フィヒテの背景とカントとの関係
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人でオープンにしていきたいと思います。
改めまして、兄のカンノキョウスケです。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。今回から久々の西洋ということで、フィヒテという方をやっていくという話でした。
はい、フィヒテですね。なかなか耳なじみのない人だとは思っておりますよと。
僕も名前は知ってたんだけれども、どんな人かってあんまり知らなくて。
前回、カントとヘーゲルっていう間って言ったら失礼ですけれども、流れ的にはカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルっていう風な系列があるよって言われるような人ですね。
ほうほうほう。
前回も江戸みたいなことをやってたので、全然また違う場所に行くんですけれども、時代的にはそんなに遠くなくて。
フィヒテさんが生まれたのが1762年なので、ちょうど江戸の終盤というか、終盤ぐらいなのかなっていうぐらいなんですよ。
なので、前回やってた元老永さんいたじゃないですか。あの人が1730年生まれなので、時代的には30年年齢としては下であるけど、ほぼ同時代の人と言ってもいいよね。
うん、なるほどね。親子ぐらいの人もあれどっていうね。
そうですそうです。なので、ある時点でもちろんね、場所も思想も全然違うんだけれども、時代的には結構近いところで、前回やっていた江戸の思想みたいなものと、今回やろうとしてフィヒテさんとかシェリングさんとか、そういう人たちが同じような時代に全然違うことを考えたんですよっていうこともありますというふうな繋がりですね。
なるほど。
今回聞いてる方からするとあれなんですけれども、前回江戸のことをやってたときに、江戸の方はどっちかというと西洋っていうよりは中国ですよね。
主資学とか中国の先端的な学問を取り入れたわけなんですけど、元井信長さんがそれを逆しらだと。要は本質とか根源とかっていうものを考えること自体が、ある意味日本っぽくないんだみたいな話をしたと思うんですけど、その観点でいうとフィヒテさんは超逆しらですね。
なるほど。前回の江戸シリーズでの元井信長が言ってた逆しらっていうのは主に中国までの話、それとも当時の日本ってこういう西洋哲学にはどのくらい増えてたんだろうね。
一切増えてないと思った方がいいです、これは。
あ、そうなの。デジマか。に、たぶんオランダ商船とか来てたはずだと思うけど、いわゆる西洋哲学。たぶんキースト教とかちょいちょい入ってきたけど、哲学的な話はあんま残ってないのかな。そもそもそのときどうだったみたいな。
本当に研究とかしてあるのかもしれないけれども、一般的にはオランダとかも、いわゆる医学とか解体新書とかあるじゃないですか。ああいうものが入ってたけれども、哲学が入ってきたっていう話はほとんどないね。
ああ、そうなの。じゃあもう、いわゆる元森伸長が言ってた逆しらとか、頭で考えるっていう哲学的な話は、いわゆる中国とか史詩学とか、そういう本の話までってことなんだね、イメージは。
そうですそうです。なのでもちろん現実には、元森伸長がフィッシュとかドイツとか、ドイツの人なんですけど、そういうものを知ってたってことはないんだけれども、しっかりにね、当時、元森さんがフィッシュのことを知ったとしたら、たぶん、ヤフェンスとか知らない奴いるじゃんみたいなところで、どんなふうに思っただろうなって思います。
ああ、どうなんだろうね。そういう人がさ、たとえば関東の純粋理性批判とかはあるわけじゃん、たぶん当時。
はい、ありますあります。
そういうのを読んだときに、逆にここまで振り切ってる逆しらのやつやべえとかって思うのかね、どうなんだろうね。
いやー、わかんないなー。それはもうたられ場でしかないけれども、元森さんだったらやっぱりこれはもう神の道じゃないってなるんだよね。すみません、前回聞いてない方には何の答えだったと思うんですけれども。
面白かったね、そういった江戸の話もしてるので、そういったね。ちょっと前回も最後お伝えしたんですけど、雑談かな、お伝えしたんですけれども。
ある意味でね、この添え哲学場って基本的には哲学好きな菅野ハヤトという人間がやっているので、哲学っていいよね、世紀だよねっていうところからやってるんですけど。
前回ね、ちょっと哲学を相対化するというか、言うてもそんな根源って本当にあるんだっけとか、それを考えること自体が一個のスタンスだよねみたいな発想もちょっと僕自身が持ってるんですよね。
まあそうだよね。前回、たしかに江戸氏ニーズは哲学というよりは思想のほうだった。
今回改めて西洋に戻って、ガッチガチの哲学ですね。それこそ関東から進めるっていうと、関東って近代の哲学のある種、本当に虚構というか偉人ですけれども。
で、このフィヒテさんっていうのは、もちろん関東を学んで、めちゃめちゃ関東からも称賛された人なんだけれども、それを乗り越えていくというか、やっぱり関東にも足りないところがあるって言って、それを徹底していくような人なんだよね。
今、関東に称賛されたって言った?今。
言いました、はい。
同時代なの?関東と。
同時代です、同時代です。
そうなんだ。
そうなんです。そのあとにおさらい、また次回とかもしていこうとは思っているんだけれども、今回は例の通りフィヒテさんとはどんな人でしたかっていうのを、最初は第一回で話していくんだけど、やっぱり関東との流れとかは切っても切り離せないし、
関東さんの話をしたのってもう3、4ヶ月前とかなので、もちろんみなさん忘れてる、僕も忘れてるし、兄貴もたぶん忘れてるだろうしっていうのもあるので、そもそも関東ってどんなことをやってたんでしたっけみたいなことも踏まえながら、そこからどういう問題意識っていうところをフィヒテさんが持って、どういう哲学をやってたんですかみたいな。
フィヒテの哲学と次世代の影響
杖杖って言ってる通り、哲学って世界観とか価値観みたいなところもあるので、フィヒテさんの世界観とか価値観って見たときに、世の中ってどう見えるのとか、世の中の物事をどういうふうに分析というか語っていくのみたいな、そういうことを大きな流れとしてはお伝えしていこうと思っておりますっていう感じなんですよね。
はいはい、助かります。関東ね、もう前回がすでにリベンジ編というか2回目編みたいな感じだったけれども、それでももう忘れてるからね。
いや、忘れるよね。無理だよ。だって日常生きてて関東のこと考えないもんだって。
考えないね。この雑誌の収録と編集の時だけ面白いなって思いながら聞いて、あとはほとんど残らずに忘れられてるからな。
もうそれが当たり前というか普通の本ので、逆に言うと何度もやっぱり立ち返っても面白い人だったなと思うんで、そういうところも踏まえながら、今回フィヒテさん、フィヒテさんやった後は次シェリングさんやろうと思っていて、そっからまたヘーゲルリベンジということでですね、3人続けてやっていこうと思っておりますので。
ちょっとまたやっていくと、これが2ヶ月、3ヶ月続くと思うんだけれども、気軽にっていうもはや言いにくい部分もあるんですけれども、引き続きですね、他人で一緒に楽しんでいけたら嬉しいなと思っておりますというところから始まっていきますね、今回は。
わかりました。まあね、出資学辺りからずっと東洋だったからね、また久々に西洋にどっぷり使うっていう意味では、またね、終わった後また東洋戻りでーって言うぐらいに使っていくっていう。
やっていきましょうというところなんですけれども、今日はまずはフィヒテさんどんな人なのっていうところからやっていこうと思っているんですけれども。
まず先ほどおっしゃった通りフィヒテさん、1762年ドイツに生まれておりますよと。
元々この人結構貧しいところの生まれで、普通に考えたら農家というか、親が農家だったんで、農家として生きていくしかないみたいな、そういうふうな感じなんですよね。
当時まあ一応学校とかもあるんですけれども、お金がないから学校にも行けませんみたいな。
そんな人の職の教会とかそういうところで聞く話で、勉強というか、学んでいきますよっていうぐらいの人なんですけれども。
農家として生きていく上での一般常識をその辺で学んでるぐらいみたいな感じだよね。
そうですそうです。
だからなんかすごい生徒のとのった教会だとかじゃなくって、普通に町の牧師さんか神父さんかあれだけれどもが言ったことを聞いてるぐらいなんだけれども、
すごいのが、一回聞いたことというかその話を忘れないぐらいの記憶力があって、
その説教とかをほぼ全て覚えてたんだって。
そうなんだ。
そうそうそう。
で、そういうこともあって、地主さんだよね。当時の地域の偉い人に、説教の話を教えてよみたいな。
なんかいろいろ覚えてるらしいじゃんみたいな感じで言われて、それに対して結構スラスラとこうです、ああですって話をバーって全部したんだって。
そしたら地主の牧族の人がこれすげえってなって、ちょっとこの子すごい学問の才能があるからちょっと援助してあげようっていうふうな形で学校に行けることになりましたよと。
はいはいはい。
いうところで名門の学校に通うんだよね。
わーすごいね。
だからいわゆる学問上の立診出世というか、すごい貴族に見つめられて中央の学校に来ましたみたいな、ほんとそんな感じ?
有名だったんだよね。頭いい子がいるみたいなね。
本当だね。本当にたまたまだったみたいだけど、確かにその地元では有名というかだったのかもしれないけど。
なんとなく聞いててね、あの子、頭いらっしゃいよーみたいな。
そうそうそうそう。というような感じで学校に行くんですけれども、結構苦労人でして、当然親がお金がないのは変わらないので、学校には行くんだけれども、結構常に苦学生なんですよ。
そっかそっか。教えはしてもらったとはいえね。
そうそうそう。もちろん純沢な生活費とかはでももらえてたわけではないだろうからっていう話もあるし。
だから学校に行って、当時は名門大学に行くんですけれども、そのタイミングで出資してくれてた人質さん、貴族さんが亡くなってしまうんだよね。
そう。そうしたら支援がピタッと止まっちゃうんで、でも大学には入ってるわけですよ。だから学費払わなきゃいけないけど、支援止まっちゃってお金がないみたいな。
フィヒテの学びと成長
わー、そうだね。そこ引き継がれなかったんだね。
そうなんだよね。で、当然、やめたらいいじゃんとかっていうのが簡単だけど、本人も学問大好きだし、むしろそれがなくなったら地元を田舎で農家をするっていう道しかないわけですよ。
そうだよね。
そうなったときに、本当に苦しんだんだけど、いろんな友人の紹介とか、家庭教師の仕事をしながらなんとか繋いでいって、大学をちゃんと卒業するみたいな。
そんな形らしいんですよね。
さっきちょっと言ったんだけれども、その中で当時ドイツで有名だった関東は、ある種名声があったわけですけれども、
関東の哲学ってことを学ぶ中で、「関東すげえ!」ってなって、実際、1791年で書いているので、30歳くらいかな。
そのときに関東に会いに行ってるらしいんですよね。
へー、そうなんだ。
で、関東は実際に話をしながら、「やっぱ関東すごいなあ」とか。
実際に話をして、「自分はこんなことを関東の哲学、関東さんの哲学を学んでるんですよ」みたいなことも話をしながら、交流もしていくみたいな。
その後、深く交流したわけじゃないんだけれども、そういうところも踏まえて、関東の哲学に対する論文というか、というのも出してるぐらいなんですよね。
へー、そうなんだ。
でも、こういう想像だけをさ、こういうすごい人同士が出会ったときって、それで十分なのかもしれないよね。
そうだね。
教える教わるっていうよりは、もう分かってんな、お互いにみたいな。
はいはいはい。
そうそう。で、相通ずるものもあり。
で、フィヒテさんが書いた関東の本っていうのも、すごい出来栄えが良くって。
そう、これ関東本人が書いたんじゃないか、匿名で出版されたのかな。
で、そうそうそう、これ誰が書いたの?関東が書いたんじゃない?ぐらいの感じで、そう言わされるぐらいだったんだけれども、
ちょうどフィヒテが書いたんだっていうのが分かって、で、関東本人も、これフィヒテさんっていう人が書いてすごいんだよ、みたいなことが分かって、
で、一躍有名になりますみたいな、そんな感じの人なんだよね。
で、そういった形で20代を過ごすんですけど、30歳になったときかな、イエナ大学の同時になるんですよね。
イエナ大学っていうのは通っていた大学で、当時のドイツの最先端の学校ですね。
おー、今更だけど何を学んでたんだろう。
これももちろん哲学だね。
そうなんだ、なんかちゃんと当時の大学も分野ごとにあったみたいな感じなのね。
そうだね、もちろんいろんな神学とか法律学とかいろいろな中でも哲学科っていうのがあって、
その中で学んでいた人ですね。
そういうような形なので、本当に幼い頃から学問に優れてるというか、
そういった能力があったところで、いろいろ辛い思いもしながらも、当時の一流の哲学者であった関東とも交流をしながら学んでいって、
ちゃんと教授になりましたよっていうふうな、わりとすごい出世回路をかけ上がった人なんですよね。
無神論との論争
ある意味哲学者あるあるというかね、みんな神道だもんね、ちっちゃい頃から。
そういうのがエピソードとしても残りやすいってのもあると思うんだけども。
順番が後からエピソードとして残ったやつかもしれないですね。
ここからが面白いと言ったらあれなんだけれども、激動だなと思うのが、
そこで家屋大学っていうところの教授になるんですけれども、
1799年なので30代後半ぐらいかにですね、実はその大学を追放されるっていう事件があるんですよ。
なんで?
なんでかっていうと、これ無神論論争とかって言われてるんですけれども、
フィヒテさんが書いた論文があるんだけど、
それが無神論、神っていうものをある種ない場所にしてるんじゃないかというか、
まさに当時はまだまだ、聖人も神が主流だっていう世界ではあるんだけれども、
その時代にフィヒテは無神論を削いたんじゃないかっていうふうに、
ある種イチャモンをつけられるのね。
あ、イチャモン飲んだ。
結構ね、難しくって、どんなことを言ったかっていうと、
いわゆるなんていうのかな、これはちょっと感動な話があるんですけれども、
いわゆる世界の秩序とか、それこそ前回の話を引っ張ってくると、
朱子学で言うと、理と機みたいなものがあったじゃないですか。
理とか機っていうものが世界の秩序にあって、それが混ぜ合わさって世界が生まれてるんだみたいな話があったと思うんだけれども、
本来西洋的な神ってそういうものとはもう全然別の、本当に根源的なというか超越した存在なんだよね。
でもフィヒテさんが、ざっくりとさっき言った理とか機みたいな、世界の秩序っていうものがあって、
それが要は神なんだみたいなことを言っちゃうんだよね。
あー、なるほど。
ってなると、それは論文的には正しいというか、そういった秩序がありますよねとか、
それが神なんじゃないかっていうことは、今の僕らからすると言えそうな気がするんだけれども、
フィヒテさんそこに神の実体みたいなものもないんだっていうことまで書いちゃうらしいんだよね。
そうすると当時からすると、何言ってるんだ、神はいるでしょとか、存在こそ神だみたいな世界だから、
何言ってるんだこいつはっていう風になっちゃうんだよね。
あー、じゃあイチャモンというよりは、割と書いちゃってたんだね。
割と書いちゃってる。
すごく微妙なところというか、どっちかっていうとブラック用に。
割と踏み込んで書いちゃってる。そう、割とブラックのグレーみたいな。
それが、あれだよね、YouTube動画の切り抜きみたいな感じで、どんどん炎上したんだね。
炎上しちゃって、フィヒテも当然それに対して言っちゃうんだよね。
自分の論文は正しいとか、他にも言ってる奴いるじゃんみたいな。
だからその意味では、さっきのストーリー、聞き上がって教授になったフィヒテさんではあるんだけれども、
結構そこに自負心だったりとか、ここに自分の居場所がないとまずいとかいろんなこともあっただろうから、
輝きの部分もあったらしいんだよね。
なるほど、だいぶ尖ってたね。
そうそうそう。それと当然、周囲の百神みたいなものとか、あいつどないやねんとかっていうのもあったりするじゃない。
っていうところ多分いろんなものがあって、そういった論文に対してフィヒテは無心論を唱えたんだっていうふうに言われてしまって。
最初はね、周囲の仲間とかもフィヒテさんそんなふうに言ったんじゃないとか、結構守ってくれてたんだけど、
あまりにもフィヒテさんがあまりにも俺の論文は間違ってないみたいな、そういう態度だから、
これはついてけないというか、ついてっちゃうと自分もフィヒテを擁護するってことは、お前も無心論者かみたいになっちゃって。
そうだね、守りきれないというか、構えきれないか。
いや、そうなんだよね。当時、無心論者と言われるっていうことは、本当に学者当時の死刑戦国みたいな。
一般生活も怖そうだよね。
怖いと思う。周囲からもいろいろ言われるし。
学者で言うと、自分の論文を出すときに、無心論を広められるって思ったら、それが出せないわけだよね。
っていうことは、自分の研究を発表できないとか、発表してもそれが広まらないってことだから。
あるいは授業とかしても、こいつ無心論を広めてるんじゃないかって思われたら、その瞬間に閉じられちゃうわけで。
そういう意味で、大学っていう場合の活動が本当にできなくなっちゃうっていうことなんだよね。
それも分かってたとは思うんだけども、ピーチさんとしては自分の学問に忠実に、良くも悪くもなっていたと。
自分の正しさというか、これが真理なのだっていう感じだから。
とは言えなくなっちゃって、家田大学っていうところを追放されて、別のところに行くんだけれども。
やっぱり彼からすると、だいぶショッキングな出来事だし。
かつ、結構偏狭の方に行ったらしいんだけれども、そこでも、無心論を説いたピーチさんだみたいな感じで、結構悪名がとどろいてて。
哲学的探求と復活
そんな有名人になってたんだ。
有名人っていうか、それは大炎上によって悪い噂が広場にまくってたみたいな。
そうです。大炎上だよね、現代でいう。
X炎上しちゃって、律学っていう領域で炎上すると思ったら、全然知らない業界の人にも知られちゃってましたみたいな。そんな感じ?
バンバンネット上だけじゃなくて、ネスメディアでもガンガン。
そう、叩かれてますね。
だからあれでもね、当初のフィヒテの行跡というか、出した論文のすごさだったりとか。
知らないそうまでも、その炎上のことをみんな知ってるみたいな。
そうですそうです。
かわいそうというか、結局自分で油を注いでたんだろうから。
すごい状況だね、でも。
逆に言うと、哲学的な論理に基づいて、神とは何かって語ることの力強さもあって。
神はいるんだとかいないんだとかっていうことじゃなくて、ちゃんとそれまでの哲学的な流れを踏まえて書いちゃったもんだから。
逆にあれは前つばだとか、よくわからん儲言だとも言えずに。
馬鹿に責めるだけじゃ済まない。
そうそう。読む人が読むと一定のロジックが通ってるからこそ、一定の設定力があったんだと思うんだよね。
そうだよね。じゃないとそこまで潰しにかからないというか。
そうそうそう。
そういうところがあるんで、それはやっぱり学部門の才能とは哲学の力があったがゆえにそこまでダイモードになっちゃったみたいな感じだったんですよね。
一応映った先で、一応もう一回ちゃんと反省もした上で、ちゃんともう一回学部門やります、哲学やりますって言って、自分の哲学っていうものは深めていって。
晩年としては結構穏やかなというか、最後ベルリンのほうにいたらしいんですけれども、ベルリンで大学の教授になって、
その後にベルリン大学っていうのはその後に出来上がるらしいんだけども、ここは初代学長にもなってるんだよね。
え、そうなんだ。そっちには戻ってるんだ、学部門のほうに。
そう。やっぱりちゃんとそこで帰り咲いて。当時でいうと、今はドイツっていう国だけども、イェーナ大学があったところとベルリンがあったところが、いわゆる支配者層が違うというか、法廷がちょっと違う。
はいはいはいはい。
というところで、一応その権力の圏外にいたからこそ、ちょっともう一回立ち直れたみたいな、そういうふうな感じだったらしいんだよね。
なるほどなるほど。
うんうん。だから、そういう意味ではちゃんと自分の立場ももう一回理解して、やりすぎちゃったなっていうところを踏まえた上で、もう一回ちゃんと整理的に学部門に戻るみたいな。
ちょっと丸くなったのかな。
そうだね。さすがにやりすぎちゃったなってのもあったんじゃないかな。
はいはいはい。
っていうのもあるし、純粋には実際に宿害というか、追放されてるわけだからね。
命が危ないもんね、そもそもね。
そうそうそう。純粋にね。
尖りすぎるとね。
そうそうそう。
というふうに話してもらって、もう一回ちゃんと学部門の道に戻りますよと。
っていうところでもあったし、時代背景で言うとね、この時代っていわゆる世の中的にはフランス革命が起きてる時代なんですよ。
あーそっかそっか、1700の後半か。
そうですそうです。
だからロックとかバークリー、ヒュームってやった時にはイギリスの方の話だと思うんですけれども、そこの精神が大海にも受け継がれてフランス革命とか、
そこに行き着いていくっていうふうな時代背景なので、ドイツからすると、いわゆる隣の国で革命が起きてますみたいな話だよね。
わーそうだよね。確かに確かに。1789か、フランス革命ね。
そうそうそう。そうです。
フィヒテの思想の背景
そういうところもあるので、やっぱり世の中的にも自由とか、市民がどうだとかっていうところがある中で、フィフティもそっちにもどんどん共感していく感じなんだよね。
なので結構そういったフランス革命についてのことを書いたりとか、ドイツ国民に次ぐっていう、まさにそういった演説があるんだけれども、
こういったように、いわゆるナショナリズムを引き立てるというか、そういった形で国家の自由とか民族の独立とかっていうものをどんどん解いていくような、
結構先方派みたいな感じの思想を持ってるような人だったみたいなんですよね。
へー、なるほど。
今から思うと悪い面でいうと、いわゆる反ユダヤというか、ユダヤ人というものとドイツというものを考えたときに、やっぱりユダヤ人から身を守らねばならぬみたいな、結構そういうふうな思想もあったみたいで。
へー、はいはいはい。
今から考えると、ちょっとやっぱりナショナリズムに傾倒しすぎてる感じはあるんだけれども、当時のフランス革命があってドイツもそういうふうな国を変えていかねばならぬみたいな。
時代においてはやっぱりそれを前に進めようとした。自分がちゃんと思想的にもリードしていくんだっていうふうな、そういうふうな話があったみたいなんですよね。
へー、なるほど。あるいは人権だったりとかね、国民じゃないか、人一人一人がどうすべきかみたいなところの一番、ある意味最初の部分だもんね、フランス革命が。
そうそうそう、そうなんですよね。時代的にも、すごい、彼の思想とか劣悪が生きるというか、力強さがやっぱり国を、まさに国というか民衆を盛り上げてしまう。
なるほど。まあそうだよね、早藤さっき言ってたけども、確かにお隣、近くのフランスは、そうやってなんかめちゃくちゃすごいことが起こってるぞっていう横のドイツでは、さっき言ったとおり諸行が乱立して、全然なんか雰囲気違うんだけどみたいなね。
その感覚の違いは、なんか近いからこそ先列だっただろうねっていうのはありそうだよね。
そうなんです。というところもあるし、これはちょっとそのね、経歴というか人柄的なところをエピソード的に話したんだけれども、その思想的な部分ね、これは次回以降ちゃんとお伝えしていくんですけれども。
カントの理性の探求
やっぱり冒頭ごととお察しとおり、フィヒテさんはすごい物事の根本と根源を追求したりできる人なんですよ。
はいはいはい。
これどういうことかっていうと、ちょっと関東の話になるんだけれども、関東が何をやったかっていろいろあったと思うんですけれども、キーワード的に言うとコペルニクス的展開っていうのがあったじゃないですか。
もうね、言葉を覚えてるけど何を展開させたっけっていう。
そうですよね。何をって言うと、要はイギリスの経験論とかあったときに、外からいろんなものを僕らは取り込みます。
要は石を見たら、石っていうものが入り込んできて、石っていうものを経験するとかさ、見たとかってなるよっていう話はあったんだけれども、
そこに対して関東っていうのは、ただ入ってきたものを受け取ってるだけじゃなくて、受け取る仕組みというか、そういった構造みたいなものは人間の側にありますよねと。
はいはいはいはい。
それが人間の理性としてあって、その構造、それこそ空間とか時間とか、そういうものはもともと人間の中にあって、その中に外のものが入ってくるっていう形に、僕らは世界でも捉えてますよねっていう、
経験論と関連論を統合したみたいなさ。
そこか、そこでコペルニクス的展開で、あと関東だっけ、アプリオリとかアポステリオリは関東?
関東です、関東です。
その辺のキーワードから思い出していかないとね、なるほどなるほど。
そうなんだよね、そうそうそう。
そういうのを純粋理性みたいなことで言って、純粋理性というもので、人間はその物事をどう理解してるのかとか。
捉えるからね、そもそも。
捉えるためにもその枠組みとか構造とか、人間の側にあって、その形式を通じて物事っていうのを理解してる、自然を捉えてる、世の中を捉えてるっていうことを言ってたんだよね。
じわっと思い出してきた気がする。
じわっとね、そうそう。
そういう純粋理性もありながら、もう一方で実践理性っていうのがあって、これちゃんと道徳の話。
カントは嘘をつくなみたいなものがあるとすると、友達が殺されされてるような場面でも嘘をついてダメだみたいな、そういう風に話をしたと思うんですけど、覚えてるかな。
それもカントだっけか。
そう、あれもカントです。
殺人犯が家に来た時に友達はいないと言っていいのかどうかみたいな話になったよね。
そうそうそう、それです。
カントの道徳理性、あれがカントの実践理性ですね。
カント的にはそれって嘘をついちゃダメなんだっけか。
そうそうダメ。嘘をつくな、つくべからずっていうところに従ってるのが自分の道徳だとすると、どんな時でもそれは嘘をついちゃダメって話だね。
もう自分で決めるんだっけか、その辺も。
そうそうそう、自分で決められるのが理性的な人間というかね。
でもそれって無理だよねとか、ちょっと僕らの想像する人間とは違うかもねとかっていう風な話をしたね、当時。
あれそれに名前あったっけな、そのような状態に。キーワードから思い出していかないと。
例えばカントの道徳って定言明法っていう概念から話していくんだけれども、
自分の行ったことの原理が全てにとって同じように全ての人に当てはまるか、考えなさいってやつだね。
そうだそうだそうだ。
そうそう、だからさっきの嘘をつくみたいな話も、要は自分の都合のいいように言ってよいって仮にすると、
それで他の人も同じルールに従っていいの嫌だよね。だから都合のいい時に都合のいいことを言ってやめましょうっていう風な、そういう風な発想だよね。
はいはいはい、そうだそうだ。かなり定言明法を作るのって、実は無理じゃないとか超難しくないみたいな感覚があったりするね。
そうですそうです。
で、これ結構フィクションにもつながるんだけれども、カントのときに少し話したのが、今まで言った純粋理性とか実践理性とか分けて考えていくんですけれども、
その中では自由っていうのを扱うのはすごく難しいって話をしたんだよね。
ほうほうほう。
どういうことかっていうと、例えば仮に僕が自由に自動販売機でリンゴジュースを買いました。
これは自分の自由な行動ですか意思ですかって言ったときに、それって正直認識できないというか、分かんないじゃないですかと。
ほいほいほいほい。
でもその実践理性に基づいて、ルールを立てる自由とかそれに従う自由、まあ従うのは結構義務でもあるんだけど、ルールを作る自由かっていうのが人間にはあるよねと。
だから例えば、これは少し違う例だけど、自動販売機で自分は飲みたいときに、今一番自分が飲みたいと考えるジュースを飲むことが自分にとっては正しい行為であるっていうふうな、そういう道徳を立てれますと。
本当はね、例えば甘いものばっかり飲むとダメだからとかっていろんなことあるんだけれども、仮に今自分が飲みたいものを飲むのが自分の道徳法則だと立てたとしたときに、立てる自由があるよねと。
っていうところで、本当はその実践理性だけだとただ構造と認識っていうもので説明されちゃう世界っていうものにちゃんと人間の自由とか、人間の独自の行動とかそういうものがあるっていうふうな、そういうことを考えていたわけなんですよね。
なんとなく思い出してきたかな。
うん、なんとなくね。
言ったときに、そういった形で実践理性とか純粋理性がありますよとか、その中に判断力とか美とか、あるいは神の崇高さとかそういうのを認識するのも、またそういう判断力って違うものがありますとかっていうふうに言ってたと思うんだよね。
なんかあった気がする。
あとは純粋理性のときだけれども、そういうふうにいろいろ考えていくと、結局世の中には人間が認識できないものがあるじゃないかと。だからもの自体みたいな話ね。
フィヒテの挑戦とバランス
逆に人間の理性の限界だったりとか、そこに繊維をちゃんと引いたっていうのが、なんとなったことですよっていう話をしたと思うんですよ。
っていうところをバーって今ずっと言ったんだけれども、生きてさんはそういうことをもちろんちゃんと勉強していくんだよね。
はいはいはい。
で、実際カントリーもあって、ちゃんとわかってるじゃんって言われるぐらいに理解はしていくんだけれども、そこで留まれないんですよ。
あー、はいはいはい。
何かっていうと、例えばさっき言ったもの自体ってあるじゃんと。人間が理解できないもの、人間が知ることができないものがあるよっていうふうに書いているんだけれども、それで本当にいいの?
要はもの自体なんて中途半端じゃんって思っちゃうんだよね。認識できるものがあるって言われても困るってなるし、
純粋理性とか実践理性とか判断力っていうふうに、人間の持つ能力を3つぐらいに分けてるんだけど、なんで3つなんだよって思っちゃうわけね。
はいはいはい。
1つにしたいじゃんって思っちゃうわけよ。
うわー、1つにしたいんだ。
そうそうそう。
っていうのが、冒頭言った逆しら、まさにその3つに分かれている中の根源とか、それを1つに統合できないかっていうことを考えちゃうんだよね。
なるほど。まあそうだよね。まだ十分じゃないとか、これをさらに説明する1つの公式があるはずだって思っちゃうってことだね。
そうそうそう。思ってしまう。
ところで、彼はいってそれを突き詰められちゃった人なんですよね。
うわー、突き詰められたんだ。できたんだ。
そうなんですよ。
たぶんね、3ヶ月くらいちゃんとやったときには、カントすごいわ、これなかなか突き潰さないわって話を当時僕の意見もしたと思うんだけれども、
石井さんはそれをやろうとして1個突き抜けるんですよね。
それがやっぱり、めちゃめちゃ良くも悪くも偏ってるんだよね、僕の感覚からすると。
あ、偏ってるんだ。
偏っちゃう。逆に言うとね、カントはバランスある種取れてしまう。
要は、純粋理性と実践理性って別のものがあって、それはちゃんとうまく働いてるんだよっていうか、それはやっぱり世界観なんだよね。
結構バランサーではあるんだけど、ある種そのバランスを取れてるか故に、
それをある種見たフィフテさんからすると、もう足りない。じゃあもっと突き抜けてやろうとか、もっとどっかさせてやろうっていうふうな、そういうふうな発想にもなっていくんだよね。
みたいな感じでね、思想的にはそういうふうなカントを土台にして、よりそれを踏まえて研ぎ澄ませていくというか、
問わらせていくという感じもあるんで、さっきのストーリー、フィフテさんすごい優秀だけど、ちょっと敵も多かったというか、結構そういう頑固なところもあったよっていうのは、
やっぱりそういう必須っていうのも、これはあんまり言うことじゃないけど、やっぱり現れてるんじゃないかというか、
フィヒテの哲学の探求
このことを本当に研ぎ澄ませていくとか、これだとどこに突き進んでいくみたいな、結構そういう部分あったんじゃないかなとは思うんだよね。
だから、なんだろうね、そのグレーな部分がないというかね。
そうだね。
白黒みたいな。
本人の中では、そうそうそう、白に突き進んじゃう。
自分でわかってる、白なんだこれはって、わかっちゃう。
そうそうそうそう。
伝えられちゃうみたいなね、かけちゃう。
そうなんです。
他の人からすると、え、黒じゃねえそれみたいな思い出が出ちゃうみたいな。
実はこれ面白いんだけど、その白か黒かとか、
自分は白を突き進んでるけど、どうしても黒が生まれちゃうっていうのは、実はフィヒテの哲学の根幹でもあるんですよ。
そうなんだ、ほうほうほう。
これね、次回言うときに、自我と非我とかって言葉になるんだけど、自我っていわゆる自分の我、自分の我での自我ね。
で、非我っていうのは我にあらずっていうふうなものなんだけど、これが実はフィヒテのかなり哲学の根本にあるんですよ。
へえ、そうなんだ、ほうほうほう。
そういうのもあるんで、ちょっとまさに今ニッケルが言った、白と黒みたいな話っていうのは本当にあるんで、
ちょっとね、次回以降そこを理解していく上で、フィヒテの哲学っていうものを理解していきたいし、
それがどうカントと繋がるのかとか、フィヒテ以降のシェリング平原に繋がるのかっていうところも見ながらですね、
今回フィヒテ編っていうものを楽しんでいこうと思っておりますっていうふうな感じですね。
はいはい、わかりました。こんな尖った人がね、一体何を考えたのかってね。
しかもね、カントの後をね、引き継いで、どうなってくるのか気になるところですけど。
じゃあ次回ですね、フィヒテの中身ハイテクというところで楽しんでいきたいと思います。
では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。