ジョン・ロックの哲学の紹介
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回はジョン・ロックの哲学的な方ということで、人間の認識側みたいな話をしてきたんですけれども、今日はなんかそのモノ側の話みたいな、そんな感じでしたね。
そうですね。前回、兄貴がデカルト側の感覚で聞いてもらって、「ああいうれない」みたいな話をしたと思うんですけど、
そこのね、ある種ロックが作ってきた世界観、捉え方というのに対して、前回の心とは、あと心とモノ、あと観念というものを話して、
人ってこんな風に世の中を捉えてるよね、みたいな話をしたと思うんですよね。
観念というものを使って知識を作っていくなとかって言ったんですけど、今回ロックの最終回ということで、その世界の側ですよね。
つまりそのモノの性質ってどうなってんのとか、前回やった心じゃなくてモノの子ってどんな風になり立ってるのっていうところを見ていきたいんですよと。
はいはいはい。
これちょっとね、先に結論的なこと言っちゃうと、割と今僕らが持ってる科学的な認識というか、
いわゆる原子があってさ、そういう粒というか細かいものが集まって、モノとかってできてるんですよっていうのがあるじゃないですか。
それをロックは、低年代先取りしたっていう感じなんだよね。
あー、だから観測技術の発達により、それが観測される100年前というか、より全然前にその辺をちゃんと話せたみたいな。
ちゃんと話せて、こういう世の中ってこうなってるんじゃないの、モノってこうなってるんじゃないのっていうのを言ってたっていう感じなんですよ。
うーん、なるほど。あれでもね、だいぶ昔のさ、古代リーチャーで、アトムだっけか、デモクリトス。
的な話より、またレベルが違うような話をしてたって感じだよな。
そうね。レベルが違ってもそうだし、当時でいくと、いわゆるアトム論みたいなものは全然主流じゃないというか、すごい例外的な考え方なんですよね。
へー、そっか。じゃあ、古代リーチャーこんな人いたよね、こんな人よね、あんな人もいたよねっていうよりは、その中でいうとかなり端っこの方だったんだ、アトム論みたいな話は。
そうなんです。
へー、そうなんだね。
逆に今の僕らとは想像しにくいんだけど、そういう物とかって、物が連続されているかつながってあるよねみたいな。
だからその粒と粒が集まっているとかじゃなくて、リンゴがリンゴっていうものがあるよねみたいな。
あー、そっちが普通なんだ。
そう、普通普通。
あー、原始がとか云々じゃなくて、もうリンゴはリンゴみたいな、神様が作ったリンゴみたいなね。
そうですそうです。
はいはいはい。
っていうような時代なので、そういう時代にまさにそういう粒みたいなものを考えたとか、じゃあなんでそれを考えたのみたいなことを今日はお伝えしていきたいと思っているんですよと。
はいはい。確かにだし、前半の殺伐とした革命が云々とか、政治失踪が云々とは全然違う世界に来たね。
そうだね。
こっちを先にジョン・ロックは考えてたんだよね、おそらく。なんだろうね、順番的には。
そんなこともないな。
へー、あ、そうなの。
割と並行して考えているところもあるんで。
そうなんだ。
そうそう。逆に、そもそもで言うと知識人とかいろんな人が話している時に、なんで俺らこんなに弱く議論が噛み合わないんだろうねとかさ。
なんでこういろんなことを話すように物事が進んでいかないんだろうねっていうところの根底を突き詰めようぜっていう風にロックは考えて書いている本なんだけど。
だからやっぱりただ世界を解き明かしたいとか、物そのものの性質を掴みたいとかじゃなくて、目的はそれを理解することで人間同士のお互いの理解であったりとか、議論を進めていくっていうところに繋がっていくんだよね。
わー、そっかそっか。
そういう意味で政治的なことは切っても切り離せないというか。
わー、そうか。両輪というか、そうなんだね。順番、これを根底に政治の方が当たったっていうよりは、本当に両輪というか、そっちも同時進行なんだ、本当にね。
そうなんです、そうなんです。今回は政治っていうよりはまさに人間の世界の捉え方っていう話なんですけど、キーワードとしては、さっき言った流氏みたいな話もあるし、あとは第一性質と第二性質を区別したとか、いろんなことがあったりするんですけど、これをお伝えしていこうと思っていますよと。
これも普通の認識っていうよりは、例えば、前回お伝えした通りに私たちが感じるのって観念。要は物そのものじゃなくて、観念というものしか見えないよねっていうふうな立場で聞いてもらってもいいですし、
また前回の兄貴みたいに、人間の理性で世界は認識し尽くせるのだ、みたいな、そっちの感覚からある種の批判的に聞いてもらうのも面白いかなとは思うので。
なんとなく普段の自分たちと聞くっていうよりは、ロックに共感するか、そうじゃないとこに共感するかみたいなふうに聞いていただけると面白いんじゃないかなというふうに思っていますよ。
分かりました。だから今日最初に言った、リンゴはリンゴみたいな立場から聞いてもいいよねっていうね。
そうそうそうですよね。
そんなツブツブなんてないじゃん、リンゴじゃんみたいなところから。
でもOK。
どうする?今日は兄貴はどの立場から聞きますか?
ちょっと聞きながら話しようかな。
ロック側だとあれだもんね。
ドキドキだよね。
なんでこんなにも人と人は話しかかみ合わないのだろうみたいなね。
そうそうそう。
頭良さそうな人たちが、頭良い人たちが。
そこから思ってますよ。
早速話を始めていくんですけれども、今回は世界とかモノの話をしていくんだけれども、そもそもモノの性質って何ですかねっていうところを考えていきたいです。
例えば僕らが普段生きている、よくパソコンがあってとかマイクがあってとか色んなことを言うと思うんだけれども、モノには色んな性質がくっついてますよね。
例えばリンゴで言うと、リンゴは赤い、見た目は赤いとか、手で持ってみるとちょっと硬くて重くてとかさ、食べると甘いよねとかっていう風に色々感じるじゃないですか。
前回の関連みたいな、単純関連とまた違うんだね。
でも単純関連で合ってる合ってる。人間が感じる単純関連としては赤いとか硬いとか甘いとか。
前回のロックの関連みたいな感覚引きずってて大丈夫?
それは大丈夫。
ちょうど繋がってるので。
そういうものを性質、赤いとか硬いとか甘いとかでも呼べると思うんですけど、これってどれもいわゆる僕ら人間の感覚で捉えられるものじゃないですか。
まさに関連だね。
例えば分かんないけど、リンゴの原子が振動しようがって仮にやったとしても、僕らはそれ分かんない。
そうだね。
それはリンゴの性質ですっていうにはちょっと無理があるっていう風な感じなんだよね。
今言った赤いとか硬いとかっていうのに関しても、ロックはこれをちゃんと区別をして考えてくるんですよ。
これがさっき言った第一性質とか第二性質みたいな話なんですけど、
第一の方がより根本的だという話をするんだけど、
僕から言わせると、この物体が持っている性質の中で、
本質的なものでかつ人間とか動物でもいいんだけど、
外部の存在、よく言うと参殺者とかって言ったりすると思うんだけど、
そういうのがいなくても、存在する性質を第一性質っていう風に呼ぶんですよね。
さっきの甘さとか、赤いとか硬いとかで言うと硬いの方で、
例えば他には広がりとか形とか、あと2つみたいなものもあるんだけど、
いわゆる物理的とか数学的なものだよね。
私たちはリンゴの硬さって定義は難しいんだけれども、
人間とか他の動物がいてもいなくても変わんないじゃないですか。
リンゴの硬さみたいなものって。
なので、この硬さみたいなものっていうのは、物体そのものに内在している。
っていうと、僕ら人間がそれを認識するとかしないとかって、
変わらずあるものだよねっていう風に言うんですよね。
一方で第二性質っていうのは、まさにリンゴっていうものが、
まさに観察者で、人間でも動物でもいいんだけれども、
そういう存在に対して特定の感覚っていうのを引き起こす。
そういう性質のことを言います。
だからさっき言った赤いとか甘い、
もっと言うと色とか味とか、あとは音とか匂いとかもそうなんだけれども、
これってリンゴそのものが赤いというよりは、
リンゴを見た僕ら人間はそれを悪と捉えるっていう話じゃないですか。
そうだね。ロックの時代はそこまでは分かってない。
分かってない。
分かってない。
光を反射してみたいな話は分かってないんだよね。
なのでこれらが現代的なことからすると、
まさにリンゴの赤さっていうのは光の波長を一部反射して、
観察者と認識の相互作用
目を捉えた時にそれを赤と感じるって話なんだけれども、
そこまでは分かってない中で、
これをちゃんと区別しようねっていう風に言うんだよね。
観察者いる?いない?みたいなさ。
なんでそんな分け方ができるんだろう。
だから観念っていうのを見た時に、
やっぱり赤いっていう観念と深いっていう観念には、
実はやっぱり違いがあるってことを、
やっぱりロックはちゃんと見つけるんだよね、それを。
そこの人がどうものを認識するかっていう立場からすると、
ものっていうのを捉えると逆に言うと、
もの自体というか、それとこっちの観測した、
スクリーンに映ったことを映る前みたいな、
そういう感じで分かれるんだろうね、自然とね。
ちょっと待ってね、そこはどうなんだろうな。
人間が認識できない、
人間の認識によらない性質があるっていう意味ではそうだね。
違いがあるってことだね。
そう、違いがあると。
あくまでもロックから言うと、
この第二性質は人間の感じ方とかによるっていうものは、
第一性質はさっきの重さとか広がりとかって言ったんですけれども、
それを僕らが目とか耳とか三角形から捉えるときに、
一緒になって生じるもの。
リンゴだけでは赤さとか甘さっていうものはないし、
僕ら人間だけでも赤さとか甘さとかっていうのを感じることがないので、
ある種相互作用ではねっていうようなことを言うんだよね。
今リンゴの例も言ったんですけれども、
分かりやすい例で言うと、
ろうそくの例とかもあるんですよ。
あるっていうか、これも分かりやすいかなと思っていて、
例えばろうそくって燃えるじゃないですか、火つけるとね。
っていうときに、僕ら人間って炎の明るさとか暑さを感じると思うんですけど、
この明るいとか暑いっていうのって、
今の話はこの第1、第2どっちの性質だと思います?
明るい、暑い、だから第2のほうかな、人が感じることも。
そうですそうです。感じることが第2性質。
ただこの燃えるっていう現象、
これはある種、現代的に言うと、
酸素がくっついてたサーク反応とか言えるんだけれども、
当時からすると、その炎をある種出していって、
ろうそく自体は減っていくみたいな、
ロックの力能と性質
こういうある運動みたいな話だよね。
これっていうのはやっぱり第1性質。
構造とはなんかよく分かんないけど、
何らかで物理的とか化学的な性質に基づいているでしょう、
っていうところまでやっぱり僕は見ているんだよね。
うんうんうんうん。
これが対してりんごの固さとか、
ろうそくが燃えるっていうことと、
りんごは甘いとか、ろうそくの火は熱いとかってことを
区別っていうのができますっていう話なんだよね。
はいはいはい。
ここまではいいかなと思うんですけれども、
こっからさらにロックワークの考えを進めていくんですよ。
どういうことかっていうと、
このいわゆる物が持つ、まさになんだろうな、
外の存在に対して働きかける能力というか力。
まさにロックワークはパワーとかっていうことと言ってるんだけれども、
これを日本語に言うと、
前回も言ったかな、力能っていう力と能力っていうような概念で言うんですよね。
これをロックワークはパワーって言ってるのね。
そう、ロックワークはパワーって言ってる。
日本語にすると力とか能力ってだけだとやっぱり
ちょっとわからなさすぎるというか、
いろんな意味に解釈されすぎちゃうので、
あくまでもロックのこの言葉は力能っていう
ちょっと特殊な言葉にしましょうときに
多分翻訳したんだと思うんだよね。
なるほどなるほど。
で、さっきも言った通りこの力能っていうものは
ある物体、リンゴとかっていうものが
他の物体とか他の観測者、観察者に
特定の感覚であったりとか影響を及ぼすもの
っていうふうな話なんですよね。
だから、ある種物と物がぶつかって
ぶつかられた方が動くとかっていうことも含めてパワーなんだけど。
さらにロックは面白いんだけど、
その物の特徴として
冒頭にお伝えした粒子、
粒でできてるんじゃないかってことを考えていくんですよ。
うーん、なんでだ。
なんでだ。
なんでだって言うよね。
これなんでかって言うと、
例えばね、物が
本当にリンゴはリンゴでしかないとしたときに
僕らがリンゴを見て赤いと思うっていうと
なんでそのリンゴの赤さっていうものが
僕らに届くんだろう、伝わるんだろうっていうことが
よく分かんなくなるんだよね。
さっきまでの通りで
リンゴの赤さってやつは
リンゴに内在する性質じゃなかったじゃないですか。
そうだね、第二の方に分けられたんだね。
そう、第二の方に分けられるんだけど
そうするともしリンゴが
リンゴそのものであって
感覚と物の関係
リンゴは熱いっていうか
リンゴは赤いっていう風に言ってしまうと
やっぱりそこのロジックが破綻しちゃうんだよね。
そうなんだね。
たぶんロック的には
どっちが第一でどっちが第二かなって分けたときに
この赤さみたいなものは
どう考えても第二の方だったってことなんだもんね。
どう考えても第二。
うちらとか考えるとさ
リンゴそのものみたいなさ
ものを変えたときに
リンゴ赤いじゃんそのもの
観測者いなくてもどうせ赤いでしょ
みたいなさ、思っちゃいそうなところを
ロックはそうじゃないって言ったわけじゃん。
そこはたぶん今の話の肝というかね
そうだね。
もっと言うと
ロック以前というか当時の常識的には
まさにリンゴは熱いし
赤さってのはリンゴの本質であるみたいな
そうだよね。
観測者関係なく赤そうな
イメージにはなっちゃうよね。
そうなっちゃうんだけど
ロックはそうは考えませんって。
なんで?
なんでそう考えるのってどっちかってことだよね。
これは関連の話だよね。
関連の話です。
からすると明確に分けられるんだね。
硬さというものと
赤さというのは
人というフィルターを通している通していない
で変わり得るというか
そうすると問題に分けられる
というところは
オッケーとしているんだよね。
この段階でね。
オッケーとしているし
色覚みたいな話も
人によって見えている色って
当然違うよって話もあるし
当時でもおそらく
主役以上って
あえて言葉にしてしまうけれども
赤を見たときに
赤く見えないとか
そういうこと自体はあったんだと思うんだよね。
当時でも。
話だけれども
同じ街とかも
辛さを感じない人とかさ
同じ辛さでも自分は辛くない
分かりやすいから色よりもね。
そうね。なるほど。
そうそう。
っていう風な意味で
やっぱり人の感覚とかって
思った以上に人によって違うじゃないかと。
あーなるほど。
それは分かりやすいわ。
同じリンゴでも甘いという人もいれば
酸っぱいという人もいるかもしれないね。
そういうときに
リンゴは甘いという本質を持っていると
言いにくくなると思う。
なるほど。
確かにそこは疑う余地が
大割だね。
味とかが分かりやすいかな。
あったときに
リンゴの甘さっていうものが
宙に浮いちゃうわけよね。
その瞬間に。
うんうんうん。
なんとなく僕らが食べたら甘いって思うけど
酸っぱいって思うって人もいたときに
なんで僕らは
リンゴの甘さっていうものを
感じられるんでしょうかと。
うーん。
というと
それはリンゴイコール甘い
っていう世界だって
絶対成り立たないんだよね。
それを崩すために
ロックっていうものは
リンゴっていうものが実は
より細かい単位に分解できるんじゃないかと。
おー。
その
粒子みたいなものが
影響するとすれば
例えば仮に
甘いっていう粒子をいっぱい
取り込んだ人は
甘さを感じるけど
酸っぱいっていう粒子も
ここはよくわからないんだけど
説明のために言うと
仮に酸っぱいっていう粒子をたくさん受け取った人とか
例えば
同じ粒子を受け取ったんだけど
それを酸っぱいと感じる人には
酸っぱいって伝わるよね
っていう風に
説明ができるじゃないですか。
わー。うん。
できるね。
なのでリンゴそのもの
っていうことをやっぱり
それを細かくしていく
っていう風に
僕は考えていくんだよね。
わーすごいね。
そう言われると確かに
粒子というか細かく分ける
っていうのがすごい
自然な営みというか
繋がるね、そこが。
はいはいはい。
今はリンゴだけの話を
したけど
リンゴと梨とかっていうものも
リンゴが
プラトンだったらリンゴの意味じゃなかった
梨の意味じゃなかったっていう風に
それは全然別のものだよ
っていう風になると思うんだけど
でも
リンゴと梨の違いも
その粒子の配置とか
運動の仕方が
違うんだっていう風に考えると
その粒子っていうものを
使って世の中のいろんなものごと
を説明できるようになるんですよね。
おー。
これは
さっき兄貴が言ったデモクイロスの
アトム的な考え方なんだけれども
それは
どこかというと
物々の根源を見ようとしたんじゃなくって
あくまでも人間の
知覚とか
関連とか考えたときに
物の方が
そういう細かい物として
粒子とかっていうのができてないと
説明ができないんじゃないか
っていうそういう順番で考えていくんだよね。
わー。
そのひらめきとかとは
ちょっと違う。
ちゃんと掘っていってる感じがするもんね。
掘ってる。
なので
さっき第一性質第二性質とかって
言ったと思うんだけれども
固さとか
広がりとかっていうものは
粒子の特性そのものに由来しているのと。
粒子の在り方っていうものが
固いとか重いとか
っていうものをある種
定めていて
その粒子が
僕らにいろんな影響を与える
その影響観測ってものが
限界と相互作用
第二性質
だし
そういう影響を与えるっていうことを
そのものが力能を持つ
っていうふうに説明したっていう
そういうふうな繋がりがあるんだよね。
わー。
すごいね。はいはいはい。
さっきと逆に言うと
例えば
原子の振動とかっていうのを
仮に起きたとしても
リンゴには
それを僕らに伝える力能がないんですよ。
しぼくらもそれを受け取る
やっぱり感覚がないから
それを仮にあったとしても
僕らは知ることができない。
し
それでいいんだってある種
その認識の限界とか
ものと
人間の相互さが限界
っていうところもこれで説明できちゃうんだよね。
わー。
そうだね。
そうじゃないとリンゴそのものとか
リンゴのエリアがあって
それを知り尽くすことが大事だって
そこから抜け出せないじゃない。
わー。そうだね。
なるほど。
そう。
だから今の自分たちの能力の限界は
ここまでみたいな考え方が
できるんだね。
それが当たり前だよね
っていう感覚にも
できるんだ。
この概念があることで。
そうですそうです。
ものの方にも限界があるよね。
うんうんうん。
僕ら
ものが持っている力量の参移で
僕らやっぱりものを捉えるから
うんうんうん。
そこにやっぱりお互いの相互作用の限界
っていうものをある程度
制御することができる。
わー。なるほどね。
それがもちろん
プロネックになってるかわかんないけれども
あるよねみたいな話なんだね。
そうそうそうそう。
限界が、自分たちベスト尽くしたよね
みたいなポイントがね。
そうそうそう。
そこのラインまではいったよねっていう人は
議論できるんだよね。
まあ確かにそれは面白いし
それはできたもんね。
私はここがベストだと思うけど
あなたはどう思いますかっていう話が
同じ動きができて。
そういう人が
この観測器を持ってすれば
ここまではできますって
リンゴの多様性と捉え方
でもそれって
完璧な言語を
理解したとは言ってないもんね。
私のものによると
ここまでいけますよねって言ったときに
相手もすごいっすね
確かにそうだっていう話が
似合っていけるって話なんだね。
そうそうそう。ちゃんとそこに
共通点はみんなするんだよね。
だから僕が最初疑問を持った
いや私はこう思いますよね
どっちが正しいでしょうね
母みたいな話とは全然
違うんだね。
違う。違ってくる。
はいはいはい。
という風な感じで
兄貴が今言ってくれたこと
なんですけれども
僕らが普段見たり聞いたり
味わったりする世界って
必ずしも
リンゴそのものの
真の性質を捉えるとか
ってことはないんですよ。
同じ人でも
今日食べたリンゴと
明日食べたリンゴってやっぱり違うだろうし
同じリンゴを食べたとしても
さっき言ったらやっぱり
甘いって感じの人よりも酸っぱいって感じの人も
いるっていう風に
これは異なってあるんですよ
叱るべきなんですよね。
はいはいはい。
それをやっぱそれまでの
デカルト的な時代で言うと
それは捉え方が
間違ってるとか
リンゴの正しさを認識できてない
っていう風に
逆光を捉えていくんだけど
僕からすると
第二性質で捉え方が
問題だから
みんな違ってみんないいで
いいじゃんっていう風に
言えちゃうんだよね。
恐ろしい。確かにそうだよね。
デカルト側はデカルト悪者じゃないけれども
そっち側からいくと
この
リンゴの赤さを理解できないなんて
人間じゃないみたいな
そうそうそう
目腐ってるんじゃないのみたいな
そうそうそう
ダメだみたいな
したのはおかしいみたいなね
話になっちゃうけど
そうじゃないよっていうね
話をロックはする余地が
あるっていうことを話してるんだね
知識の形成と相互性
そうです。
で
前回の話とかと含めて
考えてみると見えてくるんですけれども
やっぱり
僕らの知識っていうものが
どうやって生まれてくるのかっていうところを
メインのテーマにしてるわけなんですよね
ほうほうほう
その時にいわゆる関連の
組み合わせだと
これ前回言ったと思うんですけど
そういうものを作ったんだけれど
そういうものを考えたんだけれども
その関連についても
やっぱりその第一性質
要はそのものそのものに
存在してもってことじゃなくて
中でも第二性質
やっぱり硬さとかっていうのはもちろん第一性質
ではあるんだけど
それは僕らが受け取った
関連としては受け取ろうと思うとどうしても
それはやっぱりそれはそれで相互性
やっぱりなっちゃうんだよね
うん。なので
そういう
相互性は中で
まさにそれがイコール経験だと思うんだけど
その経験の中で
やっぱり生み出した知識
しかやっぱり僕らは持てないし
うん
その知識の中で生きざるを得ない
そういうものとしては
人間と捉えています
おーはいはいはい
だからやっぱり
知識っていうものはやっぱり真実のものではないし
間違えることもあるんだけれども
むしろそれこそがやっぱり
ロックにとっては大事
だからこそ人間とはやっぱり
平等になれるし
何回か言ってる
心がサクシである
サブララサ、ホワイトペーパーである
というところからちゃんと
積み上げていけるようなことを考えていけます
おーはいはいはい
なのでやっぱり人間の知性とか理性
っていうのはいわゆる確率性
本当にイディアを
理解できるとかっていうことじゃなくて
ある種の外然性
というか
まさに確率だよね
合ってるかもしれないし
間違ってるかもしれないとか
むしろ間違ってる可能性も
含みながらも一旦正しいと
仮置きしましょうとか
そういう風なものに
むしろ基づいてるんだ
ということをちゃんと主張するんだよね
おーはいはいはい
これがマニキュアも
前言ってくれたように
プラグマティズム的な
一旦仮の真理をやめるから
それを真理としてより良い真理を
見出していきましょうとか
いろんな経験をすることで
やっぱり人間では成長できるとか
より良い未来を作っていけるんだよね
とか
そういう風な発想も
やっぱりこのロックの
考え方に
もちろん全部が全部
結びつくわけじゃないけれども
かなり影響してる
というか
影響を受けているんだよね
言葉と言観念の問題
という話なんだよね
はいはいはい
それがしかもより
第1回か2回で話した
よりそのピューリタン
プロテスタント側だっていうところ
そことの親和性
めちゃくちゃ高そうだしね
そうそうそうそう
人が
生まれとかじゃなくて
きちんと
神様と一対一で
やる中できちんと成長していけるのだ
みたいなさ
やばいよね
早く殺さないといけない
そこは変わらなかった
早く排除しないと
だからその
単純に哲学的に
考えましたとか
世の真理を追求
しましたとかじゃなくて
自分の生きてる実感とか
やっぱしんどい
政権もコロコロ変わって
そういうものをちゃんと
最初をするというか
説明しようとしてるんだよね
恐ろしいなぁ
即発禁処分に
したいよね
検閲して
発禁というか検閲しても
出さない
危ない
人類には早すぎるみたいなね
本当にそのぐらいやっぱりすごかった
っていう話なんですけど
もう一個ね
最後の最後に持ってきたかったのが
そういう関連が
知識だとかいろんなことを
語ってるんですけど
ロックってすごくて
ちゃんと言葉みたいなものの
問題でも踏み込んでるんですよ
あーそうなんだ
言葉とはと
これは人間知性論第3巻かな
で書かれてるらしいんですけど
そうか何巻何巻
そういう感じだね
エキスがある中で
言葉についてっていうものがあって
これはちょっと
夏だと思うとそれだけで時間経っちゃうんで
一旦シンプルに言うんですけど
えっとね
フーが
言うところによると
言葉って何かっていうと
えっとね
心の中にある観念
これを他の人と
共有するための道具だ
っていう風に言うらしいんですよね
いやー
シンプルですごくいいね
その通りって感じ
するよねここまでの話聞いてると
納得できちゃう
そう
言葉は観念を表す道具なんですと
これめちゃめちゃ厄介だよ
って話になってて
これ例えばさ
リンゴが甘いという言葉になれば
まあいいよいいんだけど
やっぱりさ正義とかさ
自由とかさ
国家とかさ
そういう言葉って
なんかそのね
いわゆる抽象的な概念なんだけど
なんとなく知ってる気になってるけど
やっぱりそれを
聞いたときに浮かぶ観念とか
経験って
当然人と違うじゃないですか
わー
面白いね
めちゃめちゃ現代的な話で
例えばね
より自由をとかさ
もっといい生活を
とかっていうときに
それが示すものってやっぱ全然違う
方が多いじゃない
そうはね
100%
誰かの観念の下に
発された言葉を
誰かの観念でそれを
で拾うと
映すと
その100%
観コピってことは
ないよね
結構ずれちゃうよね
そうなんです
僕ら同じ映画見てると思ったけど
全然違う映画見てんじゃん
みたいなことが当然ありますと
うーん
でも僕らは同じ
正義っていう映画見ては面白かったよねとか
うーん
自由っていう映画すごい
エキサイティブだったねとか言っちゃうんだよね
うーん
それはロックにとってはめちゃめちゃ危険じゃないですかと
なるほど
言っていきますと
さっき言った
知識人すごく賢いと話してるのに
理解できないんだろう
っていう時に
僕らは今でこそ
前提を擦り合わせましょうとか
共通認識を持ちましょうとか
日常的に言えたりするんだけど
当時そんなに
ないわけよ当然
まあないよね
ない
同じピューリタンとか
同じキリストという神を信じたか
っていう時に
その同じっていうことに
めちゃめちゃ危険性が入ってるねと
うーん
それってやっぱボケブラリーが違うとか
ってことじゃなくて単純に
言葉の奥にありませんか
観念とか経験とか
思っていると世界の捉え方だよね
うーん
これが違うからずれてるんだよ
ってことに今から350年
長い気づくんですよロックが
した後ね
早すぎるね
気づくというかその違和感を持ってる人は
結構いたんだろうけど
ここまで考えて言語化した
ヤバさだよね
ちゃんと説明をしたよと
だからやっぱ彼ロックっていうのは
言葉を使う時に
ちゃんと背後にある観念
っていうものを捉えましょうねとか
うーん
観念が曖昧なまま
正義っていう観念を
僕らは持ってるとは言うけど
それがさ
ギシッと自分にとって正義
ってこれであるって言い切れるかって
そうじゃなかったりするじゃない
そうだね
正義の観念が
完全オリジナルですかあなたの
っていう話だよね
というよりも
なんとなくぼんやり
正義ってこれこれである以上って
言い切れる人って何人いますかって話ね
それが
純粋に
自分の内から出たものだけ
じゃなくてもね
そこからあげたものでもいいし
洗脳されててもね
そう
だからなんとなく正義って
こういうことだと思うんですけどね
観念と言葉の関係
とまだ言えるけど
ちゃんと自分がそういう
観念を持っているとか
そういう曖昧な観念であるっていうことを
自覚しないまま喋ると
うーん
それもずれの原因になっちゃうよね
わーなるほど
確かに確かに
っていうのがあるんで
そういう風に言葉と観念っていうものの
関係性を考えると
なんでずれてるんだっけ
とか何を僕らは今
総合理解しなきゃいけないんだっけ
ってことがやっぱり見えてきますよね
うーん
で
やっぱりこれもすごく
言葉に対する
敏感された話なんだけども
そういう正義とか自由もそうだし
人間とかさ
果物とか動物とかもいいんだけども
それカテゴリーの話だよね
うーん
アイスレス的に言うと
類とか種のほうなんだと思うんだけど
やっぱりその
ほじゃないもの
ほはさ
観察すればなんとなくわかるんですよと
要はこのリンゴとかやろうと思うと
これは丸っていうよりは
ちょっとボコボコしてるとかさ
そういうのをお互い
研究すると
かなりのところまで
このリンゴそのものっていうものに
共通の観念をつけると思うんですよ
うーん
でもやっぱり
人間の観念とかって考えたときに
やっぱり
お互い
これまで会ってきた人間も
当然違うし
相互に触れ合ってきた経験も
当然違うので
やっぱり
そういう観念において
それを共通化するとめちゃめちゃ
難しいよね
ちゃんと考えるんだよね
うん
それを忘れてやっぱり僕ら
人間とはこう
いわゆる主語往復しちゃいがち
うーん
それで始めちゃうと
実体のないイメージだけが
先行しちゃって
あたかも
人間というものが存在するように
なる
その観念というものが
すごく
逆に
その観念だけ一人歩きして
人間とはこうだとか
人間というものが存在するようになってしまう
うーん
ロックの経験論
それはやっぱり人間しょうがないんで
言葉に縛られるんじゃなくて
そういう
観念とかその観念を作り出した
経験とか
その経験を作り出した
経験のほうとか
そういうことをちゃんと意識しましょうねと
うん
ということまで考えていくんだよね
すごいね
どうよこれ
いやー
ここいつ
言葉とか意味とか
ハエとか意味っていうもの
に興味があるね
みたいな話去年とかしてたけれども
そういうへんにも
つながる話だと思うし
つながる
自分はやっぱり無意識の部分
意識の部分ってすごい
特に価値観レベルでの
すごい興味がある
部分だから
なんかそのへん
にも踏み込んでるし
そうだねそうだね
面白いね
そう
だからやっぱり
人が見るのは観念である
っていう風なシンプルなテーマ
というかさ
メイン設定なんだけど
分かりにくいじゃない
観念ってなんだよみたいな
そんなことあえて言う必要あると思うんだけど
そのやっぱり
人間が見てるものは観念のみである
というところから
こんな風にやっぱ物っていうのは
理由的な存在なんじゃないかとか
言葉っていうのは
観念を示す道具なんじゃないかとか
いろんなことが
見えてくるし
あの街間違ってなさそうというか
むしろ僕らからすると
確かにそうだって言えてしまう
そうだね
当時のその
理性最高みたいなさ
これがイデアである
みたいな話してたとしても
やっぱ前回も思ったけれども
これは反論できないよね
これは
そうだね
全部ロックガーの話に
包み込まれてしまうから
うん
負けちゃうよね多分ね
そうね勝てないそうね
だから絶対理性があるっていうのも
そういう観念をあんたは持っているだけ
じゃないと言われちゃうと
そうそうそう
やっぱり少し
相対主義っぽく回っちゃうけれど
批判は難しいよね
逆に僕らから
今の現在人からすると
言葉の奥に
言葉が大事じゃないとか
その共通意識を持つのが大事じゃないとか
っていう風な言葉は
言うと思うんだけど
その奥に観念があってとか
僕は実は観念しか
見えてなくてっていう
そっちはあんまり
知る機会がないというか
意識することがないと思うんですよね
そうだね
もちろんそれが正しいかどうか
置いといたとしても
そういう発想を持つことで
確かに
イメージを持つとか
っていうものって
観念っていうものを共通化しましょうとか
共有化しましょう
なんだっていう風に
言葉がシャープになると思うんですよ
そうだね
どのレイヤーで
共有しとこうかみたいな
話になってくるよね
うん
やっぱり
僕もここまでロックが言ってたら知らなかったし
こんなに
スッキリさせてくれるんだ
みたいなことを台本を作りながら
知ったくらいではあるんですけど
やっぱり
言葉と思考の関係と
言葉と観念の関係とか
とられたときに
見えてくる世界があるんだな
って自分自身思ったんですよね
うん
まとめっぽく繰り返しになっちゃうんだけど
あくまでも
今回ロックの経験論みたいなことを
見てきたんですけれども
やっぱり経験論っていうのは
経験が全てだとかってことじゃなくて
僕らのやっぱり
知識持ってた観念とか
作ろうとしたときに
やっぱりそのものを
経験する体験するものと
関わり合うってことはやっぱり欠かせませんよね
うん
それで
相互作用だからやっぱりどこがいても
限界もあるし
その限界の中でこそ
やっぱり人間の知性って輝くんだと
うん
いうことはやっぱりロックがすごくやっぱり強調したと思うんだよね
未来への希望
わーそうだよね
だから間違っても
経験論一人一人が経験したもので
知識を作っていくんだ
みたいな話をすると
さっき早く言った相対主義だったりとか
下手すると
いつもの虚無主義というかさ
もうええわみたいなさ
わかり合えないみたいなさ
なっちゃうかもしれないけども
ロックは逆の話をしてるんだよね
だからこそ
同じ方向を向けるんだ
同じ土俵に立てるんだっていう話を
やっぱりその
理性最高とかイデアとか
なんとなくそっちの方がみんな
同じものを見て同じ土俵に立てる気がするんだけど
でもロックは
そうなってないっていうことを
めちゃくちゃ
思ってそっち側のエリートと
話す中で
全然噛み合ってないやんけみたいな
話も進んでないやんけみたいな
そう思ってなんでやんの
いう時に
行き着いたのがこっちだって話したもんね
そうですそうです
すごすぎるわ
やっぱすごいよねこれはね
そう
だからやっぱりね
いわゆる経験を通じて
ちゃんと世界と向き合ってもそうだし
その向き合ったことから
新たな経験とか知識が生まれてくるっていう
そういうことと
未来思考の考え方なんだよね
そういうふうなところで
やっぱり
いい国をつくっていくのは
多分そうだろうし
政権がバタバタと
育っていく中でも
僕らは新しい政治体制の中で
ちゃんとつくっていくんだよ
っていう
第2回とか3回お伝えした
市民政府理論とかの話が
あると思うんですけど
その根底に
みんなでちゃんとつくっていくんだよ
やっぱこれみんなでちゃんとつくっていくんだ
とか
過去の経験とかやっぱり出来事を生かして
ちゃんと人間では未来をつくって
いけるんだっていうふうな
それちょっと希望みたいなものが
含まれてるからこその当時から
受けられたりとか
これをもとに俺たち頑張っていこう
っていうふうに
人たちも思ったんじゃないかな
っていうふうに感じるんだよね
そうだね
あとはちょっと意地悪な見方かもしれないけれども
はいはい
このロックの話はやっぱ当時から
すごく人気があった
受け入れられたっていう話を
最初からハヤトがしてくれてたんだけれども
これを
なんだろうな
このロックの
言う通りに
理解してそうだそうだ
って言った人の割合と
これがやっぱり
革命だったりとか
いわゆる市民
一般民衆が
王権だったりとか
政府を倒すというか
覆すとこに
すごく使いやすかったから
乗っかったみたいな使い方もできると思うんだよね
そうだね
ロックは本望じゃないとは思うんだけれども
うん
てつやくんとは違うけど
その辺の割合ってどうだったんだろうなっていうのは
ちょっと気になるところではあるよね
すごく使いやすそうだもんね
うん
オーディングで読んだとは全く思えないから
そういうのを聞いた人が
ロックがこんなこと言っていてとか
この発想ってすごいねとか
いろんな話をする中で拾われていた
って感じではあるんだろうね
だから俺たちはこれでいいんだ
みたいな方にも
危ない
使い方ができそうだな
できちゃう
革命権とか
そうだけれども
それを正当化する
知識
まさにペンは剣よりも強くしないけどさ
うーん
やっぱりそういうところの怖さは
やっぱりてつやくんにはあるし
ゆっくりそれを
知ったことでやっぱり
僕らってこういう風な歴史的な流れとか
知識
まさに知識だよね
っていうところからやっぱり
ロックの思想への導入
物を見てるんだよねっていうところも
見えてくると思うんで
そうだね
だからこのロックの話を
元にめちゃくちゃ
みんなを扇動するような
素晴らしい思想
俺たちは自由だ
なんならなぜならここだからだ
みんながそうだそうだって言って
そっちの方に流れるっていう時に
そのロックを元に作った人の
すごくその
魅力的な話
の根底って
何なんだろうっていうところ
を
作るのは難しいんだけどね
これはいつも話をするけれども
最先端のそういった
哲学でも科学でもいいけれども
その大元にアクセスして
それを理解するっていうのは
基本難しいんだけれども
その姿勢はやっぱ教えちゃダメなんだろうな
っていうのも一緒に感じるよね
こんだけすごいと
今回ちょっと
ロックっていうところでやってきて
前回までの松井さんとか
久喜さんみたいな日本人の人たちとは
全然違うで味わいがあるね
っていう話をしたとは思うんですけど
やっぱりねこの
350年前とか
だいぶ古い
今からすると古い
これはもちろんあるんだけれども
やっぱり
捉えてる本質とか
逆に現代に当てはめるときに
さっきの言葉の本質とかもさ
今このチャットGPTが
SNSで
言葉が溢れてますとかってあると思うんだけど
そこで
溢れてる言葉って何なんだっけ
みたいなことを考えるときには
すごく役立つと思うから
確かに確かに
こういうところをね
学んでいくことの
意義というか楽しさっていうのもあるんじゃないか
って改めて思ったロック界でしたね
次回の予告と関心
自分としても
なるほどなるほど
確かに
前半特にね
当たり前じゃんみたいな
感覚じゃんみたいなところ
それこそ危ないって話だよね
そうだねそう
というようなところでね
今回やってきたんですけれども
次回ちょっと前も言ったんですけれども
ヒュームっていう人やっていきたいですよと
ヒュームさんはまさにロックの考え方を
発展させた人っていう感じで
発展できるんだ
これさらに
ロックバークリーヒュームとかって
並べられて
ヒュームさん
っていうのをやっていきたいですよと
やっぱこのロックも当然
足りない部分とか逆にもっと
こう考えたらいいよとか
ヒュームさんが考えていくんですよ
その次は
関東ですね
もう一回
イギリスの経験論と呼ばれるものを
やったときに
海陸側の話とかも触れながら
関東って何やったのって
僕も正直今分かってないというか
分かんなくなった
逆に分かんなくなった
なんとなく統合したので
ふんふんって言ってたんだけど
前回も言ったように
別に考えたら無理じゃん
愛入れないじゃんっていう
発想なわけじゃない
それをどうしたのって
今すごい興味があって
そこを一緒にやっていく
ヒュームさんと関東さんというところを
次回次々やっていく中で
まさにこの
近代
西洋の哲学というところを
もう一回復習も含めて
新しいことにも触れつつというところで
やっていきたいと思っております
というところですね
分かりました
確かにこれだけすごいから名残惜しくはあったんだけど
引き続き
ヒュームやってもらえということで
その辺り
引き続き楽しんでいきたいと思います
では次回も
引き続きよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました