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#449 両義性?可逆性?メルロ・ポンティの集大成としての「肉」という概念
2026-08-16 55:41

#449 両義性?可逆性?メルロ・ポンティの集大成としての「肉」という概念

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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、メルロ・ポンティ、今日で最終回ということでやっていきたいと思います。
はい、気づけばね、第7回ということで結構長くなってきたんですけれども、 まあいろいろお話ししましたね。
最初近くの話をして、物事を見るとかさ、認識するという時に、外を入れるだけじゃなくて、相互作用だよとかさ、
あと体っていう話をしたりさ、歯車とか言葉とかいろんなことをしながら、結局伝えたいのは、第1回でやった100点満点の世界
っていうものがどっかにあるんじゃなくて、それを考えること自体が間違いだから、そうじゃない世界の捉え方とか、考え方っていうことを示していこうぜみたいな、
そんな話をしてきたかなと思うんですよね。 はいはい、その外側にある世界をただ受け取ってるだけじゃないですよっていうね。
そうそうそう。感覚ね。
あとずっと言ってるデカルトの精神と物質って分けるっていう考え方もずね違うんだよ。
体っていうものはそういうものじゃないよっていう話をしたかなと思うんですけど、 今日ですね、最終回っていうところで、これもね迷路ポンティでよく言われる
概念という言葉があるんですけど、この晩年のね、迷路ポンティがいろいろ考えて、
で最後たどり着いたというか、もう一個こう 影響した概念の中に、前回言った肉ですね。お肉の肉。
これフランス語でシェールっていうのかな? あんまり馴染みないと思うんですけど、
っていうような概念と言葉があって、 これが一応迷路ポンティのいろんな思想を統合してるというか、そういう発想みたいな感じなんですよね。
だからこれまで話してきたところの到達点ぐらいの感じなの?
そうだね、それを全部まとめると、この肉っていう概念に集約されますみたいな。 なるほどね。
感じなんだけど、全然わかんないじゃん。 うーん、なんかもっと難しい言葉でもいいからね。
なんか言葉作ってほしかったかな、なんか。 いやそうね。それこそね、カントみたいなさ、その何?
純粋理性とかさ、実践理性とかって、なんか言われると、あ、なんかただの理性じゃないんだみたいなとかさ、
03:01
なんか純粋っていう概念なんかあるんだろうとか、なんかそういうこと言えるけどさ、 肉って言われちゃうと、なんかもうお皿の上に乗ったさ、あれかもうルフィしか出てこないじゃん。
うーん、いや、まあそうだね。
そうではあるので、今日はそれをですね、何座やという話をしながら、ちょっとメルロポンティ全体のまとめというかね、そういうお話もしていきたいと思ってますというふうな感じなんですよね。
はいはい。
はい、で、さっそくやっていくんですけれども、当然この肉っていうのは、そういうね、お皿に置いた肉でもないし、
体っていうことがイメージされるような筋肉とかさ、脂肪とかそういうものでも全然ないんですよと。
あー、そこはもうやっぱり違うんだね、それはね。
やっぱり違う、そう。
体の話をしたんだけど体ってことじゃなくて、もっと言うと物質的なものですら、物質なんだけど、
そのいわゆる肉ではないんですよと。もっと言うとこれって、この世界を構成する、何て言うのかな、根源的な要素というか、そういうものを指して、メルロポンティはこの肉、シェールって言葉を使ってるって感じなんですよね。
だから、ちょっと前にさ、だいぶ前から、それこそ古代ギリシャの哲学とかで、万物の根源は何だゲームみたいなのをしたじゃないですか、水だとか火だとかさ、それいろいろあったと思うんですけど、ある種メルロポンティに言わせるところの万物の根源というか根本要素がこの肉なんですって話なんですよ。
ぺけたん うわー、やっぱり肉っていう名前にしてほしくなかったね。
ぺけたん 全然わかんないでしょ。
ぺけたん うんだし、そこそこに100点はないみたいな話と、万物の根源は○○である肉であるみたいな、そこはちょっと相性悪い気もするけどね。
ぺけたん そうね。なのでこれ、根源って言っちゃうとよくないんだけれども、根本的な要素っていう感じかな。
ぺけたん なので例えば、今僕らは物理的に、例えば原子とか素粒子とかさ、そういうものが何だろうな、あるいろいろ物の構成要素というか根本的な要素っていうふうに思ってるじゃないですか。
ぺけたん それと同じような感じで、別に世界が素粒子から始まったとは言わないけど、でも世界とかこのうちは素粒子でできているとは言えるじゃない?
ぺけたん それと同じような感じで、世界は肉というものでできているとか、そういうものから作り出されてるんだっていうようなことを言うんですよ。
ぺけたん でもまだ肉がないかわかんないと思うんで、これをちょっと話していくんですけど。
06:04
ぺけたん ここでもう一個出てくるのが、これも第1回とか第2回かな、メルポンティの哲学の大きな要素として、その量儀性と化学性っていう2つがありますって話をさせていただいたんですよ。
ぺけたん 量儀性は何となく覚えてるけど、化学性もあったっていうか。
ぺけたん そうそうそう。量儀性っていうのが、いわゆる見るものと見られるものとか、一つの体っていうものがものでもあり、見られる物質でもあり、見る主体というか、そういうものでもある。
ぺけたん そもそも主体と客体を分けちゃダメっていう話があるから、あんまりそういう二言論的な話はできないんだけれども、
ぺけたん 両方の意味合いとか持ちますという話をしたと思うんですよね。
ぺけたん 最後に出てくる化学性っていう方で、実はこの肉って今日言っているものは、ほぼイコール化学性なんだぐらいの、そういう話をしたいんですよ。
ぺけたん でも全然分かんないと思うので、ちょっと話をしていくんですけど、分かんないと思うんで、これ僕も全然分かんなかったんで、僕なりに整理してきて話をちょっと今日しようと思っているんですけれども、
ぺけたん 何かっていうと、これもちょっと覚えてらっしゃるかあれなんですけど、途中で体の話をしたときに、腕がなくなるけどあるような感じで原子みたいなのと同じ時に、
ぺけたん 自分の手を、例えば右手を左手で触るって時に、この触る右手が実は左手からも触れられているんだみたいな、そういう話をちょっとしたと思うんですよね。
ぺけたん はいはい、あったね。
ぺけたん はいはい、能動でも自動でもない中動みたいな話あったね。
ぺけたん そうそうそうそう、っていう時に、この分けないとか両方あるってことはメロポンティがずっと言ってるってことなんですよね。
ぺけたん っていう時に、この触ったものが触られるものになるとか、あるいはそれが分けられないっていう話、こういった性質とか属性のことを指して、どうやらメロポンティは肉って言ってるらしいんですよね。
09:10
ぺけたん ふーん、うんうん。
ぺけたん つまり、なんていうのかな、やっぱり体との繋がりあるとは思うんだけれども、どうしてもやっぱ体っていうものとの繋がりはあるとは思うんだけれども、どうしても僕らの体ってやっぱりその触る触られるっていうものが分けられないとか、それがどっちにもひっくり返る、まあこれは過逆性ってまさに逆になり得るっていう話だったけれども、
ぺけたん ほうほうほう。
ぺけたん っていうようなことをある種、捨てられない、それを捨てようと思っても自分だけが触るって絶対ないじゃない。
ぺけたん 例えば、どんなに机とか石っていうものであっても、触っている自分の指は石に触られているっていう、この属性って絶対なくせないはずなんだよね。
ぺけたん そうだね、うんうん。
ぺけたん っていうときに、やっぱりこの両方のもの、これが良義性であるいは過逆性なんだけれども、これっていうものがありますと、これを人間の体だけじゃなくって、世界全体がそういう属質というか、そういうふうな属性みたいなものを持っているんだっていう、そういうふうに拡張していくんだよね。
ぺけたん ああ、じゃあここで人間の精神と体みたいなところも一つというか、良義性だったりとか過逆性あるよねっていう中で、ちょっと人間を超えていくんだね、ここで。
ぺけたん そうそうそうそう。なので、前回その他者とか言葉っていうふうに、個人から始まってちょっと広がってたと思うんだけど、それが最終回、今回においてもう宇宙全体とか世界全体まで広がりましたみたいな、そういう感じなんだよね。
ぺけたん なるほど。
ぺけたん で、物こそが真理だし、それを追求するっていう学問でしたねと。営みでしたねと。なので、話メロポンティー化すると、その主体としての理性としての人間が世界というものを解き明かすって、これをやっぱりずっと問題してるわけなんだよね。
12:15
ぺけたん はいはいはい。
ぺけたん やっぱりその、世の中には見えないものっていうのは当然あります。例えば、これはゲスタルトみたいな話をしたじゃないですか。
ぺけたん 構造ね。
ぺけたん その裏側で、奥で動いているゲスタルトを作る仕組みみたいなものって、やっぱり見えないんですよね。見えないというか、意識をしようとすれば後から分析することはできるかもしれないけれども、
ぺけたん このゲスタルトを作っている構造そのものを、僕らが直接見るとか知ることって、まずできませんと。
ぺけたん わー、さっきのゲスタルト自体が構造だから、それを作っている構造があって言われると結構難しい話になるね。でも実際そういうことってことはね。
ぺけたん うん。例えば、見ることを見ましょうとか、触ることに触れましょうみたいな話ってやっぱり難しいですね。
ぺけたん でも、これまでずっとやってきた通り、僕らが見ているものっていうのは、その見ることとか、それを作るゲスタルトの働きとか、そういうものによって作られているから、
ぺけたん その見えているものだけを見ていても、見えませんというか、目の前の花だけを見ていても、世界っていうものはわかりませんよねっていうことをメロポンティは言いたいんだよね。
ぺけたん わー、結構また難しい話だね。これはあれだね、散々多分、第1回からやっている話と繋がってるね。その目の前の花だけを見ていても、世界はわかりませんよねっていうのは、
ぺけたん 目の前にある100点のものだけを探そうとしてても、何も見ていることには実際ならないですよねっていう、もしくは見ているとか、理解しようとしている営みそのもの自体にアクセスはできてないですよねっていうイメージであってるかな。
15:06
ぺけたん だから、100点のものがあるっていうこと自体がそもそも一つの考え方だし、これが100点だってこととしても、このメロポンティに言わせると、その100点のものを成り立たせている構造とか、
ぺけたん 奥にある僕らの世界の捉え方とか関わり方とか、そういうものがあるから、それって見えてないでしょ。それを見ようとせずに対象だけを見ているっておかしいよねっていうふうな話なんだよね。
ぺけたん うわー難しい。 うんうんうん。
ぺけたん 難しいでしょ。
ぺけたん 難しい。
ぺけたん これ見えないものとか、構造とかの話をしてるからやっぱりわかんないと思うんだけど、ここになんで肉っていうのが出てくるかっていう話なんだけれども、
ぺけたん さっき言った通り、その肉っていうものがほぼイコール化学性っていう性質のことを指しているとしたときに、メロポンティはその世界は肉でできているとかってことも言い出すんだけれども、
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん それで何かっていうと、要は世界っていうものも、見るものと見られるものとか、触れるものと触られるものとかっていうその両方の構造を持ってますねっていうことを言っているんですよ。
ぺけたん つまり、例えばさっき石とかそういうテーブルって話をしたけれども、このものってどう考えても肉っぽくないじゃん。
ぺけたん いわゆる一般的な意味での肉、要は人間とかさ、肉ってやっぱり生き物に存在するようなものじゃないイメージでして、魚の肉とかさ、豚の肉とかっていうときに、石とかってそうじゃないと思うんだけれども、でも実はその石にも、石の化学性とか量技性っていうものがあって、
ぺけたん 実はそれっていうものは人間と相互干渉をしていると。
ぺけたん だから人間はもちろんそれを自覚的にできるとか、それを扱うことができるっていうのはちょっと特権的な扱いをしてるんだけれども、でも人間だけが肉なんじゃなくて、石とかテーブルとか世界のようなもの全てが肉なんだと。
ぺけたん つまり、触れたり触られたりするもんなっていうふうにすることで、だから人間が石に触ろうとしたときに、人間の触ると石の触られるっていうものが関係しあって、そこに触られるっていうものができるし、
ぺけたん それでは逆に、石の触ると人間の触られるっていうものはその瞬間に同時にできて、そこに関係が生まれるっていう、この両方が起きてることに目を向けなさいよっていう、そういうことを言い出すんだよね。
18:06
ぺけたん はい、はい。
ぺけたん そういう表現というか、そういうイメージを持つことで、世界はその百点として、例えば石が石として存在するものを我々が捉えるんじゃなくて、
ぺけたん 我々がその石と呼ばれるものを触ったりとか認知する、認識すると同時に、その石と呼ばれるものは認知されてるし、逆に石が人に働きかけてる部分もあるよねっていう、
ぺけたん その量儀性だったりとか、可逆性。この量儀性と可逆性って似てるようでちょっと違うんだね、多分だから。
ぺけたん そうそうそう、量儀性がちょっと発展してるんだよ、可逆性になると。
ぺけたん 可逆性になると、あ、可逆性の方が発展してるんだ。
ぺけたん そう、後なんだよね。
ぺけたん あ、そうなんだ。並列で並んでる概念じゃないんだ。
ぺけたん そう、これはちょっとややこしい。僕もちゃんと理解できるかあれなんだけれども、量儀性だけだとまだその、例えば石っていう物質的なものも、両方の性質を持ってるねっていう、いわゆるちょっと閉じたというか、止まってる感じがするじゃない、量儀性だからさ、性質を持ってます、なんだけど、
ぺけたん 可逆性ってことは、要はあっち行ったりこっち行ったりしながら、常に動いてるっていう風なイメージなんだよね。
ぺけたん なんか、そうだよね、ダイナミックというか、まあ動きがある感じするよね。
ぺけたん うんうんうんうん。
ぺけたん そう、まさにそれが、兄が言ってくれた石が100点じゃないって話もそうだし、世界も常に動き続けている。
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん だから、100点っていうものがある種定義できないというか、想定できないよっていうところの世界観にも繋がってくるんだよね。
ぺけたん そうだよね。だから何かを定義するっていう時に、100点満点じゃなくて、常にそういう、可逆性が働いた上で、
ぺけたん 石は石として人間に認識されているし、人間はそれでもってこれは石だねっていう、
ぺけたん 認識した結果としての世界にこれ石があるよねっていう順番で、世界が作られている。もしくは認識されている。
ぺけたん っていう意味で、100点満点の世界を認識しているっていうのとは違うよねっていう感覚。
ぺけたん ちょっと言語にするとやっぱり難しいんだけど、そういう感覚だよね、順番でいうと。
ぺけたん そうそうそうそうそう。
ぺけたん それがあらゆるものに対して、お互い成り立っている世界観がこの可逆性っていう感じっていう。
21:06
ぺけたん そうそうそうそう。
ぺけたん 今の兄貴の話は本当にその通りで、ややこしかったじゃん今の話をするのが。
ぺけたん すごいややこしいし、ちょっとわざとごめん、わざややこしく言っちゃったね。
ぺけたん そうそう、でもそんなぐらい本当はややこしいことを僕らは普段やっているというか、そういう世界に生きているんだと。
ぺけたん でも、例えばデカルトとかは人間の理性が物質である石を理解するんだとか、
把握するんだというふうに、ある種の世界というのを刻んでしまっている。
ぺけたん それは違うよっていうのがやっぱり現象学的な世界の捉え方だし、メイラポンティがずっと言いたいことなんだよね。
ぺけたん それで言うと、カントとかは人間の理性だったりとか、捉えられるところに限界があるとか、
一定のルールがあるみたいな感じで、ある意味の諦めというかさ、あったと思うんだけど、
メイラポンティに言わせるとそこも違うって話だね。どう受け取るかっていう視点で考えている以上、
メイラポンティとの考えとはやっぱり違うっていう感じだね。
ぺけたん その通りです。
ぺけたん これさ、あえてちょっと脱線というか、前も怒られた気がするけど、いわゆるクーとかとの概念とかちょっと違うのかな。
ぺけたん 例えば、クーって語弊はあると思うんだけど、何かが絶対的にそれとして存在するっていう概念っていうよりは、
相対的にしかあるものは浮かび上がってこないというか、概念でなんとなく捉えてるんだけど、自分は。
ぺけたん それとも違うの?なんかちょっと似てる感じがするよね。その絶対的なものとして意思が存在するんじゃなくて、
例えば人間と意思とか、もしくは意思と地面みたいなさ、そういうものを相互関係としてしか浮かび上がってこないよ、この世界に、みたいな意味で、
イメージとしては似てるのかなって思ったんだけど、どうなんでしょう?
ぺけたん そうね。多分大きなクーで言うと似せる。デカルトよりはクーに近いとかってことは言えるかもしれないけれども、
ぺけたん そのイメージだったりとかするにあたって。
ぺけたん そうそう。でもやっぱり決定的に違うのは、僕もクーのことめっちゃわかってるからずれてるかもしれないけれども、
ぺけたん クーがどこまで行っても無と繋がるんですよね。無がクーではないんだけれども、
ぺけたん 例えば実体がないとか、固定化されたものがないっていうときに、ある種存在を消す方向に行きますと。
24:04
ぺけたん 流れる人も存在も出来事も基本的には、起きても起きなくても良いとか、価値がないとかっていう風に、
ぺけたん それを消去していく方向に行くんだよね。働きとして。
ぺけたん で、この肉っていう方に関しては、メルポンティは体っていうものも含めて、
ぺけたん 世界にあるとか、世界に位置を占めているっていうこと自体は、すごく大事にしてます。
ぺけたん だから、ある種物事がダイナミックに生まれていくとか、相互関係で生まれていくって話はするんだけれども、
ぺけたん 自分っていう存在とか、意思とかっていう存在も、その係り合いによって生まれていくとまでは言わないんだよね。
ぺけたん ああ、そうなんだ。そういう意味では、あるが前提ではあるってこと?
ぺけたん そうだね。自分が生きている、この世界において自分という存在が、ある種の場とか時空において占めているっていうことは、別に疑ってないというか、
ぺけたん それ自体は、やっぱり前提にするんだよね。
ぺけたん だってさ、逆に言うと、原初学って、要は自分の感じたこととか、見聞きしたことから世界を理解していきましょうっていう、
ぺけたん すごいたっくりとした言い方をしたときに、自分の存在が空であるとか、もしかしたらいないかもしれないみたいなのって、
ぺけたん どう考えてもちょっとねじれてるじゃん?
ぺけたん ああ、まあねじれてるというか、確かに前提は違う感じがするね。
ぺけたん そうそうそう。だからやっぱり、ダイナミックな世界観とか、その相互関係、それこそソシウルの言語学の話もちょっと思うんだけれども、
ぺけたん その言葉っていうのは際であるとかさ、そういった中で、その際の構造から浮かび上がってくるものが言葉だみたいな話っていうのはメロポンって受け取っているから、
ぺけたん そういったその、あるものを見てたりじゃなくて、その周囲のものを見てあるものを浮かび上がらせるみたいな、そういう発想は近いと思うんだよね。
ぺけたん うーん、そうなんだ。
ぺけたん やっぱりその空みたいな、これは何だろうな、わかんない、ちょっといろんな空にも、空にもいろんな空があるから、
ぺけたん ああ、そうなの。解釈の違いとかじゃなくていろんな空があるの。
ぺけたん そうだね、いろんな流派で多分空っていうのがいると思うから、そうそうそう。
ぺけたん でも僕のイメージだとやっぱり空ってどっちかっていうと、さっき言った消去していくような働きかなと思うと、やっぱそういうのはメロポンっていうには感じないかな。
27:05
ぺけたん うーん、なるほどなるほど。そういう意味でのイメージされるようなところは近いというかあり得るかもしれないけれども、概念としてはやっぱり違うよってことか、全然ね。
ぺけたん そうだね。
ぺけたん なるほどなるほど。
ぺけたん やっぱりそこの違いを考えるとか面白いかもね。
ぺけたん なんかその量儀性とかね、過逆性って言われると、その相対化みたいなところとちょっと繋がっちゃったんだけど、自分の中のね、イメージで。
ぺけたん 確かにその、なくしていく方だったりとか、もしくはちょっとまあ虚無心までいかにしてもやっぱりないっていうところにいくものと、
ぺけたん まあこの世界があるっていう前提からスタートしてるみたいなところで言うと、確かに全然違うねっていう。
ぺけたん そうそう。
ぺけたん そうそう。
ぺけたん いうような感じかな。だから僕の好きな概念とかで言うと多分意味にかなり近くって、
ぺけたん 要はその、僕らの生きているっていう存在とかこの世界にあるっていうことは消せないけれども、
ぺけたん そこでさっき言った石と関わるとか花と関わるとか、
ぺけたん うん。
ぺけたん 関わる方によってその生まれてくる意味とか、まずあれ言ってくれた自分にとっての石の在り方とかって変わってくるわけじゃない?
ぺけたん はいはいはい。
ぺけたん なので僕らが存在しているってことは言って見えるけれども、
ぺけたん うん。
ぺけたん そこからどんな意味が生み出されるかっていうところがやっぱ見えないとかわからないっていうときに、
ぺけたん うん。
ぺけたん この両方をやっぱり扱えるような哲学。
ぺけたん ああ。
ぺけたん うん。
ぺけたん それが、レーロポンティのこの肉っていう概念だよっていうような。
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん そういう方がちょっとイメージしやすいかもなって思うね。
ぺけたん なるほどなるほど。
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん 確かに確かに。
ぺけたん 自分もどっちも、なんだろ、分かんない中での話だけれども、
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん 空の方がゴール地点だったりとか、
ぺけたん うん。
ぺけたん コースべきみたいなものがちょっとこう示されてるかもしんないね、もしかすると。
ぺけたん ああ、まあそうだね。やっぱりね、仏教でいうと下達ってやっぱり一個のゴールとか目標があるから。
ぺけたん うんうんうん。
ぺけたん で、それに対して、このレーロポンティの肉っていう概念は、
ぺけたん いわゆる思想というか、
ぺけたん うん。
ぺけたん そのゴールみたいなものっていうよりは、確かにあくまで、
ぺけたん その、こういう仕組みになってますよっていう。
ぺけたん うん。
ぺけたん それから、いわゆる西洋哲学でいうと、この範疇を確かに超えてないというか、
ぺけたん うんうんうんうん。
ぺけたん 思想より哲学っていうのが確かに、まあ宗教か、仏教でいうとね、
ぺけたん その中でいうと、確かに哲学味があるのかなって思った、確かに。
ぺけたん そうだね、そうだね。
ぺけたん だから、絶対的な真理と人の肉みたいな話じゃなくって、
30:03
ぺけたん そのメル・ポンティがたどり着いた世界観を踏まえると、こういう概念が必要になるよねっていうか、
ぺけたん こういう概念から世界を説明すると、よりスッキリするんだよね。
ぺけたん そういう風な話なんだよね。
ぺけたん そうだね、そうだね。
ぺけたん その中で、面白いエピソードが載ってるのが、画家の人らしいんだけれども、
ぺけたん 僕は知らんかった、アンドレ・マルシャンという人がいるらしく。
ぺけたん うん。
ぺけたん そうだね、フランスで活躍された画家の方らしいんだけれども、
ぺけたん この人が言った言葉で、メル・ポンティが引用してるのが、
ぺけたん この森の中で、この画家さんが絵を描いてたんだって、森の絵を。
ぺけたん っていう時に、自分が森の絵を描いているんだけれども、
ぺけたん 自分が森を見てるんじゃなくって、森とか木から自分が見られてるんだみたいな。
ぺけたん へー。
ぺけたん そういうことを言ってたらしいんだよね。
ぺけたん おー、はいはいはい。
ぺけたん そう、まさにメル・ポンティがすると、これがいわゆる見ると見られるっていうことの過虐性というか、
ぺけたん 画家が感じた自分が見られているとか、見ているはずなのに見られてるんだみたいな、
ぺけたん そういったものを表現してるんだっていうふうに言ってるわけですよ。
ぺけたん へー。
ぺけたん 木とか森も、私、人も同じ肉っていうベースの働きとか要素を持っている。
ぺけたん のでさっき言ったみたいに、木っていうものと自分というものが見る見られるっていう過虐的な関係性の中で、
ぺけたん お互いにちゃんと結びつくというか、ずっと言っている相互作用するっていうことができるんだと。
ぺけたん そういうふうなことを語っていくんだよね。やっぱりそうじゃないと、なんで人間だけが見る存在で、
ぺけたん 他のものは見られる存在だとしたら、これでじゃあなんでお互いが関われますかみたいな、
ぺけたん そういう問題がやっぱり、ちょっとね、誰かも言ってるけど、二言論とか分けちゃうと、
ぺけたん それがどうくっつくかってことだったら問題になるんだよね。
ぺけたん それを二崎兄貴が言ってくれた関東とかも、理解するとか、こういうことなんだっていうのをやってきたのが、
ぺけたん 哲学の歴史でもあるんだけど、迷路ポンティはそもそも分かれてない、同じ肉を共有してますと、働きとしてね。
ぺけたん はいはいはい。
ぺけたん だから別にそこに何の疑問もないし、ずっと言ってたら疑似問題だっていう話を、
ぺけたん 迷路ポンティはずっと考えて、体とか言葉とか肉とか、いろんなことを使いながら説明しようとした。
33:03
ぺけたん そういう人生を送ったんですっていう話なんだよね。
ぺけたん なるほどらしい。今日はね、どうしても石とかさっき森とかっていう生物じゃないものが出てきてるけれども、
ぺけたん それを確かに他者っていうのを描いてやったけれども、そこでこの肉っていう概念を持っておくと、
ぺけたん 森の中で絵を描いてるのにしても、他人と何かしらコミュニケーションするにしても、
ぺけたん 例えばその画家が人の絵を描いたとしても、実は全部同じようなことなんですよっていうことはすんなり受け入れられるっていう感じなのかな?
ぺけたん そうだね。体のときには例えば人間同士が同じ体を持っているから共有できるけど、
ぺけたん 人間と犬とか虫とかだったっけ?他の生き物を比べたときにどうしても体ってものが違うから、
ぺけたん 共有できないんだみたいな話をしたと思うんだよね。
ぺけたん それを越えて肉ってより抽象化したというか、
ぺけたん より大きな働きにすると、人間も鳥も豚も石も森も全部が同じ肉だから、
ぺけたん それは相互交流できるよねみたいな、そういうふうに拡張していきました。
ぺけたん だからこそメロポンティは世界は肉であるとか、世界っていうのは私の中にあって、私は世界の中にあるみたいな、
ぺけたん そういうことを言えるんだよね。
ぺけたん その感覚が理解できるVRでいいから、ゲームでも何でもいいから作ってほしいね。
ぺけたん メロポンティゲームね、確かにね。
ぺけたん でもこれはすごく面白くて、さっき見えるものと見えないものって話をしたんだけれども、
ぺけたん これ自体がメロポンティの本というか、それのタイトルらしいんだよね。
ぺけたん へー、そうなんだ。
ぺけたん 森とか木とか、見た上で僕らが認識するものとしてはそれなんだけど、
ぺけたん それを見させているとか、理解させている構造とか、
ぺけたん そういうふうに自分に語りかけてくる関係性っていうのは見えない、普通にしたら。
ぺけたん その見えないものが見えるものっていうものを支えているし、
ぺけたん すべてを見通せると思っていても、どこかには絶対に見えないものとか、
ぺけたん 僕らの意識に昇っていないものっていうのがあって、
ぺけたん その両方がないと、僕らが生きている世界ってのは成り立たないんだっていう、こういう世界観だよね。
ぺけたん いやー、面白いね。ちょっと理解度チェックみたいな話だけど、
36:03
ぺけたん 多分、メルロポンティは、今回そのメルロポンティのシリーズで話してくれている、
ぺけたん この過略性だったりとかの、もしくは肉でもね、の感覚の世界で多分生きているのかな?どうなんだろう?
ぺけたん まあ、生きようとしてただろうと思うね。
ぺけたん 生きようとはしてるか、とした時に、
ぺけたん その世界をね、なんとか想像しようとした時に、
ぺけたん 今日あった、右手で左手を触るみたいな話があったと思うんだけど、
ぺけたん だから右手で左手を触っているのと、こっちはそう思っている。
ぺけたん たぶん、メルロポンティが言う話で言うと、ほとんどの人はそういう感覚だけで生きているみたいな感じだよね、おそらく。
ぺけたん 右手は右手、左手は左手っていうふうに、もう二元性の世界で生きてますよっていう中で、
ぺけたん 実はその時同時に、右手は左手に触られているし、左手は右手を触っているしみたいな、
ぺけたん そういう容疑性だったりとか過虐性がありますよっていう世界観だと思うんだけど、
ぺけたん この感覚を右手と左手だったらなんとなく感じられるというか、
ぺけたん 意識すればああそういうもんだよねっていうふうに感覚になれるかもしれないんだけど、
ぺけたん この肉っていう世界観においては、この右手と左手のその感覚を、
ぺけたん あらゆるものに対して身体的な理解っていうレベルで、
ぺけたん あらゆるものに対して持ち続けているような世界観っていう感じだよね。
ぺけたん まあそうだね、そういうふうに生きているって話だよね。
ぺけたん うん、やっぱりゲーム作ってほしいなあ。
ぺけたん なんかどこが難しかった?今。
ぺけたん いや難しいよね。それで言うと、
ぺけたん 何でもいいや、朝ごはん食べてる時に、パンを食べてる時に、
ぺけたん 私はこのパンを食べているけれども、パンは食べられてるというか、
ぺけたん みたいにさ、そんな単純で思うじゃないと思うけれども、
ぺけたん そういうレベルでさ、常にこう、
ぺけたん 料理性、科学性の感覚を持ち続けるって相当意識してないと無理だし、
ぺけたん それを意識し続けることで、身体的な理解に達することができるのかっていう、
ぺけたん そこの壁を越える瞬間って来るのかなみたいなことを思っちゃうというかね、
ぺけたん すごい体験してみたいけどできるのかねっていう感じがして、
ぺけたん 興味持ってるけど、そこに行けるのか問題みたいなのがある気がした。
39:05
ぺけたん その意味で言うと、メルロポンティがまさにそういう自分の哲学の元に生きていましたかっていうのは分かんないし、
ぺけたん そっちまで言うと本当は宗教というか、肉教ができて、そういう風に生きることこそが正解だとか、
ぺけたん そういう風に生きることを実践しましょうとかってあると思うんだよね。
ぺけたん 悟れば、そっちの教室に行けますみたいな世界観なのかねっていうね。
ぺけたん そう、悟った人だけが分かる世界の戦い方みたいな。
ぺけたん その肉教においてね。
ぺけたん そう、そう、そう。
ぺけたん なんちゃうと思うんだけども、それはそれで一個の正解を作ってしまうことになるから、
ぺけたん やっぱりメルロポンティ的に、哲学ってそうなんだけども、
ぺけたん 自分が作った哲学と自分の生活とか人生態度が完璧に一致してるかってそうではないと思うんだよね。
ぺけたん あー、はいはいはい。
ぺけたん メルロポンティ自身も。
ぺけたん ただやっぱり彼の捉えている、何かそういう言ったら、
ぺけたん 多くの人が陥っている主観と客観とか、自分が世界をっていうこの主と自由っていうものをやっぱり超えて、
ぺけたん それが響き合っているとか関わり合っている。
ぺけたん あとやっぱり肉とかで言うと、閉じては開くみたいな、関わっては関わられみたいな、
ぺけたん そういう入れ子とか振り子みたいな感じ。
ぺけたん これがまさに世界のダイナミズムになるんだけれども、
ぺけたん それが折り合わされて世界中1個の折り物ができていくんだけど、
ぺけたん それっていうのはどんどん新しくなっていくんだぜみたいな、
ぺけたん そういうふうな世界観っていうものが何となくでも見えてくると、
ぺけたん 今回お話しさせていただいたメルロポンティってそういうことじゃないと思う。
ぺけたん 作品がないって、つまり1個のもうすでにある作品として世界を捉えるんじゃなくって、
ぺけたん すでにそれが新しくなり続けているとか、
ぺけたん そうそうそう、折り続けられているっていうようなことなんだよねっていう。
ぺけたん これをメルロポンティは、哲学っていうものは自分自身の端緒っていうか、
ぺけたん 自分自身が拡張していくようなもの。
ぺけたん 自分自身が絶えず更新されていく経験なんだよとか言ったりしてるみたいなんだけれども、
ぺけたん そういったことを常にアップデートされ続ける、更新され続ける。
ぺけたん お前人並みは哲学なんだよっていうことに繋がっていくんだなって思うんだよね。
ぺけたん 確かになし、今の自分が言ったそういう感覚に慣れるのかとか、
ぺけたん 身体的にそれを理解できるとかしたいっていうのは、
ぺけたん その感覚こそが外に100点を求めている感じがするね、もしかして。
42:01
ぺけたん そうそうそう、これを身に付けたらもうOK、
ぺけたん メルロポンティのことを理解できたってなっちゃうと間違っちゃうみたいな。
ぺけたん そうだね。だからそれを意識し続けるっていうこと自体でいいのかもしれないね。
ぺけたん そうそうそう。
ぺけたん 生き続ける?もしこれに興味があるとしてっていう。
ぺけたん そうそうそう。
ぺけたん なるほど。この感覚は面白いね、確かに。
ぺけたん それを実践しなきゃとか、極めなきゃとか、極めたいみたいな感覚になっちゃうけれども、
ぺけたん こういうね、面白い話を聞くと。
ぺけたん なんかそれ自体が、なんだろう、そういう感覚になること自体が、
ぺけたん お前メルロポンティの言ってることわかってないだろうっていう証拠になるかもなーって思った。
ぺけたん そうだね。だからこれとか雑談とかでも何か言えたらなと思ったんだけど、
ぺけたん 日本で言うと、空とかって仏教的なものよりも、たぶん道?武道とか剣道とかあるじゃん?
ぺけたん うん。
ぺけたん 道ってのはたぶん近くて、道ってさ、一応その市販とか段位とかはあるけれども、市販になったらさ、
ぺけたん 俺はもう完璧だ、何も学ぶことがないっていう市販、嫌じゃん?
ぺけたん 確かに。
ぺけたん 常に更新し続けるとか、常に自分の技磨き続けているからこそ、やっぱり人に教えられるとか、その道を極めている?
ぺけたん だって言われたときに、たぶんこの道っていう概念と、さっきの世界が更新され続けていくとか、
ぺけたん 自分というものがアップデートされ続けるという感覚は、たぶんちょっと近いんじゃないかと思うんだよ。
ぺけたん あー面白いね、確かに確かに。
ぺけたん なんかあれだね、剣術のもう名人が最後剣はいらなくなるみたいな話に近いのかもね、なんかその料理性とか科学性みたいな。
ぺけたん そうなの?あー確かにね、それはあるかも。
ぺけたん あの身体的な感覚としてね、そっちも想像でしかないけどさ。
ぺけたん なったことないからね。
ぺけたん 武闘の気持ちみたいなさ。
ぺけたん まあでも確かになんかそこにこだわり続けて、俺はこの剣がないとダメだとかって言ってる人は、なんかまだ道半ばな感じするじゃん。
ぺけたん でもあってもなくてもいいとかさ、別に剣の道なんて捨ててもいいんだとかって言われたらなんか深いなみたいなさ。
ぺけたん 早いと思う。前のどっかの回で言ってたよね、弓矢の名人がさ、最終的には弓も矢もいらないみたいな話になかったのか。
ぺけたん それは名人だよね。ちょっと有名というかお話があるけど、まさにそんな感覚だよね。
ぺけたん あれはね、ちょっとやっぱり仏教っぽいから最後ほうけてしまって、何もわかんないとかってなっちゃうんだけど。
ぺけたん それって仏教の流れの中の話なんだというか。
ぺけたん だと思うね。でもやっぱりこの、西洋なんでとはいえ可能性というか、より新しい世界が広がっていくっていう感じではあるから、
45:11
ぺけたん なんかね、忘れていくとかなくなっていくって感じではないけれども、常にやっぱり世界というのが新しくなっていく。
ぺけたん それはやっぱり自分がとか世界がじゃなくて、自分と世界が関わるから、アップデートというか更新が行われていくんだっていう。
ぺけたん この感覚はやっぱり当時の100年前ぐらいの哲学家にはなかったんだよね。
ぺけたん そういったものをある種作ってくれたというか、語ってくれた哲学者のエロ本というのをお話でしたというふうな感じだね。
ぺけたん これちょっとまた、来年ぐらいにもう一回聞きたくなるような人だね。
ぺけたん 確かにね、またやったら多分ね、そういうことだったかとか、あの時わからなかったけどっていうのが起こりやすい人かもしれないね。
ぺけたん 今回ももちろんこの人の感覚を感じてみたいとは思ったけれども、
ぺけたん なるほどね、こういうことかみたいな。というよりは、こういう世界がありそうか、面白そうみたいな。
ぺけたん そういう感じの面白さだったから。
ぺけたん でもそこまでいったらもうね、100点って言ったこの話はできるわけないけど。
ぺけたん まあでもやっぱりね、そのわけ難しいこととかイメージしにくいことっていうところに面白いなって感じていただけたなら僕はすごく嬉しいですね。
ぺけたん そうだね。せめてその二元論的なところとの違いみたいな。そこをどう乗り越えようとしたかみたいなところで十分だったかもしれないね、この人は。
ぺけたん その今回の話。
ぺけたん そう、今回で言うとまずはそこかなって思いますね。
ぺけたん そんな感じでやってきた迷路ポンティー界ということなんですけれども、
ぺけたん 第一回でもお伝えしたんですけども、彼自身は53歳かな、という若さで亡くなってしまったというところで、
ぺけたん それこそね、生き続けていればまた全然違う哲学というか、発展させたんだろうなっていうこともあるんですけれども、
ぺけたん やっぱりこういう哲学というものを新しく打ち出してくれたとか、世界のアップデートをしてくれたものを残す人であるというのはすごくありがたいというか、
ぺけたん やっぱり僕も改めて今回見てもっと勉強しなきゃなみたいな、
ぺけたん 迷路ポンティーがやっていることを理解できたらまた変わってくるかもなみたいな、そういうことを本当に感じた哲学者だったという感じですね。
ぺけたん しかも次回まだこの迷路ポンティーのさらにもう一人、ある意味その続くぐらいの人に行くみたいな話してたよね。
48:01
ぺけたん そうですね。次回ルビナスをやろうと思っているんですけど、ちょっと言うと、迷路ポンティーはさ、やっぱり人との繋がりとか関係、人というか世界との繋がりっていうものを憎っていう概念で言ったわけじゃないですか。
ぺけたん このルビナスは、他者とかやっぱり人なんだけれども、他人というのはもうどこまで行っても繋がれないとか断絶しているみたいな、そういうことをやっぱり言うんですよね。
ぺけたん へー、そうなの? ぺけたん うん。迷路ポンティーが語った繋がりみたいなものと、ルビナスが語った他者の他者性というか、自分では明らかにないものとしての他者みたいな、そういう意味でちょっとサルトルっぽいかもしれないんだけど、
ぺけたん っていうことを続けて聞いていただくと、実悪ってもう一筋玉じゃないよなとか、いろんな発想がある中で、やっぱり人間の認識ってアップデートというかね、それこそ変わってきてるんだみたいなことも伝わるかなと思うんで。
ぺけたん だってね、今回は迷路ポンティーの話を聞いてるから、なんとなくデカルト悪者というかさ、ちょっと古いみたいな感じになっちゃうけれども、正直さ、もうデカルトでいいじゃんっていう面もあるじゃん。認識、この世だったりとか、人との関わりっていう意味での認識として、全然いいじゃんみたいなさ、カントでいいじゃんみたいなさ。
ぺけたん で、ところもあるからね、もうなんかわかんなくなっちゃうよね。
ぺけたん 分かんないし、だからそもそも僕らが普段生きてる時に、やっぱり主語とかさ、術語みたいな感じで、これアイステレスが言ってる話だけど、やっぱり主と術はもう分けてるじゃん。
ぺけたん 私が犬を散歩に連れて行けた時に、もうやっぱり主観と客観ってもう分けるような世界で活かされてるんだよね、僕らって。
ぺけたん それで言うと、プラトンから続くデカルトから続く世界で僕らは生きているんだっていう。
ぺけたん 活かされちゃってる。
もうプラトンでいいじゃんだね、じゃあね、もう2000年くらい前のね。
ぺけたん そう、そう。そういうけど、でも本当にそれでいいんでしたっけとか、本当に人間の認識とか、あり方ってそれで語り尽くせるんでしたっけってことがやっぱり、ヌエル・ポンティがやってることだし、
ぺけたん 本当にこの20世紀、今年はもう20世紀の伝説者ありますって言ってるけど、この人たちがやっぱりけんけんがかくいろいろやってきたことが分かってるふうに僕には見えていて、
ぺけたん それをみんなさんと一緒に学んでいきたいっていうような感じなんですよね。
いやー、はいはい、そうだね。でも本当にいろいろなことを情報を集めればいいっていうわけじゃなくて、
やっぱりちゃんとこういう考え方っていうものがあるんだって知っておくのがやっぱ面白いし大事なのかなとは思うよね。
51:06
ぺけたん そうねー、難しいよね。雑談っぽくなっちゃうけれども、やっぱりザ・メル・ポンティの本読みましたってさ、さっき兄が言ってくれたみたいに、
ぺけたん そしたらこれで自分は肉について理解できましたってやっぱりならないんだよね。
ぺけたん それは身体的なものだし、生きていく、要は生き方の話をしてるから、やっぱ情報処理とは全然違います。
ぺけたん という時に、やっぱりこうね、今回も7回渡ってさ、めっちゃ長いじゃん、普通に考えたら、もう7時間ぐらい話してるってことだからさ。
ぺけたん でもやっぱり分かんないっていうことに、でもそれでいいじゃんっていうか、そういう世界があるんだってことを楽しめるかどうか。
ぺけたん っていうことが、まさに世界観を豊かにするというか、やっぱりすぐに分からないものに触れておいて、分かんないっていう状態を楽しむみたいな。
ぺけたん ここがやっぱりすごい大事なんじゃないかなと思ったりするんだよね。
ぺけたん なるほど、まあ確かにそうだね。今回もね、このメロポンティのスタンス理解したいみたいなさ、100点取りに行くというか感じだったけど、そういう感じじゃない感じね。
ぺけたん そうだね。
何だっけ、それこそ保留だっけか、誰だってそれは。何か言ってたよ。
ぺけたん あーあれですね、フッサールのエポケだから判断保留かな。
ちょっとそういう感覚も持っておいて損はないかなみたいなね。
ぺけたん あーちょっと文脈違うんだけどね。
違うんだ。もう忘れちゃったな。
ぺけたん フッサールで話したはずはね、じゃあその感覚は。
そうそうそう。フッサールはね、またハイデンガーとかいうときに触れ直したらいいかなと思ってるんだけど。
ぺけたん ハイデンガーももう一回やるって感じ?
ハイデンガーはやろうと思ったんですが。
ぺけたん あれハイデンガーやったよね、確か。
やったやった。一回やったんだけど、やっぱり20世紀の哲学を語るにはハイデンガーなんだみたいなことを、
自分でももしAIとかとやり取りするのそれこそ、誰がやったらいいですかねとかいうときに、
ハイデンガーは別に何回やってもいいよみたいな。
ぺけたん はいはい、そうなんだ。
そのぐらいやっぱすごい人なんだなって改めて思うので。
まあね、好き嫌いとかいろいろあったと思うんですけど。
ぺけたん あーあるんだ。
20世紀。次レビナスやって、ちょっと一回東洋挟んで。
ぺけたん うんうんうん。
そっからまたちょっと今度は、人っていうのは社会の方とか。
ぺけたん うーん。
結構さ今さ、人間がどう世界の中で生きるかとかさ、捉えるかっていう、そういう話をしてるじゃん。実論主義っぽい話なんだけど。
ぺけたん えーと、このラジオの中でね。
そう、あの直近の中でね。フロイトとかもそうなんだけれども、ちょっとその社会の方とかやっぱり哲学するってのも当然あるわけよね。
54:02
ぺけたん あーうんうんうん。
っていうその、世の中とか社会とか、あるいは法律とか。
ぺけたん うーん。
そういうものをどう捉えたかっていうことをちょっと哲学の側から見るっていうのもやりたくて。
ぺけたん おー面白そうだね。はいはいはい。
うん。それをやった上で、年末ぐらいにハイデガードンみたいな。
ぺけたん おー。
なんかそういう感じでやると綺麗かなって思っている。
ぺけたん なるほど。早いと思わないくらいにあるんだね。
ぺけたん そう、なんかなんとなくイメージがあるから。
ぺけたん 今年はちょっとそういう、まあだから少しちょっと固いというかね、難しい話が続くかもしれないんですけれども。
ぺけたん でもね、ちょっとね、皆さんそれも楽しめるようにちょっとお届けしていきたいと思っているので。
ぺけたん 次回以降も。
ある意味、本当の意味で明治化かもしれないしね。
ぺけたん あーねー。
この辺の人たちってどうなんだろう。
ぺけたん まあでもやっぱりなんか僕らが考えるときに、絶対避けて取れないというか。
ぺけたん 世の中で今言われていることって結局この20世紀の哲学者がやっぱり言ったようなことが土台の価値観によって語られたりすることも多いんで。
なんか影響を受けているとか、いいのは否めないというか、絶対あるって話だもんね。
ぺけたん うんうん。
直接的な。
ぺけたん うんうん。
ぺけたん はい、なのでその辺をね、今年は引き続きぜひ一緒にやっていきましょうというところですね。
分かりました。では次回ですね、雑談を挟みつつレビューナスに入っていくというところで楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
ぺけたん お願いします。今回もありがとうございました。
55:41

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