なるほど。
同時に子どもも学校教育空間にはいるんですけど、先生たちもその中にいらっしゃいまして、
先生たち一人一人の資本のようなものがあって、それをどうやって個人としてもそうですし、
学校単位としてもそうなんですけど、大きくしていくかみたいなのもやっぱり気になりますね。
全然今の学校空間は良い形で膨らむようには見えないなっていうふうに思いますね。
なるほど。やっぱり学校も、もちろん幼稚園から大学までいろいろあるはあるんですけど、
基本的には定められたカリキュラムをきちんとやるというのが第一目的にあるのかなと思ってて、
そこから能力改革とかキャリアみたいなことはそもそも入ってないですよね。
全然そんなのは入っているのかもしれないんだが、全然習得はなっていないという感じですよね。
そこに手を付けずにというか、そこは動かすのは結構大変だと思うんですけど、
ということは前提の枠組みはしょうがない、そのままにしつつ、
実際具体のやることとかやり方を変えることで何とかならないのかという話なんですかね。
人的資本系というメガネをかけてみましょうというのが今日の私のメッセージなので、
子どもたちにもぜひかけてみてほしいなと思いますし、先生たちもかけてみてほしいなと思いますし、
学校を取り巻く全ての人が一回これをかけてみてほしいなというふうに思ってますね。
例えばそのメガネをかけると先生とかからはどう見えるはずじゃないかというところですか。
やっぱり子どもの才能って多様なわけですよ。
学校空間の勉強ができる子もいれば、そうじゃない子もいるわけですよね。
そういうのをあんまり机に向かってペーパーテスト解くのはあんまり得意じゃないんだけど、
そうじゃないところでいろんな才能があるみたいなことっていっぱいあると思うんですけど、
そういうのを、もちろん評価している先生もたくさんいますけど、
全然そういうものは評価軸に入ってない人たちもいらっしゃるじゃないですか。
それはとてももったいないなと思うんで、いろんな才能を見てもらいたいなと思いますし、
親も多分同じことが起こってて、結局学校のカリキュラムの中でこの子がどのくらいパフォーマンスを出せてるんだろうか、
みたいなものの見方がどうしても大きくなっちゃうじゃないですか。
それはそれで大事な一つではあるんだけど、もっとその子にはいろいろな可能性や価値があるはずで、
それをどうやって潰さずに膨らませるかみたいな観点も持ってほしいなってめっちゃ思いますね。
何回か前のこのそのスタでしげさんと話をしたときに、しげさんが自分のお子さんに英語を勉強してもらおうと思ったけど、
全然うまくいかなかったみたいな話があった気もするんですけど。
それとかもあれですかね、もしかしたら将来英語得になるかもしれないけど、
今時点ではそこまで英語を学ぶっていうのにあんまり魅力を本人が感じてないわけじゃないですか。
そうですね。
でも一方で親は英語っていうのは結構今後必要になる可能性が高いんですけどみたいなの知っちゃってるとかあるじゃないですか。
ありますね。
とかってなったときにどういう捉え方をしてますか。
親の英語としては、じゃあ今英語とかプログラミングとかあるんで、それをとりあえず興味持ってもらったら一番嬉しいですけど、
持ってもらわなくてもとりあえずやってもらうみたいな選択肢もあると思うんですよね。
その選択肢をとれることはあったんですけど、うちはもう関心ないって本人が言うんで、そこはとってませんと。
じゃあどうすればいいのかっていうときに、探究学者をヒントをしたときに、
探究学者っていう驚きと感動を与える授業を提供してるのがあって、
例えば日本文化とか植物とか宇宙とかいろんなテーマなんですよね。
そこは昔は受験対応やってたんですけど。
そうなんですね。
やってたんですよ。
受験塾だったんだ。
受験塾まで高校生向けにやってたんですよね。
でもあるときからもう受験全捨て。
すごい。
もう受験は全く受験勉強を教えないと。
じゃあ何やってるんですかっていうと興味開発なんですよね。
興味を開発することをやってるんですと。
じゃあ何で興味開発をするんですかというと、
人間も含めて子どもっていうのは、
自ら学べたいと思ったら、いくらでも学べると。
そういう状態に持っていけば、あとはもういくらでも興味を勝手に開発してくれるから、
そういうふうにやっぱり関心を持ってもらうっていうことが大事ですっていうふうに言ってるんですね。
私も授業を作る中で言っていいんでいいって言うんですけど、
探究学者は実はコアのスキルがあって、授業作りで。
それがドライビングクエスチョンって言うんですよ。
ドライビングクエスチョンって何かっていうと、
子どもたちが興味をドライビングするというまず最初に何かけるんですね。
すると何で何だろうかっていうので興味持っていくみたいな、
そういう感じなんですよ。
自ら興味を持たせると。
そうなれば、例えば推し勝つとかもそうですけど、
言われなくても勝手にやっていくじゃないですか。
そこから学べることってめちゃめちゃ多いと思うんですよね。
あります。
それはあとは、さっきプロ野球選手の話とか、
セカンドキャリアみたいな話をしたと思うんですけども、
ある特定の分野ですごく頑張った経験がある人って、
別の分野でもそれをすごく活かせるみたいな。
例えば最近で言うと、ハードルの選手の試せいさんって、
そういう視点がめちゃめちゃ強くて、
アスリート支援とかもされてる方なんで、
やっぱりアスリートが持ってるいろんなトレーニングとか、
そういうのっていうのは別に他の分野でも、
すごく活用できるからみたいなのがあって、
これでも興味開発のそれに近しいものかなと思ってて。
もちろん義務教育な、最低限は算数国語とかできれば英語は
できたほうが絶対、間違いないですけど、
興味開発が全くないまま大人になった時に、
結構きついなと思うんですね。
いや、きついと思いますよ。それはそうだと思う。
ただ、最近アウトプットとアウトカムっていうのを
意識してるんですけど、
アウトプットっていうのは仕事で言うと成果物ですよね。
僕で言うと、例えば記事を書いた。
これアウトプットです。
なのであくまで自分なんですよね。
どんだけアウトプットを出すか。
アウトプットの反対はインプットなんで、
情報を仕入れてアウトプットする。
学校の勉強をしてテストがアウトプット。
アウトカムは何かっていうと、アウトカムは受け手なんですよね。
僕の記事を読んで、
読んだ人が何か行動変わったりすると、
これがアウトカムになると。
任天堂のゲームで遊んだ人が笑顔になると。
これアウトカム。
ディズニーとかサンリオとかジブリが偉大なのは、
アウトカムが半端ないんですよ。
確かに言われてみればね。
製品は当然すごいんですけど、
その製品を受け取った人たちのアウトカムが半端ないんですよね。
確かにね。
プロスポーツを言ってみれば、それの塊だと思ってるんですよ。
やっぱりプロの技を見ることによって、
観客なりファンが熱狂するわけじゃないですか。
そのアウトカムっていうのが社会を大きなインパクトを与えていくと。
僕、プロゲーマーのめはるさんが好きなんですけど、
アウトプットって格闘ゲームやってるだけなんですよね。
なるほど。確かに。
これアウトプットじゃないですか。
他のゲーマーと何が違うんですかと。
でもやっぱりそのアウトカムとして見た人が感動するようなプレイとかがあるんで、
アウトカムを出せるから、
やっぱりプロとして食っていける。
なるほどね。確かに。
アウトプットが大事だってビジネス言いがちなんですけど、
エンタメはどう考えてもアウトカムなんですね。
アウトカム視点っていうのがすごく大事だと思ってて、
アウトカム視点は大事なんで、色々テクニックはあると思うんですけど、
究極やっぱり興味があってなんか面白いことしようと思う。
こういったプロセスとかが結果的にアウトプットから滲み出て、
アウトカムに繋がっていくんじゃないかなと。
そこが感動を生むじゃないけど、ありますよね。
確かに。エネルギーこもってないことから高いアウトカムが出る事例はあんまり聞いたことないので。
間違いない。
なるほどね。
探究学者はどこまで言語を知るか分からないけど、僕は驚きと感動を生む授業を提供するっていうことが完全にアウトカム視点なんですよ。
確かに。
いかに驚きと、そこにも前振りなんですよね。
受験免許とか関係なくて、驚きと感動を生むと。
それがもう子供にとっての価値だし、自ら驚きと感動があれば、
勝手にディズニーの映画を子供が見るわけじゃないですか。
お願いもしなくても勝手にディズニーランドに行きたがるわけじゃないですか。
勝手にディズニーランドのディズニーとかサンリオとかキャラクターを欲しがるわけじゃないですか。
ポケモンとかもそうですよね。
ポケモンのアウトカム半端ないですよ。
半端ないですね。
そこに教育っていう文脈が入ってきたら、
これはその探究学者の創業者の宝月さん曰く、エデュテイメントっていうらしいんですよね。
エデュケーションとエンターテイメントの増合みたいな。
そっちにあるんじゃないかっていう仮説を持ってて、
僕も大学院で経済研究やってましたけど、
面白かったですもんね。純粋にみたいな。
そういうところが一つのヒントじゃないかなと思ってますね。
ちょっと別の事例なんですけど、
僕昨日の11月26日の日曜日にオンラインでエクサキッズっていうものを見てまして、
それはYouTubeでITinsLabっていうオンラインで、
子どもにスクラッチとかプログラミングゲームとかもあるじゃないですか。
ああいうものも含めて、
ITで子どもがクリエイティブなことをするっていうののオンライン教室があるんですよ。
そこの関わってるイベントっていうのでエクサキッズっていう企画があって、
小学生とか中学生とかいろんな子どもがいろんなクリエイティブを作ったのをオンラインでプレゼンテーションして発表して、
ITとかクリエイティブ界隈の人たちが審査員になって、
そのプレゼンを聞いたり作った、
例えばゲームだったりとかコンテンツを見て審査して優勝を発表するとか、
そういう塾であり、そこから先の企画とかもあったんですけど、
それとかもまさに興味とかやりたいよう圧倒的に伸ばす、
そのために例えばこのスクラッチっていうツール使ったらいいよとか、
こうやったらいいんじゃないとか、
そういうフィードバックだったり機会を提供していくっていうので、
素晴らしいですよね。
その方が全体的には良くねみたいな思いますね。
ちょっと僕分かってないんで知ってたら教えてほしいんですけど、
例えば中学受験みたいなのがあるじゃないですか。
やっぱりトップ校に受かる子どもたちっていうのは
興味開発としても受験勉強が面白いみたいなのが
レベルまでいってるってことなんですかね。
算数とかめっちゃないと高いじゃないですか。
面白いと思ってやってないと。
面白いと思ってやってる子たちが一部いますよね。
逆にそのレベルじゃないとトップ校に入らないですよね。
分かんないですけど、義務だけでいけるのかなみたいな。
どうなんでしょうね。
究極言ってしまえば、
溢れる知力があれば別に興味湧かなくても
なんとかなるのかもしれないですけど。
溢れる知力は、でも世の中に天才はいますからね。
いますから。
でもそんな都合の良い人そんなに多くはないんで。
そうですね。割合少ないじゃないですか。
学習科目そのものに興味を持って
夢中になって取り組めちゃう子たちが一部いて
あとは学習科目には興味があるわけじゃないんだが
与えられたことをしっかりとこなすってことは好きだとか
それはそれでできるっていう子たちもいるんですよね。
そういう子たちは何とか一生懸命勉強してクリアしていけるんだと思うんですけど
どんだけ頑張っても全然面白さが分かんないって子たちは
しょうがないから苦痛になって歯を食いしばってやるか
諦めるかですよね。
そうですね。世の中の大学受験のほとんどの人が
歯を食いしばってるわと思うんですよね。
そうだと思いますよ。
受験勉強が楽しかったっていう人ってそんなにいないですよね。
あまり多くはないでしょうね。
本当に暗記してるだけみたいな。
日本の入試システムだとそういう感じになりやすいですよね。
結局そうですよね。だって入試を突破するのが目的だから
目的から逆算したらこの教科で何点取る
そのためにはこれを覚えるっていう
ある意味ではゴールドリブンで正しいことやってるわけだから
ゴールの設定がそもそもどうなんでしたっけっていう話になってきますよね。
大学受験までのここのスコープで見ちゃうとそういう感じになるんですけど
まだまだ長いんで
そこはまあそれとして
好か不好かいい大学に入ってもあんまり意味ないかいみたいになってきたんで
いろんなものの見方が出てくるから
そろそろ私は良い変化の中にいるんじゃないかなと思って見てます。
だからちょっと大学の1個手前で僕が思ってたこととして
例えば中学生のお子さんとかがいる人がいたとして
子供がもうなんか例えばすごい1個のことには突き詰めるんだけど
語教科とかの点数はどうやっても本人も上げることに滅量湧かないとかだったら
例えばなんかそのN校とかに行ったらみたいな選択肢が言える親だったらすごい良いじゃないですか。
なんかもうこのプログラミングとかすごい好きなんだったら
これだけでこの高校はいいんだよみたいなとか
でもそれはやっぱり親の方に
いやあんなのは高校じゃないと思ってたりとか
望むの知らなかったりとか
名のあるとこ行ってほしいみたいな
自分とは本来関係ない見栄みたいなのが入ってくると
やっぱりそういう選択って言えなくなってくるじゃないですか
そういうのはあると思うんだよな