テオくん なので、やっぱり20世紀、この時代っていうのは本当に戦争の世紀とかって見られるぐらいだけれども、
テオくん やっぱりそこと切っても切り離せないというか、やっぱり哲学の人間とは何かとか、世界とは何かとか、
テオくん そもそも哲学というもの自体をどう捉えるかみたいなことも含めて、やっぱりいろんなことが発展する時代なんですけれども、
テオくん そこのメロポンティは一つの巨匠というか、すごいビッグネームですっていうような感じなんだろうね。
テオくん そうなのね。
テオくん 時代的に言うとね、サルトルって言ったじゃないですかって、以前やったと思うんですけど、
テオくん もうあれか、もう3年前ぐらいかな、もうだいぶ前だったと思うんですけど、
テオくん 実論主義だね。
テオくん そうそう、実論主義。
テオくん メマイとかハキケンみたいな話をしたかと思うんですけど、
テオくん このサルトルとメロポンティって同世代というだけじゃなくて、もう本当に学生時代からずっと一緒にいる親友みたいな感じなんですよ。
テオくん サルトル会の時に出てきたっけかな、名前。
テオくん あのね、出してなかったと思う。
テオくん ちょっと触れたかもしれない、でも多分出してないなっていう感じなんだけれども、
テオくん それこそ当時のフランスの学校にサルトルもいて、レビストロースもいて、
テオくん まだそれでやってないですけれども、
テオくん シモーヌ・ベイユっていう、これもすごい女性の哲学者なんだけれども、こういう人もいて、
テオくん なんかもう黄金時代みたいな、
テオくん そういうふうな人たちがいたような時代なんですよね。
テオくん サルトルとメロポンティはさっき言った通り、結構親しくやって、一緒に雑誌とかも作って、
テオくん 自分たちのそういう思想とかを、その自分たちが作った雑誌で発信していくとかもやっていたんだけれども、
テオくん でも晩年に至ってめちゃめちゃ激しく衝突するというか、
テオくん ある時はサルトル派とメロポンティ派みたいに別れちゃって、
テオくん えー、そんなに?
テオくん そう、で、周囲の人も一緒になりながら結構論戦をするみたいな、
テオくん なんかそういう感じになっちゃったみたいなんですよね。
テオくん あーそうなんだ、ほうほうほう。
テオくん そう、で、それもやっぱり別にただ仲が悪かったみたいなことじゃなくて、
テオくん やっぱりこう、あんまり比較はやらないですけれども、
テオくん サルトルはやっぱりある種自由な人間の意識みたいなものと、
テオくん あとは物体みたいな、デカルト的な体と精神みたいな、結構そういうのを分ける発想に立ってるんですよね。
テオくん はいはいはい。
テオくん でも、メーロポンティはさっき言った通り、それを分けるんじゃなくて、
テオくん その二言論っていうものじゃなくて、それがもうそもそも分かれてないとか、
テオくん だからそれが混じり合うみたいな、やっぱそういうことを大事にしてた哲学者なんですよね。
テオくん はいはい。っていうことは、ただの喧嘩とか、仲悪くなったじゃなくて、
テオくん 単純に考えてることが違いすぎて、その点についてめっちゃバチバチやってたみたいな感じなのかな?
テオくん まあそうだね、それを単純にって言えるかは難しいんだけれども。
テオくん まあそうだよね、確かにそこだけ聞いとるわけにはいかないから。
テオくん それが結局、政治的な見解、当時戦争とかがあったときに、
テオくん やっぱり何が正義かとか正しいかみたいなさ、そういうものも当然変わってきちゃうわけなんだよね。
テオくん なるほどねー。じゃあまあ、ある意味喧嘩ってほど生ぬるくないというか、むしろかなりヤバいみたいな感じがある意味で。
テオくん かなりバチバチな人間感とか政治感とか世界観とか、そういうものの対立とか、お互いに全く違う根拠みたいなものを、
テオくん 全く違うものに基づいて、やっぱりこう、ものを語ろうとしている。
テオくん そこはやっぱり分かり合えないみたいなところがあったみたいなんですよね。
テオくん これも別になんだろうな、仲が悪いっていうより、お互いに自分の見出したこととか、
テオくん やっぱりこう考えたことで、まあ誠実であったからこそ、やっぱりそれをずらりのき通したりとかもあるんだけれども、
テオくん ただね、ただ面白いのが、実はそれっていわゆる方法論の違いかというとそんなこともなくて、
テオくん 方法論っていうのは、サルトルもメーロポンティも、結構土壇にあるのはフッサールの原初学なんですよ。
テオくん ああ、そこ一緒なんだね。
テオくん うん、伝説であるんだね。もちろんそこからいろいろ発展をさせてるんだけれども、
テオくん メーロポンティに至っては、やっぱりフッサールが始めた原初学っていう話も以前ちょっとしたと思うんですけれども、
テオくん その原初学をある人受け継いで、フッサール以上に発展させたみたいな、
テオくん そのぐらい、しかもその限界も意識しながらね、みたいな、そういうことをやった人だっていうふうに言われてるんですよね。
テオくん ああ、そういう感じなんだ。
テオくん そう、だから結構僕の中でも、メーロポンティイコールスの原初学の人みたいな感覚があって、
テオくん 実際そのね、主張、今回も扱うんですけども、タイトルに近くの原初学って書いてるぐらい、やっぱりそれはあるんだけれども、
テオくん 実際そのフッサールに関しては、直接その教えを受けたっていうよりは、講義を聞いたことがあるらしくて、
テオくん それがその、メーロポンティが21歳のときかな、大学のフッサールの講義を聞いて、結構それに衝撃を受けて、
テオくん この原初学っていうのをベースにしながら、まあ自分が色々学んできたこと、それこそベルクソンの哲学もそうだし、
テオくん ずっと次回以降話すんだけれども、当時割と先進的だったゲスタルト心理学っていうのがあって、
テオくん ゲスタルトってゲスタルト崩壊とかよく聞くじゃん。同じ文字とかずっと見てると文字っぽくなくなるみたいな。
テオくん ゲスタルトって言えば、あるまとまりとか、片言うと構造みたいなイメージなんだけれども、
テオくん 文字、例えばアっていう文字もさ、普通に言ったら線の組み合わせなわけじゃない?ただとか。
テオくん もっとわかりやすいのは、クとかイとかさ、ぶっちゃけなんか線がちょっと曲がってますねみたいなぐらいなわけじゃん。
テオくん でもそれを僕らは文字として捉えるとか、その文章の中にあると、ただの無意味な線じゃなくて、これはクっていう文字だとか、
テオくん これはいっていうひらがなとかっていう風に理解できるわけだよね。そういったまとまりとか全体をもって、
テオくん その意味とか、そういうものを捉えるっていう感覚がざっくりとゲスタルトっていうような話なんだけども。
テオくん あ、そうなんだ。ゲスタルトさんが考えたやつとかじゃないんだね。
テオくん 今話の流れ的にさ、あのゲスタルト崩壊を考えたゲスタルトさんの神秘学だよみたいにさ、
テオくん なるのをお伝えしてたんだけど、違いが。 テオくん 確かにね、名前がつくことあるもんね。
テオくん これ、確かに僕もあんまそれ考えたことなかったんだけれども、今Wikipedia調べてみたら、
テオくん ドイツ語のゲスタルトって言葉があって、これがまさにそのまとまりを持った構造っていう風な意味の言葉なんだって。
テオくん あー、今ハイトがちらっと言った話ね。 なるほどなるほど。 テオくん だからそれを、なんかドイツ人は多分ゲスタルトって言われたら、ああ、それねってなるけど、
テオくん 日本人なじみなさすぎ問題みたいな。 テオくん そう、人の名前にしか見えなかったっていう。
テオくん なるほど。 テオくん うん、みたいなところがありますよと。
テオくん で、もちろん原子学ってものを使いながらなんだけれども、独自のものというかいろんなものを組み合わせながら、
テオくん 迷路ポンティアで迷路ポンティアなりの哲学を作っていきましたよと。 そういったことがあるんですよね。
テオくん で、さっきフッサルの話を言ったんだけれども、その講義を聞いたっていうのもそうだし、
テオくん あとはフッサルが亡くなった後なんだけれども、フッサルからちょっと言ったかな、彼の膨大な意向というか、出版されなかった手書きの手記みたいなものとかがめちゃめちゃ残されたらしくて。
テオくん これをある種一言で言うと、その自然、要はその科学の方だよね、っていうものか意識、これは人間の理性の方だったりとか、
テオくん その意識か自然かっていうのは二元論とか、あとは主観か客観かみたいな、
テオくん 関東とかフィシティとかシェリングとか、ここらでもよくやったと思うんですけど、結局人間が世界を理解するとか、
テオくん あとは理性って自然のどこから生まれてくるのかとかさ、そういう話なんか一時期いろいろやったじゃないですか。
テオくん あったね、その関東の釣りのフィシティシェリングあたりでさ、自然のエネルギーがみたいな話してたよね。
テオくん これはシェリングは1775年に生まれてるんですけれども、そこからやっぱり130年ぐらい経っても、やっぱりこういった議論というか、むしろそれがもっと分裂して、
テオくん いやいややっぱ自然と意識っていうのは違うんだとか、そういったやっぱりもっと科学でやっぱり自然を理解するっていうことは、人間とある種関係のないこと。
テオくん 人間の意思と自然というものが全然分かれてるもので、そこってある種もう結びつかないんだよ、そんなことを考えたら無駄なんだよみたいな、
テオくん 割とそういう風な時代だったわけなんですよね。
テオくん なるほどなるほど。
テオくん で、やっぱりメロポンティはちょっとそれがなぜかっていうのは難しいというか、ちょっとまだ僕は読み取れてないんだけれども、
テオくん でもその分裂とか分割って、そもそもおかしくないというか、よくこういう時には疑似問題とかっていう言葉があるんですけど、
テオくん 疑似問題、なんかその疑似的な問題、つまりそもそも問題ですらないというか、
テオくん あーはいはいはい。
テオくん そう、勝手に分けてるとか分かれてると思って、なんか人間の側が右往左往をしてるだけで、そんなことは元々ないんだみたいな、
テオくん はいはいはいはい。
テオくん 結構そういうことをメロポンティは主張し続けるというか、それを追求しようとし続けてたっていう風な話なんですよね。
テオくん あーそう、その問題設定間違ってるみたいなやつを疑似問題っていうんだ。
テオくん そうそうそう、そもそも問題でないみたいな話だね。
テオくん だから、やっぱりさっきも言ったけれども、やっぱり元々的にデカルトに帰ってくるんですよね。
テオくん やっぱりデカルトの心身二元論って、ある種心とか精神っていうものが主で、
テオくん 体ではね、物質的でその精神に従うものというか、そういうある種道具みたいなもの。
テオくん はいはい。
テオくん っていう伝統がやっぱりずっと続いているんだけれども、これをある種その当時20世紀の時代で見ると、
テオくん いわゆる理性っていうのは哲学だよね。
テオくん 哲学、その知識とかそういった探求を積み重ねれば、世の中から理解できるんだっていう風な話と。
テオくん あとその体っていうのはまさに科学だよね。
テオくん 要は、ある種の物理的な法則とか、もっと言ったら脳の電気信号とかっていうもので、
テオくん 全部全部分解して、理解していけば、人間の動きって全部わかるんだみたいな。
テオくん そういうイメージっていうのは当時強いわけですよ。
テオくん はいはいはいはい。
テオくん でもこれもそのいわゆる哲学か科学かとか、意識か自然かとかっていうのはどっちか一方っていうことじゃなくて、
テオくん そもそもこの両方がどっちもやっぱ間違ってるってことで迷路ポンテは言いたいんですよね。
テオくん うーん、ほうほうほう。
テオくん それをどういう風に言っていくのみたいな話は次回以降ちゃんと言っていくんですけれども、
テオくん 一言で言うと、やっぱこれってその意識であれ自然であれ、その根底あるのってやっぱどこかに正しい世界があるとか、
テオくん 本当にどこかに客観的に、要は明らかにし尽くせる、そういった答えがあるっていう風な、そういう風な発想があるよねっていう風に迷路ポンテやっぱり感じるんですよね。
テオくん あーはいはい。
テオくん うーん、100点を取れるのは100点っていう答えとか基準があるからじゃない?
テオくん そうね。
テオくん 90点だったらあと10点分どこかにあるみたいな話なんだけれども、
テオくん それはその哲学であれ、その当時の哲学、要は理性で全てを理解し尽くせるっていう方も、
テオくん やや全ては自然法則にのっとってるんだっていう方も、
テオくん やっぱどっちも同じ100点満点の世界があるっていう風なことをやっぱ前提にしてますねと。
テオくん おー、確かに確かに。
テオくん で、今僕らは70点とかかもしれないけど、どんどんどんどん発展しればあと30点分埋めれるんだみたいな発想なんだけど、
テオくん やっぱり迷路ポンテ化すると、そもそもその設定自体がまさにおかしい疑似問題というか、
テオくん あーなるほど。
テオくん 嘘だみたいな、そうそうそう。
テオくん 人間の、まるで人間だけじゃなくて世界とか宇宙全体もそうだけれども、
テオくん で、そんなもん100点がここで決まってるようなもんなんだっけみたいな、そういうところにやっぱ疑問を持つわけなんですよね。
うわーすごいね、やっぱこういう人はだいぶ深いというかね、違うところに持っちゃうんだね、言い訳がね。
そうね、やっぱりこうね、ある種哲学者っていうとさ、どうしても過去をやったことを学んで、
なんだろうな、それを評論するとかさ、説明するっていうふうなことにちょっとイメージが湧くかもしれないんだけれども、
やっぱりその過去の哲学とこれまでの蓄積をもっとやっぱそれを乗り越えるとか、やっぱりそれを新しい、まさに自分の違和感とか、
その問題意識っていうものを抱えてそれを突き進んでいくみたいな、やっぱりそういう人だと思うし、それをやっぱりやったのがメロポンティだ、みたいな、そういうふうに言えるかなと思うんだよね。
はいはい、なるほどね。まあいろいろあるだろうけどね、その100点に近づくっていう中で何かを生み出しちゃう人もいるだろうし、
うんうんうん。
で、そもそもメロポンティみたいに100点って何?みたいなね。
うんうんうん。
うん、というのを設定したいからもう違和感を持っちゃうタイプもいるみたいな、いろいろあるそうですよね、そこは。
そうなんだよね。だからカントとかはさ、そもそも物事体っていうのを作って、いや人間には100点は無理ですと。
理性には限界があるんですってのを言ったわけだけれども、まあそれも別にその後いや本当はできるんじゃないかとか、
うんうんうん。
やっぱりそういうことをこうやってきたのがまあその歴史だったわけですよね、カント以降の。
はいはいはい。
うん、そこに対してメロポンティはいやいやもうそういうやっぱり舞台設定じゃないよっていうふうな話をして、
やっぱりこうある種、そのなんていうのかな、こう上空飛行的思考みたいなこともあるらしいんだけれども、
うん。
つまり鳥の目とか神の目みたいな感じだよね。
うんうんうん。
っていうもので、ある種客観的に世界っていうものを把握できるとか、
うん。
置き尽くせるっていうことじゃなくて、やっぱり今ここにいるまさにこの自分みたいな感覚。
うんうんうん。
っていうところからまあ世界を捉えるっていう、もちろんそれしかできないし、
仮にその亀みたいな視点に立つとしても、その前にはあなたもこの生きているその自分とかあなたっていう存在から、
世の中を捉えていたよねみたいな。
うんうんうん。
やっぱそういうことにちゃんと引き戻るというか捉え直すというか、
うん。
そういうことをする哲学者なんですよね。
うーん、なるほど。その辺がちょっと伝承学っぽいみたいな感じだろうかな。
そうそうそう、それに多分フィットしたっていう感じだと思うね。
なるほどなるほど。
うん。で、たぶん結構その辺りも一筋縄じゃいかなくって、
たぶんメルロポンティがフッサールから受け継いで原子学をやりました、たぶん正しいんだけれども、
でも同じぐらい原子学には限界があるとか、原子学だけでは突き崩せないものがあるっていうことに結構早くから気づいてたらしいんですよ。
うわー、そうなんだ。妄心したわけじゃなくて、これめっちゃ使えそうな道具じゃんってなったけど、
意外とこのケースじゃ使えないな、みたいな音がメルロポンティ的にはもうわかったんだね。
そうそうそう。やっぱりそれが我が国で哲学をセンスというか、なんかあった人なんだなって思うんだけれども、