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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
さて、今日のトークは、なんとお便りをいただいたので、それに対する回答というトークになります。
いやー、ありがとうございます。これ、通算2度目のお便りということですね。
まあ、お便り、読み上げましょう。
ラジオトーク、最近聞き始めました。とても興味深く聞いています。ありがとうございます。
もうすでに取り上げているかもしれませんが、「くない」という表現について解説してほしいということです。
例えば、行けるくないとか、できるくないとか、こういった表現ですね。
こういうのは、若い世代ではとても自然に使っていて気になるというお便りです。
いやー、ありがとうございます。こういうのがね、すごい励みになりますね。
そして、幸いですね、この何々くないっていうのは、まだ取り上げておりませんので、
格好のトークテーマということで、ぜひ今回、解説してみたいと思います。
まあね、この行けるくないとか、できるくないとか、こういうのを考えるとき、まず内省を聞かせるというか、自分で反省するんですけど、
まあ、使いますかね。使うと思います。
行けるくない?できるくない?自然に使えるかなという感じです。
で、多分、僕よりもっと下の世代だったりすると、さらによく使えるんだと思うんですが、
まあ、ちょっとね、その年齢層が上に行けば行くほど、違和感を覚える方も増えてくるんじゃないかっていうね、
まあ、今回のご質問はそういうこともあると思うんですが、前提としてですね、これも再三言っているんですが、
言語に良いも悪いもないということですね。
くないっていう表現が違和感を覚えたからといって、それが文法的に間違っているかどうかっていうのは、言語学は議論いたしません。
それよりも、今回のご質問のようにですね、
まあ、なんでそうなっているかっていうことを解説するっていうことが言語学の一つ目指すところでありますので、
じゃあ考えていきましょう。
で、いただいた例を見てみると、行けるくない?とかできるくない?っていうことで、両方動詞についているっていうことですよね。
さらに言うと、動詞の終止形についているということになります。
で、その動詞の終止形につくっていう表現はいっぱいありますよね、日本語。
行けるのだ、とか、行けるかもしれない、とか、行けるはずだ、とか。
まあ、こういうの専門的にモダリティとか言ったりするんですけど、
まあ、ひとまずですね、終止形で動詞が終わってて、その後にぺたっとくっつくっていう形式はよくあります。
で、くないっていうのもそういったものの一つとして考えられます。
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というか、その行けるのだ、とか、かもしれない、はずだ、みたいに終止形にぺたっとくっつく形式がいっぱいあるからこそ、
くないっていうのが生まれてきたと言ってもいいですよね。
まあ、こういうのを類推と言ったりします。
英語だとアナロジーと言うんですが、
なんか似てるパターンがあったらそれに沿って真似したいっていうことですね。
で、だいたい言語変化っていうのはそういうことが元になっていることが多いです。
じゃあ、このくないっていうのは何をやっているかっていうと、
同意を求めているっていうことだと思います。
で、実際、その日本語の研究ではそういうふうに解説されています。
行けるくないっていうのは、行けるよねと言い換えられますね。
で、できるくないもできるよねと言い換えられるので、
そのくないで一つの塊になって同意を表す、
同意を要求する形式であるということができます。
くない自体にないっていうのが入ってますけど、
否定の意味はもう全くなくなっちゃってますね。
ということで、これは一つモダリティを表す。
さらに言えば、同意を要求する形式であって、
中止形にくっつくっていうね、
実際どういうものかっていう正体がなんとなくわかったところで、
その起源っていうのを今度考えていくわけですが、
予想つくと思うんですけど、このくないっていうのは形容詞の否定でしょうね。
赤くないとか、寒くない、暑くない、みたいに。
このくないっていうのは形容詞の否定で必ず見られるものです。
というと形容詞の連用形の後にないっていうのがくっついてるっていうことですけど、
暑くの後にないが出てくると。
もともとくとないの間に境界があったのが、
もうくないで一つになっちゃってるっていうことなんですよね。
こういうの、異分析とかまた専門的な用法があるんですよね。
単語の記念名を間違って再解釈しちゃって別の単語になるっていう。
くないってまさにそういう現象です。
ただこのくないっていうのは形容詞から広がったというよりは、
むしろ動詞の否定、例えば行かないとかのないですね。
から広がったと考えられています。
さらに言うと西日本の方言の動詞の否定の形から広がったと考えられます。
ないってね、それ自体が形容詞ですけど、
動詞にくっついたら動詞が形容詞になっちゃうということなので、
否定の動詞の形からくないっていうのが生まれたと。
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方言の、僕もそうなんですけど、西日本方言は否定はんっていうのを使うんですよね。
例えば行かんとかね、行かないを行かんとか、食べないを食べんとかこういう言い方をします。
このんの過去形は古い形は行かなんだとか食べなんだっていう形があるんですよね。
ただそれがちょっと一部共通語化みたいになって、
なかったっていうのに引っ張られて、行かんかったとか食べんかったっていう方が主流になっていきます。
でもね、僕自身としては行かなんだ食べなんだよりも、行かんかった食べんかったの方が、
まあマジョリティというかそういうふうに感じています。
この一部共通語化の中で、行かんかったみたいな言い方が生まれる過程の中でですね、
行かんくなったとか、そういう表現も出てきたんですね。
行かなくなったが行かんくなったとか。
で、ここで行かなくないっていうものに対応するものとして、
行かんくないっていうここでくないが出てくるんですね。
あるいは食べんくないとかですね。
なのでこういう西日本の方言の否定が一部共通語化を経ていく過程で、
行かんくないとか食べんくないとか、こういった表現が生まれてくるようになります。
で、先ほどですね、このくないのを表すところは、同意の要求というふうに言いましたが、
まあある意味ですね、この否定疑問文で同意を要求するっていうのはよくあるんですよね。
何々じゃないとかもそうですよね。否定を疑問で使うことによって同意を要求すると。
なので、行かんくないとか食べんくないとか、こういう否定の疑問で同意をやっぱり要求しているので、
それがそのまま今のくないに引き継がれているんですよね。
で、話は戻りまして、行かんくないっていうのは本当は、行かんくないってここで切れるのが、
くないで同意を要求するものだっていうふうに、くないだけ一人歩きするようになっちゃったんですよ。
本当は行かんくとないで区切りがあったのが、
くないがこれが同意を要求する形式だっていうふうに認識され始めて、
それだけが今度は修飾形につくようになってしまったっていうことなんですね。
修飾形につくようになった理由は、先ほども言ったように、
のだとかかもしれない、はずだみたいに日本語にはいっぱい修飾形につく形式があるので、
それからの類推でつくようになったと。
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歴史としてはこういうシナリオが考えられます。
このくないの面白いところは、形容詞にもついちゃうっていうことなんですよ。
つまり、厚いくないって多分言うんですよね。
そこは厚くないでいいだろうっていうことなんですけど、
お前形容詞なんだから厚くないって言えるじゃん。
なんだけど、もうくないが、
もうそういう形容詞がどうとか否定がどうとか関係なくなっちゃって、
同意の要求しか表さないことになっちゃっているので、
もう形容詞の修飾形にもそのままついて、厚いくないとこういう表現になっちゃっています。
というわけで、一応起源としては西日本の方言がそこから広がっていったということみたいなんですけども、
地域差はだいぶなくなっているかもしれませんね。
全国的に使われているかもしれません。
そしてその広がったというか、定着しだした要因として、
これもやっぱり繰り返しになっちゃいますけど、
日本語は修飾形につく形式がいっぱいあるからというのが一つ要因となっていると思います。
さあお答えになったでしょうかね。
こういうふうにですね、皆さんが日常で感じている言葉の乱れと見られるようなものですね。
そういったものを解説してほしいみたいなのがあったらぜひお便りください。
僕自身も大変勉強になりますので。
最後にですね、このトークの次回配信予定のものが全然お便りが来ないみたいな、
ぐちみたいなのが入っちゃってるんですけど、
すいません、ちょっと収録の関係で順番前後しちゃいましたけど。
今後もお便り募集してますので、ぜひお願いいたします。
というわけで今回のトークはここまでということで、
よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。
ごきげんよう。