1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #118 20世紀最大の哲学者、ハ..
2023-06-11 41:05

#118 20世紀最大の哲学者、ハイデッガーの思想に迫る


「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。今回はハイデッガー(ハイデガー)を取り上げます。

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ハイデッガーの影響力
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野翔介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
今回からハイデガーということで、結構いよいよみたいな大書館がありましたね。
そうですね。前回のフッサラも満を持して感があったと思うんですけど、ハイデガーも割と満を持して感が続いております。
結局、みなさん有名な哲学者だからね。取り上げる方が。
この辺り、難しいというか、今の現在の評価がどんなのかというのはあるかなとは思うんですけど、
やっぱりこのハイデガーという人は、20世紀最大の哲学者みたいに言われることは結構あるんですよ。
はいはい、前回も言ってたね。
やっぱりこれまで取り上げてきた、サルトルだったり、デリタとかフッサ、あ、ドゥルーズか。
やっぱりその名当たる哲学者にももちろん影響を与えているし、
やっぱり哲学以外のところ、芸術とか、それこそいろんな人たちも含めてやっぱり影響を与えている。
そういう意味での影響力の大きさというのもあるし、またちょっと次回取り上げるとは思ってるんですけど、
ニーチェとかの時にもやった、その偉大な哲学者とかっていう人たちは過去を乗り越える。
その過去っていうのも、ちょっと前というよりはその哲学全体の捉え方とか枠組みをやっぱり乗り越えるみたいな。
っていう人は多分偉大な哲学者だなと思った時にハイデガーもそれをやってるんだよね。
過去デカールドであれ、ヘイギルであれ、ニーチェであれ、過去を丸とちゃんと捉えて乗り越えるとか新しい視点を出すっていうことをやってた人たちだと思うんですけど、
ハイデガーもやっぱりそういうことをやっているっていうので、やっぱりすごい人だなっていうのは思います。
一方でね、ちょっと今回深くは取り上げないんですけど、ハイデガーの人生には大きな欠点というか汚点があるということも言われてて、
ハイデッガーとナチス
彼はドイツで活躍した人なんですけど、いわゆるナチス。
このソイテッドラジオでも結構思想、哲学者のことによってナチスとの関係とかってユーザー系で迫害されてとかって話があったと思うんですけど、
ハイデガーは逆にナチスに入党してて、明らかに真ナチスみたいな行動とか言動を取ってるんですよね。
そうなんだ。
戦後、日本に生きる僕らからすると、そういうこともあったわねみたいな感じだと思うんだけど、当時からすごいセンセーショナルというか、スキャンダラスな話か。
当時とは戦後というか戦中というか、ナチスの評価がある程度定まっているときに、そっち側だったのねみたいな話があったと。
割と第二次世界大戦後、ドイツが負けてとか、ナチスは本当にひどいことをしてたっていうことが分かった上でも、別にそれを謝罪するでもなくみたいな。
時代的にはそういうぐらいの人なんだ、ハイデガーって。
そうそう。ちょうど1889年に生まれて、1976年に亡くなった人なので、本当に20世紀を生きた人。
なるほど、戦争が1940年代中盤に終わって、70代まで生きてると。そのときに全然、すいませんとか言わなかったのね。別に謝る必要があるナチスは別として、ナチスに入ってたことに対して特になかったんだ、ハイデガー。
もちろん亡くはないし、悪いというかね、よくなかったみたいなことはもちろん言い忘れるものの、それが本当にどうしてそうなったのかとか、自分の思想、そういうことをしたこと自体がもちろんあったかみたいなことで、すごく根本から改心したみたいなことで言うと、そういうわけでもないみたいな話もあったらしく。
それをある人によってはちょっとこの人は何なのっていうふうに見られているって感じか。
ちょっと前に兄貴が名前を挙げてくれた反哲学みたいなことをおっしゃってる木田玄さんっていう日本の哲学者がいらっしゃると思うんだけど、木田さんがハイデガーの研究者として有名で、今回ハイデガーの思想っていう木田さんの本を結構多く参考にしてるんですけど、
そこで言われてるのは、やっぱりハイデガーを読んで、いわゆるこの人すごい哲学者だみたいな。20世紀最大とかって言われてるし、すげーとかって言って、信奉者になって、別にそんなナチスに語らせてたとかって別にそんなことではハイデガーの価値は落ちないとか、すごい崇高な理由があったはずで、そんなものは一般人には知る余地もないだとかっていうのも間違ってるし、
でも一切読まないで、そんなナチスに入ってる奴の本なんか、そもそも知る価値もないとかっていうのも違うよねみたいな。
そういう、もちろんすごい思想を解いたってもそうだし、でもナチスに入ったっていう悲惨なことをしてるって、やっぱり両方をちゃんと受け取ろうねみたいなことを書いたりしますと、木田さんの本にね。
だからそれっ面じゃもう一定その人の人となりとか生涯とかって軽く触れたりはしますけど、やっぱりその思想とか書かれたものとその人との性格とか人となりを結びつけすぎるのも違うし、でもやっぱり一切切り離して崇拝するのも違うよねと。
なのでちょっと取り上げ方ってやっぱり難しいなとは思うんですけど、一応それっ面上的にはそういうこともあったよっていう話はしながらも、基本的には哲学に関連する内容とか思想とかっていうところを中心にお話ししていきたいなというふうに思ってますっていう感じだね。
知らなかった、そうなんだね。一面というか側面というかあるような哲学者だったんだね。
前ね、ほらどっかでマルクスの話、いつかやろうみたいな話したけど、そういうのと似てるのかな。ちょっとマルクスも社会主義の色がつきすぎててみたいなことがあると思うんだけど。
ハイデッガーの思想と人となり
近いと思う。やっぱりマルクスもマルクス主義とか社会主義が失敗したからもうマルクスの人なんて学ぶ必要はないとか、あんなものはもうむしろ触れたらダメだみたいなことを言うのもやっぱ違うよねっていうのはあると思ってて。
そこはやっぱり思想というか、その人の考えとその人のさっき言った人と何だよね。何をやったかとかどういうことをやっちゃったかみたいなことは気に離して見てみるっていう冷静さも必要かねというところだね。
あとさ、ごめん、一個気になったんだけどさ、今回ハイデガー、早いとハイデッガーって言ってる気がするんだけど。
これね。
ごめんね、耳なじみがあまりなくて。なんかあるの?哲学者の人は、研究者はハイデッガーって言うべしみたいな。
なんかね、最近ハイデッガーっていう風に言われるようになってるっぽくて、昔はハイデガーだったのよ多分。だからその北原さんの方もハイデガーの思想みたいなタイトルなんだけど。
はいはいはい。
多分ね、最近ハイデッガーって言われることが多いらしく。
あ、そうなんだ。
それでハイデッガーにしてるっていう、僕もそういう違和感があるんだけど。
あるんだね。
うん。
でもそうなんだ、最近は最近の論文とか、最近の研究者はみんなハイデッガーって隠し話してもいるみたいな感じなのかな、じゃあ。
そうね、なんかそうっぽい。
わかった、じゃあハイデッガーでいこうか。
ちょっとハイデッガーでいってみようと思います。
時々ハイデガーって言ってると思うけど。
了解。
アクセントも分かんないんですよ、それで。
分かんない。
文字でしか見てないから。
そこはちゃんと先生聞いてきて、ちゃんと。どっちですか。
確かにね。
大事なとこなんだよって。
教えてもらいます、はい。
一旦今日はハイデッガーっていう、ちょっとすみません明らかに間違ってるかもしれないけど、それでいってきますね。
はいはいはい。
あともう一つハイデッガーって言われがちなのが、兄貴も聞いたことあるかな。
使用の著作、存在と時間っていう本があるんですけど、それが未完成だっていう話。
言ってくれたよね、ゆる言語学ラジオかな。
これはゆる哲学ラジオ。
ゆる哲学ラジオか。
最初の方でハイデッガーを言って、一番有名な存在と時間だっけかっていうのが実は未完成だったりとか、結構バタバタと掻き上げたようなものだみたいなのがあった気がする。
そうですね。それも聞いてると、そんな本が出すなんて、出てくるなんてみたいな感じだと思うんですけど、わりと哲学家の人でいうと常識というか。
なんでそれが未完成だってわかるかっていうと、ハイデッガーって著作本以外にもいろんな講義録、大学の授業のやつとかノートとかが大量に残ってるんですよ。
それにハイデッガー全集っていうのが出てるんだけど、日本語版だと102巻かな?っていう膨大な量が出ていて、ハイデッガー研究者はそれに全部向き合わなきゃいけないみたいな大変さがありますよっていうのは、
僕も改めて今回ハイデッガーの本とか解説書とか読んでて思って、すごいなって思ったんですけど。
哲学の本の役割と応用
研究のしがいはありそうだね、資料はあるから。
だからその、主張が未完成だっていう話と、ハイデッガーは哲学をやりきらなかったっていう話はまた違う?
ああ、そっかそっか。まあそうだよね、未完成だから、そっかそっか。
逆に言うと、普通に考えたら、じゃあその未完成な本に価値なんてあんのかとか、それこそさっきのような読む価値あんのそれみたいなことって思うと思うんですけど、
哲学の本って小説とかのストーリーがある本で、小説が未完だったらやっぱりそれってオチがないってことだから、
それは読む価値ないか自分で想像を広げてくださいみたいな話だと思うんですけど、哲学の本ってやっぱある問い、何らかの問いとか乗り越えたいものがあったときに、
そこに対して適切な手段とか論点とか、あとは切り口、どうじゃったらその問いに答えていけるんだみたいなものを設定して、それを説明していくっていう流れが多いかなって思うんですよね。
例えば前回お伝えしたフッサールとかも、学問の正しさの基礎を作ろうとかっていうことを考えて、エポケとかそういう手段とかをある種自分で考えて、
その立場から世界とか他人とか説明したらどうなるんだっけみたいなことを考えていったわけだよね。
そういったときに、例えば最終的に説明しきれなかったとか、その問いを答えることを断念したとしても、その問いの立て方とか、
その手段として立てたものとか、どう切り込んでいくかみたいな話っていうのはすごく役立つことがある。
なるほど。その問い自体だったりとか、その方法論自体が構成にとってすごく意味がある場合があるって感じだね。
そうそうそうそう。実際ハイネックはそういうふうに捉えられる。もちろんちゃんと反省させてくれよみたいな話あるとは思うんだけど、
でもやりきれなかった理由っていうのもある程度実は見えているとか、そのハイデガー研究者の人からすればこうなったんじゃないかっていうふうなことも言ってたりもするし。
はいはい。なるほど。数学とかでありそうだよね。この問題が解けないんだけどとか、
法制の人が証明するとかね。そっちが証明できずに死んじゃったけど問題を見つけた人とか、いそうだよね。
でもそれに近いかもね確かに。だからこういうことはきっと言えるけど証明はできてないとか、証明したけど書ききり残すスペースがなかったみたいなので。
そういうのもあるんだ。
あるあるある。みたいな感じで、ハイネックでいうと結構その存在とは何かみたいなものがすごく大きな問いとして出てくるんですよ。
で、そういう問いとそこに切り込んでいく手法っていうのはやっぱりいろんな応用可能性があって、それはもちろんハイデッカーの意図に即したものから即したものまで多分様々あるんだけど、
そういう広がりがあるからこそ冒頭お伝えした通りいろんな哲学者とか芸術家も含めていろんな人たちに影響を与えている。
だからまあ、けんして落ちがない小説みたいな感じで、そんなものを読む価値がないとかっていうことはなく、また一方で本だけ読んでもやっぱりハイデッカーが何言ったかってなかなかわかりづらいとか理解しにくい部分があるので、
ハイデッガーの人生と哲学的視点
ハイデッカーがそもそも全体として何をしようとしたのかとか、どんな視点から物事を捉えていたのかということはわかっている方がいいなというふうには思うんですよね。
なるほど。仮に102巻読もうとしたとしても、その前の前提知識みたいなのはあった方がいいよねって感じ?
そうそうそう。もっと言うとやっぱり102巻もあるから、もちろん全部が全部包括的に、全体図を持って話すことはもちろんできないんだけど。
そのメモ書きとかも混じってるんでしょ?
もちろんメモ書きとか構想とか、書いてたことがあれは間違ってたって後で言われたりすることが全部あって。それはやっぱり研究者の仕事になっちゃうんだと思うんだけどね。
エッセンスというか、繰り返しこういうテーマを言ってるよねっていうことはあるので、全体像をお伝えした上で、主張といえる、さっき言った存在と時間っていう本を辿ってみて、
その上で最後に改めてハイデクアって考えたこととか、成し遂げようとしたことってなんだったんだっけ?っていうことを話すというような構成で、今回のソレデスラジオとしてはやっていきたいなというふうに思ってます。
おー、なるほどなるほど。やっぱり未完成と、この存在と時間っていうのがメインになるっていうのは間違いないんだ。
ハイデクアも前期と後期とか、まだ若い頃と年取った頃みたいな分け方もされるんだけど、その存在と時間、いわゆる若い時に書かれた本で、やっぱりすごいなんだろうな。
やっぱなんかね、言葉に入れないな。問題の切り込み方が深すぎて、やっぱこいつやべえなって思うんだよね。
やっぱその哲学とか思想でも、若い時の情熱というか熱量みたいなものを感じる部分もあったりするんだよね。
熱量もそうだし、なんだろうな、もうそんだけスパスパ言われたら、それはちょっと納得せざるを得ないよね、みたいな。
説得力の持たせ方とか、問題の切り込み方とか、まだ深みまでいくの?みたいな、なんていうのかな。
思想の凄さ、考える力の凄さとか視点とかっていうのは、やっぱりなかなか自分が生きてたらそこは100年生きてても絶対そこに行かないだろうな、みたいなものが書かれてる感覚?
そういうのが詰まった本なんだね、これは。
多分それ書いたのが30歳とかそんぐらいだと思うんだけど、なんでこんなこと考えたんだろう、みたいな感じはあるんですよね。
でも別に僕もそれを海底岩の存在と時間をそのまま、一回読んでも全然わかんなかったよ、多分。一回わかんなくて、最近出たすごいわかりやすい解説書が出てて、
その本を改めて読んで、なるほどこういうことを言ってたのかもしれない、みたいなことをなんとなく今は知っているぐらいの感じなんですけど、それでもやっぱすごい。
なるほど、いいね。そんな感じなんだろう。
っていうのがあるので、やっぱり存在と時間っていうのを中心にしつつ、その手前、次回ではそもそも海底岩って何がそんなすごいのとか、本当にすごいだろうみたいなところをお話ししていきたいなと思ってるんですけど。
はいはいはい。
あとちょっとできれば、海底岩が書いてることってすごい今の自分自身の関心ごとにも近い部分があって、
意味とは何かみたいな話を前々回ぐらいでしたと思うんですけど、そこにもかなり海底岩の言ってることってすごく示唆を与えてくれるんだよね。
ちょっともしよかったら1回分ぐらい、じゃあ今の自分の関心に引き寄せて、その海底岩を読んだらこうなってるみたいな話とかもちょっとしたいな、みたいなことを思ったりするので、
最長、最長になるかもしれない、海底岩の回は。いつもだいたい4回5回ぐらいで納めようとしてるんですけど、ちょっと7回ぐらいになっちゃうんじゃないかなって。
なかなかのボリュームだね。こんだけ102巻ある人だからね。
しかも102巻の1巻分しか言わないから、1巻分というか1冊分しか話さないからね、基本的には。
1冊分ね。濃密なんだね、やっぱり。
濃密だね。そんな感じでぜひ楽しんで、一緒に楽しんでいきたいなという感じではあるんですけれども、
実際その話に入ればいつも海底岩のどんな人なのとか生涯みたいな話からなんですけど、
哲学的な観点から見た場合、さっきのナッセスとかいろんな話はあるんだけれども、哲学ってどこに絞ってみると、
実はさっきの木田さんの言葉を借りると、かなり平凡なドイツ大学教授の人生みたいな話があって、
逆にそうした生活からどうしてあれほど雄大な射程を持った深い歴史的哲学的洞察が生まれたのか、
私木田さんとしても不思議でならないみたいな、そんなことを本で書いてるんだよね。
そうなんだ。プロフェッショナルから見てもそういう平凡なと。
なんでこんな生活しててこんなこと考えられたの?みたいな驚きがあったんだよね。
ハイデッガーの神学部入学と変化
じゃあまずはその平凡な人生を伝えてみようと思うんですけど、
まず海底岩はさっきも言った通り、1889年の9月にドイツの小さな町で生まれますと。
貧しい家の生まれだったようなんだけど、いわゆる食べるものにも困窮してましたとか、
着物もなくてボロボロでみたいなほどでもなかったらしいんだよね。
はいはいはい。
お父さんは教会に勤めていて、学者っていうわけでもないと。
だから生活は苦しいんだけど別にそんな人生観がめちゃめちゃ積み上げられるぐらいの厳しい生活はなかったし、
別に教会だから別にそんな特殊な仕事をしたわけでもないですよと。
小中高も行くんだけど別に学年トップクラスでやってましたとかってことでもなく、普通に過ごして。
そのまま高校を出て教会に入ろうとしたらしいんだよね。
お父さんと同じように?
そうそう同じように。
ただ病弱だったみたいで、それが理由でダメになっちゃって、
しゃあなしい大学の神学部に入学して、今は神父さんになろうとしてました。
生殖者か。
そっちの道の体が弱くてもできるような仕事をしていこうと。
そう思ってたらしいんだよね。
ハイデッガーとフッサルの時代的な違い
ただ大学入ったから2年後に家族の反対を仕切って、哲学部に転部しますと。
だからその時点でも結構こういう本を読んでたよとか、哲学的な関心があったらしいよとかっていうのはあるんだけど、
でも神学部にいながらすごい哲学的な人を開発させましたとかってことでもなく。
そうなんだ。ただ普通に転部しましたと。
転部しましたと。で、哲学の勉強をして、普通に論文を書いて教授資格を取って、
普通に非常勤講師になりましたよみたいな。
普通って言ってるけど優秀ではあるんだよね。
もちろん優秀ではある。そうやってちゃんと論文を取って教授になれるぐらい優秀ではあるんだけど、
ニーチェみたいに20代で教授ですとかでは別にないんだよね。
ああ、なるほどなるほど。私ね、20世紀最大の哲学者の人生としては普通と言わざるを得ないようなキャリアだと。
ただ面白いというか、前回フッサルの時にもフッサルとハイデガーって指定関係にありましたよみたいな話だったと思うんですけど、
ここで1916年にハイデガーがいた大学にフッサルが赴任してくるらしいんですよ。
そこでいわゆる指定関係になって、お互いに学び合うというか、フッサルにある種ハイデガーが支持するというような時期になるんだよね。
で、やっぱりハイデガーというのはすごく優秀、そういう意味で優秀だったみたいで、フッサルも最初はちょっとこいつちょっと扱いにがよいような話もあったらしいんだけど、
やっぱりすごい奴だからっていうので、自分の後継者みたいに考えたらしいんですけど、
逆にハイデガーからすると、フッサルというのは当時で言うと30歳上ぐらいの一世代上の哲学者だよね。
親よりも上ぐらいの下手人だね。
親と同じぐらいかな。なので、やっぱりちょっと古いというか、世代が一つ前だみたいな感覚がありました。
その30年ってどういう30年だったかっていうと、第一次世界大戦があって、ドイツが負けますと。
そうすると、やっぱりサルトランの時もそうと思うんだけど、いわゆるその敗戦を経験した時の、いわゆるこの世の中が終わりだというか、
自分の人生は何だったんだみたいな、やっぱりそういう雰囲気があったと思うんだよね。
やっぱりドイツっていう国の偉大さとかってもちろん思う部分もあっただろうし、
そういう中でやっぱりフッサラーはどっちかっていうと、数学から始まって、
学問的な基礎をつけようとか、抽象的な世界の中で正しさとは何かみたいな話なんだけど、
やっぱりハイデカーはどっちかっていうと、やっぱり自分のこの人生とか生きるということは何かみたいな、
やっぱりその具体的な生活とか生きることそのものを、やっぱり捉えようとしたんじゃないかなっていうのが推察されますと。
なるほど、時代的なね、一世代違うことによる周りの環境の違いみたいなものが、
フッサラーとハイデカーの間にあったって感じだね。
ハイデッガーのキャリアへの挑戦
たぶん当時、敗戦国としてたぶんすごい厳しい状況だったっぽいもんね。
そうそうそうそう。
だからナチスみたいなのも出てきたわけだしね、その辛さの反応として。
さっき偉大みたいな言葉を使ったけど、やっぱりドイツ国民としてのアイデンティティとか、
やっぱりそれを回復せよみたいなのは、やっぱりどこかにはもちろんあるんだと思うんだよね。
確かにフランス、哲学的にも先進国フランスに負けたと。
こっちもやっぱりそういうところで追いつけを動かせっていう、やっぱりそういうところもあっただろうしね。
やっぱりさっき存在とは何かっていうのを、結構テーマにしますよって言ったんだけど、
その存在というのは抽象的な、実在と切り離した存在とかではなく、
僕らの人生とか生活に紐づいた存在とは何かっていうことを結構考えていくんだよね。
それはちょっと次の次の存在と時間のところでまたちゃんと話そうとは思うんですけど。
いろいろなところがあって、いずれにせよハイデッカーっていうのは非常勤講師でも働いているんだけど、
そこから普通、これも普通じゃないかもしれないけど、
有志であって、いろんな大学から女教授として来ませんかとか、
あとはちゃんと教授になれますよとか、
あとさっき話し通りその中でもナッツに入ったりして、
第二次世界大戦後、いろんな人からちょっと裁判みたいなものとか、
本当にナッツから抜けたんですか?今は違うんですか?っていうようなことをいろんな人に言われたりとかして、
結構精神的や肉体的にも大変な時期を過ごしたりはするらしいんですよね。
でも別に、哲学的なことはずっと続けていて、
いろんな本を書いたり、講演とか執筆を続けたり、大学に一時的に戻ったりしながら、
その後1976年、86歳で亡くなりますと。
ハイデッガーが残した思想遺産
そういう意味で50年経ってないんだよね、亡くなってから。
そっか、そうだね。生まれが1800年代だから結構昔話な感じしたけど、
そうだね、かなり最近まで生きていらっしゃったなーって感じがした。
なので哲学という観点からすると、わりとさらっとできちゃう。
別に講演したり執筆したりというのも、別に他の哲学教授でもやるっちゃいますと。
それこそされているみたいに、ものすごいマスコミから何かあったら、いちいちコメントを求められるみたいなことではないし。
そういう意味で言うと普通って言われちゃうんだけど、
なんでハイデガーが20世紀最初の哲学者と言えるのか?
そうだね、いつバズってるのこの人は?
言ってるうちにもうバズってるの?存在と時間とかは。
存在と時間はめっちゃバズってて、すごいっていう人たちも多いんだけど、
何がそんなすごいのっていうのを、僕なりに一言で、別に僕の話だからそんな大した話じゃないんですけど、
なんとなく思ってるのは、やっぱりハイデガーがいなかったら考えつかなかった哲学の読み、
ハイデッガーの哲学史研究とはじまり
要は過去この人はこんなことを言っていたとか、この人が言っていることは実はこういうことなんだみたいなことをすごく言うんだけど、
そうやって言われてみたら確かにって思うんだけど、
例えばアリストテレスとかでもそういうことをするのね、ハイデガーって。
っていう時にアリストテレスの読み方なんて2000年受け継がれてきて、
だいたいこうだよねとか、この言葉ってこんな風にしか読めないよねっていう風にみんな思ってるんだけど、
そういう意味で言うとラテン語かな?
アリストテレスのそもそも用いていた言語とか、
その時のギリシャの生活とか思想的な流れっていうものを踏まえた上で、
アリストテレスのこの言葉って実はこういうことなんだぜとかっていうのを言ったりしてるのね。
やっぱそれって、もしかしたら誰かがやったかもしれないけど、
ハイデガーがいなかったらその時代にはまずそもそもなかったみたいなこととか、
またその問いの切り口だよね、さっきの存在とは何かっていうのも、
存在ってそんな風に問いの対象にできるの?みたいなことをやっておけるんですよ。
ハイデガーがいなかったらなかった、
生まれなかった哲学的な知見とか観点とか議論っていうのがやっぱりあった。
そのぐらい深い議論とか説得力のある説明っていうのをしてるなっていう風に思うんですよね。
なるほど、やっぱすごいね。
こういう偉大な哲学者って、ある意味自分の中から適当に生み出した話をパッとするんじゃなくて、
過去を適当な徴訳ではなくて、ちゃんとした解釈、説得力を持った新たな解釈視点っていうのを持ち出した上で、
そのを土台に積み上げていくみたいなやっぱりそこがすごいね。
そうなんだよね。
だから実はハイデガーってもともとはいわゆる哲学史の研究から始まってて、
いわゆる過去の古代ギリシャとか中世とか、いろんな哲学者のことを丹念に研究してるんだよね。
やっぱりそういう読みの鋭さとかそういう深さっていうところが、
まさに自分の思想の、ハイデガー自身の思想の深まりとか広さにつながってるんじゃないかっていう話もあるんだけど。
なるほどね。そっか、エポ系状態で哲学を勉強し直してるんだね。
そう。エポ系状態ともちょっと違うんだけど、経験っていうわけじゃないか。
でもやっぱりいわゆるアリストテレスがその当時どういう制約とか歴史の流れとか思想の流れようは、
僕らは見るアリストテレスは2000年後に見たアリストテレスだから、きっと僕らの価値観からするとこうだよねってどうしても入ってきちゃう。
ハイデガーは当時の哲学者だったらこう考えていたはずみたいな。
この当時の言葉っていうのはこういうふうに使われていたから、この言葉で表現したいことにはこんな意味が含まれていたはずとかっていう、そこまでのことを言うんだよね。
はいはいはいはい。
もっと言うと、今ちょっとあれこれそれでしか言ってないからあれなんですけど、次またちょっと話すんですけど、
例えば真理っていうことは当時ギリシャっていうのはこういう意味を持っていたはずだから、ここでいう真理の探求っていうのはこんな生活的な意味を持っていたはずだみたいな。
へー。はいはいはい。
ほとんどの説明を言ったりしますと。
なるほどなるほど。
なので、まずはそれを存在と時間という本の話に行く前に、そもそもハイデガーが成し遂げたかやろうとしていた西洋哲学2500年くらいの歴史がある中で、
哲学とは何か
それを振り返って結局哲学とはなんだっていうことをハイデガーは言ってたりするよね。
わー、はいはいはい。
そういう話をちょっとしてみたいと。僕らもソイテッドラジオだから、哲学について哲学者っていう人たちがいて話してるんだけど、そもそも哲学を前提として世界で話したんだよね。
うんうんうん。
でもじゃあ哲学ってなんだとか、そもそも哲学とはどういう営みでいつ始まっていつ終わるんだみたいな話っていうのは、やっぱり普通はなかなか言えない?
うーん、まあそうだね、確かに確かに。
フィロソフィアですとかしか言えないよね。
そうそうそうそう。
死を愛するしか言えないっていう。
愛することでしてみたいな。
分かった気になるんだけど、それは何も説明してなかろうとかっていうのはハイデガーの良い文なんだよね。
はいはい。哲学については出会ってないね、確かにそれはね。
そうそうそう。
そこに一定の納得できる答えを出してるなっていうふうに思っていて、逆にそれを皆さんが納得できるとしたら、兄貴が納得できるとしたら、よく分かんないけど確かにハイデガーを過ごそうっていうところまでは伝わると思うんだよね。
ハイデッガーの哲学的思想
まあ多分信者になるだろうね、それは。
はいはいはい。
すこもとさん咳出たわ。
兄貴早いのよ、信者になるのが。
ちゃんとハイデガーのことを理解した上でなるならいいと思うんですけどね。
なので次回でハイデガーすごいっていうふうになってもらえるかっていうのは僕のチャレンジで、きっと面白いと思っていただけると思うので。
いやー楽しみだね。
やっぱりすごい問いを問うたみたいなところはあるんだけど、たぶんその前提として、この哲学とは何かっていうところがマイナスというかさ、前提としてあってゼロに到達してそこから詰め合えていったみたいな順番なんだね、たぶんね。
そうね、順番的にはちょっと後期というか、存在と時間とか書かれた後にしてる話だったりするんだけど。
それも面白いな、そうなんだ。
でもやっぱりもともとの課題観とか発想として哲学全体を捉え直すか、そもそもアリス・テレスこう言ってるってお前ら言ってるけど実は違ぇぞみたいな話っていうのはたぶんあったんだと思うんだね。
へー、でもすごく今のはね、話聞いていただいてるのも興味深くて。
ハイデガーの哲学的思考の基盤
今の今回のハイデガーのすごさみたいなのとか、その存在と時間だけかっていうほどの厚みというか、とんがり具合みたいなのを聞いてると、さっき言ったように、哲学についてきちんと学んだっていう前提があって、
そこからその存在と時間の問いみたいなものが自分の中で生まれて、それに対して答えを持っていったみたいな順番を勝手に想像してたんだけれども、
やっぱり面白いなと思うのは、こういうクリエイティブって言うけれども、このハイデガーみたいなね、クリエイティブな物事をやっているような方って、やっぱその問いとか、求める目標というか、
その到達点の置き方がすごいのかな、やっぱり。そのための手段としての、やっぱり哲学ってこういうふうなものだったのかねとか、そのためにその手段として哲学をもう一回掘り下げる、哲学史を掘り下げるとか、
自分独自のだったりとか、もしくは今、これまで2000年のアイソテンスの生み方は違うんじゃないかというところにも、そういったオリジナリティのある到達点があるからこそ、そういった過去の乗り越えみたいなものの視点が生まれてくるみたいな、そこをすごい感じたね、この1回目にして。
はいはいはい。
その順番は面白いと思った。
そうだね。いや、それはやっぱあると思うし、やっぱそれをわかっている方が、その存在と時間で書かれていることがなぜすごいのかとか、なぜそれが失敗したのかって言うと多分わかるし。
はいはい。我々みたいに後からね、読むと。
ただ木田さんの本の話で言うと、むしろやっぱりそれを提出するのをちょっと、お呼びかけ、諦めたんじゃないかみたいな話もやっぱりあるらしいんだよね。
要は、そんだけわかる間に、お前ら間違ってるみたいな、2000年間お前ら間違い続けたんだってぶち上げるのって、その前に勇気も得るし、当然いろんな批判も食らうじゃないですか。
そうやって自分の哲学者としての教授のキャリアが閉じちゃうことにも繋がるから。
はいはいはい。
あえてそこを封印して、その後もただ考え続けたりとか、自分の施策としては深めていって、その晩年にまたそれを提出したんじゃないかとかっていうような捉え方もあって。
そこはもう生存戦略だよね、文字通りの。
ハイデガーの哲学における存在と時間の位置づけ
なので、やっぱりハイデーガーはもちろん全体を使うとかも難しいんだけど、なんとなくこんなことをやったよっていう全体感を捉えた上で、存在と時間ってその中でどんな位置を占めるのみたいな。
それをやった上でさらに、じゃあやっぱりハイデーガーってここでやったよねっていうのをもう一回広げてみるっていうのは、すごくハイデーガーの伝え方としても聞き方としてもいいんじゃないかなっていうふうにちょっと思ったので、今回そんな感じの構成でお届けしようと思ったというような感じですね。
なるほど。いやー面白い。ごめんね、勝手に最後感動したけど。
でも本当そうだと思う。クリエイティブだなってめちゃめちゃ思うもん。
あーそうなんだ。とりあえず今回はとにかく20世紀最大と言われる幽閻みたいなものをね、ちょっとなんとなく感じてきたので、次回以降具体的にどうすごいのかっていうね、上げたハードルをちゃんと超えてくるのかっていうね、そこに行きたいっていう感じだね。なぜか上からだけど。
そう、運が超えられると思うから次回ぜひね、そこがどんなふうに超えてくるのかっていうのをぜひ皆さん楽しみにしていただいて、ハイデーガーすげえんだぞっていうのを僕が言えるように頑張ろうと思うので。
了解ね。じゃあ次回楽しみにしてますので、ハイデーガーやっていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回もありがとうございました。
41:05

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