メタ認知とナラティブの定義と初期の印象
おいしい野菜と勇気を君に
みなさんこんにちは、インタビューの真央です。
そして、小農ラジオのユウちゃんです。
そして、石垣ラジオのラッキーです。
そして、梨屋の小言の柳中です。
さらに、さらにフラワージオの下地です。緊張しますね。
ということで、今日は東中野の、何でしたっけ?
雑談に来て収録をしています、5人で。
実は、昨日から久松農園さんに、視察にこの5人で行って、
一夜を過ごして、そして中野までやってきた、というところの下りです。
というわけで、いっぱいもう喋ってるんですけど、
ここで喋ることのテーマは、ラッキー、何でしょうか?
さっき車で決めたやつ。
結局、あれでいいわけ。
メタ認知とナラティブについて。
これは、俺的には、わりと反対に、対にある概念のような気がするんだけども、
実際皆さん、メタ認知とか、ナラティブという言葉から、
自分の体験とかもそうやけど、どういうふうに感じているか。
最近俺が思ったのは、メタ認知しすぎると、
何かに没頭できるエネルギーが生まれないなとか。
何か集中するためには、ナラティブって必要なんじゃないかとか。
そんなことを考えていたりするので、
皆さんがそれについてどう思っているのかを聞いてみようかなと。
じゃあ、柳川さんから。
急に来た。
そもそも、メタ認知とナラティブって何なんですか?
そこだよね。
そこの定義が結構欲しいですよね。
メタ認知とは。
感じていることとかでもいいですけど。
感じていること?
どういうことだと思っているかみたいな。
メタ認知は、ざっくり言うと、
引いて見てできるだけ広い視点を持ちましょうみたいに理解しているんだけど。
それは自分のことって意味じゃないのか。
だからちょっと高いところ、優待離脱して自分を見ているみたいなのがメタ認知なのかなと思っていたけど。
たぶんそうだね。
今、定義というか、AIに聞いたことを言うと、
自分が何かを考えていることを、
さらに高い視点から客観的に把握しコントロールする能力と、
AIは言っております。
さっきその話してて、自分より高い視点は自分でしかないから、
メタ認知なんて無理じゃねっていうのが私の。
なるほどね。
確かに。
どうよ。
でも今ほら、
なんとなくポッドキャストで俺はメタ認知っていう概念を知って、
で実際、
今俺はメタ認知してるなみたいな時あるけど。
どんな時それ?
周りにどう思われてるのかなみたいなのを意識して話すようにしたりとか。
それってメタ認知なんだ。
だと思う。
これがいわゆるメタ認知なんだろうなと思うけど。
やらない?
いや、配信してる以上はそういう視点は常に持ってんじゃん。
ポッドキャストの配信だけじゃなくて日常的に。
例えば具体的にどういう時がある?
うーん、まあなんだろうな。
自分がだから思った通りにだけはやってないかな。
周りになんとなくこう思われてるからこう振る舞おうみたいな感じでやってる。
それってメタ認知っていう言葉を使わなくても普通そうじゃね?
メタ認知とはちょっと違うかもしれないけど、
そういう状況に自分がいるなみたいなのを俯瞰して感じるみたいな。
あ、いいすか?
はい。
なんか、俺のイメージなんですよ。
自分が俳優っていうか演者だとするじゃないですか。
カメラ覗いてる自分もいるでしょ。
映画監督じゃないけど。
カメラ回してて、見てる時はメタみたいな。
わしもじゃれてるぞっていう。
でも俺が夢中で演技してる時はすごいナラティブ?みたいなイメージですね。
それ使い分けてる?
使い分けてますよ。
どうしても心の緊張が入っていく時にこれを繰り返さないと
なんか不安で泣いちゃうかもしれない。
昨日一人で行動してたじゃないですか。
怖いよ怖いよって思いながら。
またそんな話する。
そういう感じじゃないですか。
例えばジャックスさんに入ったと。
移動中怖いんですよ。
合ってるのかな?合ってるのかな?と思って。
ここはもう回しとこうと。
こいつどこ行くか回しとこうと。
それなりにメタニッチってこと?
メタニッチ状態で、
ジャックスさん入った瞬間はわーってなって。
回されてることがもうわかんないから
楽しい楽しいってなってる状態のスイッチの切り替えみたいな。
荒木さんが一番メタニッチ的な理解があるんじゃない?
どうなの?
これは室さんが言ってたんだけど
メタニッチの使い方が変わってきているというか
本来の語源と違うものになってないかみたいな話を
確か野ラジオかなんかでしてたような気がして
ちょっとどういう話だったか
俺もそこまで詳しく覚えてないんだけど
だから多分その学術的に言われるものと
今一般的に言われているものは
結構意味が違くなっていて
それは違うとしても
やっぱりなんだろうな
俺の場合はよく思うのは
自分というルーツがあるじゃない
去年海外に久しぶりに何回か行ったけど
自分じゃない人たちがいると
自分がない人たちを見てると
自分が見えてくるみたいな
こういう視点ってあまりなかったというか
客観性とも違うのかなそれは
そういう風に見れるようになってきたというか
自分の軸以外の軸もあるよねっていう
見方ができるようになってきて
自分の軸じゃない人はどういうことを思っているのかとか
どういう生活をしているのかとか
どういう文化があって歴史があってっていうのに
関心が向くようになった
意外とポッドキャストの番組でいうと
最近中国の関係のポッドキャスト
TBSさんがやっている
名前忘れちゃったけど
そういうポッドキャストを聞くようになったりとかいうのは
日本人としての思いはあるけど
じゃあ中国人はどう思ってるんだろうなっていう風に
考えられるようになってきた
っていう意味で
メタ認知っぽいことができるようになってきたのかなという風に思っている
他人のナラティブに興味が出てきたみたいな感じですかね
そうね他人のナラティブを知らないと自分が分かんないじゃない
っていう発想になってきたし
自分があるってことは他人も
他人の人のナラティブもあるわけだよね
中国人としてとか
例えばポッドキャストでいてて面白かったのは
中国って何か忖度する文化があるんだよっていう
で今回結構日本に対していろんな制裁が来たけど
習近平さんは何かを具体的にやれとは言っていない
だけど何となく日本に制裁が行くような感じのことを多分言って
それを下にいる役人の人たちが
忖度をして何かやらなきゃいけないと思って
制裁っぽいことをしているっていう話をポッドキャストでしていて
でもそんなの知らなかったでしょ
そういうのを知ると今まで自分が見ていた中国人像が
全然変わってきて
それをすごいやりたいとか自分が思っているものを
変えていくために情報収集をしているっていうのが
大事だなと思っている
一方でナラティブみたいなものも大事だなって最近思っているっていう話
ナラティブってどういう意味ですか?
定義一応もう一回言った方がいいかな
ナラティブ言ってみて
AIに聞いたやつね
ナラティブとは物語語り話術の意味し
単なる出来事の羅列ではなく語り手の視点や解釈を重視し
背景や感情意味を織り混ぜて流れとして伝える手法
という定義
さっきK君が言ってたその経緯みたいなものがナラティブなのかな
文脈だ文脈とか経緯ってことなのかな
なぜここに思い立っているんですか?みたいなこと
コテンラジオとか聞いてて思わない?
めちゃめちゃ思うよね
林間編面白いよつって真央と高谷さんに言ったけど
アメリカ
トランプみたいのが出てきた流れも分かるし
トランプが物語性みたいなものですごい語って人を巻き込んでいく感覚とかって
すごい力があるじゃない
あれはリベラルにはないパワーで
ナラティブで語れるから人を巻き込めるし
これって変な意味じゃないけども
歴史的に単純に見たとして
ヒトラーとかもたぶん似てたと思うんだよね
人を動かす力はナラティブがあるんだけど
でもそれだけだとちょっと怖いし
どういうバランスで生きたらいいとかいうのも気になるし
ポピュリズムって結局話に乗せられるみたいなところあるじゃん
すごい魅力のあるストーリーに巻き込まれることなのかなと思ってて
その感覚で言うと自分がそういうメタ認知的な
そういう言葉で言うっていうのは今初めて認識してるけど
思ったのはやっぱりアメリカですごい
トランプが大統領になった時に
他者のナラティブへの関心と現代社会におけるナラティブ
なんでっていうのは自分の率直な
カリフォルニアに住んでるわけだから
なんでってなった時に
それに入れた人たちの感覚ってどういうものなのっていう
そんななんかさ何かあるはずじゃんみたいな
真剣に考えてそうなってるわけでしょっていう
でも全然わかんないから
それはどういう文脈なのかなっていうので
色々調べ始めて本読んだりとか
そしたら自分が見てるアメリカは本当にアメリカの一部であって
確かに彼らが自分たちこそがアメリカ人であるっていう
歴史とかいろんなものを背負ってるという感覚が
ちょっと見えたっていうか
そうするとそれを信じられないとか言って
無限にするのでは収まらないとか進まない話だよね
一時の気の迷いなんかでは全然ないじゃんっていう
で迷ってるのはお前の方だろって言われたっていうか
そういう感じがしたから
じゃあ話してみましょうかみたいなとこに行けるのかなとは思ったよね
なんかあれっしょね
わかんないけど他人の声を聞いて他人の目で自分を見る
自分もまた他人を見てるっていうことがあれじゃないですか
例えば知り合いでよく海外行く人の話すごい興味あって
そしたらその人の物語が聞いてるうちに
俺も言ったような気になるときがあって
その人にはお前は俺の物語を削除するなって言ったんですよ
それなんか俺が勝手に喋ってるから
俺がさもかも言ったかのように
文化投与みたいなやつね
そうそうそうそう
だけど俺ももう分からなくなってきてて
この人になってるかもって思ってて
人間の特技として感情移入が可能っていうのがあるわけじゃん
映画を見たりとかそういうのは多分人間にしかできないと思う
完全に没入してしまうっていうか
自分が経験したことじゃないのに
でもその時は主観100%でその主人公になれるわけじゃん
それはなんかすごい不思議な感覚だと思う
ありえないのに
そういうことかなってちょっと思っちゃったっていう
なんかよくこの定義が今どうしようってなってるけど
自分なりの定義でも喋った方がいいんじゃないかって思う
正確なことではなくて
でもみんな辞書が違うから
それやってるともうずっとこの
主語を固めるために時間が過ぎていく感じもあるかもしれないし
なんかね今の流れでいうとこの物語を搾取するなみたいな話だったじゃん
小説を読むとかって
ある種技術体験をさせてもらうということに
人間は何か快感を感じているから
映画見たりドラマ見たり本読んだりっていうことをするんじゃないかと
これはナラティブだと思うんだよね
だけどそこって没入していくこともできるし
なんか客観的に見ることもできて
だからそこの切り替えができると
面白そうだなと思うわけよね
だけどそれを意図してできるかなとかよく思ってて
それで言うとさ
今日の朝さ
悠ちゃんが瞑想のやり方知りたいっていうから
一緒にやってみましょうって言って
ラッキーと悠ちゃんに10分間ちょっとやってみてみたいな感じで
ガイドさせてもらったんだけど
それって基本的にはそういうことをやろうとしているわけだよ
自分の中の物語に左右されるっていうことにまず気づけっていう
座っててだから悠ちゃんは思い出したことがあって
あれやらないとって思ったわけだよね
スタッドレス買わないと
だけど今は座ってるわけで
私は動かないでください
何があっても動かないって言った時に
本当はもう気持ちは動いちゃってるから
体はそれとこう違うことをやってるわけじゃん
その感じってなんか
そういう話と結びつく何かがあるような気がする
だって自分のナラティブは結局自分が作った幻想みたいなものでしかないわけじゃん
自分という映画を見ているみたいな
なんかさ
俺ナラティブっていうワードの定義とかじゃなくて
ナラティブというものに対してあんまり今イメージが良くない
なぜ?
というのは結構農業関係でナラティブ売りみたいなのがあって
今日はこれだけ僕はこういう思いでこのカソの村を救いたいからここに来て
ここで本当に環境の悪い中頑張って作って
ようやくできたこの米をみたいな感じで
みんなそんな色々ある
それぞれみんな頑張って作ったりしてるのに
そのナラティブが上手い人のものが高く売れるとかいっぱい売れるみたいなのが
インスタとかでもいっぱいいるじゃん
助けてください
あれも一緒のナラティブだと思うんだけど
助けてくださいはちょっと微妙だよね
確かに
ナラティブっていうのはだからなんとなく俺の中で売るための
売るためというか戦略
プロパガンダ的なのがナラティブだというのはそれだってさ
人に意識を植え付けるための戦略だとすると
なんかナラティブと例えばストーリーとかヒストリー
ストーリーはイコールナラティブに近いと思うけど
なんかヒストリーっていうのかな
なんかそういうのとは別で
ナラティブっていうのは綺麗にパッケージングしたものであって
でも今そこら辺はちょっともうバレると
最近このバレるという言葉結構好きっていうか
ほんとバレる時代になった
バレるって何がバレる?
なんかこう助けてください戦法だってもう通じなくなってきてる
そういう処方みたいな
狼少年的なやつ
ナラティブ売ってもうちょっとみんな飽き飽きしてきてると思う
でもさ商品って全てすべからくそんな感じじゃない
例えばさ今ユウちゃんパタゴニアを着てるわけだよ
それはパタゴニアのナラティブを気に入って着てるわけじゃん
選択肢として
イボン・シュイナードさんのサーフィンとか環境とかうんぬんかんぬん
もちろんデザインの良さもあるけど
デザインこそナラティブなのかもしれないけど
機能性と必ずしも一致してないからね
全てはそこに集約されていくと思う
だけどなんかちょっともう飽きてる感じが
ナラティブ疲れが
でナラティブを語るためにはメタ認知しなければならないんだと思う
もうちょっと解像度を
自分がやってることを大変だなっていうだけじゃなくて
外部から見たら僕はすごく大変なことをして
条件のあまり良くないところでやっているから
買ってほしいとか買うべきだっていうところまでいかないけど
でも買うべきに近い感覚はあるよねああいう進め方は
でもそれ買うべきだなんて言えないから
ナラティブを語って
それは買うでしょみたいな流れを作り出してるとしたら
買わない理由を潰される感じ
いやなんかあんまり
もうちょっとメタ認知もナラティブももうやめた方がいい
疲れてきてる
テーマの根本がもう
根本がいいんだよ
それがいい
ナラティブへのネガティブな印象と瞑想による解放
面白いな
確かになんかでもナラティブって言うから
絶対的な存在みたいな言葉になるじゃないですか
でもなんかさっき言ったみたいに
人から搾取しようとするナラティブとか
だけどこっちが感じるナラティブもあるじゃないですか
こっちが興味も出て
相手が感じるのはいいんだよ
そう相手が感じるのはいいと思うんですよね
でもなんかめちゃくちゃ誘導してるじゃん
そうそうそう
言ってこないでそんなにみたいな
言ってこない
面白くない話はずっと続けてほしくないかなとか
嘘くさいかなとか思っちゃうと
ちょっと聞くに耐えないというか
だから瞑想は
今っていう瞬間って語った瞬間は過去になっちゃってるとかさ
未来の心配をするとかっていう
時は存在しない
のに対して今の自分っていうのは
もうナラティブもメタ認知もないみたいなのが
すごいなと思って
すごいよね
ちゃんとできるようになりたいな
無情だよね
今も存在しないからね
そこら辺がすごい面白そうだなと思って
瞑想ちゃんとやりたいなと思って
ぜひやってください
瞑想する前の状態はどういう状態が一番いい?
え?どういうこと?
ほらなんかスタッドレスで
もう頭が入ってない時に
違う違う
それがあったとしても消さないといけない
だから煩悩がある
いや煩悩は消えないから
煩悩があるっていうことに気づけば
まずはそこで
例えばこれ欲しいって思った時に
反射的に衝動的にか
衝動的な行動っていうのは多いわけですよ
私たちは
だからもういるかどうかとか
本当に必要かとか
あんまり考えないでパッと飛びついて
みたいな
でもちょっとそこでギャップができれば
本当にいるの?っていう
その一言が振って入れば
引く視点があれば
行動の選択肢ができる
それでも買いますなのか
やっぱりいらないなのか
そういう感じ
衝動をコントロールできるようになる
それはすごい大きい
衝動っていうのはさ
なんていうのかな
例えばスタッドレスに
スタッドレスは出しにしたくないけど
安く買いたい
そして取り付けの時間を無駄にしたくない
時間を足りなくなる
コスパとタイパーみたいなのを
究極的に求める
求めれる今時代になっちゃったじゃない
スマホでちゃちゃっと買えたり
いやーそんなのない方が良かったな
え?何?どういう意味?
なるほど
コスパとかタイパーみたいなのがあると
損したくないみたいなのが出ちゃう
情報が多すぎて
メタの発動率のバランスがでかいのか
メタの発動はよく分からないけど
勝たなきゃいけないのになんで
そうそう
勝てる筋もあるのに
それを使わない
なんでちゃんとやらないんですかって
やればそこできるのに
あなたの対マンでしょみたいな
メタリンチしすぎると
比較対象が増えすぎるみたいなのもありますよね
自分の本当の心みたいなところから
どんどん遠ざかっていく感覚がちょっとあって
無限にある選択肢を
フラットに並べるみたいなことが
一番
昨日ひさまつさんそんなようなこと言ったよね
そうでしたっけ
選択肢があればいいってもんでもない
結局俺は欲しいものをパッと買って
いちいち他のを調べて比較して
そういうことに時間かけたくないみたいな
ラッキーさんが最初に言った
メタリンチとナラティブを行き来して
コントロールできるといいなっていうのは
ひさまつさんが言ってた
あんまり選択肢があると
自分が熱中したいことが本当に分かんなくなっちゃって
合理的に見たらこっちなんだけど
でもやりたいのそこだっけみたいな
そこが分かんなくなっちゃうみたいな怖さがあるんだろうな
ちょっと聞いてて戻ってきた
たかやさんが言ったメタリンチとナラティブって
たぶん自分の気持ちでやってないっていうか
世の中の気持ちみたいなものでやってるでしょ
そうだね
俺は自分の気持ちに対して言ってるわけ
自分が本気で力を入れてやりたいことができたときに
メタリンチモードじゃたぶん無理だなって
そこは自分の中で
自分だけのナラティブみたいなのを作って
駆動させる理由付けをできると
すごいいいんじゃないかっていう
全部自分の内側にあるときはすごくいいことだと思う
でもそれがすごく外に対して見せるもの
道具として使われてる気がして
だからなんかイメージ悪くなっちゃってる
でも確かに内側自分に対してっていうのは
それが本来ね自分のモチベーションを上げたい
そうだったはずなんだな
で言うとなんでその他社に引っ張られちゃうんだろうねって
それはやっぱりさアジェンダがあるからじゃない
例えば物を売りたいみたいなさ
何か売りたいとか認めてほしいとか
そういう裏目的というか
売りたいのはなぜかとか
そういうのを問い詰めていった方がいいのかな
自分に対して
でも売りたいっていうのは別にしょうがないんじゃない
だってそれで食べていかないといけないし
お金のための
だってコマーシャル作ってるのと一緒でしょ
宣伝だから
そこまで罪はない気がするな
ただそれが通用しないかもしれないよね
ゆうちゃんみたいにえーってなってる人がいるわけだから
なんか一周回ってたよね
最初の頃はだからそういうのをちゃんと
言語化できるのすごいなと思ってたの
わかったもうじゃあ擦り倒されて
飽きられたっていうかもうダメなんだそれ
通用しなくなったのね
質の低いものが増えてきた結果
なんかもううんざりだなみたいな感じ
でももっとそんなことやってしまったら
農家だったら畑行けよとかさ
見当違いなことをするなと
そうそうそっちで売る前にやることあるだろうみたいな
なんかでもそれ売る方はそうかもしれないけど
買う方もそれを求めてたりするわけじゃないですか
ただのだから
ダウンジャケットを買うのと
パタゴニアのダウンジャケットを買うのは何が違うのっていう
それはそのナラティブを自分の一部に取り込むために
俺はこれを選べる人間だと
そういうことじゃねブランドって
ブランディングっていうのはそういう人の心理をよく見て
そう今思い出したけどごめんねなんか仏教の話が多くなっちゃうんだけど
その超有名なラマ先生が
アメリカにチベットから渡って初めて行った時にね
アメリカのスーパーとかショッピングモールを見て広告とか
この人たちこそが仏教を最も理解している
彼らはヒューマンマインドをパーフェクトに理解しているじゃないかって言ったんだって
なるほど
だから欲しいと思わせることをやってのけているわけ
それが仏教を理解しているってことになるの
人の心を理解していると心の動き
こういうボタンを押すと欲しいっていう
衝動っていうか行動にまで導けるっていうことを知り尽くしているみたいなことを言ったんだって
これ煩悩の種類が私は分かってますよ全部みたいな
そうそうそうまさに煩悩を知っているってことよ
そうですそうです
だとしたらそこに訴えかけすぎじゃないかっていうことだよね
まあでも煩悩だから
まみれてるから
なんかいいものを作ったら勝手に売れていくから宣伝はしないみたいなところが俺はある
昨日もその話
いやそれはなんか
この人繰り返すから
ナラティブに溺れたくないっていうか
なんか物を通して俺を見てくれよとか
なんかその煩悩を悪用とまでは言わないまでもなんでしょうね
ハックして
まあそうハックだよね
ハックしてる感がすごく嫌なんだろうな
いやいや本当悪用なんだよ多分
でもすごく精度は高いのが
高いよね
すごく嫌なんだよ
ますます洗練されていくだろうね
だろうね
それをなんかこう全体の構造を分かった上でやってるというよりかは
なんかそこに先鋭化してハックしてやろうみたいな
なんかずるいみたいな
それがだからアルゴリズムでさ
SNSではさもうどんぴしゃなところがさ
そうだねTikTokとかでね見たいものだけを見せてあげるって来るわけだよね
なんで俺がこれ興味あるの知ってるの
怖いよね
バーンと来るからね
好きなの来たみたいな
よりこれから先はもっとそこが磨きがかかってもう
トンズバナナがバーンって出てきて
しかも見れば見るほど吸い取られてるからね
私は何が好きっていうのを教えちゃってるから
そうだね検索でね
何秒とどまってるとかさ
あれ怖いっすよね
逆にだからそれを気にして
これ好きって思われたくないから1秒でサンってやるみたいな
本当は見たいんだけど
見てたらやばいみたいな
なんか吸い取られるのやだなみたいな
謎の行動が
わかるそれ
俺これを逆に攻略してやろうと思って
全然欲しくないんだけどカーテンのことすっごい調べたのね
カーテンの長さとか光通さなきゃ
暇ないか
押したけど全くカーテンの宣伝出てこないの
バレてんだ
だから俺が本気でカーテンをご存知ないのが
バレてんだと思った
すごいね
逆に怖くなった
すごいな
どこで見てるのみたいなね
検索かけてたの?
インスタとかで
しかもちょろっとじゃなくてちょっと頑張ってみたわけでしょ
カーテン長いとか高いとか暗いとか
いろいろでバーって出てきたのも
ちょっと見たりとかして
これで俺の興味のない宣伝がいっぱい出てくるから
さっさと流せるわと思ったら
カーテンを全然見てない
それが目的だったのね
たぶん今俺話してるの聞いてて
本当はカーテン興味ないんだな
どっかで分かってる
それでもあなたのナラティブかもしれません
そう考えるとやつらめっちゃブッダだね
読まれてるね
Aタイトルみたい
やつらめっちゃブッダだね
アルゴリズムによるハッキングと自己防衛
今怖くなったわ
荒木さんの意図としてはどういうことだったの?
意図というか
みんなどう思ってるのかなっていうのもあったし
なんか最近やりたいなって思うことが
ありはするんだけど
そこに没頭できない自分が結構いて
そこを没頭させたいなって思っているんだよね
没頭できないっていうのは何?
なんで没頭できないの?
だからナラティブが足んないのかなって
そこで思った
何かが足りないから
もしかしたら
没頭できないって例えばさ
一生懸命何か集中しようとしてるのに
何か宣伝みたいな気になるものを
急に出されて気が散るとかそういう意味?
気が散るとかではないかな
うーんと
何だろう
昔ほどそういう集中色がなくなっている感じがするんだよね
年とか?
年かな
分かんないけど
でもあれじゃないですか
繋がりが大きくなったんじゃないですか
いろんなことと
どういう感じで?
俺は最近ピアノ好きだからやりたいのに
上さんがやれなんかここ片付けろとか
なんとか言ってきて
止めさせられるなって思うんですよ
でも一人だとご飯も自分で作らなきゃいけないし
嫌だなとか思って
これと付き合っていくしかないんじゃないの?
上さんに文句言われて
ピアノの練習やりにくいのも
衝動を止めたくないのに
止められるけど一人で進んでいくのは嫌だ
社会はでも許さないじゃないですか
どっちも取るわけにはいけない
どっかを妥協して
どっかの場所で落ち着くしかない
それを絡めとれるようなアイディアがあれば
ずっと弾いてられるんだろうけど
っていうのを考える
話が本当なのかそれなのかが
衝動をやりたい時って
子供の時みたいにやれなくない?
っていうのは正直
時間ってもう
関わっちゃってるからみんなと
誰かといる時は自分の時間はある意味ないかもしれない
それでもやる人はいるじゃん
だから
その人は自分を鼓舞するというか
ある意味洗脳悪い言い方で
上手いのかなと思って
そこを自分もやれるようになりたいみたいな
結構最近あるんだよね
なんかさピアノ弾きたいとかって
私もピアノ弾くんだけど
自分は没入感みたいのをとにかく求めてるところがある
夢中になりたい
夢中になるってどういうことなのかなっていうのを考えると
もう対象と一体化してる時だと思うんだよね
自分の存在を忘れちゃってて
なんかこう
よく言うのは
自分と自分以外っていうのはもうないわけよ
単に没入してるから
っていう感じになる時がすっごい幸せなんだよ
昔たぶんアンドレワイルだと思うんだけどっていう
有名なお医者さんがいて
その人がハイトは集中であるって言ったのね
その時はハイになることをめちゃくちゃ追求してたから
その言葉でめっちゃ腑に落ちたわけよ
集中したいんだ自分は
ってどう思う?そんな感じ?
ゾーンに入るっていう言い方最近よくするけど
たまにそういうのはあるよね
無我の境地とかそういうことは
草刈りしてたら
突然なんかもうすんごい
意識がさえ渡って
ガソリンがなくなるまでずっと集中してる
迷いがないんだよね
そういう時って別に何にも考えてない
導かれているっていうか
ごちゃごちゃ考えてはいない
すごい気持ちがいい
常にこういう状態でありたいなと思うけど
自分で持ってこうと思っても
それがナラティブとかがそういうのを
導いてくれるのかな
どうなんだろうね今のお話聞いてると
ナラティブでもないのかなっていう
もっと反応
ナラティブとメタニチューの間ぐらいの話してるのかなって
今ちょっと思ったんだけど
衝動から始まってるみたいな
衝動なんだろうな
なんか俺聞いたことある話で
お寺の住職さんにインタビューしたことがあって
悟るまではいかないんだけど
仏さんに近づいたみたいな瞬間が
あったらしくてその方が
それは何かっていう
どういう時かっていうと
本当にもう修行とかいろいろしてて
結構もうグーッと集中して
集中っていうか何でしょうね
他のこと考えられないみたいな状態になって
ある時朝パッと起きて
外の掃除をしてたら
葉っぱがすっごいキラキラ見えて
風も全部キラキラ見えて
風がこう流れてるんだみたいな
そういうところが見えた瞬間みたいなのがあったらしいんです
それがすごい心地いいっていうか素晴らしいと思ったらしいんですよ
なんだけどそれをもう一回やろうとすると
絶対にできないんだって
めっちゃわかるね
だからやっぱ狙うっていうことが
そもそも難しい説はある
期待はいらないんだ
なんか似たような感覚を
音を聞いてて感じたことがあって
これはね状況がまたすごい変な状況で
もう時効だと思う
時効っていうかその時は合法だったので
エゴ、リタシン、そして仏教的実践
なんか今すごい察しつくぞ
石垣島とか八重山にはまり始めて旅行で行ってた時
大学4年の時かな
米原っていうところでキャンプができて
そこで1週間ぐらいキャンプしたんだけど
いろんなキャンパーがいるわけよ
そのキャンパーの中の一人が
ちょっとキノコ取りに行こうつって
暇だったから行きましょうつって
牛の糞探して
牛の糞のやつね
キノコ
白いキノコを取りに行ってね
お茶か紅茶かなんかに入れて
食べるみたいなことした時に
音の解答度がめっちゃ高く聞こえた瞬間があって
ああアーティストが薬物に走るって
これを
この感覚をまた再現したい
そういう衝動から来てんのかなとか
その時は思ったけど
今の柳川さんの話もちょっとそれ近いな
トリップみたいなこと
すごい近い気がする
そこ出しちゃいましたね
もうこれ以上私は言いません
あまりにもその世界に足を突っ込んだので
もう言いません
そういうのを使わなくても自分で
勝手に入っちゃうとか
たまにそういう瞬間があると
さあなんかナラティブの話で言えば
日本は特に非合法のサブスタンス
ドラッグと言われているものをやった人に対しての
バッシングはすごいものがある
人間じゃねえみたいな
最近も米倉良子とかのカタクソ作
もう人間やめますかとか言ってて
これほど極端な国はないなって思うんだけど
でも言い方を変えれば
やるだけの理由が何かあるってことじゃんっていう
特に音楽とかアート関係の人が
なぜそこに行くんですかみたいな
それは私が思うに
それがないと話にならないっていう世界なんじゃないんですかって
鍵みたいなもんで
やっとドア開きましたねみたいな
だからK君が言ってた
お坊さんがハッってなった瞬間っていうのは
多分意識の拡張みたいのが
拡大したんだと思うんだよね
それがうわーってなったわけじゃん
自分の意識の広さに気づいたんですか
それがめちゃくちゃ気持ちいいってことも認識したんだけど
認識したと同時に狭まったわけだよね
これだって思った瞬間に
コンセプトにまたガチンってはめたから
言葉にしちゃった途端に
言葉っていう箱に押し込めて
また名前つけて箱に入れてしまっちゃったんだ
もうあの広がりはなくしたんだしね
そういうふうに私は見ますけど
それがメタ認知で見ちゃうみたいなことなのか
いっぱいある中のこれですよね
一般化しちゃうみたいな
ナラティブだともうそこだけみたいな感じ
そう考えるとナラティブも結局メタ認知も同じことだね
コンセプトでしかないもんね
見ちゃったのをパッキングしたのがナラティブっていう
でもナラティブっていうのは本当に
外に使うかうちに使うかってことなんだな
というのがさっき荒木さんの話聞いてて思った
それで意味合いがだいぶ変わるみたいだね
自分のためみたいのが
どこなのかなっていうのは最近思ってて
昨日ちょっと話したと思うんだけど
公共性みたいのも帯びてくると
すごいいいなとも思うんだが
だがこの公共性には罠もあって
人のためにいいことしてるみたいなモードになると
ちょっと違う感じになるんじゃない
いわゆるエゴってやつですね
モチベーションにエゴがあるのかどうかっていう
そういう意味で言うと
そんな時にナラティブじゃなくて
メタ認知発動させて
あれこれって俺どっちだっけみたいな
それで言うと私はこの間
リュウゲンさんの番外編の話で
ボダイシンが出たのはめっちゃ嬉しかったって
昨日話したと思うんだけど
そこにあるべきものはメタ認知でもなんでもなくて
ボダイシンでしょって思ったんだよね
そうだからエゴがある
モチベーションの中に自分のためっていうエゴが入ったら
何もかもが煩悩を発してるから
基本的には成功しないんだよね
でもリタシンから始まったものは
いいんじゃないかなと
良い結果につながるというか
たぶん証人とほんとつながりやすいじゃない
ナラティブみたいなやつが
強化しちゃうっていうパターンが
めちゃめちゃ多いと思うんだけど
今日の朝
リパサナ瞑想の話をしてて
10日間マオナって言って
沈黙して瞑想をひたすらやって
見えてくるのは何かというと
自分の場合はだけど
多くの人はそうだと思うんだけど
全て自分の行動は
めちゃくちゃエゴイスティックな動機でしか
始まってないんですね
全部がそうなんだっていうのに
嫌というほど気づくんだよね
あなたのためにって言ってるけど
褒めてもらうためでしょとか
その代わりに何かもらおうとしてるよねとか
そういうのがずっと見えるっていう辛さが
あるんだよね
これ見えたからっつってでも
どうしようもないものが
直せるよね
肯定的リタシーンっていうのは
最初からはない?
エゴから変わってくる?
多分本当はあるんだよ
だけどエゴでわーっと追い隠して
見えなくなっちゃうくらい
落ち葉みたいに積もってて
地面見えないみたいな
そんな感じだから
ペラペラペラって剥がしていくと
最後にあるのはそこですよみたいな
わざわざ発動しなくてもいいんだと思う
ちょっと話変わるかもしれないけど
失敗との向き合い方とマインドフルネス
これもずっと気になってるんだけど
魔王が仏教を勉強するじゃない
それを生きてる場面で
実装できる瞬間ってあるの?
常になんじゃない?
ずっとそれを土台にして
生きてる感じ
それができるようになると
できる以前とは何が変わってくるんだろうね
安全だよね
だから今でも失敗はあるし
もちろん全然進んでない
修行の成果だから
めちゃくちゃ浅いんだけど
でも以前よりも失敗っていうか
自分を嫌になるような失敗感
例えば言わなければよかったとか
そういう感じのモラル的な
ハザードがかかってる感じ
それは言っちゃいけないとか
言う前に
ピタッとかやめようみたいな
仏教的にこれは良くないとかそういうこと?
もあるし
あとマインドフルネスのプラクティスをやったから
止まれるっていうのもあるし
情報と経験の両方を組み合わせて
ある程度バランスの取れた状態に
近づいてるっていう感じ
何年か前の高谷さんに
昨日聞いた
やらかし話
やる前の高谷さんに
入れてくれって
いや
アンガーマネジメントとはちょっと違う話
同じ
5秒我慢すれば消える
でもその5秒の踏みとどまるのができないじゃん
マインドフルネスが弱いから
マインドフルネスができるようになると
その5秒っていうのが
できるようになるとかいうよりも度合いの問題だよね
だから私も
この人とのカルマはすごい強いっていう人から
その怒りボタンを押されると
ガーって反応的に行っちゃうわけ
例えば家族とかね
家族ってめっちゃこうなんか
業が深いから
なんか他の人が同じこと言っても
そうですかって流せるのに
こいつが言うともう
なんでそんなこと言うなみたいな
になっちゃうとかさ
でもそれでいい結果にならないわけじゃん
それを訓練してるから
まさにそのためにやってるわけです
なるほど
いいことに対してもそうだよ
いいことに対しても
何がいいかっていうのを判断できるじゃん
それ聞きたかった
なんか悪いことの歯止めみたいなのには
例えば欲みたいなのを抑えるとかいうのには
いいのかなと思ったんだけど
いいことにも
いいことにも
だからもうちょっと深いレベルで
後先を考えて
この人に今これを
例えばお金をあげましょうっていうのが
本当にこの人にいいことなんですかっていうのを
考えたりとか
どういうふうに自分のアクションを影響を及ぼすのが
この場にとって一番ベストなのかなっていうのの
根本的なものを考えるよね
面白いね
没頭と衝動、そして都会と田舎の対比
どうですか
瞑想しもじ先生
瞑想中だったんですけど
迷ってるほう?
どっちも
出た
クオテーションも
まだ使い方間違ってる
でも今の使い方が一番近かったかもね
よく分かんないけどやってみるもんですね
無の境地でやってみると
欲はなかったり
欲が出るとやっぱダメ
なんか小学校の時に
日が暮れるまで遊んでたんですよね
怒られるまで
あれが未だに忘れられなくて
でもそれと比べちゃうじゃないですか
子供の頃の自分と今が
それ没頭できてる
やれてるのかってこんなにいっぱいやりたいことあるのに
だけどさっき言ったエゴなのかとかっていうのも
ほんとあんまり考えたくないけどなみたいな
それを考えてる間に衝動がどんどん小さくなっちゃって
それってメタ認知してるってことですか
みんなうるさいからいいかな
今やりたい気持ちが
さっきのピアノに戻った
だからみたいな感じもあるし
メタ認知だからしない方がいいんだって
今は悪い顔してるところ
それで家族がいないとか嫌だな
衝動に従ってやって
帰ったら家族いないんですよ
嫌じゃない
それも煩悩
いてほしいという私の
それは煩悩っすね
山に行くっていう気結になっちゃうのかな
人とうまくどうやってやるのっていう
もう分かんなくなってきちゃった
確かに
今のこの時間から
人好きは分かんないな
自分のやりたい望みと
例えば自分でも思うときあるんです
例えば自分が弾いたピアノが
少しでも誰かに感動してくれたら
リコだったけど似ただったのかな
とかもあるじゃないですか
感謝されたときに
そうするとどっちがいいとか悪いとかじゃなくて
左の人が殴ってきたら
お前も右だなっていう
変わらないじゃないかっていう
なんだろうこの言葉の
すごい力は近いけど
受け取るっていうのとか
聞くのも言葉で受け取るんじゃなくて
高谷さん今こんなこと考えてるなとか
スタッドで使えなかったときの顔嫌でしたもん
それは言わなくても感じ取れるじゃないですか
その場にいたから
その場にいたし
まあまあ長かったし
文章でしか分からない
確かに文章
それこそナラティブだね
うちらの持ってないナラティブを持ってるね
それを感じたときに
2人の空気が良くなるように
いろいろ話をして
気を使ってるな
気を使うようになるじゃないですか
自然にこうなってたら
でもまあ面白い話もどんどん出てきたし
結局ネタにもなってるからいいかなっていう
ネタにされちゃったよ
ネタにされちゃった
ベラベラ喋ってましたよ
私のこの手のひらで
転がされてますけど
天気には勝てないって
農家の癖してね
スタッドレスの話に終止するのはやめよう
始めたのが一つの例としてはいいけど
そういう感じですよね
いつも迷ってる感じがありますよね
ただ動じないようにはしたいですよね
ある程度年齢も重ねてきて
知恵もついたはずなのに
動じない人っているよね
だからそういう人とか
あとだからメタ日的な話で言うと
やっぱ農業は大きくて
人じゃない何かにめちゃめちゃ影響を受けるでしょ
これなんかコントロールが効かないっていうことがあるんだっていう経験を
結構ダイレクトに生活にかかるレベルでするわけ
でも普通に生きてると
割と何でもコントロールできるって思って生きていきがちな気もしてて
だから農協もうちょっとみんなやった方がいいよっていうのは
結構そういう意味では
ちょっと農系ポッドキャスターが集まってますからね
本当そうかもね
自然以外のことって
自分がどうにかできるってどっかで思ってるよね
買えば済むとか
金さえあればね
なんかこうどうにかできると思うけど
自然相手のことって
さっきの天候もそうだけど
本当にどうすることもできないもんね
怒ってもしょうがない
どうですか柳田さん農業
いやでも
それの最大のものがたぶん僕らが今いる東京なような気がして
本当だよね
超三沢だよね
そうだから
コントロールできると思っている前提が
やっぱり僕からするとすごく多すぎる感じがする
具体的に
本質的な楽しさと時代の変化
例えば今撮ってるのもこれ電気が来てるから撮れる
話したね
そういう話したじゃないですか
それは当たり前のもの
じゃあ当たり前のものになってるんですけど
でもなんだろうな
例えば農業来て台風来て壊れたりしたら電気も使えないし
みたいなことってあるじゃないですか
ポンプが壊れちゃって水が出ませんとかあるじゃないですか
なんかそういうことを
頑張れ
慶くんにしては悩んでるな
悩んでますね
ラシアのここっていつもこんな感じ
そうなの
こんな感じです
そもそも東京に違和感がある
全然違う
自然と暮らすことと東京で暮らすこと
差があるって感じ
田舎に恋とかそういう話ではないような気もするんですけど
田舎
それに比べて田舎はどうなの
東京はそういう感じがするんだけど
田舎は例えば畑以外で
天気とか以外で
ままならないものがあったり
そうなんですかね
それが豊かさに繋がってたり
うまく言葉にできないですね
でも田舎で住んでいくためには
しがらみみたいなものがないと多分なる
そうですね
東京で住むってのはしがらみを断ち切るんですね
でもその代わりお金がかかるみたいな話
だと思うんだよね
単純にトレードオフの話なのかどうかも
ちょっとよくわかんなくなってきて
確かにさっき車で入ってきたときの
あの感覚の違い
人口物が増えて人いっぱいいて
明らかに何かが違う領域に入ったぞみたいな
そういう感覚の話
そうそうですね
それに近いかもしれないですね
人口物が圧倒的に多くて
自然っていうか植物だと思うんだけど
少ないから
なんだろうな
植物って勝手に育ってるからね
でもあれだよね
デザインが人が思い通りにしてきたデザインだよね
ほとんどが見えてるものが
自然って人が思い通りにしてないところがたくさんあるから
ナラティブから遠い感じがするんですよね東京は
文脈を切り離したすごい上積みのところで
生活できるという感覚になりすぎてるんじゃないかみたいな
そういう感じがちょっと時間もあるんですけど
そういう感覚があって
それちょっと違うんじゃないかなと思ってるかもしれない
ナラティブが遠い
それはね続きは考えてもらって
ナシアのことで頑張って話してもらうと
自分で言語化しないと
それ聞いてまた何か言う
ちょっと聞きたいねそれね
でもなんか単純に自然物が多いか少ないかみたいな
ところで考えると圧倒的に都会と田舎が違う
そのことによって何かが決定的にすごく違う感じがあるんだよね
すごいバランス感が違うなみたいな
なんかそろそろ終わりかな
もうやっと終わるんだろうなって話してたけど
誰か閉めてください
閉まるの
閉まってはないけど
強引にちょっとドアを閉める感じでどうぞ
でもなんかこの
うちら農業的なことをしていると
多分それをやったことない人と違う感覚があるだろうなっていうのは
おそらく間違いなくあるような気がして
またコントロールできない何かがもし身近にあるなら
それをちょっとやってみてほしいなという
そういう人が増えると
なんか面白い話いっぱいできそう
うちらがねできそうな気はするよね
圧倒的に今弱者だと思うんだよね
マイノリティだと思うんで
この割合がちょっと変わっていくといいのかなっていう風に思ってるけど
この番組はさ
この収録は雑談で撮ったやつは
4つの番組で全く同じものが流れます
そうっすね
終わってからそれぞれの番組でこれについて
ちょっと一人語り
そうね最後にコメントするということなので
編集もバラバラだから
カットするとか
こここいつ切ったよみたいな
それ全部だいたい同じような話になると思うけど
本編はね
ちょっとせっかくなんで横断的に
この番組を聞いてもらって
フォローしてもらえると
結局宣伝かーい
問答にまみれてます
ということで
今日は東中野の雑談から
私まおと
ゆーちゃんと
ラッキーと
やなかと
しもじでした
それではまたお会いしましょう
バイバイ
はいということで
雑談での収録をお聞きいただきました
いわゆる楽しかったですね
ポッドキャスターでの旅
久松さんのところに行って
その帰りに寄ったんですけども
ポッドキャストスタジオというものがね
東京にあるということに
まずはちょっと感激したんですが
そして渋ちゃんにも会えてね
トッキーマッシュの渋ちゃんに会いました
はいで
今回は
なんかポッドキャストって
こう難しい話したくなりますね
メタ認知とナラティブについてということで
改めてこれ聞いてみると
僕はなんかちょっと
この言葉の捉え方が意地が悪かったなっていう風に
思いました
なんかもうちょっとプラスの意味で
捉えられればよかったんだけども
なんとなくね
この本編中でも言ってたんですけど
まあもう
そういうのいらないなと
僕は今は思っているんですよ
まあちょうどね
話が少し変わりますけど
今のトーキーオリンピックがね
ちょうど終わったところなんですけども
女子のフィギュアをね
僕すごく見てたんですよ
あの
超に若なんで
全然あの
選手の名前とかも知らずに見てたんですけども
えー
まあ今回ね
この1位2位3位だった
まあアメリカの
アリサリューっていうのが1位だったんですね
で2位が
坂本香里で
3位が中井亜美だったんですけども
坂本さんにね
金メダル
今回で引退だったんですよ
とかね
まあ本当に若の知識ですけども
まあすごく
リーダーというかね
そういうポジションで
なんかずっとこれまでも苦労して
で今回で引退ということで
報われてほしいなと思ってたんですけども
まああの
残念ながら
金メダルで
アリサリューというのが
すごいというようなのは
なんとなく事前に
情報としては聞いてたんですけども
フリーのね
彼女の演技を見たんですけども
まあこの時は3人とも見ました
このね
アリサリューの演技がね
すごい良かったんですよ
本当に
なんか楽しいんで
もう本当オリンピックの
決勝の
大会とは思えない
まるでエキシビジョンのような
本当に生き生きとして
ニコニコしながら
そして完璧な演技をして
っていうのを
見たんですよね
でこの
アリサリューがですね
演技が終わって
帰ってきてすぐに
That's what I'm fucking talking about
つって
言ったんですよ
これは
これを私が
言ってるのはっていう感じだったんですけども
これなんですよ
彼女は
もうなんか
オリンピックとか
なんかメダルとかは
別に大事じゃなくて
もうその
今この瞬間を楽しんでいる
みたいな
自分を表現するみたいなのが
できて
それがやりきれたことに
関してすごく喜びを
爆発させてて
でそれがもう
観客からもすごい
ビンビン伝わってきたんですよね
僕ももう
すごいなと思って見て
で会場がね
もうなんかアリサが
こう演技している
ときは一体となって
すごくこう
盛り上がってたんですよね
本当になんか
最終日にエキシビジョンがあって
みんなエキシビジョンはやっぱりリラックスしてね
楽しそうにやってたんですけど
まるでエキシビジョンのとき
みたいな感じの
フリーの結晶だったんですけども
で最後に
坂本香里が
最終演技だったんですけども
彼女はやっぱりすごく
背負っているものもたくさんあったし
やっぱりこう
最後っていうことで
これで引退
最後のオリンピックっていうのもあって
なんかすごくやっぱり
緊張している感じがしたんですね
彼女の演技も素晴らしかったんですけども
途中ジャンプが一回抜けてしまったのが
すごくやっぱり
大きくて
結果としては
負けてしまったんですね
であの
ちょっとこれはね
誤解してほしくないんですけど坂本の演技が
別に悪かったとか
いうことじゃなくて
なんかまあそういう
アリサ流のような
本当に心の底から
楽しんでいる
ということが
いろんなグルーヴ感みたいなのを
生み出して
彼女の演技
だけではなく
そういった
グルーヴ感みたいなのが
優勝
金メダルに
つながったのかなと思うと
なんかいよいよ時代は
そういう
メタ認知とか
ナラティブみたいな
冷めた目で自分を
見るとか
物語の延長に
延長というか
結果に今自分が
いてとか
そういうのを発信している場合じゃなくて
やっぱり本人が
楽しまなければダメだろうというのを
まあ
ちょっと前からずっと思ってたんですけど
なんかいよいよ時代は
そうなってきているのかな
っていうのを
そのスケートフィギュア女子を見て
すごく感じたんですよね
なんかこう
ちょっとね
スケートのことは置いておきましょう
別に僕はスケートの文句を言っているわけじゃなくて
よりね
あの
本質的な
ことになってくるんじゃないかな
なんとなく
見せ方とかで
ごまかせる時代は
終わっていって
より
本質的な
ものみたいなのが
求められるというか
そうじゃないと勝負できない
世の中になって
いくんじゃないのかな
でバレるという言葉
本編でも言ってましたけども
やっぱりそういう
なんかバレちゃうんですよ
だから僕
本編でパタゴニアの話が出た時に
確かに何にも言えなかったんですよね
確かに僕は
好きで着ているし
今なんだっけ
プロセールスだ
プロセールスっていうのも
この間ならせてもらったんですけども
これでちょっと
安く買えて着れるな
とかって思っているんですけど
パタゴニアが好きなのは
本気で
思っているのかな
っていう風に
その環境のことを思って
素材を選んだりとか
しているっていう姿勢が
好きだな
そういう服だったら着たいな
って思うから結構着てるっていうのもあって
ただこれも
上手な戦略
なのかな
なんかそうじゃないな
っていう風に僕は感じ取ってるから
バレてないのか
本気なのか
なんか分かんないですよね
そこら辺が巧みになれば
いいかっていうと
そういうことでもなくて
やっぱりバレる時代になってきてるんじゃないのかな
っていう
気がするんですよ
メタ認知とナラティブとかは
もうあんまりいらない
みんな
本当に好きなことをやっていけば
いいんじゃないかな
っていう風に改めて聞いて
思いましたが
ちょっとうがった見方すぎるなと
いう風にも
思っています
ということで
ひとりがたりはあまり得意じゃないので
ぐだぐだ喋ってしまいましたけども
そんな感じでした
じゃあこれで
終わりたいと思います