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  2. #341 神道と朱子学を合体!山..
2025-08-06 45:03

#341 神道と朱子学を合体!山崎闇斎が庶民に広めた朱子学の思想

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のエピソードでは、江戸時代の思想家である山崎闇斎が、朱子学と日本の神道を融合させた独自の理論「スイカ神道」について探っています。彼の考え方が民衆にどのように受け入れられているのか、仏教との関係や社会的な倫理についても解説されています。このエピソードでは、山崎闇斎が神道と朱子学を融合させ、庶民にその思想を広めた方法が紹介されています。特に、自然や祭りを通じて日常生活に根ざした教えを分かりやすく伝える重要性が強調されています。また、山崎闇斎が日本の庶民に朱子学の思想を広める過程を中心に、神道と朱子学の融合について考察されています。さらに、彼の影響力が後の歴史的事件や人物にどのように関連しているかについても触れられています。山崎闇斎は朱子学の思想を庶民に広め、日本の思想と学問の発展に寄与しています。

山崎闇斎の紹介
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、江戸時代の思想第3回ということで、今回は山崎闇斎さんを見ていくというところでした。
はい。前回ですね、藤原誠家さんと林ラザンさんという師匠と弟子ですね。
この二人の活躍によって、江戸幕府、それこそ徳川家康の時代に、朱子学とか哲学というのは、
制度とか政治から教育から浸透していって、世の中に広まっていきましょうみたいな話をしたと思うんですけれども、
言ってもそれってあくまで上からの押し付け的なというか、ちょっと官僚主義的なところがあるわけですよね。
はいはい。でも逆に言うと、仏教もそうだけどさ、上からじゃないのって日本であったの?っていう話も出てくるので。
まあ確かに確かに。せめて言うと、それがあったからとも言えるんだけれども、やっぱり民衆をベースに広がっていく宗教、それこそ一変の踊り伝物とかもそうですけれども、
要は本とか広めてもね、前回ラザーンさんが本とか書いても、読めない人は読めないし、そもそも読む機会がない人なんてたくさんいるわけですよ。
あの、宗教とかの存在すら知らないよみたいなね。
そうそうそう。もう自分は関係ないって人当然いるわけで。
その時に、やっぱりどういうふうに広めていくかっていうと、やっぱりもともと日本にあるものとか、もともとみんなが身近なもの。
まあ一変で言ったら踊りとかもそうと思うんだけど、踊り伝物のね、っていうような感じで、やっぱりそこにくっつけていくっていうふうな発想があるわけですよ。
山崎安西さん、今日の人はですね、もともとは仏教を学んだんですけれども、そこから朱子学をめちゃめちゃ深く理解して、それを日本の神道に掛け合わせるんですよね。
当時それ自体は結構いろんな人がやってたらしいんですけれども、神道と朱子学を結びつけていくっていう中で、その中でも一番有名なのがこの山崎さんが作ったスイカ神道っていう独自の神道理論みたいな。
スイカってタレルに加えるって書いて、これが山崎さんのビジネス命令じゃないけれども、そういうふうに使った名前に沿ってるらしいんですけれども、こういったものを作っていきますと。
それがどんなふうに作られた絵とか、どういう意味を持ったのかっていうところをお伝えすることで、さっき言ったような上からの、いわゆる朱子学、朱学と、下からというか、民衆に広がっていく朱子学、朱学みたいな、そういうところをお伝えしていこうと思ってますというような感じですね。
ちょっと民衆を言い過ぎたかもしれないけど、その辺も含めてこの後伝えていくんですけれども、彼は生まれが1619年なので、江戸ばっくりになってからですね。
朱子学と神道の融合
なので林ラザンさんとかに比べても一世代、一歳、下というか若い人なんですけれども、彼も京都に生まれておりますと。こういう人の知恵なんだけれども、やっぱり最初仏教で比叡山で出家するんですよね。
やっぱりそこでちゃんと学んでいくんですけれども、彼も見切りが早くて、「ちょっと仏教だともう無理だわ。自分のやりたいことできないし、心理とか取り付けないし、世の中もよくできませんわ。」みたいなことを思っちゃうんだよね。
これは結果論だけれども、若干当時のその辺のセンサーが高めの人のトレンドなのかな。
そう思うし、時代的には仏教で救えるのって、やっぱり来世とかそういうものだったりするじゃないですか。
でもやっぱり現代の、当時の江戸時代からすると、今生きてるこの世の中で自分でどうやって生きたらいいんだろうとか、社会的な倫理だよね。
やっぱり仏教って自分のことに向き合うから、世の中がどうとか社会がどうとかってあんまりないんだけど、今この江戸幕府っていう国がどんどん打ちかかってる中で、
どんな社会にしていくのがいいんだっけとか、その中で自分の役割とかってそっちに意識がどんどん向いていくわけなんだよね。
私、実際あれだもんね。こちらは意図せずとも、江戸幕府の方はそういった林寺さん的な人によって、
朱子学っぽい法律だったりとか文章だったりとか、いろんなことがあるから、もう触れざるを得ないみたいな感じだったね、そういう空気に。
知識人としてはそれを理解しないといけないしとか、あと単純にこれも書かれたんだけれども、仏教ってどこまで行ってもぼんやりしてて分かりにくいんですよね。
実際朱子の時にも、やっぱりそういう仏教っていう分かりにくいものじゃなくて、当時の知識人の人からするとある種すっきりした、ちゃんと理解しやすい学問としての朱子学、朱子の考えっていうものが受け入れられたのかってあると思うんですけど、
そういう感じで普遍的な秩序、まりみたいな話とか、それと気があるし関係性がしあって、中でこの宇宙ができるんですよみたいなことってちゃんと説明できるじゃないですか。
朱子学的な考えの方からある意味仏教を飲み込めるというか、
3教5一だっけかな。
前回で3教5一っていう、仏教と朱子学と道教が一緒ですよみたいな話をしたと思うんだけど。
その時のパワーバランスが、前だと仏教が他のを飲み込む。
道教でいうこれも空だよね、みたいなのを説明できるよね、みたいなのが、ちょっと逆転現象みたいな。
仏教でいう空気って対極っぽいよね、とか、それを理想的に説明した方が仏教も分かりやすくない、みたいな、そういう感覚になるってのはありそうだよね。
そうあると思うし、今回名前を挙げているような人たちはもう本当に10学に別途しているので、もっと言うと仏教を捨てるんだよね。
捨てちゃうんだね。
捨てちゃって、いやもう朱子学10学こそが大事ですっていう風にして、3教5一っていう発想じゃなくて、10学こそが唯一だみたいな。
そこまでやっぱり踏み込んでいく人たちが、やっぱりこう歴史に残っていくっていう感じなんだろうね。
っていう意味で、その朱子学というのはやっぱり分かりやすさ、そのロジック性と、あとちゃんと社会的な倫理にも応えてくれる。
どう生きていけばいいのかとか、社会をどう作ればいいのかとか、そういうことを教えてくれるということで、そっちがいいんじゃないかっていう風に入っていくんだよね。
朱子学の話はぜひまた手記会とかを聞いていただければと思うんですけれども、
安西さんはそれをちゃんと学んでいった上で、さっきもお伝えした通り、日本にもあるしずっと伝わってきている神道ですね。
これと朱子学を結びつけるというか、本当にまさにアウフヘイベンしちゃうんだよね。
そうなんだね。
矛盾してるかって言うと難しいんだけれども、何かっていうと、神道と朱子学を結びつけようとか、日本古来の神様みたいなものを朱子学的な世界観でちょっと説明してあげようみたいなことって結構いろんな人が言ってたらしいんですよ。
ごめん、ちょっとずれちゃうかもしれないけどさ。さっき三教合一ってあったけどさ、そこに神道って入ってないじゃん。
入ってない。
神道って何なの?
神道とは何かはね、たぶんそれだけ1回テーマになるから難しいんだけど。
そうだよね。前の日本の古代の思想みたいなのを軽くやったかもしれないけれども、そういう感覚、例えば朱子学やった時もあったけれども、中国に昔からなんとなくあった大極みたいな概念をちゃんと混ぜた感覚があったんだけど、
日本はその大極、中国でいう大極が日本だと神道的な感覚みたいな、ちょっとそういう感じで日本にはなじみがあったみたいな雰囲気だったのか、明確にさ、うちは神道ですよみたいな感じだったのか、
スイカ神道の意義
いやいやうちは仏教ですみたいなさ、そういう立ち位置だったのか、それともやっぱり神道みたいな感覚がベースにあった上での仏教だったのかっていうのはあるじゃん、やっぱり。
あるね。それでいくと、やっぱりその本地衰弱説ってあるじゃないですか、要はインドの神様、仏教の神様が日本の神様と同一だみたいな発想できようじゃないですか。
なんかその、古代の日本の時に聞いたような気もするっていう感じかな。
っていうのがあったから、やっぱりそれがくっきり分かれているよ、なんとなく、確かに今神道的なものって言って、神道ってなんだって言われた時にすごく難しかった。
今僕らが触れている、いわゆる神社とかを想像したりとか、まじ天皇が神様の子孫でとかっていうのも一部はそうなんだけれども、
多分当時の神道とはまた違うはずなんだよね。
ああ、そうなんだね。
ちょっとごめん、そこで今、僕の知識で伝えられないんだけれども、なんとなく日本の古来からある日本の神様を信仰するという働き?
ああ、の方が近いんだね。今の神社の感覚とかっていうよりはもうちょっと自然信仰というか、そういう素朴な信仰の方が近いかなみたいな。
そうですね。
というぐらいのイメージでやっていただきたいんだけど、要はその日本の常識、日本のそういう自然感とか、なんとなく神様ってこういうもんだよねみたいな感覚と、
その中国から来た史詩学っていうものをどうやったらブレンドできるのかみたいな。
はいはいはい。
そういうようなことをやっていく人たちが当時いたんだけど。
オッケーオッケー。そこはさ、なんかその浸透がぼやりでもいいから、今の浸透とか天皇が云々みたいなところと混ぜたのか、
そのもうちょっとぼやっとした、さっき言った古代から続く日本のなんとなくの雰囲気みたいな、そっちを混ぜたのかちょっと理解が変わるかなと思って。
一応そういう質問だったっていう。
オッケーです。
ちょっとこれ後にも増えるんだけど、どっちかっていうと天皇が云々みたいなことよりは、やっぱりそういういわゆるお祭り、
まあそういう祭祀、お祭りごととかあるわけじゃないですか。
それこそ神社とかでやってるようなこととか、なんかその道徳的にこうすべしというか、こうあるのが良いみたいなこと?
っていうところに、トータルでその日本の神様的なものとか、日本人としてこうあるのが良いよねって、なんとなく感覚があるわけだよね。
そういうものを、そういう儒学とか修学のいわゆる言葉を使って説明していくみたいな、そういうことをやっていくんだよね。
なるほど。オッケーです。
というときに、アンサイさんのスイカ神道がなぜすごいかっていうと、結構他の人も頑張ってるんだけど、結局はちょっとくっつけてみましたとか、
なんとなく引っ張ってきましたみたいな、やっぱり理解も浅いから、作ったものもちょっと補足されてるけど別にそれってただの神道じゃんとか、
それってじゃあそもそも主修学じゃんとか、そういうふうにバランス悪くなっちゃうんだよね。
でもこの山崎アンサイさんは主修学もめちゃめちゃ詳しいし、神道もめちゃめちゃ勉強して、ちゃんとその師匠について教わったことで、
両方の接点がここにあるみたいなのをバシッと掴んだらしいんだよね。
あー、なるほど。
それがさっき言ったような、いわゆる神儀礼、地の礼ってあるじゃないですか。
この礼っていうものは、当然古代の皇帝のいわゆる儀礼だったりとか、皇子が作ったようなその礼とは何だよみたいな話なんだけれども、
この礼っていうものが、日本におけるさっき言ったような儀礼、いわゆる古から続いている神様への信仰の仕方だったりとか、
お祭りのやり方とかね、祭りごとのやり方とか、そういうものに対して当てはめることができるんだと。
っていうふうにして、ただ伝道的に続いてきたっていうだけじゃなくって、そこに礼っていう言葉を当てはめて、
ちょっと体系的にするというか、概念化して、これが日本の礼だよみたいな、いうふうに説明していくってことをやっていくんだよね。
あー、なるほど。
神道ということはだけれども、さっき日本の古来からあったぼんやりした雰囲気みたいな、神道の感覚としてみたいな話をしたんだけれども、
そのぼんやりした神道みたいなものをちゃんと言語化したみたいな感じに近いのかな、日本人からすると。
神道を言語化したというよりは、そこに型を作ってあげたというのが正しいかな。
神道そのものを言語化したというよりは、そこに朱子学の言葉を当てはめていって、
こう解釈したらいいんだよっていうふうな、まさに解釈を作ってあげたっていうのが正しいかな。
それは結局どっちなんだ?それは朱子学なの?
だからスイカ神道なのよ。
神道と朱子学の関係
神道なの?どっちなの?
それは神道です。
神道ではあるんだ。
神道ではある。神道ではあるんだけど朱子学ナイズされてるって感じなんだよね。
えー、まだちょっとわからんな。
もうちょっというと、さっき山崎アンサー先生がどっちかっていうと民衆というか、そういう人に広がりましたって話をしたじゃないですか。
これどういうことかっていうと、さっきさ、仏教はちょっと抽象的で朱子学はより論理的でわかりやすいのでロジカルだとかって話をしたんですけど、
言うても朱子学も当時の日本の感覚化するとめちゃめちゃ抽象的なんだよね。
要は理って何ですかとか、最極って言われてもみたいな、僕らはある程度そういう抽象的な発想の訓練は受けてるから普通にね、学校教育とかで。
満足言われた時に、そういうものを想定すればいいんだよねとかってやっぱりなるんだけど、
またその、逆に中国の方だと理とかって当たり前のようにずっとある感覚だから、
理ねって言われたら、ああ理ね、わかるわかるみたいな感じで、具体で取られるらしいんだよね。
なるほど、はいはい。
でもそういう、理とは何かがない日本において、いきなり理と気は一緒だとか、
理というものが世界の根本にあってみたいな話をされても、全然わかんないんだよね。
確かに確かに、どっからね、とかかりがないもんね、確かに。
そうそうそうそう。
なのでそれを、前回とおり仏教的に理解するとかってことをいろいろやってきたんだけれども、
仏教的な知識の素養もない、なんとなく信仰心はあっても、別にそういう仏教の教えを学んだわけでもないし、
教学を学問としてやったわけではない人からすると、やはり理とかっていうものをポンって言われても、
全然やっぱりわかんないんだよね、どう落とし込んでいいか。
なるほど、確かに確かに。その理ってじゃあ何ですか?具体的にはどんな感じですか?っていう。
あ、そうそうそう。それで何?っていろいろ言われても、そっちの知識もわかんないから、
もうわかんないことをわかんないことで説明されるみたいな感じになっちゃうんだよね。
抽象的な話もよくわからんしねっていうね。もっともっとちゃんとって、あの草みたいな感じみたいなね。
そうそう、教えてよみたいな感じあるし、そして学問的なものもあるし、あと一個これ面白いなと思ったんだけど、
これ朱子学であれ、大陽明の陽明学であれ、やっぱり政治になりましょうと、政治ね。
そのためには自分の研鑽とか努力が必要ですよっていう、自分を高めていって政治になるみたいな、
誰としても権威を持ってますみたいな発想だったって言ったじゃないですか。
これって言い過ぎだけど、当時の中国からすると、やっぱり努力して頑張って勉強して、
自由を高めていくみたいな、そういう風な発想とは非常に相性がいいんですよ。
当時の江戸どうかっていうと、もう知能構成、身分は分かれてます。
努力しても別に何か変わるとかっていうことがない時代というか世界なんだよね。
なるほど、そうか。中国は官僚制で、しかも架橋があるから身分問わず頭を蹴ればいけるっていうルートがもうできてるんだけど、
日本は言うて封禁制だから、あんま町民とか農民から、
そっちに上が上っていうか、別の仕事をするっていう概念があんまないんだね。
社会的地位を高めるイコール、自分を高めて何かになるみたいな発想が薄かったんじゃないかと。
庶民への理解の促進
これは多分、いろいろ諸説ありますのほうだと思うんだけども。
だとした時に、やっぱり出資学を学んで、自分の健算を積んで成人になりましょうとか言われても、
そもそもその目的自体にも全然共感できないわけなんだよね。
明日も畑とか生やすんだけど、みたいな。
成人で中国のよくわかんない古代の皇帝の話とか言われても、全然わかんないし、
孔子って誰だよ、みたいな。
しかも予想は予想だよね。
うちはうちだから。っていう時に、そもそもわかりにくい理とか気とか言ってわけわかんないようだし、
成人になろう、よしみんなで頑張ろうとか言っても、全然頑張りたくありません、みたいな。
そういうのがあるし、一般的な感覚なんだよね。
だいぶ前回とも違うね、感覚が。
全然違う。前回は国を作る人たちだから、そういうのを使って教えをしていきましょうとか、
学ばないと仕事ができないから。
そういうふうに、大名としてやるには、
ブケションハットのことを理解するには、中国も一緒にしなきゃいけないから、勉強しましょうとか、
ということとは全然違う、一般民衆というか、
人たちがいるわけなんだよね、一方には。
っていう時に、やっぱり林平山のやってるようなことでは、広まってはいかないわけですよ。
確かに今の通りだね。なんで勉強しなきゃいけないのか、そもそも。
勉強したいと思っても分かんないことが多すぎて無理ですみたいな。
なんでなっちゃう時に、この山崎アンサー先生がやったのは、要はいやいや神道なんですよと。
みんなが知っている、普段信仰している自然的なこととか、
普段やっている祭りごと、あるじゃないですかと。
それを学ぶ、私の考えた追加神道というのを学ぶことが、
すなわちみんなが知っている神道というものを通じて、
主治学とか授業学を理解することなんですよ。
みたいな風に接続していくんだよね。
なるほど。
うまいでしょ。
うまいし、だから神道なんだ。
そう、だから神道なんです。
神道だから神道なんじゃなくて、今のような順序があるから神道なんだね。
そうそうそう、そうなんですよ。
OKです。
なので、主治学者なんだけど、やっぱり広めたのは神道として広めたみたいな。
そういうところが、この時代のある種うまいやり方というか、
彼がたどり着いた、自分の考えたことを実現する方法だったんだよね。
なので、結構面白いというか、発想としてはやっぱり難しいことは言わないんですよ。
今は仁義礼智とか、職員の情とか、いろんな小難しいことがあったじゃないですか。
そういうのを一旦置いておいて、もちろんそれもあるんだけれども、
そいつをわかりやすくして、君臣の義ですね。
前回は君臣の忠って言っちゃったんですけど。
もう覚えてないからどっちでもいい。
だめか、どっちでもだめか。
だめです、ちゃんと言わないとね。
やはり君臣の義、君主と臣下というのは慈しみの心で互いに結ばれてるよねとか、
あとは親子ですね、父子の臣下、親ですね、親愛の臣、親しいとかの、
という思いというものがあって、
この2つをある種、聖火神とお腹では第一にするよというふうに、
すごいわかりやすくしちゃうんだよね。
でも当時で言ったら、仕える人がいない、
臣下はいないし、親がいない子も、
もちろん亡くなってとかあるかもしれないけど、
誰しても人の子だよっていう時に、義と臣ぐらいはわかるでしょと。
別に難しいこと言ってないんだよというふうにしながら、
教えていくんだけれども、ただ面白いのは、
それだけの単純な素朴な倫理観というか道徳なんだけど、
この義とか臣の奥に実はそういう理というか、
世の中の普遍的な働きというものがあって、
司徒家もそうじゃないですか、いろんな物事に理がある。
それぞれの理があって、それが本質と繋がっているという話だと思うんですけれども、
それをくっつけちゃって、あんたが君主、主君に感じている義の思いとか、
親に感じている臣の思いとか、
それを突き詰めていくと、そういう理みたいな、
祭り事と理の関係
救急のとこにたどり着くんですよっていうふうな、
そういうふうなことを伝えていくんだよね。
なるほど。主視的にも間違ってはいないもんね。
間違ってないですよ。ただめじゃ正しい。
何だっけ、博物知知か、何か、それこそ竹でもいいみたいなね。
何か一個でもいいから、石でもいいから、
それを突き詰めると理に通ずるよっていう意味では、
ある意味その君臣の義とか、父子の臣、親子の臣、
それ一個を突き詰めることに通ずるよっていうのは、
何も変なこと言ってないもんね。
ただ実はこれちょっと軽く理があって、実は。
あるんだ。
本当は理っていうのは何だろうな、
別にそういう、朱子学ではちょっと復習ですけど、
性そくりだったじゃないですか。
人間の心っていうのは、性と情があって、
感情的なものを省いて、性の方に理があるっていうのが朱子学だったじゃない。
朱子学だったと思うんですけど。
そうだったね。
そういう時に、この義とか臣っていうのは割と感情的な面じゃないですか。
そっか。
なので情の話をしてるんだよね。
確かに。
だから本来的にはちょっと違うんだけど、
別にいいでしょっていう感じで、たぶんくるんじゃってるんだよね、これを。
なるほど、なるほど。
これは絶対に自覚し合ってるはず。山崎安西ぐらいだったらそれは理解してるはずだから。
でもたぶんそれでいいんだと。
神道として伝えていくにはそれで良くって。
ただ、なぜ義とか臣が大事かっていうと、
それが世界の秩序に通ずるからだっていう、そこを解釈してるって感じなんだよね。
そっか、そこ直通じゃないんだね。
直通じゃない、そうそうそう。
情と性があるから、そこは間接的にというか、
ちょっとそこはずれる可能性もあるんだけれども、
そこをちゃんとやっちゃうともう分かんなくなるから、そこは追い込み済みでやってるんだ。
そうそうそう。
やっぱり方便的に使ってる部分がある?
自分も今だって納得しちゃったもんね。
いや、そうなんだよね。
それがいいじゃんみたいな。確かにいいと思ったから。
こんな前回ね、朱子学とかさ、両面学聞いてるのにね。
確かにね、結構やったはずだけどね。
でも、やっぱりそれがやっぱり難しさなんですよ。朱子学の難しさだし、
振りとか木とかってやっぱり1回、2回言われただけじゃ全然分かんないから。
っていう風にして、やっぱり現実している親子の真みたいな感情と結びつけちゃう。
例えば、さっき言った例だよね。いわゆる祭り事をするっていう時に、
祭り事自体も朱子学的な理につながっていますっていう風にくっつけちゃうんだよね。
そうすると、追加神道においては、ただ神様を祀るとか、ただ手順にのっとって儀式をやるってことじゃなくて、
そもそもそういうことをやること自体が理の実現であるというか、
もっと言うと神様の意思を示す神聖な行為なんだよみたいな。
やっぱりそういう風につながっていくと、
そういう自分がやってることと、より大いなる存在っていうのかな、
神様みたいなものとか、世界の秩序っていうものがちゃんとくっついてくるよねみたいな。
そういうことをどんどん味付け、色付けしていくっていう風な感じなんだよね。
確かにそこの神話性は高いし、すごい理解できそうだね、そっちは。
そうすると、自分たちがやったことはこれでよかったんだとか、
ただなんとなくやるんじゃなくて、ちゃんとそういう意味があることやってるんだみたいな。
そういう風にどんどん理解をしやすくなっていくんだよね。
そうだよね。大元の理由を知らずにさ、
例えばこっちには30センチの土の山を持って、
こっちにはこのぐらいの大きさの木の棒を立てるんですみたいなのが、
いやいいじゃん、この30センチのやつ50センチでも別に10センチでもいいじゃんとか、
ちょっとこれ意味わかんないから省略しようよみたいなことってどんどん起こると思うんだけど、
山崎闇斎の影響力
いやこれにはちゃんと意味があるんだっていうことを自分たちも納得できるし、
それを人に伝えるときも納得性を持って伝えられるみたいな。
そこも神話性すごい高そうだなと思った。
そうなんですよ。それがまさに神道を主役で色づけとか理論づけするみたいな、
そういう風な狂い見方なんだよね。
そうするとやっぱり一般の人も分かりやすいし、
自分たちがやってることがちゃんと繋がっていくって意味で、
なんとなくその理とか木とかっていうものを、
100%正しくはないけれども理解できるようにやっていく。
そういう風な土台を作ったのがこの山崎安西さんっていう感じなんだよね。
なるほど、これはまた面白いね。
たとえば地方のお祭りとか行事みたいなもので置き換えるとすごい納得感があるというか、
当初の目的も分かんないけど、
こういうもんなんだから準備しろって場面で結構あると思うんだよね、今でも。
そうだね。
地方のお祭りとか。
今でもね。
別にこれいいじゃん、ここまで丁寧にやらなくてもさ、みたいなさ。
そうそうそう。なんでこんな手順が多いんですか。
これとかね、端折ってもいいじゃないですか。あるじゃない。
ちゃんと礼を尽くすんだと。
それがやっぱり理に基づく行為なんだ。
それが神聖さに基づく行為なんていう風に言えちゃうんだよね。
そこの手順を抜かすと、理から外れてやってることに全く台無しになるんだぞっていうね。
説得力が持てちゃいますと。
はいはいはい。
っていうような感じで広まっていくんだよね。
合図藩と教え
まあじゃあこの山崎安西さんのことがいわゆる一般人だけに伝わったかっていうと全然そうじゃなくて、
そういう風にやっぱり本当にちゃんと秩序を理解してる人が発想していくってことなんで、
要は使い勝手がいいんですよ、この発想って。
あーなんか良さそうだね。
そう。すなわちそういうことを考えられる人なんで、
この山崎安西さんと割とセットで名前が出てくるのがですね、
この人は将軍大名か、徳川家康の孫であって、
合図、松平藩っていうのが合図にあるんですけど、
それの祖として知られる星名正之さんっていう人がいるんですよ。
要はその徳川の直系の人がいるんですけど、
徳川家康の異母兄弟か。将軍には家康があったんだけれども、
まず将軍になれる数字の人なんですよね。
人は合図にいて、この人が自分の合図班を作っていくときに山崎安西さんを招いてですね、
いろいろ教えてよと。これから班をまとめていくにあたって、
そういうことを作っていきたいから、
ちょっとそういう教えを一緒に教わりながら作っていこうぜみたいな感じで、
一緒にやっていくんですよね。
合図といえば、これもご存知かあれなんですけど、
幕末に百個体っていう話聞いたことない?
いやー、合図は3回ぐらい言ってるからね。
百個体のうんやつは見たことある。
僕もあんまり実は詳しくないんですけど、
母親戦争で最終、いわゆる幕府側としてやっているのが合図班で、
それが札長の新政府側に討伐されるみたいな話だと思うんですけど、
その時に少年兵が囚われるのは恥だと。
祖先にも申し訳あったということで自殺、自害しましたという事件があったと思うんだけれども、
まさにそういう君臣の儀みたいな話とか、
そういうものを大事にしよう。
そういう倫理観とか道徳観を持ってやっていこうっていうところの、
もちろん全部じゃないよ、全部じゃないんだけれども、
いわゆる基礎にあったのが山崎安西の発想とか、
こういう水化浸透的な自分たちの生活に趣旨学的なものを入れ込もうっていう、
こういうものがやっぱり脈々とあったんじゃないかっていう。
はいはいはい。そこがちょっと繋がる。
そういう風に言われてるんだよね。
はいはいはい。
直接的に繋がっているかどうかは別として、
でもこの影響を感じざるを得ないかもしれないね、確かに。
結構直接的に繋がっている。
繋がっているんだ。
星野正之さんが作った決まり事というか、
合図版こうあるべしみたいなものが受け継がれていったっていうのがあったみたいだから。
ああ、そうなんだ。
白虎隊といえば、ならぬものはならぬみたいなのが浮かんできたんだけど、
今ちょっと調べてみたら、合図版の銃の掟みたいなのがあるらしくて、
その中に出てくる言葉だなって。
なるほどね。
だからまさにだね、じゃあそうするって。
そう思う、そうそう。
そういうのがちゃんと教育というか、
白虎隊のこの話が暗い方の話だからね、あんまりやらないけど、
やっぱり影響してたんだね、じゃあ。
そうそう、欲張るからやっぱり精神性、
やっぱりそういうふうな人を育てようとか、
そういうふうな版作りをしようという時に影響を与えてたっていう感じらしいんだよね。
へー、はいはいはい。
なおね、やっぱりまさに一つの国だよね、当時でいうと、
やっぱり特徴づけるようなことをやっぱりやってるのが安西さんだし、
この山崎安西さんの死後ですね、亡くなった後には、
このいわゆる山崎さんが作った学問、
これは基本学、山崎の崎と文化の門ということで基本学ってらしいんだけど、
こういう学問というものとしてまたさらに継承されていくんですよ。
本来は結構ね、またこれも結構2つに分裂するらしいんだけれども、
史詩学的な部分を良しとする人と、神道とか土地を良しとするような人たちがいて、
特に神道とか良しとする人たちは、やっぱり何だろうな、
まさに霊とかも含めて、日本の古来からあるものが、
いわゆる社会秩序ですとか、うちの秩序と繋がってるですというものがあったときに、
これも幕末なんだけれども、いわゆる尊王上位あるじゃないですか。
いわゆる天皇を立てて外国を排斥しようとか、
やっぱり日本というのはいわゆる皇国、神の国であるみたいな発想というところに、
まさにこの山崎安西さんの考え方、
つまり日本の伝統的なものとか神様っていうものと、
うちの秩序が繋がっているっていう、これが影響を与えてたんじゃないか、
というか一定影響を与えているっていう話もあるんだよね。
人で言うと、例えば吉田松陰とか西郷隆盛、
こういう人たちの発想に、もちろん直接の史詩学とかいろんなものが入ってるんだけれども、
山崎安西の気学っていうものも入ってるんじゃないかみたいな、
そういう話もあるんだよね。
趣旨学の影響
わー、なるほどね。影響はあるだろうっていう話だね。
ある、ある。
なので、やっぱり何か大きなことを成そうとか、
自分の信念を貫こうっていう時に、
やっぱり土台とか、大きな自分を守ってる信念が欲しいわけじゃない?
っていう時に、この山崎安西の基本学とか、
そういう水化浸透みたいな、
そういうものが思想的な土台として、やっぱり自分を高めていくとか、
勉大をしていくみたいなことが起きた時の源流である人。
っていうのがこの山崎安西さんっていうふうな感じらしいんだよね。
いやー、すごいね。だからその、
ある意味この山崎、山崎安西さんは、
ザイヤのただの趣旨学者っぽい人で終わらずに、
そこまで水化浸透を持って、
一般の人もそうだけど、さっき言ったアイズハンを作ったような、
特に家光の兄弟でしょ。
いま兄弟だね。
っていうところまで呼ばれるぐらいの、
影響力がちゃんとあったっていうのは、
ここも気になるよね。なんで?っていうね。
そうね。
やっぱりその、
分かりやすかったのは一つあるんだと思っていて、
さっき仏教を教えたのも分かりにくさから来てるよって話だと思うんだけど、
多分この山崎安西さんは、そういう社会がいろいろできていく時に、
そこから取り残される人とか、ついていけない人も当然いたと思うんだよね。
なるほど。だから前回でやった、幕府の大きな法律とか、
大きな公文書みたいなさ、大きなメディアみたいな、
そこをじゃあ、その網には引っかかりきれない、
さっきの農民とか、実際にアイズハンぐらいの規模をやるときは、
そういうことじゃなくて、ちゃんと実際に住んでる人と人?みたいな。
そういう人に対して働きかける場合には、
この山崎安西レベルの話が必要だったみたいな。
そういうとこもあったのかな。
ある種地に足ついた思想であったりとか考え方だよね。
だからちょっとこれは言い過ぎというか、単純化すぎなんだけれども、
やっぱり前回お伝えした藤原誠家とか林田さんみたいな、
上から試作というものを精度化していった人たちと、
山崎安西さんみたいな、そこではまさにこぼれてしまう人とか、
そこでは情報が行き届かない人にもそれを広めていったみたいな、
両方の動きがあって、より強固に幕府、江戸時代イコール、
文字学というか学問的な基礎というものが作られていったんじゃないかな、
というふうに見えるんだよね。
すごいね、この両輪な感じすごいね。
そうそうそう。だからお互いには別に、
直接やり合ったとかっていうのはないと思うんだけど、
お互いに意識は一つとか全然違うなとか、
たぶん林田山さん側からしたら、
敵のこと言ってるなみたいな感じだっただろうし、
山崎安西からしたらそれこそ御洋楽舎で、
全然経緯に寄り添いやがってみたいな感じなんだけれども、
時代をちょっと大きく見ると両方失ったというか、
両方があって初めてそういう思想的な安定とか浸透というのは、
やっぱり果たされていったよねみたいな感じ。
2人、3人というふうな位置づけなんだよね。
はいはい、なるほど。これはちょっと好意的すぎる解釈かもしれない、
想像かもしれないけど、今はね、
例えば林田山側と、
林田山と山崎安西が、
お互いにこの御洋楽舎名とか、
この趣旨学とか、
授業を分かりづらくしやがってみたいなさ、
ふうには多分思ってなさそうだよね。
そのぐらいのレベルの人たちは、お互いが何をやっているかというのは分かってそうだよね。
それもあるかもね、確かに。
お互いのポジションの違いだけで、お互いが何をやっているか、
どういう深みを持ってお互いがやるべきことをやっているか、分かってて、
外野とかその、
その弟子たちとかは言ってそうだよね。
と思った中想像すると。
確かに、安西先生の方が優れているとかね。
うん、そうそうそう。
確かに確かに。
有沙さんは、確かにどっちも一流であることは間違いないし、
やっぱり影響力もあった人だから、そういう意味では確かにお互いの、
何だろうな、意図だったりとか、果たして社会的な役割とか意義だよね。
うん。
どこへのリスペクトがあったら綺麗な話だよね、それは。
そうだね、そこは。
本当とか分からない。
法理的に解釈するとね。
そうだね、はい。
そんな感じでね、江戸時代の趣旨学、特に初期の話っていうと、
藤原誠家さん、林羅山さん、山崎安西さんという方が名前が挙がりました。
どこでもお話をしてきたんですけれども、
当然ね、前回も言った通り、土台を作る趣旨学っていう土台ができたことによって、
いや、趣旨学、窮屈じゃね?とか、
趣旨学本当にいいんだっけ?って思う人も当然出てくるわけなんですよね。
おー、なるほど。
うん、時代の流れの中で。
うんうんうん。
山崎闇斎の影響
で、いう風な感じだった時に、
趣旨学、何だろうな、乗っかったりするんだけどちょっと違うこと言ってますとか、
ある種の趣旨学を批判しようとして独自のことをやろうとしてますとか、
名前で言うと、例えば中江東樹さんとか伊藤仁歳さん、小牛曽来さんってちょっとマイナーかもしれないけど、
日本史とかやった方は聞いたことあるんじゃないかなと思うような名前ですね。
ふーん。
っていうのがあって、こういった人たちにスポットを当てて、
その趣旨学の王道じゃないところでこんなことやった人がいますよみたいな。
はいはいはいはい。
でもその人がやったことが実は後世にこんな影響も与えてたんですみたいな、
そういうところを伝えることで、江戸時代の人の流れっていうものを、
ちょっとね、より趣旨学っていうものを使いながらお伝えしていこうと思ってます。
それが次回考えたことですね。
ほうほう。うわー、なるほど。面白いね。
だからまあ、ある意味その第二世代、第三世代みたいな感じだよね。
どんどん日本にどう馴染んでいったのか、この趣旨学とかみたいな話になりそうだね。
そうですそうです。
私その、やっぱり趣旨学が土台になった時代の中で逆に考える。
要はもう、趣旨がないときに入れ込むっていう話と、
それがある種常識というか、世の中のこれが公的な学問ですよって中で、
やっぱそれを乗り越えたら全然違う話じゃないですか。
っていうぐらいまさに第二世代として、学問を前に進めていく。
日本の思想を進めていく人たちっていうのが、さっき言った3人みたいな感じ。
もちろんたくさんいるんだけども、結構有名な名前だったりするので。
これたちについてもお伝えしていこうと思っておりますというふうな感じですね。
わかりました。あれはね、ある意味で日本の趣旨学がこれからどうなっていったのかみたいな話になってきそうだなと。
本当にそうそう。
そういうところでより次回ですね、江戸の思想を深く見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回もありがとうございました。
45:03

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