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2024-11-16 15:14

#139/不幸でい続けることは怠慢だ

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #税理士 #不幸
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こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。時間は朝の5時51分です。
まだ空は若干というか、だいぶ暗いんですけれども、はい。
さてということで、年末も近づいているわけですけれども、
あなたは福袋を買いますか?と。年末になると福袋の話題が出てくるわけですが、
僕は毎年何かしらコーヒー豆の福袋を買っていますね。
コーヒーが好きなのでということなんですけれども、
その中でスターバックスの福袋、あなたは買ったことありますか?と。
人気なので抽選になるんですけれども、当たらないですよね。
僕もここ5年くらいで1回しか買えていません。
なので今年も懲りずに抽選には応募をしているんですが、
どうなんですかねということで、他のコーヒー豆の福袋も当たりをつけていたりします。
にしてもいろいろと値上がりをしていますので、福袋に入っている豆の容量もだいぶ少なくなってますよね。
同じ値段でも過去と比較してみるとかなり量が減っていて、ちょっと寂しい気分にはなりますかね。
という無駄話をしたところで、今日の話を始めていきましょう。
テーマというか、タイトルですかね。
それは、不幸で続けることは怠慢だよねと。
不幸、不幸せということですけれども、不幸でいることは怠慢なんじゃないのと。そんなお話です。
これは僕が好きな漫画、アニメですね。
アニメの中で出てきたセリフの一つなんですけれども、それはまたちょっと後でということなんですけれども、
あなたは幸せですかと聞かれたときにどうなのかという話がありまして、いわゆる幸福度調査みたいなものもあったりしますよねと。
その中で日本人というのは、世界の人に比べると幸福度を感じている、幸福を感じている人が少ないよねということは聞いたことがあるかもしれません。
03:08
そんな幸福度についてなんですけれども、幸福度を決める要因について調べた学者さんがいますよということですね。
確かカリフォルニア大学だったような気がします。間違ってたらすいませんということなんですけれども、幸福度を決める要因には3つあるんですよと。3つですね。
一番は遺伝子ですね。遺伝子が5割。
幸福度のうち半分は遺伝子で決まるんだと。つまり幸せを感じやすい人と感じにくい人がいる。
これは遺伝子的に決まっているんじゃないのということが研究でわかっているということなんですよね。
なのでこれを多いと見るか少ないと見るかですけれども、半分は遺伝で決まっているんだということです。
それから残りの5割のうち1割が環境で決まるのだそうです。環境なので住んでいる場所とか、あるいは家族ですかね。
特に親だということがあるかと思いますけれども、親との中でどういう生活をしてきたとか。
あとは容姿ですかね。自分の見た目とか。そういったことも環境に含まれるのだという話です。
ただ言ってみれば全体の1割ということなので、環境で決まるということは少ないんだと言っていいのかなと思います。
残りの4割、これなんだと思いますかということですね。考えてみてくださいと。
シンキングタイムですということなんですが、引っ張ってもしょうがないので答えを言いますと、行動です。
これは自分の自主的な行動ですね。受け身的な行動ではなくて、自分がいかに行動するか。
これで幸福度は決まるんだよということで、幸福度を決める要因全部で3つお話をしました。
復習ですけれども、遺伝子で半分決まる。環境は1割に過ぎない。
そして残りの4割は自分の自主的な、うまく言えませんね。自主的ですね。自主的な行動で決まるんだということなんです。
さあこれを見てどう考えるかということなんですけれども、先ほど言いました。
不幸で続けることは怠慢だよねと。不幸でい続けようとすることは怠慢なんだと。
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これはつまるところ、自主的な行動をしていないんじゃないのということにつながるのかなと、ふと思った次第なんですよね。
何気ないアニメの中で出てきたセリフではあったんですけれども、ああそういうことかとちょっと思いまして、そんな話を今しているところだったりします。
ちなみにその行動、自主的な行動で幸福度は変わるのかみたいな話なんですけれども、ここはさらに心理学のところで話が続いていまして、認知行動療法ですね。
認知行動療法、聞いたことあるかもしれません。認知行動療法というのは色々な精神的な疾患というか症状に効く療法というんですかね。
治療法みたいな話ですけれども、いろんな症状、疾患に絶大なというと若干語弊がありますが、絶大な効果がある。
絶大な効果があるというのは他の療法に比べて圧倒的に効果が出ているし、圧倒的に実例が多いのだということで、認知行動療法というものは有効だよねということで知られているわけです。
認知行動療法なんですけれども、その名前の通りでして、認知と行動、これが大事なんだよと、これで治療をするという話ですよね。
認知というのは言い換えると自分の考え方とか物事の捉え方ということです。行動はいいですよね。自分の行動ということになるわけですけれども、
つまり認知と行動を変えることによってそういったメンタルの部分は変えていける、改善できるんじゃないのということなんです。
ちなみに認知と行動というのは自分でコントロールできるししやすいものなんです。だから治療法に当てられるわけですけれども、
これが感情となるとそうはいきませんよね。感情というのはまさに先ほど言った幸福度の話ですよね。
自分が幸せかどうか、幸せになりたい、そういったものは感情ですよね。
それがコントロールできるんだったら誰も苦労はしないシリーズなんですよね。
自分が幸せだと、それをコントロール、感情をコントロールできるんだったらみんな幸せになっているよねという話なので、
そうすると日本人の幸福度が低いという話はおかしなことになってくると。
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じゃあその感情をコントロールというか、幸福度であれば幸福度を感じやすくするためには何ができるのというのが認知と行動ということになります。
繰り返しですが認知と行動は自分でコントロールしやすいんですよねと、認知は自分の考え方、物事の捉え方だと言いました。
それってコントロールできますよね。今まさにこの瞬間から考え方を変えることはできるし、捉え方も変えることができる。
そんな話は以前にもというかこれまでもしてきたと思います。
なのでこれというのは何か精神論明いた話ではなくて、きちんと認知行動療法という、
エビデンスという言葉がありますが、エビデンスに基づいているし、極めて科学的な話でもあるということなんですよね。
なのでまずはその物事の捉え方、そこを変えていけるんだ、コントロールできるんだということ、それを踏まえてということでしょうが、行動も変えられますよねと。
ここで言う行動というのは自分で取れる行動ということなので、これもまた今この瞬間から何か選び取ることはできますよねと、
目の前にA、B、Cという選択があればどの選択肢を取るかは自分が決められるし、今これをやらないというような選択も今まさにできるわけですということなので、
認知と行動は何度も言っていますが、自分でコントロールできるものなんですよと。
では、にもかかわらずその認知と行動を自分が放棄しているんだとしたら、流れとしては幸せに感じられないというのは、
それってやっぱり自分の怠慢だよねというところに繋がっていくわけです。
怠慢というのは認知と行動を放棄するという怠慢ですよねと。
自分でコントロールできるものがあるにもかかわらず放棄をしている、その結果不幸でい続けているのであれば、それは怠慢なんじゃないのというような話になるわけです。
で、若干余談めいてはいるのかもしれないんですが、いや必ずしも余談ではないなということで話をしておくと、先ほどアニメのセリフを言いました。
不幸でい続けることは怠慢だと。さらに続きがあって、不幸でい続けることは怠慢だし、幸せになろうとしないことは卑怯だと。
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そんなセリフだったんですよね。
僕はこのセリフが好きなんですけれども、どうでしょうかという話です。
幸せになろうとしてないのは自分自身なんじゃないのと。それは卑怯だよねと。
何が卑怯なのかというと、悲劇のヒロインなんていう言葉があるじゃないですかと。
これって自分が不幸とか不遇であることを逆手にとっているような話ですよね。
不幸や不遇でいる自分は頑張っているのに、はい、頑張っているんだというような、そういう押し付けがましいところがあるじゃないですかと。
その頑張っているというのは勘違いなんじゃないのと。
つまり不幸や不遇に甘じているだけ、これが勘違いなんじゃないのと。
先ほどから言っているように、不幸や不遇であるのであれば、認知と行動でその不幸は切り崩していけるんじゃないんですかということでもあります。
なのでそういった不幸や不遇に甘じているという状況は、これって旗から見ると結局何もしてないのと一緒だよねということだったりするわけです。
どうでしょうか。自分を振り返ってみたときに、悲劇のヒロインを演じているということはないのかということですよね。
なんだかうまくいかないけれど、僕だって私だって頑張っているんだと、そういう役回りを演じているだけということはないでしょうかということなんです。
偉そうに言っている僕もまた胸が、なんて言うんでしたっけ、日本語が出てこないですね。
何か思い当たるところもなきにしもあらずということで、自分も僕もまたそんなことがあるかもしれないなと反省をしているところですと。
なのでこうして話もしてみたということになりますかね。
今日は幸福度みたいなところに比べて、不幸でい続けることは怠慢なんじゃないのという話をしてみました。
改めて自分の認知と行動について、自分がコントロールできるものだということを考えてみるというか、認識してみるというのはどうでしょうか。
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というわけで今日のお話はここまで。この後も良いチャレンジをまた明日。
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