1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #291 九鬼周造とは何者なのか..
2025-02-12 36:11

#291 九鬼周造とは何者なのか?人間そのものに寄り添った日本の哲学者

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の観音恭介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
今回も日本の哲学者ということで、九鬼周造さんという話でした。
そうですね。聞いたことありました?九鬼さんの名前とか。
いや〜、ないね。
それでいくと、いっぱい名前がちょこっとずつ増えてるんですよ。
運命をやった時かな。テーマで運命とか偶然とはみたいな話をした時があったと思うんですけど、
その時にね、まさにこの九鬼さんの偶然性の問題っていう本が結構有名で、
まさにこの偶然性というのを取り扱った哲学者だったりもするんですけど。
あー、ちょっと出てきてたんだ。
ちょこっとね、ちょこっと。
九鬼さんの話はそんなしてなかったんだけど、
いろいろ迷って、たぶん次とかは和辻哲郎さんとかやろうかなと思ってるんですけど、
前回も雑談の中でお伝えしたんですけど、
西田さんがどっちかっていうと、すごい抽象的な存在とはとか、実在そのものみたいな感じだと思うんですけど、
偶然とかね、あとは意気っていう、されてるよねとかっていう時にさ、意気だねとかって、
ちょっと古いこと私言ってんすると思うんですけど、
その意気っていうものの構造とはどんなものかみたいな、そういうものを一個の本として哲学書として出してるんだよね。
はいはいはいはい。
っていう意味では、やっぱりその抽象的な世界とはって、
よりこう、まさに自分たちが生きる世界というか、
現実の中においてテーマを見つける、それを哲学的に語るみたいなことをやってる人なので、
なんかね、そういうふうなところに面白みがあるんじゃないかなと思って、
この九鬼さんを今回選んでみましたよっていうふうな感じなんですけど。
うん、なるほど。より身近な感じはするね。
かなりね。
世界がどうとかより。
そうそうそう。で、後で時代的にも、西田さん、西田貴太郎さんとほぼ同年代っていうか、
すごい実はね、直接的に、同じ時期に兄弟で働いてるんですよ。
03:00
へー、そうなんだ。
そういうと、西田さんが兄弟で先生やった時に、九鬼さんが講師として入ってきて、
後で九鬼さんも教授になったよっていうふうな関係性があるんだけど、
なんかね、指定関係みたいなところが深かったかって、そんなこともなく、
逆になんだろう、謎なくらいお互いにあんまり触れてないというか、
交流はあったはずなんだけど、哲学的にお互いのことを語るとか、
引用するとかっていうのはなかったみたいな感じらしいんだよね。
はいはいはい、そうなんだ。
だから、その関係性、親しさ、親しいって書いてもあれば、
そうじゃないんだとかって、その辺はなかなかわかんないらしいんですけど、
いずれにしても、哲学っていうものは、ある種、日常的に僕ら取り巻くような現象とか事象、
でも手分かりにしつつ、それを哲学的にちゃんと解明していくよっていう風なスタイルなんですよね。
なので、結構前回兄貴が西田さんの話を聞いて、
なんかわかるって言ってくれたような感じで、
息とか偶然性とか、そういうことだったんだってわかるのか、
逆にわかりにくくなるのか、そういうところも楽しみながら、
一緒に学んでいっていただけると嬉しいなと思ってますっていう感じなんですよね。
はいはい。今のお話だけでも、西田さんと久喜さんと違うことやってそうだから、
そんなに哲学的な交流がなくても、そんな不思議ではなさそうだね。
そうね。でもその辺の関係も哲学的にはこんな感じですって思ったりするんで、
その辺も応用に触れていこうとは思っているんですけど、
まず初回のは、久喜さんのひと隣りというか、
そういうところをひも解いていこうかなと思うんですけど、
久喜さんって特徴的な名字じゃないですか。
そうだね、確かに。聞いたことないな。
漢字で言うと、九つの鬼で久喜さんっていう人なんですけど、
かっこいいね。
かっこいいでしょ。とっても名家の出身の方なんですよね。
祖先を辿っていくと、それこそ戦国武将みたいな感じで、
小田信長とか豊臣秀吉に仕えたすごい偉い武将さんみたいな、強い武将さんみたいな。
そこからが始まっていて、久喜さんのお父さんは明治時代の有名な官僚らしいんだよね。
それこそ福沢諭吉に学んで、慶應義塾大学に入って、
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そこで学んで異例のスピード出世して、最終的には断釈の釈義をもらいましたみたいな、
まさに普通にwikipediaとかでめちゃめちゃ書いてある人なんですよ。
断釈の釈義ってどこ?イギリス?
日本の釈義。
家族、いわゆる貴族階級的な感じで、その釈義をもらったよみたいな人なんですよね。
久喜さんは四男かな?として生まれたんで、
さぞかし豊かな暮らしでもしてたんでしょうと思いきやですね、
結構ハランバンズな生い立ちなんですよね。
だからそういう哲学に興味を持ったんだろうなって思っちゃうんだけど、
お母さんが八津さんっていう人らしいんですけど、
今で言う不倫なんだけど、八津さんがお父さんの部下と恋仲になっちゃうんですよ。
で、その時お父さんはアメリカかな?で仕事したんだけど、
日本の八津さんが久喜さんを産むぞっていう時に日本に帰ろうって言って、
部下の人にちょっと日本の生活よろしくって言ったら、
頼んだ部下の人と奥さんと八津さんが恋仲になっちゃって。
で、あちゃーってなって、両親別居ですみたいな。
で、久喜さんは結構生まれた直後ぐらいかな?母さんの母子家庭っていう感じで、
時々お父さんの家にも行くんだけどっていう状況だったらしいんだよね。
名家側がお父さんだよね。
母方の方で基本的役をしてたよねっていう。
今でもそういうことはシングルマザーとかシングルファザーってもあるかなとは思うんですけど、
当時言うとたぶん珍しいとかあんまりない環境なんだよね。
もしこの辺興味ある方は調べてみて欲しいんですけど、
恋仲になった部下の人っていうのが岡倉天心っていう人なんだけど、
この人もめちゃめちゃ有名人ですよ。教科書出るような人。
そうなんだ。
これ僕も知らなかったんだけど、久喜さんが10歳ぐらいの時かな?に、
岡倉さんがめちゃめちゃ地位の高い役職に就いた時に、それがスキャンダルになっちゃって。
新聞とかでハツさんと岡倉さんの恋愛模様とかがバレちゃうみたいな。
そんな有名人だったんだ。
そういう感じになっちゃって、結構ハツさん、お母さんは精神を病んじゃって、
その後長い入院生活を送りますみたいな。結構そんな感じだったらしいんだよね。
09:02
子供の久喜さんからすると、生まれはいいかもしれないけどお父さんいないし、
お母さん心病んで入院しちゃってるし。
岡倉さんという人も時々家に来てて、めちゃめちゃいい人なんだけど、
この人で自分の家庭壊れてるしなみたいな。
結構どう思っていいかわからないみたいな。
脱出だろうね、なるほどね。
日記というか体操みたいな中でも、やっぱり別に嫌いじゃない。
別にすごく尊敬したけど、やっぱり何とも言えない気持ちもあるしみたいな。
そりゃそうだよね。
っていうふうなことが残ってたんですよ、という感じなんだよね。
そんな感じで、久喜さん、修造さん自身とよりは家族のことが幼少期はクローズアップしたような感じなんですけど、
どんな子供だったのかとかいろいろ見てたんだけど、あんまり書いてないんだよね。
いわゆる学歴みたいな話をしてきたら超一流で、やっぱりお父さんの影響もあったと思うんですけど、
当時の国立の小学校みたいな、当時は官立かな。
小学校に入って、エスカレーターで中学校に行って、そのまま旧正一校というか今の東大教養学部に真っ直ぐ進んでいきますみたいな感じなんですよ。
ただ今は真っ直ぐって言ったんだけど、めっちゃ優秀だったかというとそうでもなくて、
試験の結果が悪くて落題だって留年したとかもあるらしいんですよ、高校の時に。
でもなんかこれ面白いのが、留年して1年下のクラスに行ったことで、その学年でめちゃめちゃ仲のいい友人ができるとか、
一生涯の友人と出会ったりとか、その繋がりが、さっき言ったような兄弟の講師として招かれたってさっき言ったと思うんだけど、
招いてくれた人がその時の同級生だったらしいんだよね。
へー、あ、そうなんだ。
あとその先生もいい先生に巡り会えて、それまでは官僚とかになろうと思った、外交官かな?になろうと思ったんだけど、
先生の影響の出会い、哲学の道をここを出すみたいなことがあって。
へー、そうなんだ。
この話題は取ってつけた感じだけど、偶然の出会いが人生を変えたというか、
そういうところがあったからこそ、そういう偶然ってすごいみたいなことも思ったのかなーみたいな。
これは完全に僕の想像だけどね。
12:02
こういうのでうまくはまる人に出会えたってことですよね。
あーそうそうそう。
ところがまる人生は転機でしょっていう感じの人でございます。
そこから高校卒業するんだけど、大学に入るのが21歳のときなんですよね。
入るのが。
入るのがそう。だから彼女も遅いんじゃないかな。
さっきの留年したとかもいろいろあると思うんだけど。
そこで東大に入って哲学を学ぶんですけど、
そこから大学院に行くんだけど、
そこから33歳のときに大学院を退学して、そこから留学しに行くんですよ。
大学院も12年間いたのかな。
長いね。だからそのまま就職というかしてるんだよね、たぶん。
大学院だからしてない。
してないんだ。
うん。だからお金はやっぱ厚すぎるかな。
なのでたぶんあんまりなさずに12年間大学院に続けて、そこから留学したんだけど8年間留学しますと。
だからこれも国が云々じゃなくてどっちかというと。
親の個人的な。
岡倉さんなのか。
当時8年間留学するって例がないぐらい仲があったらしくて。
しかもそのときにドイツフランスに行くんだけど、
そこで個人的にサルトルとかエッサール、ハイデッカ、まだラグジオでは取り上げてないんですけど、
ベルクソンっていうね、他の人も結構有名な哲学者なんだけど、そういう人と直接交流してるんですよね。
わー、だからその横の年代わかんないんだけど同年代なんだ。
そう、ちょっと上かな。
話してるんだね。
話してる。サルトルにフランス語かな?とか学んだりとか。
フッサールさんとかにも勉強しに行ったりとかってのを普通にしてて、所属グループでお付き合いがありましたみたいな。
結構そういう感じだったらしいんだよね。
8年間もいてね。
前回に取り上げたニシダさんは海外行ったことないですよっていう人だったんだけど、
このパッチさんは逆にも当時の最先端のヨーロッパの哲学を直接学んでるっていう人なんだよね。
なるほど、なるほど。
15:00
ある種、8年間留学してその後帰国してすぐに教大の講師になるんだけど、
逆に言うとそれまで別に大学で教えるとか、哲学で仕事をするとかって知らない人なんですよね。
ちょっと論文とか書いてるらしいんだけど。
でも逆にその経験だけで大学で講義ができるとか教えれるっていう話なんで、
まあそれはすごい人だったんだろうなっていう感じなんだよね。
まあそうだよね。私こそフランス、ドイツ8年いて、当時最先端の哲学者と交流してました。
だけでもその話を聞きたいね。
まあでもそれは本当にそう。
だけでも良さそうだよね。
私、これクキさんの側だけじゃなくて、ハイデッカーとかの方もクキさんと話したこととかに触れてるんだよね、本の中で。
へー、そうなんだ。
うん。まさに意気っていうものをいろいろ話をして。
それを結構いろんで言ってた話があって、これも話せなくなっちゃうんだけど、
ハイデッカーにクキさんが意気についていろいろ話すんだけど、
全然わかんなかったっていうか、もう理解のしようがなかったっていうようなことを書いてるんだよね。
あー、伝わんなかったんだね。
伝わんなかったみたい。
それは、ある種ハイデッカーが理解しようとする気がなかった。
要は、もちろんこれ穿った見方だけど、まさにヨーロッパ、西洋哲学の中心地点である自分と、
辺境の、哲学学びたての日本っていうよくわかるところから来た若者っていう構造があったときに、
やっぱり自分領域までこの若者は来てないっていう感覚もあったんじゃないかみたいな。
要は伝えられないような、各種の言葉しか掴もってないような人たちだというふうに、
ちょっとある種上から見てるような話もあるんだよね。
あー、なるほど。
哲学者同士だからそうなるかもしれないよね。
自分たちの概念すら説明できないなんて。
そうそうそう。
ちゃんとそこ起きてないなって。
哲学者の長髪にも起きないみたいなさ。
言いたいことは分かる気がするね。
逆に言うと、それでも組み取ろうとする理解はあるじゃないかっていう、
でもそういうお互いの話はあるにせよ。
そういうふうなところで本当に交流してましたと。
そこから1929年か、この時が41歳とかな。
なので結構年齢的には上なんですけど、
そこから日本に戻ってきて、兄弟で働き始めて。
18:02
いろんなポストの関係とか都合があった中で、6年後には教授になってるんですよね。
この時47歳なので、47歳で教授って思ったらちょっと早い感じがするよね。
そうなんだね。
今の世の中的には。
その後、やっと教授になって哲学者として活躍していくと思いきやなんですけど、
そこから6年後か、53歳の時にガンで亡くなっちゃってるんですよ。
ああ、そうなんだ。
やっぱりちょっと早すぎるし、みたいな感じで。
前回、西田さんは大学を辞めてから、結構いろんなことを考えました、書きましたって話をしたと思うんですけど、
西田さんは75歳まで生きてるんですよ。
わー。
これももしだけど、福木さんが本当にあと20年生きてたら、いろんなことも発信してただろうし、考えてただろうって思うんだけども、
53歳であるし、若くしなくなりましたっていうふうな人なんだよね。
哲学者のね、あと10年あれば問題ね。もったいなすぎるっていうね。
そうそうそう。過去にもそういう人何人かいたと思うんだけど、そんな感じなので。
結構その哲学者としてはやっぱり、大学でやってたっていうのは本当に多分10年ちょっとぐらいなのかな。
やっぱり長いのは大学時代と留学時代。
そこに結構フォーカスが当たって、帰国してから書いた息の構造とか、偶然性の問題っていう論文だったり本っていうのが、
当時の日本の、特に兄弟のミッシャーさんとかがやってる哲学からすると、とりあえずちょっと違うねとか、また違うことを取り扱ってるっていうところで、
よく言えばユニークだし、悪く言うと暴流的なことで、今でも残ってますっていうような感じなんだよね。
なるほどらしい。それで残ってるのはやっぱすごいよね。
そうだね、そうそう。
でもやっぱり、常に盛り上がってよかったらそういうわけでもないらしくて、結構再発見されたりとかもあるし、
福井さん自身もガンで亡くなるっていうのはもちろんどうしようもないんだけど、ミッシャー先生、もちろん福井さんからずっと先輩というかね、尊敬すべき幼児だからに対して、
せっかく兄弟で一緒にやらせてもらって、ミッシャー先生にも期待してもらったのに何も返せずに本当に申し訳ないみたいな、そういうふうなことを残したりもするらしいんだよね。
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ああ、そうなんだ。
だからやっぱりその方法論のやり方は違いども、やっぱり哲学者として何かね、もっと貢献したいとか、もっといい仕事をしたいっていうのは思ってたんだろうなっていう感じなんだよね。
まあそうだよね。ある意味これからって本人も思ってたんだろうしね。
そうそうそうそう。そういう意味ではちょっとね、幼少期の話も含めて結構大変な人生だったよって感じなんですけど、
ちょっとね、今回駆け足で市さんの生涯を見てきたんですけど、その哲学的な特徴ってさっき言ったとおりちょっと違うんですとは言ったけれども、
何が違うのかっていう話でいくと、これももちろんいろいろあるんだけど、中に2つに分けると、
1つ目が、いわゆる人生の性だよね。これを生々しいほどに尊重しますみたいな、そういうふうな話と、
弁償法じゃないっていう、この2つが結構特徴だよっていうふうに言われてるんだよね。
そうなんだ。弁償法ってなんだっけみたいな。
前回西原さんの話でも言ったとおり、最終的に西原さんは弁償法っていうものを借りて、絶対矛盾的事故同理さが出たと思うんですけど、
そういう全然違うものも、ある種違うままで、でも同じ場にいることができるとか、
そういう弁償法だけの考え方を使って、自分の場所の理論をより強くしましょうって話をしたと思うんだよね。
という意味では、当時の教材のところでいくと、弁償法こそが哲学だみたいな、そのぐらいの雰囲気があったらしいんですよ。
なるほど。西原さんの影響もあってから、一元論的な方が強いみたいな感じだったのかな。
一元論でもそうだし、弁償法っていう論理を使って哲学を作るべしみたいな、考えるべしみたいな。
あー、その部分ね。ツールとツールの弁償法が。
そうそうそうそう。っていう風なのが結構多かったらしいんだよね。
でもそこにおいて、久喜さんは弁償法じゃない方法というか、また違う哲学の手法で自分の考えをやり抜いたみたいな。
それはね、それがもちろん自分に合ってたって話もあるだろうし、逆にそうしないと行く場所がなかったかもあるのかもしれないけど、
そういう意味では、まさに自分の道を貫くというか、黒丸くんもそういうところがあった人なんだろうなって思うんだよね。
24:07
はいはいはい、なるほどなるほど。
今のは手法の話なんだけれども、いわゆる生きることの尊重みたいな話でいくと、
これもまさに、さっきちょっと名前挙げたんだけど、ベルクソンっていう人に結構影響を受けていて、
これも前回ちょっと言ったんですけど、雑談のときのニーチェの名前を久々に出したと思うんだけど、
ニーチェとかもまさにどう生きるかとか、人としてどうあるべきかっていうことを結構言った人たちなんだけど、
言った人も一部なんだけど、それがいわゆる生の哲学、人生の生の哲学っていう風な流れで語られることが多いんですよね。
へー、そうなんだ、ほうほうほう。
ベルクソンさんもその流れに捕まえるっていう風に言われていて、いつかでこれやりたいなと思ってるんだけど、
ある種、西田さんのときにやったような、プラトンみたいなイデアがあって、秩父がありますみたいな、
そういう抽象的なものに向かうんじゃなくて、本当にある種実際に生きているこの私とかこのあなたみたいな、
そういうものを扱おうっていうところが、久喜さんの哲学の特徴なんだよね。
へー、そうなんだ、ほうほうほう。
なので、もちろん西田さんもそういう自分から出発した人あったんだけれども、
よく抽象の方とか世界の理解っていう方に行くんだけど、久喜さんはそっちじゃなくて、あくまでも自分がどう生きているとか、
自分の生きている世界がどうなっているかみたいな、そこにある種軸足を置いてぶらさなかったっていうところが特徴ですっていう風に言われてるんだよね。
なので、これも前回また兄貴も言ってくれたんだけれども、
やっぱり哲学をやって、さっき生きの構造っていう本があったときに、生きの構造がわかりました、仮にね。
わかったけど、それで我々どう生きていくのとか、それって結局僕らの実生活でどう影響するのみたいな話っていうところが、
西田さんは触れないんだけど久喜さんは触れているはず。
はず。
はずで、もちろん生きの構造を読んでみるんですよ。
うん。
そこを見とくと、結構色一つとっても、例えばネズミ色はこういう風な感情をもたらすというか、
化け起こすよねみたいなところとかも含めて、かなり具体的なことまで書いてるんだよね。
そうなんだ。
っていう風なところまでいくと、やっぱり普段僕らが色診断とかカラーコーディアンとかあると思うんだけど、
27:08
割とそんな感覚で、この生きっていうものを捉えた上で、色というものをどう捉えるかみたいな。
そんなことまで語ってそうなので、結構日々のそういう、
まさに僕らが世界と触れるときにどういう風に考えるかということに役立てることもできそうだなっていう風に思いながら読んでるんだよね。
そういうところは、また前回の西田さんとは違う感覚で楽しんでいただけるんじゃないかなと思ってるっていう感じなんですよね。
なるほど。ここまで聞いた感じだと全然わからないけどね。何が何なのか。むしろ心理学じゃないのみたいな。
はいはいはい。
この色はどりどりして、この色を見ると元気になりますみたいなさ。
多分そこが面白いところというか、
彼人とは色を見たときにどうなるとかっていうのも、まさに人の体温が上がりますとかさ、
ドキドキしますとか、そっちを見ると多分心理学とか神経科学とかになるんだよね。
それを何だろうな、例えば過去の、ちょっと違うけど、文学作品とかそれぞれの人の何だろうな、
いろんな人の出現からちゃんと分析をしますが、それだと多分文学とか歴史学とか実学とかになっていく。
同じ対象でもやっぱりその聞き取り方とか、まさにどういう手法で近づいていくか。
場によってまさに学問って多分変わってくるんだけど、
それをちゃんと哲学っていうところでやったっていうのが、この深木さんの多分すごい、面白いところなんだよね。
あーなるほど。視点が哲学だし手法も哲学なんだね。
そうそうそう。そうですそうです。
本当にちょっとこれね、また次回ももちろんちゃんとお伝えしてくるんだけど、
この域の構造で冒頭とかの話をすると、ちょっと待ってね。
これ実際その序説、始まりに書いてるんだけど、
域という現象はいかなる構造を持っているかと。
まず我々はいかなる方法によって、域の構造っていうものを明らかにしていって、
域の存在を把握することができるだろうか。
っていう風に書いてるんだよね。
ほうほうほう。
この構造とかさ、域の存在を把握するとかっていうところが始まってるっていう時点で、
なんかちょっと違うなって感じじゃない?
30:02
まあその違いはよくわかんないけど、哲学っぽいなとは思うね。
なるほどね。
まあそんな感じでね、問いを立てて、まさにそれをね、こういう手法でこういうふうなやり方でやっていきますよっていう風に書いてる本なので、
次回以降ですね、そのあたりのところを追いながらですね、
この福木さん哲学っていうところを学んでいきましょうという風な流れになっておりますというところですね。
もうちょっと言うと、最初はこの域の構造、まさに今やった話っていうのを取り上げて、
その次にさっき言った偶然性の問題っていうのもやりつつ、
ちょっとこれできればなんだけど、なんかね、この福木さんは時間とかについても結構ね、込み入った発信というか思想をしてるらしいんですよね。
おー、そうなの。時間といえば、ハイデッカーなわけか。
そうそう、ハイデッカー、まさにまさに。
やっぱりそういうハイデッカーから、まさにそういう死とかさ、そういう生とかってやつだと思うんだけど、
そういうところを受け継いで自分でも考えたとか、東洋的に結構それをまさに哲学的に考えたっていう風なことをやってるらしくて、
この辺僕はまだ曖昧なんだけど。
面白かったらみたいな感じ。
そうね、でも、ちょっと待ってね。なんか今ね、面白かったらって言われて、
別に面白くなくても多分話すんだよなって今思っちゃって。
なるほど。
なんだろうこの感覚。
なんかね、大前提はまだちょっとごめん、ちゃんと読めてないからすいませんっていうのをまだ決めてあるんですけど、
多分ね、面白くないわけがないって思ってるんだよね。
ほうほうほうほう。
時間というものを、それだけ有名なというか、名前が残ってるかきさんというのを考えたときに、
多分つまんない、そんな全く悲しい発見がないわけがないっていう気持ちは思ってるんだよね。
あー、はいはいはいはい。
だからその、結論がつまらんとかあるかもしれないけど、やっぱりその視点として、
やっぱり絶対自分にないものがあるんじゃないかって思ってるから、
そういう意味では多分面白いと思うし、やっぱりそれがなかったら、
わかんない。それは自分がうねぼれてるか意外と、なんだろうな、考えられてるかどっちかだね、それはね。
あー、なるほどね。わかりました。
だから哲学に関してあんまりそういう面白いとかっていう言葉を安易に使うとこうなるんだね。
そう言っちゃいけない、ごめんね、そこを引っかかっちゃった。
最近なかったけどね。
そういう話じゃない、不倫落ちて面白いかもしれないし、全く意味不明で不倫落ちなくて面白いかもしれないし、みたいな。
33:06
そうそうそうそう、それもあると思う。
どっちにせよ面白いかもしれないし、どっちにせよつまらないかもしれないし、そこはどうでもいいんじゃいみたいな。
あー、そうねそうね、そうです。
すいませんでした。
全く新しい発見がなかったら取り上げないかもしれないけど、きっとそんなことはないだろうと思ってるって感じだね。
はいはいはい。
どうせちょっとややこしい、めんどくさい人間で。
久々に出ちゃったな、こういうめんどくさいとこな。久々かもわかんないけど。
そうそう、いやでもそう、決まってなさそうだから、できればってどういうことだろうって。
そうだね。
だからですね、たぶん僕がちゃんと噛み砕いて理解できればっていう方が正しいですね、そういう意味で言うと。
あー、なるほどね、そういう意味でもできればってことね。
そうですそうです。
はいはいはい。
全く理解できんじゃなくてその点があるから。
うんうんうん。
そっちですね。
なるほどなるほど。その面白いというか、不に落ちても、不に落ちないむずって言うのでも、可能、それを説明可能であればどちらにせよやりますよ、たぶん面白いから。
そうです、そうです。
頑張って難しいね。
難しいね、確かに。失礼しました。
いや、とんでもない。
ああいう意味使わないっていう。
そうだね。
そんな感じで、ほんとすいません。いつもですね、ちょっと今からやりますみたいな感じで続いてしまって面白いんですけれども、
その意味ではね、今読んでると、やっぱりこう、それこそやっぱ面白い人だなって思うし、
でまたね、前回の西田さんは結構ね、もう世界全部を説明してやろうとかさ、やっぱりこうね、実存とか存在の根底をみたいな感じで、
いわゆるザ哲学者っていう感じだし、もちろんクキさんもそうなんだけど、やっぱりそことはまた違う感覚とか観点から、
生まれた哲学っていうのもあるよねとか、やっぱりそこから感じる、なんだろうな、哲学ってここまで、むしろやっていいんだって言っても分かんないけど、
なんていうのかな、こういう人もいるんだみたいな感覚っていうのはね、それ自体が面白いかなと思うので、
はいはいはい。
ぜひですね、西田さんの次っていうところも比較しながら聞いていただくと面白いかなと思うので、
一緒にですね、学んでいただけると嬉しいなと思っておりますというところですね。
はい、わかりました。じゃあ次回ですね、クキさんの哲学の中身を見ていくというところで楽しみにしていきたいと思います。
はい、では木津由紀、よろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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