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こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。
時間は5時48分。
空がだんだんと明るくなってきました。
横浜はよく晴れていそうです。
連休も最終日となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
僕は昨日、横浜の港未来の方まで走って出かけてきました。
横浜港のそば、走っていたんですけれども、
空は青いし、海も青いし、吹く風は気持ちいいしということで、
良い連休の中日を過ごせたかなと思っています。
今日は、近所に少し買い物に出かけてみようかなと思っているところです。
というのも、ベイスターズが優勝しましたよね、日本シリーズ。
なので、横浜は何か優勝セールがあるのではないかと、
そんな話もあるので出かけてみようかということなんですが、
僕自身は全然ベイスターズファンでもなんでもないので、
ただの買い物ということではあるんですけれども、
そんな連休最終日ということで話を始めていこうかと思います。
今日は、結果論を過小評価しないように気をつけませんかというような内容です。
結果論、普段話をしている中で、
結果論だよねというようなことを言ったり言われたりすることはありませんかということなんです。
この時の結果論というのは、あまり良い意味では使われていないはずです。
例えば、前提であったり、仮定であったり、あるいは根拠なんかが大事なのであって、
その結果だけで評価するというのはどうなのか。
その結果はラッキーパンチに過ぎないのではないかみたいな意味で、
結果論だよねと切り捨てるみたいな話があるわけですが、
とはいえ、結果論を過小評価してませんかというような話が、
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今日の内容ということなんですよね。
まずどういう点で過小評価なのかということなんですが、
そもそも結果論だよねという時点で結果が出ていることがありまして、
だとすればその結果は評価していいんじゃないのということがあるわけです。
そうですね、端的に言えば結果が全てという考え方がありますので、
結果が出ているということは単純にそれはそれでいいんじゃないのと、
もしこれに対して結果が出ていないのであればそれは負け惜しみだよねと、
結果論だよねという言葉は負け惜しみに過ぎないんじゃないのということもあったりするわけです。
なのでそういう意味ではそもそも結果が出ていませんかというところで、
過小評価という可能性があるということですよね。
それとは別になんですけれども、
所詮は後付けというようなこともありませんかと。
これどういうことかというと、
よく成功した人の成功話みたいなものがあるわけですが、
これは結局のところ後付けだよねということでして、
つまり実際のところはたくさんの失敗とかうまくいかなかったことがあったはずなんですけれども、
後から話をするときには良いとこどりでうまくいったところをつなぎ合わせて話をしているんじゃないのと、
ただこれは別に話をする人に悪意があって失敗を隠そうということではなくて、
あくまで編集上の都合ですよね。
話をするにも例えば本に書くにしても制約、
時間的な制約とか文章量の制約があるので、
ある程度優先順位や優先度を決めなくてはいけない。
その中で端折られるのはうまくいかない部分というのは多分にありますよねと。
結果としてとてもスマートな成功話が出来上がるということでして、
だとすればそれって結果論なんじゃないのというような話になるわけです。
というように所詮は後付けなんだから、
結果論、それはそれで別にいいんじゃないのと、おかしくないんじゃないのということでもありませんかということなんですよね。
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なので結果論、これに過ぎないように見えたとしても、
どうせ話としては所詮後付けということがわかっていれば、
それはそれということなので、
結果論だよねということで、
過小評価をしすぎない、その裏にはいろいろあるんだということは、
自分が理解すべきということでもあるのかなと思うわけです。
そしてもう一つありますかね、
結果論というからには、
その結果に向かってチャレンジをした、あるいはしようとしていることの表れだとも言えます。
だとすれば結果論はチャレンジの証とも言えるわけです。
チャレンジの証と言いましたけれども、
チャレンジは大事なことですよねと、
これはもはや言うまでもないですし、
今までの音声配信の中でも、
チャレンジについてはずっと話をしてきていることでもあります。
結局のところ、何事もやってみないと結果がわからないわけで、
その結果なんて誰にもわからない中でチャレンジをするというのは、
それはそれで評価ができると言いますか、価値のあるものじゃないですかと、
この点で結果論だよねと切り捨てる、
これはあいつもチャレンジを過小評価しているんじゃないのということなんですよね。
どんな結果であったとしても、
それをかえりみずにチャレンジしたという、
その行為というか、その過程について、
もっと評価をしてもいいんじゃないかということだとすれば、
結果論だよねと仮に言われたとしても、
僕は誇るべきことかなというように受け止めています。
だって自分が何かしら行動したその結果がそこにあるからということなんですよね。
むしろ何も、はい、結果が出ていないということは、
何もやっていないということかもしれないわけなので、
結果論だよねとも言われないような状況の方がまずいとも言えませんかということですね。
はい、なので今日は結果論を過小評価していませんかということで話をしてみました。
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というわけで今日のお話はここまで。
それではこの後も良いチャレンジを。
また明日。