ロックの哲学と政治
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回からジョン・ロックということで、今回2回目ということでやっていきたいと思います。
はい、前回はですね、結構ジョン・ロックの人生ですね、結構波乱万丈な人生でしたよ、というのをお伝えしたいと思うんですけれども、
今回はその哲学に入る前に、ちょっとイメージしやすい、やっぱロックって政治とか、そういう政府みたいなところの方がイメージしやすい部分もあるかなと思うので、
そこからはちょっと紐解いて、ロックさんの凄さというかですね、当時そんなことしたんだ、みたいなことを見ていきたいなと思っておりますよと。
はいはい、まあ確かにそうだよね、歴史で何か習ったけどさ、実際に何をどこまでやった人なのかってイメージはあんまないから、その辺分かんないと、いきなり哲学の話をしても、みたいな感じなのかな。
あるし、哲学者っていうイメージもちろんある方もいると思うんだけれども、結果としてはやっぱり政治とか、どうやってそれを当時のイギリスにおいて普及させなかった話ってやっぱすごいなって改めて思ったんだよね、その学んでて。
その辺りを知っていただくことで、よりロックさんが考えた哲学ってこういうところがよりすごいんだよねっていうのも伝わりやすいかなと思って、今回第1回分ちょっと使って政治の方の話をしたいなと思っておりますよと。
はいはい、わかりました。
で、今日取り上げるのがロックの主張って言われている統治二論っていうのがあって、これ僕が学生の時は市民政府二論とかっていうタイトルだったんですけど、これ同じです、多分同じですと。
タイトルの通り、この本には第1部と第2部があるんですよね。前半、後半みたいなのがあって、前半ではいわゆる王権真珠説、要は王様の権利っていうのは神から与えたものですよっていうのはあると思うんですけど、それに対する批判っていうのが展開されていて、その上で後半ですね。
ここでロック自身の理論として、どうやったら自由で平等な社会が成り立つんだとか、その原理でどうあるべきかみたいなことを伝えていきますよと。
ここで強調を強くお伝えしたいのが、前回もお伝えした通り、ロックって自由主義の父みたいな感じで、結構近代的で、今の日本にも繋がるぐらい、結構覚醒的なというか、そういうふうな発想をした人ですって伝えたと思うんですけれども、
それは単なる合理主義というか、神を乗り越えようとか、神様がいなくても世界が回るみたいなわけじゃないんですよね。
前回もお伝えした通り、ロックって結構経験なピューリタンだったよとかって話をしたと思うんですけど、冷静に考えてみると、いくら王権が倒れたからといって、王様がいること自体は変わらないし、
別に国の宗教がキリスト教、いわゆるカテリックとかプロテスタンとかいろいろあるんですけど、そういうキリスト教であるってこと自体は別に変わってないわけですよ、当時のイギリスでいうとね。
ああ、そっか、さっき言った王権真珠説、これを批判するとなると、なんとなく神様なんてそもそもいないんじゃないみたいな、そういうふうになりそうだけども、別にそういうわけじゃないんだ。
神様がいるんだけれども、別にそれは神様が王様を認めてるとか、そこについては違うみたいな、かなり部分的な話なんだ。
全部神も否定してるとかではないんだね。
そうではない。僕もこれ実は間違ってたというか、なんとなく神から解き放たれた、自由で人間は平等だみたいな、そんなイメージだったんですけど、当然受け入れられるわけがないんですよね、それが当時のイギリスにおいて。
それはロックも含めってことなんだね。
ロックも含め、ロック自身も別に神様ってものがすごく大事だし、そこから考えるっていうのは変わらないんです。
ただ、やっぱり王権秩序ではなくて、自分が考える政治とか政府の形態っていう方が、むしろ神様の秩序を実現できるんだとか、神様が人間に与え保うというような、そういうものを生かすときにこっちの方がいいんだよっていうことを言っていくんだよね。
なるほど。確かに全部否定して、さっきの啓蒙主義的な考えからいくと、政治は壊るべきだ、国は壊るべきだ、みたいなふうに思っちゃってたかもね。
そうそう、思いがちなんだけれども、ロックって名前もロックだから反対性みたいな。
そこは別に思ってなかったけどね。
そういうのはないかもですけど、精神的だからとか、精神的だから良かったっていうんじゃなくて、当時の一般的なキリスト教的な考え方とか、あとはあるいは信仰の在り方、そこと一致してたからこそ、ちゃんと受け入れられたし、ロックは生きてる当時から、ロックすげーって当たってたっていう話なんだよね。
わー、なるほど。だからみんながわかる、めっちゃちゃんとしたことを言ったんだね。
そうそうそう。だってさ、ニーチェみたいに神は死んだとかって言ってさ、200年後に受け入れられるであろうみたいなさ、そういう人もいたわけじゃないですか。
まあ確かに生きてるうちにはね、理解されずみたいなね。
そうそうそう。
そういうのじゃなくて、やっぱり今起きている政治の政変化、政治的な変わるよとか、いわゆる王権のところから民主に変わったよ、立憲君主制化変わったよっていうところをちゃんと説明した。
それをちゃんと神様っていうものを大事にしながらやっぱり言ったっていうところが、ロックのすごさなんですよっていう話を、今日はね、ちゃんと具体的にこの後伝えていきたいというふうに思っております。
王権真珠説の批判
はいはい、まあ確かにあんまり歴史だったりとか、世界のそういうのってあんま詳しくないからさ、どの段階でいわゆる啓蒙主義が浸透した時代なのか、全然その前の時代なのかみたいなさ、その時代かもわからないから。
ああ確かにね。
確かにそうだよね。このジョン・ロックの時はまだまだ、いわゆる個人主義とか理性が云々とか、全然前の時代だよっていう話なんだね。
そうですそうです。ロックの50とか100年後ぐらいかな、17世紀、ロックが生きてる時代っていうのはまだ、18世紀、1700年代っていうところが啓蒙時代とか啓蒙主義的な時代って言われてたりするんで、その先駆けって感じだね、本当に。
はいはいはい。
早速その前半の王建新説、これは批判っていう話なんですけれども、これはロックが批判したっていうことで名前が残ってるんだけど、ロバート・フィルマーさんという思想家がいるんですよ。
このフィルマーさんが、いわゆる王建新説っていうものはちゃんと説いたよみたいな話があるんだけど、この人はロックより一世代ぐらい上なのかなっていう感じで、このロックが統治二論っていう本を出した時にはもう亡くなってた人なんですよ。
ただ当時の王様側の権力者というかそういった政治家たちが、この説で俺たちやってるんだというか、これに則って自分たちが政治をやってるんだよっていうふうに言ってるときに頼ってた説っていう感じなんだよね。
そうです。ざっくり言うと、さっきも言ったんだけど、王は神に選ばれた存在なんだよとか、王様権威っていうのは神よりもアダム、最初の人間であるアダム、つらなる権利っていうのに基づくんだっていうふうな主張をしてるんだよね。
へー、そうなんだ。
そうなんです。それをある程度聖書を読むと書いてるよねと。いうふうに言って、その王権っていうものは神から与えられたっていうことを主張してたんだよね。
つまりやっぱり王様っていうのは神の代理人なので、キリスト教的な世界からすると従うしかないっていうか、反抗するか考えられないんだよね。神様だから。
もうイコールだね。
そう、ほぼイコール。見も蓋もないけど、いわゆる子供が親に逆らえませんみたいな。今ではそうじゃないかもしれないけど。ある程度そのぐらい国民っていうものは無条件に王様に服従すべきだみたいな。
それは別に寝られたものだとか、聖書を隅から隅まで研究したとかってことじゃないんだけれども、一定の説得力を持って当時言われてた説なんですよね。
わー、だし、いわゆる一般の民衆とかも、そういうもんだよねみたいな。服従というか、ちゃんと言うことを聞こうねっていうような感じではあったってことなんだよね、おそらくね。
そうだね、そうそう。しょうがないよね、みたいな感じだよね。ロックが新しい政治とか政府のことを言おうとした時に、この王権新説っていうものをそもそも批判というか乗り越えないと、結局何が言っても、でも王様って神の代理人だからさって言われちゃうわけなんだよね。
まあ確かにそうだよね。そこを崩さないことにはね。
そういうところがあるんで、ロックはこれに対してめちゃめちゃ批判をしますと。
ところがさっきも言った通り、神はいないとかってことじゃなくって、ちゃんと聖書とかから引き出して批判していくんだよね。
例えばなんだけど、聖書を読んでもアダム、最初の人間であるアダムに対して、全人類とかそういう国民みたいな人たちの支配権を与えられているっていうふうに明記されてないんだよね。
そもそも当時って人間がアダムとかイブしかいなかったからと言われていただけで、他の人間も好きにしていいよと言われてないですよねと。
なるほど。
そういうのもあるし、アダムの時代から現代、1600何年とかって時代に繋がったときに、今の王様って本当にアダムの子孫なのとか、どうやって証明するのよっていう話が出たりするよね、当然。
それ言っちゃうと、私も子孫ですけど、みんな子孫だよね。
そう言っちゃうんだよね。
そういうのがあるんで、もちろん現実の王様は一つの国に一人なので、王様とは言えるんだけれども、そういうと結局いろんな国にいろんな王様がいるわけで、誰が一番正当性があるのとか、それって問題にならないのとかってことも考えたりできるじゃない?
そうなるよね。
そうそうそうっていうことを、なので穴だらけではあるんだけど、逆に言うとそういう説、そういう王権新説がまだ成り立ってた時代なんだよね。
そのぐらいの情報の統制具合でよかったね。
そうそう、よかったっていう時代ですと。
実際、例えばロックとかもやってるんだけれども、フィルマーさんがどんなところから王様の権威と引っ張ってきてるかっていうと、
例えば聖書の中で神様がアダムに対して、海の魚と空の鳥と地に動くすべての生き物を治めようって言ってるらしいんだよね。
へー、そういうのが書いてるんだ。
そういうのが神様が言ってるらしくて、これをある種の王権の根拠として、要はアダムに対してすべての生き物を治めようって言ったじゃん、海がね。
これが今現代で言うと、王様に対して神が言ってることなんだぐらいの感じなんだけど、ロックから寄せばそういったのは明らかにおかしいんだよね。
それを人間の支配権っていうふうに解釈するのはおかしくって、
むしろアダムを代表とする全人類、要はアダムに連なる王様だけじゃなくて、アダムの真室子孫である全人類にこの権利が与えられてるはずだよねっていうふうに主張するんですよ。
まあ、それも納得というかそうだよね。そこで100%ロックに賛成かって言われると確かに難しい解釈の余地はありそうだけれども、
当時人間がアダムとかしかいない場合に神様が魚と鳥と地に動くすべての生き物を治めようって言ったってことは、
アダムに言ったんじゃなくて人間に言ったでしょ?みたいな話は確かに解釈としては全然いけるよね。
もちろんそういう批判することはできるとは思うけど、いわゆるフィルマーさんがアダムの子孫である王様だけがその権利を持ってるんだとに対して、
いやいやじゃなくて全人類が持ってるんだっていうことは、そういうふうにやっぱり成り立ちますよね。
まあね、そうだし、そこから連なる誰かとかだったらそこもちゃんと書いておいてほしいしね、みたいなね。
その大事な話。
ロックの主張と自然状態
キーがあるんですか?って、そうそうそう。なんで?ってなるよね。
いろいろ書いていくことによって、ロックさんっていうのは、やっぱり王権の神から与えられたっていうことは、どんだけ聖書を見ても直接に書いてないと。
いやー面白いね、それは。しかも適当にじゃなくて、フィルマーさんか、王権真珠説派のフィルマーさんはこの辺りをロントにしてるっぽいですけどとか、ロントにしてるけれども、ちゃんと崩してるんだね。
そうですそうです。ちゃんと崩していって、ただその聖書の解釈だけじゃなくて、ちゃんとその後ね、いわゆるスクロア哲学とかって言われるような神学的な発展もあったんだけど、そういう神学的な神様の学問としてもないし、歴史的そういうアダムから連なる王様っていうふうな歴史のことを見てもやっぱないし、結局その正当性ってないよねっていうふうに断言してるんだよね。
へー、はいはいはい。
で、こういう否定、それを踏まえた上で、じゃあ自分がこう思うっていうのを後半で言ってますっていうのがロックの主張なんだけれども、それはどんなことを言ってるかっていうと、
そうですね、結構また面白くって、じゃあロックさんが政府の成り立ちを考えましょうっていうときに、まずそもそも人間とか社会の出発点として、いわゆるゼロベースというか自然状態っていうのを考えるんだよね。
うん、これあの、ポップズってさ、リヴァイアさんとかさ、万人の万人に対する闘争みたいな言葉で有名な人がいるんだけど、その人も自然状態って言葉を使ってるんですよ。
はいはいはいはい。
で、要は政府とか国家がない状態の人間ってどうなのっていうと、ポップズさんは結構もう、ある種、血みどろの闘争ダメージが、人と人が争い合ってるだけの世界なんだ。で、それを抑えめるためにやっぱり国が必要なのとかっていうふうに話をするんだけど、ロックはそこまでは言わないんだよね。
あー、そうなの。それは同じ自然状態っていう言葉を使ってるけれども、表現するものが違うみたいな。
そうですそうです。
へー、あ、そうなんだ。ほうほうほう。
要はポップズさんの自然状態とロックの自然状態があって、ロックの自然状態は確かに政府とか法律とかもないし、決まり事がない世界なんだけど、結構この世界っていうのは実は最初穏やかだよっていうふうに言うんですよ。
なんでかっていうと、そもそも神様ってのが出てくるんだけれども、人間である神の秘蔵物ではあります。
神様から与えられている理性に基づいて行動できる存在でもあって、人間はさっき言った通り全員が平等にそういった権利とか能力を持っています。
そういうところでいくと、社会の決まり事はなくても神様の法律というか、神様の与えてくれたものとして、自分のことだけじゃなくて他人の命とか、自由とか財産とか、そういうものを犯したらダメだよっていうふうな共通の見解だけは持っている。
人間としてこの世に生まれた以上、その辺の感覚はインストール済みですよねっていうのがロックの主張なわけだね。
政府の役割と社会契約説
インストール、人間にされているというよりは神様がそういうふうに人間を作ったので、それを知る理性を持っているから、僕らでいうと基本的人権という言葉になると思うんだけど、そういう人間が持っている理性を使って神様が与えてくれた、自分も大事にしてでも他人も侵害したらダメだよっていう。
それを守る限りは自然状態においても人間って結構穏やかに暮らしていけるよねっていうふうに言うんだよね。
そうなんだね。
人間に最初から植え付けられているというよりは、神様がそういうふうに我々を作りつもったみたいな、そういうのを理解する知性というか理性というか、能力はあるよねっていうふうに考えるんだよね。
だから、完全に人間が体現しているとか、その能力を備えて生まれてくるというよりは、そういうものをちゃんと理解できるぐらいには神様が作ってくれているよねぐらいの感覚なのかな。
そういう感じです。
みんなできるとは別に言ってないのか。
言ってない。
なるほど。
言ってないし、それ言っちゃうと別に自然状態のままでいいじゃないかってなるんだけど、
そうか、ちょっとした理想像みたいになっちゃうか。
そう、みんなそれ持ってるよねとか、全員できるようになっちゃうんだけど、やっぱりその中でも神様の法律とかそういったものに反して、やっぱり他人の命を奪おうとか、他人の財産を侵してやろうという人が出てきたりするわけなんだよね。
実際いるしねっていう話ね。
そのときにどうするっていうと、やっぱりさっきも言った通り自然状態の社会には法律もないし、それを裁く人も基準もないわけだよね。
そうするとどうなるかっていうと、やっぱり奪われた人とか、ある種周りにいた人っていうものが独自に報復するというか、そういうこいつは許しておけないって言って、最初に犯した人をさらにやり返すみたいな、そういうふうになっちゃうよね。
そうすると結局、本物的な番人の番人に対する闘争まではいかないとしても、そういう混乱状態というか、最初は穏やかだったのに、誰か一人でもそういうことをしてしまうと、どんどんどんどん怪しくなっちゃうっていうふうに言うんだよね。
なので、そういう自然状態は本当はいい世の中なんだけど、誰かが何か間違ったことをするとか、神様の法律を犯しちゃうと、世の中的にも乱れちゃうっていうことを考えます。
なのでロックは考えるんだけど、そういうことが起きるので、ある種、自ら人間が持っている神様の権利だったりとか、これは自然法とか言ったりするんだけど、自然権か。生まれながら人間が共有している権利っていうものの一部を外部に委ねて、
そこに中立の、ちゃんと裁ける人というか、そういう基準というか、そういったものを作りましょうよっていうことに合意するんだっていうふうに考えるんだよね。
なるほどなるほど。総令がないと、その合意みたいなものがないと、基本混乱状態になっちゃうからねっていう話ね。
結局誰かを殺したら殺される、みたいな感じの世界にしかもうならないから、誰かを仮に殺したとしても、例えばそれは死刑なのかとか、それは造役何年なのかとか、ということを判断できる人がいない人というか、何かがないと、
結局はその自然状態が荒れてしまうというのがあるので、ちゃんと人間が暮らしやすいように、そういうふうな中立の存在を作りましょう。これをロックが政府っていうふうに考えるんだよね。
プロパティの概念と労働
おーなるほどね。その役割をね。
その役割を持ってるのが政府ですと。
それがいわゆる社会契約説とかっていう考え方で、社会っていうものはその自然状態のある人間が、お互いの合意によって一部の権利を渡しますっていう契約をする。
その契約をした、受け取った側として政府がみんなの権利を守りましょうとか、何か問題をした時にちゃんとそれを整えられるようにしていきましょうっていうふうな、そういうふうな関係性ですよねっていうことを考えるんだよね。
へー、はいはいはい。
王権新時説だとあくまでも神様がいて、王様がいて、王様のもとに政府があるみたいな、そういうふうな発想なんだけど、ロックは神様は確かに最初なんだよね。
神様は人々を作って、その人々が契約によって政府っていうものを作るみたいな、そういうふうに順番をまるっと変えちゃったんだよね。
わー、すごいね。まだ王様出てきてないし、主語というか主人公はどっちかみたいな話だよね。王様のために国とか人がいるのだって感じじゃなくて、人々のために政府があるのだっていう順番になってるよね。
そう、まさにまさに。そこをガラッと変えちゃったんだよね。
やばいね。しかもとりあえず納得できるというか、そうだそうだってなりそうな感じだね。
ここにくると王っていうものがあるし、いらなくなると、あ、でもいらなくなるのか。
なんかいらなそうだよね、今のとこ。
そうそうそう。ただ政府の中で立憲君政っていう王様も、意外と政府っていうものが考えられるみたいな話なんだけど。
っていうふうに、こういう大きな変更をかけちゃうんですよ。ここで結構大事になるのが、ロックのキーワードが一個あるんだけど、プロパティっていう概念なんですよ、プロパティ。
右クリックとかパソコンでプロパティを見るとかって出てくると思うんだけど、属性とかっていう意味で使うことが多いんですけど、もともとは財産とか不動産みたいな、そういう自分の資産っていうものを意味する言葉なんですよね。
ロックにおいてはこのプロパティっていうのは、いわゆる金銭とか金融的なお金っていう財産だけを指すんじゃなくて、いわゆる命とか自由とか、そういう自分のまさに人に与えられないものというか、自分だけのまさに資産みたいなものっていうものを含んだ大きな概念として使われますと。
はいはいはい。
っていう時に、このプロパティっていうものをやっぱり守るっていうことが、神様がそれを人間に良しとするんだっていうふうな発想を持ってるんだよね。
ロックがね。
はいはいはい。
資産とか財産って結構所有物じゃないですか。自分が持っているものとか、自分が好きに扱えるもの。
はいはいはい、そうね。
そうなんだけど、この所有するっていう概念ってどっから来るのっていうと、実はロックはそれを労働、働くってことで求めるんですよ。
へー、どういうことだ。
どういうことかっていうと、そもそも一個一個いくんだけど、神様って世の中を作りましたと。
人間を作って、聖書でもそういう海の魚とか空の鳥とか、地にあたるものを使っていいよって言ってくれたわけだよね。
うんうんうん。
っていう時に、でもそれって人間に対して言うってことだから、人間全部が共通にその自然っていう資産を持ってます。
うんうんうん。
うん。なんだけど、そこからその個人が働く、労働するってなると、その自然の一部をその人のものに所有できるっていうふうな考え方をロックがここに取り込むんだよね。
おー、はいはいはい。
うん。
例えば、イメージとしてなんだけど、リンゴが木に生えてますと。
うん。
というわけに、この時点では誰のリンゴでもないんだよね。
うんうんうん。
そのリンゴを自分の手でもぎると、その手でもぎ取ったっていうのは仕事になるので、そのリンゴはその人のものになるんだよね。
おー、はいはい、まあそうだね、はいはい。
っていうのが、ある種ロックが考える所有するってことの正当性で。
うんうんうん。
なんで今この話をしたかっていうと、これってめちゃめちゃキリスト教の中のプロテスタントの考え方なんですよ。
うーん、そうなんだ。
なんかさ、よくプロテスタンティズムと資本主義の精神とかって聞いたことない?
なんかある、誰かの本が。
誰だっけ、いやロックではない。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神。
マックスヴェーバーですね。
はいはいはいはい。
いつだっけ、ちょっと待ってね、いつ。
この本自体は1900年とかに書かれてるらしいので、だいぶロックから後なんですけど。
うんうんうん。
そもそもプロテスタンティズムの考え方として、
富を蓄えるとか、何か支払いでそういった資本を得るっていうことは、
世の中にそれだけ貢献したってことの価値なので、
悪いことじゃないよみたいな話が私から想像してあったはずなんですよね。
うんうんうん。
それまでは、いわゆる製品というか、お金を蓄えるとか、個人何かを持つっていうんじゃなくて、
それを共有財産にしたりとか、寄付をするとかっていうようなことが大事みたいな話だったんだけど、
ロックの考え方の基礎
特に自分のプロパティだよね、自分が扱えるものとか、自分の資産としてのもの、
っていうものは、むしろ神様が与えられた、自分自身は大事にしなきゃいけないものなんだっていうふうな発想をロックはここに入れ込むんですよ。
へー、そうなんだ。
うんうん。
なのでそうなると、つまり働くとかそこで稼ぐっていうのは、
神様の意思に沿ってこの世界を形作る、
あるいは神様の神聖な行為なんだっていうふうな解釈をするし、
そこから言うとさっきみたいな自分が取ったリンゴっていうものも、
そのリンゴを自分のものにするっていうのは、神の秩序にかなう行為なんだっていうふうに考えるんだよね。
なるほど。
ここで例えばそのリンゴを俺だって言って奪うとするじゃない。
うん。
それは個人の資産を奪ったっていうだけじゃなくて、
正当な働きで手に入れたものを奪ったってことじゃないから、
それは神様の秩序っていうものを破壊する行為なのっていうふうにロックは考えるんですよ。
わー、なるほど。そっかそっか。
誰かから何かを盗むみたいなものの、罪の重さがだいぶ違う感じがするね。
そうそうそうそう。
斧を取ったとかっていうレベルじゃないんだね。
そうじゃなくて、それは神の秩序を壊す行為ですと。
おー恐ろしい。
ちょっと長々話しちゃったんだけれども、
ここに実は個人の正義っていうか、いわゆる誰からも犯されることのない権利とか、
犯してはならない権利っていうような発想が出てくるんだよね。
つまりそれまでは王様が、例えば逮捕とか死刑とかって言ったら、
その人はそうに従うしかなかったわけよ。
つまり個人の中に、個人が大事にできるものとか個人の自由になるものって本当にすごかったんだよね。
あー、なるほど。そうなんだ。
例えば稼ぎとかも、王様がそのリンゴを俺にくれって言ったら拒めないわけよ。
あー、なるほどなるほど。そっかそっか。
だから今言った、稼ぎもだし、さっき言った命もみたいな話か。
そうそうそう。自由とかもね、すべて。
そっか、それはないんだ。
ない時代ですか。
はいはいはいはい。
そういうない時代に、そうじゃなくて個人には犯してはならない権利があると。
それはなぜかっていうと、神様がそれを良しとしたからだっていうような発想でロックアクションがあるんだよね。
ロックやばいこと言い始めてない?なんか。
やばいでしょ。
政府と個人の関係
やばいね。一瞬で殺されそう。
世が世ならね。実際食害とかされてるしね。
でもそうだよ、そのぐらい過激というか、王様側からしたら、自分の好き勝手できる世界とか国っていうものが、個人が好き勝手できる領域があって、
ここは王様であろうが政府であろうが何であろうが、犯したらダメだっていうことを論理付けようとしてるんだよな、ここって。
そうだよね。だし、なんならさっき言った通りね、王様とか政府のために人がいるとかじゃなくて、
人々が混乱状態というかさ、やばい状態にならないために存在してるのだ、みたいなさ。
いや、そんなつもりないんだけど、みたいな。あのやばいことの割にはみんなすごい納得しちゃってるみたいなね。
そうだそうだってなりそうなことを喋ってるね。
早めに排除したほうがいいよ、これは。
誰見てんの、王様目線。
王様側目線。
いや、そうなんだよね。だから、実はこの統治二論っていう本は、いわゆる名誉革命か、王権から立憲と立選に変わるって前に書かれたらしいんだけれども、出版されたのは100回目の後らしいんだよね。
ああ、そうなんだ。だから知ってる人はすでに内容を知ってたけれどもって話。
おそらくね。近くにいた人も知ってたかもしれないけど、多分それはやっぱり王権の時に出したら、それこそ処刑罪というか反逆罪になるよねってこともあっただろうし。
そういうところの中で、やっぱり出した本ですよと。
そうして、クレガ社長なんだけれども、やっぱりロックにとって言うと、ただ平等とか、ただ個人の自由があるって言ったんじゃなくて、
君様の秩序とか法律っていうものは、政府がそういったものは上にあるっていうことを大前提で考えてるんだよね。
はいはいはいはい。
で、かつ政府の役割っていうのは、それは人間を支配するとかじゃなくて、
あくまでも神様が人間に与えた権利、そういったものを守るために政府っていうものをあえて作ったんだっていう話をしていて、
政府が偉いとか国が偉いとかじゃないんだよっていうようなことを言うんだよね。
はいはいはい。
今で言うと国民主権とか言うと思うんだけど、これもこういうふうな議論があって初めて成り立つ話なんですと。
わー、なるほど。
普通に考えたら国のほうが強いし偉そうじゃん、なんか。
パワーバランスいったら後時に強いよね。
そうそうそう。でもやっぱり、今の日本も狭いとか。
実際なんだけど、ちゃんと国民が投票とか選挙を通じて政治の体制を変えるとか、
特に意見を押されてるのは、一応できることはできる。
っていうのは原理的にはあります。
私、ロックがこれを主張してるんだけれども、もし仮に政府がまた何かいらんことして、
個人のリンゴもらいますとか、自由も制限しますとかって言ったとすると、
それは人を自由を奪う行為じゃなくて、神の通常に反する行為なんだよね。
わー、なるほど。はいはいはい。
神様がそのプロパティ、その個人の権利を認めてくださってるわけだから、
それを侵すっていうのは、要は神様に背いてます。
なのでそれは到底認められないので、
そういう意味で国民っていうのは、いわゆる政府に対する抵抗権とか革命権っていうふうに、
政府っていうものを打ち倒すっていうこともできるよねってことを主張するんだよね。
ロックの思想と革命
ヤバいヤバいヤバいヤバいこと言ってる。
ヤバいでしょ。
ヤバいね。
これはフランス革命に繋がっていくわけですよ。
すごいね、正義をさ、いわゆる国民側というか民衆側に完全に持ってきてるよね、恐ろしい話が。
正義名分をそう作っちゃったんだよね。
それまでであれば王様が何かやって国民がワーワーって言っても、
そんなのは単なる不敬不満だとかじゃなくていいって思ってたんだけど。
だしあれだよね、何なら王様に立てつくってことは神様に立てつくんだぞってさ。
神様の位を借ることができるわけじゃん、王様も。
できたわけです。
そこは逆だよね、神様はこちらにありみたいなさ。
ヤバいね。
でも本当に逆転しちゃったんだよね、それが。
そういったことを全部含めたものがロックが考える人間と政府の関係性とか、
社会とか政府っていうののあり方の原理なんだよね。
ヤバい人出てきてる。
ヤバいしか言えないけどさ、すごい話だね。
すごいでしょ、それはなんか世界変えちゃうなって思うでしょ。
いやーもっと早くロックを始末するべきだった。
やられた側ね、再生側ね。
いやーすごい。
これ言われちゃうとやっぱりもう、
世の中的な流れも含めてだけど、やっぱりどうしようもないんだよね、正直。
だから前回あった通りで、さっき言ってた例えば命だったり自由だったり、あと財産だよね。
それこそロックもジェントリー出身っていう話だったけれども、
そういう新しく出てきた財産を持ってるとか、お金稼げるようになってきたけれども、
なんだか王様に色々持っていかれちゃうなと。
ある人が増えてるっていう状況になっちゃうと、もう無理だよね。積んでるよね、王様側はね。
そうだね。
それはね、兄貴が言ってた通りで、神様の変異というのを借りてやってたんだけど、それも剥がされちゃって。
そうなったらやっぱりもう、感情的にもロジック的にも無理だよねってなっちゃうわけだよね。
ある種こういった思想っていうのが、自由主義の父だったりとか、近代の始まりっていうものをロックとして語れるのは間違いないんですけれども、
すごさって神様を否定して人間は平等だとか、政府に対して国民が主権をもっと運べばできるとかってことじゃなくて、
神を信じるっていう文脈を、そこに対して理性を働かせて、聖書にはこう書いてないとか、
そもそも個人の権利とかって神が与えたものだっていうふうに言えちゃったっていう、これを両方やっちゃったのが、
政治的にももちろんいろんな具体性が変わって混乱しているし、宗教的にも、いわゆる王様かというだけの国民はプロテスタントだとか、
いろんなそういうねじれがある中で混乱してた人々に対して、すごいやっぱり馴染んだし、これでいいんだって感覚になったんだと思うんだよね。
ところで、やっぱり先進的すぎる思想とか発想ってなかなか当時、同じ時代で受けられないってあると思うんだけど、
ここはシュロックが言ってのけてしまったというか。
いやー、すごいね。めちゃくちゃ今の、当時のめちゃくちゃ納得できる価値観ベースで、世の中というか、それを説明しきっちゃったんだね。
ある意味王様側はそれに対して、ちゃんと反論できなかったというか、いや違うよと、実際聖書にはこう書いてあったとか、
そういう話をすることもできたはずなんだけれども、できなかったって話なんだね。
その前は結構力でやられちゃったというか、一応名誉革命は無欠解除じゃないけど、血を流さずに変わったというのがあるから、その意味では比較的穏やかな革命ではあったんだけれども、
逆にそこで多分王様側がそういった権利を主張しすぎるとか、当時は出てないけれども、そういうふうな発想はおかしいとかって言ってたら、それこそ本当にもう内戦争だよね、本当に。
逆に言うと、戦争を経てない文明に対して、この革命って何の理由があったんだっけとか、何で今政治が変わったんだっけっていうところの空白にも、多分このポーチ論というのがスポッとはまったっていうふうな時代の背景もあったんだと思うんだよね。
いやー、そうだよね。だって、政府打倒していいなんてさ。でも誰も言ってなかったでしょ。
当時言ってなかった。多分世界で初めてロックが言ったか、ノミヤのおっちゃんとかが言ってたかもしんないけど。
あとは中国とかか。
まあそうだね、革命思想とかも中国にあるからね。
まあじゃなくて、ヨーロッパにおいてはあった話だよね。
そうそうそう。
というところでね、やっぱりある神聖、300年400年続くような発想の根源ではありながらも、同時代の人に向けられたっていう、本当に軽有なこと、人類の歴史においても珍しいことをやり遂げたのがやっぱりロックさんです、というような感じなんですよね。
政治の話だけでも、やっぱりロックすげーってならない?
うーん、いやー、すごすぎて怖いから早く排除したいって。
なんで兄貴はそのさ、体制側の目線が。
今回ね、いつも民衆側の気持ちなのに。
そうそうそう、ロックとはさ、組もうよ。ウェイウェイ革命だ、ウェイウェイってやろうよ。
やばいやばい、すごすぎてね。
なるほど。
そんな感じで今回は政治についてフォーカスをお伝えしてきたんですけれども、
まあですね、ロックのすごさの一端が伝わったんじゃないかと思うんですよ。
そうはね、いやおかしい。
おかしい。
ロックの哲学の探求
これと革命家なの?哲学者じゃなくて、革命家なんじゃないの、この人は。
いやいや、ちゃんと哲学者でして。
次回からロックの実際の哲学の側面を見ていくんだけれども、
やっぱりこういった統治論とかの考え方の奥にも、そもそも人間とはとか、
神様と人間の関係において人間ができることとはとか、そういうことを伝ってるんだよね。
はいはいはいはい。
そこがやっぱり理解できると、よりロックやべえっていうのが、
もうなんか本当に二段階、三段階強まると思うので。
ちょっとね、僕もちょっと舐めてたね、ロック、正直。
だからここまでだとある意味、発想力がすごいとかさ、
その辺のストーリー作りがめっちゃやばい人みたいなところで収まる可能性もある気がするんだけど、
だから革命家でもね、みんなを先導してさ、こうだこうだこうだって今の、みんな強いだろうって。
一緒に武器を持てるみたいなさ、話になりそうだけれども、
やっぱり反論しきれないぐらいの深さがあるんだね。
そうですね、本当にそう。
やっぱり偉人としてはロックだと思うんですけど、
この凄さっていうものをより哲学的なところを深めていきながら、
次回以降みんなと味わっていきたいなというふうに思ってますので。
今回導入編という感じはあったんですけど、それでもすごいロックやべえやつだ、面白いやつだってなったと思うんで、
その気持ちをぜひ次回以降も感じていただけるようにお伝えしたいなと思ってますっていう感じですね。
分かりました。こんな凄いロックの哲学的な側面というのも、次回以降ぜひ楽しんでいけたらというところで、
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。