1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #38 「空の思想」を乗り越える..
2022-09-04 32:29

#38 「空の思想」を乗り越える「唯識」ってどんな説?(無著と世親)

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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♪~
はい、それ鉄ラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
このラジオは身近なテーマをきっかけに
哲学について楽しく学んでみようという番組です
哲学好きの弟と哲学に馴染みのない兄の
兄弟二人でお送りしていきたいと思います
改めまして兄の関野共生です
弟のハヤトですよろしくお願いします
今日は久しぶりに東洋に戻ってきまして
東洋思想仏教の中の優識という思想について
教えてもらいたいと思います
そうですね東洋思想というか仏教に関しては
これまで仏陀というか釈尊ですね
その仏教を作ったという釈尊と
あとリュウジュクウとか中元というようなものを
作ったといわれるリュウジュナガールジナという
二人をやってきましたと
なんとなく覚えてますどんな話をしたか
そうだね仏教の原始仏教という話と
あとナガールジナのクウという話は
結構ずっとこのテーマというのは
そういう風に順番を設定してくれているのかもしれないんだけれども
古代の西洋哲学のイデアとか現象界で
そこから東洋に移ってクウだったりとか
あとその後この前のデカールとかハントで
物自体とか我思いゆえに我らにみたいな感じで
なんとなく物をどういう風に認識して
それを人間がどう捉えるかとか
あとは西洋とか東洋で
それはその古に向かっていくのか社会を作っていくのかとか
いろんな使い方みたいなものだったりとか
時代背景は違うんだけれども
なんていうんだろうな捉えているものというか
その問題意識みたいなもの
哲学っていう風に大きくくくると
ある程度やっぱりその同じ引き出しというか
くぐれる部分ってありそうなんだなという意味で
大きな流れを追わせてもらっている感じがする
ので具体的なところを覚えているかと言われると
忘れているところもあると思うから
そこだけを聞きながら思い出そうかなという感じ
そうですね
もちろん西洋哲学もやっぱり過去の人を下敷きにして
どんどん発展しているというような感じで
仏教もやっぱり過去の流れを組みながら
それを乗り越えようとしたりとか
あるいは自分は思うというところで
どんどん発展していくという流れがあるんですけど
仏教に関しては結構一番大事なのが
もともとブッダ、釈尊、釈迦自体が
日常における苦しみをどう乗り越えるかみたいな
ところから始まっているので
03:01
結構そこからそこをどう達成するかというのが
大事だったりしますと
西洋だと共通の認識はとか
人間としての普遍的な善はみたいなのがあるんだけど
どちらかというと仏教は普遍性というよりも
個人個人がとか自分がとか
でも自分が仏になることで
衆生一切を救うにはとか
そういうところが結構違っていたりはするので
そこが改めて重要だなと僕は思っているんですけど
そういった意味でいうと
リュージュっていう人が体制した空という思想は
これも以前やってるんで
よかったら聞いていただきたいんですけれども
物事の空性というか
人間っていうのは物事を僕らは普通に捉えるときに
いわゆる普遍の絶対のもの
仏教的に言うと無常の変わらないものっていうのがあって
それと比較して現実のもの
例えば現実のリンゴっていうのは
理想のリンゴというか
リンゴそのものっていうのがあって
それがあっちのリンゴこっちのリンゴっていうのを
生み出しているのだみたいな
ちょっとイデアっぽい説明になっちゃったけど
っていう風に考えるんだけれども
実はそういう普遍のものとか
そういうのはないんだよっていうことを言いましたと
もうちょっと仏教的に言うと
普遍なものっていうのはつまり本体みたいなことを言うんだけど
あらゆるものに本体はない
リンゴの本体はないし
人間の本体はないみたいな
あらゆるものにないですよみたいなことを言いましたと
そういったものを乗り越えることで仏になれるよ
だから仏になるためには
空性っていうのを理解するのが必要なんだよって言うんだけれども
やっぱりそれってすごい
前もやった通り強力な思想ではあったんだけれども
やっぱり人間っていうのは言葉っていうのはすごく大事にというか
言葉によって生きてるから
全て空だって言われちゃうと
もうなんか空っぽなんだ何もないんだみたいな
ちょっと虚無主義みたいな
あらゆるものは無価値だ無意味だとか
何もないんだみたいにやっぱり思う人も結構出ちゃって
うーんそうなんだ
実際空もね
普通に読んじゃうと結構そういうふうに見えちゃうんだよね
私そうだね実際長原純也の解を教えてもらうまでは
ゼロの概念に近いと思ってたくらいだし
ああそうだよね
虚無主義的な話であるのかなと思ってたし
っていうのが当時の人もそうだったってこと
当時の人もそうだった
当時の仏教とか東洋思想に携わってた人ですらそうだったってことなんだ
そうそうそう
それは僕らが仏教を知らないからじゃなくて
やっぱ空っていうものを学んでいくと
06:02
何もない空っぽっていうことは自分自身も空っぽだから
仏になる自分はいないってこととか
仏っていうのはそもそも何みたいな
やっぱり仏になることもできないんじゃないかみたいな
ぐるぐるやっぱ回るわけよ
私結構逆に言っちゃったんだ
長原純也ってもともと全部あるっていう立場の人たちとの
反対というかそういうことじゃないよっていう
もっと無情だよみたいな話から
多分空っていう概念を作って
そっち対抗じゃないまでもね
ちゃんと悟りというものに真摯に向き合うためには
空っていうものが必要であるっていう話をしてきたと思うんだけど
空っていうものが今度はやっぱり
虚無主義を勉強した人たちは
そういう風にちょっと虚無主義に感じる部分ってあったんだね
それはすごく面白い当時の人でした
そうなんだよね
もう一個ごめん
素人のちょっと驚きみたいなのがあったんだけど
この空っていう言葉で
日本語に訳した時に間違って
空みたいな概念に訳したわけじゃないんだ
元々そういう言葉なんだ
元々ねシューニャーっていう言葉があるんだけれども
それ自体も空っぽであるとか
そういう意味合いがあって
そうなんだ
訳した人を批判することじゃなくて元々なんだね
そこもなんかびっくりした
だからすごくいい訳というか
元々の意味をとられている訳ではあるんだけれども
忠実ではあるんだ
空っぽなのかなとか
やっぱり中身がないっていうことは
みたいなことにどんどんなっちゃうよね
でも別に理由じゃそういうことを言いたい訳じゃなくて
っていうのが前回話したことなんだけれども
ただやっぱり人は人間とそう思っちゃうね
っていうのがあった時に
こういう有識思想みたいなものが出てきます
そうなんだ
今日は有識思想がどうやってできたかとか
なんとなくざっくりした話をしながら
次回からは有識思想の中でも
今有名なというか
分かりやすい本を一冊取り上げて
それを紹介するという形で今回進めていこうと思うんですけど
簡単にちょっとだけ有識思想の話をすると
全ては空だみたいな話
例えば実体がないとか言っても
それを空だっていう風に感じる心っていうのは存在するよね
だからその心の世界から仏の世界にとどり着こうね
みたいなことを言うのが有識思想ですと
ちょっとデカルトっぽくない?
デカルトだなと思った
09:01
でもやっぱり安易に
だからデカルトが有識思想だとか
ちょっとその調べめんけど
これ500年とか西暦400年だったら500年くらいの思想だから
有識思想はデカルトを1000年先取っていたんだとか
別にそういうことではないんだけど
たまたま近い部分も重なる部分もあるのかもね
みたいな感じか
でもどこが同じでどこが違うのかみたいなところも含めて
個人的にはすごい楽しみな回ではある
そうそう
これは有識思想っていうのはもちろん
それを考えた人とか体制した人がいるっていう風に言われてるんですけど
これが実は2人いて
ムジャク・アサンガとセシン・バスバンデュっていう兄弟が
体制したっていう風に言われてるんですよ
それは何?名字と名前かな?
ムジャク・アサンガさん?
違う違う違う
元々のインドというかそっちの言葉だとアサンガ
中国とかに座ってきた時にムジャクっていう名前に変わったというか
翻訳されてるっていう感じ
ハーフとかじゃないです
ムジャクとセシン
ムジャクとセシンですね
この2人が大体5世紀くらいの人
この人たちは実際にいつ生まれたとかいつ亡くなったかっていうのは
相変わらず不明です
東洋あるあるですね
ざっくりそのくらい400年代半ばから500年代くらいじゃないと言われてるんですけど
時代で言うとナーガール・ジュナ
クーを唱えたナーガール・ジュナから2、300年後
前回やったカントからは1200年くらい前なので
全然時代としては違う人たちです
なんでそのくらい世界があるよってことは
なんとなく理解いただきたいんですけど
2人は今で言うパキスタンのバラモンの家系に生まれるんですよ
いいとこだね
いいとこの人たちで宗教的な階級なので
最初はいわゆるそのグハ仏教とか象徴仏教といわゆるようなものを学んでいて
なのでリュウジュの時にやった説一切産みたいなものもめちゃめちゃ勉強してます
そっかそこの説一切産とかアビダルマ哲学とかってやったと思うんだけど
全然クーとかナーガール・ジュナに駆逐されたわけではなくて
ちゃんと脈々とそれはそれで残ってはいるんだね
もちろんもちろん今でもねもちろんそういったものって
ソウドアジアとかの方にはもちろん残ってたりするから
全然そういう感じなんですけど
でその後これも伝説があってね
12:01
ミロク菩薩って聞いたことある?
あるある
ミロク様みたいな様なのかな
結構有名じゃないですか
これ何で聞いたかな古典ラジオかな
聞いたかなブッダの回とかで確か
ブッダの次のブッダみたいな確か
そうそうミロク菩薩って未来物って呼ばれていて
その都率天っていう天界があるんですよ
仏教の世界には天の世界がいっぱいあって6つくらいあって
その中の都率天っていうところでミロク菩薩は教えを説いているって言われてます
ああそうかじゃあもうずっといるんだ
どこかで生まれてくるとかじゃなくてずっといてみたいな話なんだね
だから釈迦が悟りを開いてブッダになったみたいな感じで
ミロク菩薩も今一生懸命修行とか教えを説いたりしていて
次なんと56億7千年後にブッダになっていろんな人を救済すると言われている菩薩がミロク菩薩なんですけど
気の遠くなる話だよね
スケールがちょっとでかすぎるね
異世界でパラレルワールドで学んでいる人が56億年後に助けてくれるって完全に物語なんだね
壮大な物語なんですよ
思想としてはやっぱり入りにくいんだけどお話としてめちゃくちゃ面白いからいつか機会があればそれをお伝えしたいなと思っているんですけど
そこの詳しい話とかもあるんだちゃんと
あるめちゃめちゃある一個一個の世界がどういう世界でとかってあって
まあまあそんな話がありながらちょっとこれ伝説的だけれども
その無邪気が突然にミロク菩薩から大乗仏教を教わりますと
ですのは少女仏教じゃなくて大乗仏教っていうのがあるんだよというような話を言われて
でも事実としてはともかくその無邪気自体がね
その学んだ大乗仏教っていうのをすごい良いものだと思って深めますと
で当然そのミロク菩薩から学んでいる無邪気はどんどん深めるんだけど
世信弟の方はまだまだその部派仏教とか説一切有無っていうのをめっちゃ信奉してるわけよ
信奉してるどころか大乗仏教なんかクソだみたいな
あんな奴ら何も分かってないみたいなことを結構ボロクソに言ってたらしいよね
そうなんだめっちゃ喧嘩してたんだそこ
喧嘩っていうかそのお兄さん無邪気の方はもうこいつちょっと分かってねーわみたいな大丈夫かな将来みたいな
そうっていうのがあってで教えをコンコンと説くわけですよ弟に対して
15:03
お前ちょっとそっち寄りすぎだぞと少女仏教の方寄りすぎだからみたいな
大乗仏教はいいぞみたいなことを言っていた結果大乗仏教いいじゃんってなって
弟世信がねそしたら大乗仏教すごいみたいなこんなボロクソに行っちゃってもう俺なんてことをしたんだみたいな
そんなボロクソに行ったこの舌を切ってあの罪を償おうみたいな自殺しようみたいなことを言い出すのね
なかなか人気な奇世界だ
仏教はね意外とその誠実というか穏やかに言われて激しいんだけどやっぱり
まあでもまあそんだけね後悔というか反省したってことだね
そうそうそうで舌を切って死にますみたいな償いますみたいに言ったんだけれどもお兄さんがいや待て待てと
そのねその舌をねたとえ1000個切っても大乗仏教っていうのボロクソに行った罪っていうのはなくならないんだと
1個切ったところじゃダメだから罪をなくすにはその同じ舌で大乗仏教と広めなさいとお前が解説して世の中に広めなさいというのね
良かったお兄さん良かったね良い人で
そうやっぱりね分かってるお兄さんですね
そんな感じでねその世信っていうのはまあいろんな本を書いて2人いたんじゃないかっていうぐらい幅広い領域それこそ説一切うぶとかの本も書いているし
大乗仏教とか優衣式の本も書いているみたいなぐらいその活躍している人なんだけれども
そうか小乗仏教捨てたとかじゃなくてどっちもやったんだね
いやえっとね小乗仏教の時には小乗仏教の素晴らしい本を書いて大乗仏教の時には大乗仏教の素晴らしい本を書いてっていう
そもそもレベルっていうかねあの規制値が高すぎるのよ
小乗仏教にはまって大乗仏教はクソだって言ってた時はめちゃくちゃそういう小乗仏教関係の本をめちゃくちゃ書きまくってて
そうそうそう
なるほどなるほどすごいね
なんかやっぱり優れた仏教者であったっていうのは間違いないんだけれども
でもちろんねこういうのももしかしたら物語で後から大乗仏教の権威づけをするためにとか
小乗仏教からやっぱり大乗仏教に切り替わったみたいなのってまあまあわかりやすいじゃないですか
小乗仏教より大乗仏教が優れてるみたいなっていうのもねストーリーとしてはあるかもしれないんだけれども
まあそういった成り行きで魅力仏札から受け継いだ大乗仏教を無邪気が学んで世信に伝えて世信がその優位識として体制したみたいな流れっていうのが一応言われたりしますと
はいはいなるほど
でちょっとここから少しその優位識の前の話なんでそもそも優位識っていうものは出てきたかっていう感じなんですけど
18:04
はいはいはい
優位識の理論にはね元々優位神論っていうただ心だけがあるっていう論があったんですよ
であの優位識は何も説明せずに言っちゃってたんですけれども
意識の識ただ識だけがあるっていうのが優位識でただ心だけがあるっていうのが優位神ですと
優位神へえ初めて聞いた
優位神論っていうのがあってだから心とその識っていう実は意識ともちょっと違うからあえて識っていうんだけど
そういうのも結構区別してるのね仏教の中では
ああそうなんだそこは厳密なんだね
そう厳密厳密そうでその優位神論ってのは何かっていうとそのお釈迦様が悟りを開いた後に悟りを開くってのはどういうことなのかっていう
心の風景を描いたとされるのが実はその華厳経っていうお経というかそういうお話があって
その華厳経の中にちょっとこれは実際書いてある言葉なんだけど
三界は古毛にしてただこれ一心の作るところなりっていう言葉があるのね
要はあらゆるものっていうのは古毛だから空虚とか妄想であってこれは心一心というのは一つの心が作ってるものなんだっていうのがあるんだけど
もうちょっと説明するとその三界っていうのが三つの世界で欲界っていう欲望に満ちた世界と
色欲界っていうその欲望から離れてるんだけど物質的な要素が残ってる世界と
色欲って色かなカラーの色
色だね色だねうんカラー
色即是空の色だね
はいはいはいはい
あと無色界色がない世界
色がない世界だねっていう物質的な要素がなくなって純粋に精神的な世界っていう三つの世界があるよっていう風に言われていて
はいはいはい
実はさっきに魅力菩薩がいるよって言ったその都祖地天っていう天の世界も実はこれ欲界のうちのまだ一つなんですよ
だから僕らが魅力菩薩すげえとか菩薩っていうかだからすげえ悟った人なんでしょっていうんだけど
全然まだ欲望に満ちた世界にいる人だったりします
まだ悟れてないって言っていいのかな人たちがいる場所が
そうだね本当の意味では悟れてないとか仏陀になってない
もっと言うとその体とかがある視点でまだ物質的なものに囚われてるじゃんみたいな
まあそういう考え方をするんだけど
だからここで言ってるのはその悟りを得ても得なくてもそういう三界っていう世界があってその全世界が全てが心なんだってことを言ってるのね
21:05
だから悟ったら心の外に出るんじゃなくて悟ったりとか物質的なもの離れても心っていうのは残ります
残るというかそれが世界を作り出していますっていうふうに言いますと
だから仏教ってやっぱそれだけ自分の心とか内面にやっぱりすごく向き合うとか大事にするような思想なんだけれども
ここで面白いのがやっぱ心みたいなものって当然迷いとか欲望みたいなものを生み出すっていう意味では悟りの妨げになるんですよ
うんうんうんなるほどなりそう
心があるからやっぱ悩んだり迷ったり欲望が起きてあれしたいこれしたいとか執着したりっていうのがあるじゃないですか
でも一方でそれをちゃんと知るその働きをちゃんと知ると悟ることができるっていうその心が根本だという時に
それを迷いとか悟りから離れるものの原理として見るか
あれは実は心っていうのがまさにその悟るための大事なものなんだって見るかっていうので
2つの大きな道が変わってくるのね
なるほどね確かにねそっかそっか
分かる分かるこの心っていうものが確かに悪いもの欲望を生み出すものって捉えてしまって
じゃあその一切じゃあそのまま即もうなくしてしまえってなるとそれは確かに虚無主義的だなって
そこじゃ感動もないし苦しみも何もないっていうある意味その苦しみがないっていう意味では確かにいい世界
仏教的にウッダがいうところの苦しみのない世界みたいにいくかもしれないけど
そうやって逆にやっぱり喜びもない世界で完全なる無だよねっていうことは
そうそうちょっとディストピアっぽいじゃない
そこがやっぱりその苦しみとか欲望すらも全部一旦認識しましょう自分で自己認識しましょうってなって
それをそこから離れましょうっていう順番を辿るとそれは虚無主義じゃない感じ
ちょっとすごい仏教的に言うと正しくない言葉を使ってるかもしれないけど離れましょうって単純じゃないと思うけど
僕らの日常的な感覚から言うと近いというか分かるですよね
でどっちかというと前者の心を迷いの原理と読みるどっちかというとちょっと非観論的な
それこそちょっとネガティブっぽいものが実は有意識の説で
実は今回はガッツリやらないんだけれども後者の心っていうのは悟りの原理なんだとか悟るためのものなんだっていうのが
如来造説っていうのがもう一個あって
いろいろあるね
実はこっちがね結構日本に近いんだよね
24:01
要はなんかよくおばあちゃんとおじいちゃんが言うなんかあらゆるものには仏様が宿っていてとか
あるいは一切衆生しつう仏様みたいな言葉もあるんだけれども
あらゆるものに仏性、仏性っていうものが宿っていて
誰でも仏になれるとか
それこそ神覧とかが悪人小規制みたいな
違和音や悪人親みたいな感じで悪いことをした人でも仏になれるんだみたいな言ったりするんだけど
そういうのはどっちかというと如来造というか心がけ一つで仏になれるみたいな世界観だよね
なるほど
日本の浄土神宗とか浄土宗とか浄土神宗が多いと思うけどそこが一番なじみがあるんだこれが
そうだねなじみが強いと思う
やっぱり誰でもその仏の働きとか導きによって仏になれますとか
そっかじゃあ今回の優位識って言うとそこともまたちょっと違うっていう感じなんだね
優位識は誰でも大乗仏教の人だから誰でもなれるんだけど
でも心っていうのは基本的に迷いの原理だし悟りを妨げるものだよねっていうところから始まって
じゃあそれってどういうメカニズムでどういう風にそれを乗り越えていくと仏になれるんだっけみたいなことを考えるのが優位識なんですよ
そうなんだごめんごめんそっかさっきの心の優位神論の後の話で心は悟りを妨げる迷いとなる一方でみたいな話があった時に
なんか優位識ってそういうのを全部包み込んだのかなって勝手に理解しちゃったんだけど
そっかそっかそっかそっかそっかそっからさらに今の流れみたいなものがあるんだ
あるある
やっぱり小乗仏教と大乗仏教っていう違いもあるし要は限られた人だけが仏になれるとか修行を積んだ人だけが仏になれるという世界と
誰でも仏になれるという世界があって誰でも仏になれるという世界の中でもそれはもうすぐになれるとか本当に誰でも要は悪いことを教える人でもなれるのか
やっぱり正しい行いとか修行っていうかね手続きを積んだ人じゃないと慣れないとするかみたいなことはやっぱり分かれてくるし
はいはいなるほど悟り方とか悟らせ方みたいなものもちょっとずつこれで違うってことか
そうそうだから一個ちょっと言い忘れてたんだけれども実はこの優位識って優我優位識っていう風に言われることもあるんだけれども
優我っていうのはいわゆるヨガ今日本でもあるじゃないですか
ウィーフィットとかでねやってるし今世の中的にもヨガってめっちゃ広がってるじゃないですか
27:04
実はこのヨガの根本というかそれはもともとインドのものなんだけれどもこの優位識とかなり密接に関わっていて
へーそうなんだ
なぜなら心をちゃんと心のままに感じるにはそれこそ瞑想とかあるいは身体的な訓練っていうのがすごい必要で
その身体的な動作とか動きを通して心をちゃんと捉えるっていうのがこの優位識の実は根本にあるのね
だからこの人たちってのはただ頭で考えてるんじゃなくてそれこそ瞑想とかを実践しながら心っていうのをある種明確に捉えて
そこからじゃあこの心っていうのはどういう旗揚げを持っているのかとかそれをどうやって悟りに近づけていくのかっていうことを結構実践している人たちなんですよ
あーそうなんだそっか仏教は深いな
面白いでしょ
優位識はナムアミダブツって言えばみんな仏になれますよとは違うんだ
全然違うナムアミダブツはそもそも神言宗かアミダブツに敬意しますっていう話だから別に優位識はアミダブツはそんなに大事にしてないし
はいはいはい時代も多分違うのかなって勝手に
そっかそこはやっぱりデカイルドとの違いかもなんかそうそうなんかねこっち仏あると思えば仏ですみたいなそういう単純なもんじゃないんだね
そうなのそうなのだからないからあるみたいなことも言わないし
なんかねすごいこうやっぱりあの冒頭にもちょっと言ったんだけど仏教においては正しいことっていうのはイコール悟りとか仏に近づくことで正しくないことは悟りに近づかないこと遠ざかることみたいなのがあるんだよね
だからその僕らの基準で正しいとか良い悪いとかって言えなくて西洋みたいにそのみんながそう思うとか普遍的にこうだみたいなことでもないんだよね
ブッダが言ったとか仏が言った正しいこの言葉をどう解釈するかとかどう近づくかみたいなことが正解だから
やっぱり全然考え方とか基準が違うっていうのは結構僕も改めて最近わかってきたというか
確かになんとなくねそう多分大乗仏教が多分さっきの浄土真宗とかさっきハイトン言ってくれた一切主乗みたいなさそっちに多分直結しちゃうからこの有識が多分抜けちゃってるのかなと思ったね
そうだね
やっぱり日本にそこまで前提としては伝わってきてないみたいでどっちかっていうとその如来像の方が中国とかやっぱり伝わって日本に来てるっていうのがあるらしいから流れ的に
そうだよねそっかその辺も話をぜひ今度機会あればなんかさっきのほらいろんなものに仏性がある仏はなんかね日本に仏教入ってきた時に多分八百万の神とかすごい神話性があってなじみやすいとかさ
30:19
うちの近くにほら16ラカン公園とかラカン公園あったでしょ?あそんなんでしょ?
うん
あれも多分仏教の像だよね多分仏の像なんですよあれ
あ仏教ですラカンっていう人たちを模した像だね
いっぱいあったけどだからそういうもう多分染み付いてんだろうねそういう感覚っていうのは
そうそうやっぱりそれをもう一回溶きほぐしてちゃんと知っていくってのも面白いしやっぱり普段考えてると絶対出てこない考え方だから
なんかそれはねこう改めて思想として見ることでなんか自分って仏教って意外と知らなかったなとかこんな考え方あるんだっていうのをね楽しんでいただければなと思うので
今回はちょっと前回のデカルとカントみたいにロジックを追っていくっていうよりはこんなことを考えた人がいたのねみたいな感じで全然楽しんでいただけるかなとは思ってますと
分かりそうだねただただやっぱ前と使ってる脳みそが違う感じただただストーリーを伝説というかね楽しませてもらってる感じがする
今回はね無邪気と世心の話っていうところもちょっとだけ触れながらその有意識ってなんだとか有意識論と何が違うんだみたいなことをお伝えしたんですけど
次回からはですね世心っていう人が書いた有意識三十寿言いにくいんだけど
っていう本があってそれがねその有意識層っていうのをすごくわかりやすく伝えてくれてるっていう風に言われているので
それをもとに色々とお話をしていきたいなという風に思っていますと
次からその兄弟が作ったというか残した有意識の具体的な中身についてみたいな感じかな次から
ぜひ気楽に楽しんでいただければなと思うので
次回も引き続きよろしくお願いします楽しみにしてます
お願いします
ご視聴ありがとうございました
32:29

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