1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-10-15 10:31

#486 文の中の文(従属節) from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/694703

主要参考文献
“An Introduction to Linguistic Typology” (Viveka Velupillai, John Benjamins Publishing Company)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
越前亮馬です。 今回は、文の中の文っていうことでね、話していこうと思います。
文の中の文っていう言い方をすると、 男の中の男みたいなね、そんな感じがして、
いかにも文っぽい文みたいな感じがちょっとするんですけど、そうではなくて、
より正確に言うと、 文の成分として働く文。
まあこれはね、文っていうよりは節といった方が、 本当は正しいんですよね。
節と文の違いとかはね、まあ ちょっとややこしくなっていくので、あえてここでは文って言い方を
しているんですけど、もっと専門的に言うと、 従属節と言われるようなものです。
従属する節ということで、あるいは依存節 という言い方もされることがあります。
それに対して主節っていう言い方をすることもあるんですね。 これは学校英語とかでも
使われる用語ではないかなと思います。 まあとりあえずその文っていうものが
文の成分として働くことがあって、 より具体的に言うと、その文っていうのが
副詞として働く場合と、 文っていうのが形容詞として働く場合と、
文っていうのが名詞として働く場合と、 大まかにこの3パターンがあるっていうふうに考えられています。
もちろんこれは日本語に限った話ではないんですけど、 日本語を中心にお話ししていこうかなと思います。
まず一つ目、文が副詞として働くっていうのは、 よく副詞節と言われることがあります。
副詞って何なのかっていうのはね、結構難しいし、 この副詞節っていうのが一番多種多様で、
意味的にちょっと ごちゃごちゃっとしているようなとこはあるんですよね。
例えば、昨日髪を切った。 この文で昨日っていうのが
副詞にあたるものです。 髪を切るっていうこのイベントがいつ起こったかっていう時間を
表しているっていうことですよね。 で、この昨日っていうのは、
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さっき言ったように副詞で、一つの単語で表されてるんですけど、 これが
副詞節、つまり文っぽいもので表されることも可能です。 学校から帰ってきて髪を切った。
この場合は学校から帰ってきてっていう、いかにも文っぽいものが 副詞として
機能しているということです。 日本語の場合は特にですけど、
帰ってきてみたいに、よくこういうのはて形と言われたりするんですけど、 動詞の変化で
副詞節であることを表します。 他にも条件を表すものもいっぱいありますよね。
帰ってくると、帰ってくれば、帰ってきたら、帰ってくるなら、
こういったものも副詞節に含まれます。 日本語の場合は副詞節で動詞の形が変わるんですけど、
英語みたいな言語だと、 接続詞っていうのが非常に重要な役割を持っていて、
wenとかifとか、こういったものが 副詞節の頭に現れて、
その文が副詞として機能してますよっていうことを表してますよね。
次に文が形容詞として機能しているっていう場合を見ていきます。 これはね、さっきの副詞節とは違って、形容詞節っていう言い方はされないですね。
普通、関係節とか 連体節っていう言い方も日本語学ではされます。
まあ形容詞節って言ってもわかりやすいとは思うんですけどね。 連体節っていうのはそのまま体言に連なる、つまり名詞に連なるっていうことで、
形容詞と同じ働きをしています。 これも例を考えてみると大したことはなくて、新しい本。
この新しいっていう形容詞は本っていうのを修飾しています。 それと同じように、昨日買った本。
この場合、昨日買ったっていうのが新しいと同じように本っていうのを修飾しているっていうことで、 形容詞っぽく働いているということです。
現代日本語では、この昨日買った本っていう、 昨日買ったっていう関係節、連体節は
普通の文の時と動詞の形が同じなんですよね。 つまり連体形と修飾形の区別がないということです。
これは歴史的に連体形っていうのが修飾形にも用いられるようになっちゃって、 連体形と修飾形の区別がなくなっちゃったんですよね。
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この辺りの話はぜひ関連トークを聞いていただけたらと思います。 つまり昔の日本語にはちゃんと連体形と修飾形の区別があって、
例えば買ったみたいなのは買いたり みたいなのが修飾形で、買いたる本みたいなのが
連体形っていうふうに、特にこの助動詞たりっていうのは修飾形たり、 連体形たるっていう区別がはっきりあったんですけど、
現代語では両方買ったという形になっています。 いずれにせよ現代日本語では
動詞のその見た目上は 名詞を修飾している関係節連体節なのか
文末で使われている 修飾なのかの区別はわかんないんですよね。
言語によっては関係代名詞っていうのを使う言語もあります。 英語なんかがそうですよね。こういったものは日本語には見られない特徴と
なっております。
最後に
文が名詞として働く場合を見ます。これは名詞説とか あるいは補文説と言われることもあります。
名詞として使われるっていうことは各助詞がつくっていうことで まあがとかをみたいなものがつけるんですよね。
これも普通の名詞の場合と比べてみると非常によくわかります。 その事実を知った
っていうのと平行的に彼が来たことを知った こういった言い方ができます。
でその事実っていうのと 同じように彼が来たことっていうのが名詞として働いています。
このことっていうのが 一種の名詞説マーカーみたいになってるんですよね。
あるいはことじゃなくてものっていうのも使われることがあります。 彼が来たのを知った。
こういうこととかのっていうのが その文っていうのが名詞として働いているというマークになってるんですよね。
これも古文の場合はさっき言った連体形が そのまま名詞説として使われることがありました。
つまり連体形に直接各助詞がついたりしてて さっきのだと
例えば 彼が来たるを知るみたいな言い方ができたんですよね。
この純体法と言われる 連体形が名詞としてそのまま使われる用法は
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その連体形の後ろに本当は名詞があるんだけど それが省略されているっていうふうに説明されることがあるんですけど
僕はねこれ逆だと思いますね。 連体形っていうのはそれ自体が名詞化で
でその名詞化したものが 後ろに出てくる名詞を収束している
そういうふうに考える研究もたくさんあると思います。 ただ現代日本語ではさっき言ったように終止形と連体形の区別はないので
もっと言うと連体形っていうのがないので 「こと」とか「の」っていう形式名詞と言われるものの力を借りて
文を名詞化してるんですね。 というわけで今回は
文が文の成分になる副詞や形容詞や名詞っぽく使われることがあるというお話を
主に日本語ですねの 例を挙げつつお話しいたしました。
これは言語ごとに比べてみても非常に面白いものだと思います。 というわけで今回はここまでということで
最後まで聞いてくださってありがとうございました。 番組フォロー忘れず宜しくお願いします。
お相手はしが十五でした。
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