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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今日はお便り回答会ということでやっていこうと思います。どんくらいお返しできるかな。
まあ、できる限りお返ししていこうと思います。
まずはこちら、はるはるさんからいただきました。
志賀さん、こんにちは。数字の話の過去回拝聴いたしました。指の節の十二辛酢のお話や、六辛酢が使われる国もあるというお話、とても面白かったです。
今回は、未来でも外国語を学ぶ必要があるかということについてお聞きしたいと思います。
以前は、Googleなどによる機械翻訳の翻訳の精度はあまり良くなかったです。
しかし、近年ではGoogleなどの機械翻訳の精度が上がってきているように感じます。
また、音声翻訳機も販売されており、翻訳だけでなく通訳の機能がある機械も発明されています。
未来では、これらの機械がもっと精度良くなる可能性があります。
そうなると、未来では外国語を学ぶ必要性が薄れてきてしまうと考えています。
とは言うものの、私自身は外国語を学ぶことはとても楽しいです。
外国語学習の未来について、志賀さんが思うところがありましたら、ご意見をお聞かせいただけると幸いです。
では、ということで、どうもハレハレさんありがとうございます。
外国語を学ぶ必要があるかどうかですけど、
僕の中ではもうそういう話は終わっちゃってるっていうか、決着がついてるんですよね。
これは僕の言語学に限らずですけど、役に立つ立たないではないので、僕の中で。
なんかそういう、つまんないっていうか、役に立たないというか、もっと言うと善意になるかならないかということですね。
まあこの資本主義の世の中、善意になるならんで、物事は判断されていくわけですよね。
僕自身は、善意になるならん、役に立つ立たんは、
そういう見方をする人もいると思うし、それはそれで好きにしたらいいんですけど、
人生の指針として役に立つ立たないで物事を見るのは良くないと思っているので、
まあ外国語学習も叱りというか、
ハレハレさんみたいに今後も外国語学習が楽しいと思ってやる人は絶えないと思うので、
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それこそね、多様性を尊重するような世の中に向かっているとしたら、世界が向かっているとしたら、
外国語学習もむしろどんどん盛んになっていってもおかしくはないと思うんですよね。
まあそもそもこの番組も割とそういうスタンスで、この番組が役に立つとは思ってないんですよ全く。
なんというか、知識を提供するだけみたいなね、そういう気持ち悪い番組にはしたくないと思っているので、
まあいっか、あまり話しすぎるとちょっとね、ダサいようなとこがあるので、
ひとまず僕個人としては役に立つ立たないはまあそういう目で見る人も多いでしょうけど、
だからといって外国語学習が落ち目になっていくとは到底思いませんというね、まあそういう回答にしたいと思います。
はい、というわけではるはるさんお便りありがとうございました。
続きまして2通目のお便りはまんじゅねこさんからいただきました。
差し入れと一緒にいただきました。ありがとうございます。
消滅危機言語のお話を消滅危機言語の満州語を勉強しながら配置いたしました。
ちなみに私のラジオネームのまんじゅは満州です。ということで、まんじゅねこさんどうもありがとうございます。
まあなかなか数奇な運命というかね、をたどっている言語ではありますね。
満州って当然中国大陸の言語ですけど、系統としてはツングス語族に属すので、
文法的にはかなり日本語に近かったりするんですよね。
ただ満州族が新王朝を建てたときに漢民族に同化するっていうことで、言語もどんどん中国語に特化していったんですよね。
それで今消滅危機言語ということになってるんですよね。
まあこのことから民族と言語は必ずしも一致しないことがあるということですね。
この満州語の場合は政治的な理由で言語が特化わって、その民族と言語っていうのがずれるというかね、そういう現象が起こっているということですね。
というわけでまんじゅうねこさんどうもありがとうございます。
続きましてのお便りは、ラジオネームパンナイさんからいただきました。
差し入れと一緒にいただきました。ありがとうございます。
はじめまして。パンナイと申します。
昔から言語のことに興味があって、トークをいつも楽しみに聞いております。
中学のとき、何でもいいから英文で書けと言われて、夏目漱石の本は英訳したら夏目漱石ではなくなるというテーマで書いたら、英語を教えていた先生が納得してくれて嬉しかったのを覚えています。
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言語がなくなると世界がなくなるという熱い語りに共感しました。私もそう思います。
ところで質問をいいでしょうか。
私の住む長崎県の後藤の方のイントネーションが時々東北に似ていると感じます。
八丁島の言葉でも東北みたいな感じがあるとおっしゃっていたので、その理由について何かご存知でしたらお聞きしたいなと思いました。
本当に言葉って面白いですということで、どうもパンナイさんありがとうございます。
後藤にお住まいなんですね。僕も友人に後藤列島出身の者がいたので、ちょっと懐かしいなと思いますね。
後藤の方言のイントネーションというかアクセントだと思いますが、東北に似ているということでしたが、おそらくこれは無アクセントのことでしょうね。
後藤列島の方言っていうのは無アクセント方言であるっていうことで割と有名なんですよね。
九州だと他にも無アクセントの地域はあるし、四国にもちょっとあったりとか、あるいは宮城、山形、あとは北関東あたりも無アクセント地域なんですよね。
で、なんでこうやって地理的に離れているのに、それぞれの方言で同じような特徴を有しているかというとですね、
方言集権論という考え方があって、これは河牛公っていう本の中で柳田邦夫が言ったものなんですけど、海外でも同じような説は提唱されているんですよね。
昔の日本は京都が一応中央ということで、政治的にもそうですけど言葉も一応そこから新しいものが生まれて、
で、同心園状に外へ外へ広がっていく、波紋のように広がっていくっていうのが方言集権論なんですよね。
なので京都を中心とした中心の方は新しい言葉があって、外側のこの場合だと後藤列島とか北関東では同じぐらい京都から離れているところで、ある意味古い特徴が残っているということになるんですね。
で、この新しいのがどんどん広がっていくっていうのは語彙的なものもそうだし文法的なものもそうだし、おそらく発音もそうだったんじゃないかと考えられています。
で、この考えに基づくと無アクセントっていうその方言の特徴も古い日本語の特徴で、それが中央京都から離れているところで観察されるということなんですよね。
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面白いですよね、これ。なので昔の日本語はアクセントがなかった無アクセントだったと考える人もいるみたいですね。
で、八丈の言葉に東北というか東北的な特徴が残ってたっていうのもやはり中央の京都から離れている分、その古い特徴が残っているということなんですね。
で、この法研修研論の説にがっちりはまるような例がとんぼの例なんですよね。
とんぼっていう単語が宮城県と九州南部で空き図っていう言い方をするらしいんですよ。
で、これもやはり京都から離れているので古い形が残っているってことなんですけど、古事記とか日本書紀を見るとこの空き図っていうのがちゃんと出てくるんですよね。
だから時間をかけて外に外に広がっていったっていうのがわかるってことなんですね。これ面白いですよね。
というわけでお答えになりましたかね。
というわけで今回はお便り3つお答えいたしました。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。