1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 過去のことは忘れて。
2025-06-23 25:25

過去のことは忘れて。

AIの衝撃が、今までの自分の方法論を撃破してしまって、マジで人生再構築って、なってます😀

サマリー

このエピソードでは、ポッドキャストホストの金田イクコが過去の思考や感情の変化について話します。AIの進化が自己表現の場を奪う中で、世の中の変化とそれに対する失望感が表現されています。過去の経験や知識が通用しなくなる時代が訪れ、新しいスキルや方法を見出すことが求められています。また、自分自身や生活に新たな可能性を見出し、楽しい生活を送ることの重要性が伝えられています。

ポッドキャストの導入
IKUKO Labo ワンダーランド。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
6月23日月曜日の午後1時36分に録音をしております。
3週間ぶりの配信になるんですね。
かなり間が空いてしまったんですが、何回も録音はしたんですけど、ちょっとまとまらなくて話が。
それで没にして、結果3週間空いてしまったということなんですが、
今までこのポッドキャストでずっといろいろ言ってきた私の考え。
こんな風になってほしいとか、こういうことだと思うんだよね、みたいな。
そういう考えがある時から私の中で消滅し始めてしまって、
全てどうでもいいことだったなって思いになっちゃったから、
要するに私、今話すことがないわけなんですよ。
本当に。
主張する内容がなくなってしまって、全てどうでもいいって。
何がどうでもいいかっていうと、起業塾とかっていうのはやってるわけですけど、
起業するもしないもん、その人の自由。
起業したら幸せ、成功したら幸せっていうことと全然関係ないし、
幸せがいいかどうかもわかんないじゃん。
すごい辛い、すごく辛くて苦しいけど、
頑張ったそのやりがい感がたまらないとか、
人の幸せってその人その人だから、
もう好きにしたらいいじゃないって。
私、逆にかつての自分が何でそんなに女性の起業っていうことを興味があったのか、
これが全く思い出せないみたいな。
もうかなり記憶喪失なぐらいな感じになっていて、
それにとどまらず他のいろんなことについて、
何でそんなつまんないことをこだわっていたかな自分みたいに思うことが増えてしまって、
じゃあ何して私暮らしてたのかなって言ったら、
今6月ですよね。
覚えているのはとにかく5月というかゴルデンウィーク中に、
AIを使って衝撃を受けてしまって、
ずっと私が頑張ってきた、
勉強してやり方を知って、
粛々と作業をして、
そして結果を出していく。
っていうこの作業の部分っていうのが、
全然自動化できるじゃんってなったら、
めっちゃつまらなくなってしまって、
そんなん自動でできるんだったら私がやるまでもないやみたいに。
いやでも本当に自動でしてくれるわけじゃないので、
作業が効率化できただけだから、
やらなきゃ結果は出ないんでしょうけど、
なんか昔みたいにワクワクした。
だから昔といえばどこまで遡るかな。
例えばホームページの作り方っていうのを初めてわかったときに、
うわーって思ったんですよ。
私でもこうやってコツコツと上から順番にタグってやつをね、
HTMLのタグを書くだけで、
ポンとページが作れたときに、
いやすごいと思って、
それでハマって、
それから知識を蓄えて、
より簡単にホームページを作るには、
ワードクレスのようなシステムをポンとインストールして、
そこに記事だけ書いていくっていうのが楽だよねってなって、
そういうシステムの使い方の勉強会をしたりとかっていって、
とにかく今までになかった新しいツールを知って、
それを使うことによって、
自分の表現の幅が広がる、幅っていうか量とか質とかが、
広がっていくっていうことがずっと連続して起きてきた、
この20年、25年ぐらいだったかなと思うんですね。
もう60歳過ぎてからは、
さすがにそういうウェブサイトとかそういう面では、
もう広がり尽くしたというか終わったんですけど、
その代わりとして今度YouTubeとかっていうのが出てきて、
じゃあ動画始めてみようかって言って、
YouTubeの配信を始めたりとかって、
本当に退屈する暇もなく、
次々と出てくる新しいことを学んで、
自分の新しい領域で表現できるみたいな、
活動できる場所が広がっていって、
楽しいな、楽しいなっていう感じの25年だったんですが、
それが今回のAIは、
私が楽しく活動できる場所を奪われるっていう構造ですね。
あまりの能力の高さで広がるんじゃなくて、
本来私がやるべきだったところをごっそり持っていっちゃうっていう。
ところで、
表現するっていうか、
ホームページを作ったり、ブログを書いたり、
YouTubeをやったりして、
そういうことができる、
優位性みたいなものが、
意味がなくなる感じがしましたね。
実際問題は私はがっかりしているって言ったほうがいいかもしれない。
えーって、せっかくこんなに頑張っていろいろ、
あれもこれも試して、できるようになってきて、
実際に、
頑張っていろいろ、あれもこれも試して、
できるようになってきたのに、
えー自動でできちゃうの?っていうこのがっかり感ですよ。
もうなんか、ちょっとAI使ったら、
サクッとできるって分かっているものを、
いちいち自分で書いたり作ったりしないですよね。
そりゃ今ね、2025年の時点では、
AIで生成した動画とかってまだまだだし、
思うようなものを生成させるために、
手間がかかるんで、自分で作ったほうが早くね、みたいな感じですけど、
もう時間の問題なんで、
これ以上そこに労力を突っ込むのもバカバカしい。
じゃあどうするって、
いうところに私は来てて、
35歳でインターネットを知って以来、
以来ぶりの、
この、
えっと、
面白い、何でも自由にできるっていう、
そういうものの消滅したみたいな感じ。
見失ったみたいな。
未来への不安
そんなところにいるのかなっていう気はしております。
まあとはいえこうして、
ポッドキャストもあってね、
書こうと思えばブログだって何だって書けるんですけど、
まあどうせそんなこと書いたって誰も読まないよねっていう世界、
特にブログなんて、もはや意味がない。
よっぽど何かしらの、
例えば日本全国からして、
私のところにしかない貴重な情報を私が持っているとかね、
そういうことだったら別ですけど、
まあ当たり障りのない私がね、
無名なこのカナダ一湖とかいう人が何を感じようと、
あんまり世の中に何の意味も持たないじゃないですか。
だったらそんなブログどうして書くって感じですよね。
ああでもそうして考えると、
今までの、
何年?35?
まあ35から自由にやってたわけじゃないんで、
でもまあ40年近くか、
このインターネットというところで、
やりたい放題、
できることは全部やり切って、
今にあるわけなんで、
よくも30年も無料で遊ばせてもらったもんだと思いますよね。
ほぼほぼ課金もせずに、
いろんな活動できてきたのは、
恵まれていたのかな、ラッキーだったと思った方がいいのかな。
なんか私の中では本当にインターネットの終焉ぐらいの感じになってますけど、
私の中でインターネットというのは、
自己表現の遊び、プレイグラウンドが増えていくみたいな感じだったんで、
最初はホームページとして何かを発信する。
で、ミクシーができたり、
ミクシーがすたる頃にはブログが流行り始めたので、
ブログにいろんな話を書いたりして、
で、SEOだなんだって言って、
それが効かなくなってくる頃にはSNSができてきて、
Facebookだとかインスタだとか言って、
YouTubeだとか言って、
いろいろなことを試して、
試し試しして、
その時その時で楽しんでやってきたわけですけれど、
ここに来て、
新しいツールが出てきたから、
新しいツールが出てきたから、面白くて使って夢中になるっていうことの、
その意味がちょっと変わってくるよって、
何しろ自分より上手に何でも作れるAIがいるよっていう状態になって、
今過渡期だと思うんですよ、本当に。
もう少し、
5年ぐらい経つと、
ものすごく進化したやつがいて、
本当に寄り添って、私の身になって、
いろんなことを提案したりしてくれる、
そういうロボット的なものが出てきたらまた話が別ですけど、
今みたいな別に寄り添ってくれるわけでもなく、
話し相手にはなってくれるかもしれないけど、
この微妙な感じのAIが出てきてて、
使いこなせば何でもできるって言うけど、
作ったものってみんなと一緒じゃんみたいな感じ。
じゃあ他の人と違うけど、
理解される何かをしなきゃいけないってどういうことって思いますね。
もう冗談じゃないよと思いますね、私は。
そういうふうに世の中に合わせて自分がコンテンツを作っていくっていうことに、
ちょっと飽き飽きするというかうんざりしますね。
ですので、今も、でもね、
インターネットの中のいろんな流行りしたりを見てきたじゃないですか、
特にやっぱり大きかったのは、
以前のツイッターが流行った時、あれ爆発的に流行ったので、
各地でオフ会とかツイッターオフ会とかそういうのが開かれて、
企業の中の人とかももてはやされて、
本当に一世を風靡するっていう時代があったんですけど、
あったんですけど、その時は、
ウェブのコンサルとかをやってる人はこぞって、
これからはXっていうかツイッターだって言ってたし、
インスタが来た時はこれからはインスタだって言ってたし、
今はYouTubeだって言ってますけど、
この次のAIが来たこれからはAIだって、
確かにそういう風に言ってる人はいるっていうか、
YouTubeとか見るとそういう風にね、
AIを使うとこんなに簡単にブログが作れるとか言っていますけど、
でもさすがに、いやいやいや、
それやったらもう全員が同じことをするから、
ダメでしょっていうか、
すでにAIで大量に生成したブログってものに意味がなくなるわけですよ、これから。
なぜかというと、
AIが全部そういう情報を拾ってザクッとまとめて、
まとめた答えを検索した人に返しちゃうから、
その元記事を書いた人のところまで読みに来ないですね、人がね。
そうすると広告収入も入らないし、
そもそもなんでそんなにAI使ってブログ記事を大量生成する必要があるの?
っていう風に変わっていっちゃうんですよね。
さすがに今回はコンサルの人もそれが分かっていて、
素晴らしいことは素晴らしいんだけれど、
今までみたいに物手を挙げてこれ、これだ、次はこれだ、
これが流行るぞ、ウェーイみたいな、
そういうテンションじゃないような気がする。
今までとは明らかに違うような気がする。
自分たち仕事全部奪われるって、
今までこうすれば成功できるよって言ってた方法論が、
全部消滅するっていうことに、
ある程度薄々というか、みんな気づいてるんじゃないかと思いますよ。
評論家的な人はね、AIすごいって言ってそれでいいんですけど、
過去の価値の消失
コンサル、このやり方を教えてあなたはうまくいきますよってやってた人は、
仕事を消滅って言ったらいいか、なんて言ったらいいか、
少なくとも今までに言ってきたことは消滅するって感じになってるので、
物手を挙げてみんなハッピーじゃないような気がしますね。
で、他の人がどうであれ、私自身は、
もうこれで終わったと。
自分で努力でなんとかなるっていう、
そういう時代は終わったと。
はっきり言ってそう思います。
ここから先どうやったらっていうのはもう知らないっていう感じ。
明らかなのは、
世の中に出回っている情報を再編集、
編集して、こうですよみたいな話はもう一切通用しなくなるから、
もっとフィジカルというか、
体を使うこと、
人に会うこととか、会って実際に喋ることとか、
あと今も喋っているこの自動生成の音声じゃない語りとか、
もちろん顔出しして喋るYouTubeも含めますけど、
AIの読み上げじゃない人間の声みたいなものの価値は残っていくと思うんですよ。
やっぱり声ってすごく重要で、
色んな情報を含んでいるし、
そこに顔が出ているとさらに情報量が増えて、
それ自体がコンテンツとしての価値を持つと思うんですよ。
だってもう今すでに、
AI読み上げの自動生成の音声ってとても聞きにくくないですか。
で、抑揚がついて、
情報が知りたくてだったらいいけど、
2倍速でバーッと再生して、
でもそれだったらちょっと要点まとめて教えてって言ったら
ポンと来るみたいな世界になった時に、
結局のところ人の声が聞きたいみたいな、
人の声が聞きたいみたいな、
人の声が聞きたいみたいな、
人の声が聞きたいみたいな、
結局のところ人の声が聞きたいみたいな、
本物の人間の声が聞きたいみたいな、
本物の人間が喋っているところを見ていたい、
みたいな感じのものは残っていくと思います。
なので、
芸人さんとかね、
そういうのは残り、当然残るでしょう。
あんなのがAIがやっているお笑い見たって、
違うでしょっていう感じでしょう。
やっぱりライブとかが音楽とかも含めて、
残っていくというか、
貴重になっていくんじゃないかなというふうに思いますけど、
まあとにかく、
少なくとも今までの方法論で、
そのまま通用するってことはなくなったなって、
今年の5月のゴールデンウィークの前後で、
私がなんか、
うわ、やば、負けたみたいに思って、
これはまずい、これはやばいと。
で、これ以上のものを私は作れないとかってなって、
で、ギブアップしたって感じですね。
ギブアップするのにやっぱりちょっと時間が私もかかったんだと思うんですよ。
負けを認めて、
で、今までにやってきたこととかの価値も、
全部ゼロになるっていうことをもう受け入れて、
たとえいろんな経験をしてきたって言うけど、
それがこれからの人たちに再現性があるかどうかは分からないし、
少なくとも方法論的には成立しないような気がするっていう。
時代が違いすぎて、
ツールが違いすぎて、
なので、
私自身もこれからこういう、今までの過去の経験をから導いた方法論で、
それを提供してこれから生きていこうとか思ってた奴は、
ああ、もう無理なんだなって気付いたというか、
ある時、完全に陳腐化して古すぎて使えないっていう情報になっちゃうっていうことが起きるんだなって思って、
それに関してはもう諦めた方が早いなって、
ノスタルジーとしてね、昔はこうだったんだよみたいな話としては面白いかもしれないけど、
で?って感じですよね。
スピード感的にも方法論的にも全く変わっていくので、
もうそんな過去のことをごちゃごちゃ言ってるのはやめて、
今できることとこれから出会っていくことに希望を持って、
自分が楽しくなるように軽やかに楽しく生活していくっていう方向に前振りしようという風に、
ようやく気持ちが切り替えられたっていうのが今日の状況かな。
新しい時代へのシフト
やっぱり今までの古いもの引きずったまま、その延長線上で新しい自分を生きていこうっていうのは無理があるんですね。
むしろその過去のいろんな経験が邪魔になるぐらいの感じなんで、
今までのことはちょっと一旦チャラにして、
まあいずれ役立つ時が来たらまた引っ張り出すかもしれないけど、
とりあえずお蔵入りとして、今できることが私の今できることっていう、
そういう状態で新しくこれからの新しく始まる世の中っていうのを見た時に、
別に企業の仕方なんかを手取り足取りを教えるなんていうよりも、もっと面白いことがあるよねって。
だってこれから本当に社会が変わっていく時代が来る時に、
変えれるかもしれないチャンスがほんのちょっとでもあるんだったら、
やっぱりそこに自分をベッドして、自分の限られた時間と気力とエネルギーを掛け金を張って、
そこに突っ込んでいくっていう方が楽しいなっていう風に、
自分の中のこれからの方針みたいなものを大きく書き換えるのに、
ここ3週間ぐらい、つらつらと考えたり考えなかったり、関係ないことをしてみたりしながら、
自然と心がそういう風に新しいモードに切り替わっていくのを待っていたっていうような時間だったと思います。
具体的にはあんまり頭を使って考えるってことはあまりしないように。
考えたって仕方がないじゃないですか。
過去のことはもう役に立たないって言ってるのに、
脳で考えられるのって本当に過去のこと、経験したことだけなので、
未来に関しては直感というか感覚でしか捉えられないから考えても無駄ですよね。
むしろ考えない方が良くて。
気が付くと毎日コツコツとダンスの練習、自主練をコツコツしてて、
毎日とは言わないけど、かなり週に何回も夜な夜な出かけては一人でこっそり自主練をするっていうことがずっと続いてますね。
6月に入ってからかなり、いや5月もだ。
自主練もカレンダーに記録するようにしたんですよね。
そしたらかなりやってて、余計なこと考えなくて済むんで、ダンスの練習してれば。
本当にありがたいよね、こういうのってね。
っていう感じになってます。
皆さん、お聞きいただいている皆さんの生活は何事もなく、
去年と今年と何の変わりもなく続いていらっしゃるのかどうか、お聞きしたいぐらいなんですけれども、
明らかに世の中的には変わり始めて、まだ変わり始めてはいないか。
でももう明らかにやばいと。
ものすごく変わるっていう、びっくりするぐらい変わるっていう可能性が、もう刻々と近づいてきてる感じがしますね。
配信の意義
やっぱり変化するっていうのは恐ろしいものですし、不安だし、それでももうしょうがない。
人間ってやっぱり進化する方向にしか動けないので、じゃあこういう文明は捨てて原始時代に戻ろうとかって言って戻れた試しなんかないじゃないですか。
だからなるべくみんなが幸せになる方向に、この変化をそういう方向に寄せていけたらいいなぐらい。
そんな感じで思ってます。
経済はもちろんですけど、政治とか、それから家族の在り方っていうのかな、何て言うんだろう。
個人個人の人生というのはこういうものだと教え込まれてきた。
だから定年まで働いて、定年したら家でお庭とか孫の世話とかをしながら、余生を楽しむんだよっていうような一般的なそういう人生観のモデル自体もものすごい、
頭の中にはみんなあるのかもしれないけど、現実にはそういうのが消えていくこれからの5年10年じゃないかなと思っております。
果たして私のこの話が配信する意味があるのかっていうのは本当に悩ましくてですね。
今までも何回もこんなようなことをしゃべっては没にししゃべっては没にしてるんですけれど、
記録として意味があるのかもよくわかんないんですが、せっかくなので今日は間違いなく配信しようと思います。
本日は以上です。
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