1. 小松正史『耳の保養』
  2. 【小松の生態】止まると死ぬ!..
2025-12-15 13:16

【小松の生態】止まると死ぬ!?「循環」し続ける小松の回遊魚的ライフ

休息よりも「動き」が癒やし。常に環境や思考を流動させることで保たれるメンタルと、止まらない人生の楽しみ方を語ります。

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サマリー

小松は「循環」の重要性を語り、身体と心理の両面から常に動き続けることが生きるために必要だと強調しています。特に水分補給とその循環が健康に与える影響を探り、マグロのように止まることが生死に関わることを例に挙げています。このエピソードでは、小松の生態や彼の独特なライフスタイルについて語られ、特に「循環」の重要性が強調されています。小松は自らの特性を整理しながら、周囲の影響を受けずに自由な発想を持つことを目指しています。

循環することの重要性
はい、おはようございます。小松でございます。
周りに音があまり聞こえてこない。これね、路上配信じゃないんですね。
お家で配信なんですけどね。収録してますけど。
外寒くなってきたし、ちょっとね、あまりにも外でやってると、最近年末じゃないですか。
だからすごく人の通りが多いし、車も多いので、
かなり小松の声を聞くだけでも大変なんじゃないかなっていうことで。
でもこのコンデンサーマイクにすると、結構イヤホン、ヘッドホンつけながら、
モニターしながら喋ってますけど、なんかラジオ番組撮ってる感じなんだよね。
だから耳ざとい、あなたは普段の路上配信とちょっと違って、
距離感があるなみたいなふうに思われるかもしれないです。
まさにそうなんですよ。距離感があるんですよね。
と言いながら家の中なので、周りの音があまりない状態で、
スタジオまでのクオリティの高い音ではないですけど、
落ち着いて内静しながら喋れるっていうのは、お家の特徴なんじゃないかなっていうふうに思っています。
水分補給と身体の維持
今日はですね、止まると死ぬみたいな話をちょっとしたいなと思うんですけれども、
常にね、循環こそ全てっていうことが、僕結構ね、生きてて思うことなんですね。
循環って何かというと、身体とね、あとは心理的な2つの面がどうしてもあるので、
まず身体から言うとですね、やっぱり滞るとか停滞っていうのは何かというと、
死と近いんじゃないかなと思うんですね。
何か血液が回ってる、汗が出る、そして呼吸をするっていう、
常にね、いろんな外気と内気、循環をしているっていうことによって、
人のね、健康とか生命の維持ですよね。
そういうのができるわけで、僕も本当にね、それはもうつくづく感じていますね。
なのでね、僕は循環をまず感じるのは、水分をたくさん飲むんですよね。
普段ね、ガガガって一瞬で飲むんじゃなくて、チビチビチビチビ、チビチビ飲んじゃうっていうね、
なんかもうずっと酒飲んでる親父みたいな感じでね、水とかお茶とか飲んでるんですけど、
それがね、やっぱどうしてもね、必要なわけなんですよね。
だからサーモスの水筒は欠かすことできないんだけど、これ何かというとですね、
チビチビ飲むことによって、やっぱこの体の循環が良いっていうのを僕は肌で感じるんですよね。
なんか水分が飲めなかったら、飲まない時もあるんだけど、やっぱちょっとね、嗜好する場合でも止まったりとかするし、
喋りなんかはね、呼吸、今なんかこう水飲みながら喋ってるわけじゃないから、
呼吸とか声を出すっていうのはね、自分の声、息を通して声を出していくわけですね。
そして常にね、呼吸するわけですよね。
そういう感じで喋ってる時は水はいらないっていう話なんだけど、
それによってやっぱりね、ずっとね、身心がね、身体が循環するっていうのをすごく感じるんですよね。
で、水がない時とかそういう時ってやっぱり調子が悪かったり、滞ってるとかね、停滞するっていうのがあると思います。
でね、やっぱ水飲んでると、排泄も多いんですよね。
お手洗いは割と、特にね、午前中は結構いきますね。
頻繁にっていうわけじゃないんですけど、かなり頻度はやや多めな感じがするんですね。
それによってですね、さっき飲んだものがうまくね、循環しているっていうことがあって、
なんだかその循環が気持ちよいというか、ゾーンに入る感じなんだよね。
あまり飲みすぎて出しすぎるとね、水毒があるので、水って飲みすぎると良くないんですよね。
たくさん飲まないと良くないんですけどね、1日若い人だったら2リットルとかね。
僕は多分2リットル近く飲んでるとは思いますけれども、そういう水毒の心配はありますけど、
限度ですね、限度。あまり飲みすぎることなくビチビチずっと飲んでいくとですね、
やっぱり循環が行って、結局頭がよく働くとか、心身が健康というか、ちょっと重い日なんかもあるじゃないですか、頭とか体がね。
それが、そういう循環をしていると、そのうちそういうものが消えていくっていうのがあって、
そういう知恵ね、今まで生きてきた中の知恵があるので、そういうふうにしていると思うんですけども、
それによって何かを生み出したりする、音楽を作る、そして文章を考える、そして概念を構築するとかね、
そういうのも全て循環の賜物だなというふうに思っています。
これってマグロと一緒かなっていうね、海遊魚っているじゃないですか、マグロとかカツオ。
これはですね、泳ぎ続けないとエラ呼吸ができずに、酸素を取り込めなくって死んでしまうんですよね。
僕もそれだなというふうに思っていますね。つまり、静止するっていうことはですね、淀みとか腐敗とか邪気が蓄積するとかね、
思考の悩みみたいな、停滞するっていうのがあると思うんですね。
その反面、僕は多動的な人間なんですけど、それによって新鮮な酸素とかそういうものね、空気が入ってきますし、新しいアイデアがするし、
結果それが邪気の排出になるなというふうに思っているので、僕にとってはそれはすごく真実というか、本能的に求めるところなんですね。
なので、自分にとってね、じっとしていることっていうのはね、ちょっと休息じゃなくってね、酸欠とか窒息とかね、
そういうことを意味するんじゃないかなというふうに思っています。
なので、あちこちに動き回ったりとか、こうして喋ったりとか、お茶をごくごく飲んだりとか、
そういうことの一見、周りから見たらなんだかまず多動やなという落ち着きのない動きこそっていうのが、
結果的に巨大なエネルギーを生み出すためのポンプ運動みたいなもんですよね。
そういうところがあると思いますね。
専門性の探求と多動
そしてね、今の話は身体的な話なんだけども、このメンタルの話なんですね。
どんどんどんどん僕ね、同時にいろんなことをやっちゃうっていう方で、その結果、よしよしもありますよ。
僕はっきり言ってね、超専門家にはなれないですね。
専門家で深掘るっていうのはある程度までするけれども、飽きてきて別のことをしたくなるんですよ。
それによってですね、いろんな雑学だけは増えるっていう人間なんですけどね。
雑学といってもね、僕の不得意とするところの分野たくさんありましょう。
政治とか歴史とかね、そのあたりはちょっとね、うといですしね、あまり詳しくなかったりね。
ちょっとアメリカとかそのあたりは、経済的なところはわりと興味深いところがあるんですけども、そういう偏りはあるけれども、雑学を結構やっちゃってるというところがありますね。
僕もこの一つの音の分野をやってると言ってもね、なんかね、分散してるんですよね。
音楽は作る、そして演奏もする、そして研究もするとかね、そういうのがあったり。
心理学もね、楽しいし勉強するとかね、いろいろ実験もしたりするみたいな、そういうとこありますけど。
今までね、僕は3つの学部、4つの学部ぐらい、学生時代に渡り歩いてきたんですよね。
農学部とか農業経済、農業社会学、農村社会。
で、あと芸術方面ではこうね、民族音楽学とかね、音響心理学とか、今度博士では環境心理学とかやったりとかね。
そんな風な感じでね、もう本当に3つも4つも5つも音を軸にコアな部分はあるけれども、
分野的にはすごくね、いろいろ回ってしまってるっていうところもあるように、やっぱり多動なんですよね。
それによって一つずつの飽きが来ないっていうか、飽きるから別のところに行くっていうのもあるけれども、
常に新しいものをどんどん手をね、加えていくっていうことがあって。
しかしながらですね、やっぱり専門家なので、一つずつの新しいところがあったとしたら、
そこの引っかかりにフックがあったところにグッとね、くさびを打ち込んで、それでここから面白いなっていうところに一気に深掘りしますね。
グワッとね、短時間で。そういう風にやってきましたので。
それで、なんかね、周りから見ると、なんか専門性があまり散らまってて、なんだこまつとかね、どういう風なことを、
この一つのところの、いったんの今どうなってるんだとか、よくね、そういうお叱りを受けたりすることありますけど、
小松のライフスタイルについて
でも、それは別にこだわらなくていいんじゃないですか、それ。別に。しなくてもいいというか、自分がしたいことだけしたらいいんだからね。
そういう風なところで、やっぱね、自分のBが一番大事で、後はもう本当に、もうあれはどうなの、こうなの、知らない、そんなの知らない、一切っていう。
そういう何かね、書くことよりもね、好き嫌いのね、エッチ立たないとやっていけないんじゃないですかね、というね。
結果何を言いたいかというとですね、こまつはアホなんですよね。知能が低いっていうアホとかあるけれど、僕はですね、余計な思考、邪推とか不安とかね、プライドとかね、そういう抵抗値がゼロの状態なのかなっていう風にね、思いますね。
これも皆さんがそうなりたいっていうふうに本来は思ってても、そのマインドブロックでそうならないっていう、なれないっていうね、ジレンマを僕すごく皆さんから、皆さんというかいろんな人と話しててね、感じるんですよね。
これを自分がやったらどう思われるんだろうかとか、失敗したら恥ずかしいなみたいなね、そういう電気抵抗が大きくって、エネルギーがですね、何かこうストレスに変わっちゃうっていう、そういうね、ジレンマがあるんじゃないかなと思うんですね。
そう、それ、他人塾で生きてるっていうね、ところなんですよね。で、僕が、それが、まあ、抵抗値ゼロのアホなんですよね。面白いとか言っちゃえとかやってみようだけでやってるというね、エネルギーがそのまま光や運動に変換されがちなところがあって、これはメンタル的にやれてるところなのかなっていうふうに思うんですね。
手離れがいいってよく言われますね、僕の仕事で。手離れがいい。まあ、よく言えば手離れがいい。悪く言えば飽きそうで早く捨てるっていうことなんだけど。いやあ、本当にね、そこが大事なのかなっていうふうに思ったりしますね。
で、循環の成れの果てはね、僕やっぱね、Appleの、スティーブ・ジョブズのね、考えと僕はすごくめちゃくちゃ共鳴してるんですけどね。これ、ステイハングリー、ステイフリッシュっていうふうな言い方してますよね。ハングリーであれ、そして愚かであれっていうね、そういうところが、やっぱり僕の中ではすごくあるんじゃないかなっていうね。
これ2つの話って、一見簡単そうで見えて、やっぱり簡単じゃないんですよね。ハングリーであり続けることっていうのは、今満たされてる時代じゃないですか。とりあえずね、よほどじゃない限り、飢餓って日本ではないですしね。
まあ、ありますけど、それは、いろんな状況でね、そういう方はいらっしゃるけれども、まあ普通に、普通という言い方はあまり良くないけれども、透明、今日明日で飢餓になることないじゃないですかね。で、それで、そのハングリーっていうのはなかなか厳しいし、今だっていろんな情報たくさんあるわけですから、なんかもう普通にしてると情報入ってくる時代だから、
ハングリー、その一見透明ハングリーじゃない感じがするじゃないですか。本当はそれが、なんていうか、空虚なもんだと思うんだけど。そういうハングリーなものっていうことと、あとね、愚かであれっていうのもやっぱり人ってプライドがあるからね。
それ、字でやれる人って少ないんじゃないですかね。僕はもう全然わからない単語とかがあったら、教授会でこれなんすかね?とか聞きますしね。自分が喋ってるのに、え?って、こいつバカじゃね?みたいな。そう、バカなんですよ。本当にバカで。それをひけらかすというよりも、そこで素直に聞いたらいいんじゃないですかね。っていう風にしていくという。
で、常識にとらわれずにですね、本当にもういろんなことをやっちゃってるという。それはもう犯罪とかね、人にご迷惑をおかけするっていうところじゃないですよ。そういうところの行動じゃ絶対ないんですけど。自分なりにね、常識にとらわれない新しい発想をしていくっていうね。だから音声配信もやってるんだと思うんですけども。
まあそういうことをね、やり続けることによって、それをやりたいからっていうよりも、循環してると人生そうなってしまったっていうね、結果論なんですけどね。まあそういうところで、別にそれで皆さんにしてほしいっていうことは一切ないんです。自分の特性をただ整理してるだけの話なんで。
自由な発想の重要性
まあそういうところによって何かね、なかなか閉塞感を感じる時代の中で、人それぞれ必死で頑張って生きてらっしゃるわけですから。まあどうしていくかっていうのはね、自分の頭で考えてっていう感じよね。はい、ということで、せちがらい感じで今日も終わりましょうか。
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