1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #346 朱子学や国学はどこへい..
2025-08-24 53:05

#346 朱子学や国学はどこへいった?幕末から明治維新以降の日本

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

江戸時代から明治維新にかけての日本の思想の変遷について考察されています。朱子学や国学の発展と、敗戦後の消失の経緯が探られています。吉田松陰や伊藤博文の影響を通じて、明治政府の理念や価値観の根本が明らかにされます。幕末から明治維新においては、主治学と国学の思想的背景が交錯し、ナショナリズムの中で天皇の正当性が強調されました。井上哲次郎の影響を受けながら、教育直後に国民道徳が形成され、戦争への道徳観が浸透していく過程が描かれています。江戸時代から明治維新にかけて、朱子学や国学は天皇制と結びついて重要な役割を果たしましたが、戦争の影響によりその思想は大きく変容しました。特に第二次世界大戦後、GHQの影響によりこれらの学問は解体され、天皇と神の結びつきが明確に否定されました。本エピソードでは、江戸時代の朱子学や国学が幕末から明治維新の過程を通じてどのように変化していったか考察されます。また、戦争や政治的背景が思想に与えた影響についても触れ、現代における日本人の神観や多神教的な感覚の変遷が探られます。

江戸時代の思想とその発展
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、江戸思想編、今回で最後ということでやっていきたいと思います。
はい、これまでですね、そのいわゆる江戸時代になってから、林羅山がね、その江戸時代の幕府の学問として朱子学っていうものをまあ体系化して、
体系化というか、取り込んだよとか、日本の伊藤仁才さんとか小牛さらいさんみたいに、その朱子学をまあ越えようとした、
まあ一応その朱子学っていう中であるんだけど、孔子とかそういう、むしろ昔に変えろみたいな、より純粋な哲学を学ぼうというふうにした人がいたりとか、
あとはね、前回やった元折信長さんみたいに、むしろ国学みたいなもんも全然違う、その中国なんて、よその国のことじゃなくって、日本のことをちゃんと学ぶんだみたいな。
そんなこともありながら、江戸時代の思想っていうのは、いろいろ発展したりとか展開してきてるっていうような話をしたかなと思うんですよね。
はいはい、中国なんてっていうのは元折さんが言ってるわけで、我々が言ってるわけじゃないんですけど。
そうですね、確かにこの回から聞いた人がいたんですけど、別に中国を悪く言ってるわけではなく、
失礼しました。元折さんの発想としては、同時に中学とか朱子学がはびこっていると、江戸時代を見た中で、
いやいや、我々日本の国にもいいものがあるんだからというところで、国学をまあ広めできましたという話でしたね。
その辺りは前回までいろいろ語られたかなと思うんだけれども、元々兄貴とも話していた、
明治維新と思想の変化
結局朱子学とか受学とか国学って、今どこに行ったのよって話ですよね。
僕らが普段学校とか行っても別に朱子学学ばないじゃないですか。
国学も別に授業とかいないじゃないですか。
国語はね、あるけど。
そうそう。せっかくね、もともにのりながら頑張って見つけてくれたのにね。
そうそうそうそう。
でもね、前回の話だと、やっぱりちょっと神の道的なさ、信仰的な部分も多くそうだったから、
まあね、それはそれで、今はそういう感覚ないから、残ってないのもわかるけど、どこ行ったんだ、じゃあ。
そうそうそう。
というところをね、ちょっと今回は取り上げていこうと思うんですけど、
思想っていうよりは、これもちょっと歴史っぽい話になっちゃうのと、
いかまでも僕が調べられた限りっていう感じなので、もちろん厳密さとかいろいろあるんですけれども、
なんかね、ざざっと見ていくと、大きくはやっぱり二段階があって、
一個はやっぱり明治維新だよね。
その江戸から明治維新っていう流れの中で、やっぱり西洋のものがいろいろ入り込んできましたよっていうところがあるんだけれども、
より大きいのがね、やっぱり敗戦ですね。第二次世界大戦後。
ああ、そっかそっか。それがやっぱりより大きいんだ。明治維新と比べても。
かなと思った。
ええ、はいはいはい。
これはもちろんね、人それぞれというか、いろんな話だと思うんだけど、
僕が調べた限りだと、意外と明治大正というところも、自学とか北学ってむしろ結構残ってるんだよね、発想として。
ああ、なるほど。その観点で言うとまだ残ってるんだ。
そうそうそう。でもやっぱり昭和に入って、第二次世界大戦で敗戦したっていう時に、
ちょっと変わったというか、やっぱり空気が変わったみたいなところがあったみたいで。
ただね、そんな流れの話を今日はお話しすることで、
今年1945年が終戦なので80年か、いろんな式典というかものもやったかとは思うんですけども、
そういう時代、タイミングでこういう話ができるのは面白いなと思ったので、
ちょっとそこまでの江戸が終わって、昭和というところの前の話を少しだけ聞き足でやってみたいなと思っております。
国学の影響と明治政府の理念
なるほどなるほど。本当ね、結局今のうちらの考え方的な、価値観的なルーツがどこなんだろうっていう意味でね、
江戸の出資額とかさ、遡ったけれども全然残ってないやっていうのは今回通じてやっぱりわかったもんね。
感覚としてはね、わかる気もするけど。
もちろんね、上の人を立てましょうとかさ、家族大事ですよとかってすごい根本のところは残ってるとは思うんだけれども、
別に成人で奉仕を目指しましょうとかさ、
イニシエの日本のアマテラス大神の作った道に沿いましょうとかっていうことまでは、やっぱりもちろんそう思ってる人もいるとは思うんだけれども、
参加っていうとそこまではないとは思うんだよね。
そうなんだよね。エッセンスとしてね、例えばその文学的な話で言うと、なんとなく神社にいたときにね、
オガムとかヤオヨロゾとかって言って、なんとなく居そうなお天道様があるみたいな。
それが北アークとどれくらい近いかは別として、そういう感覚とか、さっき言った朱子学的な例とか。
エッセンスはある気がするんだけどね。
そうそうそう。
やっぱりそれってなんで?っていう話の一端になるかなと思ったときにお話していくんですけれども。
まず幕末、明治期に移るときみたいな感じなんですけれども、
一人やっぱり名前を挙げるとしたらみたいな感じでいくと、吉田松陰ですね。
はいはいはい。
昭和尊塾ってのを作って、それこそ明治維新の立役者たちを教えたよっていうふうな吉田松陰さんって事業でもあったと思いますし。
読んだことある?そういう話とか。
私、事業でもあるけど、それこそいつも言うけど、古典ラジオの第1回が吉田松陰なんだよね。
第1回なんだ。
そう。それがやっぱ面白い。何回か聞いてるけど面白いよ。
えー、それ僕も聞こうかな。なんかやっぱすごい人だったんだなーというか。
この人本当に20代で死刑になってるぐらいの人ですけれども、
この人は元々、やっぱり授学とか朱子学を勉強してるんだよね。
はいはいはいはい。
もっと言うと、余命学か。
で、やっぱり実践、知工合一の、ちょっとその、何だろうな、
やっぱりおこなわざればみたいな感じの感覚もあったと思うんですけれども。
あの、どっちかというと、どっち派なのか。
誤解してる方の、分かんないよ分かんないよ。本当のことは分かんないけど、
やっぱりその、実践してこそみたいなことも含めて、余命学っていうのを吸収して、
で、そこからもちろん西洋の創意とか学問まで勉強しだしたよっていうふうな人なんですよね。
そうなの。そんな広くやってたんだね。
そうそうそう。
それを塾で教えてましたっていう中に、一人、まあいろんな余命学者いますけれども、
という人が伊藤博文ですね。初代の内閣総理大臣。
それはもちろん、イギリスに密交をしてですね、外国の制度とかを学んできて、
それを持ち帰って日本という国の仕組みを作るんだけど、明治のね。
あ、密交なの?
そう、密交なんだって、彼。
あ、そうなの。
そうそうそう。なので別に正式に言ったわけじゃないらしいんですけど。
でも、伊藤博文さんがもともと吉田さん、
50くらい前だったときに、当然自学的なこともベースにあるんだよね。
単純にイギリスとか西洋のものを持ってきて、日本国のものを作りましたってことじゃなくて、
そこの土台には、ちゃんとというか、自学的な忠義みたいなものとか、
親子の関係性とか、そういうものが残ってるんですよね。
はいはい、なるほどなるほど。
なので、いわゆる趣旨学っていう学問が、
例えば、江戸のときには色んな塾とか学校の公式なものがあったものが、
ガラッと変わっちゃってなくなったってのもあるんだけれども、
国を作る土台として、そういった宙とか港とか、そういう価値観を大事にしましょうと。
その上で、西洋の制度とか仕組みとか技術とかっていうのを持ってきましょうっていうふうな、
いわゆる和紺要塞的な話だと思うんだけれども、
そういうことができたのも、やっぱり伊藤博文、もちろん当時の他の知識人も含めて、
やっぱりベースには受学的なものとか、江戸期に学んだものがあって、
その上にやっぱり西洋を乗っけたみたいな、そういう感覚があったみたいなんだよね。
ああ、まあそうだよね。
だって当時やっぱり、当時というかそれまで、
やっぱり日本のお手本としていた中国だよね。
そこがもう、アヘン戦争でもう、ここにやられてますみたいなさ。
え、なんで?って聞いたんですか? イギリスとか西洋って何者?みたいな。
そこはやっぱり目の当たりにしてるわけだもんね。
そうそうなんだよね。
時代的に言うと、明治維新っていうのが、1853年にペリーが来るんだけれども、
そのぐらいから20年後、西南戦争ですよね、最後高森がっていうやつ。
20年ぐらいを明治維新の期間だというふうに言うらしいんだって。
さっき言うとアヘン戦争が1840年なので、まさにちょうど直前だよね。
そろそろ日本もやばいぞとか、植民地が捨てるんじゃないかとか、
いろんな不安が起きたりとか、農民の一揆も起きたり、
もうバックはダメだとかっていろんなことがある中で、
そういった時代の変化が出てくるわけなんですけれども、
今、朱子学とか地理学的な話をしたんだけど、国学のほうだよね。
こっちはこっちでやっぱりめちゃめちゃ残ってるんですよ。
何がかって言うと、例えば明治政府が政府を作っていくときに、
スローガンは立てるんだけれども、それがいわゆる王政復興っていうこともあるんですよね。
明治政府、明治維新のスローガンになっていたのが、王政復興っていう言葉で、
簡単に言うと、王は王様の王だよね。政は政治の政で、祭りごとですと。
復興は復習とかの復興で、復興はいにしえってことなんで、
要は古代の王政に戻るぞみたいなことなんだよね。
ああ、そうなんだ。
古代って何って言うと、実際王政復興のおふれっていうのがあるんだけれども、
いわゆる神武天皇って覚えてるかな。
日本の詩のときにちょっと言ったかもなんですけど、いわゆる初代の天皇って言われてる人ですね。
ある種の神の時代というか、そういう時代の人ですけれども、
神武天皇の頃に帰るぞみたいな、そういうふうに天皇が始めた日本国っていうところを、
もっぱい取り戻すんだっていうふうな話なんだよね。
はいはいはい、だいぶ最初に帰るぞという話だね。
で、これってめっちゃ国学じゃないですか。要はアマテラス大神からの直系の天皇っていうものを大事にするっていう話なので、
実はそういった発想がこの明治維新、明治政府というところのスローガンとしてガツッと入り込んでるんですよね。
なるほど、はいはい。
なので、ただ単純にいわゆる徳川政権、将軍家から天皇へっていうことだけじゃなくて、
思想的背景の交錯
思想的にも、いわゆる主治学的な異性者というか、中国で言うと皇帝だよね、というところじゃなくて、
より正当性の高い国学的な天皇へっていうふうな、思想的な背景というか土台があって、
こういう動きができてたっていう話みたいなんだよね。
なるほどね。これはもう歴史の側の話になるからさ。
ちゃんと調べたりとか、あとはいろんな諸説ありみたいな話になってくるだとは思うんだけど、
この多分、王政復興的なスローガンって、どっちが先かみたいな話かもしれないよね。どうなんだろう。
どっちっていうの?
ちょっと意地悪な質問かな。本当に、例えば明治政府が、当時って日本来いの、王政戻るぞっていうのを大事にしてたのか、
やっぱりナショナリズム的な意味でだよね。しかも当時の列強があって、世界は列強的な動きをしてる中で、
日本も日本でまとまらないと、もう即負けるぞっていう時に、やっぱナショナリズムってすごい大事だったと思うんだけど、
そういう意味での象徴として、ちゃんとまとめるためにっていう戦略的な意味もあったのかみたいなところがちょっと気になっちゃうよね。
それがめちゃめちゃあったらしくて、これちょっと僕もビキュフィリア知識ぐらいな感じなんですけれども、
大政奉還ってあるじゃないですか、徳川の将軍の権威っていうものを天皇に返しますよと。
その後に、実際明治天皇が王政復興の大号令っていうものを、いわゆる直例として出してるみたいな感じなんだけれども、
それ結構ね、無理やりというか、若干もう電撃的にやったらしくって。
だから徳川側からすると、そんな聞いてないよみたいな。
え、そうなんだ。
そうそうそう。
でもなんか言っちゃったからしょうがないみたいな感じで、結構それをある種押し進めていくというか、
その明治政府側からすると、それをある種既成事実化してどんどん広めてしまえみたいな。
はいはいはいはい。
うん。結構そんな感じもあったみたい。
なるほどなるほど。だから両面になっている。
これはある程度ってことだね。
そんな感じで、バチルの幕府から天皇院というところになっていくんだけれども、
そこに極悪的なものがありますよっていうのが、こういった話も見えてきますと。
なので、学問としてっていうより、どんどん明治っていう国というか、時代をつくっていくところの土台の根幹。
もともと兄貴だったらナショナリズムだよね。
日本っていう国を、ちゃんと統一しながらも次の時代に進めていくっていう時の、
やっぱりその、まさにエディオロギーだよね。
その思想的な力として使われてったんだよっていうのがあるみたいなんだよね。
なるほど。
教育直後と国民道徳
うん。で、ここで面白かったのが、
前さ、日本の哲学みたいなときに、井上哲次郎さんっていう人の話をしたの覚えてます?
わー、覚えてない。
東大の初代哲学教授かな。
そうそう。ドイツに渡って実際に、ヘゲルとかカントとか学んできて、日本に戻ってきて授業しましたよみたいな。
はいはいはい。で、その後、日本の哲学部分を大分教育的なところになったみたいな。
そうそうそう。そうですそうです。
っていう風な人がいたと思うんですけど、その流れでも面白くて、
彼自身は当然、性を哲学ってものを持ってきているんだけれども、
生まれて過ごしていく中で、自学的なこともちゃんと学んでるんですよね。
学んでるっていうか、思想としては入ってるんですよね。
はいはいはいはい。
うん。なので、ただ単純に性を哲学を受け入れましたってことだけじゃなくて、
どういうふうに東洋哲学みたいな、持っているのは自学とか、そういったものをちゃんと日本に位置づけるかとか、
もっと言うと東洋哲学史みたいな、そういうものを変算するような仕事もしてるみたいなんだよね。
あー、はいはいはい。
うん。なので、ちゃんと土台としては、そういった自学的なものとか、統合できるものが入っていますと。
なので、いわゆる性のことを学んではいるんだけれども、
国民の道徳的なこととか教育的なところに、まさにさっき言ったような、
宙とか光とか霊みたいな、そういうものがある種、道徳が倫理的に必要だみたいな、
そういうことを言ってたらしいんですよね。
わー、そっかそっか。
あれだよね、西田貴太郎とか、その辺の話をしてたときに出てきた人だよね。
そうそうそうそう。
そっか。わー、とにかくまた深みが増すというか、ここまでいろいろだよね。
だから実際ドイツに行って、西洋哲学を学んだ上で、
しかも主旬学とか東洋哲学もやった上で、
日本の国民道徳とは何かをちゃんと、いわゆるトップダウンというか、
政府側、つまりつかみ側の立場からやられちゃうと、
もう誰も何も言えなさそうだよね。こんのれぐらい人がやっちゃうと。
いやー、そうなんだよね、そう。
そこを融合されちゃうと。
そうなんですね。しかもやっぱり、何かよくわからんけどでも宙とか光とかって、
なんとなく親しみのある言葉が並んでるみたいな話も多分あって。
そうだよね。
そうそうそう。それで何か馴染んでしまってもあっただろうし、
これも時代的にすごく大事だと思うのが、
それがまさに教育直後みたいなものにどんどんつながっていくんですよね。
教育直後って、要は、時代的には1890年らしいんですけれども、
その時に天皇から、日本の教育っていうのはこうするのだみたいな、
基本方針っていうものが出されるんですよね。
で、これをもとに明治大正とか昭和っていうところの教育がつかえていくんだけれども、
これがね、いろいろ見ていくとすごい短いっていうか、315字しかないらしいんですよね。
その中で解釈とかも結構難しくって、
実際、今の法律時代にすごいわかりやすく書いてるわけじゃないので、
いろんな人が勝手に天皇がこう言ってるって言って、自分の勝手に翻訳したことをそこに当てて、
これが教育の最適な形だとかって言って、いろいろ現場に押し付けるみたいな、
そこで大きくなっちゃってたらしいんですよ。
なるほど。だから下手すると、Xのポスト一つ分だよね。
確かにね、長さ的には。
っていうぐらいのものなんだけれども、
それが、実はさっき言ったようにナショナリズムとか、
あとは戦争、やっぱり世界大戦とかって結びつくときに何が起こるかっていうと、
いわゆる、例えば中とか高とかっていうふうに天皇を大事にしましょう、家族を大事にしましょうっていうところに、
天皇っていうのは日本国のいわゆる親みたいなものである、
要は国民全員の親みたいなものであるみたいな話とか、
あるいは日本国家全体が家であるみたいな、
そういう話をすると、イコール、天皇のために尽くす、家のために尽くすっていうことこそが大事だと。
それはいいんだけど、それがさらに戦争になると、要は、
それで自分の命を投げ出すことが立派な国民の姿であるとか、
あるいは天皇を守るために、どんなことでも慎んで受け入れることが日本人としての道徳なのだとか、
そういうものがすっと入ってきちゃうらしいんだよね。
主治学と国学の対比
いやー、なるほどし、たぶん今よりもだいぶ入りやすかっただろうね。
例えば江戸時代のまだ武士とかさ、そういう価格が残ってたとすると、
もちろんいろんな町民だ、農民だはいるだろうけれども、
その武士的な振る舞いとか、その価値観みたいなものって、たぶん理解はしてるでしょ、なんとなくね。
そうだね、残ってると思う。
その中でね、自分の家とかじゃなくて、その家が実は国なんだ、みたいなこと言われると、
そこをただスライドするだけだから、
そこに置くために忠誠を誓って、命を落として、従うのだというか、尽くすのだ、みたいなのって、
ある意味、今まで家に尽くしてたのに、みたいな、
あと尽くす場所がなくなった人たちの、上手い受け皿というのになりそうだよね。
勝手だね、そもそも。
そう、ていうのもあるし、やっぱりその、思想的に言うと、朱子学と国学って全然違う発想だったわけなんですけど、
これはやっぱりいい案倍にミックスされちゃってるんだよね。
いい案どういうことかっていうと、本来朱子学は、自分も政治にも目指すし、
例えば皇帝みたいな、いわゆる異性者がいたとしても、
それが良くなかったら、いわゆる天命、革命でそれを変えれるっていう、そういう発想がついてるじゃないですか。
あったね。
そうそうそう。なので、最悪国が悪い方向に行ってるときに、それを打ち倒すってことの正当性が保障されるんだよね。
あー、はい、そうだね。
そう、だから逆にそれとセットじゃないと、常に上を立てなさいとか、
命運のものに対して尽くすことが最適ですって、
やっぱりその命運の人がちゃんと天を知ってるとか、
まさに自分よりも政治に近いからって前提がないと成り立たないはずなんだよね。
なるほどね。やばい奴だったときどうする問題が、ちゃんと繰り広げてたのか。
プロデュースするだけでいいのかってなってるじゃない、そうなると。
一方で国学は、アマテラス・オオミカミから続く罪の道っていうのがあって、
それが続いていることこそが日本の正当性とか強みだって話じゃない。
つまりそれがガッチャンコすると、要はアマテラス・オオミカミから続いているのは全て正しいから、
つまり天皇が言ってることは全て正しい。
天皇が我々日本国民の親で、日本が一つの家族なのだから、
その親が言っていることに全て従うべきっていう、どうにも覆さないロジックが繋がっちゃうんだよね。
おー、そう考えるとなかなか恐ろしい話ですね。今の感覚から言うと。
もちろん当時それがどのくらいの強度を持っていたのかわからないけれども、
当然、僕らの知識としても、強迫されていくとか、
日本に戦地に行かない人はやっぱりダメだみたいな話があって、当然強迫されていくと。
一方で親としても、おくりのために命を尽くすことがいいっていう。
もちろんここまで見ると、やっぱり戦地に送られたくないとか、
自分の子供がとられるなんて嫌だっていう人もいたっていうのはもちろんあるとは思うんだけれども。
どうなんだろうね、確かに。僕そこまではわからないけど、どっちがマジョリティか、どっちがマイノリティかわかんないよね、そこに関してはね。
両方あって、僕も前、機会を持って調べたことがあるんだけれども、
思想の変遷
やっぱり再戦したときに、いわゆる一般国民とかでは、別にどっちでもいいというか、それは負けるよねみたいな。
とりあえず戦争が終わってよかったみたいなふうに言ってたっていう記録もやっぱり残ってるらしいんだよね。
はいはいはい。そういうところだよね。
やっぱり全員が全員どうかって言えないことではあるんだけれども、
なくともこういった思想的な感覚からすると、そういった主治学とか国学っていう全然違うルーツを持って、
むしろお互いに相反するような本来思想だったものが、明治っていう国を作るときにある種両方制度として取り込まれて、
やっぱり天皇中心とか天皇っていうものをかなり強力に押し出した国家というところにつながっていったんですっていうのは、ほぼ間違いなさそうな感じなんだよね。
わー、はいはい。なるほど。面白いね。
そうそうそう。
例えばそこに対して当然西洋からいろいろ入ってきます。技術とか実学もそうだし、あとは当然キリスト教とかも入ってきたわけだよね。
あー、そっか。はいはい。
なので、ああいう時代はキリスト教を異端というか不明とかやったぐらいなんで、もちろん禁止されてるわけじゃないですか。
で、あとクレキリストさんとか入ってるとかってあると思うんですけど、そうじゃなくて、明治とかになるとそのキリスト教がちゃんと認められるようになりますと。
でもやっぱりキリスト教じゃ当時の日本でやるとめちゃめちゃ難しくて、要はキリスト教で言うと、もちろん当然キリストっていう神様を信じるわけなんだけど、
日本で行くとやっぱり日本の中での天皇っていう、まさに神だよね、っていうものにやっぱり従わなきゃいけないっていう、要は神が2人いるってまさに時代になってくるわけなんだよね、キリスト教の感覚からすると。
うわー難しいね、そっか。じゃあ不教のために実は、例えば天皇もキリストなんですとかって言おうもんならおかしなことになるから。
いやー言えない言えない言えない。絶対言えないやつって天寺大神の子孫なのに。そう、絶対言えないよ。
実は表現が違うだけで天寺大神こそがみたいなのは無理なんだね。
いやもう不経済だよそれは。
考えても無理なんだよ。
無理です無理です。交わらないです。
だからね、なんか不教する立場からやったらさ、なんとかその現地の人に、じゃあこっちと同じなんだって言わせてやろうみたいなさ、無理だったんだね。
無理だね、うん。
みたいな話もあって、これも名前聞き方も多いかもしれないですけど、内村勘蔵さんっていう人いるじゃないですか。
何でお前知ってるの?
この人もやっぱり歴史で結構やってるはずなんだよ、日本史で。
はいはいはい。
で、この方がまさにその明治期かな、キリスト教的な思想を持って生きた人みたいな感じなんだけれども、
やっぱりそのいわゆる信仰っていうものと、やっぱり国会の中期みたいなものの中でやっぱりこう、なんつうかな、揺れ動くというか、やっぱりどう自分の目を立てるかみたいな。
うわー、それは個人の信仰の話だね、不教じゃなくて。
そうそうそうそう、個人の信仰です。
はーいはいはい。
っていうところをやっぱり思って生きた人もいるっていうふうな時代なんだよね。
なるほどなるほど。
ただやっぱり国としては明らかに天皇の方が強いので、当時だとやっぱりキリスト教も、もちろんメイン主義にはなり得ないっていうふうな時代でしたよ、というような感じなんだよね。
さっき話した通り、やっぱり明治があって、大正、デモクラシーっていわゆるいろんな価値観とか、民主主義がどうだとか、いろんな国のことも入ってきて、わーってなってる時代なんだけれども、
そこから昭和に入って世界大戦、さっき話した通り、第一次、第二次っていうのが入ってきますと。
そういった時に、繰り返しになっちゃうんだけども、やっぱり忠とか孝っていうものが、天皇とか国家のために命を捧げようと、っていうふうにどんどん読み換えられていっちゃうんだよね。
あー、なるほど。そもそもそういうふうに、井上哲次郎とかが作った日本道徳みたいなものが、やっぱりそれを基に教育してるから、それはそれでやっぱり価値観として、ちゃんと次世代には醸成されていってことだよね、大正昭和っていう。
そうなんです。私、これはちょっと僕もあんまりちゃんと知らなかったんだけれども、その国体みたいな言葉があって、この辺たぶん結構ね、国体、国の体って書いて国体っていうのがあるんだけど、
これはたぶんだいぶ先週とかもあるんで、聞きたくない方は飛ばしていただいても大丈夫なんですけど、いわゆるファクトベースで言うと、これが1937年、今100年も経ってないんだよね、っていうときに文科省の思想局っていうのがあって、
思想局なんてあったの?
そうそうそう、あったらしく。教科書として出すんですよ、国体の本義っていうものをね。
これ教科書なのか。
いわゆる日本の政党の歴史の解釈書みたいな感じであって、天皇っていうところが万世紀であって、日本っていうものを統治されているんだと、それが日本は神の国なんだってことが書いてあって、
ここにおいて、いわゆる日本は神の国であるっていうことが政治的な事実として、まさにもうそういうもんだっていうふうに広まってしまうわけだよね、政治から、政府から。
なんか素人からするとその辺ピンとこないんだけども、いわゆる一般の人たちというか、なんとなくそうだよねって言ってたりとか、そういう思想を持っている人たちがマジョリティである、大半であるっていうことと、
いわゆる政府、国の機関的なものが、これを定義することって違うの?何か。
解釈じゃなくて事実になっちゃうんだよね。
つまり、例えば元井伸長がいろいろ研究して、日本は神の国ですっていう場合、別の研究をして、日本は神の国ではありませんでしたっていうことも言えるわけだよね。
でも、これを例えば国が、日本は神の国ですってこれを使って授業をしてくださいって言われると、それ以外のことが言えなくなっちゃう。
例えば日本は神の国ではありませんとか、天皇は万世家ではありませんって言うと、それは反経済とか反逆罪とかで逮捕されるみたいな。
そういう説ありですけどね。母って教えると、その先生はもう解雇なんだね。
そうそうそうそう。
なんなら逮捕。
逮捕されちゃうみたいな、たぶんそういう感じだと思う。
てなぐらい全然違うというか、これは思想じゃなくて、本当に制度になっちゃうんだよね。神の国であるということが。
はいはいはい。
主主学もあって、国学もあって、西洋もあって、良かったねじゃなくて、そういう決まりごと。
日本という国はこういう決まりでできてますっていうふうなものに変わってしまいます。
というのが、この1937年時代の日本の状況だったらしいんだよね。
なるほどね。
それこそ100年前とは全然まだ100歳で生きてらっしゃる方もいらっしゃるから、むしろそういう方々が生きてる時代の出来事なわけなんだけど。
こういうふうに、もともとは主主学も国学も、個人的に良さったりとか、もっと世の中が良くなるようにっていうところでできたものではあるはずなんだけれども、
やっぱりその、より広い世界だよね。日本という国とか中国という国だけじゃなくて、
いわゆる世界が戦争で、食うや食われるやみたいな時に、やっぱりその理想的な姿っていうものは全部なくなってしまって、
ある種、都合のいいようにというか、日本という国をどうやっぱり固めるかっていうところ、
戦争にどうやって勝つためにっていうところに、やっぱり翻訳されてしまうみたいな。
そういうことがあったのが、昭和の時代だったらしいんだよね。
なるほど。
その後、大戦が終わりますと。1945年なんですけれども、ここからはやっぱりGHQだよね。
マカソとかが入ってきて、もう一回日本の国は変わっていくわけなんだけれども、
そのときにさっき言ったような教育職場というものが廃止される。
さっき言った国体の本義っていう本なんだけど、これが発禁処分にされるとか。
そういうことがあって、いわゆるその国、日本っていう国の仕組みに、
そういった天皇の神の子孫である、もっと言うと天皇も神である。
日本の精神物はそういった神の道っていうものから繋がってるんだっていうことを、
全部解体していくんだよね。
実際にこれも1946年、その廃政の翌年に天皇が人間宣言を出してて、
昭和天皇が自分は神ではなくて人間なんだっていうことをあえて言っている。
そういうこともやるぐらい、天皇と神って結びつきを明確に剥がしていったっていう感じなんだよね。
はいはい。わー、なるほど。
そうするときに、これももちろん諸説ありますみたいな話もあるんだけれども、
要は朱子学とか国学って、そういう空気を作った、要は天皇こそが神であり、
神に連なっている国民たちは戦争に行って戦うべしだっていう、
そういう戦争に突入するための議論の土台を提供したいという感覚になっていくわけなんだよね。
まあまあ、味方なんてことだね、はいはい。
思想的にはそうそう。
なので、ある種の朱子学とか朱子学とか国学をやっているっていう時点で、
ちょっともうなんか、実現しにくいというか、もうそんなことを言っちゃダメだよみたいな、
ある種、臭いものに蓋をするような空気っていうものがあったんじゃなかろうかと。
いうところで、朱子学とか国学っていうものが、一気にやっぱり世の中の中心的なものが消えていったっていう風な流れがあったみたいなんだよね。
うーん、なるほど。
なので、冒頭で2段階ありましたっていう話で、明治維新のときっていう話と、1945年第二次世界大戦終了時っていう話をしたんだけれども、
戦後の影響
明治維新のときはまだいろんな学問がある中で、西洋も東洋もどう扱うかっていう風な多様性がまだあったんだけれども、
やっぱり第二次世界大戦っていうときに多様性がなくなって、キュッと思想が狭くなる、精度化されていく中で、
もう負けたっていうことによってまた開いていくんだけれども、その時にある種、闇の部分というか、
そういったある種、良くない部分として切り捨られてしまった。
このが朱子学であり、柔学であり国学だみたいな、そういう風な捉え方もあるみたいですか。
いうのが一応今回の思想的な、江戸時代の思想っていう流れを得たときの、その先の話っていう感じなんだろうね。
うーん、こういう話を例えるのはあれかもしれないけど、
いわゆる真の思考点をやった文書的な感じに近いのかな、感覚として。
近いのかもしれない。どうなんだろうね。
この辺って本当にわからないことだらけじゃん。GHQがどうだとかさ、よくね。
そうなんだな、その辺勉強したこともないからさ、なんも言えないんだけどね。
結構ね、事実と、いわゆる結構憶測が混ざりやすい話でもあると思うんで、なかなか言えないんだけれども、
例えば大学みたいな、大学教授の話でも、やっぱり自分のやってたこととか勉強したことがまさに戦争に使われてしまったとか、
もっとそれを助長するような話になってしまって、やっぱり自分はそんなこと言うべきではなかったとか、
自分の説は間違ってたって言って、やっぱりそういったものから身をしりづくりな人もいたし、知識人とかそういう人っていっぱいいたわけだよね。
まあだし、単純に危ないもんね。
っていうのもあるんで、だからやっぱり、時代としてそこに触れさせないとか、そういうことを言ってた人がもうどんどん表目だから消えていく、
みたいなことは実際あったんだろうって感じなんだよね。
いわゆる戦犯になりかねないって話でしょ。
もちろんその敗戦とか戦争の歴史を知るときに、軍の暴走がとか、政治は気の不全とかっていろんなこともあった。
もちろんいろんなことは振り返られてると思うんだけれども、
あえてこの思想というか、そういう哲学的な文脈で言うと、
やっぱり江戸時代から続く主治学、国学、さらに言うとその手前で仏教とかも含めて、
いろんなものが混ざり合ったときに、それがやっぱり戦争っていう、ある種一大事だよね、その世界的な。
というときに、うまくあるいは悪く翻訳されてしまって、そういった思想的な土台を作っていったっていうことの流れは、
なんか結構ね、知っておいて損はないというか、やっぱり思想とか哲学、まぁ哲学はちょっと違うかもしれないけれども、
そういう考え方とかって、そういうふうに扱うこともあるよねっていうふうに改めて思ったんだよね。
いやー、なるほどね。
うん。だからやっぱり僕らもさ、さっき兄貴が言ってたけど、やっぱり神様みたいなものとかさ、
前回か、いわゆる天寺相美神の作った道が僕らの道だとかっていうときに、
ということはわかるけど、やっぱりなかなかそれを本当に信じろって難しいよねとか、
逆に言うとそれを本気で言ってる人に対して、ちょっと近寄りがたい感覚があると思うんだよね。
うん。それは別に何か差別を知るとかじゃなくって、なんとなく無意識的なレベルで引き受けたほうがいいとかっていう感覚って、
まさにこの敗戦の時期ぐらいから、そういった主主役的なこととか国家的なこと、
それがやっぱり戦争にある種日本という国を突っ込ませていったんだみたいな雰囲気っていうのがやっぱり蓋をされている。
だからそこへのカウンターって話なんだね。
神観の変化
そうだね。
確かにその、だってちゃんとさ、たぶん当たり前だけどさ、この話を踏まえると当たり前だけどさ、今回の話を踏まえると、
その辺学んでないわけじゃん、別に。教科書ですか。
学んでない、そうね。
神、神がいてですね、みたいなさ、それがもう小説とかの話で。
そうだね。
だからそれなのにというか、本気で進行しないほうが良さそうだみたいなさ。
なんとなくね。
その感覚がどっから来てるのかみたいなのが面白いね。
そうだね。
必ずしもね、ここが危険とかこれだけとはもちろん思わないけれども、
だいぶ重要な転換期でもあったんだろうねっていうのがわかるよね。
そうだね。だから、なんかこれはほんと雑談レベルだけれども、
よくあるさ、日本ではね、正月に初詣に行き、クリスマスにはチキンを食べる、
お盆にはお墓参りをしてみたいとか、いろんなことがあると思うんだけれども、
逆にこれがいわゆる特定の神様だったりとか、そういう存在っていうものに依存しすぎないとか、
逆にそれを相対化することでその重要性をちょっと下げてるみたいな、
そういう感覚にもつながってるんじゃないかなとか、やっぱり個人的には思っちゃうんだよね。
あー、これは面白いね。だから、日本でいわゆる八百代津の神を心地よく思ってっていうか、
なんとなくあるよねって思うっていう話はあると思うんだけど、
実はそうじゃなくて、一つによらないとか、何かを信仰しすぎないみたいなスタンスと、
八百代津の神のたてつけだよね。そこを信仰するじゃなくて、いろいろいるんだよっていうのが、
たまたまちょっと感覚として似てるだけで、全然実は違うのかもしれないね、出どころが、その感覚の。
その後はどっちだろう?
えっとね、さっき言ったお盆を薄めていくとか、相対化していく動きと、八百代津の神が、
全然出どころ違うんだけど、実は似たようなスタンスとして、うちらは何かそれを神様、確かにいるよねって思ってるつもりになってるみたいな。
そうね、なんとなく混ぜ込んで、八百代津の神がいるということと、僕らがいろんなものを受け入れられるということをつなげて理解するだけかもしれない。
そうそうそうそう。それは多神教的だっていうのは、確かにというか、もしかしたら違うのかもって初めて思った。
そうね、僕も今思ったなって。それこそ100年前までは天皇こそが神、唯一の神であるっていうところに、日本の人たちっていうのはもうそこの感覚で生きてたわけだから、それがどのぐらいの高度だったか当然わからない。
聞いてみたい、おばあちゃんとか。あれ?おばあちゃん今90歳か。
西洋思想との接触
90だからそう、あるはずだけど、あんまりそういう話はね。
ね、なかなか聞くこともできないし。
あんまり覚えてないとは言ってるしね、当時昭和がせいで。
あと地方だから。
確かにね。
みたいなこともあって、やっぱりこのぐらいの昭和の時代の話って、まだ本当に生きてらっしゃる方もおられるし、全然記憶というか、そういった課題といったものを含めてある方も話としてあるだろうから、いろんな方々の思いがあると思うんですけども。
あえてね、今日ここまで言ったのも、別に日本という国は、だからダメなんだとか、だからいいんだとかって、そこはなくって。
その根底に、やっぱりそういった朱子学とか古学、もっと言ったら江戸の思想だよね、っていうものが、思ったよりもやっぱり入り込んでたんだなっていう。
なんか僕の勝手に明治ぐらいで全部排除されて西洋化したって勝手に思ってたんだよね。
そっかそっか。だから自分たち自ら捨てて、自ら西洋化していったと思っていたってことだよね。
そうそうそう。選択をしたって思ってたんだよね。仏教を捨てて、例えば朱子学をやったみたいな感じで、今度は朱子学を捨てて西洋学問をやったみたいな感じなのかなって勝手に思ってたんだけど、
そうじゃなくて、やっぱりいろんなところにその発想って結びついてた。それが思想っていうよりもやっぱり政治とか、
政治性にどんどん組み込まれていっていたっていうのはすごい発見だったし、そういうところを知ることで見えてくる、やっぱり動きとか流れもあるよなと思って。
なので今回あえてそういったところまでお話をさせていただいたんですけれども。
はいはいはい。こうして消えていったんだね。なるほどね。西洋学とか、黒学はね。
でた感じで、今回だいぶ長く、主旗編からすると本当に2ヶ月以上やってきたんですけれども、次回ね、雑談っていう形で、
総括じゃないけれども、僕もいろいろ話したこととか、いろいろ話したいなってことがあったりもするので、
それをぜひ兄貴とも話させていただいて、次はどうしようかなって思ったんだけれども、
西洋学に来る前関東やってたじゃないですか。覚えてます?関東編やってたの。
内容忘れちゃったけど、あれだよね。関東第2回というかね。リベンジ編みたいなのがあって、もう一回やり直したみたいな。
そうですそうです。で、そこから、当然西洋哲学もどんどん発展していって、今度はヘイゲルっていう偉大な哲学者に行くわけなんだよね。
そうなんだね。流れ的にはそうなんだ。
ヘイゲルも過去一回やったんだけれども、やっぱり結構紹介不良だったなとか、もう帰りたいなとかってあったので、
ちょっとね、そっちに戻ろうかなと思ってますと。
へー、面白そうだね。だってヘイゲルの話って、もうハンバーガーの話しか覚えてないもんだって。
それはそうね。やったやった、ハンバーガーの話。
アウフヘイベンの概念の話しか覚えてないよ。
でも良かった。でも残れる予想通りだもんね。
なので関東の次ね、フィヒってシェリング、ヘイゲルみたいな、これも哲学史的な流れがあって、
そういうふうに、まっ転というか、いろいろ思想が展開していきますみたいに言われることが多いんですよ。
あ、そうなんだ。だから関東ヘイゲルではないんだね。
そうだね。すごい粗くするとそうなんだけれども、その間にもいらっしゃるみたいな感じがあって、次なのでフィジテっていう人やろうと思ってますと。
今の流れだとヘイギルだと思ったけど、たぶんヘイギルまで行くけど、まずはフィジテっていう人やるよって話。
そうですそうです。ヘイゲルに至るための。
またなかなか壮大な言い方だね。面白そうだね、それは。
でもなんかね、やっぱ面白いなーと思って、ちょっと息苦しさもあるかもしれないですけれども、
今回も出資学から、初期からやって、応用面やって、今回エイドまでやってっていうところで、やっぱりその理解が深まっていく感覚とか、やっぱりその繋がりが捉えられるからこそ、見えてくる面白さがあるなと思ったので。
ちょっとその次回、ファンとかのフィジテ、シェリング、ヘイギルってところまではちょっとこちらも息痛感でやってみたいなと思ってますっていう感じですね。
はいはい。おーわかりました。さすがにね、そろそろこうなんだろうな。漢字ばっかり飽きてきたから。
そうねそうね。
これ難しいよね。毎回ね、西洋やってれば西洋やってたでさ、東洋が恋しいって言うしさ。これはもうしょうがないね、これはね。もう甘いしょっぱい甘いしょっぱいっていう。
そうそうそう。で、両方味わっていただいて、それ以上全体として楽しいなって思っていただければそれが一番なんで。
はい、そんな思いもありながら、次西洋フィジテ編ということでやっていこうと思っておりますというところですね。
わかりました。じゃあ次回ですね、雑話挟みつつ西洋のフィジテに入っていくというところで楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
53:05

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