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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
さて、今日のトークはお便りをいただいたので、それに対する回答というトークでやっていきたいと思います。
初めて聞く方もいらっしゃると思うんですけど、この番組はですね、割と言語とか言葉に関するお話をよくしてるんですよね。
それで、リスナーの方から何かこういう表現どうなってんの?とか、解説してほしいみたいなのがあったら、それを随時解説していくみたいなことをやっています。
やっていますって言ってもね、これまだ2回目なので、今後もね、どしどしお便り募集していきたいと思います。
というわけで、では、いただいたお便りを読み上げたいと思います。
匿名の方です。
おはようございます。私は北海道の出身なのですが、北海道では、「しささらない」という表現をよく使います。
このペンかかさらない、充電しささらない、鍵かからさらないなどなど、なぜこのペンかけないや鍵がかからないではなく、さらに受け身かっこはてなの表現になっているのでしょうか。
自分は北海道弁ネイティブ話者なのですが、このしささらないは何かちょっと引っかかる表現であまり使いこなせていません。
というお便りです。ありがとうございます。
これはですね、かかさらないとかいう表現ですね。
北海道ご出身じゃない方はね、ちょっとピンとこられないかもしれません。
とはいってもですね、実はこのかかさらないみたいな表現はですね、お便りにあるように、意味としてはかけないに近いところがあるんですよね。
で、北海道だけではなく、東北から北関東にかけて見られる表現であります。
だからかなりね、東日本的な表現と言えるかと思います。
今回いただいたお便りの中にある例はですね、全部かかさらない、充電しささらない、鍵かからさらないみたいに全部否定文ということになっているんですけど、
当然肯定文の例もあるんですよね。かかさるとか、あとは鍵がかからさるとかですね。
なので今回はですね、よく方言学というかね、方言の研究では、さる、らさるとかいうふうに言われるものなんですよ。
で、そのお話をしていきたいと思います。
でですね、このお便りの中にもあるように、受け身の表現というふうに言われることも確かにあるんですよ。受け身っぽいんですよ。
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ただ、かっこはてなというふうにこの方なっているように、ちょっと受け身とは違うなというのがご自身で感覚としてあると思うんですよね。
まさにその通りで、まったくいわゆるれるられるですね。かかれるとか食べられると、かかさる、食べらさるというのがびっちり対応しているわけではないです。
ちょっとね、かぶっているようなところはあるんですけど、受け身と似ているというのは一つはですね、未然形接続だというのが似ているんですよね。
いきなり家庭話し会だと思われるかもしれないですけど、れるられるっていうのは、かかれるとか食べられるみたいにですね、未然形につく形なんですよね。
語弾動詞の場合、つまり未然形であが出てくるやつですね。書かないとか、あと読まないとかもそうですけど、ないをつけたらあだの音が出てくる動詞のグループには、さるっていう形はつきます。
なので、かかさると。一方、食べるの場合はないをつけると食べないなのであだの音は出てきません。
こういう動詞の場合には、らさるという形がつきます。なので、食べらさるとこういうことになります。
こういう接続の仕方ってまさにれるられると一緒なんですよね。かかれると食べられると同じように接続しているので、そういう意味では受け身にちょっと近いようなところはあります。
こういう形の上で受け身に近いっていうのもあるし、意味としてもちょっと受け身に近いところはあるんですよね、このさる、らさるが。
大まかにお話ししますね。大まかに3つぐらい、このさる、らさるには意味があります。
1つは自発と言われるものです。自発ってなんだっていうと、これはれるられるにもそういう意味があったりするんですよ。
わかりやすいのは、自然と故郷が思い出されるみたいなものですね。この思い出されるっていうのが自発というふうに言われます。
自然ととか、そういうのをつけるとしっくりくるものです。あるいは、おいしいからいくらでも食べられるみたいな時も自発ですね。
多分こういう時は、おいしいからいくらでも食べらさるっていうふうに言うんだと思います。
なので1つ、さる、らさるの機能の1つは自発です。
2つ目が可能ですね。今回いただいたお便りの中に挙げられている例は全部可能の例だと思います。否定にはなってるんですけど。
話脱線しますけど、可能の表現って否定とよく使われるんですよ。
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っていうのが、できることって言ってもあんまり意味がないんですよね。
できないことを言うほうがコミュニケーション上大事なんですよ。
できないってことはすごい視覚問題だったりするので、そういう意味でこのさる、らさるっていうのも否定とよく協議するっていうか、よく一緒に使われます。
なのでまさに今回いただいたお便りのこのペンかかさらないとか、鍵かからさらないっていうのは書くことができないとか、鍵がかけられないとかそういうことになります。
最後はちょっと説明しづらい例ではあるんですけど、自発とも可能ともちょっと言いづらいようなもので、結果状態とか言う感じですかね、あえて言うとしたら。
例としては大きな丸がかかさってるみたいなものです。
共通語で言うと大きな丸が書いてあるみたいな感じですかね。手あるに近いと思います。大きな丸がかかさってる。
ということで、大きく言って今申し上げました通り、さる、らさるの意味には自発、可能、そして結果状態っていう意味がございます。
確かにこれは共通日本語のれる、られるというか、受け身というか、それにかなり近いんですよね。
さっき言ったように思い出されるとかは自発を表すし、可能の場合はまた別ですね、かけるとかそういう表現に近かったりするんですけど、
このさる、らさるが今自発可能結果状態っていう3つの意味をお話ししたんですけど、共通してるのは動作主が表すことができないということですね。
動作主を表すことができないですよ、文の中に。またなんか堅いなと思われるかもしれませんけど、要は受け身文の場合は、あるいはかけるみたいな可能の表現の場合ですね、共通日本語の。
ちょっと動作主を含意してるというか、何かその動作をする人っていうのがちょっと含まれてるんですよ。
このペンは書けないって言った場合は、僕にはちょっと扱うのが難しくて書けないっていう意味にもなり得るんですけど、
このペンは書かさらないっていうこのさる、らさるを使った場合は、このペンの能力としてというか、このペンがダメなんだ、このペンの性質として書くことができないんだっていうニュアンスになります。
その使う人がどうこうではなく。なので動作主が表現できない、文の中に現れないっていうのはこういうことなんですよ。
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これが受け身とは大きく違うところで、受け身文っていうのはれるられるを使った受け身文だと、一応動作主ってにとか使えば表すことができるんですよね。
例えばこの本は彼に読まれたみたいな感じにですね。英語の場合だと倍が出てきたりしますよね、その動作主を表すのに。
ただ、さる、らさるの場合はこの本読まさるみたいに多分動作主っていうのを積極的に表すことができないんですよね。
だから誰が何かしたっていうのを積極的に言うことができないというか、むしろですね、さるらさるがつくとその動作主を消すっていうね、そういうプロセスだということもできます。
なので、ちょっと言い方悪いですけど、さるらさるを使うとちょっと無責任な感じが出せるんですよ。
だから、書かさったとか押ささったとか言った場合は、ちょっと書いちゃったとか押しちゃったみたいな意味が多分あると思います。
書かさったとか押ささったとか言った場合は、自分はそういう意図はなかったんだけど、なんかやっちゃったみたいな、その動作主っていうのが積極的に現れることができないので。
なので、その動作主を消すっていうことは、ある意味でそのものの性質を表すことが多いっていうことになるんですよね。
先ほどの例で言うと、このペンは書かさらないとかですね。
あるいは、頂いた例の中で言うと、鍵かからさらないとかね、かからないっていうその状態とか性質を表していると。
動作主というか、誰がやるかっていうのは全く削除されていると、こういうことなんですね。
あるいは、大きな丸が書かさっているって言った場合は、これは結果状態ってさっき言いましたけど、誰が書いたかは問題ではないんですよね。
大きな丸がそこにあるっていう状態とか性質をここでも表しているということになります。
さあ、時間がなくなってきちゃいました。
前編と後編を分けてお話ししたいと思いますので、続けてお聞きいただけたらと思います。
では、後編でお会いしましょう。