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2024-12-02 16:21

#155/完璧主義という自惚れ

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #税理士 #完璧主義
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こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。時間は5時45分。徳浜の空はまだ真っ暗ではありますが。
さて、ということで12月に入りましたと。そんな話は昨日もしたわけですけれども。
年末、これから年始を迎えていくと、年明けには何か新しいことを始めたいなと思われる人も多いのではないでしょうか。
僕も色々と思うところはありますが、そんな時どうするかというと、年末のうちに始める。今のうちに始めるということですね。
年明け、例えば1月1日から綺麗に始めるというのも一つの方法ではあるんですけれども。
そこから始めると、ウォーミングアップができていないような状態になればということなので、スタートダッシュをうまく決めるためにも12月のうちから練習みたいな位置づけですよね。
そういったことで始めておくと、年明け綺麗にスタートダッシュが切れるのではないかなということで、僕も昨日から新しく始めたことなんかがありますね。
またそういった話はどこかでということにして、よろしければ今日から早速スタートダッシュを切れるように練習を始めてみるというのはどうでしょうか、と前置きをしたところで、
今日のテーマなんですけれども、完璧主義といううぬぼれ、そんな話をしてみたいと思います。
よく完璧主義をやめようみたいなこと言われますよね。
よくというか、そういったことを見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
これを受けてというかですね、完璧主義について、自分は、僕は私は完璧主義なので、手をつけられない、始められない、そんなことを言ってはいませんかということなんです。
これってよくよく考えるともっともらしいことではあるんですけれども、すごいうぬぼれだよなということをふと思いまして、というのも完璧主義なので手をつけられない。
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ということは、自分は完璧にできるはずなんだという前提ですよね。
完璧にできるはずなので、完璧にできるような準備ができるまでは始められない、みたいなことなんじゃないんですかと。
だとすると、それってうぬぼれじゃないのかという話だったりします。
じゃあという話なんですけれども、そもそも始めからちゃんとやるというのに無理がありますよねということで、誰でも最初はうまくできないことが多いわけですし、
それが当たり前ということでいうと、始めからちゃんとやるのは無理ということをまず認識するのがいいのかなということなんです。
そういったことを考えると、ちゃんとやろうとすることよりもちょっとやろうと、もう一回言いますけれども、ちゃんとやるよりちょっとやる、
そういった意識の切り替えというか、認識を変えてみるというのが完璧主義、そのうぬぼれを和らげるというか、軽減するのに役立つ考え方ではないかなと思います。
ちょっとやるということを今言いましたけれども、そのちょっとやるの積み重ねの先に完璧があるかどうかじゃないですかと。
最初はうまくいかない、でもうまくいかないなりにちょっとやることを繰り返していったその先にうまくできるようになる、うまくできるようになるのを繰り返した先に完璧ということがやっとあるかもしれないということですよね。
一郎選手いますよね。一郎さん、野球の。一郎さんはこんなことを言ってましたよねと。小さなことを積み重ねることがとんでもないところへ行く、ただ一つの道なんですよと。
小さなことを積み重ねることがとんでもないところへ行く、ただ一つの道、これも有名な名言なので聞いたことがあると思いますけれども、言ったようにやっぱりちょっとやる、その積み重ね、それでやっととんでもないところへ行けるんじゃないのと、そんな話です。
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なので完璧主義、これに対して僕は着手主義ということを考えるようにしています。着手というのは手をつけるということですよね。なので完璧を目指すのではなくて手をつけることを目指すと、そういう主義というか考え方ということになります。
例えば、これから筋トレをやるぞと、毎日筋トレをやるぞという話になったときに、完璧主義の場合には、例えば最初から100回とか100回とは言わずとも50回とか30回とか、そういう目標を立てるのかもしれません。
でもそうすると、そのハードルが高ければ高いほど着手って難しくなりますよねと。その上で実際やってみようと思ったところ、なかなか手がつけられないということがあるのかもしれない。
でもそんなときに、完璧主義を目指す、そうすると100回やらないといけないから今日はやめちゃおうかなみたいな話があるかもしれないんですけれども、そこをいいや、今日3回でもいいからやろうと。下手をしたら1回でもいいからやってみようと。それが着手主義ということなんですよね。
じゃあ1回とか3回って意味あんのという話なんですけれども、ゼロ回よりは良くないですかと。100回を目指して、結局ゼロやりませんでした。僕は完璧主義なのでというよりは1回でも3回でもやった方が前に進めるということじゃないんですかと。
先ほども言った通り、それがとんでもないところへ行く、ただ一つの道だったんじゃないのということなんですよね。
そんな完璧主義なんですけれども、もう一つ問題があるのかなというところで言うと、かっこつけみたいな話ですね。八方美人と言い換えることができるかもしれません。
これははい、僕ですねみたいなところがあるんですけれども、僕は昔からそういう傾向があるので注意しなきゃいけないなと思っているんですけれども、注意して治るなら傾向は苦労しないということでもあります。
それはそれとしてということなんですが、完璧主義の裏にかっこつけ、八方美人みたいなことがある。これってどういうことかというと、ちゃんとやったふうに見せるみたいなことですね。
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自分のことではなくて他人に対してそういったちゃんとやったふうを装うみたいなことでしょうか。そうすると何が起きるかということなんですけれども、いわゆる手段の目的かみたいなことが起きてしまうというのが僕の経験、即ですかね、体験からわかることということになります。
手段の目的かというのは目的を見失った状態ということですよね。なので一体何のためにやっているのかということがおざなりになってしまう。ただやるだけみたいなことになりがちなんですよねと。
先ほども言った通り、一見するとちゃんとやっているふうに見えるんですが、その本質的なところで自分が考えられていない。なのでただやり続けているだけみたいなことが起きがちなのかなと思っています。
そうすると何のためにということが考えられないのに、これ何のためにやってるんだっけという視点が抜け落ちれば改善とかそういった機会が失われていきますし、他人のためにやっているということは自分にとってはある意味充実とか達成には結びつきづらくて、
結果としてどこか虚しいというような気持ちになったりもするということを僕自身は経験もしましたねということなんですね。
なので今言ったカッコつけ、完璧主義の裏にあるカッコつけみたいなことは、これは多くの人に当てはまるということはないかもしれません。
僕みたいに発泡美人というような特性があった時の話なので、ちょっと特殊だったかもしれませんが、そういったこともあるよねと、そういったことも含めてちゃんとやるという完璧主義、これには弊害があるんですよと。
完璧主義、このままでいると結果として先延ばし、これが起きますよねと、ちゃんとやろうとするあまり、結局やらなければそれってやろうとしていたことの先延ばしですよねということが完璧主義の弊害としてあるんじゃないのと、これはよく言われていることでもあります。
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だからさっきも言ったように、ちゃんとやるよりもちょっとやるということを改めて考えませんかということなんです。
ではではということなんですけれども、完璧主義のうぬぼれ、はいという話をしてきました。
はじめからちゃんとできる人はいないよねと、はじめからちゃんとなんてできないしできなくてもいい、そう考えてだから着手しましょうと、そういう話もしました。
少し話がそれるかもしれないんですけれども、他人と過去は変えられないみたいな話ありますよね。
他人を変えるのは難しいし、過去も変えられませんよねと、一方で未来と自分は変えることができる、未来はまだ来ていないし、自分のことであれば自分自身の問題だから、未来の自分は変えられる、そんな話です。
とてもきれいな話だし、勇気の出る話かなとは思うんですけれども、実はというか、僕が考えているのは、未来の自分は変えられない。
もう少し補足をすると、未来の自分を直接変えることはできませんよねと、未来の自分に直接手を下すことはできないはずです。
結果として未来の自分が変わることがあったとしても、今この瞬間から未来の自分をどうにかするというのってできませんよねと。
じゃあ、変えられるものってあるんですかという話なんですけれども、もうここまで言えばお気づきというか、わかると思うんですけれども、変えられるのは今目の前にあるこの瞬間だけ、この瞬間の自分だけですよね。
今この瞬間何をするかだけは変えられるじゃないですか。
僕は今こうして散歩をしながら話をしていますが、今この瞬間であれば別のことを決断してやることもできるし、あるいは決断したからこそ今こうして散歩をしながら話をしているということでもあります。
なので、変えられるのは今この瞬間だけなんですけれども、その瞬間を意識して自分がやりたいこと、すべきこと、これを実行することができれば、
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未来は初めて変えられるのかもしれない、変わらないかもしれないですが、変えられる可能性が出てくるということですよね。
だから着手するんだと。さっき言った完璧主義ではなくて、ちゃんとやるではなくちょっとやる着手主義を未来のために、未来の自分のために今ちょっとでもやるんだということが大事なのかなと僕は思っています。
というわけで、今日は完璧主義といううぬぼれということについて話をしてみました。
意外とありがちな完璧主義ということなので、何か自分に当てはまるところですとか思うところがあれば、改めて見直してみる、考え直してみるきっかけになれば嬉しく思います。
というわけで、今日のお話はここまでで、この後の良いチャレンジをまた明日。
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