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2025-08-15 12:41

スピノザ哲学実践としてのフォロワー1,000人。

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サマリー

このエピソードでは、SNSのフォロワーを1000人に増やすことを目指す中で、スピノザの哲学がどのように役立つのかを考察しています。特に、自己表現や試行錯誤の重要性が強調されており、SNSを通じた人間関係の構築についても触れています。フォロワー数が1000人に達しなくても、自分の表現を諦めずに続けることの重要性が語られています。また、スピノザの哲学を引用しながら、努力や自己表現の価値について考えています。

SNSとフォロワー数の重要性
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内海の島から毎日流行をお届けしております。
なんとなくね、撮った動画がですね、スレッツで何か多分20万インプレッションぐらい行ってて、別にすごいフォロワー数が増えるような投稿ではないんですけど、なんか不思議だよね。
内容としてはさ、LLACハウスの僕が作業してるところが暑かったんですよ。
それをサーキュレーター使って、どう効率的に冷やすかみたいな。
それを何気なしに動画撮って、編集もしてないし、1回しか撮ってないし、で、ポン出しで出したら、なんかすごい見られてて。
うーん、何だろうね、家建てる時に気づかなかったみたいな一言だったんですよ。
だから多分そういう何千万払っていることで得られた知見だから、見てしまったのかなみたいなことを考えているお盆でございます。
ということで、どうだろう、冒頭の雑談ともしかしたら繋がる部分もあるかもしれないけど、
今日はですね、スピノザ哲学の実践、その実践としてのSNSフォロワー1000人作り、1000人目指していきましょうみたいな話をしたいと思います。
僕もずっとこれ話し続けている内容ではあるんですけど、やっぱりSNSでフォロワー数を1000人ぐらい集める、
自分でゼロから作ってみるっていう体験はものすごく大事だと思ってるんですね。
これは別に、ただバズればいいとか、フォロワー数が多ければいいとか、とにかくお金稼ごうとかそういうことではなくて、
むしろ共用としてのSNSみたいな切り口です。
それはそうだな、自分の表現ですよね、SNSってつまり。
どういうふうな表現をするか、文章なのか、画像なのか、動画なのか、それともそれぞれ組み合わせていくのか、
あとはこういうポッドキャストの喋りなのか、じゃあその時にどんな話をするのかとか、
これって本当に難しいじゃないですか。
たぶん1日でそれを組み立てられる人ってなかなかいないよね、ゼロから。
AI叩いてもいいけど、AIから返ってきた答えで、そんな素晴らしい発信プランが見つかるみたいなものは
僕はあんまり体験としてはないんですよ。
切り口とかヒントはあるよ、アイディアとしてはね。
選ぶけど、なんか飛んだしで出てくるっていうものではやっぱりない。
だからやっぱり自分で考えないといけないし、いろいろ試さないといけないと。
これスピノザも言ってるんですよ、400年前の人ですけど。
要するに自分の性質みたいな、コナッツっていう概念を出していて、
それを知るためにはやっぱりいろいろ試していくしかない。
実験志向なんですよね。
これも当たり前というかおっしゃる通りというかさ。
しかも今って変化も激しいから、何が合う合わないとか何が面白いと思うのも変数として変わってしまう可能性があるわけですよ。
音楽が好きだっていうものがあったら、今まで音楽って自分でDAWとかで作る?
ボカロとかわかんないけど、あと自分で演奏するとかね、生音でやるとか方法があったんだけど、
今まさにAIかけるDAWみたいな形で、Snowみたいな感じで自分でも、
要するに自然言語で音楽も作れるようになってしまって、
ここのまたルールとかも変わってきてるわけですよね。
大きく多分変わっていくと思います。
でなると、好きというか音楽が好きなんて何も説明してないじゃないですか。
音楽のどういう部分が好きなのかって人によっては全然異なりますよね。
まさに性癖とか偏愛とかにもなってくるかもしれない。
これはゾクゾクするなとか、これはなんとも思わないなとかね。
プロセスの価値
そういうものって結局音楽をSpotifyで聴いてすぐ見つかるかって言ったら多分そうじゃないと思うんですよ。
聴き続けないといけないし、いろんな音を聴いたり、いろんなアーティストを聴いたり、
ライブに行ったりとかね、ジャズ喫茶に行くっていうのは体験もしないといけないかもしれない。
いろいろやりながら、いろいろ試しながらじゃないとそういうものは見つからないわけですよ。
それが僕はSNS運用も全く同じなのかなって思うんですよね。
SNS一つ取ったときに、それはただの副業として捉えることもできれば、
インフルエンサーという仕事としてやっていくんだとか、
あくまで自分の表現なんですとかね、お店のアカウント運用みたいないろんなパターンがあって、
それをどうやっていくかっていうのは別にルールがないわけですよね。
そこでどんな、いわゆる画材みたいなものですよ、多分SNSどれか使うっていうことはね。
その中でどんなものを投稿していくかみたいな。
そういったことを多分、もっと僕らはやっていく必要があるんでしょうね。
そういう表現をしていく、いろいろ試しながら、ああじゃない、こうじゃないってやる中で、
自分これ人と違うところがある。みんなあんまりこれ気にしないけど、自分これめっちゃ気になるなみたいな。
つい時間を忘れて、この投稿作りすごい時間かけちゃったなみたいな。
それで伸びるかどうかなんてわかんないんですよ。
でも自分の中で、こうした方が納得いく作品になるって言って、
ヒカキンさんとかも確かたった6秒ぐらいのところに5時間ぐらいかけるとかありますよね。
いやーマジかって思うけどさ、それも僕は信じられないですよね。
そんな5時間かけてどうするのみたいな。
でももしかしたらヒカキンさんなんかでYouTubeっていうものはただの動画ではなくて、
もう一つの表現かもしれない。アートかもしれない。
その域に行ってるから多分あれだけ影響力があると思うんですよね。
そういうふうに考えていったときに、SNS多分違った形に見えると思うんですよ。
普段僕らがスマホで親指でピュピュピュって見てるものが、
実はその裏側には結構みんな自分の人生を詰め込んでたりとか、
表現としてすごく悩みながら表現活動している人たちもいて、
このスマホの中に出てくる一つの僕はアートなのかなとも思うわけですよね。
メディアアートみたいな言い方もできると思います。
そういうふうに捉えていくということが僕はすごく大事だと思っていて、
それをフリーランスの学校、LLC含めて伝えていきたいことなんですよ。
僕自身まだまだ全然だからね。
その中で一つ分かりやすい指標としては、
フォロワー1000人というところを目指していくといいんじゃないかなというふうに思います。
フォロワー1000人って昔何か言ってたよね。
TOEICで言うと700点ぐらいの努力量だと。
だからフォロワー1000人行かないとダメとか、行ったらすごいとかそういうことじゃなくて、
そのプロセスの中で多分自分のコナトスみたいなのが見えてくる可能性がある。
僕は見つかったんですよ。
自分の言葉を紡いでそれを読んでもらえるっていう感覚ってすごい楽しいなっていうね。
まだまだ全然それは浅い部分かもしれないけど、
こういうふうに自分が何か見ている世界を編集して誰かの世界に届けていく。
その時に自分の言葉選びとか描写とか、
そういったものに誰かの物語が反応することがあり、
それがこう些細な最初は価格反応かもしれない。
ただいいねのタップをするとかプロフィール欄に来てフォローする。
でもそのうち何度か何度か自分のコンテンツに触れている人がリアルなセミナーに来てくれたり、
まず今LLCハウス建ててるけどここに来るのが夢でしたとか目標でしたって言ってくれたり、
自分の話を聞いてみたいって思ってくれるようになってると。
これはすごいことじゃないですか。
これは別に僕がすごいっていう話ではなくて、
そのプロセスを作れるっていうこと、生み出せるっていうこと。
価格反応が起こってるわけ。
自分もそうだし相手の人生ともそうです。
そういうものってリアルタイムの映画を作ってるような感じがするんですよね。
今日の放送ももしかしたら誰かの何かに響くかもしれない。
SNSなんてって思ってたり諦めてる人からした時に、
いやちょっと待てよ。
確かにフォロワー1000人目標としてやってみて、
とにかく投稿し続けるって。
やってもいいかもなとか。
表現の重要性
別にお金にならなくても本当にいいし、
フォロワー1000人いかなくても別にいいんですよ。
別にそこで評価が決まるわけじゃなくて、
プロセスがやっぱ大事なので。
そこで逆に言うと、
フォロワー1000人いかなくてもお金にならないから、
更新が止まってるのであれば、
多分一番もったいないことをしている。
それは自分の表現を諦めてしまってるんですよね。
それは苦しいことでもあるわけですよ。
表現し続けるってことも苦しいし、
表現できてないってことも苦しいし、
でもどうせ苦しいんだったら、
僕は表現し続ける苦しさを取った方がいいんじゃないかなと思うんだよね。
それはドM思考な気もするんだけど、
実はそうじゃなくて、
悶々としてる方が嫌じゃないですか。
本当はできたかもしれないっていう痛みの方が、
僕は避けたいんですよね。
それだったら、やってみてダメだったの方が
全然軽い痛みだし、
そこから学びがあるじゃないですか。
やってみようかなって思いながら悶々としてるものからは、
あんまり学びがない。
それは一つの痛みではあるけど、
あまり繰り返す必要はないよね。
それだったらちょっとやってみてどうかな、
反応を見るみたいな。
これぐらいのエネルギー投下量じゃ無理か難しいか。
ってことはやっぱり動画なりインスタなりやっていくときって、
実はかなりの人生の部分を捧げることになるんだなと。
じゃあ自分そんなにコミットできることあるかな。
でもコミットできるものがないって思ってしまうものは何なんだろうか。
じゃあ他に自分は仕事とか家庭とかいろんなことに
めっちゃコミットしてんのかな。
いや、できてないな。結構言い訳しがちだなとかさ。
そういうたぶんグルグルグルグル自分の感情が揺れ動く瞬間ってあるじゃないですか。
僕はそういうものをどんどん切り出していけばいいと思うんですよ、みんな。
みんな悩みとか迷いの中で生きてると思っていて。
そんな絶好調です、完璧です人生みたいな、
迷いも一切ありませんみたいな人たぶんいないと思うんだよね。
それをもっと表現していいんですよ。
誰が見るんだって言われてもいいんですよ。
別に誰も見なくてもいい。
でもそれを表現するっていうこと自体が大事で、
ただでもやみこもにやっていても、
どこにも行き着かない時もあるから、
ある程度フォロワー1000人っていうのも。
これは相反するような考え方なんだけど、
僕はこれが大事だと思うんですよ。
スピノザも似たようなことって言うとあれだけど、
僕の理解では要するにもう運命って決まってるって言うんですよね、スピノザ。
面白いね、もう決定してますと。
でもじゃあそんな決定してるんだったら、
予定説みたいなもんですよ。
努力する必要ないじゃんって思うんだけど、
決定しているからこそそこで足掻く。
ある意味努力するっていうことが大事なんだって言ってるんですよね。
面白いですよね。
だからSNSをやっていくってことも、
そういうものとして捉えてもいいかもしれない。
うまくいくかいかないかわからないし、
もしかしたらどこかで決まってるものかもしれない。
でももしかしたらわからないけど、
自分の中で表現として埋もれてたものがあって、
それを磨いていくことによって、
何か日常が違ったように見えるかもしれない。
僕は違ったんですよ、変わったんですよね。
それ自体、僕はフォロワー数が増えてお金が稼げたことよりも、
僕は世界を見る目が変わったことの方が、
ものすごく価値を感じてるんですよ。
だから別にお金にならなくても、
これ続けるだろうなっていう感覚は自分の中でありますね。
そういう世界観になれたのも嬉しいし、
スピノザの哲学
SNS頑張ってみようかなって思う方がいたら、
ぜひそういう視点として。
何が自分に合うかわかんないから。
とにかくやってみるってことがやっぱり大事だ。
試していくってことが大事だと。
上手くいかないことも何なら楽しめるぐらいの人になっていけばいいと。
SNSで上手くいかなかったらいいんですよ。
楽しめるかどうかです、それを。
あれ伸びないな、いや楽しいでも。
だから楽しいって変換できるか。
多分それのトレーニングなのかもしれないね。
伸びないな、楽しいと思う人は伸びるんですよ。
だってずっと考えることができるから、実験できるから。
伸びない、ダメだ、終わりじゃないんですよ。
そういう人って上手くいかないんですよね。
あらゆることもそうかもしれない。
ってことは、SNSやってるけど上手くいかない。
でもそれは楽しいなって思えた時点で、
多分本当に自分がやりたいことで出会ったときに、
その体制ができてるんだと思うんですよね。
その方がすごく価値を持つんじゃないかなと思うので、
僕も引き続きいろんなことをやりながら、
上手くいかないなってことを楽しめるような自分になりたいなというふうに思います。
そんな話でございました。
今日も聞いていただいてありがとうございます。
この後も心地いい時間お過ごしください。
バイバイ。
12:41

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