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みなさん、おはようございます。ソプラノです。2021年11月18日木曜日。どのような朝を迎えていらっしゃいますでしょうか。
娘の愚痴と親の葛藤
昨日、息子の話をさせていただきましたので、今日は娘の話をしたいと思います。
以前、娘の愚痴が、破壊力半端ないっていう話を、どこかで収録をしたかと思うんですけれども、
最近、ちょっとですね、また歳年をしておりまして、しばらく落ち着いていたんですけれども、
娘が苦手な子が隣の席に、席外になってしまったことをきっかけに、またいろいろとね、愚痴を聞かされる日々が始まりまして、
夜の時間帯に、あんなにイライラしていたら、いいことないよなぁと思っておりますが、
そこで、私自分の高校生の時どうだったのかなぁと思って振り返って、はたと気づきました。私は彼女の年には、もう母が亡くなっておりまして、不死家庭だったんですね。
父にはやっぱり、あんまり言いづらいというよりも、家族にそんな話をすることが、もうすでに想定外だったんですね。
だから、いろいろな愚痴というか、悩みというか、そういうもの、噂話も全部もろもろ含めて、すべて友達に言うことしか眼中になかったんですよね。
それに対して何か不自由を感じたこともなければ、そんなものだと思っていたので、それを思えば、娘の場合は絶対に友達とか、学校関係の人に分かっちゃう恐れがない、言える相手がいるということで、
よしとするかなというふうに思いました。ただね、ちょっとよくないなと思うのは、子供たちだけで、私の場合は、相談する相手が同じ学校の友達ということだったので、
全てが見える範囲で、あの子のことね、とか、先生に言うとか言わないとか、そういうのもね、全部人間関係が見えてる中で話をしてたと思うんですけど、
親の立場で関わると、ここまで来たら、ちょっと先生に一言言っといたほうがいいんじゃないっていう、余計なね、この親の感情が入ってしまうんですよね。
彼女の問題、課題であり、彼女が自分で解決すべき、そろそろね、解決すべきというか、いろいろ、高校が卒業すると、良くも悪くも、御縁がなくなる間柄なので、修行だと思って、
これ毎日キーワードで言ってるんですけどね、次の席替えまでの修行だと思って、頑張ろうねっていうのは、彼女との合言葉になってるんですけども、そこについつい、親の大人としての意見が入るのはいけないなって、この収録をしながら思い返した次第です。
おそらく今日も愚痴を抱えて帰ってくると思うので、ただただ聞くことに徹しようと、これも私にとっても修行だなと思っております。
はい、それでは最後までお聞きくださりありがとうございました。素敵な一日にしていきましょう。