1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #24 ナーガールジュナ(龍樹)..
2022-07-17 29:42

#24 ナーガールジュナ(龍樹)に立ちはだかる、当時の最先端仏教

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
♪~
はい、ソレテツラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、前回はナーガール・ジュナの話ということで
どういう人だったのかっていうのを結構伝説多めというか
資料が少ない中でこういう人ですというところを色々教えてもらいました
今回はどういう話になっていくんでしょうか
はい、そうですね
やっぱりある程度人隣って言っても伝説よりの隠れ身の術というか
姿を消す術を使いましたみたいな話とかもしたんですけど
今回は実際ナーガール・ジュナの空の思想に入る前に
これまでと結構流れとしては近いんですけど
結局なんでそういうことを言わなきゃいけなかったのかっていう
当時の状況とか乗り越えようとした思想とか哲学というところを
お伝えしたいなと思ってますと
そっかそっか、そうだもんね
確かブッダからもう700年か800年くらい経ってたみたいな話だったもんね
そうそうそうそう
なので例えばアリスタテレスがプラトンから教えをもらって
それを乗り越えたって言うとまた違う
要はブッダから700年経って色んな考え方とか思想が
ある種固まってきた中で
それがちょっと落ち目っていうか
本当にそれいい教えだなってなってる時に出てきた人っていう感じなので
700年とか800年経ってすごく多分時代とかもめちゃくちゃ変わるよね
そんだけ経てばね
当初より初期仏教だったりブッダが言ったことみたいなものが
そのまま多分地面通り受け取ると全く全然時代と適合しないよみたいなことが
めちゃくちゃもう出てきて
それが限界点に達したのがその700、800年って感じだったのかな
そうだね
その辺りをね
当時仏教会みたいなのがあった時に
やっぱり権威のある教えっていうのがあるのね
いくつか
はいはいはい
逆にナワールジナっていうのはそれを批判して
今の権威がある教えなんだけど
それでは足りないからって言って
クルーの思想とか
大乗仏教につながっていくことっていうのを話していくので
はいはい
要は逆に言うと批判された
いわゆる僕らの歴史的な知識で言うと
象徴仏教って言われてる方の話を
今日は触れたいなと思ってます
今回それやった上で
次からナワールジナが言ったクルーって何?
っていうのを話していこうと思うんですけど
ちょっと言葉が難しいんで
一個一個説明というか
噛み砕きながら話していこうと思います
耳なれなさすぎるんだよね言葉としてね
うんうん
早速いくと
今日話したいなと思っているのは
アビダルマ哲学っていうので
それを代表するのが
03:00
説一切有無っていう
修法というか派閥ですと
それなんかのもうSF映画みたいな話になる
もうすでにやばいな
アビダルマ哲学と説一切有無
はいそうです
もう全く漢字も分かんないな
そうですよね
説一切有無っていうのは
言えばわかりやすいんだけど
要は一切
全てのもの一切のものがある
有っていうのはある有無の有で
あと無は部活とか部署とかの部
なので一切のものがあるっていう
説を唱える宗派ですと
あーはいはいはい
っていうことなのね
って言われたらわかりやすいと思うんだけど
なるほどはいはいはい
結局その何を重視するかっていうと
見たものとか直感
要は自然と触れ合っているものよりも
いわゆる考えとか
抽象的なものっていうのをすごく重視して
いろんなものを区別していくのね
例えばコップがあったときに
コップと机っていうのは別々のものだから
それぞれコップと机っていうものがあるみたいな
そういうふうにいろんなものを区別して
これはあるこれはあるっていうものを
カテゴライズしていったっていうのが
この説一切有無の特徴ですと
なるほどさっき直感よりも思想とかを重視する
っていう話があったけれども
目に見えるもの全ていい名前をつけていく
みたいな姿勢ではあるってことか
思想とか頭の中っていうのは
それをちゃんとこっちが理解したものを
名前をつけてカテゴライズしていきましょう
っていうスタンス
そうそうそうそういうスタンス
僕なんかこれ読んでて
ちょっとイデアを彷彿させないかな
みたいなことを思ったんですけど
うんうんうん
さっきの説明コップはコップみたいな話だと
そう思う気がするね
なのでかつあるはあるないはないみたいなのって
ちょっと兄貴とか皆さんも覚えてらっしゃるかな
パルベニデスっていう人が
元々哲学のギリシアのソクラテスやけ
前の時代にあるはあるみたいなことを言って
結局その存在とは何かみたいな話っていうのを
教えたと思うんですけれども
結構そこと同じようなテーマが
この説一切有無の話でも出てくるんだよね
へーそうなんだ
なんでそんなことを考えなきゃいけないかっていうと
その仏教
西洋哲学と違って
仏教っていうのはブッダの教えっていうのが
どうしても根本にあるので
うんうんうん
ブッダの教えから
これは言えるとか言えないとかっていうのを
正解というか答えがあって
解釈していくみたいな感じなんだけど
06:01
はいそこはあれだね
ブッダがそれを良しとしたかは別としてだよね
ブッダは本当は答えがないんだとは言ったものの
とはいえ仏教という形にしていくには
仏教が話した言葉だったり思想というものは
ある程度体系化して解釈して
それを広めていかなきゃいけないという意味では
一つの正解ある意味そのブッダのイデアみたいなものを
想定しなきゃいけなかったんだねおそらく
後世の仏教と人たちはと
やっぱりそれを逆に言うとちゃんとできたからこそ
この説一切有無っていうのは権威を持って広がっていくんだけれども
色々なものを分けるときに
一番大きな括りとして無常なもの
要は常じゃないもの
なので要は移り変わっていくもの
あと消滅しないもの
要は永遠に存在するものというのを
一番大きなところで分けますと
ただ基本的に物というのは当然
時間が経てば朽ちていくとかなくなっていくものなんだけれども
消滅しないものって何かっていうと
例えば涅槃 要は悟りを開いた後に
涅槃という世界に行くわけだけど
涅槃が要はいつか消えてしまうものだったら
そこにたどり着くみたいな意味もなくなっちゃうじゃないですか
というのがあるから
涅槃というのは消滅しませんと
でもブッダは実は全ての存在は無常である
ということを言ってはいるのね
そういう言葉を残しているんだ
そういう言葉を残しているから
涅槃というのは消滅しない永遠のものなはずなんだけど
ブッダは全ては無常である
全ての存在は無常であると言っていて
やばいどうしよう矛盾したってなるわけね
解釈する方法も大変だね
ここで言う全てとは涅槃を除く
世俗の世のことだけであるみたいなことを
一生懸命やっていかなきゃいけないんだ後の人たちは
本当そういう感じで
一生懸命考えるけどね全ての存在は無常である
でも涅槃は無常ではない
消滅しないとなると
どういう考え方をこの人たちがするかというと
涅槃というものは作られたものじゃなくて
かつ無常である
変化せずしかも穢れもない
純粋なものであるから
いわゆる存在には含まれません
存在というのは作られたり
何らかの穢れを持っているものだから
そういうものを持っていない
涅槃というのは全ての存在の存在に含まれません
みたいなことを言うよね
頭いい人たちってすごいね
さっきの全ても例外だみたいな話があって
そっちの存在にアプローチしちゃったんだ
すげーな
涅槃は存在ではありません
09:00
それは納得させられそうだな
ちょっとへりくつっぽいよね
正直そういう手続きの時にもあったけど
アプローチとしては同じだよね
ちょっと無理矢理解釈してやろうという
面白いのが
この言葉って聞いたことあるかな
諸行無常とか諸法無我って聞いたことある?
諸行無常はあるけど諸法無我ってのは知らないかな
OK
実は諸行無常って全てのものは無常であるって
思いがちなんだけど
諸行なんで全ての作られたものは無常である
っていうことなんだね
それは本当にそう訳せるのかな
無理じゃなくて訳せる
行っていうのは行うってことだけど
要は何かの働きとか
現れたものってことだから
なるほどなるほど
だから全ての作られたものは無常であるので
永遠のものはないと
かつ諸法無我の法っていうのは
だるまっていうのはすごく難しい言葉なんだけど
それは無がイコール実体がないですと
つまり全ての作られたものは無常なんだけど
涅槃っていうのは作られたものじゃないから
無常には含まれません
永遠のものですってことを言っていて
はー面白い
涅槃もだるまではあるから実体は確かにない
涅槃があるとは言えないんだけれども
でもそういうことは想像できて
かつ仏はそこに行くってこと自体は
矛盾なく言えるっていうことをここで説明するのね
わーなるほど
諸量無常っていうのは
プラトンかな?というとこの幻想界の話で
諸法無我がイデアの世界みたいな
雰囲気勝手に
でもそうだよね
現世みたいなものと理想の世界とかも
もっと言ったら現実の苦しみの世界と
穢れない仏の世界
みたいなものを想定していたという意味では
結構近いというか二言論的な
二つに分ける考え方っていうのが近いんじゃないかな
っていうのは僕も感じたかな
この言葉はちなみに誰が?仏陀が言ってる言葉かな?
いや多分ね後の人が作ったんだとは思う
じゃあそのどっちかというと
女王座部仏教?少女仏教的な
感覚というか概念って感じなのかな?
そうだねどうなんだろうな
遠い仏教の根本にある気はするけれど
この辺りは
さらにここの解釈すらもそれぞれでまた
ルハンよって違うよみたいな感じなのかな
子供としてシンプルが故にやっぱりそれこそ
解釈とか自分たちがこう思うというのはあると思うんだけど
12:02
そういう意味で
少しちょっと無理矢理な感じはするかなと思うんだけど
なんでそういう存在というふうに
わざわざアプローチをしてまでこういうことを言うかというと
この節一切部とか
アビダルマ哲学の人っていうのは
立っている世界観と生きている世界観がそもそも違うのね
なんせ仏になろう仏教を
治めてやろうっていう人たちだから
社会観というと当時生きていた人たちの中でも
違うって感じ
もうちょっと言うとさっき兄貴が言ってくれたみたいに
普通の人っていうのは
所業無常のいろんなものが生じたり
亡くなったりする世界っていうさっき兄貴が言ってくれた
プラトン的な現象の世界に生きているんだけれども
アビダルマ哲学の人たちは
その世界っていうのを超越した生き方をしているのね
はいはい
そういうふうに生きたい生きようと思っている人たちっていう感じか
そうそう
例として分かりやすいなって思ったのが
例えば水槽があって魚とか岩とか草とかが
いっぱい終わっているアクアリウムみたいなものがあったとして
魚から見たら
他の魚たちが岩の後ろに行ったら
当然見えなくなったりするわけじゃん
かつ草は揺れるし
石は転がるしみたいな感じで
もちろん中からいる魚からしたら
そういう世界が実際の世界なんだけれども
外にいる人から少しメタ的な視点で見ると
当然魚はずっと
位置は違いでもその中にいて
その中で起きていることっていうのも全部見えているみたいな状態があった時に
結局人間の世界っていうのを
同じように超越した目から見ると
結局掃除したり飯したりみたいな
万物あるてんする的なことも
結局はその状態の変化に過ぎない
岩に隠れたり
そこから出てきたりっていうのと一緒で
物が壊れたりとか生まれたりとか
人があるいは死んだり生きたりみたいなことも
結局姿とか状態が変わってるだけだよね
みたいなことを言いますと
なるほどなるほど
そういう意味で言うと脱世俗的というか
理性の力で現実の苦しみとかっていうのは
関係なく我々は汚れのない世界に行くのだみたいな
確かに
よく言えば高尚だし悪く言うと
ちょっと高満地気なというか
ちょっと属性離れしているみたいな
武器用離れみたいな
その水槽が魚だったらまだいいけれども
それを人間でやろうと
同じような価格を持って生きようとしている
それが人間として正しいとか
もしくは仏教的な話でいうと
15:02
世俗の苦しみから逃れるには
そういう見た的な視点を持つべきみたいな
そういう感覚もどうなんだろうね
そういう意味で言うと
人間が自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
自分の中で
ただ実は仏陀の時代って
あまりそこって
分けていなくてというか
むしろ出家しなくてもとか
いわゆる罪や普通の生活を送っていても
仏陀の教えを聞くことで
仏に近づけるとか
悟りに至れるみたいなことを
実際にしているんだよね
そうじゃないと出家した人たちが
いわゆる生産的な農業とか
社会的な活動ができないから
在園者たちに助けてもらって
寄付とかで生きてたってところもあったから
そこって一つのコミュニティだったんだけれども
それが出家した自分たちだけの世界を
どんどん作っていって
そこで理性的な議論を戦わせて
自分たちだけが高まっていくみたいな
ちょっとそういう造詣の塔的な
ところがやっぱり700~800年経って
どんどん高まっていったっていうのがこの時代
なるほどね、ちょっとその仏陀の感覚
仏陀が持っていたであろう感覚だったりとか
理念みたいなものがあったとすると
そこからちょっと一人歩きしちゃって
だいぶ離れたなっていうことを思う人が出てきたって感じだよね
まさにこのナガール寺名が大体
紀元後200年くらいに出てきたとして
するとその時代はやっぱりそういう動きとか
アビダルマ、哲学みたいなものを乗り越えよう
っていう人たちがやっぱり多く出てきていて
もう一個の特徴として
自分たちが悟りを得るためにやるんだけれども
それなぜかっていうと
仏陀みたいな自分だけじゃなくて
ありとあらゆる存在を
悟りに導こうみたいな人っていうのは
あまりにも遠く及ばないですと
18:02
無理、そもそも諦めちゃうね、そういう存在なのことを
へー、面白いね
そういう存在があるっていうことを知っておきながら
でもそれは諦めてまずは自分が悟ろう
っていう方に向いてしまうっていうのも
それもまた面白いけどね
その時期がなかったならまだしもね
面白いのはこの時代になってくると
仏陀っていうのはただ生まれて下達したんじゃなくて
その前世、前世、何回も前世を繰り返す中で
少しずつ徳を積んできて
たまたまと
ゴータマシッターとして生まれた時に下達したんだ
みたいな考え方っていうのが結構広まってきて
要は俺らとは全然違うんだと
この世通りの人たちは
仏陀っていう悟りを引き取られた人じゃなくて
アラカンっていう自分が悟りを得るってことを目標に頑張るのね
うーん、あれがね
悟りへの執着を感じるね
そうそう、まさにね
そういうところもあって批判されていくんだよね
そんな自分たちだけ悟りにとらわれてて
本当にいいのかみたいなこともあっただろうし
あとはやっぱり自分もそういうことを仏陀になって
全ての人と歩もうと
別に出家してるしないとかそういうの関係なく
全ての人を悟りに導くのだみたいな
結構進歩的な仏教徒っていうのが出てきてるんだよね
これが後の大乗仏教に繋がっていって
みんなを乗せる大きな船だみたいなことを言っていくんだけれども
それの根幹を作ったのが
まさにナンガールジュナであったりとか
またちょっと簡単に触れるんだけど
ハンヤ神教とかって聞いたことあると思うんだけど
色即是空空即是色みたいなやつ
うん、それはある、言葉としてはある
それが実はハンヤ神教と言われるものなんだけれども
それの根底になっているのがハンヤ教という経典があって
そこにまさに大乗仏教のエッセンスみたいなものがめちゃめちゃ含まれています
もっと言うとナンガールジュナとかも
ハンヤ教っていうのを大元にして
自分の思想を解いていくんだけれども
そうなんだ、ゼロから作ったんじゃなくて
もともとちょっと近い部派みたいなものがあって
それをアップデートさせましたっていうような感覚に近いのかな
そうだね、もっと言うと
どっちかというと経典ってお話とか
ブッダがこう言いましたとか誰かがこう言いましたみたいなものが多いんだけれども
それをすごくロジカルにというか
ちゃんと論理立てて説明していったみたいなのが
ナンガールジュナがやったことなんだよね
なるほど、ちゃんとした解釈書を作りましたって話なんだね
そうそうそうそう
なのでこのハンヤ教っていうのは実は
壮大なアビダルマ哲学の批判書なんだね
21:03
なるほど、そっかそっかそっか
ナンガールジュナの立つ土台として
そのものが既に先人が作ってくれてた
そうそうそうそう
既にやったからそれを土台に
それを押し進めていったとか徹底してやったっていうのが
ナンガールジュナがやったこと
はいはい、面白いね、なるほど
これはちょっとあれだね、ブッダがもともとのバラモン教みたいなものを
少し乗り越える形で自分の思想を作っていたのと
なんか近い感じを受けるね
そうそうそう、本当にそうで
前もどこかで触れた気がするけれども
偉大な思想とかってそれまでの主流の思想とか哲学とか
偉大なものを乗り越えたからこそ残っていたりとか新しさがある
っていうのがすごく哲学の大きな歴史の中にあるなと思っていて
どうしてもどれだけ偉大な思想だったりとかしても
7、800年とかね、今回の話で言うと
もう太陽年数が流石にちょっと消えてくるわみたいな
そうそうそうそう、どうしてもね、どうしても
やっぱり時代も下っていくしとか環境も変わっていくので
やっぱりそこまでいくとね、それこそ歴史的な世界史の流れとか
当時の王朝側とか宗教側とか
科学技術側とかっていうところともやっぱり関連しては来るんだけど
ちょっとね、そこまでいくと本当に広くなりすぎるんで
まあ1回ちょっと話を戻していくと
詳しいところはナーヴァル・ジュナの話を通して次見ていこうと思うんですけど
その般若狂、要はその節一切運ぶとか
アビアルマチス学を批判したものの根幹、核心にあるのは
いわゆる束縛されたものから解放されたものへっていう考え方そのものを批判しますと
要は節一切運ぶっていうのは束縛されたものが解放されていくっていう考え方がありますと
あるいは囚われているものが解き放たれていくみたいなね
苦しみから離れるみたいな、逃れるみたいな感じかな
逃れるとか、無常の常に移り変わる汚れた世界から汚れのない解放された根幡へみたいな
っていう要は今が苦しいから理想の世界を目指すっていうのが
通常の当時の仏教の考え方としてあるんだけど
そうじゃないんだと、そもそも人間の心とか体っていうのは
体そのものみたいなものを持たないので束縛されているわけじゃないといいます
ちょっとこの辺いきなりだと思うんだけど
そうねいきなりだね
要は例えばなぜ悟れないかっていうと
僕らはその体とか心とかいろんなものが縛られていて
自分の本来の仏みたいな悟り性みたいなものがそこに囚われてしまっているんだ
24:05
っていう考え方を持っているのね、それまでの仏教の人たちは
それまでの人たちはね、アブリラルマ哲学では
だからこの修行として体とか心っていうのをどんどん解いていって
本来の悟り性みたいなものを解放していくんだみたいな
そうすると苦慮とかめちゃくちゃするみたいなのもちょっとわかる気がするね
そう、やっぱり修行っていうのはすごい大事なんだけど
アブリラルマ哲学ではね
でも実はその般若教とかナワガルジョンとかいうのは
別にその悟り性みたいなものがもともとあって
それを出していくみたいなことなんじゃないんだと
そんな悟り性なんてものはないんだ、みたいなことを言うのね
かといって、そもそも人間というものが
無条件に無常を超えて解放されているわけでもないです
要は何だろうな、何もしなくてもというか
この辺が言葉で表すのすごい難しいんだけど
束縛されて解き放されなきゃいけないっていう人間もいないし
かといって、じゃあ誰でもかんでも涅槃に行けますよみたいな
涅槃に行ったら勝ちみたいなこともないですと
つまり迷いもないし悟りもないっていうことを言い出すのね
それが般若教で
般若教だね、ここは
そこも一応言葉で残ってるの?
こういう言ってくれたようなことは言葉で
迷惑でこれを言っているっていうよりは
会話とかの中でそれを気づかせていくっていう対話形式なんだけど
ソクラテスみたいな感じだよね
エピソードみたいなのは残ってると
この辺りが実際何かっていうのは次で話すんだけれども
詳しくは
ちょっと今回に関しては
ナヤガールジナとかその後大乗仏教の人たちが乗り越えようとした
当時のアビダルマ哲学とか
哲一切運ぶっていうのはどういうものか
それは捕らわれた人間が
修行によって解放されていくとか
現実世界に生きる苦しい人間っていうのが
思考とか考える力によって解き放されていくみたいなことを
思っていたところに対して
いやそんなことじゃないんだと
要は別の方法があるんだではなく
そもそも我々は捕らわれてもいないし解放されてもいないみたいな
すごいそもそも論から批判するっていうことを感じてほしいですと
まだ何もわかんない
ただただぶっ壊された感じだね
アビダルマ哲学側からするとね
何言ってんのみたいな
かつそれも別にただそうやって
27:01
そもそも論をかざすだけだったら別に気にしないわけじゃない
アビダルマの人たちもまたそんなこと言いやがってみたいな
そうだねそういう人たちが
新たな悩みは生まれるわけもないもんね
あいつら何言ってんだって終わっちゃう
そうそうそうそう
そこにナアガールジョンっていう人が出てきて
ものすごいロジックというか論理で攻め立ててくるわゆえに
やばいやばいこれちゃんとこさえないと
マジでやばいぞみたいになっていくっていうのが
まさにこの起源後200年くらいに起きたことなんだね
わーなるほど
内容は全然わかんないけどそのインパクトみたいなのはすごそうだね
いわゆるその象徴仏教の後の人たち側の人たちは
めっちゃやばいことやばいコンセプト生まれてるみたいな話で焦るし
びっくりするのそっちからとあとは元々そっちだった人だったりとか
これから学ぼうという人たちはなんか新しいその大乗仏教的な思想
めっちゃいい思想生まれてきたぞこっちに向かってやれみたいな
本当に新たな潮流が本当に生まれ始めるみたいなところなんだね
まさにまさにだからそれまで自分は出家できないから
仏教から遠ざかっていた人たちがナアガールジョンとか大乗仏教だったら
俺でも行けるって言ってそっちに寄っていくとか指示したしていくっていう
まさにその大きな流れとか人の寄り所
なるほどね確かにここへとねそもそもどうなのみたいなのは簡単かもしれないけど
そこに何を組み立てていったのかっていうのが次から話してくれるクーの話
さらに難しくなるであろうクーの話みたいなちょっと怖いね
もうちょっと時間かければちゃんと説明できると思って言われるものの
やっぱり分かりきるみたいなところまで行けるかはちょっと頑張ってみますという感じですね
何か分からないところあったら色々と聞いてみてもらえると助かります特に次回は
分かりましたなんかガゼ楽しみになってきたな
すごいことやったんだっていうのがちょっと伝わってきた
ちょっとね今回は壮大なイントロみたいな感じだったんですけどだからこそねちょっと次の話とかクーの話っていうのも
少し楽しんでいただけるかなと思うので
分かりました了解です
次回はまた楽しみくださいというところです
ついに今回のテーマクーについて始まっていきますのでよろしくお願いします
はいよろしくお願いします
(♪ BGM)
29:42

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