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2022-07-27 32:39

#27【雑談】ブッダの「十二縁起説」が難解すぎて理解できない兄

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
(BGM)
はい、それっ鉄ラジオ今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
今日はブッダとナーガール・ジュナで
そのあたりのこぼれ話ということで
これはブッダが言った話なのかな
十二縁理説っていう話を教えてもらいたいと思います
よろしくお願いします
はい、よろしくお願いします
今日ちょっと説明みたいになっちゃうかもなんですけど
前回もちょっとお伝えした通り
この十二縁理説
あるいは十二因伝説って言われるらしいんですけど
これが結構仏教の教えというか考え方の中心にあって
これをちゃんと理解したからブッダは悟った
あるいはブッダの悟りっていうのはこれをちゃんと理解したことなんだって
言われたことがあるぐらいの考え方ですと
ただ結構ね、やっぱり初期仏教あるあるで統一された考えがなかったりとか
意外と全体として何言ってるかちゃんと説明できんみたいなものもあったりするんですけど
初期仏教あるあるがあるんだね
やっぱ解釈がどうしてもいろんな人たちがしているから
ブッダが本当に言葉としてはこう言ってるけれども
本当は何を言っていたのかとか何を説明しているのかみたいなことってなかなか難しいんだけれども
ある程度その話をすることで一定その仏教の根底にある
要は空でも話したものの実態がないとか
固定的なものがない、逆に言うとあるものっていうのは別のあるものから生じて
次々生じているんだよみたいな世界観っていうのはちょっと感じてもらえるんじゃないかなと思ってますと
なるほど、無常みたいなもの
そうだね、無常だね
なんかこれ面白いのが、これ現代のお坊さんのインタビューを見た時に面白いな表現だなと思ったんだけど
なんかその仏教のそれこそ無常とか生きるってどういうことなの?みたいなインタビュアーが質問をした時に
そのお坊さんが一瞬一瞬できる光の階段を駆け上がっているようなものですっていう答え方をしてたのね
おー、はいはいはい
つまりその固定的なもの、要は地盤を一歩一歩踏みしめて歩いているんじゃなくて
一瞬一瞬新しい透明な階段っていうのはできるんだけど
それをパパパパパって登ることがある種仏教的な生きるっていうことですよというか
その生活観ですよって話をしてて
つまり常に物事は移ろっているし変わり続けているし
固定的なものはないっていうのをそういうふうに表現されてて
それはすごい実感がこもってるなと思ったんだけど
なるほどいい表現だね
ただなんかすごく仏教っていうものが勝手なイメージだけど
03:00
持ってるちょっとこう静謐な静かな感じからすると結構ダイナミック
すごく淡々しいよね
タタタターってね
そういうゲームありそうだけど
確かに
仏教って外から見るとというか
迷走的な考え方を発すると落ち着いて見えるけれども
やっぱり内側ではというか
実際やっていることとしてはやっぱり隙間なく生まれる世界に対して
どう自分っていうのを整えていくかとか
落ち着かせていくかということにはなるから
やっぱりそれが結構ダイナミックな考え方だと思うんだよね
そうだね確かにぼーっとするわけじゃなくて
それこそ一瞬一瞬を集中して生きていく
それをどう捉えるかっていうすごい集中力は確かに感じるね
そうそうそう
やっぱり研ぎ澄まされているっていう意味では確かにそうだと思うんだけど
逆に言うと仏教では
あるものは別のあるものから生じているから
原因と結果とかいわゆる因果みたいなものっていうのが結構大事にするか前提としていますと
その因果の繋がりがいわゆる輪廻みたいな感じで
生まれて死んでまた生まれてみたいなものがぐるぐる回るっていう
その円環みたいなものをイメージするんだけど
逆に言うとその原因にアプローチすれば結構結果を変えられるとか
ある結果にたどり着くときになったら
その原因の方にアプローチすればよいみたいな考え方っていうのは結構ありますと
この十二演技説っていうのはまさにその12個の原因と結果っていうのが連なって
ある種ぐるぐる回る輪廻というか
自分たちの人生というのがあるから
まずはその12個っていうのをちゃんと理解した上で
正しくアプローチしましょうっていうものなんだけど
なるほどそっか
仏教ってそもそも苦しみから逃れるとか
そういうとこだと思うんだけど
苦しみとは何かみたいなものをちゃんと認識して
そこから離れていこうねっていうところを具体的に言ってくれてるのが
この十二演技説って感じなのかな
そうですその通り
具体的にっていうのが具体的に伝わるかどうかは別案で
一回ちょっと説明してみたいんですけど
そっかさっきの解釈がみたいな話もあったもんね
そうそうそうだし
それってどういうことみたいなのになると思うんだけど
一回ちょっと説明をしてみます
まず分かりやすいように苦しみみたいなところから話すんだけど
そもそも仏教的なというか仏陀的な考え方でいうと
死ぬことっていうのは苦しみです
生老病死みたいなやつだよね
やっぱり死亡するような話でもあったら
病気の人とか老人とかあるいは死んだ人っていうのを見て
人生の苦しみを感じたみたいな話もあったと思うんだけど
だから老いて死ぬっていうのは一番大きな結果として苦しいことですと
しかも死んだ後にはもちろん生まれ変わるとかはあるんだけれども
その人の人生としては一旦終わるからそれが一応終着点としての結果ですと
06:04
なんで僕らは老いて死ぬかっていうと当然この世界に生まれるからですと
生まれなきゃいいじゃんってなった時に
なんで生まれるかっていうところをあと10個説明してくるんだけど
おおお
すげえ
なんで生まれるかっていうと
この世に人としてとか虫でも動物でもないけど
生まれる前にそもそも物質的な世界に対して
魂っていうのが落ち着くというか
魂とか精神世界があるとかってそこまではあんまり言わないんだけれども
分かりやすく言うとそういう物質的な世界にたどり着いちゃうとか
あるいはそういう全体ちょっとここはスピリチュアルっぽいんだけど
この世すべてとか全体みたいな中に漂ってれば生まれることはないんだけど
そこから離れちゃって1個の生命体みたいな形で
形を持ってしまうから僕らは生まれるんですみたいなことを言いますと
なんとなく伝わる?
多分これはもろ仏教的な話だと思うんだけど
昔犬飼ってたでしょ?
ナナちゃんいたでしょ?
全然分からないよ カンノケの犬
犬ね 死図に書いてたじゃん
死んじゃった時にペットでも供養するでしょ?
人間だと1個1個それこそカンノケの墓みたいなのがあって
そこに供養するわけだけども犬の供養って
なんとかっていうところじゃなくて犬っていう大きい
動物例に行くと犬っていう大きなピラミッドみたいなやつがあって
そこにいろんな家の犬の名前がペタペタ貼られて
犬みたいなさ
犬っていうものが飼っていくんだよみたいな
3年くらい経つとこの世からいなくなって
犬っていうものと融合されるから
それ以降は特にお墓参りとか別に行かなくてもいいというか
行っちゃダメみたいな
そっちに戻れなくなるからみたいな
そういうこれは多分もろ仏教の教えだと思うんだけど
それを思い出した
うんうんうん
でも本当そうだと思う
犬全体からやっぱりナナちゃんって我々の犬シーズンの犬ってのが出てきて
死んだら全体に帰ってくるみたいな
まさにそれの話に近いと思うんだけど
それを十年儀の中では有無しのあるって言いますと
そういうふうに1個の生命体みたいになっちゃうのはなぜかっていうと
それは物事の執着、行きたいとか一つのものになりたいみたいなある執着が強まるからだみたいな話があって
それを取るって言いますと
取るだから受け取るとかの取るね
あるものを取りたいとかそこに執着が強まるのはなぜかっていうと
09:05
それは愛、いわゆる僕らが言う愛するとはちょっと違うんだけど
物事に対するまさに近づきたいとか得たいとか
あるいはちょっと親しみを持ちたいとかそういう気持ちを持つっていうのがその原因にあります
強まる前にまずそもそもそういう気持ちを持っちゃうっていうのがあるよねっていうよね
そもそも何かの親しみを持ちたいみたいに思っちゃうのはなぜかっていうと
これはそのものっていうのをそもそも認識するとか感覚を受け取るっていう受け取るの樹根っていうのがあって
そのものに感覚を受け取るなぜかっていうと
そもそも世界と触れ合うっていうまさに触るっていうのがありますよねって言いますと
ここまでもなんとかなるかな
そうだね、入れ子になっている感じがする
この世に生まれるっていうのと
そのためには物質的な世界に誕生するっていうところと
さっきのその執着も同じような感じがするこの3つ3つ
そうだね、そうそうそう
その執着するものに執着するっていうのを細かく分けるとそういう風に分けれるよねと
そもそも世界に接触するっていうのはどういう派生かっていうと
これは6つの感覚機関、いわゆる互感だよね
見る聞く話すみたいなものとあとは意識っていうのを加えて6つのそういう働きによるよねっていうのがあって
その働きはなぜ生じるかっていうと
何かがそもそも存在するっていうのはそういう外部の情報を受け取ることだっていうような
その存在感をそもそも持つっていう働きがあって
その存在感を持つっていうのはその前提は何かっていうと
それを理解する、自分が存在したとか周囲に世界が存在しているかもしれないっていう感覚
そもそもそれを感覚できることの力っていうのが働いていて
その前提にはそもそもその力が働くっていう空間だったり場だったり
力が働くっていうことそのものみたいなことがあるわけで
それを行を行いで行っていうことを言うんだけど
その行、力が働くっていうのはなぜ起きるかっていうと
ここで1個目の原因である無知、要は真理を知らないとか
全ては無常であるとか
輪廻っていうのがそういう連鎖によって起きるっていうことを知らないから
今説明したあらゆる物事は起きるんですっていう風に言うよね
全然わからん
(笑)
まあそうよね
最後いきなり無知に行くんだ
そう、実は結構いきなりに感じちゃうかもしれないんだけど
逆に言うと、これね実は今話したのは逆感っていう
12:05
要は老いて死ぬっていうところから無知までたどり着くっていう
その結果から原因にたどったんだけど
逆に無知から老いて死ぬっていう方にたどるっていう
原因から結果に行くっていう循環っていう考え方があるのね
それもちょっと簡単に話すと、要は人って無知だから
要は自分の中、自分その空的な要は自分もないし他人もないし
悟りもないし迷いもないみたいなことを知らないから
結局あれがしたいとかこれがしたいとか
もっと良くなりたいとかっていういろんな思いが起きていくよねと
そうすると自分の外にもっと良い教えがあるんじゃないかとか
もっと正しいものがあるんじゃないかってどんどんどんどんいろんなものに触れていって
結局それが執着を生み出しちゃって
自我と世界の執着っていうようなものがどんどんどんどん固まっていった先に
要は生まれてしまったりとかその人生をどんどん積み重ねていって
老いて死んでしまうっていうそういう苦しみが続いちゃうよねみたいなことを言いますと
なるほど、これはあれか
今の循環でいう2番目、行っていうのは実在とか実存みたいなものに近い感覚
その手前なんだよね、多分
その手前
実存が多分、7つ目くらいのショックとかこれ聞いてる人はちょっとわかんないと思うんで
参考リクとかも貼っときたいんですけど
結構仏教って要は生きてる世界っていうのは全体の一部であって
その中に死んでる世界というか状態が違う世界があるよねっていうのは
根本にあるっていうのはそもそもわかりづらいところなんだけども
なんだろうな、結局何かが物事が行われるっていう前に
そもそもその行うための力みたいなものとか
これね、先制力みたいな言葉があるんだけど
潜在的な、潜っている勢いのある力みたいなのがあって
実はこれはアリストテレースも似たようなことを言っているんだけれども
アリストテレースでいうとデュナミスっていう言葉があって
物事を動かすみたいな時に
根底で働いている力、なんていうのかな
ちょっと概念なんだけどこれも
例えば何かをしたい、人間だとして何かをしたいとか
たどり着きたいって思った時に
そもそもたどり着きたいと思わせる力が根底に働いているよねみたいな
考え方がありますと、全然兄貴は納得していない顔をしている
ちょっといきなりアリストテレースのデュナミスとかって言われても
15:02
まあそうだよね
何て言ったら伝わるんだろうな
今の例えと似てるっちゃ似てるのかな
今の例えを出たことでちょっと分かりづらくなった感じがむしろ今してたから
あんまここ一個一個深掘りしても多分終わらなくなると思うからあれなんだけど
そうだね、多分この仏教的な話で言うと
まだ生まれてない人間段階にある、どの世界か知らないけど
時にちゃんと頑張っとけよみたいな話が先制力なのかなって思って
今のアリストテレースの話で言うと、もうちょっと自分が持ってるエンジンとかさ
自分が持ってる熱量みたいな、そういう話にちょっと感じてしまって
なるほどね
見えない部分での推進力というか
潜水艦でいうプロペラみたいな、下で頑張ってる部分みたいな
ちょっとなんかそこが、今の例えでちょっと不安とした感じがある
分かった、多分今日では説明しきれないんだけれども
今俺と兄貴は何がずれてるかっていうと
自我の前提にある世界を想像できるかどうかが多分違っていて
今確かに僕が言った、何かやりたいって思った時の根底にある力みたいな
言っちゃうと、人間の中にある意欲とか心の働きみたいに
確かに捉えられたと思うんだけど
もっとその手前にある、手前っていうか
個々人よりも前提の、あるいは存在しているよりも前提の
物事を存在させるための力とか
物事が存在しているっていうところに対して働く力みたいなものを
結構想定するんですよ、このレベルまでいくと
分からんよな
分かんない
すごく興味あるけどね、それをなんか
これかーって分かってみたい感じはするけど、多分それは今日じゃない気がする
そうだね、それは逆に分かりやすくしたのが結構神様の話ではあったりして
神様が世界を作ったっていうと
人間とかを超えて、前知前能の存在が
そもそもこの世界とかあるいは存在を作ったみたいな
それを神の力なんだみたいに
なんとなくイメージしやすいと思うんだけど、どうだろう?
そうだね、機会があればぜひ教えてもらいたいけど
今聞いて思ったのは、飛んで火にいる夏の虫の火みたいなイメージ
はいはいはいはいはい
に近いのかなって思って
どういうことだ?
夜、飛んでる虫が火の中に飛んでいく
その火の中に火がかかる方に引きつけられていく
18:02
それって自分のせいじゃないよね
そっちに向かう光を見た時にそっちに飛び込んでいくのって
自分じゃどうしようもない部分
自分がこうしたいとも思ってないし
こうしたくないとも別に思ってないし
ただ本能、本能っていうとあれだけども
意味的に遺伝子レベルでみたいな
遺伝子っていってもさっきのハヤトの言うところでいう
自我みたいなところが含まれちゃうと思うから
ちょっと違うとは思うんだけど
ただ自分のエンジンとか熱量みたいなものよりは
そういう抗えない、ただただそっちにも引きつけられていってしまう
宿命みたいな、そういう風になっているみたいな
物のほうが近いのかなっていうね
確かに近い
感覚の限界
私、分かった
多分これを伝えるには
僕は有意識の話をしないといけないと思った
仏教の中で有意識派っていうのがあって
兄貴も前は多分有意識、ただ識があるみたいな
意識だけでできてるみたいな話をしてた気がするんだけど
デカールトでさ
我、我ただゆえに我愛と有意識論って何違うのみたいな
それは多分どっかのラジオじゃない話で
雑談で
実は全然違っていて
次まさにやるデカールトは
あくまでも自分というか
事故の中で出発点というか
考えるべき立場っていうのを作っていくんだけれども
有意識っていうのは
僕らの意識とかの前提に
あらやしきっていうもっと大きな
それこそこれまでの因果とかカルマとか
前世も含むいろんなものが
詰め込まれたものがあるっていうのを想定するんだよね
かっこいいからあらやしきとかまなしきみたいな
名前だけは知ってる
かっこいいから名前だけ知ってる
そう、まなしきの働きがあるから人間は
六識の中で生きていけるみたいな話があるんだけど
結局は人間存在の根底みたいなものを想定するかどうか
その働きが僕らが生きてるってことに
影響してるかどうかみたいな
結構その世界観を理解できるかどうかだなって今感じた
なるほどね
今回、ごめんね
この十二演技説でなるほどってなってないんだけど
まだあったから申し訳ないんだけど
なんとなくラーガルジュナの空の話
プッタと空の話を聞けばこれが理解できるのではないか
と思いながら聞いてたんだけど
もしかしてもうちょっとその六識みたいなものを
理解してからこの話を聞くとなるほどってなる可能性が高い
高いと思う
だからこそ僕も途中で入れ込めなかったんだよね
21:02
あまりにも一個一個はそもそも何を示すかもよく分かりづらいし
全体として何よみたいなのもやっぱりちょっとね
説明しづらいなと思ったんだけど
ちょっと今後もね色々話をする中で
その十二演技とか人間存在の裏側にあるものみたいなものを
どう想定するかみたいな話でもできると面白いなって改めて思ったんで
その意味では話して良かったなと思った
はいはいそっかそっか
ちょっとそうだね多分追いつけてなくて
今回の初期仏教プッタの話と
ラーガルジュナで個人的に思った感覚は
この十二個あるのかな今回でいうと
この生と老死が最後の二個
この間の世界しか多分今回話してもらってない感覚と
あと多分その世界でしかこっちが認識してないんだなっていうのをね
今回思ったね
そうねやっぱり分かりやすいところからいくと
やっぱり生まれたから死ぬまでの話になっちゃうんだけど
でもその生まれるっていうのにも原因と結果があってとか
別に僕自身がそう本当に思ってるかとか
別にでもね思った仏教やって思ったのは
なんかこの生とかこの宇宙とかって言うようになった
危ないよねちょっと
危ないっていうかそうだね
ちゃんと仏教を理解してない人からすると
ちょっと何言ってるか分かんないってなるよね
ちょっとヤバそうじゃんなんかこの人何言ってるんだろうみたいな
うんこっちはね多分分かった方分かったっていうかね
勉強した方からすると真面目に多分言ってるよね
なんかやっぱりあくまでも自分っていうのは
現れであるみたいなことはなんとなくやっぱ思っちゃうから
でも多分それはなぜかとかどういう思想背景かとかっていうのは
多分ちゃんと伝えないと伝わらないし
ちゃんと伝えないとこいつちょっとヤベェ奴だというか
なんか自分の命大事にしろよみたいな感じに多分なるから
そこも一応哲学の話ではあるのかな
東洋哲学の文化になるのこの順位
頭で理解する上では哲学的に理解できて
こういう考え方とか価値観で言うと確かに
この性みたいな言葉が性ですよねっていうのは多分理解できるんだけど
それが本当に実感としてとか生活の中で感じられるかっていうと
多分それはちょっと僕自身もなんだかんだ瞑想とかやってきたから
そういう取り組みの結果かなとは思う
あーなるほどね
身体的な理解とかどこまで行ってしまうとって感じか
感覚的にこの辺りは理解しないとどうしても伝わんないというか
分からない部分だから
だから僕も正しく分かってるか正直分からない
だからこそ多分仏教って師匠がいて弟子がいて
悟ったというかね長年修行続けている師匠が
お前はもうOKだとかお前はまだまだだみたいなことを言いながらやってるってのはそういうことなんだけど
24:03
はいはいわー面白いな
なんかこれは本当に面白い
あのQの話とかまで聞いて
結構こうエニングっちまで立てて楽しくなってきたわと思ってたけど
これがまだ12分の2ぐらいの話でしかなくて
しかもそれでも分かったかどうかみたいな
すごいやっぱ深いとこなんだなってね
ごめんねなんか大丈夫?12エンディングの話の補足まだというか
理解してないゆえで申し訳ないんだけど
多分ね僕らが普通に生きる上で多分大事な考え方は
いろんなものが連鎖していて
連鎖しているシステム的なものとか構造的なものにアプローチするっていうには
根底まで作らなきゃいけないよっていうところまででいいと思ってるのね
はいはい因果ってものをちゃんと
この場合だと12個だけど3個なのか6個なのか分からないけども
こういうアプローチってのはあるよねみたいな
私やっぱブッダっていうのはそういう
老いて死ぬんだったらどうしたらいいかっていう時に
生まれなきゃいいじゃんっていうことを言ったっていう
確かにそりゃ悟った時に悩むよね
これ人に伝わるかなって本当悩むと思うわこれは
ちょっと一歩間違えたらさ
ちょっとねこいつ発狂したちょっとやばいじゃんかって
やっぱり迫害されるとかも絶対あるだろうし
実際あっただろうしそういうのもね
伝え方間違ったら何分だけできるんだこれ
そうなので僕が思ったのは
生まれてる苦しいなぜだって思った時に
やっぱり生きてることは苦しいって世界だけで考えちゃうと
それってもう絶対に乗り越えられないんだけど
生まれる前みたいなことまで広げると
そうやって実は乗り越えれるよねみたいな話の
構造はすごく大事だなと思ったね
はいはいはいそれこそやっぱ
それが虚無主義とか何かの諦めとか
原生に対する諦めとかじゃなくて
逆に原生をそういう苦しみから逃れる
もしくはまあ委員で転生的な話でいうと
もしくは今の人生で解脱するためには
やっぱり前のところの十二分の十分のところを
前提としてちゃんと巨人の肩に乗っておくと
今の人生で解脱できる可能性が高まりますよっていう
そこをちゃんと多分教えてくれるよね
話なのか虚無主義じゃないのか
虚無主義じゃない
ちゃんと無知っていうのは原因だから
正しく理解するとか正しい知識を身につければ
それを乗り越えれるよっていう話だから
そう考えると鉄が組というか出てきたし
個人的にね
その十二分の十がある意味っていうのがちょっと見えてきた気がする
やっぱりね
生きてて苦しいしんどいみたいなのは
本当に氷山の一角だよねって
逆にそういう理解するだけでも
27:02
なんとなくちょっと楽になるというか
生きる苦しみが和らぐみたいなことも僕としてはあったし
だからそれを知るのが幸せかどうかとか
一旦置いといて
やっぱり生きづらくなるとかもあるから
多分ねそういうのの返りというか
逆に言うとね僕が結構分かりやすく言い過ぎてしまったところもあるかもしれないので
その仏陀ったりとかナヤガルジャンのことを
これだけのやっぱり深いもと根底とか
広がりがあるよっていうのがね今日伝われば
それはそれですごい良かったなと思ってて
なるほどね今回の話で分かった気になるなよ
今日もっと深いぞと
いいねでもたまになんか
そうやねこれ行ったり戻ったりとかね
また西洋とのこういうのですら
多分比較もできるのではないかとかっていう勝手な期待をしてるんで
たまに教えてもらいたいねこういうの
あの時話せなかったけど今なら分かると思うけど
確かにそれはあるかもしれない
だからねそのクーがなぜその仏教
西洋製造家より一歩進んでるかみたいな話は
まさにそれで12個のうち10個っていうのは
現世ではない話をしている
人間が生きてる世界じゃない話をしているから
そこをちゃんと語れる言葉を持っているとか
それを語れる土台があるっていう時点で
やっぱり仏教っていうのはすごく広がりとか深まりがあるよね
っていうのは言っても間違いじゃないなと思ってる
そっかもはや土台っていう言葉が正しいのか分かんなくなってきたんだけど
この前クーっていうものが
全くの無ではなくて
すごく広くな大地に感じたなみたいな話をしたと思うんだけど
その地下にはさらにやばい土台マントルみたいなものが
湧き上がってるものがね
ありそうだぞと
本当そうなんだよ
やっぱり逆に西洋はそこを神っていう話で一旦
理解できちゃうようにしちゃったから
うんうんうんうん
この前の雑談会的な話で言うと
社会っていうものをある程度同じべき通りで持っていくっていう意味では
ある程度神っていうもので達成できちゃったんだね
そうだね
もちろん神学みたいなものもやっぱりすごい広がりもあるし
僕も全然そこまではタッチできてないから
それによって
別に西洋の一神教が悪いとか思想が深まらないとは言う気はないんだけど
それだって到達しれないほどの無限の直視みたいなのあるだろうしね
それこそどこに行ってもいいんじゃないの?それで
っていうのがあるんで
そういうのも知っていくと
宗教と哲学ってやっぱり近づいてくるし
それをただの教えとして理解するんじゃなくって
哲学的な思想的に理解すると深まるよね
っていうのはすごい面白いなと思ってますね
30:00
はーなるほど面白い
今回はそうだね
この深みみたいなのも
こんだけ深いんだぞみたいなものを
分かった気になるなって
そうねたまにはそういう
何言ってるか全然分からんみたいな回も
良かったんじゃないでしょうかというところで
ただただモヤモヤさせる回みたいな
そう思う時も何の喜びもないっていう
確かに分からんかった
しかも姉貴まださテキストで台本というか
12演技のそれぞれの文字見てるからあれだけど
聞いてる人からしたら多分漢字の変換もできないから
結構ごめんなさいストレスかかってたら申し訳ないんですけど
良かったらぜひググって見ていただけると
ちなみにググって出た結果はだいたい信用しないでいただきたいです
ちゃんと説明できてるものはあんまなかったなと思ってます
いいのそんなGoogleさんを世界を敵に回してるけど
Googleが出してるコンテンツに限界があるから
いつか理解できることがあるとすれば
シリーズで理解できないとは思うけど
ちゃんと聞いてみたいぐらいの話だなとは思ったね
そんな辺もまた今後の課題とか目標として
いつか姉貴が12演技術を理解するっていう
本当そうやねあんまり言えば西洋もそうだったけど
これ深掘りするとただの仏教だよなりかねないかもね
間違いない
本当
色々言ったり聞いたりしたから
ちょっとずつ掘ったり飛んでみたり楽しめたらなって思った
OKですありがとうございます
今日は僕の話に付き合っていただいたというところで
次回から改めてデカルトなので近代のより哲学的なところに近づいていって
色んなことを理解していけたらなと思っておりますので
了解ですこの深みを見た上で色々楽しんでいけたらなと思うので
近代も面白い人だとか色々な考えがいっぱいあるんで
僕もまだあんまり知らない人もいるんで
勉強しながらお届けしていこうと思うのでよろしくお願いします
これは仏教ラジオじゃなくて色んな哲学を楽しむという
それ哲学ラジオでしたので一緒に楽しんでもらえたらと思います
エンタメ型なのでちゃんと楽しんでいただけるように頑張るので
是非次回も聴いてみてください
これからもよろしくお願いします
ありがとうございました
ありがとうございました
どうも
(♪)
32:39

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