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  2. #379 【荘子 雑談】荘子の寓話..
2025-12-17 51:38

#379 【荘子 雑談】荘子の寓話を味わってみる/量子力学と哲学

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

荘子の物語には、友人の貧困と運命についての深い考察が詰まっています。雀の悲運が描かれ、友情の助けを通じて生き延びる希望が見えますが、運命の不条理を受け入れる苦悩も同時に浮き彫りになっています。エピソードでは荘子の寓話について討論し、量子力学の哲学的意義にも触れています。思想と現実の境界を探求し、友情や運命における感謝の重要性が強調されています。このエピソードは、荘子の寓話とともに量子力学の哲学的な側面を探求しています。2000年前の思想家の示唆と現代の宇宙物理学の考えを結びつけ、理解を深める興味深い議論が展開されます。また、荘子の寓話を通じて存在や意識についての哲学的な対話が展開され、量子力学との関連を通じて意識や存在の定義が揺らぐ様子が語られています。荘子の寓話を通じて量子力学と哲学のつながりを探求し、自然科学的な視点を楽しむことを目的としたエピソードです。

友情と苦悩の物語
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回で荘子回、最終回ということでしたが、なんかアフターエピソード的になんかあるというような話でしたね、なんか。
そうですね。今回取り上げられなかったんですけど、なんかその荘子の内編っていうやつを読んでいる中で、
なんか大体その結構ね、ハッピーエンド的なことだったりとか、なんかすごい気づかされるわーみたいな、そういうお話が載ってるんですよ、いろいろね。
なので基本はちょっとポリティブなんだけど、なんかね、たぶん一個だけかな、他にもあるかもしれないんだけど、なんかすごいちょっと物悲しいお話があって。
はいはいはいはい。
で、それがね、今すごい引っかかってるんだよ。今とかずっと引っかかってるんだよね。
なんか元気になる話してほしいけどなー。
それをね、一緒に考えたいなっていうところで、前回もさ、やっぱり荘子ってね、遊ぶとか楽しむっていうポジティブな言葉の裏にやっぱり狂気というかさ、狂った感じあるなーって言ってたじゃん。
うん。
なんかね、そこにちょっと繋がってる感じがしてるから、一緒に考えてほしいのよ。
なるほどなるほど。だからまあいろいろ、たぶんその本編の方でいろんなエピソードがあったと思うけど、無用のようだったりとかね、いろんな鳥、でっかい鳥と、みたいなのがあったけど、そういうエピソードの一つとしてあったみたいな。
そうなんです。
うーん。
で、ちょっとね、それを読んでいきたいんだけど、ざっかり言うとね、しおさんとしそうさんっていう二人がいるのよ。
しお。
しおさんとしそうさん。
はいはいはい。
で、友達でありますと。
うん。
あるときね、雨が10日続いて、しおさんという人がね、しそうさん大丈夫かなと。あの人は貧乏だからちょっと上に苦しんでんじゃないかなみたいな。で、雨ついてると山とかにも行けないじゃない。
うんうんうん。
で、気を使って、しそうさんの家にご飯を包んで持ってくんだよね。
うんうんうん。
いい友達じゃん。
うん。
で、行くんだけど、しそうさんの家の戸口まで行くと、中から歌うような鳴き声がしますと。
うんうんうん。
で、なんて言ってるかっていうと、父であろうか、母であろうか、天であろうか、人であろうかって歌ってるらしいんだよね。
うんうんうん。
うん。で、「なんだなんだ?」って思って、しおさんが入ってて、「君の歌ってる歌はなんでそんな歌を歌ってるんだ?」みたいに聞くんだよね。
で、しそうさんが答えて言うんだけど、「私はね、こんなどん底にまで私を追い詰めたものがなんだろうかと考えているんだ。でもさっぱりわからないんだ。」って言うんだよね。
で、お父さんとかお母さん、あるいは自分を産んだ人たちが、まさか自分の貧乏を望んでいるってことはないだろうと。
うんうんうん。
で、天っていうものはエコヒーキもなく一切を覆っていて、地っていうものもエコヒーキなく一切を乗せるものだから、天とか地っていうものも自分だけを差別してこんな貧乏で苦しませてるものはないだろうと。
うんうんうん。
ってことは、じゃあ私は今貧乏であるっていうのは何なのかって考えるんだけど、さっぱりわからないと。それでいて、こんなどん底まで追い詰められてるっていうのが運命っていうものだろう。で終わるんだよね。
運命と限界
うん。
どう?これ。
あー、今のエピソード?以上?
うん、以上。
あの、ご飯が美味しかったとか、助かったとかじゃなくて。
ないないない。ないだよ、うん。
はいはいはい。
なるほどね。
ぜひ一旦、ハヤトの話聞いてみたいな。
はいはい。
なんで聞くかって、どう今モヤモヤしてるのかというか。
いや、モヤモヤしてるっていうよりは、これが前回言った、まさに天とか道が差別をしないってことなんだよね。
はいはいはい。
区別をつけないっていうことなんだよね。
うん。
つまり、貧乏であっても、豊かであってご飯がいっぱい食べれても、本来道からするとどっちも同じなんだけど、やっぱり今貧乏で苦しんでさ、10日も雨で外出れなくてご飯食べれませんっていうときに、なんで俺だけこんなって思うじゃん。
まあね、うんうんうん。
でも別にお父さんお母さんが自分を押されて苦しみようと思って生んだわけでもないだろうし、天とか地とかもわかんないし、もう運命だって受け入れるしかないのかなみたいな感じって。
はいはいはい。
すげえリアルだけど、でもそこで終わってるだよね、このソウジのエピソードは。
ああそうね、ここで終わりか。
そうそう、だったときに、これでしおさんが嫌々そんなこと言うもんじゃないよとか、それが実は新人へ至る修行なんだとかって言ってくれば救いもあるけどさ。
うんうんうん。
その救いがないまま突き放されてる感じがあって。
はいはいはいはい。
なんか、2時間映画見た後にすごい長い話のエンディングで、「俺はどうしたらいいの?」ってなるイメージがあるんだよね。
ダンサー・イン・ザ・ダークのエンディングみたいなね。
ごめんわかんないけどそれは全然。ネタバレながら言えないと思うし。
絶対見なくていい映画だけど。
そうなんだ。大丈夫怒られない?
怒られない。たぶん誰も怒られない。ただ病気が好きな人は見てもいいかなみたいなね。
なるほどね。
ダークミュージカルです。びっくりしたよ。
そういうのがあるじゃない?っていうときに、ちょっとそういう放り出された感を感じるんだよね。
うんうんうん。
そこに答えを求めてしまうのも違うとは思っているんだけど、他の話は結構答えらしきものとか、こういうふうに考えたほうがいいよって最後にちょこっとついてるんだよね。
だから結構この1節は僕の中では結構残るというか、本当に貧乏で苦しくて、友達が助けてくれたとはいえ、自分の運命ある種呪いたくなる瞬間にどう生きていくのかって難しいよなと思って。
なるほどね。ちなみにそのエピソードってどの辺で出てくるとか、最後の方なのか。
いや、非常にいいお話で、そのダイソーシ変化っていう、いわゆる道だよね。道とはこれこれであるとか、道とはこういうものだとか、新人とはこういうものであるって話をしている中の一番最後の話なんだよね。
ああ、そうなんだ。
で、次の編に、次の章にまた行っちゃうのよ。余計に、さっきまで道ってこういうものだとか、新人ってこれだよね、すごいよねって言ってたのに、運命とはこういうものだろうって終わってるみたいな。
なるほど。じゃあこのエピソード単体じゃなくて、そのまとまり、章とか、まとまり的に最後、だいぶえ?みたいな感じなんだ。
希望の兆し
そうそうそう。すごい演出とか編集が上手いと言えば上手いんだよね。つまりそれが道であるって言われたら、もうそうだよねとしか思えないんだけど、そう言われてしまうと苦しいみたいな感じがあって、何度も実はこの章を結構読んでて、その時々感じるものがあるなぁと思うんだけど、兄貴は聞いててどう思った?
あーそうだね。ごめん、もう一回早いと言う質問したいけど、どう捉えてる?これを救いがあるのかないのか、それともここからどう自分は今のところ引っ張ってるかみたいな、解釈してるかみたいな、あるの?なんか。
もうね、それでいくと、なんていうのかな、これこそがたぶん道の在り方なんだなと思いますと。前回もさ、新人っていうのは道と繋がりつつ、やっぱり今の目の前の生き方を生きるっていう話をしたじゃない?
これちょっと切っても切り離せってやっぱりそうなんだよね、当然。だから、やっぱり自分の人生を嘆くっていうことも、これも含めて自分の人生だと思わざるを得ないけど、そこをとにかく生き抜くっていうことしかできない、人間の強さでもあり弱さというか、
その運命って変えることはできないじゃない?これまでの話で言ってもさ、別に道っていうものは人間の思い通りになるものではないから、受け入れるしかないんだけど、そこになんで自分だけって思ってしまう人間らしさというか、そこも含めて生きるってことなんだよなーっていうふうに今捉えてるかな。
なるほどなるほど。面白いよね。このエピソード単体で言うと、その繋がりとかもね、他のエピソードもよくわかんないから。このエピソード単体で言うと、ハヤトは結構悲しいというか、表現してたけども、個人的にはすごい希望のある話だなって思ったけどね。
あ、ほんと。はいはい。
逆逆、明るい話だと思った。
あ、ほんと。
うん。で、なぜかっていうと、今回あれだよね、苦しんでたのは師…師僧さんの方だよね。
あの、結果師僧さん助かってるじゃん。あの、塩さんがさ、ご飯持ってきてくれたから。
うんうん。
師僧さん目線で言うと、もう10日間何も食ってない。家があるとはいえ、家の中ずっとなんとかしのいでるみたいだね。雨が降ってしのいでるみたいな。
だからその状態で、まだその外からさ、ご飯持って、師僧さん来るっての知らない状態で、あの、さっきハヤトが言ってた歌、歌ってるわけじゃん。
うん。
恨めしいと、誰がこんなことを、みたいな、俺の状況は何なんだ、みたいな。
うんうんうん。
だけど、まあ、一応それ歌ってる中でさ、家のドア開いたわけじゃん。ご飯を持ってきて。
そうね。
まあ、ある意味こう、一命を取り留めたというかさ。
うん。
あの、生を繋いでるわけで。それで言うと、話のエピソードの作り方としては、そのまま殺しちゃってもいいわけじゃん。
まあ確かにね。植えて死にました、みたいな。
そうそう。それもまた一つの、あの、あり方です、みたいな感じで。
うんうんうん。
そのまま植えて死にました。以上みたいなのも全然あり得るわけで。
はいはい。
うん。その中でちゃんとご飯を持ってきてくれてるっていうのは、なんだ、すごく救いがあるなーっていう。
あー、なるほどね。
思うのと、まあ一方でその、師匠さんがそんな状態で怒られてるっていう。
うん。
で、嘆いてるっていうのは、確かに今回の掃除の話、その道、みたいな。来年から言うと、いわゆるその、平等だったりとか、その、
うん。
店、みたいな、店というかね、道的に、その、物事には区別があるのかないのか、みたいなとこで言うと、
うんうんうん。
やっぱりその、カレーとラーメンは違うとか、
うん。
あとあの、何だろうな、言うてその、英語の牛肉、英語ランクの牛肉と、
あーはいはい。
あの、パッサパサの鶏胸肉、みたいなものがあったときに、
そうじゃん。
まあそこには、言うて同じだけど、言うて違いますよ、みたいな。
はいはいはい。
だから、師匠さんはそのパッサパサの鶏肉側で、
うんうんうん。
あの、あっただけで、でそれをじゃあ誰かが恣意的にコントロールしてるの?してないの?とか、
うん。
荘子の寓話の探求
っていうとこは多分してない、だけど、
そうだね、そうだね。
コントロールはされてないんだけど、その、現実としてパッサパサの鶏肉もあるし、
うんうんうん。
めっちゃうまい英語ランクの牛肉もあるし、みたいな、
うん。
このパッサパサの鶏肉の側の話をしてるんだけど、
まあ誰にも食べられず捨てられたっていうよりは、ちゃんと広深みもいたよね、みたいな。
あーなるほどね。
だから、そういう意味でのその、なんか師匠さん、エピソードとして師匠さんに、
なんだろ、憑依すると。
はいはい。
憑依すると結構切ない部分もあるとは思うんだけど、
うんうんうんうん。
全体を通してみると、その、なんだろ、区別ない中での現実あるよねの中の、
うん。
群像劇の中の一人みたいなさ。
あーなるほどね。
うん。なんかその見方、そのどのレイヤーで見るかで結構こう味わいが変わる面白い話だなと思った。
確かにそれもあるかもね。あのー、僕は結構その師匠さんの方にグッと寄っちゃったんだよね。
うーん。
その時に、やっぱこの話で足りないなと思うのが、
はいはいはい。
量子力学と哲学の交差
その、師匠さんへの感謝なんだよね。
まあそこまで話進んでないもんね。
そう進んでないんだよ。だからその後にあったかもしれないとか、
まあこれは作り話か現実かとかってちょっとわからないんだけれども、
うーん。
もうちょっとさ、ね、まあとはいえあなたが来てくれて助かったよみたいな話とかさ、
うーん。
やっぱり友はいいものだみたいな話とかもなく、
うーん。
これが運命であるなーみたいな、え、でも師匠さん助けに来てくれてんだけどみたいなさ、
あー。
なんかその、他に、やっぱ師匠さんのなんていうのかな、その、そのかな、
だからそんな状態なんだよみたいな。
まあまあそれそれまで窮屈さというか浮屈さというか、まあ苦しい苦しいって言っているだけみたいな、
うーん。
感じの、ちょっと卑屈さもやっぱり思っちゃうんだよね。
なるほどなるほど。
うん。
師匠さんよく友達やってんなみたいなさ、なんかそういうことを含めて、
人間ってやっぱりそういうとこはわかんない、あるじゃんって言っちゃうけど、
多分僕はあるのよね、やっぱりなんか人のことよりも自分のことが大事だとかさ、
誰かに優しくされてもやっぱり気づけない自分とかっていたりするじゃない?
うーん。
っていう時に、なんかねその、なんていうのかな、
人情味というか、まあでもその、本当に区別がない世界にいるとすると、
その道に一体化して誰かが助けてくれたというのも道のだらけであるから、
その人に感謝せずに道に感謝しようみたいなことにもなりかねなかったりするじゃない、こういうのって。
まあなりかねない、あのあっちゃだめだけどなりかねないよね、確かに。
そうそうそうね。道が使わせてくれたものであってみたいなときに、
なんと瞬間にやっぱりそうやって崩壊するというかさ、
うーん。
やっぱりこうね、しおさんとしそうさんの友情は壊れてしまうわけじゃない?
うん。
だからこの、やっぱり前回も言ったバランスの危うさというか、
すべては道だし、つながっているんだけど、
でも絶対にそのもらったご飯に対しては感謝しなきゃいけないと思うのよ。
なるほどなるほど。
その、なんだろうな、しそうさんの、
いやでもこれが運命だって言って終わっちゃう感じの、
お前もうちょっと頑張れよみたいな、そこの、なんていうのかな、
言いたくなる気持ちとかもあるかも。
今話してた兄貴に言われてちょっと思った。その気持ちがあるね。
なるほどね。しそうさんのキャラ設定に対する不満ね。
とか、そうだね、もうちょっとあるだろうみたいな感じ?
当然短い、ほんとに今話したのがほぼすべてみたいな感じだから、
キャラ付けとかさ、どんぐらい仲いいのかとか分かんない中で言ってるからあれだけどね。
なるほどなるほど。
でもその、なんだろうね、その視点の、
そういう方に個性がまた出るんだろうね。面白い、確かに。
確かに、ほんとにほんとに。
確かにね。だから今のお話でさらに今っぽくというか、
あるとすれば、自己責任論も結構あると思うんだよね。
見方として。
その道とか運命とか抜きにして、
お前が働いてないから食えないんだろうみたいなさ。
あるよね、あるある。
美味しそうと。しようさんに頼ってんじゃないよと。
でもね、ご飯持ってきてくれるしようさんに頼ってんじゃなくて、
ハローワーク行けよみたいなね。
はいはいはい。
そうね。
それもそれで切ないけどみたいな。
いやそうだよね、やっぱそうも言いたくないっていうか、
そう言われたら死んじゃうって思ってる人間なんだよね、僕自身は。
辛いみたいな。そんなこと言わないでって。
ここまでの状態になってる人にそれさらに言う?みたいな。
そうそうそうそう。
それもやっぱ苦しい。
もちろんさっきは美味しそう、何言ってんだって言いたい自分と、
とはいえ分かるよってこの辺り両方が自分の中にいるわけよ。
はいはいはい。
であった時に、なんていうのかな、
じゃあ新人って何?ってそっちにまた戻っていくんだよね。
さっきも言った通り、このお話、さっきの話が含まれてるのは大葬詩編っていう道とはこういうものだみたいな。
そう語ってるところの最後にありますと。
はいはいはい。
その時に、やっぱり新人とは全てを超越して道と一体化した偉大な存在であるって言っておけばもう楽というか分かりやすいんだけど、
やっぱりそれだけじゃないんだなっていうことが伝わってくるんだよね。
前回もおっしゃった通り。
であった時に、やっぱりその新人って何だとか、それって結局葬事の理想って何だったんだって、
そこにまた立ち戻されるみたいな感じがあって、
やけに言うと上手いなってやっぱ思うんだよね。
分かった気にさせないとか、これでいいんだって、掴んだって気にさせちゃうとすぐ間違えちゃうじゃない。
そういう上手いな、悔しいなみたいな、実中にハマってる感じもあるしさ。
まあ確かに、それこそ立心出世の物語とかの方が分かりやすいのにみたいなね。
そうそうそう。これが正解ですって言ってくれば分かりやすいんだけど。
友情と運命の感謝
この新人になることで、恋愛も仕事も全て人生が上手くいきましたって言ってくれれば楽なのにっていう。
そうそうそう。そうじゃないんだよねっていう。
今のやり取りの結果、見方変わったとかある?
見方が変わったといえばあって、自分の観点が思想さんの内側にだいぶ入り込んでるなっていうふうに思いました。
最近思ったんだけど、奥さんと映画を週に1本ぐらい見るんだけど、やっぱり自分の感想って結構特定の視点に縛られてるというか。
へー、そうなんだ。
この人のこの考え方だったらこういうふうに構造するのがいいんじゃないかみたいな、そういうところを気にしてしまうんだよね。
へー、ちょっと意外だね。そうなんだ。意外と俯瞰とか構造的にっていうよりは、わりと誰か特定の人に憑依しちゃう感じというか。
結構ね、憑依型だと思う。小説家はそうなんだけど、わりとすぐ口調とかなんか真似したくなっちゃう。
へー、そうなんだ。影響受けやすいんだね、誰かの。
影響受けやすい。なんか勝手に受けてる。
僕さんに、いやいやでもさーみたいな、こういう描写もあったし、こういうふうな物語の流れでいくとこうじゃないとかって言われると、確かに流れ的にはそうかってなるのがあって。
そこの見方はね、結構僕は逆に柔軟性がないかもしれない。
はいはい、そうなんだ。それってその、同じ映画を見たら大体同じ人に興味持っちゃう感じぐらいの雰囲気なの?それとも今回はこの人に憑依しようみたいな感じなのか。
なんとなくそこはもう雰囲気でこの人みたいに決まっちゃう感じなのかな。
自然とかな。別に主人公だけというわけでもないし、でも多分自分なりに憑依しやすい人とか共感しやすい人にやっぱりつながってるなとは思う。
へー、そうなんだ。じゃあ興味ない人は別に憑依もしたくないというか、別に登場人物の一人みたいな。
そうね。そういうことあれ前言ったっけ?ミッション・インポジティブルをこの前初めて見たんですよ。
おー、そうなんだ。はいはいはい。
で、主人公はEさんっていうスパイの男性がいるんだけど、ぼっくりするとスーパーマンすぎて憑依とかできる対象じゃないのよ。
あー、はいはいはい。
精神力も強くて身体力もあって頭脳も明石でみたいな、すごい何でもできるみたいな人なんだけど、感情移動は一切できないよねやっぱり。
すごいな、スーパーマンだなってなるだけで。
そういう理想の人に自分を憑依させて全能を得るとかっていうことじゃなくて、自分に近そうな人にシュッて入ってって、この視野とかこう見えるかもとか、
そんな風に考えてたんじゃないかっていうのが当たったとかずれたとか、そういう風に見ちゃってるかも。
へー、そうなんだ。
なんかある?そういう見方っていうか、映画とかとの関わり方みたいな。
いやー、まあそんなにいろいろめっちゃ見るわけじゃないからなんだけど、あんまり特定の人物に憑依って感じはないかな。好き嫌いとかはあるけど、もうちょっと構造で見ちゃうかも。
あー、なるほどね。
とか、お互いのやりとりか。だからどっちも知りたいというか。
全員のなんか、この人は今こう思ってて、こっちはこう思ってて、こういう駆け引きがあってとか、そこがすれ違っちゃったみたいな。
あー、なるほどね。
だから僕、逆に文造劇とか見れないんですよ。文造劇って視点がいろいろ変わるじゃない?登場人物がいっぱいいてさ、ここでは今この人たちはこれをやってて、あっちではこういうことが起きててみたいな感じだったときに、処理が追いつかなくなっちゃうんだよね。
だから僕が映画とか見て出てくる感想も、この人のこのセリフって、本当はこう言うと思うんだけどなんでこう言ったのかなみたいな感想になって。
もう知らんやんって話じゃん。なんか別に監督とか客をもらってさ、それは流れじゃんって話なんだけど、なんか俺がこの人だったら違うこと言うと思うとか言うとちょっと厄介な客なんだよね、たぶん。
あー、なるほど。はいはいはい。
うん。そんな感じ。
うーん。そうか、それだと納得がね、さっきの思想さんに対するね。
荘子の寓話の意義
そうそうそう。自分はヒュッてちょっと諏訪に入ったときに、わかる。そういうふうに揺らみたくなるよね。でも感謝は大事じゃんみたいな、そういうズレ?
そこのズレね。
そうそうそう。
一言目感謝でしょみたいな。この状況を説明する前に感謝でしょみたいなね。
そうそうそう。尋ねてきてくれてありがとうみたいな。ないんかい?みたいなさ。
ないんだよな、わかるわかるみたいな。そこを行き来してしまう感じ。
はいはいはい。
で、捉えたからっていうのがあるかもね。
なるほどなるほど。
うん。でも面白いのは物語っていうか、こういう短いお話でもさ、誰に観点を持つかとかさ、どこに引っかかるかって全然人によっては違うじゃない?
たぶんね、今お伝えした思想さんと思想さんの物語みたいなことで話すだけでも、たぶん5人集まったらまさに5つの捉え方があって、2時間くらい全然話せちゃうと思うんだよね。
そうね。あんな短いエピソードなのにね。
そうそうそうそう。
っていうのは、いわゆる哲学書のガチガチのさ、論理で決めてたものじゃない、東洋的なお話的な感じの良さもあるなーってやっぱり思ったりするね。
はいはいはいはい。
うん。あとまあね、そんな感じのお話なんですけど、もう20分も喋って、もっとか。なんか25分くらい喋っちゃったね。
うん。
はい。まあまあそんな感じで今回掃除やってきたんですけれども、ここまででいくとさ、2000年前のさ、いわゆる思想家がいて、不思議なこと言ったんだな、道とかさ、そういう不思議な概念を持ちながら、僕らの時間とかをちょっと考えてくれたんだなっていう感じじゃないですか。
うん。
で、それぞれ面白いんだけれども、なんか最近かなっていうのもあれなんだけど、昔から結構、普段すごいド文系の人間なんですけれども、やっぱりこの宇宙への興味って絶対結構小さい頃からあるのね。
量子力学の哲学
はいはいはいはい。
いきなり宇宙の話をしたのは、やっぱり宇宙ってさ、もちろんロマンはあるんだけど、基本的には物理学の世界じゃないですか。
うんうんうん。
宇宙物理学みたいな感じで、やっぱね、じゃあブラックホールとか何かとかっていうのを考えるとすると、基本的には計算とかいろんなもの、宇宙物理学が出てきますっていうときに、何とかそういうのを知りたいと思って、
なるべく数式じゃないですみたいな、本当に初心者向けなんだけれども、そういう物理学の本とか相対性理論とかって結構読んでたりするよね。
はいはいはいはい。
っていうのかね、最近面白い本に出会って、それがね、タイトルがまさしくなんだけど、「量子力学の哲学」っていう本なんですよね。
へー、はいはいはい。
そう、量子力学ってイメージある?
いや、ないし、そうね、量子力学の哲学ってもうなんか、よくわかんないね、なんかね。
確かに、どっちもわかんないよみたいなね。
うん。
うん。サトウのご飯ってやればわかるけどさ。
うん。
ね、量子力学もわかんない、哲学もわかんないみたいな。
ない、どういうこと?
え?
サトウのご飯。
サトウのご飯はわかるじゃん。サトウもわかるし、ご飯もわかるじゃん。
あー、そういうことね、はいはいはい。
そうそうそう。
出会ったときにめちゃめちゃ面白かったんですよ。
で、これ10年前くらいの本で、たぶん今はちょっとまた違うよとかあると思うんですけど、
特にこの主人の森田さんっていう方が、今どこかな、反対、科学哲学の教授の方らしくて。
あー、科学哲学、なるほど。
そうそうそう、っていう分野だから、やっぱりこういう専門の方がわかりやすく書いたような入門書なんだよね。
うんうんうん。
そういうときに、やっぱりこの量子力学の世界って、いろんな誤解もある。
量子力学でAmazonとか検索すると、なんか量子力学的生き方とか、
えー。
量子力学で幸せになろうみたいな本がいっぱい出てくるのよ。
おー、そうなんだ。
そうそう、やっぱりそういうところとはちょっと一線を隠した上でも、
やっぱりその量子力学の発想からすると、全ては繋がっているとか、
うん。
その、あらゆるものがお互いに関係しているみたいな話?
おー。
っていうことが、その物理の世界でもあるんじゃねみたいな。
はいはいはい。
そういう、むしろ我々の世界ってそういう風に存在してるんじゃねっていう発想があるんだよね。
うーん、だし、今びっくりしたのはさ、
はい。
量子力学的な生き方みたいな、
はいはいはい。
そんな分野があるの?
あー、まぁ、ちょっとこれはね。
自己啓発的な?
うん、的なと言ってしまうけど、
ちょっと眉に5回ぐらいツバつけた方がいいぐらいのやつなんだけど。
はいはいはい。
うーん。
うん。
特定の何かを落としめる気はないんですけど、
うん。
やっぱその、なんていうのかな。
いわゆるこう、偶然、実は必然であったとかさ、
うんうんうんうん。
遠く離れたものもお互いに影響し合ってるみたいな話が、
まぁ、量子力学的にはあるんだけど、
はいはいはい。
それが上積みを捉えると、やられるものは運命であるとか、
うん。
なんだろうな。
本来繋がりのないものに、実は広い繋がりがあってみたいな、
ちょっとそういう文脈に引き寄せられやすくなっちゃうんだよね。
なるほどなるほど。
それを科学の分野から引っ張ってこれて、それっぽくできちゃう部分もあるよねーみたいな。
そうそうそう。
で、それが量子力学的にも解明されてますとかって言って、
ちょっと牽引してあげるみたいな。
なるほどなるほど。
そういう分野がちょっとあるんだよね。
うーん、そうなんだ。
そうそうそう。
なのでそこが本当に気をつけないとなんですけど、
そのね、科学哲学の方が書いたこの本と、
やっぱそもそも量子力学って何?みたいな話とか、
思ってると古典力学というよりニュートン力学があると思うんですけど、
あれってディカルトの哲学とニュートン力学ってめちゃめちゃ繋がってるんだよね。
へー。
つまり世界とはニュートン力学的に予測可能なものであるか、
前提条件が分かればその後の状態を予測できるっていうのって、
実はニュートン力学の発想なんだよね。
大丈夫?ここは眉に粗末つけなくて大丈夫なの?
ここは大丈夫。
哲学とニュートンが今組み合わさっちゃったけど大丈夫?
そうね。今さ、信じてくださいって言おうと思ったんだけど、めちゃめちゃ怪しいなって思って。
同じで。難しいね。だから何かを伝えるってね。
そう。なし。やっぱり、特にこれは科学なんですって言うと、
信頼度が下がるなって今すごい思ってたんだけど、
一応、この本ですって出典を明らかにして、
この本の中で言うと、
実際にデカルトとニュートンのツアーみたいなことは、普通に研究されたりもするんだよね。
なので、それはある種正しいと思ってもらって大丈夫です。
GoogleとかAIに聞いてもらっても大丈夫ですと思っています。
学術的な裏付けがそれに関しては、その繋がりに関してはあるよって話だね。
裏付けというか、そういう発想で捉えている研究もあるよってぐらいだね。
多分あると言って差し控えると思うんだけど、やっぱり断言はできないからさ。
という風な話の流れの中で、この量子力学的な世界観とかめちゃめちゃ面白いのと、
掃除的な世界観みたいなものにも繋がってるんだみたいな話もあるんですよと。
そういう話もあるんだ。
そう、ある。
結局なんかあれだよね、すごいブーメランの話を今しようとしてない?大丈夫?
してる、してる。
だから、通常さ、今回の掃除とか、ピエール・アドさんみたいな、
有名かどうかは別にして、ちゃんとそういった哲学的な流れの中にある人の話をするつもりではあるんだけれども、
ちょっと年末年始みたいなこともあって、少し自分の興味に赴くままにというか、
ある種、僕もそういう意味で勉強しきれてない。もちろん他にも何冊かとか読んだ見てはいるもの、やっぱり量子力学って全然素人。
本当に哲学以上に素人だから。
そういった意味で、どこまで伝えるかわからないんだけれども、
そういった世界観を、なんとなく2000年代前からこんなこと言ってたんだ、じゃなくて、
現代的に考えてもそういうことって言えるのかもみたいな、
そういうことを話してみたいなという気持ちがあるんですよね。
なるほど、なるほど。
あと30年やっぱりめちゃめちゃ面白い。僕らの常識をガンガン破壊してくるんですよ、この量子力学って。
なんかすごい難しそうなノート書いてたもんね、早くね。
哲学と科学の交差
書いてましたね。2、3週間前ぐらいかな。
それは、まさに週末ちょっと時間があったときに、この量子力学の哲学という本を読みつつ、
地味に言って、GoogleのAIと量子力学の哲学のつながりについて、
先端の知識を教えてくださいとかっていうのをめちゃめちゃやりとりして、
そこで論文を紹介されて読んで、これ面白って思って書いたみたいな感じだったんですけど、
すごいね、ちょっとわかんないと思って見ながら言うけど、
宇宙の始まりは実は普遍意識だったみたいな、なんかよくわかんないじゃん。
なんもわからんわ。
誰にもわかんないじゃん。
ていうことを、この人はナノサイエンスとかの学者さんなので、物理学のガチガチの人ではないんだけれども、
一応、ちゃんとこれまでの先行研究とか有名な人たちの論というものを踏まえながら、
大抵かつ、ちゃんと数式としてそれを表そうとしてるって話なんだろうね。
はいはい。だからその論文っていうのが、勝手に誰かが書いたとかじゃなくて、
学術的な作読を経てちゃんと公開されたものだっていう話なんだよね。
一応ね、オープンアクセスのめちゃめちゃ経緯がある学術史とかではないから、
それが乗ったからこれが事実だとかってことはもちろんないんだけれども、
ある収束ももちろん査読が一定あって、他の研究者が見たときにも、これ面白いこと言ってるねみたいな、
そういう状態ではある論文という感じかな。
好き勝手ではないレベルではあるみたいなね。
そうそうそう、そうですそうです。
でも見たときに、やっぱり哲学をぶち壊す可能性があって、何かっていうと、
哲学は壊されちゃうんだ。
存在と意識の探求
何かっていうと、やっぱり西洋哲学の文脈で言うと、
いわゆる存在とかものっていうものがあって、
それって何ってことを探求しますよみたいなことをよく言うじゃない。
やっぱりものっていうのが基本単位ですと。
何かが存在していますって感じなんだけど、
量子力学とか普遍意識みたいな世界からすると、
そもそもものなんてありませんとか、
ものと意識っていうものは実は同じ数直線の上で語れますみたいな、
そういう世界観になってくるんだよね。
もうイメージできない世界になってくる。
そうだよね、そうそう。
僕らは、例えばデカイトとかでも、
心と体があってものと精神が違うとか、
人間の意識っていうものは高次、高いレベルのもので、
石ころとかっていうものっていうのが違うんだとかっていう話をするじゃない。
っていうふうにやっぱ存在と意識って違いますよね。
違うじゃない、だって。
違うと思ってるよね。
そう、思ってるんだけど、実は存在と意識は同じかもしれないとか、
実は存在よりも先に意識があったかもしれないとかって言われたらさ、
もうやっぱり全然わからないじゃない。
そうね、科学の話をしてるとは思えないね。
でもそういうことが結構真面目に書かれているとか議論させたりする分野もあるんだよね。
そうなると本当に哲学の存在の根源を探すとか、
なぜものが存在するのかっていうことも、
一部に説明されてしまう可能性すらある。
それは存在ではなかったみたいな。
我々が存在と呼んでいるものが、あくまでも我々が捉えた中での概念であって、
本来の宇宙とか物理的なものはそうなっていませんっていうふうな世界観があるかもねっていう感じなんだよね。
科学と哲学の交差
なるほど。こんだけいろいろことごとについて考えてるけれども、
考えてるものとか考えてる私たちの意識みたいなものが、
意思とかと同列になるから、すごい意味ないことをしてたねってなる可能性があるってことだね。
そうだね。とかその同列だという中でできることは何だろうというふうに問いが変わる可能性がある。
もちろんこれまでの歴史の中でやっぱり違うって思われていたから、
そこを個別して考えるというのは多分意味があるんだけど、
今後そういった意識も意思も一緒ですみたいな、一部で違うだけですかってなった瞬間に、
じゃあ我々ってどう生きていくのみたいなさ。
なるほど。そっかそっか。意味は確かにあったんだけれども、
地動説、天動説的な感じか、どっちかというと。
そうですそうです。そんな感じ。
がらっと本が天動説になった瞬間に、過去のやってたことが無価値化してしまう可能性がある。
やってきた営み自体には価値があるけど、今現代において地動説を語ることへの価値っていうのは下がるみたいな。
そうだよね。地動説じゃなくて天動説か。
ちょっと待って。地動説が合ってるんだ。ごめんごめん。地動説が合ってる。今ではね。
天動説、天が動いてるっていう方が、昔時代だけでは間違いだって話だからね。
そうだよね。
僕も今逆だったわ。
天動説だった時代も、観測技術だったりとか、数学技術はめちゃくちゃ発展してるんだよね、ちゃんと。
そうそうそうそう。
っていう意味で、その前提が、例えば地動説になったとしても、その営み自体はめちゃくちゃ生きていくというか、だけの話に近いっていう。
そうそうそう。そうですそうです。
面白くて、論文にも書いてたんだけど、例えば生成AIっていうものが今ありますよね。
AIは意識を持つのかとか、自律的に考えるのかっていう話があったりするんですよね、議論として。
もっと言うと、生成AIは人間みたいに考えるのかっていう話なんだけれども、
その論文からすると、そもそも意識って別に人間に閉じてません。
未来と現在の関係
なれる存在が意識を持つ可能性があるから、当然に生成AIも意識を持つ可能性があるよね、みたいな。
そういう話になってくるんだよね。
だからその時の意識っていうものの捉え方が全然違うとか、そもそも意識って何だっけってことがアップデートされていく。
はいはいはい。
っていうふうなことが起こり得そう、起こり得るかもしれないんだよね。
理由を感じたわけだね。
そうそうそう。めっちゃ面白いじゃんとか。
やはり掃除の万物生存もそうだけど、石も人間も変わりません。そもそも人間の意識も変わりませんとか。
生きてる状態も死んでいる状態も、それこそ状態の違いだけであって、物理的には一緒ですとか、意識の観点を考えたら一緒ですとか、
そういうことが言えるかもしれないみたいな。
なるほどね。
そういうふうな繋がりがあるんだよね。
ハヤトが最近よく言ってるホワイトヘッドとか掃除、その時の世界観とちょっとうまくハマりそうな感覚があった感じなのかな。
うん。めちゃめちゃハマるなと思ってる。
へー、そうだ。
それもジミニーとめちゃめちゃ会話してるんだけど、実際そういう物理学者の方でホワイトヘッドのやってることってまさにじゃんっていうふうに研究してる方もいらっしゃるみたいだし、
なんかいろいろ考えていくと、量子理学的に現象を確定するみたいな瞬間があるんだけど、
これってホワイトヘッドの言ってる法悪じゃんみたいな、同じこと言ってるなーみたいな繋がりが勝手にできてて、今ね、完全に危ないです、僕、そういう意味で言うと。
そうね、それこそ本当にブーメランだよね。
そうそうそう、妄信してさ、宇宙とはホワイトヘッドが言った通りであるみたいな、よくわかんないこと言い出してるなーみたいな。
やばいやばい、権威の相談は飲み込まれそう。
そうそう。一応その自覚はあるんだけれども、そこも含めて、今一体カンのハートは何をこんなに語ってるんだいみたいな。
そこも年末なので、すみません、スキップさせてもらっちゃうと、2回分くらいかな、長くやっても大変だと思うから。
漁師理学ってそもそも乱在っていうことも難しいので、その辺も大雑把にして、なんとなくこんなもんだよねっていうところから、
今自分はこういうことですよっていうのを、さっきの漁師理学の哲学っていう本を題にしながら、お伝えできるといいのかなみたいな。そんな雰囲気を持ってますって感じですね。
なるほどなるほど。たしかにその哲学だけとまた違う観点というか、いわゆる今現在の理系側の観点と繋がるみたいなのは、
たしかにちょっといつもと違う頭使いそうで面白そうはね。話を聞く側の立場としてもね。
そうですね。観点が変わるってもあると思うし、逆に本当は理系側の人からすると、そんな敵のこと言わないでくれよって言われそうな気もするし、
実際これ面白いんだけど、森田さんって著者の方が書いてて、一応最後の方なんだけれども、例えばいろんな研究を見たときに、
例えば未来、こう現在未来ってあるじゃないですか。その未来が現在に影響を及ぼす。もう一回言うよ。未来が現在に影響を及ぼすっていうふうな、そうとしか考えられないみたいな現象があるんだって。
へー、はいはいはい。
でも、そう言ってしまうとやっぱオカルトじゃない?
どうだろう。オカルトとまでは言わないけど、ちょっとその、どういう意味でそれを使ってるのかによるけど、確かにちょっと意味不明だよね。
未来は現在の積み重ねの先みたいなイメージから言うとね。
そうそうそうそう。未来というのはもうある種変わるものできなくって、あくまでも現在の先、まだ来てないものだからね、本当に先であるものって話はあるんだけど、
未来から現在へって矢印もあるんだ、そういうふうに言えるんじゃないかって話があるんだよね。
はいはいはいはい。
まあ当然、物理学者とか研究者はそんなことは言いませんと。そう言っちゃうと毎日売りになっちゃうからなんだけど、
とりあえずその、この森田さん自身は自分は哲学者だから、一旦勝手なことを言うけれども、そういうふうに過去が現在に影響を与えるように、未来が現在に影響を与えるっていう解釈は有効じゃないかっていう話をされるんだよね。
はいはい、なるほどね。そっか、それも理系的にはどうかわかんないけど、なんか哲学的には全然あり得る気がするよね。
そうそうそう。っていうふうな文脈において、あえて好き勝手なことを言うけどって書いてらっしゃるとすることだと思うんだよね。
ああ、そっかそっか。もともとは理系の立場の方だから。
科学哲学の分野だから、そこらへんの言葉とか表現の、すごい気を捨てなきゃいけない立場なんだね、きっとね。
ああ、そうですね。やっぱり闇雲に未来が現在に影響を与えてるんだとかって言っちゃうと、やっぱり研究者としては、特に物理学の研究者としてはやっぱり違うよね。もちろんプライベートだということを言ってることはあるかもしれないけれども。
そうなったときに、マーク・バンデもこのマーソンエデスラジオなので、ちゃんと言ってる私学のことを踏まえつつも、
そういう哲学的な、僕の興味だったりとか、なんとなく哲学っぽい感じで見ると、こんなことを言えて面白いかもね、みたいな。
だからそういう雰囲気の解釈ができるんじゃないかなって思ってるよね。
はいはいはい。なるほどなるほど。
なので、逆に言うと、漁師とか全然わかんないよとか、そんな難しさを話されてもっていう方も全然大丈夫ですというか。
そういったガチガチの話はしないようにとは思っているので。
はいはいはい。
よく言えば、柔らかく楽しんでいただけるし、柔らかく言うと雰囲気っぽくなっちゃうかもしれないけれども、それも含めてちょっと一回チャレンジしてみたいんですっていう感じかな。
なるほどなるほど。なんかちょっとこう、かやとの推し活で言うと、ちょっといつもと毛色違う人を紹介しちゃおうかなみたいな。
この人今熱いんですよ、俺の中でっていう紹介だね。
そうなんだよね。しかもその推しも、他に熱狂的なファンがいて、最近ちょっと僕好きになりかけたんですみたいな感じの。
あーはいはいはい。
そう推しますっていう感じかな。
なるほどなるほど。だから、自分が発掘したんですじゃなくて、もうすでにある程度人気が出てる。
そうそうそう。アイドルに、自分が今ハマったんでちょっとすいません、その話していいですかみたいな。皆さん盛り上がってらっしゃるのはわかってるんですけどねみたいな。そんなイメージ。
はいはいはい。
ご存知でない方もいるかもしれないけど。
しょうがない、それは。それはもうしょうがないよね。その分析者の人からしたらもう、全然わからないから。
荘子と量子力学の哲学
でもね、そんな感じで。次回ね、ちょっと2回分くらいから、これ何回分くらいかまだ台本これから作るんですけど、
この病死力学の哲学という本をちょっと土台にして、そういった自然科学的な発想が言えることあるんだっけとか、いっぱいあるんだけど、そういったものをちょっとね、楽しんでいきたいと思ってますっていう感じだね。
はいはいはい。
わかりました。ではその次回ですね、この雑談で終了ということで、次回からソンハエトの推し活発表会ということで楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
51:38

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