1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の通勤から。現代は、誰もが..
2019-03-15 12:01

朝の通勤から。現代は、誰もが情熱を持って物事を問う、学びの時代という話 from Radiotalk

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おはようございます。 そのです。
今日は通勤中で振り返りです。
この番組は前半が一日の振り返り、昨日のね。
後半が考えていることについて話しますというところですね。
昨日は朝は会社に行ってから、木曜日なので。
朝はタスクの見直しとかをしてから、チームのランチがあって。
お客さんの案件をやっているチーム。
育成のチームがあるんだけど、それはまた別で。
チームランチがあって、ちょっと雑談しながらご飯を食べて。
午後は、途中なんか定例の会議が少し入ったりしたんだけど、
あとはメンバーの一人がちょっと軽い調査をレポーティングするのに
一緒に見ながら、レポートの形を直したり、ちょっと補足で調べてもらうことを付け足したり、みたいな風に見てました。
その後は夜まで仕事を少ししてたんだけど。
夜中10時にオンラインでNサロンの部活で映画部というのがあって、
なかなかリアルで集まるのは難しいし、ちょっとオンラインでやってみようというので
Zoomというオンラインのサービスを使って、18人かな?
集まって、まだ立ち上がったばかりだから自己紹介と、映画部なんで好きな映画とか、
部活としてもしたりとか、映画ってどう楽しみたいみたいな話をして、
結構レンタルビデオさんで昔バイトもしてるし、映画のもぎりもしてたみたいな、超映画好きみたいな人もいれば、
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某日本の映画会社のところで、昔の作品をDVD化するみたいなお仕事をつい先日までしてた人がいて、
やっぱり映画の見方とかクロートっぽい見方とかあるよね、プロデューサーにこだわってみると、
実は中国の男たちのバンカーという映画とミッションインポッシブルというのはどっちも、
それは監督が一緒なんだけど、男たちのバンカーの中で鳩飛ばしてたんだけど、
ミッションインポッシブルも全く飛ばす意味がなくても鳩が飛ぶとか、そういうところとか知ると超面白いみたいな話とか、
そんなの1時間話して、その後ちょっとゆっくりしてから帰って寝た感じですかね。
昨日の反省はね、なんだろう。
昨日そういえば会社で夜にお客さんのところに移しているグループでの分析事例共有みたいなのがあって、
そこでちょっと割と曖昧な説明とかがあったから、聞いているうちにだんだんモヤモヤが自分の中で大きくなって、
なんとなくそれをぶつけているような、ちょっと機嫌悪そうに質問してたとかはよくないなと思うんだよね。
特に僕の場合リーダーだったりとか、そうじゃなくてもみんなの中で一番年上になるから、
普通に質問してもちょっとプレッシャーがあるし、いけないよなという感じかな。
ちょうどそれは、おとといラボの定例会で中取さんに来てもらって話して、その感想で結構反響が大きかったのが、
他人に対して怒ったりとか、怒るのもあいつダメだとか、そういう感情を抱いている時っていうのは、
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自分の痛みと願いっていうのが背景にあるんだみたいな話があって、結局怒るっていう行為は、
何かしらの期待が裏切られている状態で、それっていうのは割と自分がそもそも傷ついていることとか、
そういうセンシティブなことについて、見せられたからその人に対して怒るみたいな。
あとはそこには多分期待とか願いっていうのがあって、
それはつまり自分が本当は相手に対してとか、社会とか世界に対してより良く終わってほしいみたいな思いがあって、
それが真剣だからこそ痛みを感じるよねみたいな。
多分そんな話だったかと思うんだけど、ちょっと個人解釈が入ってね。
それとも昨日のケースは近いなと思って、こうやって解説はできるんだけど全然身になってないみたいなところで、
それはね、なんかやっぱりちょっと怒りみたいな感じた時は、
一つは自分がそもそも怒っているとか普通じゃないっていうのを感じることと、
それとその怒っているっていうことが相手のせいというよりは自分の内面から起きていることなんだっていう風に考えて捉え直してみるっていう。
そういう問いかけをするっていうのが大切だなっていう話だったし思っているよね。
あとはなんか昨日はたまたまコロクラブの文化祭の時に山田隼さんが話していたサディとの対談の話とかのビデオを見てて、
やっぱり隼さんも書く、誰でも書けるんだけど、書くっていうことは自分の中に問いを結局持つことなんだと。
良い問いを持ってそれを伝えていくっていうのが良い文章を書けるっていうことだっていうので、
隼さんもどういう問いの立場に立つかっていうのがより良い生き方とかにつながるかみたいな話をしていて、
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なんかその辺がすごい通じるところがある、それは多分コロクラブに集まっている人とかコロクラブのフィロソフィーというのかな、
なんかそういう根底にあるものともすごいつながるなと思っていたんだよね。
今朝は問いに関して、森田真夫さんという数学者で、大学とかには属さないでやっている方がいて、
その著書があるんだけど、たまたま知り合いが多分検本されたのかな、その中の一節っていうのを書き出している投稿が目について、
昔の数学者の人が研究、研究者だから、研究っていうのはそもそも最先端であるとかそういうことが大事なんじゃなくて、
深い洞察を問い続けるっていうのが、問いを深く深くしていて、深い洞察をしていくっていうのが研究という営みなんだ、みたいなことが書いてあって、
それを引用しながら森田さん自身の文章も、学ぶっていうことは、それぞれの人が身の回り、その人が持つ関心するところで深く問い続けるっていうことそのものが学びの営みなんだっていうような、
ことが書いてあるらしいんだよね、引用だからさ、3月20日に発売されるらしいんだけど、思わず予約したけど、
そういう意味だと、アートとかにも通じると思うんだけど、今っていうのは問いの時代なんだなと思うし、問うことっていうのが見直されている時で自分もその意識していこうと思った、そんな感じかな。
じゃあ、行ってきます。
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