仕事に対する虚しさ
おはようございます。しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内科の島から毎日有効にお届けしております。
はい、ということで、突然の告白なんですが、最近、なんかすごくね、人生が虚しくなる瞬間が多いんですよ。
なんかこう、これからさ、35でしょ?今年6になるんですけど、俺これ70、80までマジで生きれるのかな?って。まあそれはもちろん、途中でね、死んじゃう可能性ってあると思うんだけど。
で、あと30年、40年、どうやって生きたらいいんだろう?とか、その膨大、まあ贅沢な悩みかもしれないんだけど、その長さに対して、うわー、みたいな。
で、どうやって仕事をしていったらいいんだろうか?とか、まあ、エレレーシャース立ててるから、こういう頑張って返済しないといけないけど、どうやってこれ返済し続けようか?
これからあと10年、9年か残りね。で、割とそういうふうにね、虚しくなるんですよ。で、それを認めたくないし、それを言ってしまうことがやっぱり怖いしね。
で、まあでも正直にこれは話したほうがいいなと思って話すんですけど、なんかこう、前そんな感じだったかな?って結構思うんですよね。
前もこんな感じで生きてたんだっけ?その自分ってどんな感じで生きてたかがちょっと思い出せない。
なんかこう、何か投稿作ること、インスタとか何でもいいけど、これが伸びたら面白い、嬉しいなとか、そういうのはあった気がするんだけど、
なんか最近はね、別に投稿したって伸びないかもしれないし、伸びたからといって別に仲変わるわけじゃないもんな、みたいなことを思うんですよね。
で、なんでこんなにネガティブなんだろうかな?とか、なんでそんなに楽しいって思えなくなってるの?なんでなのかな?って思って、
そう、なんかこう、楽になりたいじゃないですか、やっぱり。しんどいじゃん、ずっとそういう考えるのはね。で、虚しいな、みたいな。
新しい挑戦への恐れ
もちろん周りにいてくれてる人は素敵な人ばかりでさ、恵まれてると思うんですよ。もう本当に恵まれてると思う。
でも、すごい今の努力の10倍、20倍して、よりもっとすごいステージに行こうかって思っても、それに対してあんまりワクワクしないんですよね。
だから、あれ、前はさ、次もっとこんなことができて、こんなことができたら、もっとこうやって面白くなるかもしれないって自然に思えてたのが、
今は全くそれが、なんかこう、新しいことが怖いっていう感覚になってるんですよね。
なんかその、新しいことを何かやらないといけないみたいな。新しいことをやりたいじゃなくて、新しいことをやり続けないといけないみたいな脅迫観念みたいになってるんですよ、自分の中で。
それがまた、あんまりできてないから多分余計そうなんだけど、なんでこういうふうな感情を持つようになったのかなって結構不思議なんですよね。
自分の人生だからあんまりそれは思ったことがなくて、なんかこう、多分昔の自分だったらもっと今のAIとかバイブコーディングも含めて、
面白そうだなって思って、今の仕事そっちのけで多分やってたと思うんですよ。
じゃあ今の仕事って言った時に、じゃあ俺何してんのかなって思った時に、ポッドキャスト撮って、あと何だろう、筋トレして、草刈りつったってそんなめっちゃできてるわけでもないし、
地域のこともそんなめっちゃ毎日あるわけでもないし、多分寝てんだよね。寝てんのかな?
多分なんかダラダラしてるんでしょうね。
で、なんでこんなに自分のやってることすら今自分が楽しくないっていうか楽しめない体質になっているのかなって結構思うんですけど、
で、もしかしたらと思ってね、こういうのって大切じゃん。こういうのはあんま隠してもいいんだよ。
哲学と自己理解
いや全然楽しいですみたいな、めっちゃ楽しいよ今みたいな隠してもいいんだけど、隠すメリットもないし、
これ正直に話したからといって別に、こういうのも多分大事だと思うんですよ。
みんなこう作ることが楽しい楽しいって言う人の方が多分タイムラインとかSNSには多いわけじゃん。作るのが楽しいみたいなね。
それそれ別に良くて、だけど多分目の前何か楽しめることがなくて、そういう自分がダメだなって思ったりとか、
あーなんでそういう自分なんだろうかなって結構苦しんでる人もね、僕は多分いると思うんですよ。
で、そういうことを考えると、じゃあそういう人ももちろん自分も含めてだけど、何かこう楽しい、作るの楽しい、何か何か作ろうってワクワクできてる状態常に、
その状態にどうやったら持っていけるのかってことにすごく今興味があるんですよね。
だからどういう角度の話やねんって感じですけど、すごく僕は大事だと思ってて、
やっぱり健康的にね、メンタルも含めて健康的に生きることは大事で、それはみんなもう重要視してるのはわかるじゃん。
でもやっぱりどうしてもさ、いろんな家族のこととか、若い親のこととかさ、仕事のこととか、あと自分自身のこととか、いろんなものが重なって、どうにもこうにも今ちょっときついんですっていう人もやっぱりいると思うんだよね。
で、そうした瞬間にやっぱりこう何か新しいものを生み出していくとか、何か新しいテクノロジー使って楽しいって思えない、どうやったら思えるんだろうかっていう絶望を抱えてる人もいると思うんですよ。
何か作り始めてうまくできないっていう絶望もあれば、いやちょっと待って、作りたいものがないんですけどっていう絶望とかもあると思うし、
作る、何か生み出すってことに全然ワクワクしない、むしろ嫌だと思ってしまう。新しいことを学ぶっていうのがむしろ怖いと思ってしまう状況とかタイミングとか、そういう人もいると思うんですよね。
で、僕がまさに、あれ前もっと何かこんなのが出たら使ってみてとか、こんなのできたら面白いかもしれないとか、それこそ新しいiPhoneとか新しいMacBookとかこれできるかもしれないとか、結構僕は割とワクワクしてた方なんですよ勝手に。
なんだけど別に何か新しいMacBookも別にって感じだし、iPhoneなんか出るらしいけど別にって感じなんだよね。あれ何か似たようなものしか出ないかっていうのもあると思うし、実質今不要だっていうのもあるかもしれないんだけど、前の自分だったらそれよりかもうちょっと多分積極的に何か情報を取ってたり楽しめた気がするんですよね。
で、じゃあどうしたらいいのかってことなんだけど、分かんない。これも一つ老化なのかもしれない。老化っていうか生きていくことなのかもしれないねこれがね。要するに多分分かんないけど、70、80でもなってもめっちゃ元気で楽しめる人もいれば、やっぱ60、70、80なってしんどいなっていう人も多分いると思うんだよ。
今日もなんとか生きてしまったみたいなね。そういう人もいると思っていて。どうこれを受け入れていくか、またはそれをどう改善っていうか変えていくかっていうことを考えることが大事だと思うんですよね。
スピノザー哲学を本を読んだりAIと壁打ちしててさ、出てくるのが運命なんですよ。全部決まってるんですね。決まってるっていうか、スピノザーってそういうこと言うんですよ。決定論みたいな話。でもそうじゃないんですよ。
じゃあ決まってるんだったら何の努力もいらないじゃんとかって思うんだけど、決まっているからこそ努力をするべきなんだってスピノザー言うんですよね。それが自分の中で妙に目を出し始めてて、思想みたいなものが。
仏教でも如実知見っていう。明らかに見る。昔の自分だったら今の自分に対して、いやそんなことない。お前は本当は何か楽しみなはずだとか、お前は本当は何かやりたくてたまらないはずだみたいな。一時的なものなんだみたいな感じで、別に関係なく今日もボイシー取って作っていきましょうよみたいなことを言ってる可能性はある。
でも多分そうじゃないんだと思う。正しいアプローチは。とはいえ今の状況ダメだから発信やめますってわけでもないんだよね。そうじゃないんだよね。如実知見、正しくちゃんとその状況を見る。
もうなんら自分の先入観なしに正しく見るってことが大事で、それをまずはすると。そうしたときにスピノザー哲学に戻るんですけど、いわゆる必然性みたいなのは必ずあるわけですよね。
例えばそうだな、めっちゃ喉乾いて運動して後ですっごいカラカラに乾いてるときに、いつもはコーラ飲まないって言ってる人も、もうそこにあるものが残りの飲み物がコーラだけですって言ったら多分コーラ飲んじゃうと思うんだよ。もちろん飲まない人もいると思う。でも水もないんです。コーラだけですって言ったら飲むよね。
それはもう逃れられないじゃん。ちょっと説明が正しくないかもしれないけど、それを必然性みたいなものだとしたときに、今これだけいろんなコンテンツがあったりとかたくさん出てて、僕も見切れないぐらいありますよ。
仕事とネガティブな感情
日々情報が早いと。僕も年をある程度取ったと。いろんな発信者を見てきたし、自分自身もまだまだやるべきことはあるんだけど、そういうのも見てきたと。慣れたっていうのはあるかもしれないね、この暮らしに。
それは1年目のときよりも、やっぱり刺激は少ないはずなんだと思うんですよ。わかんない。自分の需要帯みたいなのが落ちてる可能性もあるけど。そうしたときに、そうなる原因が必ずあって、その原因から必ず結果っていうのが生まれる。
結果には原因があるよね。ひまわりの種を植えたら、ひまわりの花が咲くみたいな感じで。そういう意味で言うと、今こうなったら多分必然的な何かだと思うんですよね。だからこそ、その必然性を受け入れつつ、じゃあどうしたらいいのかっていう。
それを考える必要があると。何か楽しく作れるような、わかんない。もしかしたら体質じゃないのかもしれない。わかんない。真実はわかんないけど。いろいろあるじゃん。アウトプット型の体質じゃないとかね。外向的じゃないかもしれないか、内向的じゃないかもしれない。それぞれ人にはコナテスっていう自分の性質があるんだから、これスピノゾーが言ってることですけど。
それはそれとして受け入れる以外に何もないわけですよ。変えられないわけですよね。要するに腕を3本にしたいって無理なわけじゃないですか。腕は2本しかないの。足も2本しかないから、それで歩いたり走ったりするしかないと。
これの中で、どう制限の中でやっていくかだと思うんですよ。それは多分、このメンタル的な部分もそうだと思うんですよ。自分は今、お盆期間でね、ショート動画見すぎてドーパミン中毒みたいになってたのもあると思う。
ちょっとそれを勉強しようと思って、あれ子さんが借りてた中野信子さんの脳内麻薬っていうね、人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体。これは自分に必要そうな本だなと思って島の図書館で借りてきました。
これも見つつ自分の生活を改善するのもそうなんだけど、改善して、例えば今多分コンテンツ消費をしまくってて、それで自分が作る側に対して多分、もしかしたら相対的にドーパミンを感じにくくなってる、楽しさを感じなくなってるのかもしれない。
そしたらさ、わかりやすいじゃん。そこには必然性があるよね。要するに短絡的な快楽を求めすぎると、それは本当に自分が求めてる快楽ではないんだけどね。パッシブな快楽なんだけど、求めすぎると自分が何かやりたいっていう児童的な快楽みたいなもの、楽しみみたいなものが難しくなるっていう。
そこには原因と結果みたいなのを導き出せるじゃないですか。これわかんない。僕は適当に言ってるけど、でも多分そうだと思うんですよね。てことは、僕みたいに、短期的にじゃあ今なんか楽しくないなどうしようかな、あれ前どうだったかなっていう人とか、いろいろみんなのタイムライン見ながらなんでこんなにみんな楽しそうに作れてるのかなって思って、
自分がそうじゃないから絶望してるような人がどういうふうにしたらいいかっていうと、多分それは普段からもしかしたらコンテンツ消費型すぎるのかもしれないですよね、脳が。消費脳すぎるのかもしれない。だから消費に慣れすぎて消費が楽しくなってしまってる。だから何か生み出そうと思ったときにそれが難しいと。
じゃあ何か生み出すのが楽しくなる。生産脳として楽しさを持つにはどうしたらいいかってことなんですね。これも原因と結果があるわけだから、そういう脳の回路を増やしていくしかないってことです。脳の過疎性っていうのはありますよね。ニューロンとかシナプスとかそういう仕組みで言うと脳内神経のネットワークは過疎性というものがあって、急には簡単に神経細胞って繋がらないわけですよ。シナプス同士がね。
何回も何回もそのことをやる。反復的に。運動とかそうじゃん。最初は難しかった。例えば腕立て伏せとか懸垂とかもだんだん回数こなしてその筋肉が増えていったりすることによって、その運動を支えるように神経ネットワークが増強されるわけですよね。それでだからボールがうまく蹴れたり投げれたりするようになると。
ってことは野球もそれは1日目で楽しめない。なぜならば野球をするような神経ネットワークができてないから。でも野球をコツコツコツコツやっていくことによって、ボールが投げれて楽しい。ヒットが打てたら楽しいっていうふうになっていくということがわかるような気がするんですよね。
なので僕はしっかりとこれからショート動画を見すぎてダラダラするという時間を削減して参りたいと思います。結論が安い。軽い結論でございます。
脳の改善と楽しさの探求
でもこれ大事だと。これは本当に大事な実験をしてるんですよ。僕は今。生き早が何と言おうが、僕は今こうやってコンテンツを作るのが楽しくないと言っている自分がそこにはあるんだから。
自分の必然性を受け入れて、それを受け入れながらどうやっていくか。まさにスピノザ哲学の実践でございますよ。素晴らしいじゃないですか。
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みんな人生に絶望してるんじゃないの?これ聞いてみて。こんなバカが島に住んでるよ。それでよろしいんじゃないでしょうか。
ということでこの後も心地いい時間を過ごしてください。バイバイ。