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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
さて、今回のトークは前回の続きとなっておりますので、よろしかったら前回から、前回のトークから続けてお聞きいただけたらと思います。
で、何のお話をしてたかというと、リスナーの方からのお便りに回答していた途中でした。
で、北海道方言で、さる、らさるっていうのが観察されるっていうね、そういうお話をしてたんですよね。
で、そのさる、らさるっていうのは、動詞の未然形につくっていうことをお話ししました。
で、その表す意味としては大きく3つあって、自発、可能、そして結果状態っていうね。
こういう3つが主な意味であると、そういうお話をしました。
なので、ちょっといただいたお便りで、なぜこのペン書けない、や、鍵がかからないではなくて、ペン書かさらないとか、鍵かからさらないっていう表現になっているかっていうことのお答えとしましてはですね、
前回お話ししたようにですね、さる、らさるっていうのが動詞につくと、動作詞を表さないっていうことになるので、そのものの性質を表すっていう特徴が色濃く出るというかね、そういう表現になっています。
もしこのペン書けないとか、鍵がかからないっていうと、その人のせいでペンが書けないとか、その使っている人のせいで鍵がかからないっていう意味に取られるかもしれないんですけど、ペン書かさらないとか、鍵かからさらないっていうと、
その誰がどうっていうのはもう全く関係なくなって、そのペン、あるいは鍵の性質として書くことができないとか、鍵をかけることができないと、こういうことになるっていうことなんですね。
なので、さる、らさるの特徴の一つとしては、何かを動作を意図的に行う動作詞っていうのを表すことができないと、むしろそういった動作詞を表さない形式がさる、らさるだと、こういうことができます。
なので、そういう動作詞を表さないので、物の状態とか性質とかそういうのを表すのによく使われると、こういうお話でした。
さらに質問は続きまして、自分は北海道弁ネイティブ話者なのですが、このしささらないは何かちょっと引っかかる表現であまり使いこなせていませんというお話でした。
これね、しささらない。つまりこれするっていうのに、このさる、らさるがついてるっていうことなんですけど、
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結構ね、特にこのするについてはかなり形式に揺れがあるみたいです。いろんな表現があるみたいです。
この方がどういう形式を使うかはちょっとわからないんですけど、ささるとかしらさるとか、あるいはお便りいただいた中にあるしささるとか、こういった表現というか形式がいろいろあるみたいなんですよ。
するってね、それ自体が不規則動詞ですから、確かに不規則なパターンは観察されるかもしれませんね。
ただ、一つ確実に言えるのはですね、しささらないって差が1個多いんですよ。
差が1個多いんですね。なので、多分この方はちょっと引っかかるんじゃないかと思うんですよね。
このどうしするに限らず、差が1個多いっていうパターンは他にもありまして、
例えば、観るだと観らさるがある意味正しい形なんですけど、観ささるっていう表現もあるみたいなんですね。
どうやらこれは一覧動詞ですね。
観るとか食べるとかもそうですけど、ないをつけたときあだの音が出てこないものです。
観ないとか食べないであだの音が出てこない動詞の場合、
出さるっていうのがつくのが本来の形なんですよ。観らさるとか食べらさる。
ただ、どうやら最近、観ささるとか食べささるみたいな表現もちょっとあるみたいです。
これはね、僕はその北海道弁を話すその話者ではございませんので、全然わからないんですけど、
まあそういう揺れがあるっていうことをちょっとお伝えしておきますね。
なので、そのお便りの中にあるしささらないっていうのも、やっぱね、ちょっとね、変な表現ではあるんですよ。
多分、最も一般的な形っていうかは、刺さるとかあるいは知らさるとかがね、本来の形なんだと思うんですよね。
でもやっぱさっきも言ったように、するって不規則動詞なので、いろんなパターンが観察されるようです。
そういうわけで今言ったのはその一段動詞でですね、
すなわち見るとか食べるで、観ささるとか食べささるとか、こういったパターンが出てきてるっていうことだったんですけど、
5段動詞でもそういうのはあるみたいですね。
5段動詞って読むとかがそうなんですけど、書くとか。
読むだと読まさるっていうのが本来の形なんですけど、らが入って読まらさるとか、
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あるいは一段動詞と同じように読まささるみたいに差が連続する形とかも最近観察されるようです。
ちょっとね、僕はさっきも言ったようにネイティブスピーカーじゃないのでこの辺は全然ピンとこないんですけど、
もしかしたらそのいわゆる共通語でら抜き言葉とかありますよね。
食べられるっていうところを食べれるとかになっちゃうとか、そういうのとちょっと似てんのかなっていう気はしますね、現象としては。
ちなみにら抜き言葉って有名ですけど、レタス言葉っていうのもあるんですよ。
レタスって野菜のじゃなくてレっていうのを足すんですね。
つまり読めるっていう可能動詞に読めれるとか、かけるにかけれるとかね、こういう言い方になるっていうことですね。
あるいは共通語でも再入れ言葉っていうんですか、そういうのもあります。
読ませていただきますを読まさせていただきますっていうやつですね。
なので、そのお便りいただいたしささらないっていうのがちょっと引っかかっちゃうっていうのは、
その北海道方言に限らず共通語のレタスとから抜きとか再入れとか、今お話しした。
こういうのとちょっと平行的に考えられるというか、もうちょっと規模の大きい話なのかもしれません。
ちょっとお答えになってないかもしれないんですけど、なんとなくそんな気がしています。
はい、というわけで前回から引き続いてですね、サルラサルっていうね、東日本で見られるそういう表現のお話をしてきました。
繰り返しになりますが、細かく見れればですね、自発可能、結果状態みたいなそういう意味があるんですけど、
ざっくり言うと意図的な動作集を消すっていうのが、サルラサルのやってることだっていうことなんですね。
実はこういう表現って海外っていうかね、諸外国語にもあるんですよね。
わかりやすいのは英語でですね、this book sells well とかいう場合ですね。
sell っていうのは、売るで多動詞なんですけど、this book っていう本来目的語であるものが主語になって、
で、this book sells well といった場合は、この本よく売れてるっていうことなんですけど、
これもある意味でですね、その意図的な動作集っていうのを削除してる形なので、サルラサルにかなり近いとは思います。
僕は全然このサルラサルを使いこなす和社ではないので、西日本出身ですから。
でもね、聞くところによるとすごい便利らしいですね、このサルラサルって。
例えば間違えてボタンを押して電気消しちゃった時とか、何押してんだよって言われた時に、
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ああ、押ささったんだよとか言うみたいなんですよ。
これは僕は意図的にやってないですよってことになるんですね。
さっきも言ったように意図的な動作集っていうのを表さないので。
だからね、そういう無責任というかちょっと言い方悪いですけど、そういう表現がいっぱいできるみたいなんですよね。
押しちゃったに近いんだと思うんですけど、押しちゃったの場合だと僕が押しちゃったっていうふうに動作集を表すことができるので、
それともやっぱり微妙に違うんだと思うんですよね。
はい、というわけで今回は北海道出身の方からのご質問にお答えいたしました。
どうですかね、お答えになってますでしょうか。
どうかな、ちょっとマニアックな話になっちゃったかな。
北海道とか東北とか北関東とかその辺りの方言を話さない方にとっては何のこっちゃっていう話だったかもしれませんが、
逆に言うとその辺の地域の方ですね、北海道をはじめとするそういった地域の方にとっては、
ああそういうことだったのかって納得してもらえるんじゃないかと思います。
そういうわけで今後もお便り募集しておりますので、よろしくお願いいたします。
あとよろしかったら番組クリップもお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。