まあそうですね。
これはやったほうがいいんだろうなとなんとなく渋々私は了解しまして。
テーマも今なんでね。
そうそう、これは見とかなきゃいけないだろうなと思ったわけですよ。
はい。
見とかなきゃいけないだろうけれども、
億劫だなって思ってたんですね正直ね。
あ、億劫いいワードですね。
だって重いじゃん。
重い。
真面目に向き合うにはちょっと大変なことを取り扱っている作品でもある。
そう、そして津田謙演じるのばくがですよ。
めっちゃ怖いじゃないですか。
怖い。
あの低音で言われたらゾゾゾってしますよね。
そう、怖いしね、やっぱり拷問がやばいしっていうのも含めて、しかも画面が暗いんですよね。
常に暗いですね。
常に暗いんですよっていうのも含めて、
一話一話を乗り越えるのにすごくエネルギーのいる作品だなと。
そうですね、だから溜めちゃダメって言ったのに。
いや、だから溜めちゃったんですよ。
逆に言えばそういうことですよね、わかります。
いや、面白くないんじゃなくて、
乗り越えるにはエネルギーがいる時じゃないと見れない作品の一つだったかなと。
で、このまま逃げ切るつもりだったわけですね、私はね。
逃がさないですよ。
最終回特集に20何話一気に見ることは無理だからということで逃げ切るつもりだったんですけど、
神の推し、なんか降りてきたんでしょうね、私にもね。
特集しようかと。
私は見終わって言いますが、
決して満足はしてません。
満足?
面白いアニメだったとまだ、最終話まで来てないので、
現在23話なので、
ちょっとそれは違うかなと思ってて。
ただ、見たことの後悔はしてない。
見てよかったと思います。
ただ、めっちゃ複雑な気持ちなんですよ。
ほど。
っていうところがあって、そんな話も含めて、
作品の完成度は高い。
作品の完成度は非常に高い。
これはNHKだから放送できた作品だなっていうところもある。
NHKらしいテーマですね。
そうですね、NHKらしいテーマかなっていう。
よくこの作品をアニメ化したなっていうのも含めて、
とは思うんですけど、
いろんな思いが交差する中、コメントいきましょうか。
はい。
フェビさんからのコメントです。
アニメで初めて見たので、第一話でラファウが主役なのかと思っていたらいきなりの展開に驚くとともに、
地動説への熱い思いや希望と絶望に胸を打たれ、
そのまま最新話まで見続けています。
今は野爆の虚無感に打ちのめされている最中、
ヨレンタの最後も驚いたし、最後くらいは大断円を迎えてほしいなと思う次第です。
追伸、地をまとめてみたくむさん、お疲れ様でした。
感想を楽しみに待っています。
ありがとうございました。
はい、一週間で地をまとめしました。
くむです。
1日5話をノルマに見ました。
結構大変ですよね。
いや、そうでもなかったよ。
ほんと?
1日で12話見るっていうのはハードルが高いですけど、
1日5話っていう風に考えたら、
まだいける?
意外といけました。
そんなに負荷はなかったです。
そのぐらいの感じでみんな見れると思いますよ。
いや、1日5話な。
結構私は一話一話に心を痛めながら、
一話から見直してましたよ。
前半は一気にいけちゃうけど、後半は、
ちょっと開けようか、みたいな感じになるかなって。
なんかあるですね。
この作品って自分の宗教観とか、
宗教にどうやって触れてきたかとか、
キリスト教に対する考え方とか、
そういうところがいろいろ出てくる作品なんじゃないかと思うんですよ。
で、一応この作品、キリスト教とは言ってないですよね。
P国の話でC教の話と言われてるのが23話までのこと。
でも、だから基本、
キリスト教という名前も作中では出てきませんし、
教会と言われてますよね。
教会が出てきて、聖書は出てくる。
でも、イエス・キリストという言葉は出てこない。
物語は進んでいくわけですね。
あくまでC教の話ですから、これは。
で、私はカトリックの学校に6年間いたんですよ。
中高と。
なので、宗教の授業を6年間受けてきてます。
私も高校の時、プロテスタントだったので、ありました、授業。
プロテスタントとカトリックは違いますからね。
教義違いますね。
教義違いますし、結婚できるできないの問題もありますからね。
カトリックが神父、プロテスタントは牧師。
そういう違いもあったりとか、ありますけれども。
カトリック、プロテスタントが別れるに至ったことには、
このうちの話から続いていくものがあったりとかするんで、
調べてみると非常に面白かったりはするところなんですが。
今でもローマ教皇がいるのはカトリック教会になりますね。
そういう学校で、一応は6年間授業を受けてましたし、
そして、いずれ神父になるという生徒たちも同じく授業を受けてました。
神学校というのがあるからね。
学校のそばに。
神の学校とかいって、神学校。
そうですね。
そこに来ている子たちが勉強して、最終的には神父になる。
授業料無料で。
そういうのを見て、友達にも普通にいましたし。
っていうところで、キリスト教に関しては意外と親しみのある感じなんですよ。
授業の中で過去、キリスト教がやったことももちろん学ぶわけですが、
都合の悪いところは当然あんまり言わないわけですね、彼らだって。
まあ、そうでしょうね。
そういうところを聞きながらも、先生によっては、神父さんが教師だからね、宗教の先生はね、っていうところで、
冗談めかしていろんなことを話す先生もいれば、しっかりと真面目な方もいらっしゃいましたので、
いろいろその違いっていうのも面白かったかな。
現代から見ると、やはりどうしてもおかしいことっていうのもあるわけじゃない。
今の倫理観だと合わないこととかも結構あるはず。
あるはずだと思うんですよ。そういうのを聞いたら、やっぱりそれはおかしいじゃんってなるんだけれども、
そこをおかしくて当然というふうに語る人もいれば、それはもうそういうものであるというふうに言う人もいる。
だから、神父によってもいろんな考え方があるんだなというところは受けながら、
まあ別にでも、自分はそのキリスト教ではないわけなので、
あまり気にせず、授業として面白い、歴史として面白いなっていう感じで私は過ごしていたわけですけれども、
なので、今回この話を見始めたときに、すっかり騙されたわけですよね。
あの宗教ならやるだろうなと思ったわけです。
これもね、これ私たちある程度、教育の水準がある程度いいものを受けているという前提がないと成立しない話っていうのは非常に面白いところなんですよ。
これとそんなに離れていない年代に魔女狩りというものがあったりとか、
キリスト教のこれまでの成り立ちの上でいろんなことをやってきた話。
戦争してますよね、たくさんね。
そう。
そうなんですよ。十字軍も含めて。
なかなかひどいですからね、十字軍とかね。
歴史の授業で学んでいるから、異教徒に対してどれくらい厳しいのかっていう一番可烈なところを知っているので、
これぐらいのことあってもおかしくないよねっていうのを受け入れてしまう。
そうですね。
けれど、これちゃんと一話の時点でおかしくねっていうのに気がつくこともできなくはないんだけど、調べてみようと思わないじゃん。
そこですよね。だからもうなんとなく一話の段階で異端って言われたら、いや彼らは異端をそうやって排除していたに違いないと思ってしまいますね。
こういう人は異端って呼ばれてたんだな、ふむふむって思いながら見始めましたよね。
つまりこの作品が最初に私たちに仕掛けている罠っていうのは、指導説は弾圧されていたのかっていうことですよ。
弾圧はされてたんだけど、人が死ぬほどのことでしたかとか、すごい細かいところでそうでもないっていう罠があるわけですよね。
実際調べてみると。
もちろん過去の事例を知っている人であれば、え、おかしいっていうことに気づくんでしょうけど、そうじゃなければ、実際キリスト教が弾圧をしていたことは事実であり、ただその弾圧が死を求めるほどの異端であったのかっていうところは、
事実として、それで攻められた人たちがいないわけではないっていうところが問題なんだと思うんですよね。
騙しですよね。
難しいところで、日本人で一番有名、みんなが知ってるのはガリレオ・ガリレーっていう人が、
指導説は危険思想だから、その話はもうしちゃダメで、そういう話をするようなやつ危ないから監視を置いて家に閉じ込めておいて、出れないようにしちゃおうっていうことをしたっていうのが一番例として残ってるのはきつい対応。
でも火あぶりにはなってないわけですよね。そういう意味ではね。
指導説を推してた人の中で処刑されたかもって言われてる人が一人いるんだけど、必ずしも指導説を信奉してたからじゃないかもっていうことを言われていて、確実にこの人は指導説を推してたから処刑されましたっていうのがわかってる人は一人もいないという。
という、いわゆる一般的な学問として残っている中で言われていること。
少なくとも歴史に残っていること。
から考えると、この物語のスタートの時点からおかしいわけですね。
そうですね。少なくとも歴史上に残ってる話ではないですっていうことがわかる。
ということは、もうこの時点でこの作品の魔法にかかっちゃってるわけですよね。
そうですね。本当に私たちに考えてほしいことっていうのの第一歩に引っ掛けられちゃってるから、最初の方で止めてしまうとそこまでたどり着かないので、できれば。
本当なんていうのかな。これ、キリスト教ってクソなんだなっていうイメージじゃないですか。
これは。
昔、結構過激でしたよねっていう時代のこと。
そういうことですよね。結局こんなことをやってた、見そぎはあったのかって思うぐらいに、かなりきつめの内容ですよね。
こうと言ったらみんなこう信じるんだ。他はダメっていう感じですもんね。
でもそれがまさに我々が騙されてしまった内容なわけですけれども。
言ってしまえば、この話の中に出てきた人たちは、歴史には残らないで消えていった人というフィクションだし、さらに言うなら、生まれと研究してた内容がバチクソ悪かった運の超悪い人たちっていう話になってしまうわけですよ。
実際、モデルとなった人たちはいないわけですね、この作品の中ではね。
少なくとも歴史に残ってる人の中にはいない。
人の中にはいないわけですもんね、本当にね。
文字った名前の人とかいるのかなってちょっと調べたけど全くなかった。
だからあくまでもこの作品はフィクションなわけ。
きっと語られていない歴史の中にこういう人たちいたのかなって思いながらふわーっと見てました。
だからなんとなくこういう人のモデルがいて、そのモデルの話をやっているんだろうと思わせられてしまった。
それは中途半端な知識があるからこそ、人は騙されてしまうんだなっていう感じですよね。
本当にこの作品が問いかけたいことっていうのを実地で教えてくれる形ですよね。
その習ったことが正しいかどうかっていう判断をあなたたち本当につけてますかっていうことなんですよね。
習ってそのまんまのことを全部信じるって危険なことだと思いませんかっていうのの一つのテストケースみたいなのを体験させられてるっていうことですよね。
っていうのはもうこれは最後の方にならないとわからないわけですね。
まさに。だからこれは10話ぐらいまで見てる人はまだそこのマジックに引っかかってるわけですよ。
ここまで見ないと作家が言いたいことがわからない上にちょっと嘘のことを信じちゃうっていうとても危険なことやってるからなんて危ない作品をアニメ化するんだろうって思いましたけどNHKで。
そうですね。だってみんながちゃんと最後まで見るわけじゃないじゃない。
ある。
はい。
私も美術館で見たことある。
ね。
はい。
で、異端新聞館というのも存在していた。
ただその異端新聞の可烈さもその地域その時代によって全部変わってきてたわけですよね。
これも面白いところというか興味深いところで。
さっきくむさんが学校でも先生によっても教えてくれるキリスト教官が結構違うみたいな話だと思うんですけど。
やっぱりそのこのキリスト教としての権威を振りかざす人たちの中でも解釈とかこれまでは政府これまでアウトっていうラインが違ったりとかする。
本当に人によって教えてめちゃくちゃ左右されちゃうのよねっていう。
そうですね。
もうまさにそれは私は自分の実感としてその神父様たちの言葉で学んだことではあるわけですけれども。
そうじゃなかったら興味を持たなかったかもしれない。
でも現代の感覚からいくとそこは納得できないということに対していやこれはあくまでもそういうふうに言われていることであるというふうに。
ちゃんと自分はおかしいと思っているよということをおかして言ってくれる教師とそれはそうであるっていう教師の違いみたいなものを目の当たりにすることによって社会みたいなものを感じるっていうのかな。
そこはやっぱり大事なところなのかなと思って。
学生時代はキリスト教は嫌いじゃなかったですね。
逆に言うと仏教がよくわからなかったから。
自分が一番触れているのは仏教なわけですよ。
でも仏教といったって何に触れてるかって言ったら触れてないわけですよ。
お葬式とかで触れるだけであって。
家は仏教なのどうなのみたいなそんなレベルじゃない。
ここら辺が日本が無神教って言われるゆえんですよね。
そうなんです葬式宗教なんですよね。
仏教もしくは神教。
見送りはだいたい仏教かな。
だけどクリスマスは祝うし、ハロウィンとかもやるし、イースターも祝うし。
お正月はお参りに行くわけですよ神社に。
最近は死者の日とかもねパーティーやったりとかしますから他の宗教とかも混じってるけど。
全部OKみたいな感じの国民性だから信仰がないとされてるんだけど。
意外と日本人って信心深い人種でして。
というのもご飯を食べる時にいただきますって言って手を合わせたりとかするじゃないですか無意識で。
あれも信仰の形なんですよね。
だからこの話の中で宗教の最終到達点として。
ありとあらゆる責任とかを神様に預けなくなった後も残る信仰っていうのはこの形が近いんじゃないかなっていうふうに見えてくる。
これ作者さんが日本人だっていうのは結構納得のいくところなんだけど。
日本人の視観から観測してるからこのちょっと突き放したキリスト教のお話が書けるのかもねっていう気はする。
そうでしょうね。
これはキリスト教権の人が書けるかって言われたら。
信仰してると難しい内容だなと思うし。
かといって侮辱しているわけでもないっていうこの微妙なラインっていうのかな。
うまいラインで物語が作られているというところ。
あくまでもフィクションだからっていう。
この時はこれが正しかった。
そういう時代であったっていう話も出ましたよね。
同じ時代の仲間であるっていうのはそういうことだから。
そういう世界で反発する人もいればそうじゃなかった人もいる。
同じ時代の人ですって言ってる気がするから。
私は宗教観的に言うと、シュミットが一番今近いんですよ。
自然信仰ですね。
自然信仰とまでは言わないけれど、
人が認知できるような神はいないと思っているんで、
いろいろ自分も見てきた上で、
人間に都合のいい神はいないと思うだけなんですね、結局はね。
そうですね。
違ったら助けてくれるとか、
救済をくれるみたいな。
もしそんな神がいるんだったら、この世に不幸はないと思うんですよ。
自然災害もないと思うんですよね。
あっても助かると思う。
でも世の中そうじゃないわけじゃないですか。
それみんな見てきてるわけじゃない。
その中でまだ宗教にすがれる人たちは偉いなってある意味思うんですね、私はね。
今の私はね。
ただこれも数年後は違うかもしれないよ。
ただ今、自分の中では感覚がですね。
常に心の内にあるようなものっていう考え方があるから。
宗教観も面白いところで、
多分若い頃にそうかもって思っていることと、
年取ってからそうかもって思うことは違ったりもするので。
確かにこの後同じ考えであるかはわかんないけど、
今はそうっていうのは明確に出ますよね。
すごいそれキャラクターに出てたような気がします。
登場した時の思想と、
終わっていく時の考え方がすごくみんな変わっていくなーと思いながら、
人生を感じてました。
結局真実のために生きている人たち、
真実というのかな、
でもその地動説に準じた人たちがたくさん出てくるわけじゃないですか、
この中ではね。
P国、C教にまつわるお話はここまで。
次の主人公いますけどね。
はい、いましたね。
あの人だけはポーランド王国の人。
現実にいたであろう人という。
ここからは物語じゃないですよっていうことですね。
ここまでは物語だったというのを、
3章で明らかにさせられるわけですね、我々はね。
コペルニクス的回転。
いや、まあ気持ち的には、
本当にね、ノバ君ですよ。
えーって言う。
異端じゃなかったのって言う。
自分の人生かけて頑張ってきて、
時にはむっちゃしんどい思いもしたけど、
それでも最後すがりついてたものが、
君だし明日は亡くなりますよって言われた時の気持ちって考えたらゾッとしますよ。
それに自分の娘まで。
ノバ君ってどういう人かって言えば、
人が言ってるからこうなんですよねっていうことに疑問を持たないで、
そのまま来てしまうと、
こういう手痛いしっぺ返しを食らうんですよっていうのを明示するためのキャラクターなんですけど、
本当に手ひどいしっぺ返しを受けたってことですよね。
自分の大事なもの全部なくしてしまったし、
なんなら自分のせいで子供死んでますから。
ただこれはね、ノバ君に魅力を感じられないからつらいところなんですよね。
ここまでの人生を送ったノバ君というキャラクターに対して、
魅力を感じるのかっていう部分がなんだろうな。
ノバ君をどう思うかでこの作品の今日終わりますよね。
ノバ君自身も言ってたけど、悪者は俺だったんだなって言ってたのを深く捉えても、
そうだよなっていう感想しか出てこなかったんですよね。
それだけのことをしたし。
してきてるわけですもんね、さんざんね。
本人は正しいと思ってたから、犠牲になった人のことを忘れてない。
正しいために殺したけど、死ぬことなかったんじゃないかなって気持ちずっと引っかかってるから名前に。
本当に大事なことから目を背けてるっていうのもめちゃくちゃ人間的じゃないですか。
爆死した腕飛んできたのを大事に持ってたっていうことは、あれがヨレンタだって気づいてたわけじゃないですか、本当は。
でもそれを認めたら心壊れちゃうから考えないようにしてたんでしょう。
最後の最後、ラファウに悟されるまで。
人間だなって思いますね、あの人のことは。
いいかどうかは去っておき。
そうなんですよ。
人間らしい人間という意味ではノバ君は一番人間らしかったのかなと。
他の出来すぎた連中よりも。
そうですね、順次ることができなかった普通の人ですよ。
そして疑問を抱かない人生を送っていたっていうのと、元傭兵であるというところでそこまでの額もないっていうところだったんじゃないかと思うんですよね。
そうではあったと思うんですよ、最後のお祈りとかを見てても。
でも額はないっていうか、思考するっていうところをあんまり深く考えなかった。
考えなかったってことですよね。
本当に面倒くさがってって言ってましたけど、そういうことなんでしょう。
言われたことを仕事として、自分はその異端尋問官として求められている、傭兵として求められている異端尋問官の仕事をしていた。
ある程度誇りを持ってやってたけど、歴史記は残んないし、汚れ仕事というか支援ですから、元を正せば。
そうなんですよね。
上の世代の支援をそのまんま引き継いだ人だから。
この時代に処刑って娯楽なんですよね。
それを夜中にしかやってない時点でおかしいんですよ。
こっそりなさねばならないことであるっていうことなんですよね。
闇の仕事なわけですね、言ってしまえばね。
本人はそう思ってなかったけどね、なんで滑稽で悲しい話なんだろう。
そこまでいければ、野爆というキャラクターの悲しさ、野爆が悲しいんじゃなくて、野爆というキャラクターの存在の悲しさに至るんだけれども、
これがね、やっぱり人というのは、その行動で、彼が何を成したかによって、どうしてもやっぱり判断してしまうというところで。
また、野爆がやってきた人みんな、いい人だったなーみたいな人ばっかだから。
だから、考えないということは罪だなということに至ってしまう。
今回見事騙された私もそうなんでしょうけど。
これがね、怖いところなんですよ。
こんな馬鹿な失敗はしないですよねって言いたいとこだけど、ここまであなたたち騙されてたんですよねって言われれば、はいっていう話なんですよね。
あり得ることなんですよ、あなたにもって言われると、
ここまで極端なことにはならないと思うんだけど、今の社会で人の命取るってめっちゃ大変なことだから。
でも、このクラスの失敗をする可能性はあるんですよって言われれば、ちょっとゾッとしますよね。
言ってしまえば、今SNSの炎上なんてまさにこれに近いことが起きるわけですからね。
みんなが異端新聞家なわけでしょ?言ってしまえば。
異端に石投げるの簡単な時代とも言えますね、確かに。
だから、すごくこの物語を見て反省できる面はたくさんあるなと改めて思いますよね。
一旦それおかしくねっていうのを考えた方がいいよっていうのは、めちゃくちゃ大事な教えなような気がする。
本当に。そういう意味では見てよかったですよ。
このすごいトリック的な作品の作りも含めて、それだけじゃなく、やっぱ学びって大事だなと改めて思いましたね。
思いました、本当に。
勉強しようというか、本読もうって思いましたね。
このお話を読んでても、それって本当はそうなんですかっていう騙されたこととか、それにまつわること、関係したこととか色々調べてみたくなるから、
ここを起点に色んな学びが始まるっていう意味でも、色んな興味の導線を引いてるのが非常に面白く感じます。
話はちょっとずれむるんですけど、ちょうど先日テレビで、天正経温少年施設団のお話をやってたんですよ。
ちょっとタイムリーですね、日本人としては。
九州のキリシタン大名がローマへ派遣した少年たち4人の施設団のお話なんですけれども、ちょうど長崎から出ている子たちもいたということで、
ずっと長崎では名前は聞く人たちだったんですけれども、実際彼らが何をやったのか、歴史の教科書にもたしか載ってたと思いますし、
ちょっと載ってると思いますね。
宗教の授業でもやったと思うんですが、最終的に彼らが戻ってきたタイミングにはもうキリスト教が弾圧されてたんですよね。
帰ってきてみたらっていう感じだったんですが、その中で1人だけ裏切り者がいるんですよ。
これが面白くて。
実際、向こうでキリスト教の教え等を再度学んで、日本でも当然学んで行って、向こうでもっと学んで帰ってきて、これは危険だと。
宗教戦争じゃないですか、言ってしまえば。
宗教って国を分取るのにも使えるわけ。
だからちゃんと見抜いた子がいたんだなっていうのも含めてね。
現地まで行って学んだ上で、違くねって思ったっていうのは非常に興味深いですよね。
教義を捨てる人によって、生きながら得るためにそうしたのであるか、それとも考えた上で、やっぱりこの宗教良くないと思うって言ったのかとか、すごくいろんなことを知りたくなるじゃないですか。
何を考えてたんだろう。
結構自分が何年もかけてきたことを、やっぱ違いましたって捨てるのはむちゃくちゃ難しいことだと思うから。
そうなるに至る人生って、どういうことあったの?
非常に興味深い。
面白いんですよね。
この話は史実ですし、
宗教して亡くなられた方もいますので、
そういう日本内部での弾圧みたいなものも含めて、歴史として興味があればぜひ調べてみてはいかがでしょうか。
物語を見ていくうちに、知ること、知は知道説の知でもあり、知識の知でもある。
本当に血液の血でもあるんだとは思うんですけど、
知識のほうで、それを残すために、活版印刷に話がつながっていくわけじゃないですか。
先人たちが知識を残す方法として出版に至っていくっていう部分は、やはり面白かったなっていうね、物語として。
嘘を信憑性高めるためには本当のことを混じると、ちょっと信憑性が上がるみたいな話ありますけど、部分的にはそうっていう話も結構含まれてて、
これから先は個人所有の時代で、なおかつ書籍で娯楽が必要になってくる時代っていうので、
一つの娯楽としてセンシエーショナルな、これまでの第一のことをそれこそひっくり返すような、
知道説は娯楽として売れんじゃないっていう話とかは、実際そういう形で広まったケースもあるので、
これは一部本当のことっていうのはね、ちょこちょこ含まれたりとかするから、どこまでが嘘で、どこまでが本当なのっていうのは。
このキャラクターがやったわけではないけれど、人の歴史として存在するっていうことですよね、文化の発展としてね。
っていうのを混ぜてるからリアルなわけですよ。
騙されちゃうよねっていうところで。
そう、騙されちゃうよね。
そういうところも含めて非常に、人を選ぶとは思いますが、見て後悔はしない作品だったと思います。
今の私たちに刺さる内容ではあるはずだと思うので。
そうですね、確かに。
こう話せば話すほど見てよかったなって改めて思うような作品ではあったなと思いました。
ちょっと序盤見てふーんって止まってる人は、ぜひ後半まで見てもらうと、見えてくるものがあるような気がします。
そうですね、確かに。結構もう完全なネタバレを今回喋っちゃってますけどね、本当にね。
でもそれを分かった上で、安心して見れるっていう部分はあるのかなっていう気はしますね。
はい、ということで、物語はまだあと数は残っておりますので、そこでどういう結末を迎えるのか楽しみにしたいと思います、今日の特集は。
地、地球の運動について、でした。
そこアニ。
ふつおたのコーナーです。
ミニシエルさんからの投稿です。
アルドノアゼロリープラスを見てきました。
火星に移住した人類と地球との戦争を描いた物語のテレビシリーズ10周年記念として今回の劇場版が作られました。
テレビ総集編と続きの話があるとのことで、公開前から楽しみにしていました。
テレビシリーズ24話を2時間近くに圧縮しているため、かなりスピーディな展開ですが、うまくまとめたように思います。
ジェットコースターのような展開を楽しめました。
花江夏樹さん演じる常に冷静な稲穂は、やはり見ていて気持ちがいいですね。
ロボット戦闘のアクションシーンは迫力満点。さらに澤野裕之さんの音楽が盛り上げてくれます。
それにしても、途中、戦争を終わらせるにはという質問が出てきて、現実の戦争に思いを馳せて考えさせられてしまいました。
新作アニメエピソード24.5雨の断唱は、地球と火星の戦争終結から9ヶ月後の物語で、地球側の稲穂と収容された火星側のスレインとの交流をメインに描かれていました。
スレインのその子が気になっていたので、制作されて嬉しかったです。
ラストもしっとりとした雰囲気で満足。いつかまた続きが作られることを期待しています。
ありがとうございました。
アルドノアゼロリプラスですかね。
でいいのかな読み方は。
そう読みましたけど。
あのね、この新作アニメ見たかったんですけど、
もう放送終わってだいぶん経ちましたが、こう、自分の中でどういう感想だったかって、ちょっとお風呂に入りながら考えてたんですね。コメント来てたから。
10年経ってますからね。
最初すごくかっこいいのが始まったっていう記憶と、なんか途中あれ想像と違うみたいなことがあって、最終的には自分の中では満足のいった作品だったような気がするんですけど、果て10年前にそういう感想で終わったのかが自分に自信がないっていうね。
綺麗な部分だけ残ってる可能性もあるよな。
ただ私は好きなタイプの作品だったという記憶はあります。
ただ結末から考えると、そうなんかっていうところはあったと思ったので、その先が描かれるっていうのはちょっといいなと思ったんですけれども、地元でなかったので上映が。あれば行きたかったんですけど、この雨の断章、非常に気になってます。
置いていかれた男2人がどうなったのかは非常に気になるところでありますよね。
女性は強しっていう作品でしたからね、最後ね。
すっかり綺麗な思い出にされちゃってね。思い出にしか居場所がない男たちが取り残されたっていう、なんか味わい深い結末だよなと思ったんですけど。
その先が描かれたっていうことですね。どうなってたかって。
もう少し見てみたいなっていう気持ちは確かにありますね。
あとちゃんとこの24.5話見たいな。
ありがとうございました。
放送から47年の時を経て配信が開始されました。
メインスタッフはタツノコプロ精鋭と大河原邦夫先生。
日本以外が敵の占領家、敵が量産型戦闘ロボを投入している防衛軍の描写がリアルなど、ガンダムより先にリアルロボット路線に挑戦し、主役ロボットの乗り換え劇もザムングルに先駆けて行いました。
古い作品の視聴をお願いするのは今回の配信が極めて貴重だからです。
特に見ていただきたいのは第9話の最後の戦線南シナ海です。
小川氏が作画監督を務められ富野氏が演出。
セリフの随所に富信氏が見受けられ、富野氏の映像の原則にのっとった画面作りの上、小川氏得意の煽りのキャラ描写もあります。
この1話だけでもクムさんと宇宙世紀仮面さんが語り合えるだけの内容になっていると思います。
ありがとうございました。
初めてのコメントありがとうございます。
どうしても見ていただきたいということでいただいた作品だったので。
見てきましたか?
見てきました。
仮面さんをスペシャルゲストに呼んでまで。
第9話だけとりあえず。
スペシャルゲストってないやん。
本編いなかったからね、急に現れました。
どうでした?
他の話数をまだ見れてないんで。
そうですね、どうしても見ていただきたいって書いてあったからね、第9話ね。
そこだけ取り急ぎ、今から本編撮るからその間に見てきてって言われてきたんですけど。
テンポがね、40何年前って書いてあったっけ?
47年前ですね。
の作品にしたらテンポがすごい早くてね。
昔の作品ってゆっくりなところ、これガンダムの時にも見ましたけど。
っていうのがなかったなっていうのと。
そうっすね、結局人間とか親子の話になったりとか、状況の説明というよりかはもうその場にいる人がそのまま喋ってるっていうのが連続して続いていくとか。
富野さんとかが関わってる作品っぽいなっていうなんで。
そのルーツはだいぶ感じましたね。
あとあんな立派な父親じゃない方が良かったみたいなセリフとか。
あーっぽいなー。
すでに数が。
生まれてない時代の作品ですけどね。
私は生まれてましたけど、多分この作品名前すら知らないからね。
俺は名前は知ってましたもんね。
そうですか。
ただ、こんなシリアスな話、こんなタイトルのアニメでやるんだってちょっとびっくりするよねっていう。
いかにおもちゃ屋とアニメ作ってる人たちが見てるものが違うんだなっていう話の。
アニメは子供向けだよねっていうスポンサー側と、アニメでシリアスな大人のドラマをやりたいんじゃっていう作り手側の間に何かのそごがある時代の香りを感じますよね。
前線指揮官の父親が、奥さんが広報で病気になってるから、娘が1名会いに戻ってやってって伝えたけどもお父さん戻らないって言うし、実際にその娘も会った時に分かるなって言われて、分かったって言ってお父さん前線に戻っちゃうんだけど。
そしたら戻った直後に娘さんが、もう泣きながらあんな立派な父親じゃない方が良かったって言うとかね。
その娘も戦闘機パイロットになろうとして、ちょっと事故があって慣れなくて。
そんな子供向けの作品にそんなこと言ってよ。
ヒロインが関わってくるのに動機づけになってたんで、戦闘機パイロットになれなかった看護兵っていうのがあったんですけど、そもそもお父さん軍人で、娘も戦闘機パイロットになろうとして軍に行こうとしてる段階で、それなりに家族仲は良好だったような空気が出てるにも関わらず、そこのところであんな立派な父親じゃない方が良かったって言わせるみたいな。
複雑よね。
第9話だけでこんなに語れるんだ。
絶対におもちゃ屋さんが、スポンサーが対象と思っている子たちが見て、理解はできないだろうけれども、ニュアンスとか雰囲気は感じ取れるっていう作りになってて、これはアニメを制作している側の教育が始まっているって感じがして。
47年前に。
子供騙しの部分は、スポンサーに配慮してやりますけど、そうじゃない部分は私らがガチでやりますよっていうのを、こんな風な時から作ってたんだっていうのと、僕は小川さんのこの名義を知らなかったんで、これも小川さんだったのかと思って。
小川氏が作画監督を勧められて、コメントでおっしゃってるんですけど、作画監督の名義違うんですよね。
なるほどね。
調べたらあまたある中にあって、あ、あったわ、みたいな。
みんな偽名を持っていた時代。
そうそう。
富野さんも富野がひらがなだった。
あ、そうなんだ。
なんの差やねんとか思うけど、あれかな、どこから給料が入っている家族の時に、見分け用に使い分けてたのかな、この頃って。
意外とみんな当時、結構いろんな名前使ってますよね。
その名前。
そうですよね。
ありがとうございました。さすがに特集はしないと思いますけれども、気になった方はぜひ見ていただきたいと思います。
ルーツを今、吸うにはいいんじゃないでしょうか。
ありがとうございました。