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2023-07-05 26:43

老荘思想でザッソウ第1回|ホントに「上善は水の如し」なのか(#73)

ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。

ザッソウとは「雑な相談」のこと。毎月、さまざまなゲストとザッソウしています。

7月は、これまでと趣向を変えて、「ひとつのテーマ」についてゲストと一緒におしゃべりします。

今回のテーマは、「老荘思想」

中国の哲学者・思想家の、老子と荘子の思想のことです。

ゲストは、ザッソウラジオ2回目の登場、クラシコムの青木耕平さんです。

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今回のザッソウ

  • テーマは老荘思想(詳しいわけではないよ)
  • 孔子と老荘の違い
  • 苔に通ずる
  • 確実にしたいというテーゼ
  • 比較も優劣もない
  • ホントに「上善は水の如し」なのか

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老荘思想についてもっと知りたいという方に

足るを知る。人生を豊かに生きるヒントをくれる「老荘思想」を知るための本(hontoサイトへのリンク)

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\イベントのお知らせ/

2023年7月30日(日)に、ザッソウラジオの公開イベントを行います。

倉貫さんの新刊「人が増えても速くならない ~変化を抱擁せよ~」の出版を記念して、大阪からザッソウラジオをハイブリット配信!

詳しくは、イベントページ(リンク)をご確認ください。

(主催:TSUTAYA BOOKSTORE 梅田MeRISE)

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00:07
くらぬきです。
中山です。
ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら、イルコをシャペリしていくポッドキャストです。
今月7月のゲストは、なんとクラシコムのあおきさんです。よろしくお願いします。
お願いします。
あおきさん2回目ですね。
あれ、もう1年ぐらい前なんですか?もっと前なのかな?
ちょうどザッソウラジオ始まって、2回目のゲストです。
そうだよね。しのまきさんが僕の前に出てて、2人目のゲスト。
1年4ヶ月ぐらいと。
くらぬきさんと僕の友達がついにいなくなったっていうわけではなく。
いやいや、半分正解ではある。
僕たちの知り合いをゲストにお呼びしてって言ってる知り合いが、1年ちょっとで枯渇してしまうということになりまして。
あおきさんにもう一度来てもらうっていうことなんですけど。
今回雑草ラジオ的には、いつもはゲストを呼んでお呼びして、ゲストでトークするっていうのをやってるんですけど。
この春ぐらいに、私と学長でずっとソース原理の話をしたことがあり。
ゲストが来てるのに、またソース原理の話を持ってくる。
学長、そんだけソース原理話したかったら、ソース原理の回しよっていうことがあり。
これもしかしてテーマで3回ぐらい収録できるんじゃないかなということに、1回実験してみようと。
ということで、いいテーマないかなと思ったところ。
ここ最近、僕があおきさんと定期的におしゃべりしてる中で、老子がすごいと。
あ、違う。老子と掃除。老子掃除。老僧思想ですね。
特に老子が最近ハマってたっていうことで。
一時、これあおきさんとも経営のおしゃべりなんですけど、1時間ずっと老子の話をするっていうことがあったりして。
もしかしたらビジネスマンとか経営者の方にもヒントになるのが老子に控えてるんじゃないかなっていうのと。
老子の系譜で掃除っていう書籍発科の人がいて。
掃除っていうのどこかで聞いたことあるなと思ったら、学長がすごい昔推してた人だと思って。
あれ、これもしかして老子掃除2つ並べてテーマで話せるのではというので。
今回は老子掃除の老僧思想についてテーマで3回にわたりお届けできたらなというふうに思っております。
03:08
あおきさんもあれですよね。フェイスブックに道徳みたいな話を急に書き始めたんですよね。
あ、徳ね。そうですね。
徳が大事みたいな話。
そうなんですよね。いやだからまず、
にわかなんだっていうことについて理解してほしいですよね。
そうですね。聞いてる人はね。
あのー、そうですそうです。
老僧思想に詳しい人の話というよりは、今頃そういうのに触れて、
えーこれおもろいやんって言ってるだけのおじさんの話をこれから多分3回にわたって聞くっていう。
まずその覚悟を決めてほしいなと。
そうですね。
まず教養番組ではないので、正解かどうかはないというのと、
老子掃除についてただただ雑談をしたいだけという。
そうなんですよ。
老子掃除含めて、
そのー、やたらいろんなことを勉強して覚えてるやつ、
ダメだっていう思想じゃないですか。
忘れていく知恵から去れば去るほど、
道に近づくっていうことなんで、
聞いてて僕らの話がバカっぽいなーと思ったらそれってもう道に近づいてるってことなのか。
そうですね。
そういうふうに思いながらまず聞いてほしいなという感じですけど、
何のきっかけだったのかな。
ちょっと僕も最初、
まあでもずっとこのテーマなんだなっていうのがなんかあるんですよね。
そのソース原理とかの多分流れとかとも、
あのー、
なんか近いというか、
なんかこう今までの、
まあこれって多分その今の社会って、
16世紀とか関東とかの頃のこう、
いわゆる理性主義、
要は頭でロジカルに考えるのが最強だしそれが正しいっていうのって、
実はそんなに歴史長くなくて、
まあほんと16世紀とかぐらいに、
そういう考え方が出始めて、
それが結局その前のキリスト教前世の時代みたいな、
神学の世界から人間の理性と合理性で考え、
理性で合理性を考えていくのがいいんだっていうんで、
科学前世の時代につながっていくじゃないですか。
でなんかこう、
自然科学を科学的に扱うことはすごい良かったなと思うんだけど、
意外と社会科学みたいな観点で、
06:01
人間社会のことを科学的というか、
まあ要は一つは定量的に、
あるいは要素還元的に考えて、
正しさを見出していくみたいなやり方で来て、
発展もしてきたんだけど、
なんか限界あるっていうか窮屈いよなーみたいなのがずっとあるんですよね。
でなんかその先に、
その先になんか行きたい感っていうのがある中とか、
あと時代も変わってきてるじゃないですか、
僕らが子供の頃ってまだバブル期前ぐらいの、
いわゆる高度成長してる頃、
社会人になったらバブル崩壊したとはいえ、
なんか今までの日本のやり方まずいんじゃないって、
もっと科学的にやった方がいいんじゃないっていう30年ぐらいがあって、
なんかここ最近みんなもう、あれこれ科学だけじゃなくて、
科学は科学でいいんだけど、
なんか人間の集まりとその社会の営みである、
例えば経済とか経営みたいなことって、
科学だけでいけんだっけ、理性だけでいけんだっけみたいなのがずっと思いつつ、
そこになんかソース原理とかもなんかそういう問いにはまったんだと思うんですよね。
なるほど、なるほど。
だし、僕その前は結構なんかいろいろやってきて、
イタリアのマネジメント研究したこともあるんですよね。
なんかこうアメリカとかの話ってよく聞くけど、
そういえばなんかイタリアとアメリカってなんか逆な気するじゃないですか、
めちゃくちゃハードワークしてますみたいなアメリカ人、
めっちゃレバレッジかけてますみたいな。
でもなんかイタリア人ってなんかこう、
全然本当はそうじゃなかったんだけど、研究していくと。
なんか、あんまちゃんと働いてなさそうとかさ、
なんかこう計画性なさそうとか、今を生きてそうみたいな、
勝手なすごいステレオタイトな。
なんだけど、実はなんか僕イタリアに興味持ったのは、
歴史上イタリアって全然政治とか国家が安定したことが
もうローマ崩壊以来あんまないんで、
なんかそういう不確実な状況の中で、
もしかしたらああいうふうに見えてるのは非常に合理的ななんかそこに、
理由があるんじゃない?っていうことで、
イタリアのマネジメントを結構研究してた時期もあったりとかも、
計画的にやっていける安定した社会じゃなくなるみたいなことがあると、
途端に科学っぽいやり方とか、きつくなるやんみたいな。
たぶんそういう前提の中でローシを読んだ時に、
ずっと考えてることが書いてあるっていう。
ソースゲリと一緒だ。
こういう真理をこれで初めて知りました。
09:02
目からゴロゴロですっていうか、
そうだよねっていうのが結構いっぱいあって、
なるほどみたいになったっていうのがあるんですけど、
僕あんま記憶力が良くないんで、
第何章にはこういうのあったよねとかって、
いっぱい語れるほどの知識はないっていうか、
経緯としてはそんな感じなんですけど。
ありがとうございます。
そうですね、このザスラジオで、
歴史の教科書ではないので、
そういうのはちゃんとした文献を当たっていただくということで、
だし、老子・相次がどういう人かみたいな話もしないので、
老子と相次の本を読んで、僕らがどう感じたのかだけをお伝えして、
ひたすら言うっていう。
という前提ではありますけど、
ちょっとだけ老子と相次の紹介を僕はしといたほうが、
さすがにリスナーさんも言いたことあるかなぐらいの感じだと思うので、
ちょっとだけご紹介すると、
老子と相次は紀元前の中国の哲学者の方たちですね。
中国春秋時代の諸子百家っていう、
なんちゃらしいみたいな孔子孫子とかっていう、
死がつく人たちの、
100人いっぱいいる諸子百家のうちのお一人お一人ということですね。
あれですね、中国春秋時代だからキングダムの、
漫画キングダムのちょっと前ですかね。
そうですね。
で、いっぱい国がある中で、
いっぱいいろんなところで戦争しまくってるときに出てきた人たちで、
今回出てくる老子相次の前に有名なのが孔子ですね。
孔子さんっていう、
中国で多分一番有名な哲学者じゃないかなと思いますけど、
ものすごく今現代にも論語ですかね。
論語。
論語というので、
日本の経営者の方もすごくリスペクトしてる人たちですけど、
孔子は結構上昇志向が強いっていうか、
国を栄え、そこで立心出世するみたいな。
で、いろんな国に指官していくみたいな感じのことをされて、
立派なことをされたんですけど、
それに対して、
今日のテーマの老子とか相次は、
結構孔子に対するアンチテーゼというか、
オルタナティブというか、
上昇志向とか立心出世ではなく、
国は小さくていいし、
映画とかよりは自由でいきたいみたいなことを言っているっていうのが、
12:01
老子・相次の思想であるみたいなところぐらいが、
ふんわりした導入で、
正直言うと僕が知ってるのはそれぐらい。
あの、あれですよね。
いわゆる儒教とかの儒家。
儒教の順に家で儒家っていう流派。
これが孔子の方が儒家。
孔子とか孟子とか。
で、老子・相次は道と書いて家と書いて道家と言われている。
儒家と道家という比較ですね。
道の流派の違いがあって、
儒家の人たちは頑張って偉くなって、
活躍しようよっていうのが。
で、活躍するためには徳とかが大事だよみたいな、
そういう話で。
立派になって最後祀られるみたいな。
そうですね。
孔子病というのがいっぱいできる。
伝説の人物に、みたいな感じなんですけど。
メジャーになってきますね。
老僧の人たちは、そうやって頑張って偉くなっていった結果、
戦争に巻き込まれて早死にしてますよね、みんなっていう。
なんか、それ幸せなんだっけっていうのが老僧ですね。
身も蓋もないこと言っちゃう。
めちゃくちゃみんな頑張って戦争に勝つぞってやってる中で、
いやいや、そんなんしたら早死にするじゃんって言って、
ちょっと距離を置くみたいな。
自然じゃないよね、そういう生き方っていう。
そういう感じですよね。
だからこそ、歴史上、やっぱり老死と孔子で言うと、
孔子の方が有名だし、孔子になって祀られるけど、
そこまでメジャーになりきれないのが、
それはもうしょうがないですよね。
そういう思想だから、老死も孔子もね。
っていうところに非常にシンパシーを感じているっていう。
そうですね。マイノリティ派な感じですよね。
ビジネスの世界で言うと。
そうですね、みんながグロスだ、スタートアップだ、
なんかJカブだみたいな、ムーンショットだみたいな
言ってるそばで、
いやいや、まずは楽しく仲間と仕事していきましょうよって
言ってる感じがすごくシンパシーを感じます。
時価総額だ、みたいな。
時価総額。
いやー、考えたことない。
いやでも、こんなに、なんかこう、
なんか前提としてやっぱりその時代背景とか、
今説明してくれましたけど、
なんかそこすごい関係してるなと思ってて、
前提として戦国時代じゃないですか。
だから世の中がもうめちゃくちゃ不確実性に満ちあふれた時代。
であったっていうことだと思うんですよね。
で、そん中で多分、
15:01
儒家の方が先行してるじゃないですか。
思想としては、成り立ちとしては先にあって、
ある程度それが広まった世の中で、
そのアンチテーゼとして、
多分老子とかが言うようになってるっていう、
なんか順序なのかなとかって思った時に、
なんか不確実な社会を人間の
その、
まあ、いわゆる理性とか意思とかで、
コントロールすることの是非みたいなところが、
多分スタンスの違いになっているかなみたいな。
だからそれがもう不確実性極まった時代に、
その議論になっているっていうことに、
なんか結構僕は面白みを感じていて、
多分どっちが合ってるかは分からないけど、
その、
自分が会社を経営してても思うのは、
やっぱり規模感とか、
その関係する人の幅とか、
まあスティックホルダーの幅とか、
いろんなことが大きくなっていけばなっていくほど、
なんかあんまりこうしようとかってすごい、
こう決心しすぎて取り組むと、
現実とそれの間の乖離、
結局苦しみ続けることになるじゃないですか。
そうですね。
思い通りにいかない。
思い通りにいかないから、
なのでそれに対して何とか思うように生かせるための、
なんかこう、
力を身につけようみたいな感じが、
なんか儒教っぽい、
なんかそういう人格を身につけようとか、
医療を身につけようとか、
戦争の時にはこう戦おうみたいな、
なんかスキルフルな感じというかね。
それでこう思ったように生かせようとするっていう考え方に対して、
その思ったようにいかないっていうことをどう、
なんか何つったらいいのかな、
それにどう適応するのかみたいなことが、
なんか浪走だなと思った時に、
何となく自分も限界をずっと感じ続けてるポイントに近いんですよね、
そこが。
だから最初多分僕老子の言葉で、
よく知ってる人多いと思うんですけど、
常然水の如しっていう。
はいはい。
見放しありますよね。
見放しもあるし、
知ってる人いっぱいいる言葉で、
まあ要は水のようであることが一番いいんだよということで、
僕はなんかその意味をちょっとそんなによくわかってなくて、
変化が激しくても水のように形がない、
柔軟にいろいろ合わせていければいいっていうこと、
そういう意味もあるんですけど、
もう一個の意味で、
18:00
水って上から下にどんどん流れていくし、
それって留めることはできないから、
ある意味人が嫌がるようなすごい低いところまで
行っちゃうけど、
結局どこかでは、
それってその収まりどころを得て、
どっかには結局収まるので、
なんかことさらにそれをここで留めようとかってしなくても、
大丈夫なんじゃないって、
その上から下に水が流れるように、
それをもう身を任せても、
どっかにはなんか収まるよみたいな、
なんか意味もある。
それが一見人が嫌がるような、
見えるようなところにも行っちゃうかもしれないけど、
なんかその先になんかあるかもよみたいな、
そういう話としてあって、
なんかこういうことってすごく多いなと思うんですよ。
このまま行ったらどうなっちゃうんだろうとかって思うんだけど、
もうなんか降りるわけにもいかないしとか、
例えばなんかの後継ぎになった人だったりとかすれば、
自分の意思で勝手にその放棄できないしとか、
それって今の世の中的に言うとなんか不自由だとか、
その、
なんていうかな、
それに囚われてるとかね、
いう言い方になるんだけど、
囚われてるからこそ、
意思の力の先に行けちゃったりするじゃない。
その、
こう、
その言ったように水が、
自分としてはもうこれ以上下行ったら、
もうマジでひどいことになるんじゃないかと思うけど、
まあまあしょうがない、
行くしかないみたいなときに、
なんか案外いいとこ行くみたいな。
結局はこれって、
最後は海に至るっていう、
そういう意図なんで、
なんていうのかな、
そういう意思の力の先にある、
大きい道の流れみたいなものに身を委ねたときに起こる、
なんか面白いことみたいになって、
みんな多分、
もう僕らぐらいの年齢になってたら、
なんかそういうのって思い当たる節あるじゃないですか、
その、
それ、
あの、
楽天大学の学長の中山さんっていう人が、
よくね、キャリアの話で言ってますね。
目標達成型、展開型ってやつですね。
流れに乗るっていうやつですね。
そうですね。
そう、僕は、
あの、
牢層思想、
昔から大好き、
なので、
まあその、
戦国時代ってことは、
戦争を勝って、
相手の国を自分の中に取り込んで、
大きくなっていくっていう、
で、大きくなった組織をどうマネジメントするのか、
みたいなところで、
人間力を、
経営者が人間力を高めましょうって言ってるのが、
孔子の考え方ですよね。
だから、
いわゆる、
昭和、
昭和の経営者の人とかが、
ずっとこういうのが大事だぞって言ってきてる、
学びみたいなのが、
孔子の、
21:00
あの、
がベースになっているっていう、
ところからの、
この、
この変化の時代、
あんまり組織でかくして、
なんか変化に対応できなくなって、
みんな不幸になってたら、
何のためにでかくしてるんでしたっけ、
みたいな、
風に考えて、
いやー、
そうですね。
それで、
その、
下の方にこう流れていったら、
こけくって生活できるようになりましたっていうのが、
前の、
前回、
出てきた時の話だし、
でもまさに、
こけに通ずるよね。
うん、通ずる。
誰も食わないんだよ、
ここっていう。
で、
あとは、
倉崎さんのこの前出した本のサブタイトルが、
変化を包容せよ。
包容せよ、
そうだね。
ですけど、
まさに、
それが老僧思想ってことだよなって、
僕とかは思います。
いやー、
今話聞いてて、
でも、
戦国時代、
めちゃくちゃ戦国時代だったから、
最初孔子が出てきて、
その、
どう国を拡大するかみたいな話が、
注目されて、
で、
その後、
老子とか孫子が出てくるって話の中で、
不確実なものに対して、
どう向き合うのかって話って、
たぶん、
戦争に勝って国を大きくするって、
最終的には、
真の始皇帝が出てくるみたいなもんで、
その、
要は、
統一をしたいってことですよね。
で、
統一をするってことは、
真だと法治国家にして、
全ての国民を全て同じ法律で運営するって、
めちゃくちゃ確実にしようとしてるって方向なんですよね。
だから、
不確実に対して、
確実にしていきたいっていう、
なんか、
人間のどうしても体制がある、
思想があって、
だから、
それに対して、
いやいや、
天下統一とかしない方が、
それぞれがそれぞれで良さで生きるんじゃない?
って言ってるって話は、
なんか、
その不確実ってそういうことなんだなって、
今、話聞いてて思いましたね。
だから、
それが、
現代の観点からして、
その、
正しいのかどうかっていうのは、
ちょっと分かんないですけど、
どうしとかって、
基本的には、
隣の国とか行くな、みたいな。
見んな、みたいな。
知るな、みたいな話じゃないですか。
その、
いわゆる、
なんていうかな、
結局はそれを隣のことを知って、
その、
比較して、
良いとか悪いとかっていう、
相対的な判断を、
自分の中に取り入れることが、
もうすべて不幸の始まりなんだから、
もう隣の国から、
鳥の声とか犬の声聞こえてくるぐらいの、
交流が、
もうちょうどいいんだ、
みたいなこと書いてあったりとかして、
知覚しない方が良いってことですね。
知覚しない方が良いってことだよね、
極論的に言えばね。
知らなくて良いっていうよりは。
知って比較しないのが大変だからね。
そもそも優劣とかないし、
っていう。
自然、
自然の調和っていうのを、
自分に任せれば良いだけな、
ことであって、
誰が偉いとか、
そういうことは関係ないし、
みたいな。
国とかも、
小国過民っていう表現になってるんですけど。
小国過民ね。
24:00
そうですよね。
国はちっちゃくて、
人数少なくて、
別に、
乗り物とか乗らなくても、
行ける範囲で、
幸せに過ごせたりとかね、
するぐらいのサイズがちょうど良いよ、
みたいな。
あとは装置の方なのかな、
なんか、
機械でさ、
物をやるのとか、
あんま良くない、
みたいな、
こと言う、
なんか言ってますね。
機械をね、
使って何かをやると、
機神って、
機械の木に心で、
機神が生まれて、
それがなんかこう、
人の中にある、
その逆しらな感じを、
促進するから、
なんか機械とか使わないんだ、
みたいな。
だから結構、
アンチテクノロジー、
アンチ知性みたいなとこは、
すごいありますよね。
なんかね。
基本的に、
世の中は、
どんどん変化をしていく、
っていう、
ベースの考え方があって、
そこを確実にしよう、
っていうこと自体が不自然だから、
ようやくかっこ悪いものができた、
と思っても、
ベースが変化していくわけだから、
ベース変化すると、
建物ピタッと建った、
と思っても、
いつの間にか傾いたりするわけなので、
そういうのを、
そういうことですよね。
確実にしようとすること自体が。
でもこれ、
無意自然とかって言うじゃないですか。
無意自然でいて、
幸せになれるとしたら、
本当はいいんだけど、
水の如しって言いながら、
マジでドブに落ちてしまう、
みたいなことがあるのか、
もしくは無意自然と言いながら、
努力しない、
みたいなことが、
果たして本当に良いのか、
その辺については、
ちょっと第2回で、
僕はそこが知りたいな、
っていうのがあるので、
第2回で、
もうすぐ第1回。
これ2分経ったんですか?
いやいや、
また30分立ちかけるという。
恐ろしいな。
恐ろしいですね。
いやもうね、
ちょっと今回、
場合によっては、
3回ではなくても良いという、
覚悟で。
喋りたいだけ、
喋りたいだけ、
喋っても良い。
ということで、
今週は、
まず老子・早子の入り口のところを、
お話ししていきました。
また来週に続きます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
26:43

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