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2026-01-06 11:25

#823 時枝誠記の「入れ子構造」【言語学者とその思想 vol. 4】 from Radiotalk

関連エピソード
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https://www.youtube.com/watch?v=HJcawh32evw

主要参考文献
時枝誠記 (2020)『日本文法口語篇・文語篇』東京: 講談社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

時枝誠記の「入れ子構造」についてのエピソードでは、日本語の文法の観点から詩と字の概念、及び時枝文法が持つ機能重視のアプローチが探求されます。この文法理論は生成文法のXバー理論と似ている点がある一方で、主語の扱いに関しては異なる特性を持っていることが説明されます。

時枝文法の基本概念
中学の国語で文法の授業がありましたよね。 退屈した人も多いと思いますけど、
品詞があったりとかね。 名詞、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞、助詞とか、そういったものも学びますし、
主語と述語とか、あるいは用言、 動詞や形容詞であれば活用を覚えたりとかね。
未然連用終止連帯とか、こういったものを学びました。 あるいは文節というのも習いましたよね。
ねとかよっていうのを入れて区切ることができるのが文節で、 まあ次の文を文節ごとに区切りなさいとか、そういった問題もあったと思います。
夜空の音、星をね、見たよ、みたいな。
夜空の星を見たっていうこの文、単純な文は3つの文節から成り立っていると。 このようなことを皆さん習ったと思いますが、
日本の学校に行ってればね、学んだと思うんですが、 こういった品詞分類や文節という考え方は橋本新吉という先生によるものなんですね。
ですので学校文法は、すなわち橋本文法と言ってもおおむね差し支えないんじゃないかなと思います。
今回はその橋本文法ではなくて、 時枝本木という先生の時枝文法について掘り下げていこうと思います。
今お話ししたような中学で習った文法とは、また一味違った日本語の考え方です。 BGM、ゆけい。
始まりました4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 ちゃんどらびじゃやです。
学校文法、すなわち橋本文法はどちらかというと形式重視という感じで、 まあ例えば自立語と付属語。
独立して発音はできるのかそうじゃないのかっていう形の面で、 その言語形式を分類するというところがあります。
それに比べると時枝文法は機能重視というか、 言語の機能に注目したような
そういう文法感、言語感ということができるんじゃないかなと思います。 特に言語仮定説とか
時枝文法のことを言うこともあるんですが、 まあちょっと文法の見方が学校文法とは違うんですよね。
先ほどの橋本文法の文説の例で言うと、 夜空の星を見たという文は、
夜空の星を見たよというふうに3つの文説から成り立っていると見るんですね。
しかし時枝文法ではそのようには分析せずに、 前提として
詩と字というものについてお話しする必要があります。 時枝文法については過去にエピソードを撮ったことがあるので、そちらでも似たような話をしていると思うんですが、
詩と字。 平たく言えば、詩というのは
客観的な概念で、字というのは主観的な概念ということができます。 何か文を発するときに当然それを話している人がいるので、
その話している人の主観的なものっていうのが必ず文に現れるっていうふうに考えるんですね。
さっきの例で言うと、夜空の星を見た。 わかりやすいのは、星っていうのは詩になります。
そこに和謝の主観的なものは何も絡んでないんですよね。 それに対して字でわかりやすいのは、漢東詩とか、親とか、
まあとか、こういったものはまさに和謝の主観的な態度というか、 感情みたいなものをストレートに表してますので、字ということができます。
ただ、こういう漢東詩みたいなのはむしろ例外的で、 字っていうのは
どちらかというと助詞とか、あるいは付属語的なものが多いです。 夜空の星を見ただったら、
夜空ののとか、おとか、 他にもがとかにとか、
いわゆる架空助詞とか、 あるいは私は行くとか言った時のこの和とか、こういった助詞は字なんですね。
これは時代に対する和謝の見方っていうのが反映されているので、 主観的なものということで字なんですね。
それと、見たのたみたいなものも、これも字です。 なので日本語の構造として
詩の下に字がつくっていうパターンが非常に多いんですね。 それが原則と言っていいと思います。
夜空の星を見た、全部詩、客観的なものがあって、 字、主観的なものが続く。
そのような配置になっているわけですが、 これは形の上で詩の下に字がくっついているというよりは、
詩を、 字がくるんでいるというようなイメージです。
それが入れ子型構造ということができるんですけど、 ここが学校文法の
その文節と違うところで、 夜の星を見たよ。
これは繰り返しですけど、3つの単位で成り立っている、 文節で成り立っているわけですが、
夜の、これは夜という詩にのという字がついています。 星をのところは、
星という詩にをという字がついているのではなくて、 夜の星というこの一つの塊全体にをがついていると考えるんですね。
これは文節では少し捉えづらいところですね。 夜のね星をねっていうふうに切っちゃうわけですけど、そうではなくて、
夜の星全体にをという字がついていると考えます。 さらに最後の動詞の見た、これもやはり
字のたっていうのは、動詞の見だけについているのではなくて、 夜空の星を見、
これ全体にたがついていると考えるんですね。 たが全部をひっくるめているということができます。
このように字がこの前のものをどんどんどんどん包んでいくっていうような構造、
入れ子型構造とか言われたりするものは図で書かれることもあるので、 今回のエピソードのサムネイルにしておきますが、
引き出しに例えられることもあるんですよね。 その引き出しの
何て言うんですか、箱の部分がCで、で字は取っ手に当たるんだと。 その引き出しの中にまた引き出しがあってみたいな、
一種のマトリオシカ的な構造に日本語はなっていると、そのように説明されることもあります。
学校文法だと、見たのたっていうのは動詞の見にしかついてないわけですけど、
時枝文法では、夜空の星を見、これ全体にたがくっついているというか、
それ全体をたが包んでいる、そのように考えます。
この時枝文法の入れ子型構造、ないし入れ子構造は、 生成文法のXバー理論によく似ています。
まさにこのテーマでエピソードを撮ったことがあるので、 概要欄から是非関連エピソードも聞いて欲しいんですけど、
さっきも言ったように、夜空の星を見たっていうのが、夜空の星を見、
それをたっていうのがある意味まとめ上げているっていう、 その構造がXバー理論のその分析と非常に似ていて、
Xバー理論はよく文をツリーで書いて説明するんですけど、 そこでもやっぱり
夜空の星を見、と、た、で、まず分かれるっていうふうに考えるんですね。
詳しくはその関連エピソードを聞いて欲しいんですけど、 ただ生成文法のXバー理論と今回お話ししている時枝文法が異なる
ところもあって、 それは主語の扱い方ですね。
生成文法はかなり主語を特別扱いして、 さっきの文に主語を足すと、私が夜空の星を見たとなるわけですよね。
これがXバー理論だったら、まず主語とそれ以外に分けるんですね。 私が、と、夜空の星を見た。
で、その後、夜空の星を見、と、た、に分けます。 つまり主語の私がっていうのは、たーによってまとめ上げられないんですが、
それに対して時枝文法では主語も たーによって包まれるんですね。
入れ子型構造と生成文法
私が夜空の星を見。これ全体がたーによって包まれる。 そのように分析されます。主語の立ち位置が
生成文法と時枝文法で結構違うんですよね。 よく日本語に主語はないとかいう人もいるぐらいなので、
英語みたいな言語と比べると、日本語の主語っていうのは あんまり特別扱いされるものではないかもしれません。
というわけで今回は時枝本木先生の入れ子型構造のお話でした。 字が前に出たものをどんどんどんどんくるんでいく、
そういったマトリョーシカ的な構造だというお話でございました。 それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
関連エピソードもぜひ聞いてみてください。 番組のフォローもよろしくお願い致します。お相手はシガジュウオでした。
またねー
11:25

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