他所行きの自分の理解
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時54分。
というわけで、もう外はすっかりと明るくなってきました。
横浜は雲が多いですが晴れ間も見えていると。
空気はやや冷ややかであり、気持ちのいい朝といえばそうなのかなというところで、
今日はお話を始めていきたいと思います。
テーマは、他所行きの自分で悩まないというお話になります。
他所行きの自分で悩まない。
はい、どういうことかということではあるんですけれども、
あなたには他所行きの自分と感じる感覚がありますかと。
例えば、仕事の顔、あるいは家での顔が違う。
顔が違うというのは、態度とか対応とかそういうことですよね、はい。
あるいは、SNS、そういった場所では明るく振る舞っているけど、
実は気分としては落ち込んでいるとか、そんな経験はないでしょうか。
僕はありますということでお話をしているわけですけれども、
そういう意味で今日は、他所行きの自分に悩まなくていい理由ですとか、
それからどうすればもっと自然体でいられるのかみたいな話をしてみたいと思っています。
他所行きというのは、先ほど言ったように仕事の顔とか、
SNSで外向けに発信するときの対応とか、
はい、そういったものは普段の自分と比べると、
他所行きという位置づけになるんでしょうけれども、
その他所行きの自分が何やら気になってしまう、悩んでしまう、
嘘をついているような気になってしまうというようなところですよね。
これは僕は感じていることがあるし、感じていたことがあるんですけれども、どうでしょうかね。
同じように感じるという人もいるかなということでお話をしているんですが、
ではその他所行きの自分というのがいけないことなのかということについてなんですけれども、
結論としては別にいけないことじゃないよねということでして、
他所行きの自分がいろいろあるというのは多面性があるということだと思うんですけれども、
そういった多面性が悪いということではない。
というのも、実は人はみんな誰でも役割を持っていて、
その役割によって自然と違う自分を演じていたりしませんかと。
先ほども言いましたけれども、仕事の顔とか家の顔という話をしましたが、
職場での自分とか家族の前の自分とか、友人の前、友達の前の自分ということもありますよね。
こういったものは全部嘘、偽りということではなくて、
多面性と適応力の意義
適応することなんじゃないのと適応、きちんと合わせるということですよね。
これについては根拠もありましてと、
有名な心理学者のユングさん。
ユングさんは、人はペルソナを持っていると言っているんですよね。
ペルソナというのは、言うなれば仮面ですよね。
仮面をつけるとかいうその仮面ですけれども、人は誰でも仮面を持っている。
つまり社会の中で適切に振る舞う、生きていくためには、
自分の一部を使い分けるのは正しいことだということですよね。
なので、仮面をつけること自体はごく自然なことだし、
よそよきの自分がいるというのもごく自然なことで、
むしろそれがないと生きづらくなっちゃうんじゃないのと、
社会に適応できなくなっちゃうんじゃないのということですよね。
これはなんとなくわかりますよね。
素直に生きるがために、素直に生きすぎれば他人と衝突ということもありますからね。
なので、よそよきの自分というのは、決して悪いことじゃないんだというような考え方ができるわけです。
それでもなお、偽っている、嘘をついていると、他人に対してですよね。
そんなふうに感じてしまうのはなぜなんでしょうかということなんですが、
一つ思うのは、本当の自分というものがあると、
僕たちが感じているというか、信じようとしているからですよね。
本当の自分は一つだけ。
これが僕たちを悩ませたり苦しめたりしているのかなと思ったりするわけです。
でも、本当の自分、たった一つの自分という固定されたものはないんじゃないのというのは、
先ほどのユングさんの話でもあります。
具体例としてということですけれども、
これよく聞くと思いますが、芸能人とか、もう少し言うと笑い芸人の方とか、
例えばテレビではかなりおちゃらけていたり、おどけていたりしても、
家に帰ったらめちゃめちゃ静かみたいなこともあったりすると、
そんなエピソードを聞いたことはありませんかと。
あとは、仕事で営業職の人。
お客様の前だと、すごく話も軽やかだったり、あるいは陽気だったりするんですけれども、
家ではそこまでではなくて、むしろ無口であったり、
そういった静かに過ごすというような人もいるんじゃないのということでして、
でもそういった話というのは決して偽っているとか、嘘をついているということではなくて、
場面に応じた役割を持っているというだけだよねという話になります。
そういったことも踏まえて、じゃあよそゆきの自分とうまく付き合うにはどうしたらいいのかということでいえば、
これはもう先ほどからの話で答えは出ているんですけれども、
どの自分も自分だと受け入れること、これが大切ですよねと。
いろんな場面場面でいろんな顔がある、いろんな役割がある。
そうするとよそゆきの自分がいくつもあるように思えてしまうかもしれませんが、
そのどの自分も自分なんだと受け入れればいいということですよね。
その上で、今日は仕事モードの自分とか、今日は家モードの自分とか、
そういった切り替えを自分の気持ちの中でも感じることができれば、
それは別におかしなことではないんだと納得することもできるんじゃないでしょうか。
あとは役割を楽しむみたいなこともありますよね。
いろんな役割があるんだとしたら、場面ごとに違う自分をその役割を演じているみたいな、
その演じるということ自体はスキルの一つみたいなものであって、
それをさらに伸ばすために、さらには楽しみながら演じるというような視点を持つことができると、
楽になるということはあるのかなと思います。
そして無理に統一したりしようとしないということですよね。
統一するというのは複数ある自分の顔、自分の役割をたった一つしかないと、
統一しようとしないこと、それが自分を苦しめるんでしたよねということなので、
その場その場で役割によって違う自分でいいんだよということじゃないでしょうか。
なので、よそゆきの自分、これが多いと感じる人、多ければ多いほどむしろ適応力がある証拠なんじゃないのと、
そういう見方もできますよね。
西さんですが、ユングさんはむしろ仮面がないと社会で適応しづらくなるよねというようなことも言っているわけなので、
逆を言えば、よそゆきの自分が多いという人は、社会的に適応力が高い証拠なんじゃないのということでもあります。
僕たちは環境によって行動や性格が変わるとも言えるし、
これは生き延びていくために、社会で生き延びていくために進化した能力だとも言えますよね。
実際そうなんでしょうね、昔から。
昔からというのは大昔の話ですけれども、人が集まって生活をするようになったときに、
そういった社会に対する適応力がないと、今とは違って命を落とすということもあったんだろうと、
そう思うと、やはり生き延びるための進化した能力と言っていいのかなと思ったりもします。
少しこじつけのようでもありますが、例えばカメレオンいますよね。
周りの色に合わせて自分の体の色を変えるみたいな話がありますけれども、
自分を受け入れることの重要性
これも嘘をついているということではなくて、やっぱり生存戦略ですよねと、
生き延びるための方法、能力ですよねということだったりします。
なので、僕たち人間も仕事、職場とか家庭とか、あるいはSNSの中とか、
そういった環境に合わせて変化するのは、むしろ環境に対する適応力の高さの証だとして考えていくといいんじゃないでしょうか。
というわけで今日は、よそよきの自分に悩む必要はないですよというような話をしてみました。
なぜなら、それもまた自分の一部だからですよねと、どの顔もどの自分も自分自身だということですよね。
むしろ多面的であること。これは強みにすらなるんじゃないのと。
なので、場面ごとに合わせた最適な自分を使い分けるということでいいんじゃないでしょうかということです。
さて、あなたはどんな場面でよそよきの自分を感じているでしょうか。
それは偽りということではないですよということで、今日の話を思い出していただければと思います。
それでは、この後も良いチャレンジを。また明日。