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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
あらためまして、兄のカンノ・キョウスケです。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いしまーす。さあ、今回からメルロ・ポンティに入っていくというところでした。 はい、
メルロ・ポンティさんですね。ちょっとね、名前として不思議な響きはありますが、 えっと、なんかね、これまでもあのメルロ・ポンティやるよって言いながら、こう
ついにちょっとね、取り上げるっていう感じがしますね。 名前が覚えやすいから、なんとなくね、名前だけ知ってる人っていう感じだね。
響きがいいからね、ちょっとやっていくんですけれども、でもね、哲学的にはね、難しいっていうよりは、結構やっぱり、
また新しい地平を切り開いている人なので、結構ね、噛みごたえ歯ごたえはあるかなという感じですね。
時代的にはね、この方は20世紀の方ですね。 生まれたのが1908年なので、これまでのね、フロイドとかベルクソンとかは1800年代、
中盤ぐらいかな、というような人たちだったんですけれども、 ちょっとね、また時代が現代に近づいてきてますよっていうふうな感じの人ですね。
なるほど、前回フロイドだったけれども、その流れみたいな感じではあるの? そうだね、ありますと、実際その前のベルクソンとかもやっぱりメルロ・ポンティにかなり影響を与えているし、
やっぱりフロイドの無意識とか、そういった後は、前回その抑圧みたいな話をしたと思うんですけど、結構そういう意識の方で抑圧されたものは無意識に溜まっていくみたいな話をしたと思うんですけれども、
やっぱりそういうところもメルロ・ポンティはちゃんと見ながら、やっぱり自分の発想っていうものをより広げてるんですよね。
そうなんだ。
だから直接指定関係にあったみたいな感じではないと思うんですけれども、やっぱり当時のある種最先端の哲学だったり科学だったり、そういったものをメルロ・ポンティはちゃんと学びながら、それを超えるっていうか、
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丸種結びつけようとするみたいな、ちょっとそのあたりは今回のメルロ・ポンティ編全体のテーマだったりもするので、ちゃんと話していこうとは思っているんですけれども、
一言で言うとね、大きなキーワードが二つあって、一つが量儀性っていう、量って両方の量に異儀の儀、両方の異儀を見るみたいな話とか、
あとは万年になると過逆性っていう、不可逆とか戻らないっていう意味で不可逆とかって言うじゃないですか、の不がないバージョンっていうような色んなキーワードが出てくるんだけれども、
一言で言うと、いわゆる二言論的な、丸種分けて考える発想だよね。それを、実は分かれてないんだよとか、そもそも分ける前に、その分ける前っていう世界があるじゃないかみたいな、そういうことを大事にしている哲学者だって言われてるんだよね。
ええ、そうなの?なんか一気に一言論っぽいというか、そうなんだ。
そう、でもね、一言論とはまた違うんだよね、これが。ここが難しくて、要はその、ちょっとね、この辺りはまあ難しい話になってくるんで、ちょっとね、少しずつメロポンという話をしながら、今言った二つに分かれたものを分かれてないとするっていうことって、そうやって一言論と何が違うのみたいなことも含めながら、
ちょっと今回だけっていうよりは、まさにこのメロポン議会全体がそういうふうな話になっていくと思うので、ちょっとそういう疑問も持ちながらお話を聞いていただいたりとか、一緒に学んでいければいいなと思ってますというふうな感じですね。
はいはい、分かりましただけれども、今さ、あの、一言論を分かってるような前提で言っちゃったけどさ、分かってないからね、ちゃんとそこのとこはお願いします。
テオくん そういうことね。
一言論と何が違うのって言ったときに、そもそも一言論もちゃんと分からず適当に使ってるから、そこはすいません、先に伝えといてください。
テオくん 了解です。そうだね、じゃあそのときになったら、じゃあそもそもそれってなんだと、一言論ってなんだ、二言論ってなんだみたいな話もすると思うんですが、はい。
テオくん まぁちょっとね、まあ第一回なので今日はね、メロポンティのまあ少しこう、まあ概要というか、あの一体とかを話していければと思っているんですけれども、
テオくん まあメロポンティはあれですね、もう一言で言うと、なんだ、哲学のもう本当に、なんだ、超優秀な人みたいな、あるその哲学者の中でも、その哲学はやってるけどね、学校では全然勉強できませんでしたよとか、逆にベルクソンみたいに数学がめちゃめちゃすごかった。
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テオくん けど別にもともとは哲学者じゃなかったよとかって人もいると思うんですけど、結構そのメロポンティはもう割とそのちっちゃい頃、それこそ中学とか高校ぐらいから、もうなんか哲学めっちゃすごいみたいな、その学校とかその地域で一番なんか哲学の、
テオくん まあそれこそそのなんだ、僕らでいうところのなんか読書感想文じゃないけどさ、まあそういうのってあるじゃないですか、それのなんか哲学みたいなところで、まあ本当に賞を取るみたいな、結構優秀な人なんですよね。
テオくん ああそうなの、じゃあ別の分野とかじゃなくて、かなりまっすぐずっと哲学で生きてるみたいな。
テオくん そうそうそうそう。
テオくん それもすごいね、なんかね。
テオくん 私、当時、当時実は1952年とかなんですけれども、44歳の時に史上最年少で、フランスの一番名誉ある、まあ日本で言えば東西みたいな、わかりやすく言うと。
テオくん だところの教授になってるんですよね、当時の史上最年少で。
テオくん ああそうなんだ、最年少なんだそれ。
テオくん そう、っていうぐらい、哲学というものに対するとか学問的なキャリアというものを築き上げた人ですよと。
テオくん はいはい、だからまあ本当に当時からその哲学やってるとさ、死んだ後に評価されるみたいなさ、こともあげると思うんだけど、かなりずっとど真ん中を来た人みたいな。
テオくん そうだね、そうなのです。
テオくん っていう感じの人ではあるんだけれども、小っちゃい頃はね、エピソード的に苦労してたんだけれども、本人的にはすごい子供の頃は良かったっていう話をしてて、お父さんが軍人だったらしいんですよね。
テオくん 当時って1908年とかなので、いわゆる第一次世界大戦直前みたいな感じの時代なんだけれども、お父さんが3歳の時に亡くなっちゃうんですよ。
テオくん で、お母さんとその兄弟とみたいな感じで生きていくんだけれども、それはそれでメロポンティ的にはすごい幸福だったみたいな話があるらしく。
テオくん つつましながらも幸せに暮らしてましたっていうような感じなんでね。
テオくん そっからね、普通にさっき言った通りメキメキと才能を発揮しながらやっていくんだけれども、
テオくん やっぱり当時のフランスなので、第一次世界大戦もそうだし、第二次世界大戦っていうところにも関わっていて、
テオくん 第二次世界大戦は普通に兵士としてもやっぱりその戦場に行ったりしてるらしいんですよね。
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テオくん なので、やっぱり20世紀、この時代っていうのは本当に戦争の世紀とかって見られるぐらいだけれども、
テオくん やっぱりそこと切っても切り離せないというか、やっぱり哲学の人間とは何かとか、世界とは何かとか、
テオくん そもそも哲学というもの自体をどう捉えるかみたいなことも含めて、やっぱりいろんなことが発展する時代なんですけれども、
テオくん そこのメロポンティは一つの巨匠というか、すごいビッグネームですっていうような感じなんだろうね。
テオくん そうなのね。
テオくん 時代的に言うとね、サルトルって言ったじゃないですかって、以前やったと思うんですけど、
テオくん もうあれか、もう3年前ぐらいかな、もうだいぶ前だったと思うんですけど、
テオくん 実論主義だね。
テオくん そうそう、実論主義。
テオくん メマイとかハキケンみたいな話をしたかと思うんですけど、
テオくん このサルトルとメロポンティって同世代というだけじゃなくて、もう本当に学生時代からずっと一緒にいる親友みたいな感じなんですよ。
テオくん サルトル会の時に出てきたっけかな、名前。
テオくん あのね、出してなかったと思う。
テオくん ちょっと触れたかもしれない、でも多分出してないなっていう感じなんだけれども、
テオくん それこそ当時のフランスの学校にサルトルもいて、レビストロースもいて、
テオくん まだそれでやってないですけれども、
テオくん シモーヌ・ベイユっていう、これもすごい女性の哲学者なんだけれども、こういう人もいて、
テオくん なんかもう黄金時代みたいな、
テオくん そういうふうな人たちがいたような時代なんですよね。
テオくん サルトルとメロポンティはさっき言った通り、結構親しくやって、一緒に雑誌とかも作って、
テオくん 自分たちのそういう思想とかを、その自分たちが作った雑誌で発信していくとかもやっていたんだけれども、
テオくん でも晩年に至ってめちゃめちゃ激しく衝突するというか、
テオくん ある時はサルトル派とメロポンティ派みたいに別れちゃって、
テオくん えー、そんなに?
テオくん そう、で、周囲の人も一緒になりながら結構論戦をするみたいな、
テオくん なんかそういう感じになっちゃったみたいなんですよね。
テオくん あーそうなんだ、ほうほうほう。
テオくん そう、で、それもやっぱり別にただ仲が悪かったみたいなことじゃなくて、
テオくん やっぱりこう、あんまり比較はやらないですけれども、
テオくん サルトルはやっぱりある種自由な人間の意識みたいなものと、
テオくん あとは物体みたいな、デカルト的な体と精神みたいな、結構そういうのを分ける発想に立ってるんですよね。
テオくん はいはいはい。
テオくん でも、メーロポンティはさっき言った通り、それを分けるんじゃなくて、
テオくん その二言論っていうものじゃなくて、それがもうそもそも分かれてないとか、
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テオくん だからそれが混じり合うみたいな、やっぱそういうことを大事にしてた哲学者なんですよね。
テオくん はいはい。っていうことは、ただの喧嘩とか、仲悪くなったじゃなくて、
テオくん 単純に考えてることが違いすぎて、その点についてめっちゃバチバチやってたみたいな感じなのかな?
テオくん まあそうだね、それを単純にって言えるかは難しいんだけれども。
テオくん まあそうだよね、確かにそこだけ聞いとるわけにはいかないから。
テオくん それが結局、政治的な見解、当時戦争とかがあったときに、
テオくん やっぱり何が正義かとか正しいかみたいなさ、そういうものも当然変わってきちゃうわけなんだよね。
テオくん なるほどねー。じゃあまあ、ある意味喧嘩ってほど生ぬるくないというか、むしろかなりヤバいみたいな感じがある意味で。
テオくん かなりバチバチな人間感とか政治感とか世界観とか、そういうものの対立とか、お互いに全く違う根拠みたいなものを、
テオくん 全く違うものに基づいて、やっぱりこう、ものを語ろうとしている。
テオくん そこはやっぱり分かり合えないみたいなところがあったみたいなんですよね。
テオくん これも別になんだろうな、仲が悪いっていうより、お互いに自分の見出したこととか、
テオくん やっぱりこう考えたことで、まあ誠実であったからこそ、やっぱりそれをずらりのき通したりとかもあるんだけれども、
テオくん ただね、ただ面白いのが、実はそれっていわゆる方法論の違いかというとそんなこともなくて、
テオくん 方法論っていうのは、サルトルもメーロポンティも、結構土壇にあるのはフッサールの原初学なんですよ。
テオくん ああ、そこ一緒なんだね。
テオくん うん、伝説であるんだね。もちろんそこからいろいろ発展をさせてるんだけれども、
テオくん メーロポンティに至っては、やっぱりフッサールが始めた原初学っていう話も以前ちょっとしたと思うんですけれども、
テオくん その原初学をある人受け継いで、フッサール以上に発展させたみたいな、
テオくん そのぐらい、しかもその限界も意識しながらね、みたいな、そういうことをやった人だっていうふうに言われてるんですよね。
テオくん ああ、そういう感じなんだ。
テオくん そう、だから結構僕の中でも、メーロポンティイコールスの原初学の人みたいな感覚があって、
テオくん 実際そのね、主張、今回も扱うんですけども、タイトルに近くの原初学って書いてるぐらい、やっぱりそれはあるんだけれども、
テオくん 実際そのフッサールに関しては、直接その教えを受けたっていうよりは、講義を聞いたことがあるらしくて、
テオくん それがその、メーロポンティが21歳のときかな、大学のフッサールの講義を聞いて、結構それに衝撃を受けて、
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テオくん この原初学っていうのをベースにしながら、まあ自分が色々学んできたこと、それこそベルクソンの哲学もそうだし、
テオくん ずっと次回以降話すんだけれども、当時割と先進的だったゲスタルト心理学っていうのがあって、
テオくん ゲスタルトってゲスタルト崩壊とかよく聞くじゃん。同じ文字とかずっと見てると文字っぽくなくなるみたいな。
テオくん ゲスタルトって言えば、あるまとまりとか、片言うと構造みたいなイメージなんだけれども、
テオくん 文字、例えばアっていう文字もさ、普通に言ったら線の組み合わせなわけじゃない?ただとか。
テオくん もっとわかりやすいのは、クとかイとかさ、ぶっちゃけなんか線がちょっと曲がってますねみたいなぐらいなわけじゃん。
テオくん でもそれを僕らは文字として捉えるとか、その文章の中にあると、ただの無意味な線じゃなくて、これはクっていう文字だとか、
テオくん これはいっていうひらがなとかっていう風に理解できるわけだよね。そういったまとまりとか全体をもって、
テオくん その意味とか、そういうものを捉えるっていう感覚がざっくりとゲスタルトっていうような話なんだけども。
テオくん あ、そうなんだ。ゲスタルトさんが考えたやつとかじゃないんだね。
テオくん 今話の流れ的にさ、あのゲスタルト崩壊を考えたゲスタルトさんの神秘学だよみたいにさ、
テオくん なるのをお伝えしてたんだけど、違いが。 テオくん 確かにね、名前がつくことあるもんね。
テオくん これ、確かに僕もあんまそれ考えたことなかったんだけれども、今Wikipedia調べてみたら、
テオくん ドイツ語のゲスタルトって言葉があって、これがまさにそのまとまりを持った構造っていう風な意味の言葉なんだって。
テオくん あー、今ハイトがちらっと言った話ね。 なるほどなるほど。 テオくん だからそれを、なんかドイツ人は多分ゲスタルトって言われたら、ああ、それねってなるけど、
テオくん 日本人なじみなさすぎ問題みたいな。 テオくん そう、人の名前にしか見えなかったっていう。
テオくん なるほど。 テオくん うん、みたいなところがありますよと。
テオくん で、もちろん原子学ってものを使いながらなんだけれども、独自のものというかいろんなものを組み合わせながら、
テオくん 迷路ポンティアで迷路ポンティアなりの哲学を作っていきましたよと。 そういったことがあるんですよね。
テオくん で、さっきフッサルの話を言ったんだけれども、その講義を聞いたっていうのもそうだし、
テオくん あとはフッサルが亡くなった後なんだけれども、フッサルからちょっと言ったかな、彼の膨大な意向というか、出版されなかった手書きの手記みたいなものとかがめちゃめちゃ残されたらしくて。
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テオくん そこにある種、迷路ポンティアはアシスティックに通ってですね、フッサルの書いたこととか、本になったこととかを学びながら、自分でそれを吸収していったみたいな、そういうふうな感じだったみたいなんですよね。
テオくん ああ、そうなんだ。じゃあ直でいろいろ講義というか、もうワンオワンでやってもらったっていうよりは、講義聞いてこの人すごいってなって、あとは自分でそれを勉強したみたいな感じの方が近いのか。
テオくん こういう感じですね。みたいなところが、やっぱりこうね、彼の自学的な基礎にあるというふうな話なんですけれども。ここからね、実は迷路ポンティってそんなにエピソードがないというか、本人があんまり残してなかったみたいなんですよね。
テオくん ああ、日記とかが残ってないみたいなね。
テオくん ああ、そうそうそう。で、それこそ周囲の人、サルトルがこういうふうに言ってたよとか、シモヌベイがこういうふうに書いてるよとかっていうのはあるらしいんですけれども。
テオくん あんまり本人が残してないことをそのまま言ってもあれかなと思ったんで、ちょっと人柄的な部分はこのぐらいにして、少し哲学的なところを今回お伝えしていこうと思っておりますと。
テオくん で、結構それが僕も最初、いつもよりだけどわからなくて、読んでも読んでも入ってこないというか、結局迷路ポンティ何にしたかったんだみたいな感じが結構あったんですよね。
テオくん ああ、そうなんだ。
テオくん 読んだといっても本人の本はまだちょっとしか読めてなくて、あとちょっとこれ写真アップするかもですけれども、
テオくん 和志田清和さんっていう有名なというか日本の哲学者の方が、あの迷路ポンティっていう本まさに出してるんですけれども、結構今回その本とかを参考にしつつお伝えをしておりますと。
テオくん 和志田先生が書いているのが、結局その迷路ポンティがやろうとしたことって何かみたいな話でいくと、
テオくん 当時の哲学界、20世紀前半ぐらいっていうのを考えると、これまでやってきたベルクソンとかフロイトっていう人たちは割と特殊で、
テオくん 割とその流れとかさ、無意識とかっていうそういうふうにさと思うんですけど、やっぱり種類はあくまでも、やっぱりこういわゆる科学みたいな感じで、
テオくん 分析していって、やっぱりこう世の中っていうものは理解し尽くせるんだとか、それはベースにあるやっぱり人間の理性とか、
テオくん やっぱりそういった能力っていうものがあるから、ある種この世界っていうものはちゃんと解き明かせるんだみたいな、やっぱそういうふうな発想なんですよね。
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テオくん これをある種一言で言うと、その自然、要はその科学の方だよね、っていうものか意識、これは人間の理性の方だったりとか、
テオくん その意識か自然かっていうのは二元論とか、あとは主観か客観かみたいな、
テオくん 関東とかフィシティとかシェリングとか、ここらでもよくやったと思うんですけど、結局人間が世界を理解するとか、
テオくん あとは理性って自然のどこから生まれてくるのかとかさ、そういう話なんか一時期いろいろやったじゃないですか。
テオくん あったね、その関東の釣りのフィシティシェリングあたりでさ、自然のエネルギーがみたいな話してたよね。
テオくん これはシェリングは1775年に生まれてるんですけれども、そこからやっぱり130年ぐらい経っても、やっぱりこういった議論というか、むしろそれがもっと分裂して、
テオくん いやいややっぱ自然と意識っていうのは違うんだとか、そういったやっぱりもっと科学でやっぱり自然を理解するっていうことは、人間とある種関係のないこと。
テオくん 人間の意思と自然というものが全然分かれてるもので、そこってある種もう結びつかないんだよ、そんなことを考えたら無駄なんだよみたいな、
テオくん 割とそういう風な時代だったわけなんですよね。
テオくん なるほどなるほど。
テオくん で、やっぱりメロポンティはちょっとそれがなぜかっていうのは難しいというか、ちょっとまだ僕は読み取れてないんだけれども、
テオくん でもその分裂とか分割って、そもそもおかしくないというか、よくこういう時には疑似問題とかっていう言葉があるんですけど、
テオくん 疑似問題、なんかその疑似的な問題、つまりそもそも問題ですらないというか、
テオくん あーはいはいはい。
テオくん そう、勝手に分けてるとか分かれてると思って、なんか人間の側が右往左往をしてるだけで、そんなことは元々ないんだみたいな、
テオくん はいはいはいはい。
テオくん 結構そういうことをメロポンティは主張し続けるというか、それを追求しようとし続けてたっていう風な話なんですよね。
テオくん あーそう、その問題設定間違ってるみたいなやつを疑似問題っていうんだ。
テオくん そうそうそう、そもそも問題でないみたいな話だね。
テオくん だから、やっぱりさっきも言ったけれども、やっぱり元々的にデカルトに帰ってくるんですよね。
テオくん やっぱりデカルトの心身二元論って、ある種心とか精神っていうものが主で、
テオくん 体ではね、物質的でその精神に従うものというか、そういうある種道具みたいなもの。
テオくん はいはい。
テオくん っていう伝統がやっぱりずっと続いているんだけれども、これをある種その当時20世紀の時代で見ると、
テオくん いわゆる理性っていうのは哲学だよね。
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テオくん 哲学、その知識とかそういった探求を積み重ねれば、世の中から理解できるんだっていう風な話と。
テオくん あとその体っていうのはまさに科学だよね。
テオくん 要は、ある種の物理的な法則とか、もっと言ったら脳の電気信号とかっていうもので、
テオくん 全部全部分解して、理解していけば、人間の動きって全部わかるんだみたいな。
テオくん そういうイメージっていうのは当時強いわけですよ。
テオくん はいはいはいはい。
テオくん でもこれもそのいわゆる哲学か科学かとか、意識か自然かとかっていうのはどっちか一方っていうことじゃなくて、
テオくん そもそもこの両方がどっちもやっぱ間違ってるってことで迷路ポンテは言いたいんですよね。
テオくん うーん、ほうほうほう。
テオくん それをどういう風に言っていくのみたいな話は次回以降ちゃんと言っていくんですけれども、
テオくん 一言で言うと、やっぱこれってその意識であれ自然であれ、その根底あるのってやっぱどこかに正しい世界があるとか、
テオくん 本当にどこかに客観的に、要は明らかにし尽くせる、そういった答えがあるっていう風な、そういう風な発想があるよねっていう風に迷路ポンテやっぱり感じるんですよね。
テオくん あーはいはい。
テオくん うーん、100点を取れるのは100点っていう答えとか基準があるからじゃない?
テオくん そうね。
テオくん 90点だったらあと10点分どこかにあるみたいな話なんだけれども、
テオくん それはその哲学であれ、その当時の哲学、要は理性で全てを理解し尽くせるっていう方も、
テオくん やや全ては自然法則にのっとってるんだっていう方も、
テオくん やっぱどっちも同じ100点満点の世界があるっていう風なことをやっぱ前提にしてますねと。
テオくん おー、確かに確かに。
テオくん で、今僕らは70点とかかもしれないけど、どんどんどんどん発展しればあと30点分埋めれるんだみたいな発想なんだけど、
テオくん やっぱり迷路ポンテ化すると、そもそもその設定自体がまさにおかしい疑似問題というか、
テオくん あーなるほど。
テオくん 嘘だみたいな、そうそうそう。
テオくん 人間の、まるで人間だけじゃなくて世界とか宇宙全体もそうだけれども、
テオくん で、そんなもん100点がここで決まってるようなもんなんだっけみたいな、そういうところにやっぱ疑問を持つわけなんですよね。
うわーすごいね、やっぱこういう人はだいぶ深いというかね、違うところに持っちゃうんだね、言い訳がね。
そうね、やっぱりこうね、ある種哲学者っていうとさ、どうしても過去をやったことを学んで、
なんだろうな、それを評論するとかさ、説明するっていうふうなことにちょっとイメージが湧くかもしれないんだけれども、
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やっぱりその過去の哲学とこれまでの蓄積をもっとやっぱそれを乗り越えるとか、やっぱりそれを新しい、まさに自分の違和感とか、
その問題意識っていうものを抱えてそれを突き進んでいくみたいな、やっぱりそういう人だと思うし、それをやっぱりやったのがメロポンティだ、みたいな、そういうふうに言えるかなと思うんだよね。
はいはい、なるほどね。まあいろいろあるだろうけどね、その100点に近づくっていう中で何かを生み出しちゃう人もいるだろうし、
うんうんうん。
で、そもそもメロポンティみたいに100点って何?みたいなね。
うんうんうん。
うん、というのを設定したいからもう違和感を持っちゃうタイプもいるみたいな、いろいろあるそうですよね、そこは。
そうなんだよね。だからカントとかはさ、そもそも物事体っていうのを作って、いや人間には100点は無理ですと。
理性には限界があるんですってのを言ったわけだけれども、まあそれも別にその後いや本当はできるんじゃないかとか、
うんうんうん。
やっぱりそういうことをこうやってきたのがまあその歴史だったわけですよね、カント以降の。
はいはいはい。
うん、そこに対してメロポンティはいやいやもうそういうやっぱり舞台設定じゃないよっていうふうな話をして、
やっぱりこうある種、そのなんていうのかな、こう上空飛行的思考みたいなこともあるらしいんだけれども、
うん。
つまり鳥の目とか神の目みたいな感じだよね。
うんうんうん。
っていうもので、ある種客観的に世界っていうものを把握できるとか、
うん。
置き尽くせるっていうことじゃなくて、やっぱり今ここにいるまさにこの自分みたいな感覚。
うんうんうん。
っていうところからまあ世界を捉えるっていう、もちろんそれしかできないし、
仮にその亀みたいな視点に立つとしても、その前にはあなたもこの生きているその自分とかあなたっていう存在から、
世の中を捉えていたよねみたいな。
うんうんうん。
やっぱそういうことにちゃんと引き戻るというか捉え直すというか、
うん。
そういうことをする哲学者なんですよね。
うーん、なるほど。その辺がちょっと伝承学っぽいみたいな感じだろうかな。
そうそうそう、それに多分フィットしたっていう感じだと思うね。
なるほどなるほど。
うん。で、たぶん結構その辺りも一筋縄じゃいかなくって、
たぶんメルロポンティがフッサールから受け継いで原子学をやりました、たぶん正しいんだけれども、
でも同じぐらい原子学には限界があるとか、原子学だけでは突き崩せないものがあるっていうことに結構早くから気づいてたらしいんですよ。
うわー、そうなんだ。妄心したわけじゃなくて、これめっちゃ使えそうな道具じゃんってなったけど、
意外とこのケースじゃ使えないな、みたいな音がメルロポンティ的にはもうわかったんだね。
そうそうそう。やっぱりそれが我が国で哲学をセンスというか、なんかあった人なんだなって思うんだけれども、
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それをちゃんと自分の問題設定に引き付けながら、でもうまく使われないというか、ちゃんと自分が使いこなすみたいな、そういうことをやった人なんですよというふうな感じなんですよね。
やっぱり面白いなと思うのが、哲学に対する捉え方みたいなことも結構いろんな言葉として書いてるんですけれども、
例えばね、このさっきもちょっとお伝えした知覚の原子学って、割と若い子の主張があるんだけれども、
これはたぶん30代とかかな、書いたとき。本当に第二次世界大戦が終わる1945年とかに書いた本なんですけれども、
30歳くらいのときにね、彼が言っているのが、哲学とは何ですかって話したときに、
哲学とは、己自身の端緒、だからいわゆる輪郭みたいなものだと思うんだけれども、それが絶えず更新されていく経験なんですよとかね。
あとは、真の哲学とは、真のだよ。それは世界を見ることを学び直すことであるとか、そういうことを言ってるんですよ。
なるほど。だから、さっき100点はないとかっていう話はしたけれども、
自分の哲学に対するスタンスというか、哲学とは何だよみたいなところは、答えてるような定義をちゃんと持ってるみたいな感じなのかな、そこに関しては。
そうそうそう。しかもそれをちゃんとアップデートしてるって感じかな。
さっき言った通り、例えば、哲学とは己自身の端緒が絶えず更新されていく経験だとかって言うと、その哲学っていうものも何か正解とか決定的なものがあるんじゃなくて、
やっぱりそれが自分自身と絡み合って、かつ更新されていくんだみたいな。そういうふうなものとして、ある種ダイナミックに捉え直してるんだよね。
なるほど。ちょっとベルクソの持続っぽい感じもするね。
そうそうそう。やっぱりね、そこを向けてるってのもあると思うし、さっき言った世界を見ることを学び直すことだみたいな話も、やっぱりこう、世界をこう見るみたいな、そういう点じゃなくて、やっぱり学び直すって常にアップデートされ続けるもの?
ああ、そっか。最初言った話と似てるか、更新し続けるみたいなことね。
そうなんだよね。っていうところがあるので、やっぱりさ、これはさ、37だよ、さっき言ったまだ教授もあってない頃に真の哲学とかっていうのさ、結構すごくない?すごいというか、なんか自信家じゃない?って思うんだよ。
はいはい、なるほどね。
うんうんうん。
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でもやっぱりムーラポンティとしては、これこそがやっぱり自分が哲学だとか、逆に今の哲学はやっぱりそうなってはない?
うんうんうん。
で、どこかへのやっぱり強い危機感というか、やっぱり使命感みたいなものがあったんだろうなってやっぱ思うんだよね。
なるほどだし、まだそれを若いと表現するのであれば、そういう若さゆえの熱さみたいなものはあったかもしれないね、もしかするとね。
確かにね、そういうのもあったかもしれないね、っていうのを本当に若い頃の本でも書いてますというふうな人なんですけど、だからね、今回はその哲学の話とかでムーラポンティをしていくんだけれども、
特にベルクソンっぽいって言ってくれたら多分まさにそうで、やっぱりこうダイナミズム、動的な部分とか、やっぱりこうなんていうのかな、よく言えばそういうふうに生き生きとしたものになるし、
悪く言うとやっぱりちょっと捉えどころがないというか、なんかもっとこうパチッと説明しようみたいな答えが欲しいみたいな、多分昔の僕みたいな人からすると、もっと言い切ってくれよみたいな感じもあるかなとは思うんですよね。
そうはね。 もうAはAって言ってほしいみたいなさ、あると思うんだけど、でもさっき言った通り、ある種ムーラポンティのテーマっていうのは良義性とか過虐性ですってさっきちょっと言ったと思うんだけれども、
良義性っていうのはね、ある種AでもありBでもあるとか、その両方の意義を持つってことだから、確かにこの発想自体はさっき兄貴がね一元論っぽいと言ってくれたけれども、ちょっと東洋的、それこそレンマみたいな話するときにAでもありBでもあるとか、でもAでもなくBでもない、悟ってもいるし悟ってもいないみたいなさ。
色即是空、空即是色だね、まさにね。 そうそう、まさにまさに。っていうところに無理矢理繋げようと思えば繋がる部分もあるかなとは思うんだよね。
ちょっと無理矢理にはなるけどね。 そう、もちろんムーラポンティ自体がかなり全く仏教とかに触れてないかわかんないけれども、別にそういったことを考えてたわけではないから。
はいはいはい、そっちから完全にインスパイアされたわけでもないって話ね。 そうそうそう。
そう、やっぱそこに僕らがね、さらに100年後に生きる僕らが見て、ちょっとこいつあれやるかもねっていうのを考えるのは面白いかなとは思いますというふうな感じですね。
はいはいはい。 というところでね、いってそのムーラポンティがやろうとしたことというか、ちょっとコントやるもんっていう話をしてきたんですけれども、
あとね、やっぱり彼がすごいなってちょっと誰の目線だよってあるんですけど、
っていうのを思うのは、哲学者がゆえに、哲学だけじゃないんですよ、やっぱり。もちろん哲学もあっているんだけれども、
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例えばさっきちょっと出たような、いわゆる神経生理学みたいな、人間の身体的な機能ってどうなってるんですかっていう話とか、
あと聞いたことあるかな、発達心理学のピアジェとかさ、あとは言語学のソシュールとかって聞いたことある?
ソシュールは聞いたことあるね。 それなんかちょっと以前ソシュールは触れたかな。
ピアジェとかはね、僕は教育学部だったので、多分そこの文学でやってるんですけど、
幼児教育、子供がどういうふうに発達するかとか、発育、教育するかみたいな、結構そこの源流みたいな人なんですよ。
えー、そうなんだ。フロイトとは違うの。 フロイトは全然違う、また。フロイトはあくまでも、いわゆる成人とかの神経症とかだったけれども、
まさにピアジェは幼児とか子供。あ、そうか、フロイトも子供の欲望の発達とかしたと思うんだけれども、
それは理論じゃなくて、まさに研究とか実験とかをちゃんとして基礎を作ったみたいな人なんですよね。
あ、そうなんだ。 うん。例えば赤ちゃんがさ、いかにお母さんと自分というものを区別するのかとか、
あるいはお母さんと別の女性というものを区別するのかとか、そういうのって実は全然わかってなかったわけですよ、当時。
今だとさ、お母さんが来たときは笑顔になるけど、そうじゃないときは悲しくなるとかってさ、そういうふうなことが知られたりするんだけど、
そういうことをちゃんと科学的にというか、実験とかもしながら解明していたりとか、そういう人がいたりするんだよね。
うん、あ、そうなの。こういう同じ時代なんだね。 そうそうそう。で、ピアージュとか、あとさっき言ったレビストロースだよね。
うんうんうんうん。 彼はその、ね、メイラポンティブ、レビストロースは元々学校でも同じぐらいでしたけれども、そういった人たちの発想でも取り込んで、
ある種当時の最先端の科学みたいなものの知見もある種踏まえながら、やっぱり自分のアイデアというか、それを発展させてましたっていうふうな感じなんですよ。
ああ、だからその哲学のエリートな感じがするけれども、その哲学をやるにあたって、まあそれが当たり前かどうかはわかんないけれども、やっぱり自分が考えていることを突きつけるとか、
やってこうとすると、こういう最先端の科学みたいなものとか心理学みたいなもの、生理学みたいな、いろいろやっぱり触れざるを得ないみたいな感じだったんだね、たぶん本人的には。
そうそうそう。私、やっぱりこれまでの科学とか哲学、両方をやっぱり乗り越えようというか、やっぱり変えていこうというふうな人だから、やっぱりまさに新しい、その科学の中でもやはり科学を変えようとしているものとか、そういったものを取り込んで、そこから自分のアイデア、意見を作っていたという感じだと思うんだよね。
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ああ、そうなの。じゃあ結構意識して、哲学と科学両方にちゃんと絡んでいた人みたいな感じだったんだ。
そういうふうな人でございます。彼が亡くなったのが、わりと若くてですね、1961年だから53歳とかかな、という時で、当時でもやっぱりちょっと早かったですねと。なのでやっぱり哲学者の仕事って結構晩年とかに成熟しても出たりするから、やっぱりこれもイフだけれども、もしもっと生きていた中でやっぱりその時代の変化。
1900年代後半もさ、いろんな世の中で変化があったから、そこに対してメロポニテが生きていたらどんなことを考えていたのかっていうのはもちろんあったりするんですけど。
そうだね、やっぱり30年みたいな思っちゃうよね。
そうそうそう、というところで亡くなりましたと。心臓麻痺だったみたいなんですけどね。ただこれはちょっとエピソード的に面白いなと思ったんだけれども、普通の仕事というか、執筆家として中で亡くなったらしいんだけれども、その机にはデカルトの本が置いてあったらしくて、さっき言ったデカルト、まさに彼が乗り越えようとした、ある種の心身二元論の言語ですよね。
はいはい、語彙で。
語彙、そうそうそう。人と戦いながらも、ある種の死の直前までそこに向き合ってたみたいな。というところがすごくわかるエピソードだなと思ってちょっと読んでたんですよね。
なるほどね、余計なんか切ないね。あと10年、あと5年。
そうね、どこまで行ったのかみたいな話もあるんですけど。
そうね。
なので、次回以降はね、また彼の手伝って物より惚れ下げてお伝えしていくんですけれども、
やっぱり京都とお伝えしただけでも、やっぱりこれちょっとね、これまでの流れと違う。
ベルクさんとかはね、結構近い流れもあるかなと思うんだけれども、やっぱり関東とかね、ヘーゲルみたいな話をしていくと、ヘーゲルは結構メロポンティをちゃんと勉強して受け継いでやってるんですけど、
やっぱりそういった時代の哲学感とか、そういったものとやっぱり違う、まさにそういった新しい時代を作ろうとした人っていうふうなところは、ちょっと感じていただけたんじゃないかなと思うんですよね。
いやー、そうね。あとは多分、これを作った哲学者ですとかいうよりは、多分料理性とかさ、ちょっとふわふわしたような感じだから、どこに向かっていくのかはまだわかんないけど、
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とにかく面白い課題設定というか違和感を持った、面白いセンスを持った人なんだなっていうところまでは伝わってきたかなって感じはね。
嬉しいね。なのでね、ちょっとまだまだね、メロポンティさんどんな人かっていうところはね、どうだろうって感じだかと思うんですけれども、
今回ですね、やっぱりしっかりメロポンティさんをお伝えしていく中ではこんなことをやった人なんだとか、結構ね、自分たちが生きることに向き合わされるというか、そういうことをつけつけてくれる人でもあるなと思うんで。
そうなんだ。へー、結構面白そうだね。
やっぱりこう、自分として生きるとか、生きる世界の中で自分がどうあるかみたいな話にも結構直結するような人だなと思うので、
前回はね、フロイトでいうと割とね、自我とか無意識っていう割と自分側にこう、何だろうな、集中したと思うんですけれども、
もうちょっとやっぱりその自分と社会というか、まさに自然、さっきで言ったところの意識と自然というものが別れてないとか、そもそもそこって絡み合ってるみたいな話って結局何なんだみたいな。
ここらはですね、ちょっと皆さんと一緒に学んでいければ嬉しいなと思っておりますというふうな感じですね。
分かりました。では次回ですね、ソメルロ・ポンティの哲学の中身に入っていくということで楽しみにしていきたいと思います。では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。