1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #710 文法化と語彙化について..
2024-12-07 10:17

#710 文法化と語彙化について、ひとりごと from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/894609

主要参考文献
Shopen, Timothy (ed.) 2007. Language Typology and Syntactic Description. Volume 3. 2nd Edition. Cambridge: Cambridge University Press. (特に第一章)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:12
始まりました、志賀十五の壺。 実に面白い。床は学ぶです。
今回のエピソードは、あんまり上手にまとめられないんじゃないかなという気がします。
最初に断っておくと、結構ひとりごとっぽくなるんじゃないかなと思います。
だったらね、配信しなきゃいいじゃんっていうのもあるんですけど、話すことによって、ちょっと整理できるかなとかね。
あるいは、今後の微暴力というか、メモ的な感じでね、ちょっとお話ししていこうと思います。
テーマとしては、文法化と語彙化っていうのがテーマなんですけど、
そもそも文法と語彙っていうのは何なのか、定義しろと言われると結構難しいですね。
文法っていうのは、言葉の骨格というか、抽象的な言い方をすると骨格、あるいは機能的な側面のことを文法と言ったりします。
語彙っていうのは、内容っていう感じですね。
例えば英語だと、漢詩とかザとかアーとかいうのは文法に属するもので、あるいは前置詞とかオブとかフロムとかトゥーとかアットとか、こういったものも文法で、
語彙っていうのは、具体的なものの名前とかが結構語彙と言えるんではないでしょうか。
普通に単語を一個言えと言われて出てくるのは大抵語彙的なものだと思いますね。
犬とか猫とか何でもいいですけど、そういう内容的なものが語彙です。
改めて考えてみると結構難しいし、文法語彙それ自体を深く掘り下げるのもまた面白いですけど、
その文法と語彙っていうのがきっちり分けられるものかというと結構それも難しい話で、
今回のテーマみたいに文法化とか語彙化っていう言葉があるように、語彙的な要素が文法的要素になることもあれば、
逆に文法的な要素が語彙的要素になるっていうこともあるんですね。
その変化の途中みたいなものもあって、つまり語彙と文法の中間にあるように思われるものもあります。
例えば時っていうのは結構語彙と文法の中間にあるような気がします。
もちろんその時っていうのを単体で使うと語彙的な要素なんですよね。
03:04
時が流れるとかいった場合はそうなんですが、そうではなくて、使う時みたいに。
硬い言い方をすれば、従属説を形成するのに使われる時っていうのがあるわけですけど、
これ今言ったように従属説を形成するっていう機能になっているとみれば、時っていうのは文法的要素なんですよね。
ただ、もともとは時っていうのは当然語彙的要素だったわけなので、これは文法化しているということができると思います。
さて、文法といった時にその文法の世界もまた2つに分けるっていうことがよくなされます。
それは派生と屈折と言われるものです。
この派生と屈折については関連エピソードがあるので、ぜひそちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
この派生と屈折っていうのも、そのエピソードでも言っているかもしれないですけど、結構定義が難しいし、本当は言語ごとに定めなきゃいけないようなものなんですよね。
そもそも派生と屈折っていうのがきっちり区別されるかというと、それも結構難しい問題です。
派生っていうのはイメージとしては語彙を拡張するみたいなもので、物によっては品種を変えることもあります。変えないこともありますけど、イメージとしては拡張です。
一方、屈折っていうのは一言で言うと語を閉じるもので、それがないとダメみたいなものです。
だから義務的な要素なんですよね。
例えば格変化がある言語だと、格設字みたいなものは屈折とされるし、動詞に認証変化があるような言語だと、その認証変化っていうのは屈折とされます。
日本語でこの派生と屈折っていうのを考えると、食べさせたっていうのは3つに分けることができるんですよね。食べとさせとた。食べっていうのが語彙的要素です。
させっていうのが使役を表しているわけですが、これは使役動詞という新しい動詞を作っている、拡張しているっていうことで、派生とみなすんですよね。
最後のたっていうのは、これがないと語として独り立ちできないというか、完成されてないということで、このたというのは屈折とみなされます。
僕はこのさせにしろたにしろ、つまり派生にしろ屈折にしろ語彙に対する文法なので、文法じゃんと思ってたんですけど、その派生と屈折を見比べたときに、派生よりも屈折の方がより文法的だという見方もあるんですね。
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言われてみればそんな感じがしますが、形の面でも多少そういうことが言えて、というのが、させとたもまさにそうですけど、屈折の方がより短い形式になりがちなんですよね。傾向としてですけど、その分削られてるっていうような言い方もできるかもしれません。
流れとしては、派生というのがどんな語彙にも適用されるようになれば、それはやがて必須の要素となって、屈折になっていくということだと思うんですが、これもまた日本語で考えてみると、まさにたというのがそういったことが言えるかなと思います。
さっき言ったように、たというのは、現代日本語では語を閉じている屈折要素なわけですけど、古文の時代に遡れば、たりなわけなんですよね。このたりっていうのは、おそらく派生として見なされると思います。
というのが、たりで語を閉じているわけではないんですよね。たりけりみたいに、たりの後に別の助動詞が来ることもあるので、たりによって語を拡張しているって言った方が正確だと思うんですけどね。
さらにそのたりっていうのは、てありから来てるんですよね。このありっていうのは、もともと存在動詞、存在を表す動詞なので、語彙的要素ということができます。
今の話を逆にすれば、ありっていう語彙的要素がたりっていう派生要素になって、さらに現代日本語ではたという屈折要素になってるということです。
すなわちそれが文法化ということができると思います。
この文法化と逆のことが起こるのが語彙化ですが、語彙化はこれの逆再生みたいになって、屈折がその生産性を失って派生になって、それが語彙化するということなんですけど、
日本語でその流れを考えるのは結構難しいというか、今のところちょっと思いついてないんですよね。
日本語以外の言語だとそういった例もあるようです。
ただこの流れっていうのは究極的な、極端な文法化とか語彙化なので、その語彙的要素が派生設置になって屈折までは行ってないっていう例もたくさんあると思います。
09:12
それがさらに文法化が進めば屈折要素になるかもしれませんけど、ならなきゃいけないわけではないんですよね。
というわけで今回のエピソードは文法化と語彙化の話ですけど、文法といったときに派生と屈折っていうのはよく分けられます。
僕もそれは過去のエピソードで話したことありますけど、その2つを見比べたときに派生よりも屈折の方がより文法的であるといえて、文法化の流れもそれに沿っているというお話でした。
語彙化っていうのはその逆の流れだっていうことですけど、そっちの例はね、またちょっと思いついたりしたらお話ししようと思います。
というわけで今回はそんな話でございました。また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:17

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