1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #43 【唯識 雑談】東洋思想の..
2022-09-21 34:28

#43 【唯識 雑談】東洋思想の面白さと難しさ。「考えるな、感じろ」と言われても・・・。

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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00:00
(BGM)
はい、ソレテッドラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
今回は優位式を終えての感想会ということで
ゆるく感想について話していきたいと思います
はい、お願いします。お疲れ様でした
お疲れ様でした
いやー、なかなかね難易度も上がってきた感じがして
こっちの納得感みたいなものがね
どうハイラットに伝わってたかっていう部分もあると思うんだけど
どうだった?話してみての感触みたいな
そうですね、でも本当にやっぱ兄貴は
すごいなっていつも言ってるんですよね
すごいなって誰だよって
身内独占やめて
あんまり身内褒めてもてらんないですけど
なんかやっぱりすごく今回は感度とはまた違う難しさが
前回も言ったけどあったなと思っていて
それ何かっていうと
例えばそのもちろん感度は難しいんだけど
理性とかなんだろうな
感覚みたいなのって言っても
僕らってなんとなくイメージしてる言葉があるじゃないですか
理性ってこういうものでとか
感覚ってのはこういうものでみたいな
まあそれこそ辞書的にはね定義で
逆にそれがね
ある種理解を阻んでしまうというか
誤解のもとになっちゃうとかっていうのもあるんだけれども
まあ議論のね土台には多分なると思うんです
その理性っていうのは違うよとか
こういう意味だよとかっていうのはね議論できるんだけど
やっぱりそのいわゆる有意識のあらや識がとか
マナ識がとか言った時に
その議論の土台というか理解する土台がないじゃないですか
その普通
そうだねしかもそれをなんかね
そうだね体で感じろとか
身体的に理解しろとかって言われちゃうから
玉ねぎが全体だとか言われても
ねえやっぱわけわかんないってなる世界だなとは思っていて
だからやっぱそういう意味での難しさとか
なんつーのかなその話のしにくさ
っていうのは前提あるなと思ってたんですよね
はいはいなるほどね
だからそのもちろん話を聞いて
面白いと思ってくれるかなと思ったけど
それ思想として面白いとか
自分にある種役立つ意味があるみたいなところっていうのは
やっぱ僕もあんまりこれまでいろんな友達とかに話してても
その手応えというのがなかったから
はいはいはい
今回兄貴に話して
なんかこう理解してもらえたんじゃないかなとか
これまでの西洋哲学の話とかと紐付けて
なんとなく残ったものがあったんじゃないかな
っていうのも関してはいたんだけど
その辺は逆にちょっと聞いてみたいなって思った感じでした
はいはいそうだね確かに東洋の方がストーリー的にね
さっき言ってたけどやっぱ面白い
03:01
単純に面白いっていう面は今回も感じてはいたんだけれども
個人的には最初言ったように
デカルトの我を思うゆえに我ありとか
あと関東の話を聞くと
結構その地面だけをおとって結構有意識
東洋の有意識っていう言葉は知っていて
結構同じようなもんじゃないのかなっていうのが前提から
今回の有意識話聞く前はあったんだけれども
今回やっぱ聞いてみて
やっぱ全然違うんだなっていうのをやっぱりね
思ったっていうのはすごい発見というか面白かった
何がっていうと結局その我を思うゆえに我ありって
有意識自分の思いが全てみたいな話と
有意識同じだと思ってたんだけど
結局その西洋デカルトと関東は
やっぱりその自分はあるって言っちゃってるから
やっぱあるんだなと
そこはやっぱあるないで話してるんだな
そうだねそうだね
前回のロゴス的なね
この前の補足で言うと
やっぱその白黒つけてあるって意味で
自分はあるみたいな
そうやってる自分はある
で世界の存在を可能にしている神はあるみたいなさ
まさに
そういう風なあるないみたいなものは
白黒つけてるんだよねっていうのはすごい思ったね
だからそうやってこういろんなものはないけれども
その自分だけが存在するっていうのと
あと有意識で言っていた
そもそもあらやら式で捉えた世界を
マナー式で具現化して
さらにそれを意識の公式なので
形作ってる認識してる人間っていうものは
やっぱり存在しないかもしれないよね
みたいな
でもやっぱりとはいえ
そういう風な感じる自分はいるから
実在をしてるんじゃないみたいな
そのふわっとした感じ
まさに前回の補足で言ってた
あるかもしれない
レンマの論議あるかもしれないしないかもしれないとか
っていうのが許される世界っていうのを比較が
まさにここってあったなあっていうのは
すごい面白かった
はいはいはい
あーでもそれが伝わってるのは本当嬉しくて
あの前回お伝えしなかったんだけど
山内さんの別の本
「随名の実話」っていう本があって
そこで言ってるのが
要は存在するみたいなものがあった時に
その存在の根底にあるものは無だっていう風に言ってるので
はいはいはい
だからその「無」があるって何とか
「無」って何みたいな話にどんどんなっていくので
ここでは立ち入らないんだけれども
やっぱり自分は存在しているって思うのも間違ってるし
自分は存在していないって思ってるのもやっぱりやりすぎだしっていう中に
06:01
存在の根拠っていうのはもう無というか
そうとしか言えないみたいな世界があるよ
みたいなことを言っていて
やっぱりそれはすごく東洋的でもあり
かつ西洋の哲学的でもあるみたいなところの
すごく話だと僕は思ってるんだけど
やっぱその「無」に向き合うって何よみたいなこととか
「無」って言うともう本当無限とか
それこそ全体と向き合うみたいなことになっていくから
それって哲学なの?宗教なの?
なんか個人の感想なの?みたいな
すごく曖昧な世界になってくるんだよね
ちょっときついっていうとあれだけど
かなり現世とか実際の生活からどんどん
乖離していく感じはあるよね
それってすごく崇高なことではあるんだけれども
それをやればやるほど
仏教で言うと
「本が一如」だっけ?
「本が一如」あるよ
全体は自分であるみたいな話じゃないですか?
そう、全てのものは一でありっていう
インドのブラックマンっていう神様が
アトマンっていう個別自称の
「一緒だ」みたいな話はあるよね
なんかちょっとない知識を振りかざしたみたいな話で
言葉を頑張って
その哲学的な言葉を使おうと思っちゃって
使えなかったみたいな話なんだけど
何が言いたかったかっていうと
結局その「無」とか
そういうことについて考え始めちゃうと
自分と他人の境界線っていうのは
どんどんなくなっちゃっていく感覚が
多分あるよなって思って
それはそれで尊いんだけれども
そうするとコミュニティっていうものを
作ることもできないし
動かすこともできなくなっちゃうし
自分一人の単位で見ても
ご飯を食べていくとか
そうしても今のいろんな世界があるわけだけれども
今でも修行最終だったりとか
農耕で生きてる人もいれば
普通にお金を稼いで
うちらみたいな日本人は
お金を稼いで生きていく
みたいなものもあると思うんだけど
それぞれの環境の中で生きていくみたいな
そういうのはやっぱり
あんま「無」とかについて考え始めちゃうと
できなくなっちゃうから
ただ一方でそれを考えることで
やっぱブレイクする社会全体だったりとか
個人でのブレイクするみたいなものも
いろんな段階であるとは思うから
必要だとは思うっていう
ちょっと仏教っぽく話になっちゃうから
どっちも大事みたいなね
そうだね
でも本当にそうだよね
やっぱりロゴスで突き詰めていくと
結局それこそ
前ちょっとプラトンの時にも話したけれども
要は存在っていうのは別のものとか
自然っていうのはある種のものだから
要は人間を好き勝手に使っていいんだ
みたいな感じになっちゃうと
自然破壊が起きたりとか
環境問題が起きたりみたいなことが
09:00
やっぱり今は起きてたりっていうのもあるし
そういう中でやっぱ自然も人間も一体であるとか
全体であるみたいな思想だとすると
人間も自然も一緒だから
やっぱ自然っていうのを
大事に扱わなきゃいけないよね
みたいなことがある種納得しやすくなる
みたいな世界観もあったりするし
まあそうだね
だから主はやっぱこの連馬の世界を
どっちでもいいよねっていうか
どっちもあるよねみたいな世界を
ただちゃんと説明しようとすると
多分やっぱストーリーになっちゃったりとか
言葉がね食うみたいになっちゃって
本当わからんみたいな風になっちゃうから
それを多分ロゴス的な
そのそういう論理学でちゃんと説明する
できる限り正確に説明しようとする
みたいな試みが何か必要なのかなと思うし
そうしないと多分理解できない部分もあるし
そうした方が理解しやすい部分も
多分出てくるのかなーっていうのを感じて
なんかこれは前回の補足を聞いて思ったんだけど
東洋の話東洋の論理学について
その説明があった時に
結構ふわっとしてたんだよね
なんかどちらもあるとも言えるしないとも言える
みたいな世界だよっていう説明しかなかったんだけど
もうちょっとなんか詳しく説明されてたの?
もちろんもちろん
それはどういう風になりたくなかったか
それはどういうことなのかみたいなのが
結構本の中ではちゃんとされてる
そこをちゃんとやっちゃうと
そこそこ難しくなるみたいな
それだけでまた5話分ぐらいになっちゃうから
なるほどね
そこをやっぱりつなぐ
それこそそっちの西洋的な話
ロゴスの論理と東洋哲学
東洋的な感覚だったり思想だったり
連馬の論理でみたいなものを白黒つける
のはやっぱり必要ないのかなっていうのは
やっぱりずっとラジオを通じて感じてはいるよね
そこを自由自在に操るというか
ごめんね今頭に思ったまま
いろいろ喋ってるからバラけてるんだけど
東洋のさっきの話を聞いて思ったのは
あるかもしれないしないかもしれないっていうのは
ある意味西洋で言うと
本当はその論理を話すための土台っていうものを
しっかり作るよね
レガルトとかカントもやっぱり
土台をしっかり作った上で積み上げてたと思うんだけど
総合的なアプリ用には可能なのかみたいな
アプリ用に総合判断は可能なのかみたいな
そこにそもそもみたいな
土台をめっちゃ固めてみたいな話してたんだけれども
なんか東洋の方は
あるって捉える場合の土台はこっちで
ないっていう場合土台はこっちだよっていう
自由自在な土台の設定みたいな
12:02
柔軟性みたいなものを感じたかなと思って
そういう意味でだから
あるっていう立場から見るとこうだよねっていう時は
そこだけ入れるとロゴスの論理で話してるし
みたいなそういう感じはしたね
だからこそなんかこう
今東洋がちょっと見直されてるっていうのは
そういう部分なのかもしれないよね
そのロゴスをいっぱい集めると
そういう東洋的な方にもなりうるみたいなね
単純ではないと思うけど
そうだね
まあもちろんねいろんな必要があるし
簡単に西洋と東洋だみたいには言えないけれども
やっぱりそういうお互いに反省し合って
というか寄り添い合いながら動くっていうのは
やっぱあるだろうし
そうはね確かに東洋の方は何言ってるか分かんないからね
身体的に理解しろって感じろみたいな
フォースを感じろって言われても無理って
そうお前が仏だみたいな
なんかこうなんですかそれみたいな感じやっぱなっちゃうよね
確かにそうよね
ハンターハンターの念みたいなものでね
伝わる人が言ってくるのかよくは
まあでもそうだから今回でもね
その話もだし今回ね有識の話を
ハヤトから聞いてる時ラジオで聞いてる時に
個人的にもねその感覚をすごい思ったんだよね
話を聞いてる中ですれ違いというか
その認識が違うみたいなものを感じたし
個人的に感じた瞬間もあって
まあハヤトも感じてたから
そうねそうね
出てくれたと思うけど面白くて
あのマナ式の話の時に
マナ式をさ例えたよね
マナ式は荒屋敷を捉えるセンサーである
ああ言ってたね
これはまあ光を目が光を捉えるように
マナ式は荒屋敷を捉えるセンサー
マナ式だけを捉えるセンサーなんじゃないか
みたいな話をした時に
ハヤトはいやいやちょっと違う
それを捉えるとかって言っちゃうと
ちょっと違うんだよねみたいな
捉えるって言っちゃうとこう外部にものがあるような感じがして
このマナ式はその外にものがあるんじゃなくて
あくまで中に存在しない
中にあるものを捉えるためのセンサーだから
センサーって言っちゃうと確かにちょっと違うんだよねみたいな
言うてた言うてた
あった時に言ってたでしょ
で、時にすごい納得感もあるし
違和感も同時に感じていて
もちろん例えとして
例えるとちょっと違いよねみたいな
厳密性欠けるよねみたいな話ではあったんだけれども
その厳密性がなぜ欠けるかっていうところに面白さをちょっと感じていて
あー確かにね
そこはもうお互いの立ってる話をする上の前提背景だったりとか
モードの違いみたいなものをすごい思ったんだよね
確かに
ハヤトは仏教モード
15:01
こっちは素人モードだと
ハヤトがその仏教モードでセンサーっていう言葉を使った時に
感じるのはやっぱそのあくまで自分の外にあるもの
熱だとか光だとか
そういうものを感じるものだから
センサーって言っちゃうと全然違えよねっていう違和感を
めちゃくちゃハヤトは感じたと思う
そうだね分離されてるっていう感じだね
でもこっちはその仏教的な感覚がない中で
その感覚を栄養として例えてる段階だから
そこで違うって言われちゃうと
じゃあどうすればいいの?っていう
その身体的に理解してる
フォースを感じるモードにちょっと
ハヤトから言われてるような感じになっちゃって
っていうそこの前提の違い
モードの違いっていうのはすごい面白かったんだよ
そこは多分ね
その状態でいくらセンサーはとか捉えるとはって話しても
一生交わらないなと思って
一生交わらない
そこはね面白いなと思った
確かにね
今の話めちゃくちゃ面白くて
実際仏教の説話というかお話を
そういうのがいくらでも出てくるんだよね
やっぱり師匠は悟った世界から師匠は見て
別に僕は悟ってないけれども
なんとなくそれを感じたことがあったのが
この人今悟りとか仏の世界から語ってるから
この言葉なんだけどわかんねーわみたいなのを
感じれた瞬間があって
師匠は仏の世界とか仏の言葉として語ってるんだけど
弟子はわかんないから
日常の言葉として受け取っちゃって
こいつなんともわかんねーわとか
一生噛み合わねーわみたいな
難しいよねでもね
弟子からするとでもそれをなんとか理解したくて
でもそれってこういうことですよねみたいな
めちゃくちゃ多分ピンとのずれたというか
例えをするんだけど
繰り返すと理解とか言って全然あかんわみたいな
ほど返されちゃって
なんかね呆然とするみたいな
そうなんかそれをねちょっとね
すごい感じた瞬間だったんだよあのセンサーの例え
確かに確かに
だからでもねそういう意味でやっぱこの哲学を
ある意味その自由を無人にっていうと言い過ぎだけれども
せめてこういろんなねいろんな時代
あと西洋あと東洋あとその他
みたいなもいろんなものを理解しておくというか
頭でだけでもそもそもこういう背景があって
例えば関東だったら
そういうアシリー・ケイジ浄学っていうものを
乗り越えられたりとか
で彼とはもうちょっとこう人間主観での世界構築
世界を説明するみたいな
いろんなものあったんだな
その上でこういうものを積み立てたんだなとか
ブッダはそもそも苦しみっていうものに対して
すごいこう全然知らなかったんだなって
他の人と全然違かった
このセレブがみたいな
18:01
王族の本だからね
そうそうそうそう
という思想を理解しておくと
例えば哲学同士でもいいし
いろんな人と話す
哲学じゃないなんでもいい経済の話でもいいし
ご飯何食べるでもいいし
これ美味しいとかまずいっていうレベルの話もいいんだけど
そういう時のなんかモードみたいなものはね
多分存在して
今これって今モード違うわみたいな
この人はまずいと言ってて
何これをまずいと言ってるなんて信じられないとかじゃなくて
あ、モード違うわっていうところに対する気づきが得られると
多分面白いなーっていうね
そういうのを楽しめるんじゃないかな
でもそれは本当にある
やっぱりなんかね
人って一生同じように見えて
やっぱ全然違う個人個人の世界を
もちろん生きているはずだから
それをね気にしすぎちゃうと
それこそ病気になっちゃうんだけど
なんか全部は全部ね
一個一個確かめないといけないとかってなるときついけど
やっぱ大事な時にはね
お互いどういう前提に立ってるんだろうとか
そもそも違う観点から世界を見てるかもしれない
みたいに思えるだけでも
なんかね無駄な衝突というか
なんだろうな
コミュニケーションのミスなくなるよね
とも思ったりするし
そうね
そうそう衝突だったり
なんか違和感とか
なんか噛み合わねえなーっていう時に
そうそう疑うまずポイントみたいなね
そうねそうね
あいつわかってないとか
そうなんか俺の方が正しいとかってなっちゃうと
やっぱコミュニケーションは成り立つのないから
そうそうそうなんかね
そこをねこの有識の会話ね
そう話を聞いてる中で感じた
すごいなんかね
あの身体的に理解した
いや対話のそれはいいところですね
多分
そうだね
ちょっと僕がね
あまりにも言いすぎちゃって
兄からしたら苦しかったかもしれないけど
え違うの?みたいな
あそうはね
そうそうでも面白かったよ
苦しいというか
なんだこれ
確かに確かにわからんみたいな
でもなんかそれがね
そのある種で伝わったとか
なんかある種で表現できたっていうのは
すごいやっぱラジオの良さだなと思ってて
うんうんうん
そのあれだよね
その途中停下をみたいな話だよね
もうわかったとこじゃなくて
成果だけじゃなくてね
プロセスとしてやっぱ話が積み上がっていくっていうのがね
残るからやっぱり
やっぱりその言葉にしちゃうと
そもそも仏教のやっぱ話って言葉にしちゃうと
取り逃しちゃうっていうのが前提としてあって
だからその仏教の中でも
あくまでも仮のものだみたいなのを
結構強調したりするんだよね
食うっていうのも仮の言葉だし
仏っていうのも仮の言葉だしみたいな
あえて言葉にするとこうなるんだけど
でもそれ言葉があると思っちゃいけないよとか
21:00
その言葉が本当みたいなものを示すって
思っちゃいけないよっていうのは
やっぱ散々散々こうやっぱり注意としてね
やっぱり書いてたりするから
そこそこは黙って苦肉をするなり
黙って瞑想するなりしなさい
の方が意外と正解に本当に近いのかもみたいな
そうそうそう
というのはね
やっぱり僕らは言葉で生きていくし
言葉っていうのを使わないで
生きていけないっていうのもあったりはするので
そういう意味では言葉とか意味とか
そういうのってすごく大事だよね
っていうのを改めて思う
仏教とかやると逆に思ったりはするかな
うんうんうん
でもやっぱこれ思い出すのは
ブッダの話回なんだけど
ブッダ最初誘った時にさ
苦行仲間に話してる仲間にしてるじゃん
最初の弟子に
そこはやっぱりとても救いがあるというか
すごく希望がある話だなって
一方感じていて
ある意味やっぱり
これちょっとなんだろうな
いやらしいというか
あんま自己啓発みたいになって嫌なんだけど
さっきどうしても言葉では理解できないとか
どうしても苦行したりとか
粘着したり身体的な方やればいいのか
っていう話だけでもそこでもなくて
その前提として多分
ブッダと苦行仲間に共通してたのは
やっぱり悟りたいっていう
今の生きてる人の環境だよね
そこに対するブレイクするみたいなものを
やっぱりみんなが望んでいるっていう
そのベクトルっていうのは
間違いなく共有していた
多分そこがあるから
ブッダが言葉でね
自分こういうことを悟ったんだよって話した時に
今までのそういう色んな身体的なね
苦行だとか
っていうのが全部繋がる瞬間っていうのが
その弟子たちというか
苦行仲間にも訪れる瞬間
シナプスが繋がる瞬間があったんだなっていう意味で
どっちも大切だよね
確かに確かに
言葉も苦行も身体的理解も
一番本当に大切だったのは
そのベクトルの方だったみたいな
個人的にはね
そこは尊いんじゃないかなって感じる
いい話だ
そうねやっぱりみんなでね
ちゃんとそれが大事って
思えるのは大事だよね
やっぱり
ちょっと自己破棄発布みたいな
嫌だけど
でもやっぱりね
それがなかったらね
仏教もここまでね
千年も何千年も伝わってこないし
そうだね
一番そうだね
ベクトルって部分を多分多くの人に共有
共感とか高かったっていう意味でね
そこにじゃあどうすればいいのっていう意味でも
国をとかね
説法みたいなものは
どんどん洗練されてきてるのかなっていうのはね
いいですね
なんかね
そうやってね
みんなで考えていくのが大事だよね
24:02
みたいなのって
まあやっぱり根底にあるじゃないですか
哲学というか
物事を考えるっていうね
自分だけが真理を出会えればいい
みたいになっちゃうと
なんかもうすごい狭い世界にやっぱりなっちゃうから
まあそうだね
そこもバランスだよね
本当
自分自身もらしい
社会もらしいみたいな
そうそうそう
まあそれと僕はね
一時期そういうふうに思ってた時期があったから
非常に世界の狭い人間だったんだけど
今度はじゃあそれについて懺悔する回とかやらないとね
そうねいかに人間として小っちゃかったかみたいな方法
今でもあんまり別に起き込まないですけど
なんかそれを思えるぐらいにはちょっと
まあやっぱりね
こうやって哲学とかをなんだかんだやる中でとか
まあもちろんね社会に出る中で
まあ少しずつ成長しているのではないかと
いう感じですね
学びもあるし
まあ普通に楽しいしみたいなところね
ぜひぜひ皆さん共有できたらなーっていうのは
このラジオではね本当あるね
はいそうなんですよね
まさに皆さんに共有したいなというところでいくと
あの今回もね実はお便りいただいておりまして
うん本当ありがたい
はいあのこのラジオ性質上のこの脱談会じゃないと
あのお便り紹介できないっていう
なんかよくわからない縛りが縛りをつけてしまっているので
なんとなくあのしっかりちょっとご紹介していきたいなって
思うんですけど
あの一つ目はですね
なんとお名前がですね
あのアイラブソレテツさんっていう方がいらっしゃって
ちょっと嬉しい
なんかご飯とかをおごりたいですね
1回ぐらい
そんな風に言ってくださる方はいたんですけれども
あのまあ内容としてですね
あのすごくまあ難解なやっぱり難しい内容っていうのをですね
こう優しいゆるい語り口で
あのめちゃくちゃ賢いお二人が気持ちを言っていくのが面白くて
毎回楽しく聞いておりますと
であの難しくて何がなんだかよくわからないことも多いけれども
何度も繰り返して聞いたり
話についていこうとして頭を絞るのも心地よいと感じています
まあぜひすれ長く続けてくださいますようお願いしますと
いうところで本当にありがとうございます
ありがとうございます
嬉しいね
送信でいただき方も
いや本当に
このさなんかポッドキャストだけでも何千とあっても
youtubeとかなんだったらもう溢れてるわけじゃないですか
そのコンテンツがね世の中に
その中で繰り返し聞いていただくってもなんかすごい嬉しいよね
そうだねまあただ難しくて何がなんだかよくわからないとか言われちゃってるから
それは申し訳ない
そこは反省しないといけないです
すみません
もっとガンバーがわかりやすいように
まあでもね結構そうだよね
あのこういう自分で言うのもあれだけど
ある意味こう知的好奇心みたいなものとか
頭をこう使う絞るみたいなものは確かに日常生活ではない感覚
27:04
うん
自分もやっぱハヤトの話を聞いて理解しようと頭を絞るっていう感覚って
やっぱ普段ないっちゃないから
そういうのを一緒に感じていただけているのであればすごい嬉しいなって
そうだねなんか僕も結構それは感じていて
逆に僕はマーケティングとか仕事やってたから
やっぱり受け手にわかりやすくとか伝わりやすくっていうのは大前提思うんだけど
だからといってこういうもやもやするとか
なんかよくわかんないけど面白いよねみたいな
ものがなくなるのももったいないというか
はいはい
世の中にある商品みたいに完全に解決しますみたいなものもちょっと違うって話だよね
そうそうそう
哲学でいうとね
とかよくなんだろうあるじゃないそのよくわかる仏教とか
なんちゃら彫訳みたいなのあった時に
やっぱそれでは僕そぎ落とされているものがあるって思っちゃう立ちだったから
はいはいはい
なるべくそぎ落とさずにでもなんか伝わりやすくみたいなのを
一生努力はしているつもり
だからねそれをそう感じていただけているのかなって思って嬉しくなったり
あとまああのかしこいっていうよりはちょっとこじらせてるんだよね僕が
そうだねそれは言わなくてもたぶん通じてると思うよ
ちょっとこの人おかしいんじゃねみたいな
ちょっとねあの推しが哲学だったっていうだけで
アイドルとかじゃなかったっていうだけの人間ですね
うんそうだね語りそうだね哲学の語り方はもうオタクのそれだからね
基本的に性質がオタクなのでちょっとこじらせてるだけなんですっていうところもあるんですけど
でも本当にねこうやって長く続けていただきたいって聞いてくださる方にやっぱ思ってもらえるのってめちゃくちゃ嬉しいなと
本当にね届けてる川俊也は思うじゃないですか
これからも本当お願いしますだしあともう一件ね今回2ついただいていて
そうですね黒猫さんからいただいてて
初めましていつもの仕事の通帯禁止中に楽しく聞かせていただいております
スポーティファイの中で何か哲学に関するものはないかなと探している中でお二人のそれ哲ラジオを見つけましたと
ご兄弟の掛け合いや話し方がとても心地よくてリピートして聞いております
私のお気に入りはブッダの回ですと
最後の方で時々難しいお話の時もあり何度考えてもわからずそういう時はすぐ聞き直します
長くなってしまいましたがこれからもお二人のラジオを楽しみにしております
季節の変わり目ですので体調などお気を付けくださいませと
黒猫さんもお気を付けくださいませ
ありがとうございます
いい人なんですよこのメールしか見てないんですけど
30:01
こんな丁寧な連絡できないじゃないですか普通
こんな気が引かないわ自分も
やっぱりちょっと難しいでもそれでも聞きたいと思っていただけるのは嬉しいなと思うところ
あとやっぱり前回もブッダのところ聞いてちょっと考え方変わったみたいなお便りいただきましたけど
やっぱり今日の話も聞く人が聞いたらそういうことなんだとか
やっぱりちょっと楽になるみたいな人もいるんじゃないかなって思うんですよ
今日というかその有意識の話ね
そうやっぱりいろいろ考えてる方って何がきっかけでさっきのシナプスというかね
つながるかわかんないからねこういうラジオとかもきっかけになってもらえると本当に嬉しい
僕自身もやっぱり一回ね仏教に行ったみたいな話で行くとやっぱり真実は何かとか真理があるはずだみたいな
それを知らない自分がダメなんだみたいな気持ちだったのが
仏教とか行くとそんなものはないんだよみたいな
知ってるとか知らないとかみんな知らないんだよみたいな
ちょっとねある種優しく受け止めてくれてる感が感じて
それでいいんだと思いつつそれだけだと生きていけないなみたいな
もう一回西洋に戻りつつみたいな感じでやってたりはするので
いいねそうやって常にひとつに固定せずに
そうですねやっぱりいろんな考え方でその時々自分に合うものを一旦受け入れるはいいと思うし
その中でまた違うなと思ったら別のものを学びに行くとかそれだけじゃないなっていうことも知っておくといろいろ広がっていくっていうのはあると思うので
それのきっかけにラジオが本当になっていたら嬉しいなと思いますし
やっぱりポッドキャストで見つけていただけるぐらいになってきたなっていうのは嬉しいですねそれもまた
そうはね本当嬉しい嬉しいもっとねいろんな人に聞いてもらってこれ見た後に多分いろんな自分の生活だったりとか
普段ね触れる情報とかの多分またね捉え方も変わってくる部分もあると思うしね
そういう面白さもぜひぜひ感じてもらえたらなって思ってますので
じゃあそうはね引き続き本当皆さん本当お忙しいところこんなコメントいただいて本当ありがとうございますなんで
ありがとうございます
概要欄にフォームあるんでぜひぜひ感想とかね引き続き本当本当いいね本当励みで
嬉しい嬉しい
いやなんつーのかな僕らがねされてるだけでも楽しいんだけどやっぱこういうのをねいただけることで
じゃあもっとこんな風にしてみようとかもっとこんなことね頑張ってみようとかって思えるのもあるので
もちろんね知った劇例含めてとかちょっとここ全然本当に分かんなかったから教えてみたいなこともね含めて
なんかどんどんいただけたら嬉しいなと思ってます
はいそんな感じで引き続きお友達してますんでよろしくお願いします
33:03
じゃあちょっと簡単に次回はどんな風になっていくのか話聞いても大丈夫ですか?
そうですねちょっと今後でいくとまずヘーゲルに1回戻りますと
でデカルとカンとヘーゲルやってマルクスに行こうかなと思ったんだけどちょっと時代が進みすぎるので
1回ヘーゲルまでやった後に中世のキリスト教信学とかスクロア哲学に1回ちょっと戻ろうかなと思って
それやるとその後もさっきちょっとお伝えした実存主義というか
もっと言うと神がいる中で自分としてどう生きるかみたいなやっぱり問題が突きつけられた時代があって
今はそうかなと思うんだけどそこもね理解が深まるかなと思うんで
ちょっとこれまでね散々言ってたけど扱ってなかった神とはみたいなこととか
そういうのをね
そうなんだよなと前提にしてた
そろそろ1回やろうかなっていう風に思ってます
うん
おー了解ですじゃあまた次回ヘーゲルかまた西遊戻ってということで
そうですねちょっとヘーゲル僕ちょっと苦手意識あるんで頑張って準備しようと思います
了解ですじゃあ楽しみにしてるんでじゃあまた次回もよろしくお願いします
本日もありがとうございました
ありがとうございました
♪~
34:28

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