夫、そういう知識人の人たちも表向きには儒教を大事にしているんだけど、
裏というか自分の悩み、なんでこういう世の中に生きているのかとか、
自分の例えば生きる意味があったかもしれないと考えるとすると、
そっちが仏教で満たしてますみたいな。
うーん。
結構そういうふうな、二重の姿勢というのがあったらしいんだよね、スタンスというか。
そうなんだ。
うんうん。
実際主義自身も、結構若い頃っていうのは仏教に魅了されて、
受教なんて所詮はお勉強だみたいな、
俺はこの生きて学問である仏教を学ぶぜみたいな、結構そんな感じだったらしいんだけど、
へー。
だけれども、やっぱりどんどんいろんな勉強をしていく中で、
僕に仏教っていうのを違和感を持つわけですよ。
わー面白そうだね。こんな人がどういう違和感を持ったのかね。
そうそうそう。
それこそじゃあ空、一切皆悪、まあ知識促是空か。
うん。
これもさ、よくソイデスラジオも取り上げると思うんですけれども、
そこに対して主義者さんは、本当に空なのだろうかと考えるような人なんだよね。
うんうんうん。
みたいなところで、もしかして受教の方が、いろんなこと説明できるんじゃね?とか。
あーはいはいはいはい。
それを使って、世の中でいろんなことを解き明かした時に、
仏教を乗り越えられるんじゃね?みたいな、
そういう、直接思ったかどうかは別だけれども、そういうことを考えていくわけですよね。
うーん、なるほど。
ただ当然、仏教を乗り越えてもめちゃめちゃ大変なことで、
当然、いわゆる世の中の在り方、この宇宙はどうなってるかっていうところから、
人間の心とはどういうものか、
あるいはそれをどう扱って、どう制御するかみたいなところまで、
仏教ってある意味、全てを解き尽くしてる体系なわけだよね。
いやー、その1100年当時、さっきハイトが言った、ケゴン教みたいなものもすでにあるんだよね。
もちろんある。
恐ろしいものを乗り越える。
そうそうそうそう。
っていうところを、ある意味向き合った上で、
これも受教で乗り越えてやろう、っていうふうに思ったわけですよ。
はー、そういうことなんだ。はいはいはい。
うんうんうん。
なので、それをちゃんと問題意識を持って、いくつかやっぱり言ってやり遂げた。
それを修士学として、後の人がちゃんと学んで、これは良いものだとか、
これはやるに値するという学問として鍛え上げたっていう人が、主祇っていう人なんだよね。
ふーん。
っていうところを聞くだけでも、結構主祇さんのすごさというか、
なんかやべえことをしてそうっていう感じは、ちょっと伝わったんじゃないかなと思うんですよね。
あー、そうはねー。
一気になんか、ただのさっきの過去、18歳、19歳で合格とか、
ちょっと自分の違う深みを感じるような今の話を。
あー、そうそうそうそう。
だからこれ多分ね、本当何でもそうなんだけど、プラテスでもプラトンでもそうなんだけれども、
やっぱりちょっとね、こうやって3、40分くらい背景とか、
なんかこう、経緯を聞くだけでもさ、なんか土産者じゃねえぞみたいな、そういう感じってするじゃないですか。
あー、まあね、まんまと思わされちゃうよね。
まんまと。
本当にこれまで修士学って全然知らなくて、
ただちょっと今回関とか東洋に行くっていうときにやろうと思ってやって、まあ何冊か本を読んだぐらいなんだけれども、
やっぱりめちゃめちゃ魅力的だなってやっぱり思ったんだよね。
なので、そういう意味で言うと、本当知るってね、やっぱ大事だよな、楽しいよなっていうのに本当尽きるんですけど、
まあそれを今回皆さんとね、分かち合って学び合っていきたいですよっていう感じなんだよね。
はいはい、なるほど。あ、ごめん、1個質問なんだけどさ。
あ、どうぞ。
修士学、えっと、ちょっと待って、仏教、あと儒教、あと今回修士学っていうのが出てきたんだけども、
修士学って学問なのか、宗教なのか、まあもちろんその仏教が学問なのか宗教なのかっていうのが難しいと思うんだけども、
あの、仏教と修士学って並列に並べていいものなの?
その辺の定義というか、何なんだろうっていう。
あ、オッケー、それでいくと、修士学とか儒教は、いわゆる宗教ではないですよ。
はいはいはいはい。
もちろんその孔子を聖人として崇めるとかってあるんだけれども、いわゆる崇拝者なんか儀礼的なものをやるとか、
何かその孔子を信じれば救われるみたいな、そこは一切ないんだよね。
あくまでも現実社会に生きるときの厳しさとか規則とか、大事にしてるものっていうのを伝えてますよっていうものなので、
明らかに違うものです。
それでいうと仏教は、まあ神様いないけど基本、
救いとか、やっぱそっちの方になってるのかな?
まあ宗教とは何かっていうのは難しいけれども、
ある種、そういう儀礼的なものの発展とか、例えばそれこそ偶像崇拝的なことがやっぱり発展していく、
そういう儀礼とかさ、何だろうな、まさに儀式とか、そういうものを発展してることが宗教だとするなら、
仏教は宗教だけど儒教はやっぱり違うっていう感じだよね。
儒教はあくまで学問みたいな話?
そうだね。
そこは明確に違うんだね。
仏教は宗教の引き出しに入れてもいいけど、
儒教は宗教の引き出しには入らずに、どっちかというと学問の引き出しに入りますよっていうところが明確に違うと。