諸行無常の理解
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内海の島から毎日有効にお届けしております。
はい、ということで、たった5秒で気持ちが楽になる考え方ということで、久しぶりにちょっと仏教の話をね、僕も自分でやっぱり忘れないためにもね、ちょっと話しておこうかなと思うんですけど、
いわゆる諸行無常っていうのがありますよね。僕らはナノ病単位、ナナじゃなくてナノ病、もう僕らが認知もできないぐらい早い単位で、生まれ変わり続けているっていう。
そんなことあるかいなと。この一瞬で何か変わったんかねって思うんだけど、実は変わってる。それを僕ら気づいてないだけなんですよね。
これは仏教だけの話ではなくて、いわゆる僕たちの体、細胞が常に新しくなっている。37兆個ぐらいあんだったっけ。
それがなんだかんだ骨とか、髪の毛とか爪とか含めていろいろ、全部新しくなる時間ってそれぞれ違うけど、だいたい7年ぐらい経つと全部入れ替わってるっていうことらしいんですよね。
それはいろんな部位が毎日毎日入れ替わりつつ、細胞分裂しながら。でも7年経つともうそっくりそのまま全部全然違う人になると。
でもこれ考えてみたら、僕らオギャーって生まれた瞬間ってだいたい3000グラムぐらいじゃないですか。
僕今75キロぐらいあるんですよ。3000グラムの人と75キロになった人が同じ人間とは思えないよね。当たり前だけど。
これ仏教の本の中でもどっかで出てきたかな。毒親とか息子娘への遺存とか、そういうのあるじゃないですか。
親との関係性みたいな。いつまでも親子なんて思うなって、たぶん仏教、確かブッダだったか誰か忘れたけど書いてて。
それは別に親子の関係が素晴らしいものは別にいいんだけど、一方で親子関係に縛られすぎるのもよくないと。
なぜならば、だってもう3000グラムで生まれて18とかで大学とか社会に出て、大きくなった人を子供だなんて思えないでしょって。
分かるよ。分かる。もちろん親子関係は分かるけど、でもパッと見たときに親と子供っていう関係ではないわけじゃないですか。
物理的な体とかそういう状況を見たらね。例えば親が80歳で、自分が仮に60歳で元気で、親も背中が曲がってちっちゃくなっちゃってるとか。
じゃあ親なんだからなんてことないでしょ。どちらかというと体が元気な方が支えるじゃないですか。
そういうところから考えてみても、いつまで経っても同じ人ではないっていう。同じ子供ではないし、もちろん同じ親ではないし。
誰一人として同じその人であり続けるわけがないんですよね。
そういう諸行無常っていうものをちゃんとインストールしておくことによって、いわゆる嫌なことが起こったりとか、いろいろ生きてると失敗すること多いじゃん。
僕もいっぱい失敗するんですよ。昨日もすぐ失敗したよ。本つまみ食いラジオの更新日だったんだけど、忘れてた。
サムネ作ってないとか、タイトル決めてなかったとか、予約できてなかったとか忘れてて、8時過ぎに思い出して急いでやりました。
ちょっと待ってた方、すみません遅れちゃったね。その時は一瞬、なんでかって思っちゃうんだけど、
その時にまあいっかと受け流す。別に人が何か被害をこもるわけじゃないし、
何か大事な仕事の約束があって遅刻するってことも、いろいろ生きてるとあるじゃないですか。それももちろん気を付けないといけないんだけど、まあいっか。
いろいろやらかしたりしても、そのやらかした自分と、じゃあ今の自分って同じ自分なのかってことなんですよね。
これは自分を守ることでもあるし、相手を守ることでもあると思うんですよ。
いつまでも誰々が憎いっていう、そういう状況にある人もいると思います。僕もやっぱりそういう部分はあります。
あの時とか、この子と言葉かけられたとか、あって思い出して嫌な気持ちになる時あるんだけど、諸行無常なんですよ。みんなね。
自分も含めて相手も含めてみんな諸行無常で、常に同じ人っていうのはいないわけです。って考えたら、
じゃああの時自分にこんな嫌なこと、言葉をかけてきたあのあいつみたいなのがあったとしても、そのあいつすらその時と同じ状況ではないと。
多様な自分の存在
だし、自分すら誰かに罵倒されたかもしれないけど、その時の自分とは全く違う自分になってると。
これはその細胞レベルだけの話じゃなくて、経験もそうですよね。いろんなものを見たり聞いたりとか体験していると。
その時の体験と今の体験ってやっぱり違うわけじゃないですか。見てるものが違うと。
だし、これは文人っていう考え方ですけど、平野圭一郎さんが言われている文人主義みたいな話で、
僕らって、例えば習平っていう、僕いるけど、習平って一人かっていうと一人じゃないんで、文人、分けられた人って書くんですけど、
例えば僕が今これポッドキャスター話してる時の習平は、多分ボイシーパーソナリティ、ポッドキャスターの習平じゃないですか。
または発信者としての習平。じゃあこの状態で僕24時間いるかってことなんですよ。
あれ子さんがね、福岡帰省から帰ってきてくれて、本当に安心している。
そのあれ子さんの前では、こんなシュッと喋り方してない。
あー、お腹が空いたなーとか、あー、あれ子さんなんか一緒に食べろーみたいなね。
あんまり再現したくないですけど、そういう習平もいて。
で、ちょっと格好つけるじゃないですか、コンビニとか行ってさ、なんかちょっとコーヒーとか買うときは、やっぱちょっとテスラから降りてさ、
テスラがなんか日本でFSD、フルセルフオートドライビングだったけどちょっと忘れちゃったけど、
完全自動運転のテストをし始めましたね。一般道で来た、来たこれ。
僕はね、FSD課金をね、2回している、もうお伏せ組なんですよ。
もう本当に良い快妙が与えられるぐらいお伏せしてますからね。
まあまあそれ置いといて、テスラから降りてさ、シュッとしてるわ、島でインフルエンサーね、
やってるわ、シュッとしてる俺、みたいな感じでテスラから降りて、ローソンとか行くんですよ。
昨日もそんな感じで言って、格好つけてね、言ってるんですけど、
アイスコーヒーください、みたいな、このモカブレンドのアイスください、で、アップルペイで、みたいな、
もうかっこいいじゃないですか、テスラから降りてアイスコーヒー、そしてアップルペイみたいな、
タケノコの里は一緒に買わない、アイスも買わない、僕はアイスコーヒーだけでいいんだ、
純粋にコーヒーが飲みたい、かっこいいじゃないですか、シンプルで、アイスコーヒーください、アップルペイで、みたいなね、
言って、完璧に決まった、思って、車に乗ったらですね、僕さっきまで昼寝してたんですけど、昼寝の跡が顔半分にめっちゃついてました。
恥ずい。なんか、エレレーシーハウスで昼寝してたんですよ。
めっちゃ寝不足で、もう眠てーと思って、めっちゃ気持ちいいんですよ、エレレーシーハウスで昼寝すると。
静かだし、クーラーも効いてて、ソファーがあって、ソファーについてる枕みたいなのあるじゃないですか、
あれをピッてやって、でも髪の毛切った日だったんで、髪の毛がついちゃいけないなと思って、
髪をペシャンコにしないように、ほっぺたのあたりで枕を設置してたんですね、こうやって。
そもっきり跡がついてました、半分。
こいつ寝起きでコーヒー買いに来てるよ、みたいな。
だからそれも、僕は半分状態ですけど、テスラから降りて、シュッとしてるだろうなっていう自分で、
自己理解と他者理解
コンビニに行っているときの周平とか、ポッドキャスト撮ってるときの周平は違うわけですよ。
それも違うし、でもコンビニの店員さんからしたら、顔半分赤いけど、この人大丈夫かな、みたいな。
なんか眠気なまこだな、みたいな。っていう僕の認識もあって。
ってことは、僕、周平を撮ってみても全然違う周平ばっかりですよね。
それはあなたもそうです。
会社のときのあなたと、家庭のときのあなたと、部活じゃないけど、サークルに入ってるときのあなた。
コミュニティ活動してるときのあなたは全然違いますよね。
それでいいですよ。
だからそういうふうに考えたときに、嫌なことがあったり、嫌なやつから嫌なこと言われたっていうときも、
嫌なやつかもしれないけど、そいつは嫌な部分を自分に見せただけで、
嫌なやつは実はすごく恋人に優しいかもしれないし、近所のおばあちゃんには優しくしてるかもしれないし、
ゴミを拾ってる部分もあるかもしれないですよね。
あなたがどんなに嫌いなやつだったとしても、あなたに向けている全部がそいつではないっていうこと。
これも多分すごく大事ですよね。
だから諸行無常と文人主義というか、文人的な考え方をしておくことによって、
あと生物学的に、僕らはずっと常に生まれ変わり続けている。
ある意味死んでいるわけですよね、常に。
いろんな古い細胞が。
その3つぐらい、諸行無常、細胞分裂、生まれ変わっている、文人主義、この辺りの3つをインストールしているだけで、
割と一家ってなりますよ。
落ち込むときってあるじゃないですか。
仕事でミスしちゃって、何々さんにこんな迷惑かけたら自分終わりだって、僕も思っちゃうときあるんですけど、
でもそうなったとしても一家だし、大体の人は自分のことばっかり考えてるから、
あなたのことをずっと考えてる人がいない。
そうだったらすごいよ。
それはすごい魅力ですよ。
すごい影響力ですよ。
ある意味、インフルエンサーとか粘着質な人、アンチとかにやられたりするときってあるじゃないですか。
あれのエネルギーってすごいですよね。
常に自分の発信とかを見て、この人は今何を言ってんだとか、
どんなことを言ってやろうか、どんな批判をしてやろうかとかって考えてるわけでしょ。
だからそれは多分正常な相手への興味関心ではないよね。
だからこういうのもやっぱり気をつけないといけないなと思います。
だから一家って思えることがそれをスパッとしてくれるわけですよ。
縁ガチョじゃないですけどさ。
ないですけどさ。
難しい言葉を使いましたね。
何ていうのかな。
一家って思えたら、ちょっと嫌なことがあっても、その人にとわりつかなくていいというか、ずっと考え続けなくていいでしょ。
だから精神状態がクリアになるんですよ。
コミュニティとの関わり
だからこれはすごいお守りとして持っててほしい考え方かなと思ったのをシェアさせていただきました。
商業無常、細胞分裂してる文人主義みたいなところですかね。
ということで、今日も聞いていただいてありがとうございます。
この後も心地いい時間お過ごしくださいと言いつつ、最後に宣伝をしておくと、
今日の8時から瀬戸内移住会議ということで、この大島とか島並みエリアで実際に地域おこし協力隊で移住されて、
その後飲食店をやって、今どうなってるのかみたいな、移住×飲食店のリアルみたいなものを、
実際僕が司会で、博多島にレストランで母婦さんというところがあるんですけど、
その母婦さんのご夫婦に参加していただいて、いろいろ根掘り葉掘り聞いていく会を、今大体月1ぐらいでやってるんですけど、
それが今日8時からズームで無料でありますので、ぜひ見たいなとか、ちょっと移住のリアル知りたいなとか、
瀬戸内の移住知りたいなって方いたら、飲食店経営とか地域おこし協力隊とかの話も多分僕がどんどん聞いていきますので、
1時間すごくパッと終わる会でございますので、よかったら無料のズームで、
ズームアプリさえあればチケット申し込んでおけば全部無料で見れますので、ぜひよかったら見てみてください。
ということで、今日も聞いていただいてありがとうございました。チケットつけておきたいと思います。バイバイ。