1. 1年後の自分を楽にするラジオ
  2. 「生きるのがしんどい」ときは..
2024-06-09 24:15

「生きるのがしんどい」ときは「自分がいない」ことを理解するとラクになる。

自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 https://amzn.to/45iTr1Q

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こんにちは、しゅうへいです。今日はですね、自分とかないからっていう本、教養としての東洋哲学っていう本がすごく面白かったので、ちょっと紹介したいなというふうに思います。
ちょっと仏教、僕もね、かじってるというか、何冊か本を読んで、まあ無我とかね、空とかっていう概念が、なんかちょっとわかりにくいというかさ、なんか読んでるときはああーってなるんだけど、読み終わってしばらくしたら、あれどういうことだったっけって結構なるんですよ。
で、なるたびにこう、仏教の本を読んで、ああそうだったっていうふうにまた、なんかこう、理解というかイメージが湧くみたいな、そんなことを結構繰り返してるんですけど、このね、自分とかないからっていう、しんめいさんの本なんですけど、非常に無我と空の説明がわかりやすかったので、ちょっと紹介したいなというふうに思います。
で、この本はですね、なんかすごくエッセイっぽいっていうか、ご自身も書かれてますけど、エッセイ、しんめいさん自身が東洋哲学をこういうふうに理解している、こういうふうに思ったっていうのを書いてるっていう、そう、そんな本なんですよね。
で、この方すごい面白いのがさ、結構ね、人生のターニングポイントに、東洋哲学に出会った。で、それどういうことかというと、32歳、無職になり、離婚して実家の布団に一生入ってる。
32歳で無職、ニートになって、しかも離婚して実家の布団、実家に帰って布団にずっと入ってるみたいな。で、人生のピークが18歳、東大に合格したとき。田舎町で東大に合格して、知らないおばあちゃんに東大あんた受かったよねって泣いてたと。田舎の振動だった人が14年ぶりに田舎に帰ってくると。
で、それは、いわゆる宮口じゃないけど、無職になり、離婚して実家の布団に一生入ってる。32歳ですよ。僕もね、似たような経験があるというか、振動ではなかったですけど、22歳で東京に出てマルチ商法を始めて、借金が2、300万増えて、で、欲打つになって、で、会社も辞めて実家に帰ってきました。で、確かにずっと布団に入ってたことが多かった。
それで僕も田舎に帰ってきたので、すごくイメージが湧く話だった。話っていうかスタートポイントだったんですね。で、そんなタイミングで東洋哲学に出会ったときに、西洋の哲学っていろいろあるじゃん。カントとかニーチェとか。ニーチェも結局10年ぐらい布団に入ったまま病んで亡くなったらしいね。僕はそれ知らなかったんですけど。
西洋哲学よりも東洋哲学はどちらかというと答えがあるんですね。生き方に対して楽に生きる方法があって、それをちゃんと説いてくれてるっていうのは東洋哲学だと。で、まあとはいえ難しいから、それぞれ。空海老子、神乱、ブッダとかね、リュージュとかダルマさんとか、その辺りをまとめてくれてる。
なので、ちょっと仏教に寄ってるかな。やっぱそれはそうだよね。うん。なんだけど、東洋哲学として捉えていると。そう。で、第1章、第2章ぐらいまで僕今読んできた中で、最初ブッダの話。で、その次にリュージュの話で、非常に時系列的にも分かりやすいような感じです。
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理解しやすいように笑いながら読める本です。めちゃくちゃゲラゲラ笑いながらね。そう、昨日、夜寝る前に、妻のあれ子さんと夜寝る前に本を読む時間があるんですよ。で、その本を読んでるときに、僕がそこでずっとクスクス笑いながら読んでたから、そんなに面白いの?みたいな。そうそうそう。自分とかないからっていう本ですね。
で、本題に入るんですけど、無我と空ですよ。いちいちそんなこと考えないよね。生きてるとね。でも、なんかしんどいときってないですか?で、僕もね、結構しんどいなって思ったときに、ふと思い返すと、無我とか空っていうことを忘れているときがしんどいなって、なんか最近思ったんですよ。
で、まあ、無我って何かっていうと、自分はいないっていうことなんですよね。で、とはいえ、目の前に今自分がいて、存在してるじゃんかっていうふうに思ってしまうと。そう、で、あの、なんだけど、例えばこう、生物学的な話をすると、僕らの細胞、骨とか皮膚とか体の60兆個ある細胞って、大体半年とか1年で入れ替わるって言われてますよね。
で、そうだな。あなたが小学校6年生のときのあなたと、じゃあ今23歳か30歳か40歳かわからないけど、今のあなたを比べたときに、同じあなた、自分ですか?っていうことです。
まあ、10年とかっていうね、スパンで考えたら、別人のようになった。で、まあよく例えるじゃないですか。なんか別人のようになったねみたいな、変わったねって。でも、本人としてはさ、ずっとどの瞬間思い出しても自分じゃないですか。でも変わっていますよね。
だから、自分は確かに、無我っていうと自分はいないっていうふうに捉えることもできるんだけど、いないというよりかは変わり続けている。固定の自分はいないっていうふうな考え方が無我なんですよね。で、実は自分ってなんだっけとかどうやって生きたらいいんだっけってことをめちゃくちゃ悩んだのがブッダだったわけですよ。
この本にも書いてある。ブッダはめちゃくちゃお金持ちの家庭に、っていうかもう王国です。王国の王子として生まれて、そうなんだけどバッキバキに虚無感に苦しんでたわけですよね。すごいよね。全てを手に入れて何の不自由もない暮らしをしている人が虚無感を感じる。
もうこの時点で何かを表してるじゃないですか。僕らが仕事とか収入とかがもっと安定したらとか、フォロワーが増えて人気者になればとか、フェラーリとかランボルギーに高級タワーマン住んで、ハワイに毎年行ってみたいな、そういう何の仕事もせずにお金だけ、なんかわかんない、利回りだけで入ってきたら、さぞかしい人生だってみんな思うじゃん。
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でも、ほとんどそれを達成していたブッダは、そこからそこに虚無感を感じてたわけですよね。ってことはもう何か見えてるよね。そう。で、ブッダは出家するわけですよ。出家して急にいなくなる。要するに子供とか嫁さんとかもいたのに急に家を出るってことです。後継ぎどうすんだみたいな感じですよね。
どうですか?これを聞いてるあなたの立場で考えてみてください。今の関係があるじゃん。家族があってとか仕事があってとか子供がいてとか、家のローンが残ってて、急に例えば自分の旦那さんが出家するとかでいなくなるとか。大事件ですよ。大事件ですよね。それを起こしたのはマジでブッダっていうことです。
で、ブッダはその後で6年ぐらい苦行って言って何も食わないとか、そういう火破りみたいな経験っていうか苦行するんですけど、6年修行してもピンとこなかったらしいんですよ。で、この本の中ですっごい面白かったのが、確かにって思ったのが、ブッダ6年ぐらい修行して見切ったんですよ。要するに苦行意味ねえかもって見切ったわけです。
でも、6年もやったから見切っていいって思いがちなんだけど、苦行をしてたその当時の修行者たちは30年とか50年とか平気で修行してた背景があるわけですよ。
だから例えば寿司屋は10年ぐらいやって初めて寿司屋だみたいな常識があったとするじゃないですか。堀江さんとかもそんなのおかしいって言ってたよね、少し前から。で、その中で1ヶ月で俺は寿司屋だって言ってる人がいたら、ちょっとなんかん?って言われそうだよね、寿司屋さんから。でもそういう感覚だと思うんですよ、ブッダも。だって50年苦行する人からしたら、ブッダはたった6年ですから。ほんと10分の1ぐらいですよ。
なのに、これ意味ねえって言ったわけですよ。それも結構勇気のあることだなって思ったんですよね。ブッダはすげえって思うけど、でも自分がブッダの立場に立ってみたときに、同じ選択ができるかって言って、ちょっと難しいんじゃないかなってすごいこの本を読んでたと思いました。
この本の書いてある、自分探しの業界の先輩ならまだまだ苦行が足りねえと思って、もっと修行を続けるはずだと。6年で見切った。で、見切ってこんなの意味ねえよなって思って、その後座禅とかして、自分はいない、無我だっていうことを気づいたわけですよね。いわゆる悟りっていうものです。自分とかないっていう。
それがこの本の中にも経緯として書かれているっていうところです。例えば今から僕がある料理の写真を見せます。美味しいカレーライスの写真を思い浮かべてください。白クマゲームみたいなね。美味しいカレーライスを想像してはいけませんって言われたら想像したくなるから想像してください。
でも、カレーの僕が想像してって言って、今日カレーがいいな、明日カレー食べようとか、ここ行きたくなったなとか、大好きなエスニックカレー屋さん食べに行きたいなとか、グリーンカレー食べたいなとか。もし、これ多分毎日だいたい1000人か2000人くらい聞いてくれてるんですけど、1人か2人思ったとするじゃないですか。カレーを食べよう。
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でもそれってさ、どこから生まれたってことですよね。この本の中にも書いてるんですけど、自分はいなくてすべてと繋がっていると。ちょっと分かりにくいかもしれないけど。
自分がもしあるのであれば、カレーが食べたいって思うときに、これからカレーが食べたいと思うと思って思うみたいな。そんな思考になりそうじゃないですか。でもこれ、どこからともなく沸き上がってきますよね。カレーを食べたいっていう気持ちは。アイス食べたいとか、温泉行きたい、サウナに行きたいっていうのもそう。
自分が確かに思って行動するんだけども、今僕が話したことによって想起されて、食べようと思った可能性が高いじゃないですか。ってことは、そもそもこのカレーが食べたいという思考は自分の中になかったわけですよね。外からやってきた。外からやってきたものを自分の判断としてしてるわけですよ。
だから、極論自分がないわけですよね、そこには。何か情報を触れて、そこから思う。で、これ実際に脳科学の研究でも、自分が例えば立ち上がろうとする前に、立ち上がろうと思う前の何秒前に脳では信号、立ち上がれっていう信号が上がってるらしいんですよ。
立ち上がろうと思って立ち上がれっていう信号が送られてるわけじゃなくて、脳にはもう立ち上がれっていう信号があって、それを僕は思ったと思って立ち上がるらしいんですね。
これ僕も聞いたとき、なけねえだろって思って、じゃあオッケー、今から手を握りますって言って、ほら僕握ると思ったけどね、でも多分これも握ろうと思う前に信号が出てる。
そう、だからそう考えたらさ、僕らはなんか自分で生きている、自分の決断で生きてるって思いながらも、実際は脳の何億個っていうニューロンとかそのシナプスの連携によって急遽思い上がってきた感情とか思考を自分のものだと思っている。
だから大きい像に乗っているって感じかな。像に乗って、自分はその上に乗って歩いているけど、自分が像を動かしてるなんて思わないじゃないですか。
まあまあ像を操れる人いるかもしれないけど、像が基本動いてますよね。像が歩いてくれてる。でもその歩いてるのは自分が歩いてるっていうふうに感覚的には思ってるだけなのかもしれないですよね。
だからそうじゃん。瞑想とか座禅とか知ってみてください。僕もこの1ヶ月やってるんですけど、勝手にいろんな思考が湧いてくるよ。もう呼吸瞑想にしてみても、鼻から出て鼻から入ってくる、鼻先に意識を向けるんですけど。
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急に鼻先に集中してたと思ったら、届いた本読まないととか、ボイシー明日何話そうかなとか、ポッドキャスターでこれ話したら面白いかも伸びるかもとか、あれしてあれしてこうしてで長文ツイートにAIでしてとか、急にいっぱい考えてた仕事のことって言ってまた戻ってくるんですよね。
自分では選んでないんですよ。もう勝手に出てくるから、それを瞑想とか座禅では置いていくっていう、どんどん手放していくっていう空っぽに自分でしていくっていうような感覚でやってるんですけど。
ちょっと話それましたけど、無我にたどり着いたわけですよ、ブッダは。で、この本の中でも無我っていうのをこういうふうに説明してると。要するにカレーが食べたいとかって思うけど自分じゃないと。
要するに変わらない自分という存在があるって思っていて、それを保とうとするから苦しみが生まれるっていうふうにブッダは説いたわけですよね。で、この本の中では川をせき止める。
なんかあれじゃん、川行って遊んで全部せき止めて川を封じようみたいな。僕も大学の時やったけど、あれをやってせき止めようとしても川は破壊しますよね、水で。
あれと同じっていうふうに、例え話が結構秀逸なんですよね。要するに流れていくものを頑張ってせき止めようとすることに近い。自分というものをあると思って生きるっていうことはね。
でもこのことは学校で習ってないじゃん。自分はあるじゃん、みんなさ。自分の給食服とか体操着に名前を書く。自分のものだから自分の名前を書きましょう。
自分がある前提で僕ら生きてる。それが多分社会に出た時にあまりにも自分が強すぎるとしんどくなるんだと思うんですよ。
自分の仕事、自分の収入、自分の評価、自分の資産とか自分の借金とか、自分のSNS評価、フォロワー数とか。
全部自分自分自分自分ってついてるから。そうじゃなくて全部つながっているっていう感覚を持つってことですよ。自分は単体では存在できないからね。
これが仏教、ブッダの言う自分なんですよ。自分じゃない、無我です。
でもこの無我がある意味難しいすぎたんだって。その後だいたい700年後ぐらいに出てきたルージュっていう人が空を説いて、この無我っていうのがより分かりやすくなったってことです。
空って何か。無我と空は割とセットかなって思いますね、この本を読んでると。空って何かというと、この絵はフィクションだっていうことです。
この絵はフィクション。僕らはあると思ってるけどないっていうことです。難しいよね、ここら辺が。
例えば兄と弟。兄と弟がどっちが先に生まれましたかって聞かれたら皆さんどうやって答えます?兄と弟。
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当たり前だから普通に兄が先に生まれて弟が後に生まれるだろうと思うけど、実は兄と弟は同時に生まれてるんですよ。
何でかというと先に男の子だけで例えば生まれたとして、これ姉と妹もそうですよ。先に女の子だけ生まれて急に姉にはならないんですよ。
妹が生まれるから姉になるんですよ。じゃあ妹だけでも生まれるわけないんですよ。
私妹ですって一人の女の子が。一人の家庭で一人の女の子。私妹ですって。どこに姉ちゃんいるのかなっていうことになっちゃうじゃん。
だから姉と妹、兄と弟、全て同時に生まれるっていうことです。
ということで、だからクーなんですよ。お姉ちゃんがいる、弟がいるっていうふうに僕らは思いがちだけども、それはお互い同時に存在してないといけない。あるようでないっていうことですね。
だから言葉の力によって僕らは結構あるように感じているっていうことです。
ファミチキとかもファミリーマートのチキンだけどこれは鳥の死体だと。
ちょっとごめんなさい。ファミチキこれから食べようと思ってたんですみません。鳥の死体だ。でも間違ってはないよね。
ファミチキって書いてくれてるからファミチキになってるし、僕らはファミチキだと思って食べる。鳥のフライドチキンだと思って食べるけど。
でもわからん。猫とかからしたらファミチキはファミチキじゃないわけ。
たぶん鳥の肉になんかまぶして人間がそれを高温で揚げてカリッカリに仕上がったみたいな。
元の肉の方が美味しかったのにってもしかしたら猫だったら思うかもしれない。
だからファミチキも言葉の魔法なんですね。言葉によって結構僕らはファンタジーの世界、フィクションの世界に入っていると。
彼氏とか彼女とかもそうですよ。恋愛とかで結構悩むじゃないですか。
これ読んでほしいんだけど家族もそう。家族もフィクションとかって書いてます。
あと物もフィクション。コップ。コップも存在してるように見えるけど、コップっていうのは土から生まれてますよね。
土を粘土にしてそれを成形してぐるぐるぐるってやってコップになる。
iPhoneとかもそうですよ。パソコンとかもそうですよね。
iPhoneはiPhoneの部品を集めてきて、金属だったりガラスだったりシリコンだったりそういうのを集めてきてそれを組み立ててiPhoneとしてなってるということです。
だからiPhoneはあるんだけども状況によっては違うってことです。
だから例えば花瓶あるじゃないですか。花をいける花瓶。花を刺したら花瓶になる。
その花瓶を売りたいなら商品になる。メルカリとかでね。
これ売れないし割れてるし捨てたいと思ったらそれはゴミになる。
コップとか花瓶とかも全部一緒。スマホもそうですよね。
最新版のiPhoneだったらもちろんiPhoneになるし商品になるけど、それが何年も経ってもう使えないってなったらゴミになる可能性がある。
でも実は今iPhone7がすっごい売れてたらしいの。
買取価格が上がったのってiPhone7。
iPhone7をメルカリで買ってアップルサイトで下取りしてもらうとすっごい価格が高くなって1万円分ぐらいお得になるみたいな。
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一旦置いておきましょう。
僕らゴミと思ってる人それを商品だとかお金だと思ってる人いるわけです。
それは要するに仕入れをして売る人とかですよね。
あとはリサイクルする人もそうかもしれない。
だから僕らが思ってるこのiPhoneだとか花瓶とかコップっていうのは僕らがそういうふうに思い込んでるだけで人が見る角度によってとか状況によっては全然違うわけですよ。
だから空なんです。あるけどないっていうことです。
街もフィクション。コンクリートとかでできてるからねっていうことです。
山と川とかも空ですよね。どこからが山なのか。
富士山の裾の見てください。
どこからが富士山なんだってことです。
本州はみんな富士山じゃないか全部つながってるからね。
人間が分かりやすく分類して話すために概念みたいなもので話してる。
iPhone取ってって。
でもiPhoneって言ったって鉄とかいろんなものがくっついてガラスが取れてそれiPhoneみたいな。
難しいですよね。だから便利なんですよ言葉は。
言葉は便利で僕らだから毎日使うわけですけど。
とはいえ言葉のデメリットというか存在しているように錯覚してしまうってことです。
っていうのが空ですね。
なのでこれを考えると無我と空っていうのがセットで学べるかなっていうふうに思います。
要するに僕もあるのは社長としてとか。
この本に書いてる社長とかも代表取締役って書くじゃないですか。
つまりあれはロールなんですよ役割。
本当にそうだなと思った。
会社とかもフィクションですよ。
この会社の新卒であなたが入社しました社長はこの人ですって言ったら
さっきまで知らなかったおじさんとかを社長。
鈴木社長田中社長って言うわけじゃないですか。
なんかあるじゃん。
たまたまバスで席を譲った人が会社の社長で面接で
あの時僕の席譲ってくれたな君はじゃあ合格だみたいな。
特にこのブランディングチームをお任せしたいとかね。
カスタマーサポートをお任せしたいとかあるじゃないですか。
なんかああいうシンデレラストーリーみたいな。
であれで社長だと思ったら清掃のおじさんででも会長って来て
また会長なんでこんなことで掃除してるんですかつって
やっぱりあの人会長だったのかもと言ったらそうじゃなかったみたいな
すっごいずっと裏切りが続く動画ありますよね。
あれすっごい好きなんですけどまあいいや。
知ってる人は知ってるっていう。
ごめんなさい余談だったんですけど。
だから会社もそうなの。
僕も代表取締役ですけど役なんですよ。
役員もそうですよね。
役員って偉いじゃん。
執行役員とかすごそうじゃん。
でもあれも役員ですよ。
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役割を演じるメンバーです。
はいだから偉いとかそうとかなんか社長が存在してるわけじゃないんですよ。
だって僕社長だけどさ一応。
銀行の方にね銀行の担当の方に社長って呼ばれるんですけど
しっくりこないんだよね。
でもじゃあ僕が社長でコンビニに行ったらみんな社長として扱ってくれるのかって
そうじゃないでしょ。
だからインフルエンサーとかユーチューバーもあれも空なんですよ。
知ってる人からしたらインフルエンサーかもしれないし
有名人かもしれないけど知らない人からしたら普通の人ですよ。
で多分そのギャップに苦しんで病んでしまう人とか
お金をたくさん持って勘違いしてしまって
僕もなんかそういう瞬間たくさん持ってるっていうか
あのなんかなんかわかんない。
借金が大丈夫そうって調子に乗った時もあるし
今もその部分もしかしたらあるかもしれないけど
なんかそういう勘違いフィクションを本物だと思ってしまう
だから苦しみが生まれていくっていう
フィクションなんですべて。
ありそうでないんですよね。
でこの本の中で非常に秀逸だった例えがさ
無我っていうか空のところで
なんか居酒屋で空を感じたってのがあったんですよ。
めちゃくちゃ面白いこの居酒屋で空を
居酒屋のブッダと呼んだって書いてるんですけど
これどういうことかというと
なんかさ飲み会の時に8人ぐらいで行くと
4-4のグループに分かれて
どっちの会話にも入れない瞬間ってあるじゃないですか
僕も結構なんかねフリコの
フリランス学校っていうオンラインスクールやってるんですけど
とかLLCとかのなんかたまに飲み会がある
あの悪いとかじゃなくて
気を使ってか僕結構ね
間に入ってでどっちにも入れない瞬間があるんですよ
その時空を感じるって書いてあって
確かにと思った
なんかみんなのフィクションの世界に自分だけ入れてない
でそれは孤立してるんじゃなくて
逆にそのフィクションの世界に
入っていないということによって
全てと繋がっているっていう
なんの話やねんって感じやけど
でもなんか非常にこれはね膝を打ったというか
うんそう
面白いこの本はねぜひね
ちょっとこう最近生きるのしんどいなとか
どうしたら楽に生きられるだろうかな
と思ってた方いたら
読んでいただけると非常にスッキリするっていうか
面白いんじゃないかなと思います
僕もこの後ね密教とかの部分
僕もちょっと勉強不足なところがあるので
密教とかあと診断はね
診断さんはちょっとあのなんだ
丹尼書っていう本の解説を読んでね
あー面白いと思ったんで
そこもちょっと合わせて読むんですけど
いやこの本すごくね
東洋哲学の入門書というか
仏教とかの入門書的に使ってもいいんじゃないかな
なんてことを思いましたので
今日はリンク付けておきますので
気になる方は読んでみてください
自分とかないかということですね
なのでもし今
最近ちょっとしんどいなとか
生きるのきついなと思った方は
自分っていうそのフィクションを
ある意味解体していくと
少し楽になるかもしれません
そんな話でございました
この放送はね
この番組は1年後の自分を楽にする
ラジオですかテーマですから
なのでこの
自分とかないからっていうものを
24:01
インストールしておくと
なんか非常にこう
1年後じゃないけど今からでもそうですけど
楽になるんじゃないかななんてことを思います
というような話でございました
ということで今日も聞いていただいてありがとうございました
この後も心地いい時間をお過ごしください
バイバイ
24:15

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