1. 習慣LAB(習慣ラボ)
  2. #235/おわりをいつも想像する
2025-02-20 14:46

#235/おわりをいつも想像する

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #おわり
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/66656709316143a771b821b5

サマリー

このエピソードでは、タスクやチャレンジの終わりを想像することが重要だとされています。特に、終わりを設定することで時間管理が向上し、後悔を避けることができると強調されています。また、人生の終わりを想像することが、日々の優先順位を見極めるのに役立つと提案されています。

タスクの終わりを想像する
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時26分です。
横浜はまだ真っ暗ですけれども、そして寒いですね。
寒いのはいつも通りですが、
今日の横浜はいよいよ氷点下ということで、
ただ風がほぼ無風なので、
昨日などに比べるとむしろマシという感じではあります。
というわけで、今日のお話を始めていきたいと思いますが、
テーマは、おわりをいつも想像する。
おわりをいつも想像する。
さてあなたはいつもおわりを想像しているでしょうか?
と言われても、何をもっておわりなのかということもありますよね。
いろんなおわりというものが僕はあると思っていて、
そのおわりを普段から想像する意識をすることで、
行動も変わってくるのかなと、
それも良い方向に変わるのではないかと思っています。
なのでそのあたりを今日はお話ししてみようということです。
先ほどおわりはいろいろあると言いましたけれども、
ひとつまず例を挙げてみると、タスクですね。
タスクのおわりと、これを想像していますかということが挙げられます。
タスクというのは、ひとつひとつの予定みたいなものですよね。
トゥードゥーとか言ったりもしますけれども、
多くの人はタスクとかトゥードゥーとか、
そういったものを管理していると思いますし、
リストにしたりしているんじゃないでしょうか。
その上でリストに沿って、
タスクなりトゥードゥーなりを実行していくという感じでしょうかね。
この時になんですけれども、
タスクならタスクを始めるときに、
その終わりをきちんと想像していますかと。
もう少し具体的に言うと、
このタスクを今始めたとして、いつ終わるのかということですよね。
始める時間は今ということでいいんですけれども、
その終わりを決めていないということありませんかと。
つまりは出たとこ勝負というか、
できるだけ早くなる早で終わらせるみたいな感じでしょうかね。
するとどうなるかということなんですが、
もはや言うまでもないということですけれど、
だらだらと時間がかかってしまう、そういうことありますよねと。
これはよく言われることでもありますが、
締め切りを決めておいた方が時間管理としてはうまくいくよねと。
いわゆる尻に火がつくというような状態を作り出す締め切り効果ということですけれども、
時間をあらかじめ決めておく、そのタスクの終わりを想像しておくことによって、
おのずとタスクを実行するスピードを上げられるんじゃないのということなんですよね。
ところが意外とこれやってない人多くありませんかということなんです。
終わりの時間を決める、これは本当に言われてみれば当たり前のことなんですが、
終わりを想像しないまま手をつけて始めてみるというようなことは意外とあるのではないかと思います。
そうですね、僕が昔を振り返ると、例えば会社で何かしら会議があるじゃないですかと、
会議が始まるんですけれども、終わりの時間が決まってなかったりするんですよね。
スタートする時間はもちろん決まっているのでみんな集まるんですけれども、
とりあえずスタートして会議の内容が終わるまでと、
いやいやいやそれいつまでかかるねんという話なんですけれども、
誰もそれを咎めなかったりして、だらだらと結局会議が時間をかけてしまうというようなことがあったように思います。
会議に限らず自分一人でやる仕事も同じなんじゃないかなと思いますので、
先ほど言ったタスクの終わり、気をつけてみましょうと。
これを気をつけずに一つのタスクが予定以上、予定以上というか予定がなかったので予定以上ではないんですが、
長引いてしまったりすると、今度は他のタスク、予定に影響してしまいますよねと。
これは良くないわけなので、やっぱり目の前のタスクの終わりを想像する。
そして次のタスクがあるのであれば、そのタスクの始まりとその終わりまでイメージをしていくその連鎖によって、
複数のタスクがうまく進んでいくんじゃないかということでお話をしてみました。
チャレンジの終わりを想像する
そして終わりを想像するということでいえば他にもありますよねということで、次はチャレンジの終わりですね。
チャレンジというのは挑戦、新しいことをやると、そういう話なんですけれどもどうでしょうか。
何か目の前に挑戦、チャレンジというようなタイミングがやってきた時にその終わりを想像できているのかということなんですよね。
はい、何でもいいです。自分がやったことがない仕事が今目の前に現れましたと。
それをやるかやらないか選択できる状態にある。この時終わりを想像するとはどういうことなのか。
ではまずやらないという選択ですよね。目の前にある新しい仕事、今はやめておこうと。
ではこの終わりを想像する。例えばそこから1ヶ月、2ヶ月経った時に自分を想像してみようと。
そして振り返って、あの時なんであの仕事をやらなかったのかという、挑戦しなかったことを後悔する自分がイメージできるのであれば、
それはやっぱり今やった方がいいんじゃないかということでもありますよね。
よく言うじゃないですかと、やらない後悔よりやる後悔。
なので目の前に挑戦がある時には少し先の自分を想像してみて、そこから振り返ってやらない後悔をすることが、
やらない後悔、それからやらない後悔よりやる後悔ですよね。
なのでやらない後悔をしていないかどうか振り返ってみると、それをイメージしてみるということになります。
逆にですね、挑戦するよというようなことについても終わりを想像してみるということですよね。
今目の前に新しい仕事がありますと、それをやるということなんですけれども、
そこから1ヶ月先、2ヶ月先、イメージをしてみた時に自分はどうなのかなと、
その時何を得ることができるだろうか、あるいは何のためにその新しい挑戦をやるという選択ができるのかなと。
詰まるところは目的みたいなものですかね。
それを改めて考えてみるという意味では、目の前に挑戦がある時にその挑戦の終わりをイメージする。
何のためにやるか、その目的を明らかにしてからやるにしても手をつけるみたいなことがメリットとしてあるのかなということを考えています。
先ほどやらない後悔よりやる後悔という話をしました。
そういうことでいえば何も考えずにチャレンジするというのも一つの方法ではあるんですけれども、
そうは言ってもやみこむに手をつけるというのもどうなのかという話ではありますので、
人生の終わりを想像する意義
今言ったようにやるにしても目的を明らかにしてからということは意外と大事なんだけど意外とやっていないということかもしれないので、
やっぱり終わりを想像するということでお話をしてみました。
それから最後もう一つですがね、人生の終わり、これについても想像するのはどうかと。
人生の終わりというのはなかなか寂しい話ではあるんですけれども、いずれ必ずやってくる自分の人生の終わりをイメージ、想像できていますかということですよね。
普段からそんなことを考える必要がないというか、あまり考えていると悲しくはなるんですので、いつもいつもというわけではないにしても、
ただ物事の優先順位を見極めるという意味では、人生の終わりを想像することも役に立つのではないでしょうか。
日々いろんな物事が襲いかかってくるということはあると思います。
そうですね、忙しいという言葉がありますけれども、いろんな用事が入ってくる予定が入ってくるという中で、
じゃあどれをやればいいんだという話になった時に、来たものを全部やっていると先ほど言ったように人生の終わりはいつかやってくるし時間には限りがあるので、
全てをやっていると自分の本当にやりたかったものができなくなってしまうというのが、どちらかというとあるあるなのかなということですよね。
なんでそんなことがあるあるなのかといえば、目先のこと、緊急のことをやらざるを得ないというか、やってしまう、手をつけてしまうからですよね。
でも緊急だからといって、それが自分にとって重要かどうか、長い人生あるいは限りある人生の中では重要なのかというと、必ずしも緊急だから重要というわけではないですよねと。
そういう意味で重要性、これを見極める。優先順位を見極めるという意味では、人生の終わりを想像してみる。
つまり、自分の人生が間もなく終わるとして果たして目の前にあるこれはやるべきなのか、終わりが来たときにやろうと思えるものなのかということなんですよね。
もちろん今言っていることはかなり極端な話をしています。
今日生きていくためには目の前の仕事をやらなきゃいけないのであって、自分が本当にやりたいことではないとしても、それをやらないと今日は生きていけない。
そんな状況の中で人生の終わりをイメージして、重要ではないからやらないというわけにはいかないじゃないかと思うかもしれません。
ただ、その矛盾の中でできる限り自分のできることを選び取っていくということは必要なんじゃないですかね。
今は極端な例を挙げましたけれども、もっと違う例で言うと、例えば誰でもいいですけれども、
今日、夜、飲み会に誘われましたと。これに行くべきか。行くのをやめて、自分で家に帰って勉強をするとか、
ジムに通って運動をするとか、そういう時間の使い方もあるじゃないですかと。
人によって何が大事かは人それぞれなんですけれども、やはりここで自分の人生の終わりをイメージしてみて、
終わりから振り返った時に果たして飲み会に行くのが良かったのか、それとも勉強をする、あるいはジムに行って健康を整えるというようなことが良かったのか。
そういったことをイメージすると、飲み会に行くか行かないかの選択も変わり得るんじゃないのということですよね。
ただただということですけれども、いちいち飲み会の誘いを行くか行くまいか考える時に人生の終わりをイメージする人などいるのかという話です。
いないでしょうねということなので、いないからこそこういう話をしているということになります。
みんながみんな考えるんだったらこんな話はしないということですよね。
僕もまたそういうことを考えずにきた人生の方が長いので、今振り返るともっとそういうことも考えておけば良かったなと心から思っている。
なので今日はこういう話をしているということなんですよね。
なので終わりをいつも想像する。
日々の選択と重要性
これは言われてみるともっともらしいことではあるんですけれども、実際にはなかなかできていないという意味で大事なことなのかなと。
今日はテーマにして選んでみました。
というわけでまた今日も新しい一日が始まりますけれども、その中で少しでも終わりを想像してみるというのはいかがでしょうか。
それではこの後も良いチャレンジをまた明日。
14:46

コメント

スクロール