ドイツ観念論の流れ
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ヘーゲル会終わりまして、もっと言えば長かった、ドイツ関連論シリーズが終わったみたいな、そんな感じですかね?
はい、お疲れ様でした〜。足掛け、3ヶ月ぐらいするのかな?あ、違う、2ヶ月ぐらいするのかな?
うんうんうんうん。すると何本?20本分ぐらいか、そうすると。
はい、どうでした?ドイツ関連論。ちょっと見えました?カントからヘーゲルみたいな話。
いやー、面白かった面白かった。
ああ、本当?よかった〜。
ここまで、その前から早いところまで、やっぱりシリーズもの面白いよね、みたいなさ。各哲学者に焦点を当ててっていうよりも、流れで見ると面白いと思ってる、みたいなさ。
やっぱりそうすると、もちろん忘れてる部分はあるんだけれども、普段だとあれ、シェリングってなんだってとか、ロックって誰だっけ?みたいなとこがあるんだけど、流れで覚えると、だいたい遡るからさ、
そういうのが、キーワードが2つ3つ、人物名と時代と、紐づくだけで、こんなに理解度というか、自分の中に落ちてくるんだっていうのを感じた意味で、
もちろんこれは人によるかもしれないけれども、面白かった。
はいはいはい。でもよかったですね。
それこそフィヒテなんてって言ったら失礼だけども、フィヒテって別に、もちろんすごい哲学者なんだけど、一般にめちゃめちゃ有名かっていうと、たぶんそこまではないはずなんだよね。
ああ、はいはいはい。
やっぱり有名だというか、そういう哲学者だけを取り上げようと思ってもなかなか難しかったんだけど、今回ドイツ観念論とかって流れの中でちゃんと取り上げることで、意味づけとかさ、フィヒテといえば自我だみたいな、そういうキーワードって残るんじゃないかと思ったし、
そういう意味では本当にやれてよかったなというか、僕自身もちゃんと勉強をこのタイミングでやっぱり一緒にできて、一緒に学べて本当によかったなっていうのはすごい思ってたんですよね。
はいはい。いやあ、そうね。だから、それぞれの哲学者から自分に使えそうな部分みたいなのを抽出するのが面白みなのかなみたいなところもあったんだけれども、
こうやってシリーズでやるとさ、ある程度収録してさ、編集するだけでも、例えばデカルトがいて、タイプ54がいて、エイジンス経験のロックがいて、それをちょっと乗り越えようとした。
で、ロックの後、あ、もう名前忘れちゃった。誰? ヒューム? ヒュームか。フィヒテ混ざっちゃうんだな。ヒュームといって。で、そこを次、カントがそこをうまいこと統合をコピュニックス的に展開しました。
で、それでうまくできなかったもの自体っていう穴をフィヒテシェリングが、自我側からと外側からだよね、自然側から見ようとしたのを、さらにヘイゲルがバシッとヤバいことを絶対値っていうヤベェものを作っちゃう、あの素粒子みたいなものを理論みたいなものを作っちゃいました。
で、それに対してさらに好奇シェリングがもう別のとこ行っちゃおうっていうので、積極哲学みたいなものをやりましたみたいなさ。これって、そこまでの流れって普通すらすら言えないじゃん。 言えない。無理だと思う。また学ぼうとも思わないしさ。
ここの流れはバーッとあるだけで、また学び直そうとか、ああいう感覚ってどこだったっけみたいな時の、自分の中の目次っていうかさ、使用意義っていうかさ、それができる気がするから、その中身を覚えてなくても、その大まかな流れがあることで自分の中の取っ掛かりができるってすごい面白いかもっていうのは初めての感覚かも。
おだしょー なるほどね。それはすごく嬉しい感覚だなと思うし、やっぱり結構その哲学史みたいなものもね、そのドイツ観念論とかはさ、別にね、後からねあずくくられたものではあるから、別にそこにストーリーを組み込んではいるんだよね、よくもあるくも。
ホワイトヘッドの苦闘
おだしょー なんかそのストーリーが分かりやすいって思うし、逆に言うとそのストーリーで歪められてるみたいな批判とかもあったりはするのよ。 別にね、だって関東から平原に至るまで別に他の哲学者ってたくさんいたわけで、その中であくまでもなんかその4人をただただピックアップしてそういう語ることが、ある種通例になっているというだけっちゃだけだから。
おだしょー あーなるほどね。
おだしょー そう、そういうふうな話では、やっぱり別にそれが全てではないけれども、やっぱりそのね、分かりやすいし、やっぱりヘーゲルだけ読んでも分かんなかったのって、それは僕が絶対2年前とか3年前に読んだときに何も分からんってなったんだけど。
おだしょー 今回改めて関東、フィリシティ、シェリングって言ったときに、行きつ戻りつつなんでシェリングこんなことやってたんだっけとか、ヘーゲルこんなこと言ってるけどこれなんだとかっていうことをやっぱりやったところで、やっぱりちょっと理解が進んだなってやっぱり感覚は自分の中にもあるんだよね。
おだしょー はいはい。そこはね、ちゃんと哲学をやってるとか、人からするとそれはね、歯がゆい部分というかさ、そんなんで分かった気になるなよって部分はあるかもしれないけれども、例えば今のさ、日本のポップスをさ、ミシェス・グリーン・アップルで全部語れるか、キング・ヌーで語れるか、ヨネーズで語れるかみたいなさ。
おだしょー それだけじゃないじゃんみたいなね。たとえばグレイがいてとかさ。それだけなの?みたいなさ。ただ、どうしても俯瞰してみると、あの人たちのブルーハーツの時代があってね、みたいなさ。アップルさんでも表に出てないから、めっちゃすごいけど。
おだしょー そういうさ、やっぱり詳しい人が見ると物足りないけど、ある程度俯瞰してみた時に、そこの中で分かってると、黙ってても、たとえばミシェス・グリーンが好きだったらこの辺自然と繋がるよねとか、キング・ヌー付きだったらこっちの方にも行けるかもねみたいな、その代表例があることで繋がる予知みたいなさ。素人でも繋がる予知というか。
とっかかりみたいなものって必要じゃないと、そのとっかかりない時にさ、いきなりさ、音楽で言うとメタル全部掘れって言われてもさ、どのメタルですか?みたいなさ。
もう分かんないからね。
そうそうそう。いや、だったらまず主要なところを教えて、そっからカッコイイから。でもその主要なところを知るっていうのがさ、実はすごい難しい。
どんなメタルがあって。だってね、スピードメタルとさ、ゴシックメタルとさ、全然違うじゃんみたいな。ごめんいきなりメタルの話になっちゃったけど。
でも音楽みたいにね、聞けば5分10分で聞ける。聞くだけなら聞けるみたいな話なのか、作書ってね、別に1時間かけて読んでも何もわからんとかってやっぱ起こりうる世界だから。
なんでメタルで例えたんだろう。クラシックとかでいいじゃんね、モーツァルトとか。
やっぱりね、そうやってやれることが、ある種のポッドキャストの良さでもあると思うんだよね。やっぱりいろんな話ができるし、ヘーギルとかも別に、もちろん本とかノートとかでもいいかもしれないけど、やっぱり本であれを参照してみたい話って結構難しかったりするじゃない。
いやー、むずい。
読まなきゃいけないと思って苦しいけど、一応流れてくるから、ポッドキャストはね、耳にこう。
そうだね。確かに自分も、あのー、哲学章全然買わないんだけど、この前空気収蔵の息の構造を買ったとね。
買ったんだ、はいはいはい。どうだった?
読んだんだけど、これ多分このラジオなしで、いきなり読んだら、やっぱ2ページで寝てるよねって思った。
いや、基本そうだよね。
突然だってね、エスプリとの違いはとかさ、言われたらもうよくわかんねーよみたいな。
比較したら、息とエスプリに比較したと思うけど、そうなんだよね。
ある程度ね、ゴールが見えてるというかさ、こういう話をしたんですよって、こういう面白さがあるんですよっていうのがないと、眠気に勝てないというかさ。
いやー、本当にそう。
特に素人はね。
いやでも、僕も素人に気が生えたぐらいだと思うんだけども、ホワイトヘッドを最近読んだんですよっていうか、やっと読み終えたんですよ。
ホワイトヘッド好きですって時々言ってたり、最近勉強してますよって雑談で言ってたと思うんですけども。
あのあれだよね、体感なされた先生と。
そうそうそう。教授の方と一緒に月一やってるみたいな感じだったんだけれども、約1年かけて500ページあるデート実在っていう本を読み終えましたと。
感じだけど、もうね、本当に苦痛だった。苦痛だったし、先生も最後におっしゃったのが、本当にいつ辞めようかと思ってましたって先生が言ってて。
先生とか出来の悪い生徒すぎて。
なんかね、そこが一応褒めてくれたんだけど、よく頑張りましたねって言ってくれたんだけど、先生もやっぱりホワイトヘッド読むのはきついだと。何言ってるかわからんと。
先生も別に専門ではないから。
専門ではない。もちろん読めばわかるんだけど、一回読んでわかる本ではもちろんないんだよね、その先生ですら。
前は早いと言ってたけど、だから普通に本読むととは違うんだもんね、そのテクスチャクションを読み進めるっていうのが。
先生おっしゃったのは、一回読んでホワイトヘッドの言葉遣い、もちろん訳文だから、その役者の含めとは馴染んで、もう2回目眺めたらなんとなくわかるっていうふうに先生がおっしゃってて。
俺は一回読んでわかんなくて、2回目読んでちょっと線引いて、3回目読んではこんなことかなっていうのをやっとチャットGBTに入れて、
ホワイトヘッド何を言ってますかっていうのを返してもらって、4回目読んでやっとなんかこんな感じかなってわかるみたいな。
そんな感じの読み方だから、その50ページ読むのに4時間くらいかかるわけ、読むだけで。
結構本読むの早い方で、多分新書とかの200ページくらいだったら1時間くらいで読むんだよね。
って感じなんだけど、ホントにホワイトヘッドの仮定と実際は50ページ読むのに何時間かけてるんだみたいな。
そっから本の中で自分が先生に話したいことを抽出してノートにまとめてって言うと、それだけで多分6、7時間くらいかけてるのよ。
少し理解が進んだ体験
その予習の段階でね。 予習の段階で、そう。
なんだ俺こんなことやってんだろうみたいな思う瞬間があったんだよね。
同じだったら全然わからんみたいな。
ただ、10月のレッスンで最後まで読んだんだけど、最後の書がめちゃめちゃ面白かったの。
そのホワイトヘッドを書いたことを面白いと思える自分に浮かれちゃって。
なんかホワイトヘッドわかった気がしますとかよくわかんないメールを先生に送って。
でも先生もなんかそれは楽しんだな、伝わってきたよとかって言ってくださって。
ぐらい、ちょっと読めたっていう感じがしたんだよね。
なるほど、なるほど。
それはめちゃめちゃ嬉しくて。逆に今ホワイトヘッド中だから一瞬。
何見ても平気とかも読んでても、これホワイトヘッドで言うとこのアレじゃんみたいな感じに、なんか良くも悪くもなってきて。
その感覚はすごくなかったものだからこれまで。なんかすごく面白いんだよね。
なるほど。だから哲学生って多分いろいろ読んでるんだろうな。
読んでる。
まあある程度ね。
そしてやっぱ違うの?先生と読んだ、いわゆる本当に読むっていう感覚と本として読むのは違うの?
全然違う、本当に。読んだっていうか、一応最初から最後まで追いかけましたんだよね。
やっぱハイデガーの存在と時間を読みましたって言っても、一応文字を追って何とか最後まで文字を追いましたみたいな感覚なのよ、やっぱり。
だからその中に出てくる引用とかめっちゃ多いじゃん。
引用も多い、そうそう。
引用だったりとか前提か背景って。
そうそうそう。
やっぱそこまで辿ってらんないよね、いちいちね。
無理だね、読書では無理だね、やっぱり。やっぱり弁護をしようって思ったから、例えばもちろんホワイトヘッドガン、それこそデカルトとかサプサンテとかカントとかを引用したりとか、パラトンとかを引用したりするんだけど、これって何だとかってちょっと見に行くわけよね。
やっぱ行かないとダメなんだよね、そういう読み方。アカデミックな読み方でしょ、いわゆる。
そうですそうです。もちろんわかんないし、先生もホワイトヘッドじゃなくてデカルトのことをやろうって言って、デカルトの話をやっぱり補ってくれるのよ。それがあるから、なるほどここでデカルトが出てきてたらこういうことなのかっていうようなことがわかったりするし。
ロックとかヒューモンめっちゃ出てくるんだけど、実は4月ぐらいにロックとかヒューモンやってたのはもうホワイトヘッドを理解したかったっていう裏テーマになって。
この趣味と、どっちも趣味だけど。
そうそう、ホワイトヘッドを理解するためにロックとかヒューモンを知らなきゃいけない。勉強するようになったら、そこもフォトキャストでやっても面白いしいいよねみたいな。ところで、その時よくわかんないモチベーションでイギリス経験論をやってた。
そう、みたいな感じで10回かけてやっとやったんだけれども、やっぱり今言ってくれた学術的とまだ言わないけれども、ちゃんと理解しようと思って読む読み方、もっと言うと理解しようと思わないと読めないけど、でも何となく頑張ったら理解できるみたいな感覚っていうのは結構新鮮で。
それ自体すごく面白かったなっていうふうに今捉えてるんだよね。
それだとさ、あれホワイトヘッドってやったっけ?
ちゃんとはやってない。
学術的な読むことの重要性
ちょっといっぱいやって、そのホワイトヘッドで、去年の5月とかかな。
一応ホワイトヘッド編で具体性を置き換える語尾というものがありまして、みたいな。
そういうのをやった。
やったけど、もう全然わかってなかったな、当時の自分って思う、今では。
どっかでやってほしいんだよ、ホワイトヘッド回。
やりたいやりたい。
それこそまだ熱いうちにというか。
そうだね。全然年末とかに、時々自由に話させてもらう回があると思うんですけど。
そういう時とかに、自分が読んだ仮例の実際の学んだこととか、掴んだこととかを話させてもらうなら、それはぜひやりたいね。
なるほど、いつものホワイトヘッド回とかじゃなくて、ハヤトの自由研究発表会ぐらいの感じ?
そうそう、読書感想文をお届けしますぐらいの感じだと思うんだけど。
なるほど、それどうなんだろう。
でもね、面白いと思って。僕がやったことだからそれは面白い。僕は面白いんだけど、皆さんに面白いようになるかはちょっと頑張るんですけど。
でもやっぱりそういう意味では、さっきのメタルの話じゃないけど、もちろんメタルをつまみ食いできるのかわからないけど、やるのも大事だけど、
でも一個を掘り下げるみたいな、たぶん両方はあるじゃない?
このバンドをとにかく聞き潜るとか、このバンドのドラマーがいたら別のところも一回手を伸ばしてみるとかさ、
そういうことをやったときに見えてくるものがあるんだろうなーっていうのも、なんか思ったよね。
ああ、確かに確かに。ちょっと近いかもね。確かにいろんなバンドをしてて、いろんなバンドを聞いてるっていうのと、このバンドの全てのメンバーのおいた力、何から全てを網羅していて、
なんだろうな。究極的には時間とかの関係で両立してるのは難しいもんね。
やっぱり全部はできない。必ずやっぱり学者っていう人は一つ対象として掘り下げて掘り下げていく。
もちろん学者の中でもそういう幅を取る人もいる。比較研究とかでやっぱりね、西洋と中国とかって比較する人もいれば、それこそ同一観念論みたいなくくりでやる人ももちろんいらっしゃると思うんだけど、
やっぱりそれは全部はできないんだな、逆に言うと。っていうのもやっぱり思うよね。
だから面白いのがこれ、何とは言えないけど、例えばそれさ、同一観念論とか、ちょっと広い哲学みたいなことを触れてる本があったときに、これ読みましたって持ってったりするのよ。
それだと先生が、ちょっとこいつは浅いから、なんかあんま読まない方がいいよ、みたいなことを言ったりするのね。
へー、はいはいはい。
つまり広く浅くにやっぱどうしてもなるっていうことはわかってらっしゃるから、広く書いてるっていうことは深くないっていうふうに、やっぱり判断されてるんだよね。
わー、まあまあしょうがないよねってさっきの通りで、基本的にはさ、もちろんその人の能力とかさ、いろいろと言うけども、トレードオフじゃん。
だから別にダメだとは言ってるわけじゃないんだけど、やっぱりそれを参照にするんだったらそういうふうに思って生みなさいっていうふうなことを教えてくるわけよね。
ここに書いてることがもちろん全てではないよと。僕はやっぱり知らないから、ここで読んだことが全てだと思ってしまいがちなわけよ。
なるほど。だから、モーツァルト研究家の人が書いた本と、クラシック音楽研究家の人が書いた本は、ちゃんと違いをこっちがわかって読みなさいよ、その先生がすごいとかダメだとかじゃなくてっていう。
だからクラシック研究家の人が書いたモーツァルトはモーツァルトの全てではないということをわかって読みなさい、聞きなさいって話だよね。
それってさ、言われないと正直わからないというか、だってこっちから見たらどっちも専門家だし、どっちも教授なわけよ。
そうだね。
っていうところの解像度はなかったから、それはすごいありがたいことだなと思って。
面白い。確かに。そっかそっか。その深さみたいなものをこっちで想定しておくっていうのは、すごく必要なスタンスかもしれないよね。
そうそう。そうなんだよね。そういった意味では、専門家というか先生としっかり1年間、もう2年間になるんだけど、
前回の山口職流の意味の形状学という本からずっと2年ぐらいあるんだけど、
毎月話させていただくことの贅沢さというかありがたさだよね。
大変そう。大変さも伝わってきたね、今回。
大変です。大変でした。
お互いね。先生ももう嫌になってたでしょ。先生も大変。
そうそう。先生も諦めそうになってたから、本当にありがとうございますって話をしてやってたんだけど。
どう?先生って別にその深さで全員とやってるわけじゃないんでしょ?
じゃない。じゃないけど、やっぱり学びたい人はいってそういうものを求めるから。
例えば、それこそサルトルとかは他の人も読んでるらしいんだけど、
その人はもう60歳とかで仕事も終わって、やっぱり哲学学び直したいって言って来た方らしくて、
それとサルトルは一対一で読むみたいな。
もちろん理解度に様々あるけど、その人の学びたいという気持ちは本物だから、そこに向き合ってるんだよとかっていうのもおっしゃったりしてて。
そう、なんて素敵なんだ。もちろん言ったらめちゃめちゃ厳しくはないけど、やっぱり鋭いから、
うってなる瞬間もあるんだけど。
じゃないと学びじゃないもんね。
そうそうそう。すごくありがたいなって思うよね。
貴重な経験というか、それを求めていったんだろうけど。
そうそうそう。
みたいな、ちょっとごめんなさい。自慢話というかね。
俺、楽しかったぞっていうね。
そうそう。言っちゃってて申し訳ないんだけども。
まさに今回のドイツ関連のカント、フィフティ、シェリング、ヘーゲルっていうところの流れの楽しさもあるし、
やっぱりね、今私はホワイトヘッドのホワイトヘッドっていう人を突き詰める楽しさもあるなと思うから。
なんかやっぱり、この両方をできる限り、僕のそれこそ、両方はできないってさっき言ったばっかりだから、もちろんできないんだけど、
お呼ぶ限りでお届けしたいなっていうのを改めて思ったんだよね。
だからそっかそっか、どっちがいいとかじゃなくてですることね。確かにその観点を持ってるって話だね。
収録と哲学カフェの交流
そうそうそう。
それをまあ、いわゆる台本を作るというか、伝える側の早いとかそれを持ってるっていうのは、確かにそこに自覚的であるっていうのは大事かもしれないね、確かに。
ね、って言ってもらえると嬉しいなっていう感じだね。
確かに確かに。じゃないとね、俺はすごいことをやってるとか、俺は正しいことをやってるっていう時の、そのフォーカスの仕方、繰り入り方がすごい重要なのかもしれないと思うよね。
そうね。ともするとさ、実は3年ぐらいポッドキャスターやって少し詳しくなったなとかって思う瞬間もなくはないのよ。
それって別に何の役にも立たないなというか、全然知らんなってやっぱり常に思うから。
そうだね、全然知らん。どっから見るかだもんね。こっから見ると知ってるけど、こっから見ると全然だなっていうその感覚でもね。卑屈になっても違うしね。
そうそうそう。でも結構始めた当初は、実学に興味があるとか、言っても素人ですって卑屈さというか、ちょっと面罪婦みたいな感じで使ってる部分があったのよ。
所詮素人に言ってることなんでぐらいの感じだったんだけど、今は逆に自信を持って、素人だからこういうことができるっていうふうにちょっと思ってる節はあって。
それはそれでいいよなーって思ったりするかな。
ちょっとごめん、そんな感じで今の自分の思っちゃうことをバッと言っちゃったんだけれども。
まあね、そんなことも言ってたし、あとこれまた全然話が変わるんだけれども、ちょうど昨日だね。収録日からして昨日なんですけど、
末鉄カフェをやったじゃないですか。
そうだね、はいはいはい。
そう、フォーラム参加の人で、昨日は5人から集まってくださって。前回お便りご紹介したおかぴーさんがいらっしゃったと思うんですけど、
おかぴーさんも初めて。
死と哲学的視点
哲学教者の素人から見るとね、本人からずっと違うって言うだろうけど。
そうそうそう。すごい年上の方かなと思ったら、実は同年代というかそんなに変わらないぐらいだったんで、それも驚きだったんだけど。
そういった方も参加していただいて、またそこで話したんだけど、昨日は死についてっていう結構重たいテーマだったんだけれども、
やっぱりそこにもストーリーというか、こういう風なことを話したいって言ってくださった人がいて。
死っていうのを見て哲学的にね、それこそハイデガーの話とか出たんだけれども、
ハイデガーって死の先駆みたいなことを、たぶんハイデガーの時にもあったかな。ちょっとそういうのはあるんだけど。
というだけの話じゃなくて、やっぱり自分が死をどう捉えているかとか、
でも意外と死について話そうと思うと、結局生きることについて話すよねとかってやっぱり気づきというか、流れがあったらめちゃめちゃ面白かったなと思ってて。
そうだね。いつもだけど、やっぱり時間足りないねっていうのが、より顕著に現れたテーマだったねっていうね。
そう、だからそういう意味では、もちろん哲学って哲学者のことを知るのもそうなんだけど、やっぱり自分が普段あんまり思ってないことを言葉にしてみるとか、それを伝えた時にどんな反応が来るか味わってみるってやっぱりめちゃめちゃいいよなと思って。
そうだね。いろんな人の、今回言うと死とか生きるとはないかみたいなテーマって、その人の経験だったりとか価値観とか全然、全然というかね、それぞれの価値観があるっていうことがわかるもんね。
それをちゃんと話すとか、ぶつけるまでじゃないけど、それを外に出すか。でもやっぱ確かにないなーっていうのは、こういうテーマを話すと思ったね。
それこそ、おわぴーさんとか最後は感想で言ってくださったんだけれども、やっぱこれも一人で本を読んでて、それでやったんだけど、話してすごい哲学してる感じがするって言ってくださって、そのコメント自体がすごい哲学者だなって思ったんだけど。
もちろん他の方に参加いただいたお二人とかもすごく素敵な、別にめちゃめちゃいいことを言おうっていうわけじゃなくて、純粋に自分が感じることを言ってくださることがめちゃめちゃありがたいっていうのだから。
だからね、自分の中でそういう哲学の先生とやる勉強も大事だし、やっぱり皆さんと話すカフェとかも大事だしって、両方があるのが、今僕はめっちゃ人生幸せですっていう最後、そういう宣言なんだけど。ありがとうございますっていう。
コミュニケーションの重要性
そうですね、ハヤトも話す場がない人だったからね。 ほんとそう。何度もお伝えしてはしてもらってるんだけれども、もしなんかするのは自分を話してみたいなとか、パドル高そうとかって思う方もいらっしゃるかもんだけど、自分が感じることをなかなか人に言えないとしたら話してみたいなとかって方がいらっしゃれば是非ね、
ソレッツカフェのメモを叩いてもらえたら嬉しいなと思いますし、これまだ企画中っていうか、兄貴も言ってないんだけど、フォーラム参加者がソレッツカフェに参加するっていう流れなんだけど、一回それ取っ払って参加したい人いたらこの日やってるからどうぞみたいなのをちょっと一回やってみてもいいかなとか思ってて。
そうか。そういうことも含めて、ぜひまた皆さんと聞いてくださる方と交流すればっていうのをもうちょっと増やしたいなとか、僕の中でも今いろいろちょっと出たりはするので、そんなところもぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいなと思っておりますというふうな感じですね。
わかりました。最後、他に広がりそうな話題をポンと投げて終わっちゃったけどね。
ちょっとまだ考えてない。アイデアレベルだからもうちょっとでまとまったらまたお話しします。
わかりました。じゃあちょっと今回はね、雑談会はこれぐらいにしまして、次ですね、フランスの哲学者の方、誰だっけ。
ピェール・アドさんですね。名前忘れちゃうよね。
ピエール・アドさんですね。その方の生き方としての哲学を倒し抜くというところで見ていきたいと思います。では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。