1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #104 禅問答を理解するには、..
2023-04-23 42:53

#104 禅問答を理解するには、言葉の意味を超えるべし!

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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禅の世界と問答
(音楽)
はい、ソルテッドラジオ
今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、今回も引き続き「意味」ということで
前回は山内特留さんの本を取り上げて
意味と価値の関係について話してもらいましたと
そうですね、はい
そのね、違うとか
価値の方がどっちかっていうと対立的で
片方は良くて片方は悪いとかっていう感じなんだけど
意味っていうのは
良いことも悪いことも両方含むよみたいな
その話をしたりとか
はいはいはい
あとは人間っていうのは
その存在の世界だけじゃなくて
意味の世界、そういう次元があるとして
それどこにも生きてるんだよみたいな
これから最後に宗教の話とかもちょっとしたかなと思いますと
うんうんうん
特定の宗教とかじゃなくて
宗教的な意味でみたいな話になったもんね
そうだねそうだね
僕も前回話した後に
ちょっと言い過ぎたなって反省してたんですけど
要は仏教とかキリスト教とかイスラム教とかって
一個一個の宗教とかって見ちゃうと
なんか全然価値じゃないとか
結構二言論的にやるんじゃない?
ってなるかもしれないですけど
まさに今言ってるか違うんですけど
宗教的な世界というか
そういう大きく宗教みたいなものを捉えた時に
その意味っていうものが大事なんだよとか
むしろ価値というよりは意味の世界に近づくんだよ
みたいな話ですね
その辺りまでは山内特留さんの本でも話されているだろう
だったりとか
まあいい解釈しただろうみたいな話を
ってことはね、その辺までは
そうだね
で、正確そういうふうな話もなったので
今回そのいろんな宗教の中でも
やっぱりこう意味の問題について
ロジックでというよりは直接的に
なんか取り組んでるんじゃないかなって
禅問答の解釈
やっぱり僕が感じるその禅問答ですね
はいはいはい
これをちょっとご紹介したいなと思ってますと
で、やっぱりこうあの次回ね
その「臨済」ってまさに
禅の人のことをやろうと思ってるんですけど
その時にもねまた詳しくご案内はするんだけど
その禅って言ってもやっぱり一口に言っても
いろんな禅がありますとか
禅の流派がありますと
その中でその禅の世界って
なんか僕も最近こういろいろまた本とか読んで
調べ直してるんですけど
いわゆる座禅
なんか皆さんもイメージの中ではさ
その座ってなんかこうパシンと叩かれるみたいな
イメージあると思うんですけど
で、座禅ってのはもちろん大事なんですけれども
やっぱりこういわゆる問答とか言葉によって
自分とかその言葉とか認識の限界に直面した時に
弾けるというか悟る瞬間が
なんだろうなやってくるよみたいな
結構そういう考え方があるんですよね
前も禅問答こんなのありますよっていうふうなの
いくつか紹介させていただいたかなと思うんですけど
今回はそのうちの一つちょっと取り上げて
これってなんかどんなふうに感じられるんだろうねみたいなのを
ちょっとみんなで味わってみたいなと
はいはいはい
禅問答の一つの例と考察
なるほど
その禅問答自体の視点と
あと今回その意味っていう視点からって話だね
どっちもその切り口で
そうそうそう
やっていこうと
今回ですね台本にも書いてあるので
兄貴もねまさに一発勝負で聞いてもらうので
そうだね今回なんか
禅問答の話と解説しか書いてないもんね
あえて前情報なしで聞いてもらったら
どうなるかなと思って
ちょっと今から読み上げてみたいなと思うので
読み上げたら兄貴に感想聞くから
ちょっと考えていてね
ちょっと集中します
はいえっとですね
状況としてはお師匠さんが水美っていう人で
商兵っていうお弟子さんが訪ねますと
いうような話でちょっと読ませていただきますと
はいはい
商兵は地である水美に訪ねた
ボディダルマのボダイダルマので
ダルマさんですね
禅を中国に伝えたダルマさんが
インド西からやってきた意味は何ですか
師匠の水美は言いました
誰もいなくなったら答えよう
しばらくして商兵は言いました
もう人はいなくなりました
先生答えをお願いします
水美は家の中から降りて
商兵を畜園
竹が生えている庭に連れて行きました
商兵はまた訪ねました
誰もいません先生答えをお願いします
水美は竹を刺していった
この竹はこれだけ長く
あの竹はあれだけ短い
おしまいです
うーん全くわからん
はい
普通にさ捉えたらどんな風な感じがした
多分弟子の気持ちからすると
質問したよね
ダルマさんがインドから
仏教の生まれた地であるインドから来て
中国に来た意味は何でしょうかと
それこそ意味は何でしょうかと
何で来たんですかと
質問した時に
誰もいなくなったら答えるよって言うから
他の弟子がいなくなるのを待ってると
そしたらきっと教えてくれるんだろうな
ってワクワクしながら待ってると思うんだけど
でもほらみんな帰ったから
ほら何かしてくださいよって言ったけど
なんか外に連れてかれて
竹の話されてると
え?どうしよう
終わり?みたいな
ちょっとこうそういうびっくりしちゃうよね
この話だけ
だからその裏に何があるんだろうっていうのを
考えながら
お師匠さんの話を考えてみたんだけれども
まあ難しいよね
なんとなく誰もいなくなったら
みたいなところにポイントある気がするんだけど
その誰もっていうのを誰も指すかだよね
その弟子すら
あと自分もとかって考えた時に
じゃあそれが質問への答えと
どう繋がるのかっていうのは分からないね
はいはいはいはいはい
でもなんかすごい
なんだろうな
素敵な問い方をしてるなと思ってて
たぶんやっぱりそこだと思うんだよね
誰もいなくなったら教えよう
みたいな答えようとか言った時に
いやもう私とあんただけだから
教えてくださいよみたいなこと
師弟の意識の差
たぶん弟子は思ってるんだよね
でもお師匠さんはそれに答えずに
竹は長いし短いしみたいなことを言うみたいな
ということだねっていう話ですよね
まさにそこなんだよね
誰もいないって誰の話をしてるんでしたっけ
っていう話なんだけど
これもいろんな解釈ができるだろうけれども
おそらくはやっぱりそういう
そことを知りたいと思っている
弟子そのものとか
そもそも弟子と師匠っていう存在を
分けて考えていること
っていうこと自体が誰かがいるよね
だから他に自分たち二人しかいないけれども
自分たち二人はいるし
そういうことを頭で理解しようとしている
その割れというか
そういう自我みたいなものは
まだ残ってるよねと
それがなくなったら
そんなことはそもそも問う必要がないのだ
っていう感じなんだよね
一応全問答のベクトルがね
質問と意味の世界
前も全問答の回あったけれども
確かに近いのかなみたいなね
そもそも質問自体に具体的に答える必要は
基本的にはなくて
その具体的なものにとらわれてる
あなたを恥じよう
みたいな恥じようというか
そこに気づけみたいな意味で
なんかはぐらかしたような質問になってる感じ
そうね
なので全問答的には
たぶんはぐらかしてないんだよね
まっすぐ誰もいませんって時に
いやいるじゃんっていう感じなんだよね
だからまだ誰もいなくなってから答えないよっていう
最後竹作りに行くのは
たぶんちょっと芝居がかかってるかなとは思うんだけど
ちょっとその師匠側のオリジナリティを出し合ってるみたいな
そうそうそうそう
そこにはやっぱり竹は別に長い竹がいて
別に長くなろうと思って長くなってるわけでもないし
短い竹も別に短くなろうと思ってなってるわけでもないと
だから別にボダイダルマの人も別に
もちろん
これ実は理系的な背景もあって
そのダルマさんがなぜインドから中国に来たんですかっていう質問は
結構定番の質問なのよ
ああそうなんだ
歴史的にとかそのいわゆる論理的に話すと
インドから中国にそういう前というか
自分の教えを伝えるために来ましたなんだけど
全問答ではそうは絶対に答えないんだよね
そうするとボダイダルマっていう仏というか
悟りのある人がそういう欲求とか何か意思とかっていうものを持って
ようは来たっていうすごく自分の意識にとらわれた人みたいな形になってしまいますと
はいはいはいはい
なのでそれを直接それはあるんだけど
でもその意味とかそういう行動っていうのは
まさにそういう現実的な世界を超えているはずであると
さらにもはやそれはまさに意味の世界であって
その意味の世界としては別に意図があってもいいしなくてもいいとか
別に中国に来たまさに意味があってもいいしなくてもいいみたいな
結構そういうところから全問答としてやり取りを行われてるなっていう感じですよね
なるほどね
ご師匠と弟子のやり取りはその意味で
2回前かなやった時の純粋な意味と実現された意味みたいな感じだったじゃん
実現された意味と純粋な意味そうだね
たぶん師匠側は純粋な意味の方の次元で話をしていて
弟子側は実現された意味での方の話をしてるからそこは噛み合わないんだけれども
ああそうね
自分こそが仏
師匠はそこはどっちも把握してる
もう悟ってるとすればね
だけど弟子の方は実現された意味の世界でしか生きてないから
とかあと前回の話かなとかで言うと
そのどっちかというと価値とかまで含まれた方の世界でしか生きてない
というところを師匠はもちろん自分も昔はそうやって悟る前は教えてもらってたと
でもそうやって悟った今はそのどっちの世界も理解できるという意味で
弟子にまたそういう定番の質問を自分なりのオリジナリティを加えて答えたのかなみたいなね
そうそうそうでも本当そうだね
確かに僕もなんかその
ドゥルーズの話とくっつけて考えてなかったけど
まさにその弟子はやっぱり実現された意味に囚われてるんだよね
そのダルマさんが来たっていうことはきっと自分の説明を教えたかったんだろうとか
何かそういうすごい極意があったからとか
多分そういうことを考えてたと思うんだけどそんなことじゃないんだと
そうそうそういう意味を知ることで自分もねその意味を知ることで自分を高みに近づけるんじゃないかというかなりテクニックベースの話
そうそうそうそう
スポーツとかやる時も一郎とか大谷のバットの持ち方とか構え方とか
足の置き方がわかれば自分も強くなるはずみたいに思ってるんだけれども
やっぱそういった偉人たちがその実績とか成果を出し続けている
それだけのことを成し遂げたっていうのは実はそこじゃないとこに本質があったりすると思うんだけど
何かそういう感じに似てる気がするよね
だから一郎にさバットの持ち方を教えてくださいとか聞いても多分はぐらかされるじゃん
多分知らないけど
高校生とか教えてもいいけどねみたいな
ちゃんと具体的な教え方はしてるんだろうけど
多分ねプロが聞いたらとかね素人が聞いたらもうちょっと精神的な話をしてくれるんじゃないかなっていう
でも素人はそこじゃねえんですよみたいな
小指のこの力を握り具合とか教えてほしいんですけどっていやそこじゃないみたいな
かみ合わない感じをなんか感じたね
それは本当そうだね多分
やっぱり禅門道とか仏の世界でもまさにそれ
要はこれも多分臨座の時とかにお話するんですけど
どうやったら仏になれるんですかとか仏とか一体何なんですかって対して
お前こそが仏だみたいなそういう勢いのある返答とかあるわけですよ
これは一個の理由派ではあるんだけど
要は探し求めるなと探し求めるっていうのは自分から離れて
何か自分とは違うところに本質とか正しいものがあるっていう思考なんだけど
そもそもそれ自体が分別を生むとか良い悪いとかそういう分けていくような思考につながっちゃうんだよね
はいはいはいはい
そうじゃなくて自分こそが仏であるとなると
言葉の意味を超える
要はそれは自分と世界を切り分けないとか
そういうこっちは良くてこっちは悪いみたいなものじゃなくて
全て自分なんだからその中で切り離すこともできない
みたいな方にやっぱどんどん思考としては寄っていくので
それをちゃんと分かれよみたいな
そういう雰囲気を全問答から僕は最近感じるんですよね
なるほどねそう考えたら面白いし滑稽でもあるよね
お互い本気で先生の方はもう理解してるからいいんだけども
学ぼうとする子は本気でそっちに近づきたいと思ってるのに
まるで真逆の方に進んでるよね
具体的なものを知れば知るほど二元論的なとか良い悪い
こういう風にバッと思った方が良いとかさ
思った方が近づけるっていうのは
実はこの仏教とか禅の概念からすると真逆だよね
こう思った方が美味しいこう思ってこう思わなくても良いという方が本質なのに
こう思ってば悟りに近づけるというのは真逆の方向なんだけど
それを本気で弟子側はそっちにハマっちゃうというか
どうしてもそれを気づかせるための全問答としてこういう話もあると思うんだけど
やっぱり難しいよね確かにな
難しい
今の話をねハエトの話を聞いた後だと
この全問答の先生側の答え誰もいなくなったら教えようみたいな
その深みもちょっとなんか分かってきた気がするね
なんかいい?このまま
いいよいいよ
誰もいなくなったら答えようとか教えようっていうのは
それって面白いよね弟子側からすれば確かに意味不明だったけどさっきまで
やっぱりそういった意味のレイヤーだよね
純粋な意味とか実現された意味のレイヤーが違うとことを踏まえると
その弟子はじゃあもし仮に弟子が悟ったというか
純粋な意味的な感覚を得たとすると
多分その師匠がいったら誰もいなくなったらっていうのを
今はね自分と師匠以外のみんながいなくなったらって捉えてたんだけれども
そうするとまずは自分がいない師匠もいない
そうすると誰もいないっていう多分気持ちに出すわけおそらく
そうするともう誰もいないし一輪輪的な
そうすると自分も無だという時になった
自分とある意味同一だったりとかどうでもいいダルマさんが
実は来たと西からこっちに来た
ふーん以上みたいな多分そこに達する
自分がそこに対して意味を求めてたっていうのは
ああ馬鹿らしかったなあれはみたいな来たからいいじゃんって自分はこう思うし
その来たことはもしかするとインドにいた人たちにとってはすごい損失だったかもしれない
そんなすごい人を知ってたんで
そんなとこに意味自分が意味は何ですかって聞いたのは
確かに愚かだったな先生すいませんっていうことが来た時に
その時は本当に誰もいなくなったらその師匠がいったその答えをもう教わってるんだよねその瞬間
だから本当にその先生が師匠がいった誰もいなくなったら教えようっていうのを
もう実はそれが実現されちゃうんだよねその瞬間
教わったみたいなああのことかみたいな
そこまで含めてその師匠の回答っていうのはねなんかすごいなぁとは思ったね
そうだねそう
もしこの弟子がすぐ悟る人だったら誰もいなくなったら教えようって言われた瞬間に
わかりましたではもう答えは必要ありませんって言って去るっていうのが多分正解なんだよね
はいはいはいはい
いやすごいね聞いた瞬間意味不明だったけど
それこそねなんかそうやって追っていくとなんとなくね
ああ深いなぁみたいなのがわかるんですよね
これもね一つの解釈だろうけど
まあねそうそうそう
なんか別に結構難しくって
例えば今の話を解釈できましたって言って
じゃあ悟れたかって言うと別に悟れはしないわけでもね
だしねこの解釈を伝えたから誰もが悟れるかって言ったら無理だって話だし
そうそうそうだからやっぱり全問答はそのワンツーワンというかその場その場っていうのを大事にするっていうのがあって
逆に言うとこれもまた多分どっかでちゃんとお伝えするんですけど
禅における境外化の問題
僕も最近そのいろいろなんか禅の歴史とか調べた時に
やっぱり後になればなるほど境外化するっていう問題があって
あーなるほどね解説書調約とか解説書で悟った気になれちゃう問題みたいな
そうとかあと過去のやりとりがあったよねっていうのを覚えてるから
なんかそのやりとりを繰り返して自分も悟った風に見せるみたいな
見せるはいはいはいはい
本当に悟ってるかどうかは分かんないんだけどなんかそういう返答だけはできちゃうみたいな
なるほどなるほど
だからなんかそういう風にしてやっぱりこうそのままあなたが自分だっていうのは良くないんじゃないかとか
やっぱりそういういろんな動きがあるんですね禅の世界にも
例えばさっきみたいになんか自分は分かりましたねお師匠さんそういう分別ダメなんですねって言って
こいつ見どころがあるなって言われた人が
翌日ぐらいに弟子というか後輩に向かってその人が
お前はそんなのだからダメなんだって言い投げかけて師匠にやっぱりこいつはダメだったって言われる話があって
あーあるんだそういうのも
ダメだったっていうか要はその後輩に向かって言うダメは要は分別を超えた俺が偉いっていうところにまた乗っかっちゃってるんだよね
そうだねそうだね全然価値で判断してんじゃんみたいな
うんうんうん
師匠はそれを見てこの人にはまだ分別を見る目がなかったっていうところをある目から分別のない世界から見てるみたいな
うんうんうん
そういう違いがあるんだよね
なるほどね面白いよね確かにねテクニックでなんとかなるそれで情報が増えればね
そうそうそうそうだからやっぱりその前回お伝えしたような意味っていうのは表現だとか
ドゥルーズの意味は出来事だとかもそうだと思うんだけど
うんうんうん
やっぱりこう普遍的なというかそのなんだろうななんとなく意味の世界みたいなのもあるとは思うんだけれども
うんうん
やっぱりこう一語一英的なところがある種人間が生きる意味の接し方というか
はいはいはい
禅問答を理解するには、言葉の意味を超えるべし!
やっぱりなんだろうなそういう自分にとっての意味とかやっぱり誰かにとっての意味っていうのが大事っていうのはきっとそういうことなんだろうなっていうのはなんとなく僕の中でも分かってきて
だからなんか意味そのものとか意味とは何かとかっていうのからちょっと始まったじゃないですか今回のテーマでいうと
私はやとててやっぱり生きる意味的な話からねもともとあったっていうのもあったしね
そうそうそうなんかなんかその生きる意味一般とか普遍的なものを理解すればなんか楽になるんじゃないかと思ったんだけど
結局はやっぱり自分で体験していくしかないなみたいな
はいはいはいはい
そう自分の人生の意味はやっぱり自分で味わっていくしかないんだなっていうところに今はちょっと落ち着いてますよっていう
うんうんうんうんうん
そうそんな話もありまして
はいはいまあそれこそそうだよね偉人にねこう生きるべしって言われてそれをなぞればね自分は満足なのかっていうね
そうとかさやっぱりこう偉人伝とか小っちゃい頃とか読んでたんだけどやっぱりこういう人にはなれないなとかさ
はいはいはい
こんなすごいなんか休憩しないなとかってやっぱ思うわけよ
うんうん
なんだっけあの誰か忘れたけどなんか指自分の指が全部なくなってなんかそれを元になんかお医者さんになろうとしたみたいな誰だったかな
うーんなくなった
みたいないじめとか
指がなくたのぐちひでようじゃなくて
あのぐちひでようかなのぐちひでようかな
のぐちひでようは指がくっついちゃった
くっついちゃったのかそうそうそうそう
でも僕の指くっついてないし別に
うーん
超具体的な世界で生きてるねそれはね
そうそうそう
昔のね感覚ね
でもそれやっぱり気持ちになるわけよなんか自分もなんかめちゃめちゃそういう不幸な経験があったら
うん
なんかそういう強い気持ちがあったんじゃないかとか思うんだけどそれは逆逆というか別にそうではないんだよね
うん
まあみたいな感じなので
ちょっとね今回その全問答の師匠と弟子の話を取り入れたんですけれども
うんうん
やっぱりこうなんだ直接的に答えるとか
いわゆるまさに具体化された意味
うん
実現された意味の世界でのやっぱり話と
それもっと純粋な意味の世界というか
うんうんうん
そういう世界から見た話っていうのはやっぱり違うんだろうなっていうところとか
逆にまあ仏の世界イコールその純粋意味の世界だとまでは言わないけれども
やっぱりそういうところの近さがちょっとあるんじゃないかなっていう感じはなんかしてるんですよね
うんうんなるほどね
確かにハエトが前回言ったかもしれないけどね
そうやってその純粋な意味っていうのと実現された意味だったりとか
うん
前回の山内特留さんの話で言うと意味の上に乗っかった価値っていうところまで含めた
意味&価値みたいなやっぱり2つがあった時に
そこそ意味だけの世界の方がいいんだとかこっちが悪いんだとか
そこがやっぱりどうしても2つに対立軸作って二言論的に話しちゃってるから
うん
そこすらもねなんかね今回のしかも話が意味をテーマにして
純粋な意味側の世界をちょっと覗いてみようみたいな雰囲気だから
なんかそっちの方が数行であるみたいになりそうだけど
それすらもさっきの全問答で分かった気になった弟子が
後輩に「意味の世界の方がいいんだってよ」みたいな
「お前分かってないな」って言うと同じようになっちゃうってことだよね
そうそうそう
結局それは価値の世界に生きた中で意味の世界を見てるだけだから
うんうんうんうん
だからそれこそいずれ老子とか早子とかそっちの中国思想もやっと僕もちょっと今さっき読み始めていて
ほうほうほう
うんそこもやろうと思ってるんですけど
やっぱり無為自然みたいななんかもう何でもありじゃないけど
別にその囚われるみたいな話とか
やっぱり別にその何が上で何が下とかないよみたいな世界っていうのはやっぱりそこに結構近いなと思っていて
だからあるがままじゃないけど
やっぱりこう何かが良い悪いとか
なんかこれは例えば雨が降ったら憂鬱で晴れたらハッピーみたいなのって
まあ多分人間のなんだろうなホルモンバランス的にとかあるとは思うんだけど
やっぱそれにやっぱり支配されてもいいんだされても良くって
うんうんうん
雨の日だから元気にならなきゃいけないとかっていうのも価値判断だし
どっちかっていうともう雨の日はずーっと沈んで春の日はカラッと過ごそうぐらいな感じ
それが自然だよねみたいな
はいはいもしそれで困ってる人がいたらねって話
そうそうそうそう
はいはいはい
だからあとはその前的なマインドフレンス的なあれがままにやっぱ見つめようとか
今ここに生きようとかあれもちょっと限定化されすぎてる気はするんだけれども
あんまりそれ判断しない?みたいな方に行くと
よりちょっと意味の世界に近づいていくというか
そのなんだろうな
僕らが普段持っているなんかあれはダメこれは良いとかって
そういう世界からちょっと楽になれる
逃れて楽になれる
はいはいまあ確かにそうだねさっきその今回の意味純粋な意味の方に
とらわれちゃダメみたいな話はしたんだけれども
基本的にあれだもんね自分もそうだけど
今回の話聞いて思ったのは
じゃあその何にとらわれてるのかっていう話で言うと
今ハイトが説明してくれたと思うんだけど
どういう仕方というとやっぱり社会的に決まった構造
価値観に縛られた生き方
構造的に決まっている価値だったりとか意味だったりとか
そういう方にむしろ縛られてるじゃんって話したもんね
そういう意味で言うとその二元論の結構そっち側に寄っちゃってる
実現された意味とか価値みたいな方だけでやっぱ生きちゃってる
それはちょっとフラットじゃないとある意味今回の話で言うと
そういう意味で今回は純粋な意味の世界だったりとか
そういうちょっともっとフラットな一元論的な感覚も持っておくと
さっき言った雨の日だからちょっと落ちるなーっていうことに対して
罪悪感を持っているっていうのは結構構造的に
モラルとか一般論的なところと自分の感覚との差に
なんか無意味に苦しんでるみたいな話で
一元論的な世界から言うと人間そういうもんだしどっちでもいいんじゃないっていう
なんかそっちからも捉えられるよねっていう
そこで初めて今多分天秤がそういう現実というか価値の方に寄っちゃってるから
一旦こっちの一元論的な方もしくは純粋な意味の世界のことを
ちょっとこうまあなんとなく頭に入れておくことで
天秤をちょっとこうフラットに戻せるかもねっていうような感じがしたかな
そうだね確かにそのぐらいの取り方がいいかも
だからすごいねこの意味の世界に寄っちゃうと天秤が逆転して
具体的な価値とは価値には何の意味もないとかって言い始めちゃうと
それはそれでちょっと怖いよねっていうね
そうそうそう
そうなるとヒリズムだったりとかそれこそ教務主義とか
やっぱり革命的な思想になっちゃうんだよね
天秤の価値を転換しなければならないとか
っていうまた一個の価値とか一個のイデオロギーがなっちゃうから
結局人間の脳の中で生きてるんかいみたいな逆の方に増えたわけじゃないかってなっちゃう
だからやっぱりいわゆる中道みたいな
アリステルスとかも言ってる中みたいな話もあるし
リュウジナガルジナってやったと思うんですけど
やっぱり中みたいな話をしていて
それは間っていうよりはやっぱり動きの中でもバランスなんだよね
やっぱり価値に寄りすぎてなって思ったらもうちょっと意味の方が大事にしようかとか
でもやっぱりとはいえ価値を持ってないと生きにくい世の中であることは間違いないから
じゃあもうちょっとやっぱり価値でバランスとっていこうかとかっていうのもあるし
あとやっぱりお金稼ぐとかも別に否定はされないというか
その時も面白い話があって
これも門道の話なんだけど
もう一個禅門道の面白い話があって
お辞償さんと禅の組織の出稼ぎ頭みたいな人
要は禅の組織もお金は当然必要だからさ
禅の組織を運営するにあたって
調達担当みたいなのがいるんだ資金調達担当
人たちが自分たちで作ったお米とかを街に行って売ってきて
お金にして帰ってくるみたいなのがあるんだよね
っていう時のやり取りなんだけど
調達中に人が帰ってきて
お辞償さんが言うのよ
お米は売れましたかと
売ってきましたと
ちょっと詳しく覚えてない人がいるんだけど
それだけですかみたいな
お辞償さんが言うよね
それだけですみたいな
言ったらパンって叩かれたみたいな話があって
それを見ていた別のお坊さん
修行してる人が
あいつ要はその利稼ぎ頭
調達だからダメだと
あいつは何も分かってないってことを言うのね
へー
お前は何が分かったというのだって
師匠に言われて
答えられなくてその人も叩かれるみたいな
そうなんだ
それは叩かれていいと思うけど
話がありましたと
これどういうことかっていう
これも一個の解説なんだけど
要はその調達だからの人は
当然お米を売ってきて
お金に変えるっていうのが役割ですと
で、お金は全部
お米を売り切って
ちゃんとお金に変えてきましたよと
だから一個仕事はしてるわけだよね
そうだね
でも師匠はそれに対して
それだけかっていう風に言いますと
要はそのお金をちゃんと稼ぐっていう役割を
務めたのは分かったけれども
あくまでも善の修行をしているんだったら
そのお米を売るっていう行為に
とらわれていてはいけないよと
それを達成したからといって
じゃあお前の本当に心とか
体っていうのは
仏の世界に近づいたのかっていう問いなんだよね
うーん、なるほど
だからお米を売るっていう行為の中にも
お金を稼いだ方が良いとかっていう思考から
離れた上で売らなきゃいけないとか
それにちゃんと気づきながら
自分はお米を売ってはいるんだけれども
これはやっぱ修行の一つであるみたいな風に
ちゃんと捉えられてますかっていう話なんだよね
お金と禅の世界
おー、はいはい
言われればなとか殴られたらちょっと嫌だな
それに対して
三岐で見た人は
そうそう、お米売ってお金を買えてきて
よくやったしめしめみたいに思ってるのは
善相としてあるまじき態度だっていう意味で
それじゃダメだよねって言うんだけど
それに対して師匠はお前分かってるかって言って
答えられないと
何かっていうと
そんな仏の世界に行こうとはいえ
日々やっぱご飯を食べなきゃ生きていけないし
生活にはお金が必要であると
その行為っていうのをやるのがどれだけ難しいか
ってことを分かって
お前はその言葉を投げかけたのかっていう話なんだよね
はいはい、そこそこ人から聞いたことを
そのまま話してるだけでしょみたいな話ね
意味の世界と価値の世界
それか自分はできてる気になってるけど
本当にできているのかっていう話よね
あー面白いね
ただ単に人を批判する人は
それ分かってなさそうだもんね
確かに
そうそうそう
苦労とか大変さとかね
そこで自分と相手っていうところで定義つけちゃってるし
ちょっとマウント取っちゃうみたいなのって
ちょっと悟ってなさそうだもんね
そうそうそう
俺は分かってるぜみたいなタイトル自体が
やっぱり本当に分かってるのって
やっぱり言われちゃう好きになっちゃうんだよね
実際分かってないしってことがバレちゃう
だからね
そういうのが露呈しちゃうしみたいなね
はいはいはい
みたいな話があって
ただそのちょっと話ずれちゃったかもしれないんだけれども
やっぱり意味の世界とか仏とか悟りの世界に生きながらも
やっぱり僕ら価値の世界とかそういうお金とか
いろんなものをやっぱり人と交換するって世界に生きなきゃいけないんだ
なるほどね
これが今だけじゃないんだね
そうやって当時からお米を売りながらっていうところを
禅問答を理解するには、言葉の意味を超えるべし!
すごくそのフラットな感覚で取れなきゃいけなかったんだね
その人たちは
そうそうそう
やっぱりそれをどう両立するかってすごく難しかったんだと思うんだよね
昔はさいわゆる古事記古辻記で
人からお金をとか食べ物を恵んでいただいて
成り立てたものがやっぱりそれがうまくいかなかったりとか
人が増え続ける中で
いわば施しを受けるだけではなかなかその集団が維持できなくなってきた
という歴史的な中で
そういう自分たちで農作業をするとかっていう労働が発生してくるんだけど
そういう善の集団の中にも
でもじゃあ労働って要は何かを期待して
収穫を期待してやる行為だから
やっぱりすごく分別っぽくなっちゃうんだよね
たくさん取れたら嬉しいしとか
少なかったらダメだし
もっと頑張りたくなるしっていうやっぱり気持ちになっちゃう
でもやっぱりあくまで我々は善の道を歩んでいるんだから
それにもやっぱり心を踊らされたらいけないよみたいな
そういう世界観が面白いなって思ってるんですよね
確かに確かにそういう話聞くと
善問答だけ聞くとすごく高尚な教えみたいな感じがするけれども
生活に密着した農作物を育てるとか
それを売りに行くみたいなところまで含めて
そのだけフラットに
現実はやっぱり食わなきゃいけないんだけれども
とはいえそこまでで徹底すべきである
その中でちゃんと成果も上げるみたいなのって
確かにすごいやっぱりその修行っていう意味では
ことをやってるんだね
そうそうそう
やっぱりね知れば知るほど面白いし
やっぱりそんな簡単じゃないなみたいなことを思いながらやってるんですけど
やっぱりそんな感じで今回ちょっと意味について
いろんな切り口から話すと言葉の意味みたいな話と
デルーズ・山内特留さんであとは禅っていうところからお伝えしてきましたと
次回は雑談的な感じでそれを振り返りながら
ちょっとまたお話ししていきたいなと思うんですけれども
なんか僕もちょっと今回に改めて台本作ったりとか
台本作成に込められた意味
こういうとお話させていただいて
やっぱり結局は当たり前の話で落ち着くなとは思うんだよね
要はなんかちゃんと一期一会を大事にしましょうとか
そう自分の感じているまさに意味っていうものを
それに敏感になりましょうみたいな
意外とでもそうやってやっぱりやりにくかったりとか
やっぱり他の人の価値基準
外の基準に流されちゃうっていうのって
やっぱりよくよくあるよなと思うので
そこ基本無自覚だと思うんですね
なかなか無意識だと難しいからね
やっぱりこれをちゃんと言葉にするとか
自分なりにちゃんと理解をしたりとか
っていうのはそれこそ自分にとって意味がある行動だなと思って
引き続きやっていきたいなって思ってる感じですね
次回は臨済について
次回は雑談という形でまたお話をして
その次はまさに今日の禅にもつながるんですけど
臨済っていう仏教の流れの人の話をしようかなと思いますと
日本でも臨済宗って英才かな
日本に伝えてはみたいなのを歴史で習った方もいるんじゃないかなと思うんですけど
あの臨済ですね
なんかよく比較してるのは宗洞宗と臨済宗だけか
そうそうそう宗洞宗が道元がやっている方で
あれもルーツは中国の方にあるんですよ
臨済も中国の人でそこから日本に伝わってきて
臨済宗と宗洞宗って別の禅の流派になってるみたいな感じ
その中の臨済宗だけなんだね
道元もいつかやろうと思ってて
そこは別にセットじゃないんだ
別に歴史ではセットで習うけど
別にセットでやるような話ではないんだね
そうね
なんかそれこそ宗洞宗的な禅と臨済宗的な禅の
いわゆる対立というか
それぞれの思想の違いとかもあったりして
そんな話もね次回織り混ぜてお話を聞くんじゃないかなと思っております
はいはい了解
引き続き禅問答ひたすらやるとかじゃなくて
もうちょっとそっちの臨済宗とは何かみたいな話をしながら
そうねそうね
臨済さんどんな人なのとか
禅の流れってどんなのがあるのとか
ちょっとまた話を戻して
そういうソイテッドラジオっぽいというか
そういうちょっと知識もお伝えせつ
禅問答的なこともお伝えせつみたいな感じで
また次回からやっていこうかなと思うので
今日というか特別編は今回までという感じでございます
はい了解です
皆さんちょっと特別編ですね
4回か5回渡ってお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございました
はいまたね雑な挟んで次回から普通に戻っていきますので
引き続きお楽しみいただければと思いますので
よろしくお願いします
お願いします今回もありがとうございました
(♪ BGM)
42:53

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