1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #446 方言にしかない便利な表..
2022-05-28 10:07

#446 方言にしかない便利な表現、あるわよね from Radiotalk

関連トーク
北海道方言のトーク
https://radiotalk.jp/talk/701297
「た」のトーク
https://radiotalk.jp/talk/328972

参考文献
『基礎日本語文法 改訂版』 (益岡隆志・田窪行則、くろしお出版)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:04
始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。大名前と四国です。
方言を日常的に使っている方や、あるいは幼少期にね、方言で育った方、
こういった言い方って方言でしかできないなーとかね、
あるいは、うまく共通語で言い表せない言い方があるなーとかね、
まあそういった経験があるんじゃないでしょうか。
例えば、北海道方言にサルラサルっていうのがあって、
このペン欠かさんないみたいな言い方をするんですね。
で、僕は北海道方言話者じゃないのでわかんないんですけど、
よくその北海道の方は、このサルラサルっていうのが、
うまく共通語にできないってね、おっしゃってますね。
まあ確かに便利そうな表現ではあります。
サルラサルについては関連トークがあるので、ぜひそちら聞いていただけたらと思います。
で、僕自身は西日本方言話者というか、具体的に言うと岡山方言なんですけど、
まあ岡山に限らず西日本、関西異性っていうんですかね、
には、寄ると取るっていう表現があって、
これはどういうことかっていうと、
食べ寄ると食べ取るの対立があるんですね。
これは非常に便利っていうかな、便利とも思ってなかったんですけど、
こういうふうに共通語を使うようになるとですね、
なんて便利な表現だったんだろうと、今になって思うことがよくあります。
どちらも共通語的に言えば、
ているあるいはてるにあたる表現で、
食べ寄るも食べ取るも食べてるに対応するんですね。
まあ歴史的には全部同じっていうか、
食べ寄るっていうのは、
食べるの連用形に存在動詞のおるっていうのがついていると、
食べ取るも同様に食べてっていうものに存在動詞のおるがついてます。
で、共通語の食べてるあるいは食べているっていうのはそのまんまですね。
食べてに存在動詞のいるっていうのがついてるんですね。
東日本と西日本を方言という意味で大きく分ける基準として、
存在動詞にいるを使うかおるを使うかっていうのがあって、
03:02
西日本はおるっていうのを使うんですね。
ちょっと余談ですけど、
僕は高校を出て上京してきた東京に出てきたんですけど、
その際にね、高校の時の古文の先生、阿部っていう先生だったんですけど、
その先生に言われたのが、
シガヨ、東京に出たらおるは謙譲語になるから気をつけなさいってね。
まあそういうふうに言われたんですね。
どういうことかっていうと、
まあ共通語だと今言ったようにおるっていうのは謙譲語でしか使えないわけなんですけど、
西日本ではおるっていうのはそういう敬意がどのこうのっていうの関係なくニュートラルな存在動詞なので、
おるっていう動詞にれるられるをつけて、
おられるみたいなね、先生おられますか?みたいな言い方をするんですね。
ただこれは共通語では謙譲語のおるに尊敬のれるられるがついてるわけなので、
無茶苦茶になってるっていうか、
矛盾がね、生じているわけなんですよね。
だからおられますか?みたいな言い方はしないようにしなさいってね、
注意を受けました。
このよるととるの何が便利かっていうと、
よるの方は動作の進行を表して、
とるの方は動作の結果状態を表すんですね。
一方共通語のているてるっていうのは、
どちらも表すので、
まあ言ってみれば非常に多義的というか多機能的なんですよね。
共通語の方の話をすると、
ているっていうのがついたときに動作の進行を表すのか、
あるいは結果状態を表すかっていうのは、
ある程度動詞によって決まってて、
ちょっと専門的な言い方ですけど、
継続動詞って言われるような、
時間をかけて行われるような動詞につくと、
進行を表すんですね。
泳いでいるとか、音楽を聴いているとか、
飛行機が飛んでいる、
こういう風な継続動詞と言われるものにつくと、
動作の進行を表すと。
一方、瞬間的に事態が起こるような動詞、
瞬間動詞と言われるようなものにつくと、
結果状態を表すんですね。
火が消えているとか、
虫が死んでいるとか、
あるいは主語の変化を表すような動詞の場合も、
結果状態を表して、
止まっているとか、落ちているとかね。
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こういう風に、ているっていうのが、
進行を表すのか、あるいは結果状態を表すのかっていうのは、
動詞ごとに決まってるわけなんですけど、
もっと言うと、動詞の持つ時間的な特徴によって決まってるわけなんですけど、
西日本方言の場合は、
そういうのはあまり関係なくて、
さっき言ったように、
よるをつけたら進行で、
とるをつけたら結果状態なので、
さっきの例で言うと、
落ちるっていう動詞に、
ているっていうのをつけて、
落ちているっていうと、
結果状態しか共通語では表せないんですけど、
西日本方言だったら、
落ちよるっていうと、
落ちつつあるっていうかね、
進行を表して、
落ちとるだと、
もう地面についちゃってるっていうことを表すんですね。
まあこれは非常に便利な区別だと思います。
あるいはね、分かりやすい例としてはね、
ビルが建っているっていうと、
共通語では、
その建っている状態しか表せないらしいんですけど、
僕は共通語話者ではないっていうか、
共通語は第二言語なので、
わかんないんですけどこの感覚は、
西日本方言だと、
ビルが立ちよるっていうと、
建設中だっていう意味になるし、
ビルが立っとるだと、
まあ共通語と同じ、
立っている状態っていうのを表すんですね。
こういうふうに共通語では、
まあ明確にね、
区別しないようなところを、
方言が細かく表し分けるっていうことは、
よくあることで、
夜とトルの対立っていうのは、
そういったものの一例ということですね。
今言ったように、
共通語のているっていうのは非常に多義的で、
進行も表せば結果状態も表すんですけど、
他にもね、
英語の現在完了みたいなものも表すんですよね。
もうその本は読んでいるとか、
3年前にロンドンに行っているとか、
英語でハブプラス過去分詞形で表すような意味をね、
表すこともあるんですね。
あとね、
日本語の過去を表すたっていうのも、
まあ完了っぽい意味になることもあって、
もう昼ご飯は食べたとか言った場合、
まあ完了とも解釈できるんですよね。
このたっていうのは、
そもそも古文で言う助動詞のたりに由来するもので、
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たりはもともとてありに由来するんですよね。
だからてプラス存在動詞ありから出来上がっているので、
現代日本語のていると、
まあ由来としては全く同じなんですよね。
だから日本語の歴史の流れの中で、
てありっていうのがたりになり、
現代のたーになっていったわけですけど、
そうなってくると、
ているっていう新しい形が出てきて、
さらに話し言葉ではてるって短くなっていってるので、
なんていうかな、歴史は繰り返されるっていうことですね。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今回のトークは、
方言で、特に西日本の方言で見られる、
よるととるの対立のお話でした。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
10:07

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