1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #309 「人間」の定義を一変さ..
2025-04-16 52:51

#309 「人間」の定義を一変させたジョン・ロック『人間知性論』

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。




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サマリー

ジョン・ロックの『人間知性論』では、人間の知識の起源や限界、知性の本質が探求されています。ロックは、理性と経験を基にした人間の特性について論じ、政治の正当性を理性に基づいて説明することの重要性を強調します。また、人間の知識は経験を通じて獲得されるという考えが強調されています。彼は、全知全能ではない人間が神を理解する過程や、個々の経験の重要性を論じています。このエピソードでは、ジョン・ロックの『人間知性論』を通じて、人間の感覚や平等性、成長の可能性が探求されます。ロックは、全ての人間が共通の理性を持ち、経験を通じて成長できる存在と捉え、従来のデカルトの理想的な人間像を覆す新たな視点を提示しています。『人間知性論』は、人間の定義を根本的に再考させる重要な業績であり、経験論の始まりとして位置付けられています。

00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ロックの哲学と人間の中心性
はい、今回もジョン・ロックということで、今回はよりジョン・ロックの哲学の中身というところでした。
そうですね。前回はですね、統治理論とか市民政府理論というふうな本で言われていた、政治側の方ですよね。
政府でなんで政党化されるのとか、民っていうところは出発点と同じなんだけど、
王様じゃなくて、やっぱり人っていうものがその中心にあるんだよみたいなところをお伝えしたかなと思うんですよね。
確かにその王権神授説だけか、あれ全然違うよみたいなところの納得感がやばくて。
兄貴が早くロックを捕らえろと言ってましたけど。
王様側からすると、もっと早めにロックの存在を気づいて排除しておかなかったのが敗因だったんだなーっていうのがよくわかったね。
あの時に捕まえておけばみたいに絶対になっちゃうやつね。
今回は私の底と実際でもあるんだけれども、哲学方面っていうことは、哲学の方の主張って言われている人間知性論っていうのがあるんですよ。
知性、いわゆる知る性質ね。そういう本があって、これを軸にしながら、ロックがどんなふうに哲学的な、もっと言うと彼の経験論だよね。
形にしていったというか、主張したのっていうところをお伝えしていきたいというふうに思っています。
なるほど。今言った経験論っていうのは、あれだよね。ロックが自分の経験から導いた何かとか、そういう話じゃなくて。
なんかよく話に出るイギリス経験論みたいな、なんかそういう話?
その話です、その話です。いわゆる大陸合理論っていうデカル的な話、この後またそれ出てくるんだけど、
っていうふうな話と、イギリス経験論っていう、経験っていうことが大事、人間の基盤にあるって話。
その中で、ロックが経験論の父みたいな話なので、そもそも経験論とは何ぞやみたいな。
ところも、ちょっと今回まるっとお伝えしていきながら、より深いところ深いところってふうにお伝えしていこうと思っていますよと。
わかりました。
知識の起源と信念の根拠
そもそも政治面でいくと、さっき言ったように政府のあり方の根拠はみたいな、そういうところを掘り下げていったわけなんですけれども、
この哲学っていう観点でいくと、ロック自体は、すごいこれ大きな問いなんだけど、
我々が何かを知る?とか、あるいは知識とかって言ったりすると思うんですけど、それって何よ?っていうことを掘り下げようとしたんですよね。
人間知性論ってまさに知性っていうものを掘り下げます。人間の知性ってものが使えますよっていうふうな話なんだけど、
なんで雑なことをしたのかみたいなところもあるんですけど、そもそも統治理論、前回の話でいくと、ロックが語っていたことって、基本人間っていうのはみんな生まれながらに自由とか平等っていうのがあって、
神様が与えてくれた理性があるから、それを使うと、ちゃんとお互いに合意の目で政府を作るとか、
逆に理性じゃなくて、王様の血筋、アダムから連なる血筋とか、聖書の言葉とかっていうものじゃなくて、ちゃんと理性を使って政治の正当性とか説明できるし、
人っていうのは社会を作っていけるんだっていうことを話したと思うんですよね。
要は人間の理性とか知性の信頼、自然状態の中でも、知性とか理性をちゃんと使えば人ってうまく生きていけるわねみたいな、そういうふうな信頼っていうのがあるんですよ。
それがないと、そもそも理性っていうものを疑いましょうとか、そもそも理性っていうものが間違ってる可能性があるから、
それは神様から与えたものでありませんとかってなっちゃうと、逆にロックの論理っていうのは破綻したわけなんだよね。
まあまあまあ、だから今ここで話している知性みたいなものとか、理性みたいなものっていうのはあくまで神様が与えてくれた的な、神が死んだとは全然違う感覚の中でロックは考えてるの。
哲学だからさ、神様からある意味離れてるのかなと思うんだけども、ロックの言う人間知性論っていうのは、神様が与えてくれたとか、神様がそういうふうに作ってくれてる人間の知性論みたいな、そういう感じなのかな。
そうですそうです。
落ちる、そこで抜けちゃうと。
確かにそうだよね。
確かに理性的なとかって言うと、神すらも疑うとか、そういうのもゼロベースで考えるイメージになっちゃうと思うんだけども、あくまでも神が与え保った理性。
ある種、人間の特徴というか、人間だけが持ってると考えられるものとしても、そういう物事をちゃんと考えるとか、抽象的に何かを話すとか、あるいは言葉を扱うとかも含めてなんだけど、
そもそもそういうものがあるから、人間は自然状態でも何とかやっていけるよね。それって神様からもらったものだよねってことを、政治の部分では言うんだよね。
でもロックってそこで終わらないんですよ。その理性とか知性ってそもそも何なのとか、よく理性を働かせるとかって言うけど、どうやって働くのとか、働かせるって何なのみたいなことを考えるんだよね。
なので、ある種統治理論とかで言うと、神が与えてくれた理性があるからOKっていうところなんだけれども、その土台として、じゃあその理性って何よっていうことをちゃんと深掘りします。というのがロックがやったことなんですよね。
なるほどだし、確かにそうだよね。人間は同じようなスペックなはずなのに、そのスペックの発揮の仕方は結構違うよねみたいなさ。めっちゃ考えてそうな人もいるし、考えてなさそうな人もいるし、みたいなとこはロックも気になってるだろうなっていう感じはするし、そういうのが説明できそうだよね。
その辺にアプローチすると。
そうそうそう。兄貴が言ってくれたことって本当その通りで、この人間知性論を書くにあたってエピソードみたいなのが残ってるんですよ。何があったからこれを書こうとしたのっていうのが結構珍しいタイプ性。
何かっていうと、あるときロックがアシュリー博みたいな人の家に行ったっていう話を第一回でしたじゃないですか。そういう貧力者のところに、当時病気治そうと思ってきたらたまたまロックが出会って、
打ちこぎやってて連れて行かれましたみたいな。
ああ、はいはい、あったね。
そういう話をしたと思うんですけど、そこでいろんな知識人の人と集まって話をするわけですよ。それこそ宗教とは何かとか道徳とはとか、そんな話をしたんだけれども。
いわゆる知識人なんだけど、その当時の賢い人たちとか、そういういろんな知見を持ってる人たちが集まってるんだけど、あんまり問題は解決しないし議論が前に進んでなくね?みたいなことがあったらしいんだよね。
へー、そうなんだ。
で、研究学やってた時に、ロックが、そもそも合意を取るとか知るとかっていう言葉は当たり前に使ってると思うんだけど、それって結局何から来てるのとか、そもそも人間の知識とかってどうやって成立してるのっていうことを考えないと、宗教とか道徳とかに話しても議論が進まないんじゃね?って思ったらしいんだよね。
わー、なるほどね。はいはいはい。
まさに根幹を下げにいくって話だよね。なぜ我々の議論が進んでいないのかというと、それは物を知るっていう手続きとか、その在り方に関して我々は知らないからだっていうふうに思いました。
ふんふんふんふん。
で、そこからこのロックが目的として、これ実際本の人間知性論の序論に書いてるんですけれども、ちょっと言葉が難しいんだけど、人間の知識の起源と確実性と範囲。
どこから来て何が正しいって言えて、かつどこまで人間は知れるのかって話だよね。
ふんふんふんふん。
でもありとあらゆるものを知れるのか、それが限界あるのかってことを探求するし、合わせて信念や意見や同意の根拠と程度を探求することが目的だって言っていて。
おー、なるほど。まさにさっきの話か。はいはい。
そうそうそう。つまり道徳でこれは正義だとかっていうときに、なんでそうやってそういうふうに信じられるのとか、その意見の妥当性はとか、何が起きたらそうやって人は合意するのとか。
それって、それが分かんないと結局、ただそれぞれが好きかって話をしてるだけじゃん、とも言えるじゃない。
いやー、そうね。
そうそうそう。そういうまさに共通の土台となるテーブルとかルールを作り、ルールじゃないな。そこに何が働いてるかっていうことを解き明かしましょうよってことを考えるんだよね。
ふんふんふんふん。
なので、やっぱり哲学ではあるんだけれども、最初から人間とは何かとか、宇宙の根源はとかってことじゃなくて、
単純に、俺たちの頭、要は理性とかって、そもそもどうやって動いてんだっけとか。
ふんふんふんふん。
そういうことを、ある種素朴に問うていくみたいなことから始まってるんだよね。
わー、なるほどけど、すごいとこイメージ切れたね。
いや、思ってもさ、それがどうやったらできるかって全然わかんないじゃない。
うーん、そうね。解剖とかし始めちゃうかもしれないよね。
結果的に脳がこうなってるみたいだね。
うん。
確かに確かに。やっぱり哲学でやってくるんですけど、やっぱりそれは、単純に自分のアイデアだけじゃないんだよね、当然。
ふーん。
タブララサと観念の獲得
で、ここで当時の状況をちょっと見ておきたいんですけれども、当時のいわゆるヨーロッパの知識人みたいな人って、
やっぱりデカルトの議論っていうものを結構影響を受けてるんですよ。
ふーん。
デカルトがちょっと一世代やっぱ上ぐらいのかな、ロックより。
ふんふんふんふん。
で、デカルトといえば何度も出てくれば我を思うゆえに我ありですけど、
それで言ってたこと何よっていうのは前デカルト会でもちょっとお話ししたんですけど、
この文脈で大事になってくるのが、いわゆるデカルトからすると、
我々人間って生まれつき、基本的な概念の型とか、考え方、
これを観念とかって言ったりするんだけれども、
それは持ってるんだよ、それを持って生まれてくるんだよっていう風に言うんだよね。
ふーん、そうなんだ。
例えば、そうそう、いわゆる神が存在するとか、善悪の区別は何かとか、
そういう概念って基本的に人間なら誰でも持っているので、
正しく理性を使うとそれがわかるし、
それがわかんないってことは理性の使い方が正しくないんだっていう風な、
ある種頭の中だけで結構完結するような世界観なんだよね。
ふーん、そうなんだ。
っていうのがデカルト的な話なんですけど、
これに対してロックはデカルトかなり学んでたらしくてですね、
いろんな本とか読んでたらしいんだけれども、その上でちゃんと批判をしていきますと。
その上で考えるだけでもさ、例えば赤ちゃんを見たときに、
果たして本当に神の存在って知っているのだろうかとか、
あとは遠い土地に住んでる、全然自分たちとは違う仮に文化の人がいたときに、
善悪の観念って本当に一致するのか、要は元々備わってるのかっていうことって疑えるじゃない?
おー、なんかグローバルな視点だね、ちゃんと。
そういうふうな交流もあったのかなと思うんだけれども、
デカルトはすごいことを言ってるんだけど、
生まれながらにして神の観念とか存在とかってものがあるかというと、
ちょっとそれは自分は納得できないって思うんだよね。
それに対してロックが出した答えというか、
アイディアがよく言われるつぶららさって言われるもので、
白紙とかって意味なんだけれども、
要は人間の心みたいなもの、
要は生まれたときに何も書かれてない白紙みたいなもので、
そこにいろんなものが書き込まれるっていうことが、
知識を獲得するとか、
いわゆる理性を働かせるってことじゃないかって考えるんだよね。
逆に言うと、デカルトとか当時の人たちはそう考えてなかったんだね。
そうなんです。そこが面白くって、
生まれた瞬間に絶対人間であれば、
神というものを存在として理解しているはずだとか、
生まれながらに持っていた当たり前だって言われるんだよね。
あと、罪悪の判断とかもね。
それは魔女狩りとか起きるじゃんって思うよね。
まあね。
どっちが先か知らんけどね。
本当のところだね。
ちょっとこれ脱線的な裏話なんですけれども、
本読んでて面白かったんだけど、
ロックといえばタブララサだって言われたりするんだけど、
実は最初ロックって別にタブララサって言ってないんだって。
そうなんだ。
普通にロックの本を読むとホワイトペーパーって書かれてて、
分かりやすい。
まさに白紙だよね。
それがいわゆるラテン語とかフランス語とかに翻訳されたときに、
タブララサっていう風な言葉になって、
そっちの方がかっこよくて広まっちゃったよみたいな感じのシーンだけど。
なるほど。
結局は言いたいことは同じ。
人間って生まれながらにしていろんな知識とか観念。
この観念ってロックの大きなキーワードなのであえて使ってるんだけど、
その観念が何かって次回ちゃんとお伝えしていくんですけど、
そういうものは持っているんじゃなくて、
いわゆる語感による経験。
見たり聞いたり、味わったりという経験とか。
また外からだけじゃなくて、
ロックの経験論
いわゆる中では人間というのを考えるじゃないですか。
それこそいろんな内省をするとか反省をするとか、
記憶であれは楽しかったなって思うとか。
そういうことも含めて、だんだん白紙である心というか、
自分の知識の基盤というものを増やしていく。
獲得していくんじゃないかという発想をしたんだよね。
なるほど。
これがまさに経験論の経験という意味で、
逆に言うとデカルトは経験しなくても、
人は神というものを知れるというか理解できるというふうに思ってました。
はいはいはい。
ロックはやっぱり神の経験とか、
神と触れ合うということを通じて、
初めて神という観念が得られるというふうに考えてます。
というふうな意味で、全然違うんだよね。
いやー、今だとロックの側のイメージだけどね。
そうだよね。常識的に言うと、
いわゆる環境要因と、もちろん遺伝とかはあるかもしれないけど、
別に遺伝の中に神様の存在が組み込まれているわけでは多分ないだろうから。
おそらくね。
おそらくね。
善悪とかもしかしたらあるかもしれない。
善悪よりも、快とか不快のほうが近いかな。
要は何が心地よくて何が心地よくないかとかは、
もしかしたら生まれながら持っていると思えるかもしれないけど、
ロックから言わせると、それもやっぱり生まれた後にちゃんと感じるものとか。
だけにね、すごい豊かなふかふかのベッドだけでしか寝たことがない人と、
ごつごつ床で寝たことしかない人がいたときに、
快不快ってもあるかもしれないけど、基準とかは違うじゃんってことは言えたりするよね。
そうだよね。
そういう意味で、白紙というか、そういう経験から学んでいくものっていうところが、
わりと馴染みやすいっていうか、
ロックがそう言ったから、僕らはそういうところに乗っかって生きている。
そういう感覚を持ってるんだね。
そうそうそう。
っていう風な感じなんですよね。
細かい議論をまとめると、知識とか知るっていうこと?
っていうのは、兄貴がさっき言った通りで、最初から自分の頭の中にあるんだって、
もともとは思われてたんだけど、実はそうじゃないんだと。
神と人間の理解
そうじゃなくて、経験を通じて、さすがにこれは面白いんだけど、
自分の心の中で作り出せるものなんだっていう風にロックは言うんだよね。
どういうことかっていうと、
これまた次回以降ちゃんと話してくるんですけど、
仮に神様というものがいたとしたときに、
何かしらの神様の関わりを持ってそれを理解していくんだけど、
神様そのものを知ることができますかということを考えていくわけだよね、ロックは。
そうなんだ。はいはいはい。
これは神様だけじゃなくて、目の前の人はリンゴとか石ころでもいいんだけど、
やっぱり人としては見たときに、
これもね、ちょっと関東っぽくなるけど、
物そのもの、リンゴそのものっていうものを見れますかとかっていうことも考えていくんですよ、ロックって。
おー、そうなんだ。はいはいはい。
どう思う?改めてこういう流れから聞いたときに。
そうだよね。今の流れで言うと、
例えば自分はリンゴのある側面しか経験してないとも言えるような、そういう話だよね。
美味しいとか味しか経験してない。
人によっては色味とか丸みみたいなものの方に味よりも、
個人の経験としては強い人もいるかもしれないしとかって考えていくと、
リンゴって何だろうってものは、
意味みたいな話になるけど、
やっぱり難しいよねと思うよね。そのものを知るっていう。
そうだね。本当にその通りで、
まだちょっと違う部分もあるので、そこもまたお伝えしていこうと思ってるんですけど、
その中の意味で、やっぱりロックっていうのはあくまでも外のものを知るっていうときにも、
やっぱり心っていうものが大事とか、
そことのある種相互作用みたいなのがあるよねっていうふうに考えるんだよね。
それまでは理性とか頭だけで全部わかるって言ってたから、
それって結構大きな違いが合理論、デカール的な考え方と、
ロックの定見論的な考え方にはありますよという感じです。
これって実はすごい謙虚っていうか、現実的な考え方なんだよね。
そうなんだ。
どういうことかっていうと、全部が理性でわかりますとかっていう話ってよくすると思うんだけど、
やっぱりそう言ったら、もはやそれって全知全能みたいな話になっちゃうじゃない?
まあね、確かに。
理性を正しく働かせさえすれば全部わかるんだけど、
それができないから要は知らないことがあるとか、
見えてないものがあるっていうふうな発想だったんだよね、やっぱりそれまでって。
それってある種、本当にって考えたときに、
そもそも人間って全部を理解できるわけないよねとか、
そう思っているとやっぱりめちゃめちゃ思い上がりじゃないとかっていう反省もあるわけですよ。
なるほど。
っていうときにやっぱりロックからすると、やっぱり人間って神のように全知全能じゃないし、
さっきのリンゴの話みたいに、やっぱりリンゴっていうすごい単純な存在だって、
それを本当の意味で全部理解できるかっていうと難しいし、
もっと広げていったときに、じゃあ世界の全てとかっていうものを本当に人間が解き明かせますかっていうと、
やっぱり無理じゃねって思うんだよね、ロックは。
平等な人間観
そうなんだね、はいはいはい。
逆にそういう限界はあるけれども、人間ってやっぱり学んだり、
そろそろ経験したりとか、学んだりとか、あるいはいろんなものを組み合わせるっていうことで、
少しずつやっぱり世界を理解したりとか、あるいは人間を自分自身成長させていくことができる。
うんうんうん。
これが私、経験論の良いところというか、そういうふうにちゃんと積み上がっていくんやって、
仮想自体もすごくそれまでの常識からすると新しい考え方なんだよね。
あーそうなんだ。
やっぱり馴染みにくいと思うんだけど。
たぶん当たり前すぎるというか、今の感覚がたぶんこっちに近いから、改めて言われると、
あ、そうなんだ、当たり前だけどね、みたいなところなんだろうね。
そうだね。逆に言うと、デカル的な発想からすると、
あなたがそれ知らないのは、あなた理性の働かせ方が間違ってるからです、というだけでしかない。
なので、ある種、原点方式だよね。本当は100点を持ってるんだけど、
あなたはまだ30点です、みたいな。
はいはいはい、まあそうだね。
やっぱり世界観になっちゃう。
だからそうすると逆に言うと、子どもとかって単純に要は劣った存在とか、
大人みたいに理性を働かせることができない存在っていうふうに、やっぱりどんどんマイナスのイメージになっちゃうんだよね。
へー、なんかそれを言ってる自分は100点なのかね、みたいなね。
あー、そうですね。
感じだよね。
でもやっぱりデカル的からすると、その100点の理想をもとに言うことがまさにベストだから。
それと近くて、自分が悟ってるかどうかは知らないが、あなたが悟ってないことがわかります、みたいな。
人が出てくるわけ。
なるほどね。私も100点ではないけど70点ぐらい言ってるはずで、あなたは30点でしょ、みたいな。
そういうマウントみたいなのが起こるわけね。
そうそう、全然取れちゃうし。
はいはいはい。
それでやっぱり社会的にもそういう、だから子供は劣った存在だとかさ、男性の方が女性よりも優れているとかさ、そういうことが起きやすくなっちゃうんだよね。
へー、なるほど。
うんうんうん。
そうじゃなくって、エロックの場合でいくと、子供は子供なりに世界を理解していくよねとか、
それを積み重ねていくことで、ちゃんとその経験を積み重ねていくからこそ知識とか、まさに知恵というものが身についていくよね、みたいな。
うんうんうん。
そういう発想が、そこで初めて出てくるっていうぐらいの話なんだよね。
はい。なのでロックはそういう経験論みたいな考え方をしていくんだけれども、逆に言うと人間って神に見たら全知全能ではない?
全てを最初から知っているとか、理性を100%働かせれば世界の全てまで知れるみたいな、そういう世界観とか人間観っていうのをある種捨てちゃうんですよ。
うんうんうんうん。
それって今からすると当たり前だと思うんだけど、当時でいうとむしろそれができる、むしろそれをやることが人間の理性をちゃんと働かせることだっていうふうな世界観なわけだったんだよね。
もともとね。
もともとデカルト的な世界観からすると。
うんうんうんうん。
そういう意味で言うと、ロックはここでも、前回の政治のところで王様から人へみたいに言ったように、人間は頑張れば神ぐらい全部理解できるっていうところから、
それって無理じゃね?できないよね?っていうふうに結構大きく変えちゃうんですよ、やっぱり。
はいはいはいはい。
やっぱり哲学って人間感だよって話を何回かしたことあると思うんですけれども、新しい人間感とか人間の在り方そのものっていうものを考えるのがやっぱりロックだっていう感じなんだよね。
はいはいはい。
だから、そこのあれだね、当時のデカルト側の感覚と、あとあれだよね、多分今のうちらの感覚っていうのが、多分このロック側、さっきも言ったかもしれないけども、ロック側だから多分いまいちピンとこないというか。
まあそうだね、当たり前じゃ多分なっちゃうと思うんだけど。
よほどあれだったんだね、俺たち無敵みたいな感じだったんだね、デカルト側は。
まあそうだね、無敵っていうか、分かりやすく言うと、世界の根源とかを追求してきたわけじゃない、西洋の哲学っていうのは。
常にいつかそれにたどり着けるっていうふうな発想が絶対あるんだよね。それは今でも科学とかにあるかもしれないけれども。
ある種ロック自体は、それってどこかに限界がある。
全てを解き尽くすっていうことが人間に与えられた能力からして、やっぱり無理なことがあるよねっていうふうに言うんだよね。
そうなると、前回さ、例えば政治理論、ポーチ理論をさせたと思うんだけれども、やっぱりあくまでもロックの政治の世界観って、
人間は自然状態でみんな平等に生まれついていて、協力し合って生きていくべきだっていう話だったじゃないですか。
これも逆に、人間って全部理解できるようになると、全部理解できる人とか、
全部理解できる優れた存在が他の人間を治めればいいじゃんっていうふうな発想になっちゃうじゃない?
なるほど。だから全員が理性を発揮できるみたいな感じでもなく、理性レベルみたいなものがあるみたいな感じになっちゃうのか、デカールトの方だと。
そうだね。全員が理性を持ってはいるんだけど、それを100使えるかどうかっていうのは人それぞれだよねって話だよね。
だし、前回の王権新説でいうと、王様っていうものが優れている。民から権利を与えられているから、王様こそが偉いみたいなもの。
やっぱりそれ誰かが特権を持っていて、他の人はそれに従うべきだっていうふうな発想なんだよね。
そうじゃなくて、ちゃんと人間は学んだりとか、自分の知識とか経験を積み重ねていくことで、
ちゃんと成長できるよねとか、少しずつ世界を理解していけるよねっていうふうな発想があって、
これって現代から当たり前すぎて、それはそうじゃんって感じなんだけど、でもそういうふうにちょっとずつ成長していくとかっていうことも、こういう経験論的な考え方が出てきてるものなんだよね。
はいはい、なるほど。
なので、まさにロックが言った人間は平等だみたいな話も、こういうふうに最初はみんな白紙で、そこに知識とか経験を積み重ねていくっていうような人間感がないと、そもそも成り立たないよっていうふうな感じなんだよね。
まあ確かに、はいはいはいはい。
そういう意味でやっぱりロックの哲学っていうものと、やっぱり定義の在り方、これってやっぱり人間の在り方なので、政治というか社会の在り方って。
うんうんうん。
というところって、ある種で同じ人が考えているから当然じゃ当然なんだけど、重なってるような話なんだよね。
うんうんうんうん。
なんかそこでイメージわからない、ロックが言おうとしたこと、ロックが何を乗り越えようとしたのかみたいな。
いやー、難しいね。たぶん本当に当たり前すぎるんだろうね、価値観としては。
そっかそっか。
デカルトを前やった時にそこまで、それはそれで違和感はたぶん感じてなかったのかもしれないんだけども。
はいはいはい。
だいぶ世界観としては、ある意味生まれながらに理性レベル70の人がいて、生まれながらにレベル40の人がいて。
うん。
基本的にもそれは、40で生まれた人は50にはならないというか。
理性と成長の可能性
あーなるほどね。
どうなんだろうね。
ちょっとね、それがね、たぶん、そこがたぶん今若干違うんだよね。
うん。
うん。
理性レベル40の人が生まれてくるんじゃなくって、全員理性レベル100持ってるんだよね。
うんうんうんうん。
持ってるんだけど、人によっては50しか発揮できてないとか。
うん。
80発揮できてる人がいるとかっていう感じで。
うんうんうんうん。
で、これは成長とかじゃなくって、なんていうのかな。
あのー、知らないだけだって話なんだよね、それは。正しい理性の使い方を。
これは例えば、30しかできてない、30しか知らない、その100打30しか使うことを知らないレベルの人がいたとして。
うん。
例えばその、お師匠さんみたいな人から話を聞くと、50ぐらい出せるようになるかもねみたいな、そういう感覚ではあるのかな、デカルト側も。
うーん、難しいなあ、どうなんだろうなあ。
多分デカルトからすると、本来100使えるでしょ、と。
うん。
でも、なんだろうな、50しかできないっていうことは、やっぱ何かその人の、なんだろうな、捉え方が間違っている、なんていうのかなあ。
積み上げていって100に近づくっていう感じじゃないんだよね。
うんうんうんうんうん。
本来100使えるべきなのに、それができていないということは、なんていうのかなあ、いわゆるこう、暗闇に囚われているよねみたいな、なんていうのかなあ。
あのー、やっぱそういうことちょっと上から目線じゃないけど、詐欺すれば良いな感覚が、ちょっとこれごめんなさい、僕の、なんだろうな、偏見かもしれないけれども。
うんうんうんうんうん。
っていうのがやっぱりデカルト的な発想にはあるんじゃないかと思うんだよね。
あー、なるほどね。ちょっとその、たぶんこのロックの感覚を理解するには、たぶんそのデカルト側の大元の、そっちを理解しないといけないなと思ったんだけど。
確かに確かに。
そうすると、えっと50、100できるはずが50しかできないっていうことは何かが欠けてるはずだと。
あーそうだね。
やっぱそういう風には思っちゃうみたいな感じなのか。
うんうんうん。
やっぱそこには教育みたいなものとか、50だけは60になるはずみたいな感覚がそもそもないって感じなのか。
まあそうだね。やっぱり人も知るべきことはもうすべて知っているみたいになるから。
うん。
その、それをうまく取り出すスキルとか私が教えられるとかはあるかもしれないんだけど。
うん。
なんだろうな。いわゆるこう、いわゆる僕らが普段演じている教育みたいになんか新しいことを学ばせようとか。
うん。
それによって、より豊かな人間になるとかっていう発想は多分ないんだと思うんだよね。
はー。ほうほうほうほう。
うんうん。だから、確かに今言ってて思うけど、やっぱりあまりにもそのなんだろうな、感覚が多分そのデカール的な感覚がわからなさすぎる。
うん。
結構現代とかしたときに。
うんうんうんうん。
やっぱそれを乗り越えたロップを聞いたときに、まあそうやって当然じゃんとか。
うん。
なんだろうな。当たり前にね、人って成長できるよねとかってやっぱ思ってしまうんだけれども。
うんうんうんうん。
やっぱり当時の状況を考えると。
うん。
なんだろうな。そういうふうにどれでも経験すれば世界を広げていけるっていう感覚自体がやっぱりめちゃめちゃ斬新。
あー、なるほど。だから今聞いて思ったのが、本当に、例えばデカールとかは、まあデカールとかは悪者じゃないとは思うんだけど。
うんうんうん。
そっち側で言った、例えば人間が理性を持ってるみたいなものの人間っていう定義が、多分うちらが思っているよりも相当狭いんじゃないか説が今出てきた。
あー、なるほどね。やっぱ人間とは誰か説だね。松井さんがずっと出ている。
うん。それがなんとなく日本の哲学者っていう話からすると、西洋みたいな括りで人間を捉えたんだけれども、もっと狭そうだぞみたいな。
その西洋というか、の中でもこの地域なのか家柄なのかわかんないけども、なんかだいぶ狭い感じがしたね。
確かにね。ある種、理想的な人間像というか、当時の例えば成人、特に多分男性だと思うんだけど、の中でもちゃんと理性を働ける人ってこうだよねとか、
そういうふうな、確かに一部の人間について、それはもちろんデカルトとしてはそれが普遍的であるとか、誰でも同じ手続きを踏めばそういう人間になれるとは言ってるとは思うんだけど、
やっぱあくまでもそういう手続きを踏んだ人間の話をしてるんだよね。
だから、もっと言うとデカルトはやっぱり人間というものを、ある種これが理想だとか、こういう人間こそが賛成系だみたいな感じが多分あるんだよ、前提として。
ロックはそうじゃなくて、みんなそれぞれだけど、それぞれ学ぶ力とか、経験から新しい知識を得る力とか、そういうのは持ってるじゃないかと。
それがいわゆる神から与えた理性なんだけど、それ自体が共通であって、そこに平等さがあるよねっていうふうな話なんだよね。
人間の不完全性と経験
うわー、なんか、前回政治の話でロックヤバいねって話したけれども、これ人間存在レベルでヤバい人なんだろうなっていうのが今フツフツと、やっとここまで来て思い始めてきたね。
人間存在レベルってどれくらい?
いやー、今回の話だと全然分かりようがないというか、想像でしかないんだけど、さっきのデカルト側みたいな表現をしたけれども、そっちの価値観と、散々今この話をしてくれてるんだけれども、
あとロックが話してる経験論、ホワイトペーパー的な感覚の人間って、全然違うよね。
はいはいはいはい、いやそうだね。
なんかそのヤバさみたいなものもちょっとここに来て、ちょっと感じてきたというか、
確かに確かになー。
なんだろうな、これ表現としてというか感覚として違うかもしれないけれども、それこそ家柄とか身分とか、あと子供、子供を捕え方も全然違うんだろうけど、
はいはい。
いろんなものが多分めちゃくちゃ固定されてるんだろうね。
うんうんうん。
確かに固定されてきてると思うんだけど、その時代とかによっては、もうこう生まれたらこうだとか、男はこうあるべき、女はこうあるべき、子供はこうだとか、こうなったら子供から大人になるんだみたいなとか、いろんなものがもう固定されすぎてる。
そうね、確かに。
もう正解みたいなものがあって、そうじゃないものは違うんだみたいな感じだったりとか、もう生まれながらこうだから自分は理性レベルはもう30しかないんだみたいな。
それを自分で決めてるっていうよりはもう社会で決まってるみたいな。
そうだね、そうだね、確かに。
すごい固定されてる感じがするんだけど、そこにきて一気にこの自由主義みたいな話、それが政治だけじゃなくて人間の感覚レベルでも、そのホワイトペーパーからみんな基本平等って言うとあれだけど、
基本同じ、違うっていう前提じゃなくてみんな同じだっていう前提に立つみたいなものの変換が、今の話からだとその変換が行われたんだろうなって思うと、やべって思う。今回もやべって思った。
確かにいわゆる枠が固定されてる中でも人間っていうものと、それが一体壊されてもっとわちゃわちゃした人間っていう意味での違いがあるなって思ったのよ。
ちょっとこれ台本に入れてなかったんだけど、世界の名著っていういろんなシリーズがあるんですけど、その中にロックとヒュームっていうのがあって、そこに実際に書いてるんだよね。
要するにって言ってるんだけど、ロックの思想の革新っていうのは人間にあるんだと。どういうことかっていうと、それまでの人間ってまさに、ある種完璧な人間とか、ある種世界の隅々までちゃんと理性の光を照らして理解できる。そういうものが正しい人間像でしたと。
そうじゃなくて、ロックはある種、人間っていうのは有限の存在なんだと。世界を全部隅々まで理するってことはできないし、時には間違えることもあって、それはもうそれでしょうがない。
だからこそ、そういう経験から学んで自分を修正できるとか、そういうふうに生きていくことっていうことの方が人間として正しいというか、より適切な在り方なんじゃないかっていうことを言ってるんだよね。
これって、今からすると当たり前なんだけど、当時からすると、そんな不完全な人間のことを語るなんてって感じなんだよね。
平等な人間観の変革
いやー、だし、そういう発言をしてる人からすると、ある意味人間じゃない側だよね。
新人間だよね。
それを人間と呼ぶなんて危ないよ、みたいな話だよね。どうすんの?
それを避けてきたから、今俺たち人間は、社会はこんなにも繁栄してるし、素晴らしい世界になってるのに、なんでわざわざ野蛮な世界に戻そうとするんだい?みたいな、たぶんそのくらいの気持ち悪さみたいなものがあったのかもしれないよね。
あると思うな、あると思う。これもイメージだけだけど、それはまさに社会的に、いわゆる装のというか、そういう階級が低い人がいたときに、
あいつらは人間じゃねえとか、あいつは哲学なんかやらねえみたいな、そういう関係もあったんじゃないかと思うときに、
ロックはそれも含めて全部人間だよと。ちゃんと理性があるし、学ぶ力があるし、成長できるんだよっていうふうに言ったっていう感じでいくと、
確かに何か言ってくれた通り、人間の感覚っていうものがかなり広がってる感じはあるよね。
平等とか自由とかいうものの適用範囲だったりとか、そもそも人間と呼ばれてしかるべき人の生き物の範囲がめちゃくちゃ広がってる感覚がある。
そうだね、そうだね。だからやっぱ革命圏とか言えるんだろうね、やっぱり。
そうだね。じゃないと、ある意味人間だよね。本来の意味での、うちらはもう人間ってものが主語に初めてなった瞬間なのかもしれないよね。
ああ、なるほどね。その感覚はなかったけど、やっぱり兄貴の捉え方はたぶんね、正しいかわからないけど適切だなって思う、やっぱり。
確かに人間自生論っていう時の人間っていうものがすごい主張されてるし、逆に言うとそれでロックは改めて人間って本当の意味でやっぱ全員、神が作った全人類、全人間がちゃんと平等だよって言ったんだなって思うよね、今の話を言うと。
だから下手したらデカルト側の言う人間って、王様と政治を動かす側の人たちだけ、お金持ちの人たちだけかもしれないしね。何ならそれより狭いかもしれないし、みたいな。
そんぐらいの窮屈さじゃないけど、そんぐらいの違いを勝手に想像で感じてるけど、逆にそんぐらい想像しないとこのロックの凄さもまたわかんないというか、そういうデカルト側を想定することでやばいことをやったんだっていうのを今勝手に思うとしてるっていうか、自分で勝手にストーリー作っちゃってるかもしれないけど。
もちろんデカルトがそうだって言わないし、もちろんデカルトはデカルトでそういうことをやっているんだけれども、あえてロックのことを理解しようとしたときに対比すると確かに今のはわかりやすいかもね。
なのでやっぱり、さっき言った通りこの本を書こうとしたきっかけって知識人の人たちがいろいろ話しても、そもそも前に進まないよとか、合意が得られないよっていうところから始まっているんだけれども、
やっぱりロックっていうのはそこを掘り下げたときに、いろんな物事をそもそも考えられる人か、そういうふうなことに精通してる人っていうことじゃなくて、そういった白紙、本当にゼロのところから知識が作られてどうなのっていうふうに、やっぱりめちゃめちゃそこをフラットに見てるんだよね。
そういう意味で言うと、まさにやっぱり人間というものを最大限広く捉えたときに、それはなぜなら神様が人間というものをそういうふうに作ったからなんだけど、そういうときになんで人間というものは物事を考えることができるのかとか、物事を知ることができるのかっていうところから捉え直してるっていうのは本当にそうだなと今聞いてて思ったし、
そういうふうな世界観とか人間観で見たときに、改めてそういう世の中を捉えたときに、ロックが言う世界って何なのとか、ロックが言う世界ってどんなふうになっていくのっていうのは、まさにその人間性論で書かれてることなんですよね。
あー、なるほどね。はいはいはい。やっと終盤も終盤で、その凄みというか、やったことというか、前回の政治的なところはめちゃくちゃヤバいことをした。
今回、いわゆる人間存在そのものに対してもヤバいことをしてそうだというところはわかるのかな、想像できてきた気がするかな。
かつたぶん次回とか、次々回かもしれないけど聞いていただけると、人間存在だけじゃなくて、そこを取り巻いている世界そのものに対してもヤバいことをおっしゃっていくことが伝えられるんじゃないかなって思っているし、
そういうのを伝えるために台本もちゃんともう一回作ろうかなって、今思ってますって感じだね。
はいはいはい。ぜひぜひ。
まあちょっとね、今回デカルト、勝手に悪者にした説はあるけれども、デカルトの犠牲によりね、勝手な犠牲によりロックの面白さが。
ロックの経験論
しかも勝手にね、勝手に想像してるっていうね。ところだけども、細かいことは絶対違うと思うけれども、イメージとしてはそんぐらいやっぱりロックは、そんぐらいのことを自然化したと思っていて間違いではないんだね。
間違いないと思う。
そのぐらい、前回の政治の話だったけども、やっぱり人が知るっていうことに関しては逆転というか、そういったぐらい大きなひっくり返すことをしているのがロックだよと。
それをある種、後世の人たちが経験論というふうに名付けて、その始まりがロックだというふうに言ったよっていうことが、今回伝えれば大丈夫かなと思っていますというか、むしろそれをやっぱり伝えることがこんなに難しいんだっていうことも、今僕も改めて思ってるし。
たしかにね。最後をやっとじわじわと。前回もそんな感じだった気もするから。
そうだね。逆に言うと、やっぱり僕も分かんなかったから、ロックの凄さが。やっぱりなんとなく、何か当たり前のこと言ってないとか、それ経験で大事でしょみたいなところで済ませちゃおうといえば済ませちゃえるというか。
やっぱりそういうふうに捉えられてしまう。やっぱりその奥いろいろ、言っても僕もね、ロック自身の本をガッツリ読んだわけじゃないかあれだけれども、ちょっと解説書とか読んだだけでも、やっぱりロックすげえなとか。
そういうふうな時代の中でこんなことを考えたんだっていうところで、やっぱり驚きとか凄みはある人だなっていうのも、前回と今回で少しお伝えできたんじゃないかなというふうに思ってるんですよね。
はいはいはい、なるほど。
はい。で、読みに行くとまだ具体的な哲学まで行けてないんだけれども、次回以降ね、じゃあそういうふうに人間というものを拡張して考えたであろうロックというものか、どういうふうに説明をしたのかとか、どういうふうな言葉とか概念を使って考えていったのか。
そういうところをもう一度詳しく取り上げていきたいというふうに思っていますと。
はいはいはい、いやーわかりました。確かにそうだね。前回でいわゆる政治側でそこをひっくり返したロックで、今回は人間そのものをひっくり返した。
だからそりゃ政治も民衆側に光が当たってそっちが主人公になるよねっていうところぐらい今回はわかった気がするので。今回から哲学という話をしたけれども、実際には次回からその辺の話だね。
たしかにより本格的になるという感じですね。
わかりました。次回も楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回もありがとうございました。
52:51

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