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こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は4時30分。
いつも朝は早いんですけれども、
さらに1時間くらい早いですね。
なので、空にはまだ高く月が昇っているというような朝です。
それにしても、そんなに早起きをして、
おじいちゃんかというような気がしないでもないんですが、
この早起きというか、朝早く起きてしまうのは年寄りだからみたいな話は、
どこか穿った見方でもありますよね。
別に若くたって早起きはするわけで、
というどうでもいい話のついでに、
なぜ今日そんなに早起きをしているのかというと、
昨日早く寝たからですね。
よくわからないんですけれども、
夕方耳がすごく痛くなりまして、
時々外耳炎になるんですけれども、
多分それなのかなということなんですが、
とにかく痛くて、夕飯も食べる記録がなく、
とりあえず寝るぞということで、
早く布団に入って薬もつけたり飲んだりして寝たんですけれども、
朝起きたら幸いなことにほぼ全回復というような感じで、
元気いっぱいでお届けできるのかなと思っています。
ちなみに今日はスタンドFMを毎日配信続けて200日になりました。
だからなんだということではありますし、
通過点なんですけれども、
また毎日続けていければなと思いつつ、
ようやく今日のテーマに入っていきたいと思います。
今日は成功は過小評価されて失敗は過大評価される。
もう一度いきますね。
成功は過小評価されて失敗は過大評価される。
どうでしょうかということなんですけれども、
まず成功が過小評価されるという話からいってみましょうか。
よくいろんな人の成功話ということが語られますよねと。
話としてもそうですけれども、
例えば本ですよね。
何か偉業を成し遂げた方、
事例みたいなものも含めて本が出ていたりします。
そこには成功に至ったお話、
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どうして成功できたのかということが書かれていたりするわけです。
これについて何が過小評価されるのかということなんですけれども、
よく言われるのは成功、そこに書かれている成功は、
母数1の限定された事例に過ぎないということですよね。
nイコール1なんていうことで、
n1の例に過ぎないというような言われ方もします。
つまり万人に当てはまるものではないんじゃないのと、
その人の能力、素質によって成功しただけじゃないのという話です。
だから真似してもできないんじゃないのということでもあるわけですよね。
それから成功した話というのは後付けだということもよく言われます。
これは確かに最もな部分もあるんですけれども、
成功したからそれまでにやってきたことが報われたんだというようなことで、
後から点と点を線で結びつけたかのようにして話をするというのが、
成功話のテンプレートみたいなことになっています。
これは成功話を話す人に悪意があるということではなくて、
まあそうなってしまうということですよね。
多分多くの人が自分の成功についてもそのような見方、
捉え方を後付けでしてしまうものなのかなと、
これはもう傾向の話ということになりますね。
とはいえと、とはいえじゃないですね。
ということでですね、成功は過剰評価されるということなんですけれども、
それは今言った通りで成功話というのが母数1の限られた事例に過ぎない、
そしてどうせ後付けなんだから当てにならない話だよねというふうに言われるわけです。
で、という話なんですけれども、じゃあ成功話、これに意味がないのかと、
そのように捉えるとどうなるのか。
せっかく成功した話を聞いてもそれを試そうとしない、
よし自分もやってみようということに手を付けないということが往々にしてあるということなんですよね。
単なる他人のお話として聞くだけ。
さらには先ほど言った過剰評価があるので結局何もやらない、
何もやらないということでいいのかなということなんですけれども、
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同じようなことが逆向きで失敗についても起こるんです。
成功が過剰評価されたことに対して失敗は過大評価されるんですよねと。
じゃあ失敗の過大評価ってなんだっけということなんですけれども、
成功した話とは別に失敗談というようなものもありますよね。
これは失敗談をお話しする人というのが、自分はこんな失敗をしたから気をつけようねと、
自分が失敗をしたんだからあなたも失敗するかもしれないので気をつけてそんな話をするわけです。
これは先ほど言った成功話と一緒に語られたり対として語られたりということがあるわけですが、
いずれにしてもそんな失敗談を聞いた僕たちはどう考えるのかということなんです。
先ほども言った通り失敗談なんだから気をつけてねと、やらないように気をつけてねと、
これを過大評価してしまうんですよね。
ここで言う過大評価というのはそうだそうだ失敗したんだから誰かが失敗したんだから自分も失敗するだからやらないということですよね。
またやらないという話が出てきました。
先ほどの成功を過小評価したために結果やらない。
そして今度は失敗を過大評価したためにまたやらない。
じゃあどうなるのということなんですけれども結局何もやらないということになってしまいますよねと。
成功話を聞いても失敗談を聞いてもいずれにしても僕たちは何もやらない。
こういう傾向にあるのではないかと。
それが良くないのではないかというのが今日の話の趣旨ということなんです。
で、ということなんですが成功話にしても失敗談にしても話を聞いて気になるんだったらやってみるということですよね。
成功はN1で後付けかもしれないけれども自分もやってみればうまくいくのかもしれない。
失敗は自分も失敗する確率は高いかもしれないけれどもやってみなければ本当に失敗するかは分からない。
もしかしたら自分の方が能力とか資質とかそういったものがあるケースだってありますよねということです。
なので気になるものがあればやっぱりやってみる試してみるというのがいいよねということを僕も考えるようにしています。
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これに関連してということなんですけれどもやってもいないのに自分が実際にやったこともないのにそれについて何か話をする語るというのは
それもそれで危ういよねということです。
これは巷でもよく言われることですけれどもやってもいないことを偉そうに語るなよということでして
だとすればなんですけれどもやってもいないことを語るということをNGにする。
やってもいないことを語るのはダメなんだということを自分のマイルールにしてみるというのは一つの方法かなと思っています。
永遠にそのルールを適用するというのも大変でしょうから
おすすめはとりあえず1日でもいいんですけれどもできれば1週間くらいそのマイルールを自分の中に適用してみるということですね。
何かを語る。語るというのは誰かと話をするということが皆さんあるでしょうから
家族に対しても友達に対しても仕事の関係にしてもですよね。
自分が話をするときにこれやったことあるんだっけということを意識しながら話すということですよね。
もし自分がやっていないことがあったらこれは今語ってはいけないんでしたということを認識するようにしましょうと。
そうすると何がわかるかなんですけれどもいかに自分が何もやっていないかを思い知らされることになります。
これは本当にやってみると試してみるとわかるんですけれどもいかに自分が何もしていないか。
これは言い悪いの話をしているわけではなくて気づきの話なのでそこは勘違いのないようなんですけれども
思いのほか人って何もやっていないんですよね。
これは一人の人間のやっていることですから当たり前といえば当たり前なんですけれどもできることは限られるということですよね。
ただ大事なことは自分ができるはずなのにやってみてもいいはずなのにやっていないというそのチャンスを逃すことがもったいないよねという話。
これがポイントです。
なのでまた繰り返しのようなことではあるんですけれどもやっていないことをたまにはもう少し言うとできればやってみようよということなんですよね。
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やってみるというのもハードルが高いところでもあるのでじゃあ100歩譲ってということでいえば何があるのか。
昔の言葉でいえばGoogleということですよね。
やったことがない知らないということがあればとりあえずググってみる。
GoogleというのはネットでGoogle検索をするということですがこれももしかすると間もなく死後になるのかもしれませんよね。
お気づきの通りで今は生成AIというような時代ですからGoogleよりもチャットGPTなどで話を聞く方がより深掘りができるというのが今です。
なので何かやったことがないなということであればせめてそれについて調べるということです。
何か失敗談を聞いたというのであればその失敗談についてチャットGPTでも何でもいいですが生成AIに話しかけてみるということですよね。
その失敗談についてAIであれば多角的に話を聞くことが可能かと思います。
この失敗談について最もあるところ、逆にそうでもないところ、両方教えてよといえば両方教えてくれるでしょう。
成功話についても同じようなことです。
成功したということなんですけれどもそのポイントはどこにあるのか。
あるいは注意点もあるんじゃないのか。
それを教えてくれといえば教えてくれるはずです。
そういったものを見ることによって実際にやってはいないけれどもやらないよりは疑似体験として意味があるのかなと思います。
結局僕も含めてなんですけれどもそんな些細なことですらやらないんですよね。
やらないというかやりたがらないしやらないことが自然というかやっていないことにも気づかない。
そんなところがあるんじゃないでしょうかと。
人ってそれぐらい何かに理由をつけてやらないものなんじゃないかと僕は思っています。
もしみんながみんな何でもチャレンジしてやるのであればもっと世界は違ったものになっているしもっとチャレンジしましょうなんていうアドバイス、おすすめという話は世の中に出てこないんじゃないかと思います。
アドバイスとしてもっといろいろやりましょう。
そんな話が世の中でもてはやされるというのはもっとチャレンジしている人がいないからですよね。
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なので偉そうに僕も言っていますが僕もこうやって話をしながらもっとチャレンジをしないといけないなということを自分に今しめながらそんな話をしてみましたということですね。
なので今日の話はこれまでになりますがぜひ今日も何か一つ今までやったことないものにチャレンジしてみるとかせめてAIと話をしてみるとかやったことがないものについてですよね。
そんなチャレンジをしてみるのはどうでしょうかということで今日の話は終わりにしたいと思います。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。