1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #301 日本とは何か?に向き合..
2025-03-19 34:52

#301 日本とは何か?に向き合った哲学者、和辻哲郎の生涯

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



▼「それ哲公園」サイトはこちら!

https://www.soretetsu.com/



▼おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

サマリー

今回のエピソードでは、日本の哲学者和辻哲郎の生涯と思想を探求し、特に彼が提唱する「フード」という概念が日本の文化や環境に与える影響を考察します。また、和辻が外部から日本をどう見つめ直し、当時の倫理観や道徳的視点をどのように形成したのかについても議論します。和辻哲郎は、哲学と倫理学を通じて日本人のアイデンティティを追求し、ニーチェやハイデッカーの影響を受けながらも、西洋の個人主義に対して日本的な社会的感覚を重視しています。最晩年には日本文化への関心を深め、多くの著作を残しています。和辻哲郎は、哲学と社会の関係を深く探求し、日本の文化や倫理に対する考え方を成熟させた人物です。彼の思想は、個人の経験や価値観を重視し、戦中の厳しい状況下でもまっすぐに良いものを見極める姿勢を持っています。

和辻哲郎の紹介
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野京介です。
弟の早人です。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
さあ、今回も日本の哲学者ということで、和辻哲郎さんでよかったでしょうか?
そうですね、はい。
一応ね、この西田さん、久喜さんと来て、今回は和辻さんで一旦日本の哲学者編というのは最後にしようかなと思っているんですけど、
和辻さん、この人もいつも聞いちゃうけど、何か名前とかって何か言ったことあります?っていう確認からですね。
ないね。
ないか、和辻さん、ないか。
なんかですね、僕の中では和辻といえばフードだろうみたいな、そんな感覚があるんですけど、
多分そういう感覚がない人も多いし、そもそもそんな繋がりないよっていう感じだと思うんですよね。
フードか、なんかあれ、マクドナルドを日本に持ってきた人みたいな、フードの人ね。
それは藤田玲音さんだと思います、マクドナルドは。
そうだね、藤田さん。
フードは風と土のやつですね。
フード、ああ、はいはいはい。
あんまり馴染みのない言葉かもね、そもそもフードみたいな。
民族修行館に行ってみたいな、そういうイメージでしょ、フード。
確かに確かに。環境とかフードみたいな話なんですけど、そもそも和辻さんって哲学者でもあり倫理学者でもあり、文学者はちょっとだから、でもそういう作品を残した人でもありみたいな感じで、
いろんな活躍されてる方なんですよね。
いわゆる世界とはみたいな哲学者とはまたちょっと違うかもしれないんですけど、
独自な視点で、特に日本ですよね、フードってまさに環境的なものなんですけど、日本っていうものは改めて捉え直すというか、そういうことをした人なんですよね。
もっと言うと、例えばフードとかって話で言うと、住んでるところの環境とかで性格が変わるとかってよく言われたりするじゃないですか。
大きい話で言うと、寒い雪国とかに住んでるとちょっと静かなとか落ち着いた人になりがちで、南国とか一年中あったかいとかにいると陽気な人になるみたいな。
いわゆる民族性みたいなのってあると思うんだけど、それもじゃあなんでそうなるのとか、なんで僕らはそれを当たり前に受け入れてるのって考えると、絶対に源流があるはずなんですよね。
そうなんだ。経験則だけじゃなくてね。
そうそうそう、経験則だけじゃなくて。
まさにこの和杉さんのフードみたいな話って、そういう土地とか環境で人間っていうものがある種ちょっとパターン化できるよねとか、その土地とかの影響が人間に及ぶときに、
人間の中でこういう性格がこういう在り方になるよねみたいな、そういうことのかなり源流チックな話なんですよ。
そうなんだ。逆に言うとそういう話って、なんとなくの経験則みたいな話でしかなかったのか。
そうそうそう。そもそもね、やっぱり19世紀とか20世紀みたいな話になると、やっとそこで国際化というか、いろんな人が真白になったとか、日本人がやっと海外に触れるようになったっていうのもあるから、
そこに対してそういうグローバルな観点からちゃんと整理していったみたいな、やっぱり走りの人なんだよね。
なるほど、はいはいはい。
なので結構ね、僕らは常識に入り込んでる話が、実はこういう和杉さんとかそういう人が考えたことからきてるよみたいなのもあったりするんで、
そういう観点で一緒にこういう人も学びたいなって思ったんですよね。
思想の発展
で、実際にやっぱり前回、柿さんと例えると思うんですけど、この生きの構造ってあったじゃないですか。
うん。
で、この生きの構造をやろうってなったきっかけの一部にこの和杉さんがいたみたいな話もなんかあったらしくて。
うんうんうん。
で、これちょっとまた遡るんだけどさ、この歴知ってるかな。
モノの哀れみたいなさ、もとおりのりながらさんっていう名前って聞いたことある?
うーん、まああの名前はみたいな。
うん。
多分この人江戸時代の人かな、の国学者で、そういう日本の心というか哀れみたいなものを取り上げたよっていうのがもとおりさんなんだけど、
このもとおりさんの人を再発見するというか、そこにまた暗点を立てたのがこの和杉さんなんだよね。
へー、あーそうなんだ。
もとおりのりなが自体がめっちゃ有名人でもあったかもしれないけど、
うんうんうん。
そのさらにもう一回掘り起こしたのが和杉さんだよね。
そうそうそう。そうです。
うーん。
だからあんまり多分当時でいくとそんなに重要視されてなかったというか、
はいはいはい。
そういう存在だったのに、このものを哀れっていうところに焦点を当てて、
まあある種こうなんだろうな、ものを語っていくことによって、
あ、もとおりさんもすごいねとか、もう一回ちゃんと見なきゃっていう風になっていくみたいな、
おー。
そういう風な視点の強さがあって、
で、そういった日本の独自の思想とか感覚に目を向けるっていうことを和杉さんがそこで学んで、
息の構造にたどり着いたみたいな。
へー、あ、そうなんだ。
うんうん。
まあその直線的ではないかもしれないけれども、そういう風にやっぱり影響を与えあってたよねっていう風な話があるんだよね。
へー、あーじゃあまあ、なんかフードっていうキーワードを聞いたときに、
うん。
なんか西田さん、福木さんの流れから言うと別になんか無理してやんなくていいんじゃないって思ったんだけど、
あーなるほどね。
地味だなって思ったんだけど、
やっぱりその、この3人に共通するのは、やっぱりその日本がある程度こうなんだろうな、世界に放たれてというか、
うん。
グローバルな中に組み込まれていくときに、
うん。
改めてその、なんだろうな、日本を外から見る視点だったりとか、自分たちって何者なんだっけみたいな、
うん。
それを含めた感覚だよね。
そういうのもオリジナルの人たちみたいなとこではあるんだね。
その通りその通りです。
はーはーはーはー。
で、後で触れるんだけど、この人最終的に東京帝国大学の倫理学の教授をやってるんだよね。
ほうほうほう。
で、当時の帝国大学って戦争してる中での東京大学、東京帝国大学なので、
うん。
やっぱりこう、日本人はどうあるべきかとか、やっぱり日本人としてどうなんだろうな、生きるべき、過ごすべきみたいな、結構道徳的な話とかもやっぱりやってたらしいんですよ。
へー、そうなんだ。ほうほうほう。
だからこそやっぱりその、日本ってものを捉えざるを得ないとか、そこに対して良くも悪くは発信せざるを得ないという立場の方だったみたいなんだよね。
あー、なるほどだし、さっき日本っていうものが世界に放たれたみたいな話したけれども、
うん。
世界でグローバルに組み込まれるみたいなさ、そもそも日本人が日本って何なのっていう、
あー、そうそうそう。
なんだろうな、まとまってないもんね。いわゆるナショナリズム的な話で言うと、全然そんなのないところで、
うん。
一気に世界が来たから、あれ日本ってなんだっけみたいな、外から、あれだよね、この時代よくあるあるかもしれないけどさ、他の国でも。
うんうんうん。
どこからどこまで日本だっけとか、日本ってなんだっけみたいな、
いや、ほんとにほんとに。
ね、京都は日本なのか、関東は日本なのか、いわゆる道の国というかさ、東北は岩手なんだっけ、北海道ってなんだっけみたいなさ、
そうね。
そこからだもんね、たぶん日本のそもそも。
そこで最低限ついてもそうだし、さっき日本、兄貴はさ、グローバルに踏み込まれるって言ったけど、
うん。
当時の日本人からして、やっぱりそういう株式社はないと思うんだよね。
うんうんうん。
うん。
なるほどね。
日本というものをどう世界の中に位置づけるかって話を考えたときに、
うん。
やっぱり論理的なとかね、いわゆる技術的な基盤をそこに与えようとか、
うんうんうん。
和辻の影響
そういう発想を作っていこうとかっていうのが、たぶん自分の使命感的な意味でもあったんだと思うんだよね。
はいはいはい。
うん。
このワッチリさんっていう人は、ちょっとまた経歴とかも話してくるんですけれども、
うん。
やっぱり西田さん、結構西田さんとも実は交流があって、西田さんに招かれて教材の助教授とかもやってたりするんだよね。
ああ、そうなんだ。じゃあもう直でみんな知り合いというか、そういう感じなんだね、時代的に。
そうそうそうそう。
うん。
関わり合ってる人たちなので、
うん。
そういう意味でも、ちょっとこの3人目に取り上げて、日本編を締めくるようにちょうどいいんじゃないかというか、
うんうんうん。
やってみたいなと思って、今回お伝えしますよっていうふうな感じになっておりますよ。
うん。はいはいはい。
えー、面白いね。
はい。で、今回は第1回なので、いつも通り人物像とかってやっていくんですけれども、
うん。
松井さんが生まれたのは1889年ですね。で、兵庫県の今でいう姫路市に生まれましたと。
うんうん。
でね、生まれたお父さんがお医者さんだったらしいんだけど、
うん。
お医者さんの家に生まれたっていうとさ、結構裕福なイメージじゃない?
うんうんうん。
でも実際そうじゃなくて、かなり失踪な生活をしたらしいんだよね。
へー、はいはい。
うん。で、これもちょっとなんかね、いろいろと思えば結構裕福だったかって話もあって、
なんかどっちやねんって思ったりもちゃうんだけど、
うん。
失踪側でいくと、お父さんがお医者さんではあったんだけれども、
医者として稼ぐこととかじゃなくて、救うことを目的にしてたんですって話があって、
うんうんうん。
それこそやっぱお仕事なんで報酬ってのは受け取るんだけれども、
それこそ例えば急病人が出たとか、誰もお医者さんが、当時なんてさ、やっぱ今よりも医者さん少ないから、
うんうんうん。
で、近くにいないとかっていうときに、それこそ夜中だろうが嵐だろうが、
まあ行ってやっぱそれこそ看病してやれみたいなね、あの宮沢賢治ないけど、
うんうんうん。
っていう話もあるし、まあ相手が貧乏人でもそれも関係ないし、
どんな遠くの人でも全然自分でお金をかけて行って治しちゃうみたいな、
うんうんうん。
そういうことをされた方らしいんだよね。
おお、なるほど。
うん。だからまあ、そういうことはやっぱほんとにすごいことだし、
実際はわついさん自身も、やっぱりそのね、そういうお父さんを見ていて、
年が経てば経つほど、自分も大きくなればなるほど、
実はお父さんに対する尊敬の念が高まっていったんだみたいな、
やっぱそういうことを言ってるらしいんだけれども。
ああ、なるほど。あのヒルルクとチョッパーみたいな感じかな。
ハハハハ。チューターワンピースっていうかね。
突然のワンピースね。
突然の。
ハハハ。
まあでもあるかも。まあね、あのヒルルクはちょっと破り者って言われてましたけども、
ハハハハハ。
でもやっぱそういう救うね、人を救うんだみたいなさ。
行っちゃうね、救いに行っちゃうみたいなね。
そう。というふうな感じですよと。
だから逆に言うと、やっぱり子供からすると家にいないお父さんとか、
本当に疾走で派手なものは何もない、そういうふうな状況だったらしいんですよね。
うんうん。
で、実は家だとかってことじゃなく、その中で粛々と育っていくんですけれども、
最初は結構、いわゆる当時ヨーロッパとかから入ってきた文学とかにめちゃめちゃ関心が高くて、
哲学との出会い
そういう道に進もうと、いわゆる文学家とかに進もうと思ったらしいんですよね。
へー。はいはいはい。
なんだけれども、高校の時、当時の一校に入るんですけど、
そこでいろんな友人とかとの出会いとか手伝いとかに興味を持ち始めて、
そのまま東京抵抗大学の哲学に入りますと。だから優秀だよね。
こういう人たちはさらっとそういうとこ入ってるけど、優秀だしね。
そう、優秀だし。またやっぱりいろんな繋がりもあったんだろうね。
お父さんが医者みたいなこともあって。
で、この時は本当にあつりさんは哲学の人、ザ・哲学みたいな感じで、
最初に書いた本もニーチェ研究っていう、まさにニーチェに関する本なんだけど、
これが日本で初めてニーチェについてまとまって紹介した本だっていうふうに言われてるんですよね。
へー、そうなんだ。
今でもニーチェの本っていっぱいあるんだけど、それの走りをやってますっていうぐらい、
当時は先進的な、海外で哲学を受け入れて日本で発表された人だったんだよね。
そこは結構順調に東洋大学とか法政大学とかの教授をやって、
さっき言った1925年、年齢的には30歳ちょっとぐらいか。
そうなんだ、35、36かな。
35、36くらいかな。で、京都大学の助教授になりました。
この時に倫理学になってるんだよね。
へー、そうなんだ。
哲学から倫理学になっていくんだけど、倫理って言っても、いわゆるアリストテレスとかも、
ニコマコス倫理学とかって書いてるじゃないですか。
っていうふうな、まさに西洋の哲学的な伝統の中での倫理学っていうものを研究して教えてたんですね。
へー、なるほどだけど、ニコマコス倫理学が何なのかは知らないけどね。
そっか。
中身は知らないけど。
有名な言葉ってあるじゃないですか、よく生きるみたいな。
良さっていう時に、人は幸福を求めるんだというか、幸福を最大化することが良さなんだみたいな話ってあると思うんですけど、
そういうことを個人の生きる指針として、哲学的にロジックだと書いてるみたいな本でもあるんだよね。
ニコマコス倫理学っていうのが。
そういう意味でいうと、西洋の倫理学ってどっちかっていうと個人がどう生きるかとか、
一人の人間としてもどう生きるかっていうことについて教えてるような人でしたよ、という感じなんだよね。
ほかは、女教授やってたんだけど、その2年後、1927年に海外に留学するんですよ、松井さんも。
へー、そうだ。
やっぱり当時海外に行くってすごく大きな、福木さんもそうだけど、きっかけだったんだと思うんですが、
ここからドイツに留学に行きまして、1年半というふうな短い期間ではあったんですけど、
ドイツだけじゃなくてフランスとかイタリアとかイギリス、いろんな国を見て回ってるんですよね。
ここでも出てくるんかいって話なんですけど、やっぱり松井さんはハイデッカーですね。
ハイデッカーとの出会いが結構大きく人生が変わったっていうふうに言われてるんですけど、
出会いもちゃんとわかりきれなかったんですけど、ドイツで当時、いわゆる出版されていたハイデッカーの存在と時間っていうのがあって、それを読んだっていう話なんだけど、
実際ハイデッカーって話したのかどうかちょっとわからなかったんですよね。
あー、なるほど。あれだよね、この前の福木さんは話してたよね。
そうそう、福木さんは直接やり取りしてた。
松井さんはわかんない。
わかんないけど、ドイツでその本を読んでめっちゃ感銘を受けたっていうのは間違いないらしいんだよね。
ただやっぱ松井さんの面白いのは、感銘を受けるんだけど、やっぱりちょっと違和感がありますよね、と。なんか批判したくなっちゃったらしいんだよね。
へー、そうなの。
これまた次回以降でちゃんとお伝えしていくんですけれども、さっきお伝えした通り、西洋の倫理や価値観ってどうしても個人なんだよね。
あー、なるほどね。この時代は特にみてるよね。
そうそう、特に。子がどう生きるかとか、一人の人間がどうあるかっていう話なんだけど、やっぱり松井さんにとって私、もしかしたら日本人の感覚でもあるかもしれないけれども、
個人でもありつつ社会的なものだよねとか、やっぱり一人の人間でありつつ家族の一員だよねみたいな、そことか切っても切り離せないっていうふうな発想があるわけなんだよね。
まあ、だろうね。個人主義的な感覚持ってる人の方が少なそうだよね。
特に当時。
で、それだけの感覚になっちゃうんだけれども、と思ったら存在と時間って、ハイライト学会だいぶ前だったので覚えてない方が多いと思うんですけど、ある種時間っていうものの中で、人というか存在がどうあるかっていうふうな話、考えていくんだけど、
やっぱりそこに対して、松井さん、いわゆる空間的なもの、それがまさにフードだったりとか、ある種社会とか家族とかでもそう思うんだけれども、空間っていうのはすごく大事だよねっていうふうなことを考えていたらしいんですよね。
だからやっぱり、現実世界に寄り添うというか、繋げたくなっちゃうというか、そういう感じなんだよね。
その意味ではね、久喜さんとか西田さんと近い感じ、ママの哲学というか、自分たちが生きているこの感覚から来る哲学。
そういうのをやってた方なんだろうなとは思うんだけれども、こういったハイテクを読んで感無を受けていくところと、でもそうじゃないんじゃないかとか、自分は空間とか社会とか、そっちも考えたいみたいな、
そういうところから、それ以降、30代以降、40代以降の松井さんのお仕事に繋がっていくんですよね。
日本文化の探求
1年半で、お父さんが亡くなったとかいろいろあったらしいんですけど、日本に帰ってきて、そこから教材学で教授になって、
さらに東京大学に移って、そこで14年ぐらいかな、定年まで理理学の教授として第一線で活躍されてましたよと。
というふうな社会人生研究生活かなっていう感じなんだけど、さっきまでお伝えしたとおり、折り紙も時代は第二次世界大戦なんですよ。
なのでやっぱり東京定力大学の理理学という中で、講義として国民道徳論みたいな講義を扱ったらしいんだけど、日本国民の道徳とは何ぞらみたいな話だよね。
さっきのとおりね、そもそも日本とは何ぞらみたいな話だからね、そもそもね。
そう。なっちゃうと、当時の日本でいうと、いわゆる天皇こそがすべてとか、お国のためにみたいなことをある種言わざるを得ないというか、
それをある種論理づけるようなお話になっちゃうみたいなんですよね。
はいはいはい。それはもう日本の世界大戦の1回2回目だね。
そうね。というふうな第二次世界大戦も始まってますみたいな感じなので、そうするとどうしても戦後があったときに、それはちょっと言い過ぎだったんじゃないかとか、
そういうふうな発言とか思想っていうのが日本を歪めたんじゃないかとか、そういうふうな悲観にやっぱりつだまっちゃうわけなんですよね。
うわー無理だよね。立場上ね。
そう立場上どうしてもね。だからやっぱりこれはね、難しいというかなんだろうな、哲学的にどうやっていうのがあるんだけれども、
そういうこともあってか知らずかあれなんですけど、晩年はその哲学ゴリゴリみたいなことよりは、結構文化。
日本の文化とか芸術とか、そういうふうなところに結構関心を寄せていって、
それは日本の伝統的ななんだろうな、まさに美しさとかもそうだよね。そういうものを取り上げて、本当に晩年までいろんな本を書いたりというか、発信をし続けた人ですよっていう感じなんですよね。
なるほど。
結構ね、これ面白いなと思ったのが、有名なというか、松井さんの本に面とペルサっていうものがあるんですよ。面ってお面の面ね。
面っていうのは、いわゆるお面で、ペルサっていうのはラテン語で面とかを意味しますみたいな話なんですけど、
ギリシャとかではね、仮面劇、仮面をつけて劇をするっていう、日本で言うといわゆる能面みたいなやつだよね。
っていうところをある種と比較しながら、お面が持つ意味とか、それによって何を表現しているのかとか、そういうことについて考え深めていくみたいな本とかもあるんですよね。
ある種、お面とかってありふれてるってありふれてるじゃないですか。
うん、そうだね。
日常的にもね、お祭り行ったらお面売ってますとかあると思うんだけど、そういうところからある種、哲学的な発想というか、着想を得て深めていくとか、ここにどんな意味があるのかみたいな。
そういうことを突き詰めていくっていうふうなことをやっぱりやり続けていった人なんだよね。
なるほど。まるかすごく密着してるよね。だからお面とかも、お祭りとかそういうところと比較するとすると、結構フードとかさ、そういうのにつながる気もするしね。
そういうのが作られてて、実際にもう代々行われているみたいなものをどう分析するかみたいな話だもんね。
歴史的にどういうふうに位置づけるかとか、どういうふうに意味を持たせるかっていう話だよね。
っていう意味で、やっぱりすごく幅広いお仕事をした人ですよ。71歳で1960年に亡くなりました。過去の一生涯なんですけど。
結構面白いというか、僕も調べてて初めて知ったんですけど、哲学者としては珍しいんだけれども、この方すごい愛妻家。奥さんのこと大好きで、めちゃめちゃ夫婦仲が良かったらしいんですよね。
で、やっぱり哲学者って規制が辛くてとかさ、結婚したけどまた別れちゃったりとか、そういう理想を伝えることが多かったと思うんですけど。
ソクラテスの奥さんみたいな。
みたいなのも含めて、そうそう。でもこのワツイさんは奥さん、テルさんって言ったらしいんだけど、めちゃめちゃ大好きみたいな感じで。
当時、さっき言ったように戦争中なので、徴兵の検査で数日間家を開けなきゃいけなかったんだって。
っていう時にも、そこで移動してる列車の中で手紙出した手紙は残ってて、
もし自分が昔の武士、戦国時代とかの武士みたいに戦わなきゃいけないってなって、いわゆる公やけとプライベートだよね、隠しっていうものが背き合う。
行きたくないけど、戦争行かなきゃみたいな。
だった時に、きっと自分だったら、軍師とか主人も捨てて、私だけの奥さんのところに寝ちゃうよね、みたいな。
そういうふうな手紙も残してるらしいんですよね。
はいはい。これあれだもんね、戦争に行くじゃなくて、検査のために数日間ちょっと留守にするよっていう時にこれを送ってるわけだから。
出張に行く時にLINEで愛してるとくるのと同じような感覚で、もうね、超ラブラブじゃん。
そのぐらいの手紙はたくさん残ってるんだ。
たくさんあるんだ。
そう、たくさんある。
残ってるのもまた本当っぽくていいね。ちゃんと奥さんが来てたんだろうね、ちゃんと。
そうね、ほんとそうそう。
あとやっぱりその哲学者っぽいのは、僕らも二人で一人だというか、やっぱり個人っていうものよりは二人で一つの人格だよみたいなことを言ってるらしくて。
これもさっきハイレッガーの本を読んで、個人じゃんみたいな、もっと社会とかあるじゃんとかっていうふうな話をしたと思うんですけど、
やっぱりお父さんとの関係性、やっぱり尊敬する父みたいな話もそうだし、愛すべき奥さん、テルさんっていうところの関係性も含めて、
やっぱりわずきさんの実感として、それをちゃんと言語化したいとか、そういうふうなところはやっぱり哲学とか自分のね、そういった仕事に落とし込みたいとか、そういうこともあったんじゃないかなと思うんだよね。
なるほど。確かに、いわゆる夫婦生活というかさ、奥さんと仲の良さもそうだけれども、あんまり家庭に闇を持ってないというか、ひねくれてなさそうだよね。
そうだね、それはあると思う。
確かに哲学者というか、物事でそういうところをちゃんと築く人って、悪く言えばひねくれてるというかさ。
そうだね。辛い経験とかもね、しがちなんだけど。
感覚が、今回の話だけだとないね。すごく妖の人というか、妖怪な感じがするね、なんかね。
和辻哲郎の人物像
そうね、まっすぐだろうと思うね。くきさんとかさ、結構前回冒頭お伝えしたけど、お父さんが海外に行ってる間に奥さんが部下と不倫してとかさ、そういう話したじゃないですか。
いい家の生まれだったけれども、いろいろお互いみたいなね。
そういう中で、まさにね、世の中の矛盾とかさ、気づくってあると思うんだけど、やっぱり辻さんは本当にまっすぐに、いいものをいいと捉えるとかなんだろうな、これが良いと思ったらそこを捉えてなるみたいな、そういうことをやった人みたいなんだよね。
はいはいはいはい。
妖怪っぽいかも、そういう意味では。
ある意味、引退した後も芸術が、自分のやりたいことを、まっすぐやってる感じがするね。
そうなんですよね。社会的にもね、成功であれだけ、いろんな地位とかにもついてましたみたいな人で。
よくその大学を辞めた後に、昭和天皇に対して世界史を教えるみたいな、そういうふうなことをやっていたりとか、あとは日本倫理学会っていうのを創設して会長になるよとか、
あとは文化勲章をもらうよとか、
そういう世の中的にも、ある種、ハイソサイティっていうのかな、そういう国からも功労が認められてる人みたいな感じではあるんだよね。
へー、なるほど。
だから純粋に、偉い人っていう感じなんですけど。
成功的な、ちゃんと社会的にまっすぐお仕事をした方みたいな、そんな感じですよね。
なんせ東大で教授14年間もやってる人ですからね。
そういうことも含めて、やっぱり今言った通り、現実の自分の生き方だよね。
生きている自分というところから哲学だったりとか、そういった思想を始めてる人だなって思うので。
それみたいに西田さんと福木さんとの違いとか、あるいは近さとか、そういうところも監視いただけるんじゃないかなっていうふうには思ってるんですよね。
いやー、どんな話をしてるんだろうね。だから、ある意味戦時中に道徳をさ、国の道徳を語る人ってさ、すごく責任重そうじゃん。
いやー、めちゃくちゃ重いと思うよ。
下手したらすごく思想が偏った人がやってもいいようなポジションだと思うんだけど。
今回の和辻さんの人隣っぽい感じを聞くと、やっぱりちゃんと哲学やってる方だから、その辺は変にどっかに偏ってるというよりは、ある程度フラットな感じ。
しかも奥さんにさ、戦争に行ったら敵を前にして逃亡して君のところに戻るよみたいなさ。国よりも君を選ぶよみたいな。
そういう個人的な感覚を持ってるみたいなさ、不思議なフラットさを感じるよね。
そうだね。だからフードみたいな話とかしたら、次回以降また話してくるんですけど、それも要は日本が最高で他の国はダメだとかってことじゃなくて。
東洋とかには東洋のこういうフードがあって、砂漠地帯なら砂漠地帯のこういうフードがあってみたいな感じで、あくまでもパターン的な取り上げ方なんだよね。
なるほど、そこは優勢というか。確かに時代的に言うと、日本のナショナリズムを強化するためにさ、日本人こそが優勢であるみたいな話をしてましたね。
そうそうそうそう。おかしくない。
だから、要は天皇すげえみたいな本があったときに、もしかしたらそっちを読んでいくと、やっぱり偏ったというか、そっちに強めるような意見とかもあるのかなと思うんだけど、
僕が読んでいる解説書とか、そういうものを見る限りでは、別にそういうめちゃめちゃ偏った人だとか、そういうふうな感覚ではないんだよね。
それが哲学者として長残ったりゆえんというかね。
そうね、それもあると思う。単純な思想家とかよりも哲学ってどこに土台を置いているのかなっていう感じがするよね。
なるほどなるほど。確かにハヤトの言う通り、哲学者としては異色というか、すごい哲学者と言われても真っ直ぐなというか、哲学者のイメージなんだよって話にはなっちゃうけど。
やっぱりどうしてもあると思うんだよね。そういう辛い経験をして乗り越えるみたいなことってあると思うんだけど。
はい、そんな感じでですね、和知恵さんやっていきますというときに、今言ったフードみたいな話もそうですし、
大きなキーワードとして、間から間、まさに間ね、間とか人間の間と、柄はいわゆる絵とかの柄だよね。
っていうふうな言葉があって、それを捉えると、和知恵さんの人間理解とか社会とかではどう捉えたかっていうのは結構わかりますよっていう感じなので、
そこを見ていくことで、和知恵さんの哲学思想をざっくり掴んでいきましょうというのを今回やりたいなと思っていることですね。
はいはい、わかりました。今回は和知恵さんの人となりみたいなところを見てきたということで、次回はより具体的な哲学の中身を見ていきたいというところで、
哲学的思想の探求
引き続き楽しんでいきたいと思います。では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
34:52

コメント

スクロール