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  2. #374 役立たずの美学?荘子の..
2025-11-30 40:40

#374 役立たずの美学?荘子の思想を生んだ時代背景

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

今回のエピソードでは、荘子の思想とその背景が探求されています。特に、春秋戦国時代の複雑な社会情勢が荘子の生き方や哲学に与えた影響について語られています。無用の用という概念を通じて、無駄が役立つ意義についての考察も行われています。荘子の思想では、役立たずを美学とする観点が強調され、古代中国の宗と陰の二つの王朝の対立が背景にあります。孔子を通じて、過去の理想的な社会への回帰が語られる一方で、人間が社会に役立つことに縛られている現状に対する疑問も投げかけられます。荘子の思想が生まれた背景として、戦国時代の厳しい価値観が浮かび上がります。役立たないことにも価値があるという考え方が、人々の生き方にどのような影響を与えているのかが掘り下げられています。荘子の思想は、役立たずの美学を通じて万物正道の理解を深めるための背景を提供しています。

荘子を再考する
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の観音恭介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。さあ、今日から掃除ですね。掃除の第2回ということで、久々にまたやっていくというところでした。
はい、第2回というか、リベンジみたいな感じですね。観とリベンジみたいな感じなんですけど、
掃除はローソー思想の掃除ですね。
普通に言うと掃除って言いがちなんですけど、実際は掃除って言うらしいですよって、たぶん2年前ぐらいにやってるんですよ、1回。
ああ、もうそんなに経つんだ。はいはいはい。
そう、もう2年経っててびっくりしたんですけど、僕も。
で、当時は中国の古代思想をやってみようみたいな感じで、ローソー思想のローシと掃除ってやってて、
掃除に行くと僕、ローシは知ってるけど掃除ほとんど知らないなぁみたいな、結構そんなところから話したと思うんですよね。
ああ、そっか。じゃあシリーズとして掃除を取り上げるのは第2回目なんだけれども、前回って2回か3回ぐらいしかやらなかったみたいな感じなのかな、中国古代思想の流れで。
一応ね、4回分ぐらいはやってるんだけど、あんまり深入りするというよりは、ちょっとわかんないけど調べてみましたみたいな感じだったはずなんだよね。
で、じゃあ何で改めて掃除いっぱいやるのって話したんですけど、2つあって1個はですね、前回そのピエール・アドさんっていう生き方、哲学って生き方だよねみたいな、そういう話をしたじゃないですか。
で、実はこの掃除っていうのがそこにかなり近いというか、やっぱり掃除も何かものすごく高尚、まあ言ってるんだけども高尚なことを絶え切らせてやったというよりは、掃除自身のやっぱり理想の生き方とか、やっぱり人間ってこういうふうに生きていくのがいいよねみたいな、そういうものをかなり言ってるんだよね。
いろいろ読んでみると、掃除は今この瞬間をいかに生きるかが大事だ、みたいなことを言ってたんだ、みたいな人もいて。それって前回のアドの話と一緒じゃんみたいな、そんな感じもあるんですよ。
へー、そうだ。時代全然違うのにね。
そうそう、2000年くらい違うんだけれども、なので結構そういう流れで、アドさんの生きる哲学みたいな話と、この掃除の生き方の哲学みたいな形で話していくと、なんか面白いんじゃないかなと思ったのが一つなんですけど、もう一個は僕自身がね、結構この2年くらいなんとなく掃除が気になって、ずっと読み直してたりしてるんですよ。
ラジオ以外にもそういうのは読んでる?
うん。やっぱ気になるなとかって読んでるときに、なんか面白いこと言ってんなとか、なんかわかんないけどこの人そういうこと言ってそうみたいなことをじわじわ身につけてるときに、結構掃除の絵ってことって自分が理想にしてるものに重なるかもみたいなことを思っていて、
そのあたりの話も踏まえて改めて掃除を見直してみたかったみたいな、そんな感じなんですよね。
春秋戦国時代の影響
なるほど。面白いな。
今回も掃除編とかでやっていくんですけれども、あのさんと違うのは、あのさんは前回聞いていた方は復習ですけれども、古代ギリシャだよね。そういう時代のものをもう一回見直して、ある種体系だったら哲学っていうよりも、本当に自分がコントロールできるものに集中しましょうみたいなスター派的なこととか、そういうことを見直していったんだけれども、
当時のアテイってもちろん戦争とかはあるけれども、一定その民主主義とかがあって、ちゃんとその街として成り立ってますみたいな、そういうふうな時代なわけなんだよね。時代というか社会状況か。
この掃除っていう人がどういう時代かっていうと、やはり春秋戦国時代ですよね。なので、とにかく国と国がお互いに滅ぼし合おうとしているとか、軍師もすごい賢いとか、賢人もいれば坊くんもいて、ガンガン民を粛清してますみたいな、そんな感じの、本当に血で血を洗うみたいな、そういうふうな時代なんですよ。
ああ、そうか。そのぐらいの時代だったか。はいはいはい。
そうそうそう。っていうような感じなので、同じ生きるみたいな話にしても、切実さというか、捉え方が全然違うんだよね。
うんうんうんうん。
で、前回も言ったけど、結構織子さんにというか、生きるってこういう自分を磨いていくことで修練して、そこに準ずることだみたいな、結構マッチョというか、頑張って生きていくぜみたいな発想もあったかなと思うんですけど。
まあ、なんかそうだよね。何回かこう自己啓発っぽいねって、そことの違いは何なんだろうみたいなね。うんうんうんうん。なんかそういう意識高い感じはちょっとしたよね。
そうそうそうそう。で、この掃除はどっちかっていうと、ちょっとアナーキーというか、ロックな感じなんですよね。
えー、そうなんだ。
うん。そんな自分を磨いて頑張るとかじゃないよねと。
うんうんうん。
で、もっと言うとその当時、いわゆる孔子に始まるのは儒学ですよね。儒教というのがあって、いわゆる忠義とかさ、礼儀とかそういうものが大事だみたいな。
そういうところから、人間の秩序を取り戻して、その国をちゃんと治めていこうぜっていうところがある種本流としてあったわけなんだよね。
あー、そうか。時代的には孔子が出た後なのか。
後だね。
はいはいはい。
時代で言うと結構実は差があって、孔子は紀元前500年ぐらいなんだけれども、宗司は紀元前300年の半ばぐらいなので、150年ぐらいかな、結構差があるんですよ。
はーはー、なるほどなるほど。そういえば孔子はソクラテスとかブッダと同じで覚えておくといいのか。
そうそうそう。老子は結構孔子と近いって言われてるんだけれども、時代的に。宗司は結構後なんですよね。
あー、なるほど。はいはい。
なので、時代的にはちょっとね、これも捉え方によるんだけれども、儒教っていうものがちょっと形外化し始めてるというか。
うわー、なるほどね。そっかそっか、すごいねってなって時間結構経ってるのか、200年だから。
そうそうそう。あいつらいろいろ言ってるけど、結局なんも変わってねえじゃないか、世の中見切りが。宗司からするとそんな感じなんだよね。
はいはいはいはい。
っていう中で、ある種、なんていうのかな、今日はですね、無用の用っていう言葉を熟練者がやってくるんですけど、無用の用って、要は無駄なものが役立つみたいな、そんな意味ですね。
ほうほうほうほう。
うん、ってやってくるんですけど、なんか結構ね、僕も、やっぱり大元はそっちっていうかなんだろうな、基本平等な人間だから、やっぱりストイックに自分を鍛え上げて、人生を豊かにしていきましょうとかって言われると、
一瞬いいねって思うんだけど、夜布団に入る時とかに、でもそれなんかやるのやだなって思う人間なんですよ。
そうだね、前回も参考にしてたストア派もさ、皇帝の話でしょ。
そうだね。
皇帝じゃないか、偉い人の話でしょ。
皇帝だね。
皇帝?
もちろん奴隷から皇帝までっていうのはストア派はあるんだけど、基本的には自分をちゃんと鍛えていきましょうとか、秩序的なものにのっとっていきましょうっていうふうな発想だね。
じゃあそれを別に偉い人だけやってたわけじゃなくて、ある程度庶民もできるよみたいな、やろうねみたいな。
そうですそうです。
無用の用の概念
だからあえて偉い人だけがやるってわけじゃないんだけれども、やっぱり理想に向かって頑張ろうよとか、自分で自分を鍛え上げようよとかって言われると、前回脱安で言った通り、僕全然ジムとかにも行けない人だからさ。
いやいや、そんなちょっと人生頑張りたくないんすけどみたいな、そんな感じになっちゃうんだよね。
なるほどね。
何だっけあれ、昔あったさ、お腹に貼るだけのアブトロニックだっけか。
あーはいはい、あれだったね。
お腹に貼っとけば腹筋割れるぐらい、そのぐらいの方がいいっていうね。
あーほんとそう、シャキティマットを今やってますけども、寝っ転がるだけでいいみたいな、ほんとそんな感じなんだよね。
なのでちょっとね、気持ち的にもやっぱりその掃除のちょっとアナーキーな部分とか、いやいやお前ら頑張りすぎっていうか、それ本当に正しいのみたいな、やっぱりちょっと舎に構えた感じっていうのは根本的に好きなんですよ。
はいはいはい。
なので、そういう魅力も自分の中で感じましたところも含めて今回その掃除っていう人をですね、改めて取り上げて、
ピエール・アドさんと同じように、やっぱり哲学的に生きるとか、そういうことを考えてますよとか、今この目の前に集中するっていうのは大事ですよっていう、結論としては似てるんだけれども、
自分の発想とか世の中の捉え方とやっぱり全然違うので、そこの違いをちょっと味わっていただけると面白いんじゃないかなと思って、あえて持ってきましたっていうような感じですね。
はいはい。いや面白いね。だからピエール・アドは最近の人だけれども、ある意味古代のリーサ哲学とか、こういうローマとか、そういう時代を見て現代に生かすみたいな話だったから、ある意味時代的には似てるのかもしれないよね。
そうそうそう。だから古代、ある種、今から僕らからずっと古代の人たちの生き方とか哲学っていうものが、どういうふうに現代に役立つというか、受け止められるのかみたいな。そういうふうに聞いていただいてもいいんじゃないかなと思うね。
はいはい。そうだよね。前回はヨーロッパで、今回は東洋、一方東洋みたいなね。
そうです。
はい。だからじゃあ今日やっていくんですけれども、第1回であれば掃除等はやっていくんですけれども、一応前回はやってるので、そのあたりはまたちょっと良かったらリネスパイのやつ、少し聞いていただいて。
第何回ぐらいだっけ?
そうですね。131回とかですね。
思ったより前だな。
もしよかったらそれも聞いていただければって感じなんですけど、時代背景だけは少しお伝えをすると、メトロの掃除さんですね。
もちろん全部が全部性格じゃないみたいなのもあるんですけれども、有名なシバセンの式ってあるじゃないですか。
うん。
あれに掃除のまとまった記述があるんですよね。
そうなんだ。ほうほうほう。
むしろそれが一番古いというか、性格だと言われてるんですけど、掃除は生まれたのが戦国時代のソウっていう国で、
荘子の思想の背景
なんかあれちょっとなんだろうな、小役人みたいな、別に偉くないんだけど、一応土地の管理とかしてますよみたいな、そういうふうなお仕事をしたみたいなんだよね。
はいはいはいはい。
でもめちゃめちゃ貧しかったらしくって、頬はこけて背は曲がりみたいな、そういうふうなことは書いてるぐらいらしいんだけれども、
結構ね、いわゆるバックグラウンドで大事だなっていうのが、このソウっていう国なんですけれども、
これが流れ的には、もともと中国って陰とか宗っていう国が王朝があったっていうのって、歴史とかでやったことあると思うんですけど、
大きいね。
そうそう大きい。陰の末裔が作った国みたいな感じらしいんですよね。
あーはいはいはいはい。
もっと言うと宗、陰、宗があったときにその後に戦国時代になるんですけど、
宗に滅ぼされた昔の王朝の人たちが、ある種追いやられた国みたいな感じらしいんですよ。
はいはいはい、なるほどね。
国ではあるんだけど、当時その時点でも暴竜というか、あいつら負けた陰の国の末裔だぜみたいな、結構そんな感じらしいんだよね。
孔子の教え
結構陰と宗の国の違いも面白くって、陰っていうのはもともと貴公もしかやったと思うんですけど、亀の甲羅を焼いて占いをしますみたいなのあったじゃない?
はいはいはい。
あれが陰の時代なんだけど、いわゆる日本でいうところのシャーマニズムというか、霊的なものとか占いとかっていうものが全てで、それによって社会を整えますよ。
それと接続できる王族が権力がありますよみたいな、そういうふうな国というか王朝なんだよね。
はい、なるほどなるほど。
それがただ時間が経つごとにどんどん軽減していって、なんかもうわけわかんないよみたいな、神の声、天だけど天の声を聞いたらこうなるみたいな話がわちゃくちゃになっちゃって、すごい暴君とか出てきちゃって、
これじゃダメだってなって、衆っていうものがその王朝を倒すんだよね。
なるほどね、はいはいはい。
衆っていうのはどっちかっていうと反動的なものもあって、かなり儀礼的な、人間が作ったルールで国を運営していきますみたいな、この王朝を運営していきますみたいな、そういうふうな感じなんだよね。
はいはいはいはい。
ではいっても衆も700年くらい続いてるし、院もたぶん600年くらい続いてるから、そんな簡単に言えないんだけれども、さっくり言うと自律的な、そういう宗教的なものを大事にする院と、儀礼的とか人間の理性的なものを大事にする衆みたいな、そういうふうな違いがありましたという感じなんだよね。
なるほどなるほど。
その後に戦国時代が来るんだけれども、当然乱れてるわけじゃないですか。争いで人はどんどん死んでいくし、やばいみたいな時に、やっぱり生きる人たちは当然何か秩序を回復せねばならぬって思うわけだよね。
ほうほうほうほう。
特に知識人か。今で言う宗教の人たちだけれども、一般の人はとにかく生きるので精一杯なんだけど、やっぱり宗教の人たちとかは、やっぱり君主とかにちゃんといい教えを説いていって、いい政治を行なうようにっていうふうに頑張っていくわけなんだよね。
実は根本にあったというか、立ち返るべきって言われてるのがまさに宗が作った理性的なものとか秩序なわけですよ。
なので孔子とかはそういうね、秩序が大事だよとか、その宗っていうある種理想の時代があったから、そこには立ち戻るようなことを頑張るんだみたいな感じで、こういうふうにいろいろな教えを説いていくわけなんだよね。
はいはい。だから時代が回ってるみたいな話だよね。宗が滅びてしまって、その後春秋戦国時代、春秋時代に入っていった時に、もう多分めちゃくちゃ戦いに明け暮れてて、どうするみたいな時に孔子が、いや、遥か昔に宗っていう国があってね、みたいなね。
その時は、そういう上が、下が上をちゃんと敬い、上が下を超えてたから、六百年も続いたのだ、みたいな。だから時代が経って、宗への憧れというか、あれ良かったよね、みたいな。復興させたのが孔子みたいなイメージだよね、確かね。
そうそうそうそうですそうです。そういう意味ではリバイバルなんだけれども、そういう意味では上を敬って、下を大事にしてとかって、やっぱりいい感じじゃないですか。
役立たないことの価値
いい感じだね。
論語と空版ってやるくらいに、現代でも繋がるんだけれども、よくよく見てみると、実はめちゃめちゃ窮屈だよね、みたいな話があるんだよね。
何気にもしかしたら見たことあるかもしれないんですけれども、当時、いわゆる中国の四書五経って言われてるものの中に来期っていうのがあるんだけれども、それもひも解いてみるとめちゃめちゃ細かいルールが書かれてます。
例えば、親が生きている子供は、ちゃんむりとか服を着るときに白い飾りがついちゃダメとか、逆に親が亡くなったときは華やかな色はダメだみたいな、着るものとか身につけるものまでもちろん規制されてるし、
歩き方とか、例えば目上の人と歩くときはちょこちょこ歩きなさいとか、
もちろん礼の仕方も9つくらいあって、このときはこの礼をしなさいとか、お辞儀の角度はこの角度でとか、いわゆるちょっと行き過ぎたマナー行使みたいなことをいろいろ決めてるわけらしいですよね。
当然社会の役割もそうで、ある種完全なる生まれによって決まる社会で、役人の子は役人出しとか、農民の子は農民出しとか、長男が偉くて次男以降どんなに才能があっても家を継げませんみたいな、
そういうふうな社会なので、ある種そういった儀礼とかルールが先にあって、そこにお前ら当てはまるよっていうふうな感じなんだよね。
はいはいはい、なるほどね。
どうかな、この社会なんか生きやすそう、生きてて生きやすそうではあるけど楽しいかなみたいな感じなんだよね。
だいぶガチガチな感じがして、息苦しそうだね。
だからこそ700年も続いたっていうものもあると思うんだけど、ある種統治社会なわけですよ。
はいはいはい。
そうすると、やっぱりその社会の人間の価値とか理想の在り方って何かっていうと、ルールの中でルールを守って役立つ人間っていうふうな、そういうものがいい人間だっていうふうになっちゃうんだよね。
まあそうだね、それを知ってる人がそうかみたいなね。
そうそうそうそう。
なので、もちろんそれっていい面もあるよねと。
実際、孔子とか儒教っていう人も立派な人になりなさいと。
立派な人っていうのは君子であればこういう人で、民であればこういう人なんだけれども、基本的に社会に役立つことがいいよねとか、お国のために頑張ることがいいよねみたいな、そういうふうになってくるんだよね。
ただやっぱりここである種、僧っていう国、陰の末裔の国で生まれた僧児は思うわけですよ。果たして本当に僧なんかいと。
はいはいはい。
要は、社会に役立つ人になりなさいっていう価値観って、どうすると人間は不幸に落とし入れますよねと。
もっと分かりやすく言うと、役立つ人間になりなさいっていうことって、裏返すと自分という存在をある種そのための手段にしなさいっていうふうな反射なんだよね。
役立つための道具。もっと言うと、例えばナイフがあったときに、ナイフっていうのはよく切れるのがいいよねと。
切れ味落ちると役立ちませんよねってなったときに、切れなくなったナイフどうなりますかっていうと、研ぎ直されたりとか捨てられたりするじゃないですか。
人間もそうで、役立たないんだったら教育されるか捨てられるかどっちかしかないよねみたいな、そういうふうになってくるんだよね、発想として。
わーすごいねー。もう紀元前から何者かになりなさいって言われてて。
何者かというかこれになりなさいだねって言われてて、親は役人だけど自分は絵を描きたいっすよとか言うととしても、別に描く分には描いてもいいのかもしれないけど、
それはダメなんだな多分な、こういう絵の具使っちゃダメとかそのぐらいのルールまで決まってるようなそんなイメージだね。
何者かというか親がやってた仕事をやりなさいか。
そうだねそうだね。仕事っていう意味はそうだね。
なのでやっぱり人間に当てはめると結局は国とか周りには君主みたいなものがあって、そのある種歯車になるっていうことが人間のある種理想なあり方だみたいな。
あーわかりやすいね歯車。
本当にそうなんだよね。
だからね、モダンタイムズあるじゃないですか。
あれの本当に古代中国版みたいなそんな感じ?
なるほどなるほど。
で、ある種人が決めたものでしかないから、
本来天から与えられた人間の定めみたいなものとか、もっと言うと自然っていうのは、いわゆる木とか川とかそういうものはそれ自体でらしくあるじゃないかと。
で、そういう自然のあり方を見たときに、ひるがえて人間のそういうルールとか規則に縛られたやっぱりやり方を見ると、あまりにも型にはめられすぎていて、ありのままっていうところから離れてるよねと。
で、我々人間は自然の一部だとしたときに、これっておかしいよねみたいな、そういうことを考えていくんだよね。
で、これ面白い話があって、そういったいろんな物語というか例え話できるものが含まれてる本なんですけれども、なんかやり取りの中でね、
例えばある人が、大工さんかな?が、もちろん木を切って家とかいろいろ作ったりするわけですよ。
っていうときに、なんかめっちゃ立派な大きな木があって、あれ使ったらいいじゃんってあるんだけど、材質が悪くって、例えば船にすると沈んじゃう。重すぎて沈んじゃうし。
それで棺桶とか作ろうと思うと腐っちゃって、なんかうまく使えないしとかっていうので、役立たないんだと、あの木は。
だからあんなに大きくなるまで保護されたんだよって、別に大きい木だから使えるんじゃなくて、役立たないからあんだけでかく邪魔なんだよみたいな、そういうことを考えるんだよね。
でもそこに対してやや違うぞと。その木っていうのは、実は役立たないことによってその木にあるんだと。
それもっと言うと、役立つような木だったらすぐに伐採されちゃうねんとか、おいしい果物とかになったらすぐ取られちゃって子孫残せませんとかってなっちゃったりするじゃない。
もちろんそれを人間が埋めてとかってなると、でもそれはそれで管理されてるから、別に育った果物ないのに育っちゃいましたみたいなさ。
ある種、木の立場からすると、実は人間なんて役に立ちませんよ。それによって私はこんだけ大きくなったんですよっていうふうな、そういうふうな発想があるよねっていうようなことを言うんだよね。
おー、なるほどね。
無用の価値を見出す
どうかな、この話ってイメージわくかな。
わくけど、ここまではちょっと無理やり感はあるかなとは思うね。
あー、なるほどね。どの辺に感じる、無理やり感。
あまりにちょっとへりくつっぽい感じがするかな。
役に立たなさすぎるから、逆にここまで大きくなったのだ。
ちょっとまた、二言論の逆方向を言ってるだけであってみたいな感覚が、そういう気持ちはあるさと思う。
はいはい、なるほどね。無理言ってるんじゃないかって話だよね。
役に立つべしの、ただの反対側の話しか言ってない。
ある意味、役に立たなきゃいけない、歯車にならなきゃいけないっていう価値観に固まってる人への気づきとしてはいいかもしれないけど、気づきのエピソードとしてはいいかもしれないけど、
役に立たないものこそ思考だ、みたいな話だったら、それはそれで一緒じゃん。
そういう使い方されたらまずいかなって思った。
いいね、一切抜きの観点がどんどん鋭くなってますね。
ありがとうございます。
そうで、別にソウジは役立たないのがいいのだとか、社会に反抗せよって言ったわけじゃないんだよね。
はいはいはい。
つまりまずは、当時の時代とか宗の時代を理想とする儒教的な発想でいくと、まず役立ちましょう、これはスタートなんだよね。
そこに対して、いやいやそうじゃないよと、役立たないっていうことにも価値があるよねっていうところを伝えた上で、
じゃあどうするっていう時に、さっき言ったような、いわゆるありのままの、もっと言うと、天命だよね。
やっぱり何かしか自分の持っている本来の在り方。
ありのままってことはすごく難しいとか危険だから、使い方気をつけないと思うんだけども、
まず自分の本来性みたいなものをちゃんと取り戻していこうぜっていうふうな、そういうふうに言っていくんだよね。
なるほどね。
これは実はいくつか意味があって、さっき言った通り、ソウジが生きた時代って戦国時代ですと。
実際ソウジ自身もちょっと偉い役職ついて、戦争とは国の政治を頑張れよって言われたことあるらしいんだよね。
そういうふうに結構優秀だったらしいんだけれども、それは断ってるんですよ。
なんでかっていうと、要は優秀な人って育てられるじゃないですか。
仕事をしていろいろやってくるんだけど、そこで仮にミスとかするとすぐ殺されるんだよね。
つまり役立とうと思うとか、何かそこに対して自分の有用性、自分は役立つ人間だっていうのを主張すればするほど、どんどん死ぬリスクが高まるんですよ、この時代って。
なるほど。確かにその一定以上の役人になると、永奪か死かのレールの上に乗っかっちゃう気がするよね。
本当にそう。
庶民とかさ、一定程度までの役人だったらそこと無縁にいられるけれども、ある程度国だったりとか戦みたいなもの、もしくは外交とか、そういうへんの責任がある立場になると、もうそのレールに乗るみたいなね。
そうそうそうそう。さっき歯車って言ったけど、本当にヒーブじゃなくて、本当に回り続けるか壊れて取り外されるか、それしかないみたいな。そういう風な時代背景なわけなんだよね。
なるほどね。こっちの歯車だったらまだいいけど、そっちの歯車にはちょっといやっすみたいな。
さすがに無理っすよみたいなね。端っこの方だったらまだいけるけどみたいな。そういうのがあった時に、やっぱり当時の価値観からすると、いやいや役立つことが大事だ。
大きい歯車というか、より中心の歯車に行く方がいいっていう発想があった時に、それって違くないっていうのをほぐしてあげなきゃいけないんだよね、まず。
そういう意味でこういう木みたいな話をしたりとか、別にそれが世の中から離れて歯車としての生き方を捨てなさいっていうことじゃなくて、歯車は歯車でもいいというか、人間ってそうやって生きていく部分もあるよねと。
でもあなたがなりたい歯車とかあなたのなりたい回り方ってあるんじゃないですかみたいな歯車の例で言うとね。そういうことに立ち戻らせようとするっていうのがソウジがやろうとしたことなんだよね。
はいはい、なるほどね。そういう気づかせるためのエピソードってことなんだね。
そうそうそうそう。
そのぐらい当時は役立たないやつはダメだとか、役立って当たり前みたいな、そういうふうな発想がありますと。
なるほど。
そういうふうな感じなので、無用のようって話をしたんだけれども、単純に役立たないものが役立つみたいな、発想を転換しましょうとか、本来役立たないと思ってるものも扱いによって役立ちますよとかってことじゃなくて、役立つっていうことへのめちゃめちゃ強烈なアンチテーゼなんだよね。
なるほどね。さっき言ってた。
役立つことが大事であるとか、社会とか世の中が役に立つということだけが人間の価値であるっていう時代において、そうじゃなくねっていうふうに言ったっていう、かなり外側からの発想なんだよね。
そうね。
僕らも定職支援っていう仕事をしてると特に思うんだけれども、自分のスキル役に立つんでしょうかとか、自分のスペックってどうなんですかとかってやっぱり気にされる方もいらっしゃるわけよ。
当然、定職市場ってこの方も好きじゃないんだけれども、定職をするってことにおいてはそこで、「もうちょっとこのスキルがないと厳しいですね。」とか、「いやいや、あなたのこれはすごく価値だからいいですよ。アピールしていきましょう。」とかって言うんだけど、
社会とのバランス
やっぱりどうしても自分とか人間っていうものを役に当てはめるとか、押し込むみたいな、そういう感覚って一部どうしても残るなって思ってはいるんだよね。
まあまあ、だって難しいよね。社会がそうなってるし、そういう人材がいないとそれを回せないみたいなさ、その状況を。だからさ、春秋戦国時代にさ、「いやもう戦やめよう、みんな。」みたいなさ。
それができれば苦労しねえんだよっていうね。社会がそうなっちゃってるっていう前提がまた難しいっていうね。 そうなんだよね。で、そうじゃ別にその社会を否定する。否定はもちろんするんだけれども、だからといってそれを捨てて引きこもりましょうとか、自分だけの発想に落ち込みましょうとかってこともしないんだよね。
ちゃんとその社会で生きる、その中で、でも自分の大事にできるものを大事にしていこうとか、さっき言った自分自身の本来性、これは何かっていう話は次回この創事編でもやってくるんだけれども、この自分自身が本当に大事にすべきものを大事にしながら、ちゃんと社会で役立って生きていくっていう、このバランスをどう取っていくかっていうところをめちゃめちゃ話してるんだよね。
はいはいはいはい。
うん。なので結構ね、僕自身もやっぱり仕事してて、なんかこの人今さりにはめちゃってるなとかなんだろうな、この人の本来もっと素敵なとこあるのに、なんかそれを大事にできないのとかって結構悩んだ時期もあったんだけど、
うーん、なるほど。
勝手にね、勝手に。それはそうだみたいな、転職なんだからみたいな、世の中の宿題に行って当てはまらないと、そもそも成り立たないっていうような構造があるから、
そうね、そもそもご飯食っていけないっていう。
そうそう、それは相手もそうだし、自分もそうだしってなった時に、それはそれなんだけど、でも大事にしたいこれっていうものを見出そうとか、その見出したものをちゃんと大事にできるような転職活動とか、その企業と出会おうとか、そういうかな、ある種のバランス、現実的にやっぱバランスを取るようになってきたんだよね。
はいはいはいはい。
そういう時に、掃除のある種、頼ってるけどとはいえ、ちゃんとバランスを取ろうとしてるとか、アナーキーなんだけど別に世の中を離れて出家すればいいとかってことじゃないみたいな、そういうふうな立ち位置がめちゃくちゃいいなって、今話しながら思ったんだけど、
そういうところにやっぱ共感してる。共感じゃないな、何か学べるものが多いんじゃないかと思ってるというような感じなんだよね。
インスピレーションを受けるみたいなね。
あーそうそうそうそう、まさに。
なるほど。だからあれだもんね、たぶん老僧思想でまとめられることが多いと思うんだけど、結構自分もだけども、今日の話で言うと、無用の用っていうもの、それをたぶん役に立たないものの方こそいいとか、
役に立たなくてもいいとか、虚無主義的な感覚で捉えちゃうみたいな感覚が多いのかもしれないよね、もしかすると。
そうなんだよね。やっぱりアナロギーとか取ると、役立つ人間、むしろ今せっせと働いてるやつなんてダメで、アリード・キリゲイスみたいに、そうじゃなくて、悠々自責に役立たないことやってる方がいいんだとかってなっちゃうんだけど、そうではないんだよね。
じゃなくて、そういう役立つっていう価値観だけじゃないよねと、役立たないっていう価値観もあるよねと。ただ、その中でも結局目指すのは、やっぱりその天っていうより大きいもの、要は人間が作ったルールに縛られるんじゃなくて、天が定めたもっと大きなルールがあるんだから、そっちをちゃんと見ましょうねっていう話なんだよね。
なんかいいね。中国っぽいね。天地人だけか、人の中の天のとこだね。
これはやっぱりちょっとこじつけ感もあるらしいんだけれども、もともとインっていうシャーマニズム的なとか、そういうところの末裔であるソウジだからこそ、よりそこを大事にしたというか。
なるほど。
ある種その孔子、儒教が宗を大事にするんだったら、俺はさらにその前にあった陰を大事にするぜみたいな。そういうふうな、ある種自分のロジック付けというか、情もあったんじゃないかっていうふうに言われてるんだよね。
なるほど、そっかそっか。完全ならオリジナルじゃないですよっていうところは言わないといけないもんね、たぶんね。
そうそうそうそう。思想として。
そう、そんな感じなんですよ。なので、まさに言ってくれた通りで、要は役に立つことはダメで役に立たない方がいいとか、そういう二元論じゃなくて、
いや、むしろ役立つとか役立たないって何なんですかとか、むしろ善とか悪って分けてますけどそんなものないですよねっていうふうな、そういうところに行くんですよ。
それが、要はただソウジが何か言ってるとか、なんかちょっといいこと言ったじゃなくて、ちゃんと哲学っていうといろいろ語弊はあるんだけど、思想として、やっぱり面白いなとか、ちゃんとその抽象度が上がってるってことが話なんで、次回ね、それをお伝えしたいんですよ。
万物正道についての誤解
次回のテーマがですね、万物正道っていうキーワードでして、もうちょっと生物論っていう、あらゆるものは同じ、一斉に手を挙げるとかってあるじゃないですか、一斉の正。
あれが等しいっていうふうに読むらしいんですよね、平川とかで言うと。なので、前回ちょっと雑談とかもやったと思うんだけど、なんか自分がこの万物正道を誤解してたみたいなのをいつか言ったことがあって、それをどう誤解してて本当の意味はどうなのかっていう話を次回伝えることで、
要はそうじゃない、役立つ役立たないっていうような、ある種とって否定的なところから、そうじゃなくて全部同じだっていう、その何だろうな、自分の手の内を明かすところ。
つまりガチガチに固まった役立たなきゃいけないっていう人をほぐした上で、いやいや全部同じだからっていう思考をインストールするっていうところを、次回やっていきますって感じだね。
なるほどね。その順番になってて、今回はほぐすとこまではやったような感じなの?次回もほぐす?
いや、ある程度ほぐしてますよ、ちょっと入り口マッサージしましょうっていう感じで、次回ちょっと強い電流流しますねみたいなそんな感じ。
なるほどね。わかりました。では次回ですね、掃除のその部分楽しんでいきたいと思います。では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
40:40

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