はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回メルロ・ポンティ第2回ということでやっていきたいと思います。
はい、今日お届けしていくのはですね、彼の一番最初に出した本ですね。
これのタイトルが、行動の構造、行動といわれる動く、アクションの構造というふうな話なんですけれども。
前回、メルロ・ポンティってこういう人ですよという話の中で、結構デカルト的な二元論だよね。
精神と物質みたいなものを分けるっていうところにある種を抗うというか、そうじゃないんじゃないって話をしたよっていうことをおっしゃったと思います。
で、いろいろと考えていくんだけれども、最初にメルロ・ポンティが取り組んだのが、
まさに行動するっていう、物質って思われてる方?
デカルトから言うと、体イコールも機械とか物質だから、
体がやることっていうのは、全部機械みたいに動くものっていうふうな発想がデカルト的に言うとあるわけなんですよね。
はいはい、だから自然と同じだから、因果関係が完全に解明できるでしょうみたいな話だね。
そうそうそう、そうなんです。
で、それってデカルトの在定だけじゃなくて、実は全然当時メルロ・ポンティが生きていた20世紀前半、今から100年前くらいもそうでしたと。
そうっていうのは、いわゆる分かりやすく言うと、刺激、反射ってあるじゃないですか、条件反射。
例えば授業とかだと思うんだけどさ、膝叩くと膝がカクンってなって伸びるとかさ。
あとは有名なところで言うと、パブロフの犬だよね。
はいはい。
ここのパブロフはね、パブロフさん、人の名前ですけれども、要は条件反射的にベル鳴らして餌あげると、
それでどんどんどんどん繰り返してると、ベルを鳴らしただけで唾液が出る、そのよだれを流すみたいなさ、
なったときに、まさに本来ならば食べ物に対してよだれっていうふうな生理的な現象が出るはずなのに、
ベルの音っていうのは全然違うまでも反応するっていうことは、まさに生き物って機械、
要はボタンを押したらこういう反応が出るみたいな感じの、本当にわかりやすく世界っていうものとか生き物っていうものも含めて理解しようっていう、
そういうふうな流れの一つなんですよね、これって。
なるほどね。確かにうちらも梅干しとかレモン見れば唾液出るしね。
だからそれももう人間の機械ですよ、梅干し出されたらほら我慢できずによだれ流すでしょみたいな。
女性人間はそれの繰り返し、そういうものが100個か1万個かわかんないけど、
身にかかわったものが人間だみたいな、そういうふうな発想があるわけなんですよ。
はいはいはい、これがまさに機械的なだったりとか、完全に条件反射だよねみたいな話か。
そう、人間でそれのある種束でしかないみたいな。
っていうのがやっぱり結構その当時の科学でも出てた人間感というか、そういうふうな捉え方だったわけですよ。
人間の体側のってことね、物質的な。
実はそれは思考もそうだね。
そこまで含めて。
そうそうそう。
だって結局思考とか脳みそもさ、結局は物質的なものなわけじゃない?
で、例えばこういうふうに電流があればこういうふうに動くとかさ、っていうものがあるわけだから、
体、要は脳ももちろん体、身体なわけだから、
結局それで全部解き尽くせば、人間の意識とか理性とか考えるっていうことも全部わかるよね。
っていうのがこの条件反射というか、刺激と反応モデルというふうな話なんですよ。
なるほど、そっか。
デカルトがいわゆる精神と、あと物質みたいな話したけれども、
それで言うとデカルトが話しているこの精神の方、それもあるいはそれがどこまでなのかみたいな線引き?
っていうものが、この科学的なものをやっていくことで、
線引きが本当にできるようになるかもね、みたいな期待があるのかな?
それとも全部、全部説明できるでしょって思ってるのかな?
あ、それで考者はやっぱ全部説明できる。
あ、そうなの?
じゃあ、ある意味この科学的なアプローチもデカルトへの挑戦みたいな形にはなってるのか?
意識してるかどうかは別として。
まさにでもそうや、挑戦とも言えるし、そもそも多分科学者からすると、
デカルトが言ってることなんてもう、なんだろうな、本当に川事で。
時代遅れのみたいな。
時代遅れの川事で、所詮人間も自然の一部なわけだから、
自然っていうものを解き尽くす、分析して、
ある種その、なんだろうな、因果律というのか、やっぱり原因と結果の流れに乗せてしまえば、
人間っていうものも複雑な思考書に見えるんだけれども、
それで結局なんか刺激が与えられて、それに反応を返しているだけで、
そこには何ら他の生き物とか機械と違うことなんてないよね、みたいな。
なるほど。
そういう発想があるわけなんですよね。
そもそもそういうスタンスというか、そっち側なんだ、科学は。
なるほど、OK、OK。
なので、ベルクソンの時にもお伝えした通り、
やっぱり彼は数学っていうものを使って、そういった要素に還元していくとか、
すべてを細く分けていくっていう、記号的な世界にいたんだけれども、
やっぱりそれって違うんじゃない、みたいな。
いやー、でもね、それこそ羊が1匹2匹って違うじゃん、みたいなね。
羊もそれぞれ違うし、人間は言うまでもなく、みたいな話か。
そう、っていうところを、やっぱり問題として捉えたのは、やっぱりメロポンティも一緒なんですよね。
ただ、メロポンティの場合は、別に科学的な分析がダメだとかっていうことではなくて、
そういうふうに、何か1つの原因に起源を求めるというか、
1個分かれば他のことも全部説明できるじゃん、みたいな、
そういうふうな思考自体がある種、良くないというか、毒なんじゃないかっていうのは、やっぱりそういう話なんですよね。
これはちょっと話していくんですけれども、
周りの神経ステリア医学というか、人間の体の方を色々分析している人たちは当然当時もいたんだけれども、
そういった研究というものをメロポンティはめちゃめちゃ勉強するんですよ。
それを色々と見ながら、省令とか見ながらメロポンティは考えるのが、さっきの逆なんですよね。
さっきは条件反射的に、刺激と反応というものを寄せ集めて、
くっつければ人間ではできるっていう、機械の歯車とかを組み合わせたら、
機械全体ができるっていうふうな発想なんだけれども、
メロポンティはそうじゃないっていうことを、最新の研究から考えるんですよ。
わー、なるほど。むしろそういう科学的な研究から、あれ?違くね?っていうのを見出すんだね。
そうそうそう。
彼が考えるのは、人間っていうのは、ある種他の動物はそうなんだけれども、
単なる部品の輸出集めではないんだということを、今となったら当たり前かもしれないんだけれども、
そういうことを言うんですよね。
これ、何かっていうと、
例えば、脳とか神経が傷つくってことは事故とかでありますねと。
脳の一部がなくなるとか、神経と一部がつながらなかったら、
そういうことで麻痺するとかってあるんだけれども、
そういう人たちの中に、
例えば、兄貴が仮にそれだとして、
自分の鼻を指さしてくださいって言われると、
それができない人がいるんだって。
それは神経がつながってなくて、
鼻を指さすっていう特定の神経の信号が効かなくなっている。
なんだけど、そうなると、
その人は自分の鼻って場所がわかんないだろうとか、
もしかしたら鼻というものの理解ができないのかもとか、
いろんなことが考えられるじゃない?
でも不思議なんだけれども、
鼻って痒くなったりするじゃん。
痒いなとかって思った時に、
その時は自然に鼻の痒いところを描けるんだって。
あー、はいはいはい。
つまり、鼻を指さしてくださいって言うとできないんだけど、
なんか痒いなと思ったら自然に描いてるってことがあった時に、
これってなんで?って話になるわけなんだよね。
あー、なるんだね。
つまり鼻っていうものがわからないとか、
鼻を描くと筋肉がある種動かなくなってる。
例えば神経が途切れて。
ってなれば、別に痒い時に描けないはずじゃない?
そうだね。
これはもし人間が機械なら多分そうなるんだよね。
もうその動作はできませんとか、
そういう鼻というものは認識できませんなんだけれども、
実際には痒いから描くとか、
必要がある時にはできちゃいます。
つまりそれは同じ神経を使ってはいないんだけれども、
別の何か仕組みを使って、
それを回復させてるというか、
そういう動き、やっぱりある種、
かゆかったら嫌じゃん、ずっと鼻がかゆいの。
それをちゃんと防ぐような機能というか、
そういうことをやるための回路っていうものがちゃんとあって、
だからこれは1個の回路は消えたから、
別の回路を使っているというよりは、
1回1回じゃなくて人間とおざるで、
やっぱり必要な機能を補えるように、
ちゃんとできているんだっていうふうな、
そういうふうな章例としてメールポンテは読み解くんですよね。
なるほど、なるほど。
ある意味、指を鼻に近づけるための回路が複数存在する。
だと説明がつかないんだね、これは。
そうそうそうそう。
もちろんね、それを全部分解して、
鼻と指っていうものを結びつける神器を全部切断できますか?
ってことがあったとしたら、
それは分からない。
でもそういう話ではないんだけれども、
多分機械で考える人は絶対そう考えるはずなんだよね。
でもそうじゃなくて、
もちろんこれ1個だけじゃなくて、
いろんな章例、それこそ記憶とかもあるだろうし、
いろんな見えるとか触るとか、認識するとかって、
いろんな章例を考えたときに、
本来なら1個壊れたらできなくなるっていうことが、
ちゃんとその後回復してできるようになるとか、
今みたいな、抽象的に鼻を指してはできないけど、
早かったら書くっていう整理的なということができるっていうものが、
いろんな事例が見つかっていきます。
そう考えるとどう見ても、
さっきのパブロックの犬みたいに、
ベルが鳴ったら予代が出るみたいな、
そんな単純なものじゃなくて、
人間ってもっと複雑で、
しかも複雑な機械ということではなく、
そもそも機械とは違うメカニズムというか、
そういったものを持っている存在なんだというふうに、
捉えた方がいいんじゃないかと。
なるほど、ちょっと分かってきた気がする。
そっかそっか、確かに自分の鼻を指さしてくださいっていうのが、
できない人っていうのがいたときに、
より科学的な視点から言うと、
例えば会話では言葉で、
自分の鼻を指さしてくださいって言われたっていう刺激に対して、
反応できないねと、そういうボタンを押しても、
手が指に行かないねっていう人については、
例えば鼻がかゆいみたいなボタンが押されたとしても、
同じように手を鼻に持っていくみたいな動きが、
そこの回路壊れてるから、いくらどのボタンを押しても、
そこの機能が動くわけないというか、
そういうふうに、本当に機械だよね、順番というか。
その先の歯車とか部品壊れてるから、
その前のところがオッケーでも、
その先はもうダメでしょみたいに考えちゃってたっていう感じか。
まさにそういうことだね。
いや、難しいな。
科学的な知見もなんもないからさ。
ちゃんと聞かないと、ベロポンティがどう思ったか全くトレースができないっていうね。
確かに、ごめんごめん。
失礼しました。
なんとなくわかった気がする。
でも本当に今言ってくれた通りで、
機械だったら、その部品が壊れたら、そのから先ではいけないわけだよね。
歯車詰まっちゃってるから、どんなに頑張っても手は鼻に行きませんと。
あるいはもうよだれは出っ放しですと。
パブログで言うと。
いや、私あれだね。
なんとなく今想像したのは複雑な機械時計だよね。
うんうんうん。
とかあとここまでは良く、ここのバネというか、
ネジは回ってるけど、その先の歯車が取れちゃってるから、
その先全く動かないねみたいな。
なんかありそうだもんね。
ね。
そうなると、要は分解して部品を一個一個見て、
これが壊れてるなとかさ、これ欠けてるなとか言って、
部品を変えれば動き出すわけじゃない?
そうね。
人間のある種外科手術とかもそういう発想ではあって、
やっぱり、何だろうな、いわゆる機能が悪いところはあれば除去して、
人工臓器とかまさにそうだと思うんだけれども、
悪い臓器、動きが悪くなった臓器ってものを取り出して、
別のものに変えればまさに動き出しますねっていう風な、
もちろんそういった発想もあるはあるわけなんだよね。
はいはい、そうね。
うんうん。でもそれはまさに機械論的な発想で、
やっぱりそれで助かっている人たちももちろんいるんだけれども、
やっぱりメルポンティはそういうことではなく、
人間というものはそんな部品を変えて上手く作り出せるものではなくて、
やっぱり全体としてちゃんとバランスを取るとか、
全体として生きる、かゆかったら嫌じゃん、単純に。
そういうときに、ちゃんと不快なものをなくしたいとか、
ちゃんと快適な生活になりたいっていうようなものに対して、
ちゃんと全体の方向性を向けれる。
そういう機能を持った構造なんだっていう話で、
この構造を指してある種ゲシュタルと前回言ったまとまりとかさ、
そういう構造的な話っていうものが人間はあるんだと。
なるほど、これをゲシュタルと、なるほどね。
そうそうそう。なので、よくこれ日常的に言わないかもしれないんだけれども、
要は全体は部分を超えるみたいな話ってあるんですよ。
要は1足す1は2ではなく3だみたいな、そういう話なんだけど、
やっぱりよく仕事でも言うじゃん、1人分の仕事を2人でやったら2人分になる。
だと良くなくて、2人でやった結果3とか4とか出すのがチームワークだみたいなさ。
はいはいはい、まあ言うね。
それが良いかどうかは別としてなんだけれども。
でもそういうふうに部分と部分っていうのを足し合わせてできるような機械であって、
人間は部分と部分っていうものを足したときに、
全体っていうものが部分を超えたものになるんだっていう、
そういうことをある種メルロポンティは言いたい、考えたいというふうなことなんですよね。
なるほど。
これは結構、やっぱり彼はどうしても人間はっていう感じがあるので、
他の生き物よりも人間を上に置いてる部分って正直あるんだけれども、
そういったものっていうところを、ただ単純に人間はすごいとかっていうことじゃなくて、
ちゃんと行動、さっき言った今回行動の構造っていう本なんですけれども、
この行動っていうものをまさに構造的全体的に捉えるっていうことをやるわけなんですよね。
なるほど。
ちょっと後半その話をしていくんだけれども、
彼はですね、この行動っていうものを3つに分けるんですよ。
分けてきたね。
なんか哲学っぽい感じになってきたね。分けてきたね。
やっぱりちゃんと分けて、それを全体に捉え直すっていうのは哲学だっていう。
これ余談なんだけれども、最近ちょっと前も言ったかな、
プラトンのパイドロスっていう本をちょっと勉強して読んでるんだけれども、
まさに2000年前ですよ、そのプラトンがまさに、
哲学っていうのは分割することと総合すること、
それを組み合わせること、これをやることだとかって言ってるんだよね。
らしい、そっか。今さ、分けてきたねって言ったけどもさ、
それって前誰だっけかな、ハイデガーかな。
やっぱその哲学を考える人ってある程度具体的なイメージがあって、
たぶんそこにはしごをかけるように物音を考えていくとか、
そのために物音を分けざるを得ないみたいな感じがしたんだけど、
だから分けるのが悪いっていうよりは、自分がちゃんと理解する、
もしくはそれを誰かに理解してもらうために、
その必要だから分けてるみたいな、もしくは言語化しなきゃいけないみたいなところってあるのかなみたいなさ。
だからそういう人の中で理解するとかさ、考え続けるだけなら、
そこまで分けなくてもいいんじゃないか説があったんだけど、
どうなんだろうね、ペラトンはどこまで含めてその哲学を分けることだって言ったんだろうね。
ごめんね、今回の話とずれてきたけど。
でもね、それは結構実はすごく大事な観点で、
実はね、まさにメロポンティもその言葉とか話と書くとか、
それって言葉が生まれる瞬間だと思うんだけれども、
そのタイミングでやっぱり物語が進むとかアイディアが深まるっていうことをちゃんと捉えてるんですよ。
へー、そうなんだ。
なので兄貴の今の質問に答えると、分割する中で哲学が深まるし、
分割したものを組み合わせる中でさらにそれが強硬になっていくみたいな、
そういう運動だっていう捉え方の方が正しいんだよね。
わー、面白いね。なんかの分子とかを分けるとエネルギーが発生するみたいなさ、
なんかそんな感じ、ちょっと面白いね。
核融合とか核分裂みたいな。
まあそこまでいかなくてもね。
さっきの科学で話していくと、これは分割なわけですよ。
分けて分けて1個1個を足し上げるとは言いながらも、
それは統合するとか総合するというふうな全体性というよりも、
1個1個バラバラにしたものをまた本当に足し算でやっていくっていう感じだから、
やっぱりプラトンからしてもメロポンティーからしてもそれは哲学じゃないっていう感じなんだよね。
あ、違うんだ。だから哲学だねっていくと思ったら違かった。
そう、足し上げることと総合するって別なんだっていう話があるんだけど。
言葉の違いね。足し上げると総合するね。
はいはい。
ちょっとこの辺はお伺いすると、これもメロポンティー全体のテーマでもあるんで、
ちょっと話しながらまた触れることもあるかなと思うんですけど。
ちょっとこう、何だろう、ちゃんと馴染んでいきたいね。
今パッと言われたら分かんなかったもん、違いが。
ちょっと馴染んでいきましょう。
3つに分けるんだけどっていうのが、物理と生命と人間というふうに分けます。
行動の世界というものをね。
ある種物理的秩序と言ってもいいんだけど、秩序ってある種構造じゃないですか、その全体の。
物理的な秩序のレイヤーと、生命的な秩序のレイヤーと、人間的な秩序のレイヤーというふうに3つに分けるんですよね。
ちょっとこれは説明的なんですけど、お話ししていくと、最初物理的秩序何かっていうと、
これは因果関係みたいな話もそうだし、
あとは、ちょっと僕も科学あんまり得意じゃないんであれなんですけれども、
電磁波みたいなものがあったときに、
砂鉄をやると円を描くみたいな、そういうふうなのって理科の教授からあったと思うんですけど、
それって電磁力というふうなものが回ってくる、エネルギーがあったときに、それが安定的に動いてるからそういう円ができるわけなんですよね。
それを満たそうとすると、当然外部からの地域によってその場が乱れるとかってあるわけなんだけれども、
そういうふうに物理的な構造とか、秩序においても、それがちゃんと安定しているような場とか、
安定に至ろうとするような動きっていうのはあるわけなんですよ。
だからこれを一番構造のベースにあるレベル、
人間とかあらゆる生物、生き物も原始とかそういったものから逃れるわけでいかないから、
そういった種類の自然科学的な物理的なレイヤーとしての秩序っていうのが一番ベースにあるよっていうふうなことを考えるんですよね。
生き物のことを考えるんだけれども、そういったやっぱりベースにある物理学っていうものを目を向けてます。
ここからが生命みたいな話なんだけれども、2段目のところに生命的秩序っていうものがあるんだけれども、
ここで面白いのはね、要はある種当時の科学的なというか、自然っていうものを中心した発想からすると、
やっぱりその環境とか自然っていうものは原因で、それによって生き物っていうものが行動しますと。
例えばシマウマがいるとしたら、ライオンが来たら逃げるとかさ。
ある種それはライオンって生き物もシマウマにとっての環境だって話なんだけれども、
そういうことを考えるときに外部からの刺激によって反応するっていう、さっきの条件反射と同じじゃない?これって。
そうだね。そっちが先だよね。
そうそうそう。っていうのがあるので、基本的にはそれをベースに生き物っていうのを捉えてたっていうのが当時のある種常識的な話なわけですよ。
そうだね。
でもこれをメルポンティは変えていくんだよね。どう変えるかっていうと、生命にも秩序がある。
さっきの物理的な秩序みたいにある種安定した捉え方があります。
これっていうのも、ある種その生き物っていうものは、自分自身、それが人間であれ蛇であれなんであれいいんだけれども、
そういった生き物の在り方に従って、環境っていうものを積極的に捉え直してるんだって話をするんですよね。
捉え直し。
これね、環世界とかって聞いたことあるかな。環って環境の環、輪っかの輪に世界っていうので、ユクスキルさんっていう人がよく出てくるんだけど。
ユクスキルさん?
ユクスキルさん。
ユクスキルさん。知らないね。
この人も名前が俗称的だし面白い発想だから、結構一回聞くと、あれね、環世界ねっていう人も結構いらっしゃるぐらいなんだけど。
ちょっとこれも脱線っぽくなっちゃうんだけれども、よく言われるのがダニみたいな話で、吸血ダニの話があるんだけど、
ダニは生き物、木とかに潜んでて、その木の下に生き物が通ると降りていって、その皮膚に針を刺して血を吸うっていう風な、そういう生き物なんですよね。
それは僕ら人間から見ると木という上の位置だよね。だからその下を通る動物っていうものに対して降りていくっていう発想なんだけれども、これはあくまでも人間が見た姿だよねっていうことをちゃんと考えるわけですよ。
つまり、僕らはもちろんダニになることはできないんだけれども、このエクスケルさんが考えるのは、もし目線に立つとした時に、あくまでも人間ではあるんだけれども、立つとした時に、
ダニにとって大事なのって、動物が下を通るということとかではなく、ある種体温とか生き物が発する、ペロモンでも匂いでもいいんだけれども、そういったものをキャッチして、そこにちゃんとたどり着くっていう、そういう風な話ですよね。
そうなると当然、視覚とか聴覚とかって別にいらなくて、動物が発する温度とかそういったものを取るセンサーだけあればよくて、そういった世界っていうものがダニにとってある種全てなんだよみたいな、そういう風な話として、
その生き物が必要とする世界とか、その生き物が生きるためにある種設定している世界のことをざっくり観世界って言ったりするんですよね。
人間の理性とか自然っていうものから考えると、前回の100点満という世界があって、それを知ることが人間の特権であり、理性の働きだみたいな、そういう感想になるんだけれども、
いやいやと、別に動物からしたら、そんな100点満という世界なんて関係なくて、単純に自分が動物の血を吸うために必要な足場としての木とか、そのセンサーとしての体温みたいなものとか、そういうものさえ感じられていれば、そのダニの世界としてはもう十分完結しろよっていう風な。
そういったものをダニはある種、積極的に環境っていうのから引き出してるよねっていうことを考えるんですよね。
なるほど、なるほど。
なのでメルポンティはその行く好きな話も引用してるみたいなんだけれども、そういう風に生き物とか人間も増えたんだけども、それは環境をただ受け取って刺激として反応するんじゃなくて、環境の中で自分が生きるためのとか、
あるいはもっと、自分って言っても子というよりは種族として受け継がれてるものだからさ。
その吸血鬼吸血ダニという種族が受け継いできたものから、自然環境っていうものをちゃんと切り取って、自分の生きる世界っていうのをむしろ構築してるんだみたいな。
そういうことを考えるんですよね。
なるほど、なるほど。
それはあれだよね、自然が先かダニの習性が先かとかいう話ではなくて、もう今そうなってるよねっていう話だよね。吸血ダニが自然、人間から見ると生き物に飛びついてるだけに見えるけれども、
吸血ダニは温度とかに反応して、ただそっちにピョンって移動してるだけみたいな。そういうふうになってるっていうだけの話っていうところだよね。どっちが先かまでは踏み込んでないというか。
どっちが先かっていうのは実はないって言いますよ、ここからそういう話になってくるんだけれども。
なってくるんだ、ほうほうほう。
ダニからすると、ピョンって飛ぶだけっていうふうにマイケル言ったんだけれども、飛ぶために必要な世界っていうものをダニが構築してるんだっていうふうに捉えたいんですよ。
へー、そうなんだ。
つまり、僕らからしたら木の上から飛び移りましたね、なんだけれども、ダニの参画からすると、それを実現するための条件を整えるっていうふうな適度な高さの木みたいなものあったりとか、
ダニは木とも認識しないとは思うんだけども、足場とか、当然真下にした瞬間に飛び降りたら動物どっか行っちゃうからさ、
当然そのダイブが成功するためには必要な距離感とか何がしかがあると思うんだけども、
それを測るための空間把握力とか、
逆に言うとその空間から、先の空間っていうのはダニからしたらどうでもいいというか、別になくてもいい世界なわけだよね。
そうね。
ある種その世界っていうものをちゃんと切り取って、自分、ダニが生きるための環境っていうものを積極的に作り出してるんだと。
これは生きているダニっていう存在と、その自然環境っていうものは相互に影響するというか、環境はダニに働きかけるし、
ダニはその長崎を受け取って、ある種ちゃんと切り取って、世界っていうものを構築するっていう、そういう相互関係にあるんだっていうことを、
メイドポンティが生命的な秩序とか構造っていうふうに言うんですよね。
あー、なるほど。今の話からすると、どっちが先じゃないもんね、確かに。
そう。そうあって初めてニッポンシステムができるっていう。
確かに、そういう生き物とそういう木とか足場があったからダニが生まれたみたいな、その環境に左右されたとかとはちょっと違いそうな感じがするね、確かに。
そうなんだよね。なので、やっぱりこれも常に科学が言う、やっぱり分割するとか、原因があって結果がある、環境とか自然っていうものが先で、
生命は後っていうことじゃなくって、そこに相方向にしていきたいんですよね。
なるほど。
で、相方向の関係において生命の秩序とか、さっき言ったね、その伝授であればちゃんとその縁が描かれるっていうふうな形と同じで、
ちゃんとダニにとっては足場としての木とダニの、ダニからすれば頭上だよね、
っていうものを通る動物とっていうもののシステムがあるときに、ダニっていうものが一番繁栄できるというか生きていける。
そういうふうな秩序っていうものを定期的に作っているんだと。
そういうふうな捉え方をすると、全然生き物の捉え方って変わるよねっていうふうな、そういうふうな発想なんだよね。
なるほど。
うん、ですと。
で、今その生命の話をしたんだけれども、その3つ目に人間的秩序があるって言ってたじゃないですか。
ああ、そっか、言ってた。
うん、そう。つまりこれはレイヤーが違うので、ネイロ・ポンティからするとその生き物とか生物が作っている、
切り取っている世界とか環境と、人間が切り取っている世界とか環境は違うよねっていうことを言いたいんですよ。
で、しかもそれが生物として、要は人間、例えばさ、時計機が紫外線とかは見えませんみたいな、
いわゆる生物的な限界っていうことじゃなくて、
人間の秩序のレイヤーには象徴とかある種シンボルみたいな、そういったものが入ってくるんですよっていうことを言うんですよ。
へー、そうなんだ。
つまりさっきの谷っていうものは、ある種の温度とかさ、動物が通る時の体温とかっていう風な、
それもある種、自然のものというか、認識できるものじゃないですか。
今回で言うと物理的な方だよね。
ああ、そうそうそう。
からの信号というか、働きかけって感じがするよね。
そうそうそう。
でもなんだけども、人間はそこに対して、例えばその白地に赤い丸があったら日本国旗ですっていう風に捉える。
まさに旗ってシンボルだからさ。
っていうようなものとか、またまさに言葉もシンボルなんだけど、
まさに今木って言ったら木というものを表現するみたいな形で、
こういったまさに物理的でないもの、自然には存在しなかったものっていうものを使って、
僕らは世界を組み立てていきますねと。
だからある種、ジョーマン・ジャイスとかはもうちょっと自然に近かったかもしれないけれども、
今この1900年とか2000年代に生きる人間としては、
やっぱりその象徴的なもの、社会とか自由とかってもう超抽象的、象徴的なものじゃん。
ああ、そうなんだ。
っていうものに対して、それもある種僕らの環境には含まれるよね。
人間が生きる世界にはそういったものが当たり前に存在をしていて、
その中で秩序を持って生きていくよねっていうふうに、
やっぱり生物と人間の違いっていうものを、
その象徴的なものがあるかないかっていうことで切り分けるんですよ。
うーん、そうなんだ。わー、よく一つにまとめたね。
象徴か。
そう、そういうふうなことがあったときに、
これ面白いのが、ある種その低い階層を捨てて、
より高い階層に行く、だから物理的なものを捨てて生命的なところに行って、
生命的なものを捨てて人間のところに行くっていうふうなものじゃなくて、
これが全部含まれてるんだねと。
はいはいはい。
人間っていうものも当然、生命の一部だし、物理の一部だしっていうときに、
ただ人間は人間的な構造で生きてるわけではないんだよね。
はいはいはい。
それぞれの側面にちゃんと左右されるというか、
影響は受けて影響も与えてるよねって話がね、それぞれのレイヤーで。
そうそうそう、そういうことです。
だから人間っていうのはやっぱりその3つの、
メルポニティでいうと3つのレイヤーの、
全部の通常っていうものを持って生きていると。
はいはいはい。
なので、逆に言うと、
科学者が言うように、生命的な分割して環境からの仕分けでやるっていうと、
ここに2番目のレイヤーだけは絶対説明できないんだと。
うんうんうん。
それはやっぱり人間の捉え方自体は間違っていて、
この3つの構造を全部で捉えないと、
人間っていうものはうまく説明できないんだよっていうことを、
ある種メルポニティはさっき言ったような、
神経学的な実験の条例だったりとか、
いろんなものを参考しながら、
人間の思考じゃなく行動、
人間の在り方っていうものから解き明かして、
こうやって構造化されたことをやったんだよね。
わー、なるほど。
面白いのは、やっぱりどうしても人間っていうものを、
生物と分けようとする知能とかさ、
考える理性的な力とか、
そっちで行くのがわかりやすいじゃん。
そうじゃなくて、
ある種人間っていうのは、
もちろんそういうものを持っているんだけれども、
でもいつでも病気になれば、
体が動かなくなるとかも含めて、
いつでもそういう生命のとこに戻りうるというか、
なんていうのかな、
やっぱり知的な能力だけじゃなくて、
身体的なものとか物理的なものも含めて、
やっぱり人間だから、
その全体をちゃんと捉えた上で、
でもこの部分は他の生命と違うとか、
でもこの部分は物理的なものを持っているとか、
生き生きができるようにしたんだよね。
なるほど。
それがまさに前回も言ったような、
二元論で分けないとか、
そこに線を引いて、
人間はここから先だけど、
生命はここまでだけど、
人間はここから先に行ってますみたいな、
だから人間は全然生命とは違うんですとかってことじゃなくて、
ちゃんとその全体の線を今回は消したると、
まとまりっていうもので捉えようとするみたいな、
そういう発想を常に持っているというような感じなんだよね。
なるほど。
だからすごく大きな意味で、
二元論そのものを否定したみたいなっていうよりは、
精神と物質みたいな、
そこが分かれてるっていうところに対して、
いや、そこ分けなくていいでしょっていう、
そこの違和感っていう感じなんだね。
そうそうそう。
前回兄貴が一元論かなみたいな話をしたと思うんだけれども、
一元論も結局は神であれ仏であれいいんだけれども、
これ何か別の原因を持ってきて、
一個から全部が生まれてきてるよねっていう風な発想なんだよね。
はいはいはいはい。
そうすると前回これも言った、
やっぱりメロ・ポンティか、
100点満点の世界っていう、
それ自体がそもそも間違いだと。
つまり神は全てを知っているとか、
仏の空というものを知れば、
世の中の全部が繋がるとかっていうのって、
それも全部100点の正解とか回答なわけじゃない?
はいはいはい。
そういう風なものを想定すること自体を、
メロ・ポンティやっぱりしびどけるんですよね。
そうじゃなくて、あくまでも、
人間っていう構図は不完全だと。
この宇宙が不完全だと。
その中でも、人間的なレイヤーとか、
生命とか物質とか生き生きしながら、
なんとか人間というものは生きているし、
宇宙全体を捉えても、
そういういろんな構造のレイヤーがある中で、
生き生きしながらなんとかシステムとして回っている。
それっていうのは分割して、
例えば太陽はこうとか、地球はこうとか、
地質はこうとかっていう、
そういう風に細かく細かくしていけば分かるものじゃなくて、
全体のバランスの中で動いているものなんだ、みたいな。
そういうことをメロ・ポンティは捉えようとしている、
という感じなんですよね。
なるほど、はいはいはい。
そっちかこっちじゃなくてね、
ある程度要素とパラメーターの違いだよぐらいの感じで、
見えてきた気がするね、なんとなく。
うんうんうん。
ベルキーさんのグラデーションっていう話だと思うんだけれども、
どこかで繋がっているとか、
全体というものを捉えようとするという動きがこの時代にはあるんだよね。
そういう中でメロ・ポンティの発想の根幹にあるのは、
こういった構造なんだけれども、
間違ってはいけないなと思って、
台本を作りながら話したんだけれども、
これさ、メロ・ポンティがこういう三層構造を作りましたとか言うとさ、
なるほど、みたいな。
この三層構造で世の中を捉えれば、
ある種より正しく世界を認識できるんですねとかって思っちゃいそうじゃない?
思ってるよ。
思っちゃうんだけれども、
それはある種のメロ・ポンティ化するとダメなんですよ、絶対に。
えー、違うんだ。
なんかより良いものを作ったんじゃないのかなって。
って言うと、よりそれを使ってまた世界を分析しようとかさ、
世界を捉えようというふうに、また100点の世界があるという前提になっちゃうじゃん、それってね。
あー、思っちゃうし、もうパラメーターで、
じゃあ説明できるねって思ってたね。
例えば鳥とかは、ほら、言語までいかにしてもさ、
言葉を操るみたいなのあるじゃん。
例えば、イルカでもいいけど。
そうすると人間側のとこが1点とか2点みたいなさ、
わからないけどね、象徴みたいなものをちょっと使いこなしてるぞ、ちょっとみたいな。
ってことは、じゃあここ2点の生命、8点の物理、5点みたいなさ、
それが説明だーみたいな。
はいはいはい。
そうやって当てはめたくなっちゃうんだけれども、
それはまさに分析するとか、分割するとか、
そういうふうなものに近づけて理解しちゃうって、僕らの良くない傾向なんですよね。
そうなんだ。
つまりね、ベル・ポンティがどういうことを考えてたかっていうと、
その構造を解き明かして、ある種正解として提示することが大事なんじゃなくて、
その構造を解き明かす中でも、
例えばベル・ポンティさん自身がそういう人生を生きていて、
そういうふうに物理的なものではこうかなーとか、
生き物を観察した結果を含まないとこうかなーとかっていうふうに、
いろんな試行錯誤は当然あったわけなんですよね。
つまりそれは、一人の人間としてはベル・ポンティさんの生々しい知的な格闘というか、
もっと言うと人生の営みから見出したものなんですよ。
なので前回も言った通り、ベル・ポンティさんは哲学っていうものを常に更新するものの方、
世界の捉え方を学び直すことだって言ったじゃないですか。
言ってた。
なのでこの構造っていうのも、
ある種もう構造化されました、テンプレです、終わりじゃなくて、
本当にこの構造ってそうなのかなとか、
あるいはそのバランスの中で生きるってどういうことなのかなみたいな感じで、
ちゃんと自分自身が生の経験として生きて向き合っていくものなんですよね。
なので、哲学者って言ったけれども、
自分の見出した哲学ってこれだっていうふうに答えを渡したいんじゃなくて、
ちゃんとその3つの構造だって言うときに、それをちゃんと生きたときに、
本当に人間ってこの3つの構造を持ってるよねとか、
本当にそれぞれの通常っていうものがあって、
切っても切り離さないものとして存在したいっていうところを、
実感として得られますかっていうふうな、
そういうことはすごく大事にしたいんだよね。
なるほどだし、メルポンティもそういうふうに言ってたりとかするのかな。
そういうふうに語ってるっていう感じかな。
だからメルポンティがこれは答えではないから皆さんも生きてくださいとか、
それが多分言ってないんだけれども、
彼の論の立て方というか説明の仕方自体が、
やっぱり自分自身が生きた実感とか生々しさみたいなものからしか出てこないように語っているし、
それがやっぱり現象学的に自分の内側からとかって言葉を使うんだけれども、
内側から出たものでやっぱり説明をしていくとか、
あるいは次回以降、身体っていうものをめちゃめちゃ取り上げるんだけれども、
自分の体が生きたものとして哲学を語るみたいな、
そういうふうな発想が根底にあるんですよ。
わー、わからん。そうなんだ。わかんないね。
わかんないでしょ。
だから構造とかっていう話をするから客観的に打ち立てたもんね。
っていうふうになるんだけれども、
構造っていうものが、
これは今回でわかりきらないと思うので、
むしろわからないっていうものを大事にしてほしいなっていう感じではあるんだけれども、
常にメルポンっていう哲学っていうのは、
分けないとか、分割しない。
構造もこれは構造できました。
その構造ができました、おしまいっていうと、
それは一個の説として分かれてるじゃないですか。
そうじゃなくて、常にそれを生きる自分とか、
その構造の中にある人間とか、
そういうものを捉え続けるっていうふうな話なんだよね。
でも多分わかんないじゃん。
いやー、今少し近づけそうな気がしたけど、
まだ掴めてない感じ。
これは哲学の難しさでよくあったさ、
自分の感覚とちょっと違いすぎるとか、
やっぱり普通に生きてたらそういう感覚をしない、
そういう発想をしないってことにかなりこのメルポン先生も当てはまっていて、
僕自身も自信を持ってメルポン先生を理解したとはまだまだもちろん言えない。
他の哲学者もそうだけどね。
言えないけど、一個あるなと思うのが、
やっぱり兄貴はまさに今ハマってくれている、
二言論じゃないってことは一言論なのかなとか、
メルポン先生が言ってくれたことを使うとしたら、
こういうパラメーターで分類できるのかなとか、
その思考法自体が科学的だし分割思考なんだよね。
なるほど。その視点からこのメルポンティの話、
この構造を見ると、そりゃあそうなるよねってね。
変わらないよねっていう。
科学的で分割思考から見ると、
要はその手段としてメルポンティを使おうとしちゃうから、
メルポンティはそれを否定するというか、
そんなことができないよっていうよりもむしろその手前に、
もっと兄貴自身が生きている生の生き方とか、
生の世界との変わり方ってあるよねっていうふうな、
そういうことに目を向けましょうよっていうのが結構根底にある発想なんだよね。
ああ、これもしかしてだけども、
今回その宮鉄谷の話をしてくれたじゃん。
はいはい。
宮鉄谷の感世界の話。
これってさ、もしかしてメルポンティからすると、
人間って人間の感世界自覚してなくない?みたいな感じじゃない?
それはね、めっちゃあると思う。
だから今回のこの、例えば物理的?
あと生命的だっけか、あと人間的?
象徴的とか人間的だね。
本来人間は、人間というか全ての生命だったりとかもの、
元素も含めて、
このような構造の感世界に基づいて、
それぞれの感世界で生きているはずなんだけれども、
もしかしたら人間に関しては、
この象徴みたいなものが多すぎて、
この自分の感世界、もしくは人間の感世界、
みたいなものから人間を捉えてない、もしくは世界を捉えてない可能性が高いのではないか?
みたいな風に考えると、
さっきのハヤトの話がちょっとツイツマが合うというか、
ちょっと入ってき始める気がしたね、なんか。
いいね、でもそういうものを言い換えれば本当ありがたいなと思って、
さっきもあった通り、要は環境が先、要は自然が先で、
人間はそこへ影響を受けるっていう風なのが科学的な発想ですねと。
膝を叩かれたら足が伸びるっていう、もうそれで全部だよねって話なんだけれども、
まさに兄貴が言った通り、メルポンテはその内側に生きる人間とか、
人間と環境の相互作用。
人間が積極的に世界とか環境って切り取って本来は生きているのに、
切り取りっていうことを無視して、
いやいや、自然とか環境って人間は受け取ってるだけなんだとか、
それは一方的なもので人間に抗う術がないんだみたいなことをみんな考えてるけど、
いやいや、何言ってんの、そんなことあり得ないでしょって話がメルポンテが言いたいことなんだよね。
何その象徴って話ね。
そうそうそう、とか、無自覚。
こんなにも人間は世界を切り取って、本来は環世界っていうものを作り出しているのに、
作り出しているということに気づかずに、
いやいや、人間は世界をちゃんと見通せるとか、
いやいや、人間は環境から影響を受けて、それから無抵抗だとか、
ちゃんちゃらおかしいねみたいな、そういうふうな感覚かもね。
わー、すごい面白そうな感覚だね。
うちらみたいな、今回のメルポンティの構造の感覚を持ってない者からすると、
今の話を聞いた時に、ものすごい人間とか、世界を俯瞰して教えてくれてるみたいなふうに感じちゃうんだけど、
メルポンティからすると、一旦戻れ、環世界に人間の、みたいな。
一旦内側から見ろよって話をしてるっていう、
その噛み合わなさみたいなものがありそうで、面白いなって思った。
そうね、まさに俯瞰とかっていうのは、やっぱりメルポンティからすると、ちょっとありえないというか、
やっぱりそこの出発点には絶対にならないんだよね。
どんだけでも、メルポンティが力説しても、新しい視点をありがとうみたいなさ。
俺たちに俯瞰的に見せてくれるようになった、みたいな。
考えちゃいそうっていうぐらい、違う話?違う感覚の話をしてるのかなっていうのが、
見させてもらってきたかな。
でも確かにほんとそうだね。
今日もさ、メルポンティこんなこと言いました、秘密の構造がありますっていうと、
新しい道具とか知識ありがとうございますみたいなさ。
あとそれを使って、もっと自分は世界より上手く捉えますみたいなさ、感じになったよとすると。
新しい象徴を手に入れちゃったみたいなね、感覚がね。
道具とか武器みたいなね。
違うんだみたいな。新しいナイフもらってやったとかじゃなくて、
そのナイフこそがあなたの世界と環境をつなぐ唯一の架け橋なのに、
それをただの道具で新しいものもらってやったって言ってんじゃないみたいな、
そのイメージもちょっと違うんだけど。
いやーでもそうだね、聖剣伝説、聖なる勇者の剣みたいなものをあげてるのに、
いや、それは巻き割りに使っちゃうみたいな。
たぶん渡した方からすると、うーんっていう感じだよね、たぶん。
そうだね。
違うんだって。
ちょっと聖剣伝説のイメージ膨らませるけど、
聖剣っていうのは勇者の剣だとした時に、
やっぱりよく切れた剣もらえるよ、バンザイみたいなのじゃなくて、
その剣を手にするということは勇者という存在を引き受けることであり、
この世界との関係性が一変するということだけど大丈夫みたいなさ。
あーなるほどね。
そのあり方が本来変わるのに、そこに無自覚に、
いやーなんか新しい武器もらっちゃった、やったーみたいな、めっちゃ切れるぜみたいな。
やっぱりあり方のスタンスとか、見てる目線が全然違うんだよね。
っていう風な話があるので、
次回ちょっと今回はまだ分かんないことが分かったぐらいで、むしろいいなと思っているんだけども、
次回その、生きるというかね、今回行動の構造って話だったじゃないですか。
え?あ、そうなの?
うん。本のタイトルとしては行動の構造だから。
迷路ポイントとしては色んな性別とか人間の行動とか、
物を捉えた時にこういう構造を見出します。
もちろんそれ以外のことも書いてるから、かなり今回荒掴みなんだけど。
ってものなんだけれども、次回ね、
次回その、使徒ですって言った、近くの原子力の話をするんだけれども、
ここではより具体的に、やっぱ体?
もう僕らがどう手放したくても手放さない体というものがあって、
それを土台にするときに、まさに世界と人間の関係性ってどういうものなの?とか、
僕らの人間の在り方って何なの?っていうことを、ある種深掘りしていくものなんだよね。
はいはいはい。あ、面白そう。
デカルトの名前何度でも出ますけど、デカルトは体は機械というか物質であると。
ある種精神に比べれば鳥に足りないものであるって言ったんだけど、
デカルトふざけんなっていうふうにメロポンって言いたいわけなんだよね。
やっぱりこの物質っていうものがむしろあってこそ、
世界っていうものと人間っていうものが相互作用ができる、関係を結べる。
ここを捉えましょうっていう話をしていきます。
おー、いいね。わー、ちょっと人間の環世界捉えたいね。
そっちで一回生きてみたいってすごい思わされたし、
次は多分そういう具体的な話になっていくんじゃないかっていう期待しちゃうね。
そうだね、でも環世界の話は多分役立つと思うし、
思ってると僕らは普段生きてるはずなんですよ、環世界に本当は。
でもそれを自覚してないとか無意識であるとか、
まさにそこに意味付けができてないっていう話だから、
これをちゃんと捉えていきましょうっていうところは、
次と次の次ぐらいからのテーマになっていくかなと思います。
おー、面白そう。わかりました。
次回ですね、迷路ポンティのさらに深いところですね、
見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。