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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本居宣長の思想と批判
はい、江戸時代の思想を6回目ということで、今回はもとおりのりながに入っていくというところでした。
はい、前回までは朱子学ですね。その朱記、中国の朱記に始まって、
そこから日本に入ってきて、林羅山さんとか伊藤仁祭さん、小牛曽来さんとやってきて、
やはり哲学ですよね。こうしたか申し、いわゆる聖人、聖なる人っていうものの教えをきちんと受け継いでいきましょうよと。
受け継げだけじゃなくて、伊藤仁祭とか小牛曽来さんとかは、ある種批判とかもしながら、
自分なりの趣旨役を突き詰めていったっていう感じなんですけれども、
今回ですね、もとおりのりながさんという人やるんですけど、この人はいよいよ受学とか朱子学から離れるんですよ。
どういうことかっていうと、これは小牛曽来さんとか前回やった人も朱子学を批判したけれども、
どっちかっていうと、より後世とか古来の方に帰って、中国語ができたから自分で読むんだみたいな、
そういう話だったじゃないですか。
前回そうだったね。
そうそう。朱子学を批判しても、結局は自学っていう大きな学問、もっと言うと中国から入ってきた学問の中で物事を考えてる人には違いないんだよね。
そうだね。実際問題として、今回の江戸時代の思想の最初でやったとおり、江戸幕府ができたときに取り入れられたのが朱子学だったっていうところから、
受教ベースみたいな、今日本で使える学問としての受教とか受学みたいなものがやっぱりあったってことだよね。
そうだね。まずそれがオソドックスではあったんだけれども、今回の本森信長さん、正直この人はいなくて、今回の江戸時代思想をやったところもあるんだけど、
この人はもちろん受学とか学んでるんだけど、それをきっぱり捨てるというか、めちゃめちゃ批判するんですよ。
ちゃんと取ってはいるんだね。
取ってはいる。ちゃんと勉強してるんだけど、これじゃないってなって、国学っていう、独自のというか、一応原理はあるんだけど、
自分の学問っていうものはこの人が作っちゃうんだよね。しかもそれが日本っていう国において学問をするというか、
日本の考え方っていうものを大事にしようぜっていうふうな発想なんですよ。
もっと言うと、朱子学とかって結局は中国から来たもので、逆に当時の人ってある種ありがたい先進国中国からやってきた本場の学問だっていう感じだったんだけど、
おとろいのゆんながさんからすると、お前ら何言ってんだと。日本にこんな素敵なものがあるのに、そんな外国のものはありがたがって、
孔子とか孟子とかよくわからん、見たことも聞いたこともないようなやつのことを崇拝して、むしろ日本はダメだとか、
日本には本当の道がないとか学びがないとか言ってるなんて気しからんみたいな、そんな感じのスタンスなんだよね。
日本の独自性の探求
そんな結構厳しめのスタンスなの?
めちゃめちゃ厳しい。
自学とか仏教、仏教はそうなんだけど、あってもいいっていう感じなんだけど、それによって人の心があるし、穢れてしまうというか、本当に正しいものが見えなくなっているとか、
むしろ、もとおりのゆんながさんから言わせると、そんな程度の低いものでありがたがってるなんて、みたいな。
いいよ、そんなにもとおりのゆんながさんを悪者みたいにしちゃっていいの?
そのぐらいに対比を作ったほうが面白いというかね。
要はもう仏教のことを我々もう2ヶ月ぐらいやってるじゃない?
そうね、だいぶありがたがってるよ、もう。
ありがたがってるでしょ?
だし、もっと言うと、やっぱり何か物事の本質を追求するとか、何だろうな、何か根源的なものがあって、それにたどり着くために自分の修行をすることが良いのだっていう価値観を2ヶ月ずっと話してきたじゃない?
政治になるには、みたいなね。
そう、政治になるために。
しかもっと言うと、この三角、これのりながさん、今日のりながさんって言ってるんだけど、
下の名前なんだよ。
もとおりさんだといらっしゃるじゃない?普通に日本にも。
たぶんいらっしゃるから、のりながさんって言うんだけど、
そういう物事を追求するとか、不正で理解するっていうのを、からごころ、からって漢字の漢。
いわゆる中国、からの国とかって言うじゃない?中国とかのことを。
東語って書いてね。
そうそう。でも漢字的には漢字の漢って書いてからごころって読むんだけど、
っていう風に言って、それは頭だけで物事を理解しようとする、ちょっと歪んだスタンスだぐらいに言うのよ。
僕らってそれを当たり前に思ってるんですよ。何か勉強をしてとかさ、何か自分で頑張って発展していっても目標にたどり着くみたいなのって当たり前だと思ってると思うんですけど、
そういうスタンス自体が本来日本じゃなくて、災害、特に当時中国から入ってきた外来のものなんだっていうぐらい、そこから否定していくんだよね。
そっか、当時からそんなこと言ってたんだ。
だってさ、この前趣旨学、趣旗をやった時とか要命学を要命やった時にさ、やっぱり現代というか、うちらはどっちかというと要命学的にっていうよりは趣旨学的に物事を理解するような方が馴染んでるよねみたいな話をしたよね。
やっぱり何かをちゃんと勉強して、インプットしてからアウトプットするなりしながら、より理解を深めていくとか知識を深めていくみたいな感じで、要命学的な感じで、
その知恐合一だよね。そのものに触れて、そのものを理解するみたいなさ。法からスタートはなかなかできないよねみたいな、その要命学を趣旨学的に理解してしまって、要命学的に理解することの難しさみたいなのがすごい面白いなって思った。
まさにまさに。
今思い出したんだけど、それをちょっと思い出した感じかな、今の話。
そうだね。やっぱり何かを学ぶ、理みたいなものだったときに物事の本質を追求するとかって、ある種西洋的な関係でもあるから、僕らのすごい常識に染み込んじゃってるんだよね。
でもその当時、この後また話してくるんですけど、1730年なので、江戸の中期ぐらいかな?に生まれたのりながさんは、そういったところを当時から見抜いてて、それだとダメというか、それだけじゃ足りないんだと。
そういう何か、物事本質ってのを想定して、それを追求するってのも一つのスタンスでしかないから、それだけだと全然うまくいかないんだぜっていうことを言った人なんだよね。
面白いね。だから江戸幕府ができて、その趣旨学っていうものがたぶん馴染んで、100年ぐらい経ってるからだいぶ馴染んできたみたいな感じなんだよね。
そうだね、そうだね。かなり浸透してる。
だからもうその状態で生まれ育った時に、あれって思っちゃった人ってことなんだね。
そうそうそう。あれって思っちゃったものを学問にまで掴める才能も努力もあった人って感じかな。
すごい人なので、そういう意味で今冒頭で結構わーっと喋っちゃったんだけれども、そのぐらいこれまでの趣旨学の話と、
今日話すのりながらさんの話って、全然違うというか、そういう批判的なものも含むので、
みなさんもスイッチを少し切り替えてみて、なんか趣旨学に染まってたけどちょっと違う発想もあるみたいな、
そういうのをちょっと理解していこう、そういうことを通じて江戸時代っていうものの多様性というか、
そういうものを感じてみようというふうに今回聞いていただけるといいのかななんて思っています。
なので、のりながさんからちょっと今回と次回の2回分ぐらいでやろうと思ってて、
日本書紀の研究の影響
今回はどっちかっていうと、そういうちょっと来歴的なところと、
どういうことを思ったのかとか、どうしてそんな趣旨学とか仏教っていうものを批判しようと思ったのかっていう話と、
次回はその上で彼の告白、その中でも聞いたことあると思うんですけど、
物の哀れみたいな、これを取り上げたのが実はのりながさんなんだけど、
そういうじゃあ物の哀れって何か、
彼がすごい大事にしたのが、いわゆる日本の神話だよね、古事記とか日本書記ってあると思うんですけど、
これが大事だよっていうふうに取り上げたのも実はこのもとおりのりながさんなんですよ。
そうなんだ。
その時代までは特に、あるけど別に特に研究とかもされてなかったし、あんまり。
読み物としても別にそんなに脚光浴びてたわけじゃないというか。
じゃなかったと思うな。
そもそも意味が理解できんとか、読めんっていう感じ?これちょっと達成しちゃうんだけど、
古事記とか日本書記も、いわゆる日本語の言葉を漢字で書くっていう、当時日本に文字がなかったんで、
そう。
中国の漢字を借りてきて、その漢字が並んでるだけなんですよ。
もともと話し言葉で書き言葉がなかった。
そうそう、日本になかったから。
そっからひらがなとかってできるのって、その後の漢字を崩す平安時代とかじゃないですか。
なのでもっと前、古事記ができたのが712なので、たぶん奈良時代かな?
とかなんですけど、この時に文字がなくって、
ウィキペディアとか今僕も見てるんですけど、ただ漢字が並んでいるだけなんだよね。
なので漢文のように読むこともできないし、
本来この言葉をどう読むかっていうことも伝わってなかった時代らしいんですよね。
今ハヤトが言った、漢文のように読むことができないっていうのは、
中国語でもなくて日本人勝手に漢字で書いたものだから、読み方のルールが不明っていう話?
そうです。
なので正しく読める、正しい読みというものがあったんだと思うんだけれども、
いわゆる、当時、奈良時代の日本人がどんな言葉を使っていたのかっていうことで、
思いを馳せて読むって読み方がなかったんだよね。
なるほど、前回のおりゅうそらいさん的な観点で、
この原点に当たるみたいな感覚がなかったのか。
そうそう、当時の人はみたいなのがなかったんで、
漢字読めてなかったんだよね。
なるほど。
それを研究して、この漢字とか、この繋がりは他のところでこう使われてるからこうだとか、
当時、こういう概念はないはずだからきっとこう読むべしみたいな、
そういうことを一個一個やってたのが、この本森成長さんなんですよ。
わー、そうなんだ。
なので、今回思想の方に行くのであんまりその辺触れないんだけれども、
国文学、そういう古来のものをどう読むかとか、
どういうふうに意味を受け取るかっていうことでもめちゃめちゃ実績というか成果を残してる人なので、
そのぐらい今の僕らの日本の神話理解とか、
古事記とか日本書紀の理解っていうものにすごい影響を与えてる人なんだよね。
わー、じゃあ今うちらが触れられる日本語としての古事記とか日本書紀みたいなものは、
元森成長が解釈というか、読んだものを元にしてる可能性が高いってことなんだね。
そうだね。もちろんそのものではないけれども、そこから研究されていって、
ここは野稲河さんが正しいとか、これはちょっと違うんじゃないかな。
さらにあるのか、その構成ね。
そういうものが、野稲河さんが200年くらいかけてまた積み上がってるんだけど。
なるほど、そのオリジナルってことなんだ。
そうそうそう、そうなんです。
思想の違和感
言うぐらい、これまでなかったじゃない、思想の話で古事記、日本書紀って出てこなかったと思う。
これまではやっぱり論語とか大学とか、そういう授学もあったんだけども、
そのぐらい何を勉強してるかとか、何を自分の思想を根っこにしてるかが違うんだよね。
という意味で、野稲河さん、全然違いますよって話をお伝えしたので、
ここからの話が少し入りやすくなってほぐれてきたんじゃないかと思うんですけども。
今回も、そもそも野稲河さんはどんな人やねんっていうところも含めて話していこうと思っております。
まずこの本森野稲河さんなんですが、生まれたのが1730年でございます。
前回の神祭さんは1660年なので、そこからしても70年ぐらい後だから結構離れてるよね。
うん、そうね。
さっき兄貴が言ってくれたけれども、朱子学のいろんな殺草とかも出てきて、
伊藤仁祭とか小牛スライでソライ学とかが出てきた上で、
朱子学って大体こんなもんだよね、日本においてっていうのが。
やっぱりだいぶ浸透した時代。
もちろん政治家とか武士はそうだし、町民というかそういう人たちも朱子学を学んでましたみたいな。
結構そういう時代に生まれた人だと思っていただければと思います。
生まれたところは伊勢松坂なので、今で言う三重県だね。
松坂牛が有名な松坂ですけど、に生まれております。
もともと商人の生まれですね。
なので身分的には首脳交渉の障害という感じで、別に手学はないです。
ただお母さんがどうやらテレコ屋で先生をやってたみたいで、
その影響でちっちゃい頃からいろんな本を読んだりとか、物語に触れて勉強してましたっていう感じだったみたいですね。
そこで結構普通に過ごしたんだけれども、11歳の頃にお父さんが亡くなっちゃうんですよ。
やっぱり結構生活が苦しくなってしまって、どうしようかなと思ったときに、
お母さんの勧めで、あんたは医者になりなさいと。
勉強結構できたからだと思うんだけど、
医者になれば仕事もあるし、将来安泰だろうっていうところで勉強しなさいって言われて、
京都に留学するんですよね。
当時、明から京都なんで、そんなに遠くないと思うんですけど地理的にも。
やっぱり仙壇的な街に行って勉強するんだけれども、
そこで入った人がめちゃめちゃよくて面白くて、
医学だけじゃなくて、そこで儒学とか仏教とか、
特に小牛空江さんの本とかそういうところで学ぶんですよね。
ただ単純に医学の実学的なことを勉強するだけじゃなくて、
そういう知識的なことも、当時京都も当然栄えてる都なので、
どんどん吸収していくわけなんですよね。
っていうところから、彼の学問がスタートしていって、将来的に医者をやりながら、
そういういろんな学問とか勉強するっていうふうな二足のわらじが入っていくわけなんだけど、
これさっきも言った通りなんですけど、いろいろ勉強してるうちに、
彼の中でいろんな違和感が出てくるんですよ。
どういうことかっていうと、さっきもちょっと触れたんだけれども、
主治学って、何度もお伝えしたとおり、理っていう、いわゆる根源的な原理というか、
そういったものを追求していくじゃないですか。
かつ、やっぱり古代の孔子文書とか、さらにそれより以前の聖人たちと理想にして、
そこに近づいていこう、そういうふうに自分もなろうっていうふうな発想で勉強していくわけなんだけれども、
そうすると、やっぱりいろんな違和感があるわけですよね。
例えばなんだけど、さっき言った、なんで日本に我々生まれてるのに、
時代も距離も離れた、要は4千、当時だったら3千年前くらいとかの、
中国っていう国の、当時行ったことのある人も多分少ない。
森永さんも行ったことないし、当然周囲とも行ったことがある人なんていなかったと思うんだよね。
そっちの3千年も前の人をありがたがってるって何なんだっけみたいな話もあるし、
そもそも主治学って江戸幕府が広めたっていうぐらいなんで、当時中国でもそうですけど、政治家のためでももう終わったじゃないですか。
出身も政治家だったし、下京を通過した人たちが学ぶものだったわけなんだけど、森永さんさっき言った通り商人なんですよ。
大人だったら医者なので、別に政治家とか官僚じゃないわけなんだよね。
それが何でわざわざ成人とか目指して勉強してんだっけみたいな、そういうことを思ってるわけなんですよね。
なるほど、なるほど。
今で言うと何だろうな、別に普通にサーリーマンしてるのに何かクイチな勉強をしてるみたいな、
本当はちょっと違うんだけど、試験受けるの受けないけど楽しくてやってるみたいなことを言ったときに、
別に悪くないけど、それ何の意味あるんだっけみたいな。
そんなふうに森永からは映ったってこと?
そうそう。
実際友人とかにもそういう手紙を送ってるみたい。
そうなんだ。
そういうふうに一緒に学んでた人たちに対して、別にいいんだけど、何でそんな政治家になるわけでもないし、
日常との接点
我々普通に庁民として生きてるだけなのに、こんな授業とか趣旨学勉強してんの?みたいなことを普通に伝えたりもしてるみたいなんだよね。
そうなんだね。
そういうと、趣旨学っていわゆるエイドバクという体制があって、それを維持するというか、君臣の宙みたいな話もそうなんだけれども、
やっぱり君主というのが第一で、それに我々は従ってますみたいな、秩序を求めていくものなんだけれども、
その秩序って何だろうなぁ、本当にその、これは多分いろんな捉え方があるけれども、やっぱりのりながさんからすると、
それに一生かけるのって本当に正しいんだっけって、やっぱりある種人生観的なものにも深まいてくるんだよね。
思っていると人際さんに近いんだけど、やっぱり人と人の触れ合いだったりとか、
あるいは逆ではね、いわゆる悪いこと、悲しいこととか辛いこともあるし、人によっては物を盗むとか、人を殺すとか、犯罪とかもあったときに、
そういうこともあるのが日々の日常じゃない、欲も悪くも。
そういうときにそれをある種否定して、そんなことはしたらダメだ、自分を自ら鍛えて、高めて、政治を目指そうみたいな、
そういう発想ってちょっと浮世話題してるというか、本当のところで現実と繋がりがなくないっていうふうな、そういうふうな感覚になってくるんだよね。
いや、そこが面白いところだよね。さっきの伊藤仁才だっけか。伊藤仁才もたしか商人の出身だっけか、たしか。
そうだね。商人、町人かな。
町人か。だからそこがたぶん、いわゆる、たとえば前回のオリュ・ソレイも政治のほう行ってたけれども、
そっちのほうで使う人と、いわゆる町人、商人っていう、また別の次元っていうか、別のルールだよね、もはやたぶんね。
別の価値観で生きてると、自分たちの手触り感のある思想とか考え方とか、その倫理観、価値観みたいなものが、やっぱり違うんだろうね、やっぱりね。
そうだね、そう思う。
だからやっぱり武士にとっては、やっぱり自らを高めてるとか、戦争のない時代にやっぱり武士とは関わるべしみたいなさ、それがやっぱりなじむ部分もあったとは思うんだけれども、
やっぱり町人、商人からすると、いやいや言うても、金儲けですやんとか、一緒だった人を助けるためですやんっていう時に、
もちろんそのための技術とか知識を身につけることは大事かもしれないけれども、
別にそんなね、聖人、さっきも言った通り遠い中国、異国の地の3000年も前の人っていうのを理想に掲げてやっぱりそれを追うっていうのは、あまりにもちょっと遠すぎるよね。
ある意味極端な話さ。
お神が変わったところで、うちらはその中で、自分たちらしくというか、自分たちに害がないようにというか、最悪損がないようにどう泳ぐかみたいな、もう不可侵じゃん、その上のルール作りのところは。
そうなんだよね。
ルールを作る方と、その中でいかに泳ぐかっていう方では全然違うなとも思うよね。
やっぱり、林ラザンとかフェジカル生活に言ったみたいに、当時まだ本当に江戸バック始まりたてのときって、中学はまだ全然むしろ日本に入ってきてなかったから、
お坊さんのほうが仕事にありつけて、中学者って全然仕事がなかったよっていうふうな時代だったじゃないですか。
そこから100年くらい経って、ある種中学者っていうものがお仕事になってきちゃうんだよね。
でかいとおり、塾を開くとかさ、教えるってこと自体がやっぱりお仕事になってくると、結局それで生きていける人も増えていくんだけれども、
やっぱりそうなったときに、でもそれって思想としてやっぱりおかしいよねとか、やっぱりそれを勉強して何になるんだっけっていうふうなことを、
たぶんやっぱりカウンストレーターの森永さんの学問的な才能というか、ある種違和感をやっぱりそのままにしないっていうところだよね。
そうね。
っていうところで、やっぱり自分にとって何が大事なんだっけってところにちゃんと向き合っていくわけなんだよね。
そうね。だから、ある意味、日本における趣旨学の使われ方とか広がり方に、本質じゃない何かを見てしまったというか、感じてしまったってことなんだよね。
そうなんです。
それはやっぱり中国人よりも絶対に強く感じていたはずで、やっぱりあくまでも森永さんは日本に生まれてきたっていうことはすごく自覚していて、
たぶん当時から物語として現地物語とか、日本ならではの文学とか、あとは和歌だよね、歌。
はいはいはい。
他にも触れてたらしくって、やっぱりその、趣旨学とか趣旨学っていう体系だったものの一方に、
そういう物語とか和歌、歌みたいな、そういうすごくいいものがあるじゃないかっていう感覚があったみたいなんだよね。
ふんふんふん。
そういう目で趣旨学とか、そういう学んでる受学者を見たときに、
例えば、老僧思想の道みたいなものってあったじゃない。
うんうんうん。
塔みたいなものとか、あと陰陽五行説とかってあったじゃないですか。
うん。
あれって、例えば平安時代とかになると陰陽道とかが入ってきて、ある種陰陽寺的なものが日本っぽく触れているんだけれども、
うん。
当時江戸時代とからしてもそうらしくって、この道みたいな概念とか、陰陽五行説みたいなものって、
日本の古くからあったものじゃんっていう発想があったらしいんだよね。
へー、そうなんだ。
うん。言うても当時1700年だから、その平安時代って600年前とかじゃないですか。
うんうんうん。
今みたいに歴史書とかもそんなちゃんとしてないから、やっぱりすごい過去のことなんだよね、当時の江戸時代からすると。
まあまあそうだよね、うん。
つまりその平安時代とかからあるそういう発想って、日本的じゃん、すごいじゃん、いいよねって言ってたらしいんだけど、
うんうんうん。
その、呂永さんは、いやいや待てよと、平安時代なんて言ってもつい最近じゃねえかと。
しかもこの陰陽五行説とかって、言ってもたぶん70代くらいに中国から入ってきたもので、
本居宣長の視点
そうだよね、うん、純日本じゃないよね。
そう、純日本じゃない、全然日本古来のものじゃねえからっていうふうに思ってたらしいんだよね。
すごいね、はいはいはい。
つまり呂永さんからすると、なんか朱子学っていう中国のものをありがたがってるし、
なんならその道とか陰陽五行みたいな、そういうものをなんか日本のものとしてありがたがってるけど、それも中国だからみたいな感じで、
うんうんうん。
言ったらあれだけやっぱり外国の思想に、やっぱりこうなんていうのかな、目を曇らされている日本人思想みたいな。
だからそういうのがやっぱり呂永さんみたいなんだよね。
はいはい、いやーでもそうね、そういう観点で物事を捉えちゃうとか、そこにセンサーが働いちゃうっていう、
うんうんうん。
そういう感じだとすると、もうわかるよね、確かにね、その感覚はね。
そうそうそうそう。
だってこの思想はとか、今自分が使ってる言葉は果たしてとかって、常にそういうセンサーが働いてるとしたら、確かにそう思うもんね。
いや平安時代とは言いつつ、やっぱり当時の中国側から来た、来たでしょとか、そういうのは常に捉えてそうだよね。
そうなぁそうなぁ。だからさっきね、その冒頭で少しバーっている話に空心みたいな言葉があったと思うんだけれども、
つまりそういう何か物事を追求しよう、主役的な理を追求するとか、何か物事の繋がりを解き明かそう、それは引用語形みたいな感じで、
火とか、火・地・水・金か。
例えばそのすべてのものを、この5つの元素の交わりとかバランスだっていう風に捉えるとかっていう発想があると思うんだけど、
当日さん、野田さんからするとこういう風な発想、要は何か自然のことを抽象化するとか、何かに置き換えるみたいな発想、これが全部空心なんだよね。
はいはい。だからさっきもたぶんチラッと話してたけれども、いわゆる当時の人たちだよね。さっきの今言ったような御霊思想みたいなやつとか、あとは御明神みたいなやつを、
本当に古来日本から伝わってきた純日本の物語だって思ってたっていう感じだろうかな。
ちょっとどこまでってあると思うんだけれども、全然そこを疑わないっていう話だよね。要は、別に外国から来た異国の発想であるとかってなんかなくって、
もうたぶん常識として受け入れてる。
ああ、そうか。だから、純日本風だとかとも思ってなくて。
そうそうそう。
ただ、いわゆる一般知識として、一般常識としてなんとなく知ってるみたいに思っちゃってる。
そうそうそう。そういうことです。
あー、こわっ。なるほど。それはなんか、のりながさん怖かったろうね。そういう観点から見たら。
現代で言うと、もしかしたらキャステラあったときに、「キャステラって日本のお菓子じゃん。」とか言う人がいたとして、
違うよ、外国だよとかって言うのがつながらないみたいな、そんな感覚?
根源を問う
あー、なるほどね。なるほどね。はいはいはい。
そのぐらい根本からやっぱり違う、おかしいって思ってた人なんだよね。
あー、なるほど。やっぱ、ちょっとぶっ飛んでるんだね、そう考えると。
ぶっ飛んでる。だからこれが面白くって、これちょっとまだ兄貴に伝わりきってないかと思っているんだけど、実は。
その金心ってずっと言っている。もっと言うと、これって西洋哲学で言うところの、
万物の根源は何ゲームだ?みたいな話をしてたじゃない?その西洋哲学の根本が。
もう名前忘れちゃったよ。水田たれしとかか。
たれし、そそそそたれしとか。っていう風に、そもそも西洋哲学って、
何かそういうものを突き詰めていくとか、根源を言い当てていくとか、
なんていうのかな?そういう風な発想あったじゃないですか。
朱子学の理っていうのも同じ近くて、根源にある働きを追求していくんだけれども、
そもそもそういう何かの根源とかを想像するか、突き詰めるっていう、
これ自体を、この野田さんは否定してるんだよね。
はいはいはいはい。
これはどうだろう?伝わってるかな?
いや、まだ伝わってないね。
まあそうだよね。
現状その、いわゆる空心というか、
純日本であるものとそうでないものの違いを分ける、
限り分けるフィルターがすごい人なんだな、ぐらいの感じで、
万物に対するアプローチがどう?っていうのがちょっとイメージとしては今のところなかった。
OKOK。それは今回と次回でお伝えしていこうとは思っているんですけれども、
逆に言うと、さっきそれさ、引用語彙だとね、
木とか水とかに全部万物を寄せちゃおうと言ってるんだけれども、
日本の和歌とかをちょっと思い出して、
あんまり知らない人の方が多いと思うんで、僕も全然知らないんですけれども、
イメージとして歌とか和歌っていうものを考えたときに、
例えばね、よくある古池や川津飛び込む水の音っていう歌がありますよ。
そのカエルとか古池とか音っていうのを、
別に何か他のものに象徴しなくていいわけなんだよね。
例えばこのカエルというのが何か意思を持ったカエルの中でも
飛び抜けて優れたカエルでありとか、
この古池というのは実は何かの象徴でとか、
そもそも何か深いものはこういうものを表していけたかっていうことって
一切考えなくていいのよ。
いいっていうか、これは僕が今言ってることで
のりながさんが言ってるわけじゃないんだけれども、
歌っていうものを自然に味わおうとしたときに、
ただただカエルが古池に飛び込んで水の音がした。
それってすごい素敵だなとか、心に染み渡るなっていう、
それっていいじゃないかってやっぱ感覚なんだよね。
なるほど、確かにテレビとかでたまにやってるさ、
若いの番組とかさ、
クリバトン?
みたいのあるじゃん。
ああいうものを先生が批評というか評価するときに、
確かにこのカエルは、
あそこで言うあれとあれ、
あの人を象徴していてとかみたいな、
そういうのは確かに言わない気がするよね。
草木に、草木に何かやってる気がするね、確かにね。
そうなんだよね。
で、面白いのは、それはただ世の中を浅く見てるってことじゃなくって、
そのカエルと古池の出会いみたいなものをちゃんと受け取ってるみたいな、
これが次回ちょっと説明するものの哀れみたいな感じなんだけど。
あー、はっはっはっはっは。
つまり、そういう世界に対するスタンスっていうものが、
心の大切さ
いわゆる何かを追求するとか、
本源に至るってことじゃなくって、
その起きている物事を深く捉えるとか、
ここで起きた自分の心とか意識っていうものを大事にするとかっていう、
違うスタンスがあるよねっていうことを、
のりながらさんはちゃんと発見して伝えてるんだよね。
わー、すごい面白そうなとこに踏み込んできたね。
ちょっと見えてきた?
さっき話したとこで言うと、朱子学と陽明学の話をしたけれども、
陽明学の知工合一的な感覚を、
うまくもしかしたらこれで捉えられるんじゃないかっていう期待が今、
あー、なるほどね。そっちか、なるほどね。
うん。だから、わかんない、まだ想像でしか、
まだ書いてないからさ、勝手にさ、今盛り上がってきたんだけど。
説の古池は変わらず飛び込む水の音みたいなのがあったときに、
それが例えば古池とかカエルとか、そういうもの自体、
歌自体は何かを別に比喩だったりとか、
表現するわけじゃないみたいなのがあったときに、
たったにその情景をただやってるとした。
で、それが多分真実というか、そうだと思うんだけど、
で、さっきさ、例えばそれを批評するとか、
感想を言うみたいなとき、ただ、そっちに関してはもしかしたら、
その、なんだろうな、出てくる和歌というか、
それ自体が変にこねくり回さずに、
めちゃくちゃ表現が入ってて、全部深読みしないとわかんないみたいなものじゃないがゆえに、
その作った人本人でさえも、あとはそれを聞いた人でさえも、
その通りに受け取る楽しさもあれば、逆にこれはあれの日なのかもしれないっていうふうに、
自由に捉えていいっていう、ものすごいものが生まれてるんじゃないかっていう、
感覚もちょっと今出てきた。
そうね。
で、それは結構正しくて、正しくないのが、
やっぱりそこに対して、きっとこれはあれを象徴しているんじゃないかっていうふうに発想することはやっぱり空心なので、
へー。
そう、のりながさん的にはそれはダメなんだよね。
あーダメなんだね。はいはいはい。
ごめんごめん。話を聞く前に勝手にちょっと盛り上がっちゃった。
でも全然いいよ。だからそのぐらい僕らは、のりながさんが言うとこの空心はやっぱり支配されてるのよ。
なるほどねー。そっかそっか。じゃあ深読み禁止なんだ。
そう、深読み禁止。そう。なんですよ。
で、そういったものを彼は真心とか大和魂みたいな言葉で空心と対峙して説明してるんだけど、
へー。大和魂ってそこで出てくるんだ。
出てくる。
結構聞くのに出典を知らなかった。そこが出典なのかな?大和魂って。
いや、もともとそういう言葉があったみたいなんだけども、ある種の真心か。
っていう感じで、今の、いわゆる純日本とかってことじゃなくて、
単純に空心、外国地方から来たという理性的な発想と、
そういう心で感じるとか。
そういうふうなことの大和魂、真心みたいな大義なので、
別にすごい愛国心がどうとかってことじゃないんだけど、
はいはいはいはい。
そういう対比で捉えてますよっていう感じなんだよね。
なるほどなるほど。
はい。みたいなところがあって、なんていうのかな。
私だけは本当に同じことを繰り返して言っちゃうんだけれども、
やっぱり主治学的な秩序を作っていけますとか、国を治めていけますとかって、
それはもちろんいいんだけど、やっぱりそれはあくまでも外国から来た、
やっぱり僕ら本来日本人なじまないものなんだと。
うんうんうん。
そうじゃなくて、ちゃんと日本の古来がある、もっと言うと古事記とか日本書記とか、
そういう、いわゆる神の時代だよね。神様がまだ生きていた時代。
言葉とかものっていうものに触れて、
ちゃんとそこから僕ら日本人のものを取り戻そうぜっていうふうな、
そういうことを、のりながらさんは生涯をかけてやっていく、やり切っていくんだよね。
うんうんうん。
さっきも言った通り、それをまるして分析して、古事記にはこう書いてありますとか、
源氏物語ではこういう物語でとかっていうふうに切り崩していくんじゃなくて、
あくまでもそれを読んだ時に打ち上がってくる心とか、
まるですごい疲れている打ち振れ舞いとかもそうなんだけど、
そういうものにまるしてその日本人が寄ってたすべき、日本ならではの道というか、
日本的な秩序の探求
そういうふうな、何ていうのかな、秩序っていうのはちょっと語弊があるんだけど、
そういうあえて種子学的な秩序に対抗する意味で言うと、
日本的な秩序がある。
はいはいはいはい。
そういうものをもっと大事にして生きていこうじゃありませんかみたいな、
そういうことを考えていくっていう感じなんだよね。
へー、なるほどなるほど。はいはい。
だから古事記を読んで楽しむとか、歴史的にただ見るとかじゃなくて、
そこから当時、本来日本人が持っているさっき言う大人心みたいなものを見出していったみたいな感じなんだ。
そうそうそう、そういうことにしたことで。
なので先に言うと、だからこそやっぱりそれをそのまま今の現代の僕らが受け継ぐってのは結構難しいんだよね。
ほうほうほう。
そう、これ間違い言うんだけど、それこそそうなんだ。
アマテラス大神がまず日本の島とトップにいて、そこから天皇というものが万世一家で続いているっていうふうな発想じゃないですか。
そういう時に、やっぱり元井信長さんにすると、ある種アマテラスに帰れぐらいの感覚なんだよね。
これはすごい語弊がある言い方なんだけど。
それを今の僕らがそのまま身に受けて、神様の時代のことを受け継いで生きていこうってなかなか難しいと思うんですけど。
本居宣長の学問と影響
はいはいはい。
でも逆に、さっき言ったように僕らも空心にまみれているので、
それを相対化するというか、ちゃんとそうじゃない。
さっき言った通り、頭で理解する世界だけじゃなくて、心で理解する世界とか。
もっと言うと、例えば夕日を見て綺麗だと思うとか、愛する人と別れて悲しいとか、
そういう日常的な心のいろんな物事も含めて、やっぱりこれって僕らが寄って立つすごく大事なあり方だよねとか、
感情の働きだよねっていうことを強調していくんだよね。
うーん、そうなんだね。ほいほいほい。
なぜならそれは、古事記とか源氏物語、僕もちゃんと読んだわけじゃないけど、古事記もさ、神様がすごい宴会で賑やかにしてるとかさ、
神様時代がそういう悪いことをしていろんな人を困らせるとかってこともあるし、
あと源氏物語もさ、光源氏が主人公ですけど、あれも平安時代プレイボーイの話じゃないですか。
何人の女性とも付き合って泣かしたり泣いたりした人から過ごしていくとかで言うと、
普通に考えたらそこから学ぶものって倫理的には、そういうことしたらダメだよぐらいのことなんだよね、たぶん。
まあまあ、今普通に読むとね。
今普通に読むと、そうそうそう。
でもやっぱり物語として、そこに何か日本人の心が現れていると思って読むと、
そういう、やっぱり忍ぶ行為、でもやっぱり忍べない、要は隠しきれないとか、
やっぱり許されない行為だからこそしたくなるみたいなことって、
ないとは言えないじゃない?やっちゃダメだけど。
でもそれをある種、そんなものはやっちゃダメです、秩序から離れてるから切り捨てましょうっていうのは仮に主旨訳だとすると、
本当にそれでいいんだっけ、むしろ絶対ダメだよねっていうのが、
のりながさんの考えてるような、なんだろうな、やっぱり学問というか日本的な発想という感じなんだよね。
はいはいはいはい。
そんなところの違いがあるよっていうところをお伝えした中で、
その空心と真心みたいなキーワードもお伝えできたかなとは思っているんですけれども、
どうだろう、今日でどのくらいのりながさんの告白っていうものが秩序学と違うというか、
むしろそれを批判しようとしたかっていうのがなんとなく伝わったかしら。
いやー、そうだね。だから、いわゆる元折りのりながの考えた中身っていうよりは、
元折りのりながの出発点みたいな。
そうだね、そうだね。
そこは見えてきた気がするよね。
だいぶやっぱり主心学的なのとか、そういうのが一般的な中で、
これはもう、なんだろうな、商人に生まれたとか、
テラコヤである程度自由な学問というか、
どこに馴染んでる中で、
主心学的な授業的な、これが正しいのであるみたいな、
そういう世界とは違う、自分の頭で考える的なところがちゃんと潰されなかったみたいな感じなのかな、もしかするとね。
そうだね、それもあると思う。
やっぱり自分の素朴な考えを大事にする、それを否定されない。
っていうふうな環境もあっただろうし、あとちょっと手を触れられなかったんだけれども、
元折りのりながさんにも、いわゆる学問的な師匠みたいな人が2人いて、
慶中と鴨長渕っていう人って言われてるんだけれども、
慶中さんはどっちかっていうと、直接学んだっていうよりは、
慶中さんが実は国学、まさに日本のやっぱり古代の文献とかそういうものを、
ちゃんと学んでいけましょうっていうふうなスタンスを打ち当てた人で、
鴨長渕さんが実際にそれを実践してた人なんだよね。
のりながの前に、ちゃんとそういうフロンティアを開拓してる人がいたんだ。
そうなんです。
実際にのりながと鴨長渕さんは一回会ったことがあって、
学問研究所だったら鴨長渕さんに対して、自分も国学とか日本のことを研究したくて、
その熱意があるんだったらいいよって言って、文通だったんだけど、
わりと生涯にわたってお互いに議論し、議論しようというよりは教えてもらうか、鴨長渕さんに。
のりながとさんがいろんな生意気なこと言って、そんなこと言うならもう学ばなくていいよとかって言われたみたいな、
そういう意味も残ってるんだけど。
だからやっぱりのりながとは尖ってたんだね。
尖ってたと思う、だいぶ。やっぱりそういうこと言いたくなっちゃうんだろうね。
っていう感じのやり取りもありながら、やっぱりちゃんと学問的なことを吸収して自分でやっていったっていう人でも、
だから読者ではない。本業は医者なんだけれども、
でも本当に時間をかけてものすごい、さっき言った小字形の注釈書とか、
源氏物語の注釈書みたいなものを読み取ったよってものを、ものすごい膨大なものを残してるんだよね。
そっか、なんか今日確かに言ってたけど、
要はお医者さんとして働きながら学問もしていたって感じなんだ。
そうですそうですそうです。
基本的には医者をやりながら、自分の空いた時間で勉強をしようっていう感じだったんだけれども、
晩年には塾とかも開いて、やっぱり自分の教えを広めようっていうところで、
いろんな人に教えを伝えていって、最初から500人ぐらいかな、弟子もいて、
物の哀れと神の道
ちゃんとまさにもといないながらの国学として広がっていったみたいな、晩年、弟子がどんどんちゃんと出ていったみたいな、そういうふうな話もありますね。
はいはいはい。そうなんだね。だからそうやって弟子もいっぱいいて、ちゃんと国学って当時からやってたのかな、どうなんだろうね。
後からついたのだとは思うな。
そうやって広まっていった、残ったってことなんだね。
そうですそうです。
というような感じでね、今回のりながわさんについていろいろお話ししてきたんですけれども、
やっぱり途中でもお話した、僕らが国に哲学とかやってると、やっぱり物事の本質を追求することは良いことだ。むしろそれこそが哲学だみたいなことは思うんだけれども、
こののりなさんの話を見てすごく衝撃あったのが、それだけじゃないよねというか、それっておかしくないっていう感覚。
いやー、なるほど。
それを主治学に言い換えれば、成人で何千年も前の孔子申しっていうものを目標に仕立てて、
それを聖なる人として自分もそこになろう、近づこうっていうふうな、そのために勉強もするし、努力もするし、
それこそが良いことなんだっていう発想って、すごくなじむんだけど、
どこかにやっぱり、それって窮屈じゃないとか、それっておかしくないとか、なんでそんなわざわざ3000年前の人のことを目標にするのみたいな発想って、
やっぱり誰かが言ってくれないと気づけないことだったりすると思うんだよね。
いやー、そうだね、確かに。
例えば人も物もだよね、全部理があって、根本は同じなんだって言われたときに、
そうだそうだってなる一面もあるけれども、言うてそれぞれだよみたいなね。
そうそうそう。
発想は確かにだから、本当に難しいよね。それをちゃんと自分で捉えてちゃんと考えるってめんどくさいし、
そもそも今日の、例えば御苗字とかがさ、普通に一般常識だみたいなね。
別に中国から来たものなのか、日本の古来からあったものなのか知らんけれども、一般常識なのだみたいなさ、
そういう感覚もわかるというよりは、多分そっちが普通だろうしねっていう。
普通だね、うんうん。
なのでそういう時代にあって、そうじゃないんだよって言ったのりながさん。
なんかやっぱり、そもそもそういうと幕府批判というか、主主役が徳川幕府の学問だから、
ほいほいほい。
そうそうそうっていう感じで、結構書いたものを出版せずに置いておくとか。
あー、はいはい。
表だってすごい弾圧されたのがなかったんだけれども、結構自分でもああいうことをしてるっていう自覚はあったみたいで。
あー、そうなのね。はいはい。
そういうふうにやっぱりちょっと慎重な面もあったらしいし、
あと、そういうことを言ったからといって、別に排斥するとか、だから授学とか寿司学とか仏教ダメだ、もちろんダメみたいなことが書いてるんだけど本では。
だからといって弾圧するとか、何かすごい対立することはなかったらしいんだよね。
やっぱりのりなさんとしては、それも含めて今の日本だと。
それまた次回言うんだけど、今の日本もそうであるということは、つまりそれは神、日本古来の神がそうなる、それを良しとしてるんだっていうふうに捉え方をするんだよね。
おー、そうなんだ。はいはいはい。
だから、欲も悪くもそれに従うべしとか世の中のことを大事にすべきっていうふうな発想があって。
ほうほうほう。
これが思想としての面白さでもある、弱さでもあるっていうふうに捉えてるんで。
あー、そうなのね。はいはいはい。
次回そのあたりの話、もうちょっとのりなさんの考えたことを、その物の哀れを知るっていう、さっきの心みたいな話と、今言ったような神様の道に従って、まさに神の道、神道。
今の宗教的な神道じゃなくて、日本にある神の道っていうものを捉えた上で、のりなさんがどんどんことを考えたのかっていう、この2つですね。
物の哀れを知るっていうことと神の道、この2つについて学んでいくことで、のりなさんのことをより深く知っていこうと思っておりますというふうな感じですね。
はいはい。わー、わかりました。
じゃあね、そんなもとおりのりながら考えた中身では、次回ついに見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では、次回も引き続きよろしくお願いします。
今回もありがとうございました。