1. Shu-Cage-Die(シューケージダーイ)
  2. 龍源さん感想回#1〜やって良か..
龍源さん感想回#1〜やって良かったシュウケージダイ!
2026-09-20 2:02:58

龍源さん感想回#1〜やって良かったシュウケージダイ!

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コテンラジオの龍源さんゲスト全5回の感想回!
シュウが何度も聴いていて、そこで出てきたことから
引用して話したりすることも多いから2人で感想回をしてみようってことで、今回はその1回目!

【番外編#131】仏教のこと、龍源さんに聞こう①|仏教の輪郭をつかむ(全体像)|歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO):https://open.spotify.com/episode/2WXlPAq1nZuhZo9XYA3IbB

収録日:9月18日

#シュケダ

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感想

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00:30
旅行というか、シュー旅始まりましたね。 始まりましたね。はい。
あのちょっとそういえば、僕は始まるタイミングで。 うん。
なんか気づいたら始まってて。 なるほど。お忙しくされてるんですね。
いやいや、ちょっとまたちょっとインプットさせてもらおうと思ってたのに、すっかりちゃんとできてなくてすみません。
全然です。ありがとうございます。もう本当に毎回ね、旅の度にも。
いやいやいや、そうですそうです。 継続インプッターさんでもあるのにみたいな。
これ集計時代の方ではさっぱりみたいな話題になっちゃってるかな。
そうですね。そうですね。でもよく考えたら、この集計時代、僕としゅうさんがそれぞれやってるポッドキャストを全然聞かずに集計時代を聞いてる人がいたらいたで面白いですよね。
今のところいないような気もするんですけど。 そうですね。
第1話に比べて、第2話の再生数が急激に10分の1ぐらいになってるのを偶然見て、なかなかだなと思って。
10分の1やばいですね。
それだけ第1話がめっちゃ聞かれたっていうことが珍しかったから、やっぱあれなのかな。
なんだっけ、最近今週始めたプレイリストに入りましたみたいなのが書かれてたかな。そういうのがあるんでしょうね。
それは何の集計ですか?
リッスンですね。
リッスンか。
はいはいはい。
でもリッスン以外で聞かれてるのもそれ入ってるんですか?
入ってないかな。ちょっとでも僕も旅に出る前に見た、俺覚えてしゃべってるから、今どうなのかちょっとわかんないですけどね。
普段ほんとあんまり見ないんですけど、偶然旅の前にチャラっと目に入って、おっと思って、あ、そこまでの差じゃなくなってきたな。
あ、そうなんですね。
あのね、今、最後まで聞いた人が第1話が67になってて、第2話が10になってるから、10分の1ってほどじゃなくなってきましたね。
67人も聞いてるのやばいですね。
67再生。そのうち、僕とけいじ君のも入ってると思うけど。
僕聞いたかな?
聞いてないんだ。
僕ね、あんま自分の聞かないんですよね。
なるほど、なるほど。
集計自体は聞いたか。
自分のは全然聞かなくて、ほんと良くないなと思ってるんですけど、ちゃんと聞いて、フィードバックを活かしていかないといけないなと思って。
他に聞きたいのが多すぎて、全然聞けてないんですけど。
03:03
これ今気づいたけど、リッスン再生数っていうのもあるんですよね。
それで第1話はリッスン再生数27。
第2話0。
じゃあ、やっぱりリッスンでしか聞けなかった時にリッスンで聞いてるけど、リッスン以外でも聞けるっていうことが判明した人たちがそっちでフォローしてそっちで聞いてるっていうことなんですかね?
僕の推測はちょっとそれとは違うな。
やっぱり第1話だけはリッスンでパッとプレイリストに入れられちゃうから、
やっぱり1話聞いてみるかって聞いた人は27人もいてくれたけど、もういいやってなったんじゃないですか。
でもまあ、いいんじゃないですかね。
普段はこんな気にしないんだけど、今回は偶然目に入ったから喋りましたけど。
気になっちゃいました?
いやいやいや、ついでに開いた時にパッと入ったんですよね。
いやいや、話題になるなと思って。
なかなかサラすごいなと思ったもんね。
確かに。
まあ、でもちょっと、今日が3回目ですね。
そろそろどんどん脱落していって、もっと人が減ってるかもしれないですね。
まあまあまあ、でもね。僕一部でもいいし。
なんなら僕はけいじ君に深掘ってもらって解像度が上がること自体が目的みたいなところがあるんで。
ありがとうございます。
誰にも聞いてもらえなかったとしてもいいんじゃないかなって思ってますけど。
あと僕、できるかな、あれやりたいんですけど。
ん?
オーバーってやつ。
マジですか?本当に?
あれ面白いなと思って。
ああいや、あれ今はもう大輝君とすらやってなくなりましたよ。
ああそうなんですか。
あの時の流行り。
いやいや、僕としては嬉しいんですけど。
でもなんだろうな。
やっぱあれかな。
最近、それってあのね、僕がもう1回やってる。
週の話ラジオ以外にもう1回やってる。
俗語収賞ラジオっていう。
はい。
はい。
大輝君がレギュラーで他の人も好きな時入ってきていいよっていう番組のことを今けじこおっしゃってくださったんですけど。
最近ね、あんまり大輝君以外の人入ってこなくなっちゃったんですよね。
ちょっとしか。
まぁちょろちらほらはいて、
3人になることはかろうじてあるけど、
それにしてもやっぱり2人の時間が多いみたいになってるんですよね。
2人の時はそこまで、
僕も土ストレスって言い方してたと思うんですけど、
自分の話が最後までできないっていうのを、
2人の時はそこまで感じないから、
いいかなと思ってたんですよ。
3人以上になった時に、
06:00
やっぱりこう自分の番が回ってくるのが遅く感じて、
みんな喋りたがるから、
僕がどうしても順番取られがちっていう。
だから2人の時はあんまり入れられないかなって思って。
いやいやでも試しにやってみるのは全然ありですけど、
やってみますか?
やってみます?
ちょっとゲームとしてただ面白そうだなって。
じゃあ途中で嫌になったらすぐ言ってください。
その時はもう、
ごめんなさいまだ今ちゃんと説明できてない。
もう一回ちゃんと説明していいですか?
お願いします。
多分聞いてる人わかんないかなと思って。
そうですねすいません。
僕が話が終わらないのになぜか、
終わってない状態で人に話に割り込まれる率がすごい高いと感じていて、
モヤモヤしたりプチストレス感じるなっていう風に感じながら、
特に俗語収録ショーラジオっていう番組やってたんですけど、
哲学対話っていうリアルのイベントに僕が参加した時に、
オーバーっていうわけじゃないけど、
手を挙げてその人が発言するっていう権利を得て、
その人が真ん中に置いてあるぬいぐるみを持って、
そのぬいぐるみ持ってる人だけが喋れますよっていうルールでやって、
僕それに参加したらめちゃくちゃ最後まで話が終えられて満足度高かったっていうのがあって、
でもオンラインだからぬいぐるみ持つわけにいかないんで、
終わったっていう合図を適当に決めてやりますみたいなのを言って、
オーバーって言ってトランシーバーで会話するみたいなやり方でやってみますかって言ったのが、
さっきのオーバーっていう話ですね。
じゃあ今日はそれが終わるまでは喋り続けてっていうルールで一旦やってみますか。
オーバー?
じゃあそれでお願いします。オーバー?
ありがとうございます。
ペイジ君がどうしても嫌になったらゲームオーバーって言ってください。
この番組は独自のライフスタイルを貫くシュウさんとその生き方に興味津々のケイジ君が対話しながらお互いの哲学を深めていこうとする番組です。
シュウです。
鳥取生ギターポップ育ちのケイジ君です。
よろしくお願いします。
次喋るのは今回は僕からって感じですか?
オーバー?
それでいいと思うんですけど、今日は予告通り古典ラジオのリュウゲンさんゲスト回の間奏会をやろうということで、
09:04
あれは今年の1月ぐらいなんですかね。
松原リュウゲンさんという仏教の修行されているというか、実験寺院というところで活動されている仏教家なんですかね。
詳しくよくわからないんですけど。
松原リュウゲンさんがゲスト回で仏教についていろいろ話されている、全5回でしたっけ?
5回分のやつの間奏会をやろうということで、とりあえず1回分ごとやっていこうかなっていうところで、実際どうなるかわからないんですけど、それをやっていこうという回で、
今日は第1回目のやつを、間奏会をやっていこうかなと思っております。
オーバー。
ありがとうございます。
いけるかなオーバー、これいけるかなって、もうすでに思い始めてますけど。
リュウゲンさんゲスト回、とりあえず僕も今旅にね、
冒頭でケンジ君触れてくれましたけど、
僕は定期的に来るまで下道だけの旅に出るので、その旅に、おととい9月16日から出てますけど、今日は9月18日に収録してるんですけどね。
それに出てますけど、その旅に出る前にも、第1回リュウゲンさんゲスト回の1回目は2回ぐらい聞いてたし、
今日も、今日だけで2回聞いたかな?
2回目に入って途中か。
ごめんなさい、今日だけで2回は言い過ぎでした。
今日1回聞いて、念のために2、3、4、5のうちの、
2、3は昨日聞いてたから、4、5を今日聞いて、
1回目にまた戻って途中まで聞いてたっていう、そんな状況だったんですけど、
意外とどこまで思い出せるかわからないんで、
ポディの記事化されたものをちょっと見ながら喋れたらなと思ってたけど、
さっき冒頭でけじくんが、これ面白いなっていう話題が意外と入ってなかったりするって聞いたんで、
あら、そうかと思って、ちょっと読んでなかったもんで、どうしようかなって今思ってます。
オーバー?
はい、細かい話題が入ってないというよりは、
深井さんの何か発言が面白いなと思った、その発言に関して全く触れられてなかったりとか、
細かいところが抜けてるかなとか、そういう感じではあるんですけど、
大枠は全然ガッチリポディの方にまとめられてるかなっていうことで、
僕は一応、もともと一回リアルタイムに配信されたときに聞いてて、
12:04
今回これをやろうということで、何回か聞き流して、
でも聞き流したら全然頭に入ってないなっていうことに気づいて、
とりあえず真面目にメモを取りながら聞くっていうのを一回やって、
その後にもう一回聞く、2回ぐらい聞くみたいな感じですかね。
で、メモを取りながらポディと見比べたら、
僕が面白いなって思ったことをポディには書いてないんだなみたいなことに気づいたっていう。
まあ、面白いって深井さんの発言で、
こんなこと言ってるけど、このことについては全然書いてないなみたいな。
そんな感じだったんですけど、
まずね、この集計次第で、
わざわざ5回分のコテンラジオの配信の間奏会、
5回分できたら面白いなって思ってるんですけど、
なぜわざわざそんなにみっちりねっとり、
このリュウゲンさんゲスト会を間奏会やりたいかというと、
そもそも、しゅうさんがこのリュウゲンさんゲスト会をすごく何度も聞いて、
わりとそれに影響を受けてるっていうことで、
しゅうさんの使う言葉に、この5回分の、
まあ、このコテンラジオだけじゃないかもしれないですけど、
松並みゆうげんさんの発信してることがすごく、
しゅうさんの言葉の中にも多分溶け込んでいってるような気がするので、
だとしたら、しゅうさんの言葉を理解するために、
まずこのリュウゲンさんのゲスト会に5回分をしっかりと味わって、
そこで何が言われてたか、どんな言葉が使われてたかっていうのを、
お互いここで確認し合うことで、
この先しゅうさんの、
しゅうさん哲学というものの理解がしやすくなるんじゃないかなというのが目的です。
なので、コテンラジオはすごく好きなんですけど、
大好きなコテンラジオだから感想会やりたいとか、
そういうコテンラジオのファンとしてやるというよりは、
しゅうさんに染み込んでる、
染み込んでいってるリュウゲンさんの言葉とか概念みたいなものを、
共有したいというのが一番の目的です。
そこをはっきりさせておいて、
感想会をやっていこうかなと思っております。
オーバー。
まだ笑っちゃうな、すみません。
いつでもいいですよ。ゲームオーバーっていつでも言っても大丈夫。
もう一回ぐらいやっとこうかな。
今けじくんがおっしゃってくださったみたいに、
そうだな、けじくんがおっしゃってくださったみたいにっていうのもあるし、
はからずもこのリュウゲンさんゲスト会の初回で、
15:02
まず最初にリュウゲンさんが話をメインで振られた後に、
最初にしてたのが、
まずはこのリュウゲンさんのスタンスみたいなことを話されてたなと思って、
僕もそれやらなきゃなって思ってたのを今思い出したんですけど、
僕リュウゲンさんゲスト会がすごく好きで何週も聞いてるみたいな、
多分今回で7週目か8週目だったと思うんですけどね、聞いてるんですけど、
それはリュウゲンさんの言ってることが絶対的に正しいと思って、
それを自分に染み込ませてというか、
自分の考えを上塗りしてみたいなつもりは実はなくて、
万が一そう思われたら嫌だなと思って今注意書き的に話してるんですけど、
あくまで自分の輪郭をくっきりさせるために、
新たに気づかせてもらった部分もあるけど、
自分が採用したい部分はこの部分みたいな、
そういうところを単純に取らせてもらおうというか、
いただいてしまおうみたいな、そんな感覚で僕は聞いてるんですね。
だから土台にあるのは僕の生き方があって、
それに合致してその通りだよなって思って、
それをよりわかりやすく言語化するために、
近い概念として利用させていただこうかなみたいな気分があるんで、
リュウゲンさんと言ってること全然違うじゃないかみたいに思われる方は、
むしろはっきり言ってそうだと思いますっていう感覚でして、
あくまでも自分の感覚のためにやってますっていうのを、
最初に断りとして入れたいなと思ったので、
まずはそれを言わせていただきましたっていう感じです。
それに続けて何か言おうと思ってたんですけど、
忘れちゃったもんで一旦オーバー。
そうですね、たぶん最初の方でリュウゲンさんも、
仏教をツールとして使うみたいな感じのことをおっしゃってたと思うんですけど、
だからシュウさんもまさにリュウゲンさんの発信してる言葉とか哲学とか、
そういうものをシュウさんの中でツールとして使えるものがあれば、
それをどんどん拾っていこうと。
そういうスタンスなので、あくまでリュウゲンさんのフォロワーとか、
そういうイメージではないよっていう、
そういうふうに捉えたんですけど、いかがでしょうか、オーバー。
その通りですね。
そういう感覚で僕としても喋りたいなと思っていますっていうのと、
今けいじくんが喋ってくれてる間に思い出したのが、
ちょうど今日旅の途中でですね、
18:00
昼に熊本、今は熊本にいるんですけどね、
熊本でお会いした方がちょうどまた、
僕が今年の6月に2回目の瞑想合宿っていうのを京都で受けてというか、
去年の10月に初めて10日間の瞑想合宿に参加して、
今年の6月には生徒としてじゃなくて、
奉仕者として瞑想する方々を支える役割っていうのをやったんですけど、
その時に一緒にキッチンに入った、
奉仕者仲間のヒロシさんという方とお会いして散々、
瞑想の話をしてきまして、
その瞑想合宿っていうのが、
どっちかっていうと定座部仏教系なんじゃないかなっていうふうに捉えてまして、
明確にビパサナ瞑想センターが、
ここは定座部仏教系ですっていうふうには全然言わないんですけど、
そういう感じだろうねっていう、
僕もヒロシさんもそういうところで一致してて、
その意味で言うと、
リュウゲンさんとは違うスタンスになるのかなっていうのがふわっとあります。
その意味でそこをリュウゲンさんが仏教といっても、
じゃあどのスタンスなのかっていうので、
リュウゲンさんとしては3プラス1の仏教の中で密教の立場ですっていう話で話されていて、
僕なんかは全然そんな仏教の勉強したわけでもなんでもなく、
ただ瞑想合宿に参加しただけで、
それがでもどっちかというと定座部系らしいですっていうところで、
その意味で言うとリュウゲンさんの言われてた定座部はこんな感じですっていうのも、
正直言うとえらく雑に感じてたりもするもんで、
リュウゲンさんゲスト会の第一回としての感想は、
そこらへんが僕の感覚とはだいぶ違うなみたいな話が、
メインになっちゃうかもしれないなってちょっと思ったりしてます。
今じゃあすごい気になったのは、
僕としては多分、仏教3プラス1で4種類に分けるみたいな話で、
すごくわかりやすかったんで、
でもこれわかりやすすぎるなって逆にも思ったんですよ。
だからそういう意味で雑なのはわかりやすさ優先だからそうなんだろうなと思ったんですけど、
逆にシュウさんが思っている定座部仏教というか、
シュウさんが雑だと思った部分がもう少し詳しく聞いてみたいなと思ったんですけど、
聞かせてもらってもいいですか?
とりあえずゲームオーバー。
全然僕の方から。
全然いいですよ。僕やってみなかっただけなので別に。
あとこれやりながら聞いてる人はちょっとうざいなって思ってる可能性あるかもしれない。
それもあるのとですね、
21:02
あとはこれをやるとケイジ君がちっちゃいリアクションも全部ゼロになってしまうなっていう。
挨拶系もなってしまうなっていうところとかも感じたりしてるのと、
やっぱりそこまで考えがしっかりこれは言いたいなみたいなのとは限らないなみたいなところがあるから、
リアクションを聞きながらもうちょっと2人の会話がドライブしていくみたいな方が進めやすいのかなって今思ったので、
またこのオーバー使わないやり方でやりながら、
僕がどうしても挟みたいときにはごめんなさいちょっと待ってくださいって頑張って止めるみたいなのを意識しながら進めようかなと。
これだけは最後まで言わせてみたいなのを言うかもしれないです。
分かりました。でもちょっと短い間でしたけど楽しかったんで全然僕はもうやりきった感。
そうですか。よかったよかった。
普通の人との会話でちょっとオーバーやりたいんやけどって言ってもなかなか説明するの大変だしね。
確かに。
でもこれ確かに複数人でやったほうが楽しいかもしれない。
そうなんですよね。そうなんですよ。
ちょっと関西オフ会とかそういうので集まったときに一回試してみたいですね。
いいですね。はい、嬉しい嬉しい。
話がちょっと中断しちゃった気がしたけど、
そうですね。
しゅうさんの中で定座部仏教はこんな感じみたいな、
りゅうげんさんの言ってたのはこうだけど自分的にはちょっとこう思いますみたいな考えがあるとしたらどのあたりですか?
それで言うとですね定座部はこうだよねっていうのは僕は全然本当はわからないんで、
さっきも言ったみたいにおそらくは定座部系なんだろうねぐらいな感じなんですよね。
その意味で言うと僕らが瞑想合宿で聞いた流れで言うと本当に宗教色がめちゃくちゃ薄いというか、
もともと仏教って宗教じゃないみたいにりゅうげんさんも言ってるぐらいだからそうなんですけど、
どんな宗教の方でもこの瞑想っていうのはやれますよってむしろ言ってるみたいな感じなんですよね。
その意味でも定座部仏教みたいなしっかりしたカッチリしたものじゃないから当然なんですけど、
とりあえずこうわかりやすい対比としてだと思うんですけどりゅうげんさんがその枯れ木の境界みたいなことをおっしゃってて、
もうあのりゅうげんさんはミャンマーで実際僕もそういうふうにミャンマーで言われたしみたいに言ってたと思うんですよ。
でも一回も言われないんですよね。瞑想合宿では少なくともそんな風には言われないし、
欲望を持つなとも言われないんですよ。まったく。
24:04
だからその意味でまだ僕の瞑想合宿に参加のレベルが低いからかもしれないですけど、
もっとふわっとしてる状況で自分でこういいように解釈していいように利用できるっていうそういう状況だったもんで、
りゅうげんさんの説明はあくまで密教との対比っていうスタンスを説明するために言われたのかなって勝手に推測はしてるんですけど、
僕のスタンスとしては、瞑想合宿に参加してそれだけでも全然人生にめちゃくちゃ役立つと思ってるから今も一生懸命通っているので、
特に大乗仏教じゃなくても役に立つと僕は思っているんですけど、
今ちょっと話が一瞬スローになっているのはですね、役に立つって言ってる僕がめちゃくちゃ特殊な生き方してるから、
みんなに役に立つって僕が自信持って言えないなっていう自信の重さが急に出たっていうそんな感じでした。
なんかあの、悟りと下達と涅槃と浄泊が4つあるやつ、
なんかそれの違いを崖を登る例えでおっしゃってて、その時に浄座部はここまででみたいなのもなんとなくあったじゃないですか。
あれもすごくわかりやすい感じになってて、なんかまあこれは例えとして適切かどうかわからなくて怒る人もいるかもしれないですけど、すごくなんかロールプレイングゲームみたいだなと思ったんですよね。
ロールプレイング?
クラスみたいなのによってできることが違うとか目指しているものが違うとか、なんかそういうわかりやすさがあまりにもあったんで、
ほんまにそうなんかなって思いながら、でもわかりやすいのはほんとわかりやすいなとは思いながら聞いてましたね。
確かにあの話自体は印象的だし面白かったんですけど、
あの話が何のために話されたかっていうとやっぱり大乗仏教は浄仏?浄座部は自分だけ悟ってそれでいいのかよみたいな、なんかそんな表現がありましたよね。
そうですね、浄仏するっていうところが大乗仏教の目的みたいな。
あの崖の上の例えでいうと、崖の上に立った上に立った自分がまだ登れてない人に登りきる力を与えることっていう、だからそこまで自分が悟るだけではなく、悟った後に他の人を悟らせるように力を与えるっていうところまでやるのが浄仏するっていうことで、
27:06
それが大乗仏教の目的っていうのを言ってたんで、まあわかりやすいのはわかりやすいなって思いました。
あとなんか本当に、これは第1回じゃなくて第2回で言ってたのかな、本当に心が病んでしまった人は大乗仏教よりも浄座部の方がいいかもみたいなことを言ってて、そのあたりもちょっと本当になんかゲームっぽいなって思ったんですけど。
ゲームっぽいっていうか、僕が言ってるゲームっぽいっていうのと一般的に思うゲームっぽいのイメージが違うのかな、ちょっとあまり良くない例えかもしれないですね。
僕がゲーム能というかRPG能にちょっとなりすぎてるのかも。
いやでも聞きたいですね。
なんかね、すごい思ったのが、リュウゲンさんの話を聞いてて思ったのが、めっちゃルールの解説をされてるような気がしたんですよ。
まさにダンジョンズ&ドラゴンズのプレイヤーズガイドブックっていうルールがたっぷり書いてある図鑑のような本がありますよね。
あそこにその世界の世界観とかそのゲームのルールについて結構がっつり書いてあるんですけど、なんかあれ読んだだけだとどうやって遊ぶのかよくわかんないよなーって。
確かに確かに。
で実際に遊んでみて、あ、こういうことかみたいな。なんか全部書いてあることはわかんないけど遊んでるうちにだんだん書いてあることの意味がわかってきて、
ルール読んだだけだったら全然そのルールの使い方わかんないけど、実際遊んでみたらこういうふうに使うんだこのルールはみたいなのがだんだんわかってきて、
ルールによってこういう属性の人はこれができるんだけど、この属性の人はこれできないんだふーんみたいな、あ、そういうルールなんだみたいな。
はいはいはい。
そういうのにそういうイメージ、そういう感じを受けたんですよ。
なるほど。
だからルールがこういうのがあるっていうのは説明聞けばわかるけど、でもそのルールをどうやって使ってどうやって生きていくのがいいのかっていうのは、
ルール聞いてるだけじゃ全然ピンとこないなーっていうふうに僕は捉えたんですね全体的に。
だから実際、仏教の教えを自分の人生に生かして生きていってるっていう感覚を得ないと結局ここで言われてることはよくわかんないままだろうなっていう。
知識として知っててああそういうことなんだーみたいなところまでだなと思ったのと、あとはそうですね、
全ての人が悟りを開きたいとか思ってるわけじゃなさそうな気もするし、
でもすごくわかりやすかったのが、
30:00
は、その苦、苦しみの苦ですね。苦っていうのにフォーカスして、そこからいろいろ説明していくっていうのは、めちゃくちゃわかりやすかったですね。
そうですね。 苦を除くのが目的。苦からの脱却みたいな。
で、それをするために、これは2回目以降の話だと思うんですけど、
どう世界を解釈していくか、自分の認識をどう解釈していくかっていう考え方のフレームワークというか、それこそルール。
このルールに従って、こういうふうに考えていけば、苦を除くことができるんじゃないかみたいな、そういうところ。
そういうもんなんだな。まあ、それだから哲学的なものとも捉えることができるし、っていうような、はい。
なんで、僕が感じたのは本当に、ルールの説明を受けてるみたいなイメージでした。
なるほど。
はい。
その、定座部と定座部大乗、密教の違いの説明のところと、さっきの悟りを開く、あれ、2番目忘れちゃった。
何回も聞いてる。悟りを開く、下達する、涅槃に至る、成仏するか。
その4つの説明のあたりが、っていう感じですかね。
そうですね。本当になんか、そうかな。
だから、ゲームというか、僕そういう、小学生の頃から、設定みたいな、世界観の設定とかめっちゃ好きだったんですよ。
なるほど、はいはい。
あの、ギリシャ神話とか、すごい好きだったんですよ。
ちょうど僕が小学校の、高学年ぐらいの時に、セイントセイアっていう、
はいはいはいはい。
ギリシャ神話モチーフにしたジャンプの漫画が流行ったり、
あとビックリマンチョコ、スーパーゼウス、そう、あれも全部ギリシャ神話モチーフだったんで、
そこから図書室のギリシャ神話の本とかめっちゃ読んで、その世界観をノートにまとめていくみたいなのをしてたんですよ。
オリンポス十二神、ローマ読みとギリシャ読みみたいなので、神様の名前が違うみたいな。
とかをノートにまとめて、その世界観をまとめていくのがすごい楽しくて、一人でやってたんですけど、
もうその時から、世界観みたいな、設定みたいなのがすごい好きなんですよね。
だから今回の仏教の話も、そういうふうに自分は捉えてしまった気がしますね。
なるほどなるほど、面白い。
それは全く予想もしない視点でしたね。
そうなんです。だから知的好奇心がめっちゃ刺激されるというか、面白いのはめっちゃ面白いんですよ。
ただ、自分の生き方とか、考え方で参考になるとか、そういうのはあんまないなっていう。
33:05
そうなんだ、それもまたすごいな、そうか。
面白いですね、人によってここまで違うもんかと思って。
でもこれ、誤解されたくないんですけど、バカにしてるとかそういうのは全然全然ないんですけど。
そういうふうには僕も全然思ってないですよ。
本当に面白いなと思う、すごいなとはめっちゃ思うし、めちゃめちゃ説得力のある話だなって思うんですけど、
でもそれが自分のこの人生とか生き方とかにすごい影響を与えるっていうことは今のところないんですね。
いやでも確かにって言ってしまうとあれだけど、僕はその実践、だからこれ初回じゃなくてもう5回目まで聞いた内容にもどんどん食い込んじゃう部分があると思うんですけど、
後半で実践編っていう話になるじゃないですか、4回目、5回目は実践編っていう話、3区の訪問と6原三の話に行きますけど、
でもあれもなんて言うんでしょうね、6原三の中の前情っていうところ以外は考え方の説明だったよなって思ったんですよ。
それを要はでもそういう考え方を持って、特に出家せずに生きていけますよっていうことを指して実践って呼んでるんであれば、
あれが実践ってことかって理解することができるなと思ったんですけど、
僕はその、冒頭から言ってるみたいに瞑想合宿に参加して日々1日2回1時間ずつ午前午後を瞑想するっていうのを組み込んで生活してるんで、
僕にとっては実践ってそれがまず当たるんですよね。
だからそれは結局、密教では実践ってどれのことを指すのかなっていうのは6原三ゲスト会の中で、
くっきりとはちょっと確定できないなっていうのが今のところの僕の印象。
解釈はいろんな解釈の仕様があるんだけど、そこはもし6原さんに直接会えたら聞きたいなって思ってるみたいな感じかなっていうのが今のところの印象。
ゲスト会の1回目っていうよりは全体としての感想にも食い込んじゃいましたけど、
集計時代
だからね、いろいろ面白いなって思うから、途中で言ったみたいに有効利用させてもらおうみたいなところはいっぱいあるんですけどね。
36:02
分からないところもまだまだいっぱいあるなっていう、そういう感じですよね。
なんかその、成仏っていう単語も、これは素朴な疑問なんですけど、
6原さんの文脈に沿って捉えると、
定座部仏教だけがあって、大乗仏教とかが生まれたりする前は、
成仏っていう言葉がなかったのかなーって推測するしかないよなーって僕今のところ思ってるんですよ。
成仏って言葉があるんだったら、それ定座部でも取り扱わないわけないよなーって思うんですよね。
悟りを開く下脱する、涅槃に至るまではあったっていうことなのかとか、
なんかそんなことを考えたりしながら、まだ答えは出てないんですけどね。
そうですね。僕の印象だと、たぶん言葉としてはあったんだけど、
その言葉の意味がちょっと違ったんじゃないかなっていう気はするんですけどね。
結局だって成仏するって仏になるっていうことだから、
きっとみんなお釈迦様を目指してお釈迦様みたいになりたいと思ってるのは、
どこでも一緒な気はなんとなく、僕の本当に僅かな知識だから、
なんとなく成仏するっていう仏になりたいってみんな思ってて、
ただその大乗仏教で成仏するっていうのはこういう意味ですよっていうところで、
まあそれが一般的にそういうことってされてるのかなーって思ったんですけど、
でも定座部仏教の人だって成仏したいと思ってるような気もするんですけどね。
なんか言葉の意味が違うのと、やっぱりわかりやすく説明されてるんじゃないかなって僕は疑ってますけど。
今けいじくんが言われた成仏したいっていうのは、
引っ張り上げたいではない、引っ張り上げたじゃねえや、
力を与えたいではなく、
あ、そうですね。
仏になりたい、仏陀になりたいっていう。
それで大乗仏教の方でその成仏するイコール、仏になるっていうことは、
その崖の上に立った上で、さらにそこを目指してる人に力を与えることですよっていうのを、
ただ大乗仏教の人たちがそういうふうに定義してるだけなのかなって思ったのがわかってます。
これ集計時代で、はからずも初回からけいじくんがおっしゃってくれてた、
まさに言葉の定義の話ですね。
しかもその大の部分が成仏にめっちゃ繋がってるっていう。
確かに。
そうかもしれないですね。
繋がってますね、ほんとに。
無理やり繋げてんのか繋がってんのかよくわかんないですけど。
どっちでも大丈夫です。
そうですね、だから集計時代の大は成仏するっていう意味ですって後付けで言うのもありですね。
え、今の成仏はどっちでも成仏ですか?
いや、本当に世の中でいわゆる成仏です。
39:03
えっと、死ぬの方ですね。
あの世に行くっていう意味ですね。
そうですね、確かに。
あとなんだっけな、
あれ、あれ、やべ、逃げる、今思い出してた、ちょっと前に思い出してただけで逃げていく。
全然あれなんですけど、
その女王座部が、
えっと、枯れ木の、ん?だからその、
あれ、やっぱダメだな、逃げちゃったな。
ちょっとすいません、出てくるかもしれないでもう一回、ちょっと違う話からにしようかな。
えっと、この第1回を聞いて、
僕が一番、ああなるほどっていうか、これはすごく課題として考えないといけないことだなって思ったのが、
苦しいの苦ですね。苦とは何かっていうテーマ、そこから仏教を紐解いていくというか説明していくっていうところで、
ここでいう苦っていうのが苦しいの苦が何かっていうと、何かを望んでそれが叶わないとか、
得られないことによって発生する心理的な作用みたいなのが全て苦だっていう、
ちょっとした蚊に刺されて痒いとかそういうのも全部苦ですよみたいな話をしてて、ああなるほどって思ったんですけど、
その先の話で、苦は生きている以上必ず起こり得ることで不可避なことなんだけど、
それが完成していくと絶望と暴力を生むっていう。
ああ、それ話したかったんだ。そうだそうだ。
これめちゃくちゃすごい話だなって思ったんですよね。
すごい?
苦が完成すると絶望してしまって、その絶望が暴力に向かっていくっていう。
なるほどってめっちゃ思ったんですよね。だから世の中いっぱい、簡単に言うと戦争とか、
そういう本当に暴力が一番大きい形で出るものが戦争だと思うんですけど、
本当わかんないです。僕も戦争について詳しいわけじゃないので、
本当に絶望が、絶望だけが戦争を生むかというとそうじゃない可能性もあるなっていう、
普通に経済的な利権とかで発生する戦争とかもあったりするんで、
単純に絶望が暴力に向かい、それが戦争に向かっていくっていう単純な話じゃないと思うんですけど、
ただ、やっぱ苦っていうのが集まっていくというか、一人の中に積み重なっていって絶望になって、
42:02
その絶望が集まっていくと暴力、テロリズムとか、テロとかに繋がっていくっていうのは確かにそうだなと思った時に、
その宗教というか仏教がその苦を取り除く、世界から少しでも苦を取り除いていくっていうことを行っているのであれば、
それはとても素晴らしいことというか尊いことだなと思って、そういう意味でやっぱり、
僕は宗教、特定の宗教を信じてなくて、むしろなくていいんじゃないかって思っている、ずっと思ってはいたんですが、
でもそういうやっぱり苦を取り除くという意味があるものであれば、やっぱり人類にとって必要なものなんだなっていうのはめちゃくちゃ思いましたね。
なるほど、そうか、どうしようかな、どっち喋ろうかな。
両方、両方。
どっちを先に喋ろうかな。
でも最初に、最後のけじくんの表現でちょっと新たな喋りたいことが出てきたんですけど、
そういえばもうこの収録を始める前に思っていたのが、
集計時代の初回の収録を終えた後に、アフタートーク的にまだまだ僕らいっぱい喋ってたじゃないですか、あの日。
一応収録だけは回してあって、あの音源はあるんですよね。
で、流したければ流しても全然いいですよってけじくんはおっしゃってくださってたけど、
アフタートークとして喋ってたし、ちょっと編集の時間がなくて、いまだにどっかでいつか使えたらいいなぁぐらいに
思っている面白い音源があって、どっちかっていうと、
けじくんの思いをいっぱい聞けたと思ってるんですよ、アフタートークの中で。
そこでまさに絶望っていう単語が出てきて、
あの、あそこで喋った内容って別にNGないですよね。
別に大丈夫だよね。
けじくんは実は絶望してますみたいな表現をされて、
むしろそれでみんな絶望が足りないみたいな。
なんかそういうふうに表現されてたと思うんですよ。
で、それで言うと、まさにその言葉の定義で、
流源さんの言われる絶望とけじくんのみんな足りないって言ってる絶望が、
ちょっと定義的には違う感じがして、そこをけじくんと喋れたら嬉しいなと思ってたのっていうのが1点目ですね。
で、もう1点の方先に言っといたほうがいいですかね。
あの、さっきけじくんが宗教の意味があるのかなっていうふうにおっしゃった点なんですけど、
それについて僕否定するっていう意味では全然ないんですけど、
あの、瞑想合宿が、
えーと、瞑想合宿って言ってもそのご縁家さんの作られた、今の形に作られた、
45:04
僕が参加しているヴィパッサナ教会の瞑想合宿ですけど、
その瞑想合宿で言われているのが、どんな宗教の方でもこの瞑想は役に立つから、
宗教に限らず受けることができますって言ってるんですけど、
ただその10日間の瞑想合宿に参加している間は、
例えばなんかその宗教で決まっているお祈りをするとか、
なんか儀式的なことっていうのを一旦10日間だけやめて、
瞑想に集中してくださいっていうふうに言われるんですよね。
それは、瞑想の効果なのか、その宗教のお祈りの効果なのかわかんなくなるからみたいな表現されるんですよ。
で、とりあえずヴィパッサナ瞑想での瞑想の効果として言われているのが、
心を平静に保つことと、体のすべての感覚にいつも気づいていることという、
その2つが大事っていうふうに言われるんですけど、
特にその集中する的な意味で気づき続ける、
自分の体の感覚にいつも気づき続けるっていうのが、
まあいろんな宗教の中で、例えばその宗教の中での神様の名前を唱えるとか、
何々様、何々様、みたいな感じで唱え続けるとか、そうすると確かに心は集中しますっていうふうに言うんですね。
ただ、それだと、なんか、僕の表現だとチャチくなっちゃうんですけど、
ヴィパッサナで推奨している、自分自身が自分の体の感覚に気づくことによって、
気づくっていう集中を続けるっていうことと違って、
その唱えている瞬間しか集中できない、みたいなことになってしまうっていう表現があるんですよ。
だからそれは、日常生活を送りながら、ずっと唱え続けるって不可能じゃないですか。
僕はそういう意味合いだって解釈してて、これは僕の解釈なんですけど、
だからその意味で、ヴィパッサナ瞑想で練習的に自分の体の感覚に気づくっていうことを続けていたその修行の暁には、
日常生活を送りながらも集中し続けるっていうことができるようになるっていうのが目指す先って僕は捉えてるんですよね。
だから、その意味で僕は、むしろ何かの宗教に所属することにも効果があるのかもしれないですけど、
そうしなくても、瞑想的な感覚を身につけていくことで、戦争回避したりとか苦しみから逃れるっていう手法があると思っているので、
48:10
その意味で宗教、否定するつもりは全くないですけど、必要っていうふうにあんまり思ってないっていうスタンスがあります?っていうのを言いたくなったっていうのが、
さっきけじくんの話の最後に、どっちよかなってなったっていう感じでした。
なるほど。これはどっちの話もめちゃくちゃ面白いですね。
なんかそうですね、ぼんやりですけど、その宗教に関して思ってることもあって、
今のしゅうさんの特定の宗教に属してなくても、自分の感覚というか、感覚を磨くで集中、自分の体に集中するというか、感覚に集中することで得られる特殊な感覚というか、
僕の中で、僕の言葉で言うとセンサーを磨くというか、本来ならみんな持ってるはずのセンサーだけど、普通に生活してたら使わないセンサーを常に活性化させることが、多分瞑想を行うことによってできるのかなみたいな、そういう印象がなんとなくあって、
しゅうさんが目指してるところは、これは完全に僕独自の勝手な解釈と言葉なんですけど、やっぱり自分の中には特殊なセンサーを常にオンにしておけるようにするための瞑想をしてるのかなっていうふうに僕は勝手に解釈してるんですね。
で、それがその感覚を得ることができれば特に宗教、特定の宗教に頼ることはなく、それができるんじゃないかなっていうふうに思うし、しゅうさんもそういうことを言ってるんじゃないかなと思うんですけど、おそらくそれはめちゃくちゃ難しいことだし、それを目指すべきなんだって気づく人っていうのも本当にごくわずかというか、
ほぼいない気がしてるんですけど、一般的に僕の考える宗教っていうのは、もっとそれを簡単に、さっき神様の名前を心の中で唱えることで集中できるっていうお話あったと思うんですけど、
なんかそういう、たとえばあれなんだっけ、なんか一個一揆かなんかの時にその生みだ物を唱えるだけでいいみたいな話があって、簡単なその言葉を何度も唱えることで何かにすがることができるとか、その自分のその心が落ち着くとか、そのなんか不安が取り除かれるとか、テンションが上がるとか、なんかそういう効果があるような気がする。
なんていうか、その言われ、なんか割と簡単な動作をみんなでやることで一つになれたりとか、まあそういうことは悪いですけど、もっと置きがるに、置きがるにというか、カートリー低く何かしらの目的を達成することができる仕組みとかノウハウが宗教にはあると思ってるんですよ。
51:15
だからそういう意味で、まあ救いになってるのかなっていうところなんですけど、おそらく僕はどっちかというとそういうものに耐えるんじゃなくて、どっちかというとシュウさんの言ってるようにその自分の中の感覚を磨くことで、いろんな世の中のことに関して敏感になったり、その高い姿勢で物を見たり考えたりすることができるようになれば、ここでそれができるようになれば別に宗教なんかなくていいのになって思ってるっていう、まあそういう簡単に言うとそんな感じではある。
うんうんうんうん。そうですね。
はい。
いや、僕もそう、全員ができるようになれるっては思っていないんですけど、僕のビビリが実は発動していて、その特定の神様の名前だったり、そういうのを唱えることである程度効果が得られたとして、どういう効果は人によって違うかもしれないけど、
そうなった時に、それが違う、宗教が違うことによる争いっていうのが今まで見られるなって思ってるんです。
自分に対して効果があればあるほどその争いにつながるみたいなのが、その点においては、その構図のことについては僕、すごくビビリが発動しちゃうんですよ、僕の。
で、それがないんで、瞑想によって自分の感覚に集中するっていうことによる効果は、他の何ともコンフリクトしないっていう点において、僕はその、うん、
ある意味、申し訳ないですけど、ちゃんとやってないけど宗教よりも争い合う確率が減るんじゃないかなっていう、今のところそういう感覚だったんで、その意味もあってさっきの話が出てきたっていうところちょっとあるんですよね。
そうですね。
こっちの方が効果あるよっていうよりは、こっちが争う確率低くないっていう話でした、どっちかというと。
そうですね。まあ宗教に関して、なんか否定的な意見とか感情を持ってる人はほとんどそうですよね。
宗教の、例えばまあ歴史的にも宗教で起こった戦争があったりとか、あと日本のね歴史とか勉強してても、例えば比叡山の、一つの権力としての比叡山みたいな話が出てきたりとか、
あともっと、戦争とかそういうのじゃなかったとしても、その価値観をすごい押し付けてくるみたいなところで嫌がられるっていう部分もあると思うんですよね。
その価値観を押し付けるっていうのがすごく高まると争いになったり戦争になったりっていうことに結局なると思うんですけど、そうじゃなかったとしても自分が信じてるものが絶対だから、とても素晴らしいものだからって言って、
54:09
周りに強引に同じことをやるように、同じ神様を信じるように強引に押し付けてくるみたいなのって嫌悪感を焼かれてしまうじゃないですか。
そういうところが多分ちょっと宗教嫌だなっていう思う人たちとか、否定的な見方につながっていくのかなとは思うんですけど、
そうですね。だからその辺の話ともう一個が絶望の話ですね。
そうですね、けいさんの。
そう、僕もね、そうなんですよ。だからこの前話したその話の時に言ってた僕が言ってた絶望っていうのと、さっき言ってたその苦が集まって絶望、苦が完成すると絶望になりそれが暴力につながっていくの絶望はまあ同じ部分もあるし違う部分もあるかなっていうところは、
同じ部分あるんですね。
あると思いますね。絶望っていう言葉自体、単語が持ってるその望みを絶つみたいな、その望みがないっていう意味の絶望はどっちも一緒だと思うんですけど、
その中からなんて言うんですかね、僕が世の中には絶望が足りないとか、僕が完全にもう絶望してるって言ってる時に言ってる絶望は、
そうですね、あの時は僕は聞いたけど、みなさんは初耳だろうから、そこをもうちょっとあれかもしれないですね、けいじくんの感覚を話せるんであれば話してもらってからの方がいいのかな。
そうですね、絶望、そうだな、世の中に対してちょっと絶望が足りないなって思ってるのは、考えなくちゃいけないことから逃げてる人が多いんじゃないかなっていう風に思ってるというか、
例えば、地球の温暖化のことに関して、世の中の人がもっとそのことに関して絶望してたら、しゅうさんは僕の感覚で言うともう完全に絶望しててその生き方をしてるっていう人なんですよね、地球温暖化のことに関しては。
でも、絶望してないから、まだいけるっしょって思ってるってことだと思うんですよ。
57:02
なるほど、そういうことか、はいはい。
絶望してないから、いやまだいけるっしょ、なんとかなるっしょって思ってる人たちのことを僕は絶望が足りないなって思って言ってるっていうことで、だから絶望っていう言葉がちょっと重すぎるのかもしれないですけど。
やっぱり僕の中では違う言葉に置き換えたくなっちゃう。
なるほど。
リュウゲンさんの言われてるのとはやっぱ。
そう、違いますね、多分違う概念、ほぼ違う概念を指してて、っていう気はなんとなくしますね。
単語レベルの絶望っていう望みがないという意味だとすると、ある種、同じ言葉として使っていいとは思うんですけど、概念としてはまあまあ違うかなっていう気はしますね。
僕はこの集計時代はケイジ君が僕のことを深掘りというか、理解する的な。
そうですね、集散哲学を知りたいっていう。
でも僕は僕でケイジ君のあのアフタートークで喋ってたものを解きほぐしていくと、それだけでめちゃめちゃ世界平和につながるって勝手に思ってるんですけど。
でもそうですね、僕は割とだからいつも、覚えてないですけど、割と昔からこうやっぱり戦争はどうやったらなくなるのかなってずっと思ってる部分もあるし、
そうですね、常に自分個人の本当に個人的な判断をする時の指針としては、後悔をしないように、後悔をしない方の選択肢を選ぶっていうのをしてるんですけど、ずっと。
もし自分が何か会社とか作るんであれば、会社としての目標みたいなの、ミッション、ミッションってことじゃないですけど、会社として何か集団として動くとき、バンドでもいいんですけど、バンドでも何でも集団として動くときの目標というか指針は、世の中の幸せの総量を増やしたいっていうふうには思ってるんですよ。
なんか言われてましたね。
それは常にずっと割と若い時から考えてる気がしますね。
でもそんなに深くはないですよ。
語れるほどの、普通にみんな世の中の人はだいたい世界平和になったらいいなとはぼんやり思ってると思うんで。
1:00:00
まあ、そのうちの一人だとは思ってるんですけど。
シュウケージダイ)
いや、なんだろうな。ケージくんの絶望っていう単語だったからかもしれないけど、
ケージくんがそういうふうに感じていることが、どういうところから来ていて、
それに対して僕がどういうふうに感じるみたいな話をすること自体が、世の中の人たちに、どっちの僕寄りだったりケージくん寄りだったり、どっちの感覚に近い人にとっても、
解像度が上がるきっかけになるんじゃないかなっていう意味で、しっかり平和に繋がるという大げさな言い方をしただけなんですけどね。
それだけ、僕が気になるテーマっていう感じかな、あそこから深掘れそうだなって思ってるっていう、それだけなんで。
今回はりゅうげんさんゲスト回なんで、全然長いスパンでいずれできたかなみたいなことを、むしろちょっと気になるなぐらいのところで止めておいてもいいかなって思ってるんですけど。
そうですね。絶望と繋がるかっていうか、この話で僕が最近思ってることは、例えばですけど、今、AIの発達が多分原因というかそのせいだと思うんですけど、
いろんなサーバーがいろんな攻撃を受けて、いろんな不都合なことがいっぱい起こってるんですよね。
僕はITの仕事してるから、特にそういうの耳にする機会が多いというかなんですけど、
これも確実にそのAIの力を使って、どんどんいわゆるサーバー攻撃みたいなことが増えてるし、やりやすくなってるっていうところがあるんですけど、
それって例えば、そういう悪いことというか、そういうセキュリティに対する攻撃みたいなのって別に今始まったことではなくて、昔からインターネットが始まった時からずっとあって、一定の割合でそういう悪いことをする人がいるんですけど、
人間の性質上一定の割合でそういう人がいるのはしょうがないかなって僕はずっとぼんやり思ってたんですけど、最近思うのが、これは別に国とかそういうのに関係なく、
1:03:06
国でもいいし、別に日本人の中でもいいんですけど、とにかく貧富の差がすごく広がってて、すごく貧しい人たちは世の中に対して恨みがあるというか、不公平だってすごい思ってると思うんですよ。
だから、悪いことをして自分が利益を得たとしても、それはこの悪い、世の中自体が間違ってる、この不公平な世の中自体が間違ってて、一部のお金持ちが甘い汁を吸ってるそんな世の中だから、多少その悪いことをしてでもその世界に復讐してやるんだっていう気持ちでやってる人がいたとしたら、
それはでもちょっと確かになって、思ってしまえるようなっていうふうに最近思うようになって、結局このやっぱ格差とか貧富の差が広がってるこの世の中の仕組みというか構造自体に問題があるから、そこを是正していかないことには、
これはどんどんそういう攻撃自体がしやすくなってるので、これ収まっていかないよなって最近すごく感じるんですよね。この貧富の差みたいな格差みたいなやつが何とかならんかなっていうのは最近すごい思ってますね。
そうですね。AIによってよりそれがさらに差が激しくなってたり顕著になってたり破壊的になってたりっていう話として捉えたんですけど、
だからそれに対して、僕意外と絶望してないんですよね。そのけじくの単語と違うと思うんですけど、ビビリのくせに、センサーが敏感なだけで僕、僕はビビってない瞬間って他の人より楽天的なんだって最近思っていて、
ビビってない、ビビってない瞬間は他の人より楽天的。
これは何かただの言い回しに聞こえちゃうのかな。僕、雑すぎる言い方だからあんまり表現として使いたくないんですけど、正善説、正悪説みたいなのがもし2つに分かれるとしたら、もう完全に正善説なんですよね。
だからその意味で言うと、僕はどっちかっていうとけじくの表現に似た感覚として言えることとしては、やっぱ絶望が足りないっていうよりは手放しが足りない、手放すことが足りないってなるんですよね。
1:06:18
自分たちの技術を使ってAIみたいなものまで使って、これがやれる、あれがやれるみたいなことに進んでいくと、破壊的なことが起こってしまうって思っていて、
これはリュウゲンさんゲスト会ではなくて、瞑想合宿の方での表現が僕にとってはしっくりくるんですけど、苦しみの苦の原因として、感覚と反応の話は前回から言っちゃうんですけど、
瞑想をすることで感覚が自分の体に感じる感覚っていうのは変えようがないものとしてあって、いい感覚の時もあれば悪い感覚の時もあって、でも問題なのはそれに対する反応で、
いい感覚の時にはそのいい感覚をもっと得続けたいっていう渇望になってもっといくと執着になって、悪い感覚の時にはそれから一刻も早く逃れたいっていう嫌悪が生まれてもっといくと憎悪になるっていう、
いつも僕が話してる話があるんですけど、話してるというか僕が瞑想合宿で教わった話があるんですけど、要するにどっちにしても苦になってしまうっていう意味で、自分たちがやれることをどんどんやれるやれるって言って先に進めれば進めるほど苦も増すよっていうのに一旦気づかないとっていう感覚なんですよね。
だから僕はその欲望を出せば出すほど苦に繋がるから、それはAIとかで加速させればもっと大きい失敗返しが来るのは当たり前だよねっていう風に見てるんですよ。
それにはどっちかっていうと絶望するっていうよりは当たり前のように当たり前のことが起きてるから、それを起こさないように手放そうみたいな。手放し方が足りないよねって僕は捉えちゃうんですよね。
だからそれはAIによって何かが加速したとしても程度の問題というか、程度がもっと激しくなる、そりゃそうだよ、そっちの方に進んでるんだもんって思うんですよ。
でも今喋りながら思ったけど、その考え方のことを大乗仏教とか密教の人たちは枯れ木の教会って呼んでるんですかね?
1:09:02
確かに僕もちょっと今の話を聞いてて、これやっぱ大乗仏教じゃなくて定座仏教っぽい話だなって聞きながら思いましたね、確かに。
なるほど。これでも僕、瞑想合宿参加する前からこの考え方なんで、僕が枯れ木な考え方なのかもしれないですね、そういう意味で言うと。いまだに枯れ木とは思ってないんですけど、枯れ木ってやっぱり死んでるじゃないですか。枯れてるから。
でもね、枯れ木は確かに死んでるっていうのは確かに言われてみたらそうだなと思ったんですけど、僕でも枯れ木っていうものに関して、死のイメージはあんまなくて。
そうなんですか。
そうなんですよ。死を飛び越えて、ミイラみたいなイメージですよね、どっちかっていうと。
ミイラって死んでる人の。
だから死んでるんですけど形は残ってるじゃないですか。だから死を乗り越えてもそのまま形があって、死のそのネクストステージのイメージはありますよね、枯れ木に。
いやー、それで言うとね、僕やっぱり違うんだよな。ケイジ君の表現を借りると、笑顔でいられる僧侶を増やしたいでしたっけ。
幸せですね。
幸せの僧侶か。
僕は幸せに笑顔とか笑いっていうのが、わりとひも付きがちなもんで、だから自分でも俗語収賞ラジオって言って笑いっていうのをつけてるぐらいなんですけど、ケイジ君の言葉を借りると笑いの量を増やしたいんですよ。
で、笑いの量を増やすために、欲望を増やしちゃうと笑えないから、みたいな感覚なんですよ。
しゃれんらんないから、みたいな。自分たちの欲望を叶えようとすればするほど、みんな笑いの量が増えると思ってやってるかもしれないけど、むしろ逆だから、笑うために、もっともっとみんなが笑い合うために、みたいな意識の現れなんですよ。
もっと笑いたいっていうものが、もっと笑うためには欲望を減らす、でもそれを枯れ切って表現すると、なんか枯れ木は枯れ木で笑えない気がしちゃって、なんかもうちょっとちょうどいいところを僕は目指してる気がしてるんですけど、
でも、仏陀ってまさに中道っていうふうに、中道って言葉自体は大霊仏陀さんがおっしゃったんですよっていうのは、リュウゲンさんも言われてたんで、ジョーザムも僕はそれを目指してるとしか思えないんですけどね。
1:12:03
確かに中間有識みたいなところには、昔は至ってなかったかもしれない。長丸淳也さんが現れるまではそういう解釈はなかったかもしれないけど、いやもうそんな難しく解釈しなくても、ちょうどいいところを目指そうよって言い続けてたシンプルな教えのようにしか僕は感じないもんで、枯れ木って言われちゃうとなんかって思うんですよね。
ちょうどよくない?はいはい。ごめんなさい。いいです。笑えるっていうその笑いの量を増やすのが、ちょうどいいっていうところで一番笑えるっていう感覚とか認識ってことですか?
笑いの量を増やしたいっていう風に、しゅうさんが思ってるっていうことで、やっぱりちょうどいいを目指したいっていうところもあるとすると、僕が今話を聞いてる途中まで、笑いの量を増やしたい、そのためにはどういう状況なんだろう。
人間がやっぱり気持ちよくなりたいっていう欲望があると思うんですよね。苦の反対で楽としてもいいかもしれないですけど、そっちに向かっていく欲望がどんどん加速していってるのかなって気はしてるんですけど、
しゅうさんはそういうふうに欲望を加速させると、苦も増えるだろうと。じゃあ苦は増やさないで、笑いの量を増やすためにはどこを目指そうとしてるのかなと思ったときに、ちょうどいいっていうところを目指してるっていう風に話が今あったと思うんですけど、
じゃあちょうどいいところを目指すとみんなが笑えるっていう、そういうイメージっていうことですかね。
そうですね。まさに今けじくんがおっしゃってくれたみたいに、苦の対比概念としての楽が僕が笑える、笑いの量が増えるっていうか、本当は笑いの量が増えるっていう表現もちょっと雑と僕は思っていて、どっちかっていうとバランスを取るに近いんですよね。
総量を増やすというか、一定の人口、一定の時間の中で笑いの量の適正値みたいなものがあると思っていて、そこに近づけるみたいなイメージなんですよ、どっちかっていうと。
量が単純に増えるっていうよりは、この時間内、この人間の数の中でちょうどいい笑いが出現する回数、最初から最後までみんなが笑い続けるなんてこんな不自然なことはないんで、
1:15:16
一番よくバランスが取れていて、一番よくなんかギャップが生まれてみたいな時にちょうどいい笑いっていうのが生まれるって思ってるもんで、そういうイメージの中でちゃんとバランスを取らないといい笑いが生まれる回数が減る、減るじゃないんだけど、表現としてはそうなっちゃうかな。
だからその意味で、適度に一番いい感じで笑う回数がいろんな人にちょうどよく現れ続けるために、全体のそれぞれの欲望もちょうどいいところで留めておかないと、
やっぱり世の中の中から笑いの回数が減るみたいな感じのバランスの崩れ方をしちゃうんじゃないかなって思ってる。
だからどっちかというと笑いを増やすっていうよりは、やっぱりその笑いを減らす要因の方としての欲望をもうちょっと適正値まで戻さないとでしょうって思ってるって感じですかね。
りゅうめんさんもあれですよね。楽のバリエーションは多すぎて、そっちに着目するよりは苦の方に着目した方が早いみたいな。早い?早いじゃないかもしれない。仏教では苦に着目するんですって言ってたと思うんですよね。
そうですね。楽を追求してもキリがないから楽を妨げる苦にフォーカスするっていう感じで言ってましたね。
僕はその笑いを減らす要因としての欲望みたいな意味で言うと、その欲望もだから、欲望が原因で苦に繋がってるから、基本的にはりゅうめんさんと全く同じこと言ってるつもりで今も喋ってるんですけど、聞いてる人はうそーんって思うかもしれないけど、同じようなことを喋ってるつもりで喋ってるんですよ、実は。
一旦そんな感じで終わりなんですけど。
いや、わかりますよ。その欲望が苦に繋がるっていうのは多分わかりやすいんですけど、やっぱりそうですね、ちょうどいいっていう言葉があまりにも漠然としすぎてて、何をもってちょうどいいとしてるのかとか、
人類全体にとってのちょうどいいがあるのか、個々人のちょうどいいがあるのか、でも全ての人が欲望に向かって突っ走ってるわけではないような気もするし、
1:18:08
そのあたりが僕の中ではぼんやりしてるなっていう感じはしてるんですけど、
ぼんやりはしてるんですよ、僕もね。
なんていうか、それはそもそもぼんやりしてるもんだとも思っていて、だから感覚が僕は一番大事だって思っているのはそうなんですよね。
定量化とかお金とか何かが測れるみたいなものに僕は違和感を持ってるから、お金を手放して自分の感覚をもとに生きていこうっていうことを発信してるつもりだったりするんですよ。
僕がアウトプットが先っていう風に言ってるのもそれの一つだと思ってるんですけど、僕らが自分の感覚みたいなものを大事にし続けるっていうことだけで世の中回っていくんじゃないかっていうのが僕はアウトプットが先っていう言葉の中に意味合いとして含まれてるんですね。
インプットが先っていうのは交換条件の裏返しみたいな、交換条件っていうものが最初にあるみたいなことを指してインプットが先って言ってるんですよ。
何かをもらえないとこれ渡しませんよっていう交換条件のことを指して言ってるんですけど、それって物事が測れたり、何かが同じ、これとこれは10日だよね、同じ量だよね、だから交換に耐えるよねっていうことを測って、
数値化したりしながら測って成り立たせているものって思ってるんですけど、それと感覚っていうのは本当は本来別物なんじゃないかなって思ってるんですよ。
だから自分たちの感覚っていうのをどの瞬間も大事にし続けるっていうことをそれぞれの人がなるべく多くの人がやり続けられる世の中をイメージしている、それに過ぎないと言えば過ぎないので、そういう意味でのちょうどいいになるんですよ、僕が言ってるちょうどいいっていうのは。
そういう意味でのちょうどいい。自分の感覚を大事にするところからつながるちょうどいいですか。
1:21:01
ちょうどいいって感覚でしかないと僕は思ってるんですよね。量で示せるものではないと思っていて、量がある最大な数量が決まっていて、それによってここまで使えるのが一番ちょうどいいでしょうみたいなことは言えるかもしれないんですけど、
僕は注目しているのは人の笑いがどれだけちょうどよくみんなが笑えているかなので、そこに対しては量とかでは本来測れないんじゃないかなって思ってるっていうのが大前提としてあるんですよね。
偶然測ったものと似た位置に来ることはあるかもしれないけど、人間の感覚を僕がベースに考えている以上は、その感覚をみんながそれぞれ無理せずちょうどよく出し合っていってバランス取り合うしかないなーって思ってるんですよね。
でも何かそれを数字化してしまったり定量化してしまったりすると、相手の気持ちとか自分の気持ちを無視したところに何か判断基準が現れてしまうなって思ってるんですよ。
量を意識するとっていうことですか?
量を意識したり目の前に現れたりしてしまうと、
目の前に現れるっていうのは量、何が現れるってことですか?
何かを定量化したりする、お金が本当は一番わかりやすいなと思ってるんですけど、お金でこれがこんだけの額ですっていうふうに出てきたり、それによって取引が実際に行われたりっていう、いろんな現れ方があると思ってはいますね。
様々あるんですけど、そういう全般が僕、全部違和感だと思うんで。
代表的にはお金お金って言ってますけど、その裏にある交換条件を満たさないと生きていけないっていう、ある意味思い込みみたいなものが、
もう今この時代にはなくてもいいんじゃないかって思ってるっていうのがアウトプットが先な発想の根っこにあるんで、
そういう交換条件がないといけないっていう、それを前提として相手に提示するお金とか、その動きそのものみたいなものが現れた時っていう感じで喋ってますかね。
なるほど。僕、ずっとこのしゅうさんの発信をもう3年ぐらい聞いてきてて、自分の感覚を大事にするのところの意味が今やっとわかりましたね。
1:24:08
なるほど。やってよかった集計時代。
おお、よかった。
今この表現じゃ何も伝わらなかったかなって思いながら聞いてたけど、伝わりました?
いや、わかりました。で、僕は、それね、僕も同じようなこと考えてたんですけど、
でも、そうですね、だから、完全に同じ思想っていうわけではないと思うんですけど、今のその概念、自分の感覚を大事にするっていう言葉ではないんですけど、
そのしゅうさんがそこの言葉で説明しようとしてる概念みたいなのが僕の中でもあって、
それはお金の話とかともつながるし、僕中学生ぐらいからずっとそのこと考えてるんですけど、
定量化とか、定量化っていう言葉ではなかったんですけど、ちょっとじゃあその話軽くしていいですか?
もちろん、もちろん、お願いします。
まず、そうですね、どっから話したらいいかな。
シンプルな話で、なぜお金みたいなものがあるかっていうのを考えたときに、
これお金の歴史で厳密に言うと違うらしいんですけど、
簡単なシンプルな話で言うと、昔はお金がない時代は物々交換があったと。
物々交換っていうのは、物と物を交換するから、
場所とかタイミングによって物の価値が変わってしまうし、そもそも人によって物に対する価値が違うから、
物々交換はなかなか難しいと。
で、お金みたいなものの価値を定量化することによって、交換がしやすくなると。
だからお金みたいなものがツールとして生まれて、
人間の間の物のやり取りがすごくスムーズに進むようになったから、
文明がそれで発達していったみたいな、そういうシンプルな話あるじゃないですか。
要は物々交換だけで済めば全然いいんですけど、
やっぱり物々交換っていうのは価値観が同じ人の間じゃないと成立しない。
例えば僕にとってダンジョンズ&ドラゴンズのプレイヤーズハンドブックはすごく価値のあるものかもしれないんですけど、
なのでそれを同じ価値を感じてくれるシュウさんにこれプレゼントしますって言って渡したらシュウさんも喜んでくれると思うんですけど、
全然そうじゃない人にこれプレゼントしますって僕がすごく価値のあるものだって渡しても渡された人にとっては全く意味を持たなかったりするとか、
1:27:00
そういうことじゃないですか、物々交換って。
でもお金だと例えば5000円といえばどこに持ってても5000円の価値があるからお金便利だなみたいなそういう話ありますよね。
で、これってとにかく何かの価値を定量化、数値化することにおいてすごく便利になるっていう話じゃないですか。
とにかく便利なんですよね。
僕は中学校の時に思ってたのが、そのお金の話はシンプルなんで多分小学、高学年ぐらいでも理解してた話だと思うんですけど、
中学生の時にこの後高校受験とか大学受験があるんだよみたいな日本人としての将来の道筋が見えてきた時に、
とにかく入試ってそのテストの点数で全てが決まる。
で、その科目も国語算数、理科、社会、英語みたいな5科目とか基本になってて、
そこのテストでどれだけ点数取るかでその人の行ける大学とかが変わっていってその後の人生も全然変わるっていう、
ただのこのテストの点数だけで人生が決まってしまう恐ろしさみたいな。
で、その時思ったのが、人を測る物差しの種類が少なすぎるなと思ったんですよ。
もっといろんな物差しでいろんな人の価値が測れるはずなのに、物差しの種類少なって思って、重んないなって思ったんですよね。
その物差しの数が少ないっていうのはその僕の中学生の時の言語化なんですけど、
今思えばだからその定量化、本当だったらいろんな定量化の仕方があるはずなのに、
画一的な定量化の仕方でその価値観みたいなの数が少なすぎるものでいろんな価値が決められている世の中に対する
アンチな考え方が修さんの根本にあるのかなってなんとなく思って、
で、その自分の感覚を大事にするっていうのがそういう定量化された価値観、
世の中の物差しみたいなものに縛られるべきではないっていう考え方なんだなっていうのに今気づきました。
うれしい。
さっきの言語化でそこに気づいてもらえたのはもう喜びでしかないですね。
なんかだいたいポカーンとして終わるみたいな。
またうまく言えなかったなみたいな感じだったけど、よくさっきのでわかりましたね。
全然めちゃくちゃわかりやすかったです。
僕はずっとそれを考えてたっていうこともあるかもしれないんですけど、
僕が今すごく、さっき絶望してる話もあったんですけど、
すごく希望というか、
要は大学生ぐらいになって、僕は情報知能工学科、
僕は中学生になって、
1:30:01
人工知能の勉強がしたいなということで、人工知能とか情報知能の学べる大学に行きたいなと思って、それがまあそんなに数多くなくて日本の中で。で、それがたまたま神戸大学だったから、神戸大学に行って、そういう勉強ができたんですけど、あのその中でいろいろ言葉とか概念を知っていく中で、まあパラメーターというものを学びたいなと思っていたんですけど、
パラメーターというかパラメーターの説明…変数、日本語で言うと変数なんですけど、要は何が今言いたいかというと、そのパラメーターっていうのがその一つ一つのものさしみたいなふうに考えたときに、簡単に言うと3次元っていうのは縦横高さみたいな3種類のパラメーターがあるからそれぞれの方向に x 軸 y 軸 z軸っていうものさしがあるみたいな。
それは3次元で場所を決めることができる3つのパラメーターで決めることができるということで、そのパラメーターを増やしていくといろんなものを細かく表現することができるようになるんですね。
人工知能、今AIがすごいことになってるっていうのはその一度に扱えるパラメーターの数がもうものすごい何億何兆ってなってるから、すごいいろんな複雑なことを捉えて演算することができるっていうことになってるんですよ。
それってその人間のもう能力を遥かに超えた人間が僕ちょっと詳しくそこはわからないんですけど、認知科学とかの領域になると思うんですけど、人間が同時に処理することができるパラメーター数って本当にたかが知れてると思うんですよね。
例えば、自分がバイトリーダーみたいなことになって、なんでもいいんですけど、集団をマネジメントしないといけないときに、例えば10人部下がいますと、10人部下がいるのを3つのグループに分けてそれぞれ仕事をさせたいっていうときに、どういう基準でその10人の部下を3つのグループに分けるかっていうときに、
いくつのパラメーターを同時に判断することができるかっていうようなことを考えたときに、例えば性別が一つのパラメーターになって、年齢が一つのパラメーターになってっていうふうに考えていくと、いくつかパラメーターを設定することができると思うんですよね。
趣味っていうパラメーターがあってもいいし、性格っていうパラメーターがあってもいいし、もっと細かく怒りやすさっていうパラメーターとか、おっとりしてるとか、とにかくそういう考慮すべき要素みたいなイメージでもいいと思うんですけど、それを同時にいくつ要素を考えて一番最適なグループ分けをできるかって、
20も要素を考えてやれたとしても相当な仕事量だと思うんですよね。でもAIってそこのパラメーターがものすごい数増やせることができるんですよね。増やした上にそれを演算することができる。
1:33:08
考えた時に僕はAIの僕の理想の未来は、本当に人間が処理できないレベルでの、いわゆる物差しというか人の評価というか、人じゃなくてもいいんですけど何かの評価、まさにシュウさんが言ってた感覚を大事にするっていうような演算処理がAIだったらできるんじゃないかなっていう、そこにはすごく希望を持ってるんですよ。
演算でいけるんだ。いけるってイメージできるんだ。そうか。
僕はね中学生とか高校生の時に思ってたもう一つのその物差しがどうかの時に思ってたのが、これもどっかで話した気がするんですけど、人それぞれに様々な才能があるけど、物差しの種類が少なすぎてそれぞれの才能が測れないというか発見できないなと思った時に、
将来、科学が発達したら、それぞれの人の長所とか才能とかを細かく判定することができて、この人にはこれが向いてる、本人がやりたいやりたくないは別なんですけど、この人はこれをやるのが一番この人の特性に合ってるなとか、
そういうその人を生かすことができる何かしらのそのものというか、それを判定できる世の中になったらすごく素敵だなと思ってたんですけど、AIが発達したらある意味そういうことができるようになるというか、すごいマッチング精度がとにかく上がる気がするんで、それはその人と人とのマッチングじゃなくて、
趣味、例えばあなたに一番向いてる本はこれだと思います、漫画はこれだと思いますみたいなマッチングも含めて、それが本当に良いことなのかどうかはちょっと置いといて、でもその人が何かを探したい時とか、自分に適してるものは何かなと思った時に本当に最善のものが提示されるっていうことが、今半分も現実化してるじゃないですか。
ぜひは置いといて、良いか悪いか置いといて、レコメンド技術みたいなところ、これが僕が中学生とか高校生の時に思ってた世の中に近づいてる、でも何か寄り道がなくいきなり一番良い最適なものがパッと渡される世の中が果たして本当に良いかどうかはまた全然別の話だと思うんですけど、
でもある意味、何かそういう多くのパラメーターを同時に演算することができることによる利点というか、話がちょっと色々妥当しててあれなんですけど、しゅうさんはちょっと信じられないかもしれないですけど、僕の中では希望として、絶望の反対の希望としては感覚を大事にするっていうことが実はAIの発達で実現しやすくなるんじゃないかなって。
1:36:06
要は物差しが増えるから、何かそういう世の中に具体的なあれはわかんないんですけど、こうこうこうなるからこうだよっていうのはわかんないんですけど、何となく今のあまりに物差しが少なすぎて、結局お金みたいなもので世の中の価値全てが決定されてると僕の中では見えてるんですけど、
お金以外の色んなものの価値が測定できるっていうとまたちょっと嫌がられるかもしれないですけど、今はお金でしか価値が測れないものが様々なパラメーターによって、見方によってはこれはものすごく価値があるものだっていう、色んな価値が見出される世の中になるんじゃないかなっていう希望はあります。
うまく説明できてないかもしれないですけど、ずっと僕は思ってたんですよ。
すごい言語化力って思って聞いてますよ。
何ですか何ですか。
すごい言語化力って思って聞いてますよ。
人間の処理できるパラメーター数が少なすぎるから結局お金とかそういうものに頼る学歴っていうか学力とかテストの点数とかお金っていうパラメーターに頼って色んなものを判断してるのは人間の処理能力の低さが原因だなってずっと思ってるんで、
AIがその突破してくれる、うまく使えばすごく幸せ、それぞれの幸せが実現できる世の中を作ることができるんじゃないかなっていう気はすごくしてます。
なるほどな。
って思ってたから、しゅうさんの自分の感覚を大事にするっていう、量では測れないからっていうのがやっとわかったっていう。
すごいな。
3年かかった。
さっきの表現でわかったっていうのもすごいなって思うんですけど、今はまだ僕も測れるかなってシンプルにまだ疑わしいと思っているのと、
またこれがちょっと何にでもひねくれて反応してるだけに感じられるかもしれないですけど、測れれば解決するとも思っていないところがあって、
なんで感覚って僕が言ってるかっていうと、自分でも自分の気持ちに気付けないって思ってるからなんですよね。
これはじゅうけんさんの何回目で出てきたか、2回目かな。
まなしきの話が僕は今めっちゃ気になって。
まなしきはもっとさっきか3回目か。
3回目かな。
認識の話してるとき。
そう、あ、有識だから3回目か。
3回目ですね。
まあ、終章ではまだ出てきてないかな。
でも終報では言った気がするな。
まなしきが大問題じゃないかなって思ってるっていう話をしたんですけど、
1:39:04
AIはそこの区別がつくのかなって思っていて、
みんながそれぞれに自分の感覚っていう風に口では言ってるかもしれないけど、
それが自分で自分の苦しみを生み出しているっていうところまでAIが本当にわかるんだったら、
その数値化できることに意味があるかもしれないんですけど、
そこまではなかなか今のとこイメージできないなって思ったりしてて、
感覚大事っていうふわっとした表現に僕なっちゃってるんですけど、
感覚を大事にしていく中でも本当に、
それこそ悟りに至るまで意識し続けないといけないって思ってるぐらいな代物なので、
今の時点でちょうどいいところにたどり着く。
それぞれの人がたどり着くのもみんなにとってもある程度大変。
笑いと逆のことじゃんかって笑うのってそんな大変じゃないよって思うかもしれないけど、
僕は死ぬほど大変だと思ってて、死ぬほど大変だけどそれでも笑いたいよねって思ってるのが僕なんですよ。
その意味で希望を捨ててない的な意味で楽観的って言ったんですけど、
だからそこまでたどり着くためのショートカットみたいなものってあるんだっけなーみたいな感覚があるから、
数値化されて見えればそれで何かが解決できる感じが今のところしてないから、
AIがそれに役に立つイメージが若なすぎるというか、
より惑わされたりより混乱しそうなイメージが湧いてる。
ちょっと僕が今しゅーさんが言ったことを理解できてるかどうかわかんないんですけど、
僕の感覚だと今の話も聞いて思ったんですけど、
AI的なものが渡すことができたとして、
僕は渡せるようになると思うし、
人類が言語化できてることは全てAIは理解できると思ってるので、
一人しか、一人しかっていうか、
仏教哲学的なことも言語化されてるものはある程度AIは全部理解はできると思うんですよ。
で、さっきしゅーさんが言ってたことで僕が思った、
違うかもしれないんですけどしゅーさんが言ってることと、
AIがそれを渡すことができるのかみたいな疑問だったと思うんですけど、
僕は渡せると思うんですが、
逆に受け取る側がそれを理解できないんじゃないかなと思うんですよ。
だから結局受け取る側が常にしゅーさんが言うように、
1:42:02
センサーを磨き続けるというか、
感覚を磨いてないと結局ダメだとは思います。
受け取り側のセンサーが鈍ってしまったら結局意味がないかなって思うので、
ショートカットっていうのは結局渡す方はショートカットしてる感じかもしれないけど、
受け取る側が結局それを正しく受け取れなかったら、
そういう意味ではショートカットは結局できないですよね。
受け取る側が受け取れる体制になってないと。
そういう意味合いのことをさっき僕はなかなか分かりづらく言っただけです。
すごいなって今も思ったけど、分かりやすいですね。
そういうことですね、きっと。
でもそうですね、なんとなくそういうセンサーを磨く術みたいなやつも、
広がっていきやすい世の中にはなるような気もしますね。
なるほど。
僕が絶望で話をすると、
前もちらっと言ったかな、
仏教ができたのって2500年前とかそれくらいでしたっけ?
仏陀が2500年前っていう証言が。
悟りを開いてこんなに素晴らしい教えというかフレームワークが2500年前にできていっても、
全然人類に広がってないっていうことを絶望してしまうんですけど。
僕の言葉で言うと絶望してしまうんですけど。
でも逆にそれだけ難易度が高いものであるからしょうがないのかなっていう部分もあるんですけど、
これは僕の逆に楽観的なところかもしれないですけど、
AIとかそういうIT的なインフラが整備されることによって、
このフレームワークが伝わるスピードも速くなるし、
こういうものを求めてる人が、
例えばそれが仏教だっていう概念だと、
知ってればね、自分を楽にするのは仏教なんだ、
じゃあ仏教の勉強しようって思ったら割と近づきやすいんですけど、
そんな仏教っていう概念が自分を救ってくれるって、
分からない人の方が多かったりするかもしれないんですけど、
でもこのIT技術の発達によってそういう人たちにもこういうマインドセットというかフレームワークが届きやすくなる世の中に徐々になっていくんじゃないかなっていう気は、
なんとなくしてて、
例えばその宗教みたいなのがすごく世の中を支配してた時代が長くあったんですけど、
1:45:03
本当に最近特にアメリカとかの若い人とかあまり熱心に教会に行かないみたいな、
昔は僕たちが多分子供ぐらいの時は、
割と日曜日に家族で教会に行くっていうのが当たり前の世界観だったアメリカが、
今はほとんどそういう人はいない、
それが本当に住んでるエリアとか文化、カルチャーによって全然違うような気もするんですけど、
でもやっぱり若い人たちはそういうのが減ってるっていう話を聞くので、
徐々にやっぱりなんて言うんですかね、宗教的なものに頼るというよりは自分で考えたりとか、
それこそAIと対話をすることによって自分を深掘りしていってる人が最近多いみたいな話を聞きますし、
そうなるとますますこういうフレームワークに触れる人が増えて、
そういう自分の中の全ての人がそうなるとは思わないんですけど、
このセンサーを磨くみたいなことをできる人が増えるような、
楽観的すぎるかもしれないですけど、そんな気はなんとなくしてます。
でも感覚近いかもなーって今聞きながら思いましたね。
僕がその数値化とか定量化では無理っていうのは、
まだAIとかを意識する前から思っていたことで、
でもAIで数値化が100%じゃなくても今までより圧倒的な多い数数値化されるようになったら、
むしろ人間の認識ではそれは数値として感じられるものじゃなくて、
感覚的に感じられるものになっていく。
そうなんですよ。パラメータが多すぎて、
一個一個の物差しが意識できないようになるんですよね。
そうですね。それだとしたら、
いけるというか、好ましいとむしろ感じるなって思ったっていうのと、
僕がけじ君の前言ってた、
絶望が足りないっていう表現で言われてた時の話を聞いた時に、
まだ2500年も経ってっていう風には言えるけど、
下手したら地球全体の年月からすると、
まだ人類がよちよち歩きかもしれないって思ったっていうのも一個あったんですよね。
だから絶望するにはまだ早いっていう意味で僕らは感的だったりしてるもんで、
そんな中でのいろんな可能性っていうところに楽観的であるのは、
全然その楽観死しちゃいけない、もっと深刻に考えないとみたいなことを言い出すと、
むしろ僕が言ってるちょうどいいから離れていくんで、
ちょっとした楽観はちょうど良さには必要なんじゃないかなって思ってるんですけど、
何となく伝わりますかね。
いや、分かりますよ。結局どっちにも寄りすぎてたらダメだなと思うから。
1:48:04
僕の中にも絶望と楽観が両方あって、その間にちょうど良いところに自分がいるんだと思ってます。
すごいな、なんか今日というか後半ですかね、
これリュウヤニさんゲスト回の仮想回なのかよみたいな話で転がってますけど、
転がってからの、いやまさかあの話が伝わってもらえるとはっていう喜びがでかいのもあるし、
マジで今日収録できてめっちゃ良かったなって思ってますね。
満足度高いですか?
満足度高い。僕にしてはね、ちょっと本当はね、
有料な場所に入って収録するっていうのは旅の間ほぼマジでやったことなかったんですけど、
集計時代のためだけにはこれやる価値あると思って、
エイヤーで入ったんですよ。
ありがとうございます。
ネット稼いで今収録してるんですけど、
いやマジで入って良かったって思いました。
嬉しい、それは。
そうですね、リュウヤニさんゲスト回の仮想回、1回目の仮想回としては、
まあ、スタートはね、そこから始まって、
仏教の話とかクーの話とかからスタートしてるんで、
普通の仮想回とかやっても全然面白くないなって僕は思ってたんで、
逆にそこを発信でここまで話ができたのが良かったかなっていう気はしてますね。
いやーめっちゃ良かったです。
そうですね、だから自分の感覚を大事にするっていうところ、
その定量化から話していきたいっていうところですよね。
手放してってことですよね。
そうですね、だから量で測るっていうことができないからっていうところが、
僕と一緒だったっていう。
僕は全然違う言葉で、そのパラメーターが少ない、
価値を測るパラメーターが世の中には少なすぎるって思ってたのが、
今はAIが発達することによってそのパラメーターをめちゃくちゃ増やせていってるから、
もしかしたらそういう意味では、
AIを用いることによって感覚を大事にするっていうことが実現するというか、
分かりやすくなるというか、
いう世の中になっていくんじゃないかなっていうふうに、
今思えてるっていうところですかね。
なるほど、なるほど。
1:51:03
こんな感じですか、今日はじゃあ。こんな感じにしときます?
そうですね、ネットとかの3時間パックも気になるっていう。
でも全然それを超えててもいいなっていう気持ちもあるけど、
でもここから先はまた別の切り口になっていきますもんね。
そうですね、だから次回、リュウゲンさんゲストガイド第2回。
そうですね、初回のメインとしては、
クとラクスのところがリュウゲンさんの一番メインのところだったのかなと思って、
そこにあんまり触れられなかった気がするけど、
でもそこはずっと触れ続けますもんね、2回から5回までも。
でもクのところから絶望の話が出てきて、
今のこの流れになったと思うんで、全然良かったんじゃないですかね。
僕はやっぱりクっていうものから色々見ていくっていうのはすごい面白いなと思ったんで、
すごく良かったんじゃないかなって思いますね。
じゃあ次回はあれですね、クとか中道の話ですね。
クですね、はいはい、クと中道、あれ中道、そうかそうか、中岸中道とク、あれ中道、そうか。
そうでしたね、ごめんなさいね。
クと中道がほぼイコールっていう話してましたよね、確か。
そうかな、クが関係性みたいな言い換えだった気がするけど、
すいません、僕も何回も聞いてる割にあれですね。
あれ僕が聞いた感じだとクイコール中道みたいな、
クも中道も同じだったような気がしたんですけど、それをじゃあ次回。
でもそうかもしれない、すいません。
いやいや、全然全然。
もう今エンディングテーマ流れてるぐらいですかね。
毎回ケンジ君それ言うの楽しみにしてるとこありますよね。
そうそうそうそう。
だから次回は第2回の感想会ということで、
第2回でされてる話をきっかけにいろいろ話ができたらなっていう風に。
最近ね、特に初回の瞑想合宿からしゅうさん戻ってきたぐらいからですか、
中道とかの話よくされてるような気がすごいしてるから、
なんかいいんじゃないかなっていう。
そうですね。
僕は去年瞑想合宿に参加したのが10月だから、
その頃はりゅうげんさんゲスト会聞いてないから、
ながあるじゅなさんが言われるところの中道っていうのとは全然違って、
それこそ今日何回か言ってるちょうどいい的なことでしか僕は全然考えてないし、
今でもそれで十分って思ってるとこもあるんですけどね。
1:54:01
でも定座部仏教の中道はどっちかというと相通のイメージみたいな感じで話ありましたね。
そうですね。
僕は家が実家が新厳州だったんで、
空海さんの話とかってわりとちっちゃい時から興味があったんで、
空の話とか本当にすごいずっと興味は知らないけど、
なんとなくしか知らないけどすごい興味はありましたね。
なるほど。
だから次回のところもちょっと切り口で、
どんな風に話が進んでいくかは楽しみですね。
これあれですかね、次回はおそらくスケジュール的にも瞑想合宿の後に。
それは間違いないですね。
これは前回の収録中に言ってた話だったか収録終わってからだったか忘れましたけど、
10月17日くらいから27日の間に僕が浜松にいる間が収録チャンスではあるんですよね。
リアル収録できたらめちゃくちゃ嬉しいけど、
けいじくんがどのくらいお忙しいかによって、
オンライン収録も難しいのかどっちかわからないけど、
最低でもオンライン収録はできたら嬉しいなって思ってるんですけど。
そうですね。浜松ね、たぶんいけるかな。
いや全然無理じゃなくて。
大丈夫です。
そうですね。
15までですよね。
15までです。
16は名古屋でもう人と会う予定が決まってるんで、
最短で17に浜松に行ってるかなって。
でも誰かの声がかかったら浜松入りが2日ずれるかもしれないですよ。
18はえいこさんの都合が悪いから、
17に僕が浜松入れなかったら次は19になっちゃうんですよね。
そこが流動的なんですけど。
わかりました。
じゃあまた、そうですね。
次の日程はまだ流動的な感じになりますよね。
浜松入りがわかんないし。
そうですね。
でも19以降の23とか24とかだったら、
でも23はもしかしたらD&D部が入る可能性があるんですかね。
そんな感じでしたっけね。
第4金曜日だから。
そっか。
それに24はもしかしたらみんながいっぱい来る可能性もあるなっていうのもちょっと。
そうですね。だとしたら22とかの方がいいんですかね。
ちょっと待ってくださいね。
1人全然関係ないことで。
1:57:03
これツイッターのDMって見れない時があるんだよな。
そうですね。XのDM全然ダメですよね。
ダメダメですよね。
スマホの方でも見ようとしていますけど。
一箇所ダメというわけでもないけど。
8時から8時半。夜の8時から8時半。
でも大丈夫だ。それは19だ。
それ以外は基本空いてます。
じゃあ一旦22にしときましょうか。
了解です。
22は21時からとか。
了解です。
収録中にその後。
次の収録の予約をするみたいなのが恒例になっていくんですかね。
わからない。
22、1、21ですね。
そうか。あと全然また話に戻るというかあれですけど。
感想ツイートとか感想ポストみたいなのがあったら紹介したらよかったですけど。
次回か。
でもこれあれですよね。聞いてる人少ないし。
これ今エンディングだからエンディングまで聞いてくれてる人少ないかもしれないですけど。
逆にここまで聞いてくれてるんだったら。
ハッシュタグつけてポストとかしてもらえるとすごい嬉しいですね。
本当ですね。
僕たちを喜ばせてくれる。
どうしたらそういうモチベーションをあげることができるんだろう。
紹介もしないくせに喜ばせろだと思ってるかもしれない。
でも紹介はしますよきっと。お便り紹介会ができますよきっと。
確かに確かに。
やりますよ僕ら。
できればハッシュタグしゅけだ。
カタカナでしゅけだ。
しゅけだです。
しゅけだをつけてツイート。
Xにポストしていただけると極力拾います。
でも拾えないときにはXさんのせいです。
そうですね。
あと各種プラットフォームでコメントをつけられたりするんですかね。
スポティファができますよね。
できますね。
今日まさに気づいたんですけど。
僕スタエフでも流してたりするんですよ実は。
バックアップ的に。
別でアップして流してるんですよ。
しゅけだに限らずしゅうほうもしゅうしょうも全部道のりもスタエフでも流してたりして。
でもそれは一番組の中に全部突っ込んでるんですけど。
それに大沢さんがコメントしてくれたっていうのもだいぶたまってたんだって今日気づきました。
そうだね。
2:00:02
大沢さんだけで紹介したことになっちゃったけど今。すみません。
でも確かにプラットフォームが多いとコメントがバラバラになっちゃうから、それはちょっと不便ですよね。
いろんな人がいろんなところからコメントできるのは良いことだと思うんですけど。
でもせっかくコメントしてもらったら、紹介もしていきたいなと思います。
そうですね。今のところまだ一件もメモしてないけど、ちょっと空いた時間にメモするように意識だけしておきますけど。
ちょっと旅の途中は厳しいかなあ。
まあそうですよね。
すみませんね。
いえいえ。あとこれまた全然関係ない。思いついたから言っちゃうんですけど。
絶望の話したじゃないですか。
はいはい。
絶望といえばやっぱり絶望のマドギア族の絶望。
なるほど。
だなと思うんで。
うんうんうん。
絶望に関する、絶望に関する何かあったりしますかね。絶望。
どういうことですか。
いろんな絶望の定義があるんだったら。
はい。
なんか絶望、せっかく絶望のマドギア族っていうタイトルでポッドキャストやられてるから。
ジョルノさん。
ジョルノさんに絶望、ジョルノさんの絶望の定義聞くの面白いかなってふと思ったっていう、ただそれだけなんですけど。
なるほど。今んとこジョルノさんは聞いてるかどうか分からないんですけど。
もし聞いてくれてたら、ちょっとジョルノさんの絶望聞かせてくださいっていうのをここでちょっとね。
うんうんうん。
もし聞かれてたら。
そうですね。誰か経由で伝わるかもしれないですね。
そうですね。
そうですね。なんか人によって絶望の定義が違うから。
それがちょっと面白いなと思った。
確かに確かに。そうですね。
だからジョルノさんは本当に絶望してるのかっていうのも興味があったりします。
うんうん。まさに。
まあちょっとそれはね、ちょっと今回の放送では全く関係ないんですけど。
全然。
思いっきりだから言ってました。
はい。いいと思います。
はい。じゃあこんなところですかね。
そうですね。
はい。
はい。
あ、そうか。
いやいやごめんなさい。
今もう僕が最後の挨拶を言うタイミングだったんだっけなと思って慌てたっていうだけです。
そうですね。そろそろお別れのお時間になってきたかもしれないので。
はい。
じゃあ締めますか、はしゅうさん。
はい。
はい。
じゃあ、あ、なんか難しいな今日。
いきますよ。
はい。
はい。さよなら。
ばいちゃ。
下手くそだ。
下手くそでした。
02:02:58

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