自然と生きるを考える 自然資本論
この番組は森で働くことを愛する高橋と奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、高橋です。はい、奥田です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
今回は、春から、冬から、新たに仲間に加わってもらった、山口さんと一緒に喋っていきたいなと思いますので、はい、早速よろしくお願いします。
お願いします。お願いします。山口雄大と申します。お願いします。お願いします。
全員体制が強化されてる。そうですね。ピンチやチャンスがね。
なんか何でしたっけ?ずっと一緒にやってた高さんが、編集、ポッドキャスト編集が増えすぎて。
いや、すごいですよね。だってね、今関わってこれで、あれ?1年半ぐらい?高さんもたぶん。
あ、そうですね。1年半。 その間にポッドキャストの編集をなりわいにするって言ってからで、もうすでにパンパンな状態まで来てるっていう。
ところで、ちょっとやべーっすっていう話があって、じゃあ仲間を増やしましょうっていうことで、実際は2人増えたっていうことで、ピンチになったけど、いい感じに仲間が増えるタイミングになって嬉しいなと思ってるんですけど。
本当に本当に。
で、僕、ゆうだいさんと呼んだり山口さんと呼んだりするしか、表記の揺らぎがあるんですけど。そうですね。
ゆうだいさんでいいですか、じゃあ。 あ、はい。ゆうだいでお願いします。
ゆうだいさんとはね、もういつだ?3年前?2年前ですかよ。 1年半とか2年前ですかね。
2年前ぐらいの別の、それこそ高橋さんが今いるきらぼし主催のローカルプレイヤーってやつで、受講生でゆうだいさん来てて、僕が担当講座があったみたいなところからの繋がりなんですけど。
はい。 簡単に自己紹介いただいてもいいですか。
はい、ありがとうございます。今、宮崎県の斎都市という町での町づくり会社に勤めながら、個人で今はこう、ポッドキャストを自分でもやったりとか。
あとはその、話すと長くはなりそうなんですけど、斎都市にあるハイソンを再編集できないかなとか考えて、考えながら働いています。
ハイソンですね。 ハイソン?村?
はい、村です。 斎都市の中にハイソンがあるんですか?
斎都市の中に、サブカワ集落っていう集落があって、そこが1989年に、集団離村でハイソンになったんですけど。
だいぶ前だね、1989年だった。 同い年ぐらいじゃないですかね。
確かにそうです。 同い年です。
だいぶ早い。
で、その、割と早い段階でハイソンになったんですけど、今も家がそのまま残ってたりとか、家電とかのゴミがそのままなってたりとか、そういう雰囲気と、
あとはその、サブカワってあの寒い川、三本川、サブカワっていう、なんか名前も合いまって心霊系YouTuberがこう来て、結構茶化して、宮崎県内の人も結構心霊スポットとして行ったりしてるんですけど、
そのYouTubeの中で、なんか当時住んでいた人の怨念がみたいな感じで言ってるんですけど、まだ離村になって、
35年。 30年ちょっとなのに、いやまだ生きてる人いるでしょうねっていう、勝手に殺すんだよっていう。
確かに、しかも離村だから、そこで死ぬわけじゃないってことで。 そうなんですよ。
多分ほとんどの人は御存命なんじゃないかと。
なので、なんか本当にそれでいいのかなっていうところがあって、なんかそこをどうにかしたいなっていうのは、っていうのを考えたりしてます、個人的に。
すごいね、村の再生。 めちゃくちゃビッグプロジェクトじゃないですか。 ビッグプロジェクトになりそうなんですけど。
えー、それ、それを深掘っていいのかわからないですけど、 廃村どうやって復活させるのか。
ねえ、だってインフラとか死んでるんじゃないの? インフラはないですね。
そうだよね。 なのでなんか、なんか廃村になってもいい、
いいというか、まあ人口減ってるので、まあ仕方ないことではあると思うんですけど、なんか、
人々がこう営みをしてきた集落が、こういう終わり方でいいのだろうかというのは思うので、なんか終わり方の模索的なのができればなぁと思っています。
まだなんか明確な道筋があるわけではないんですけど。 へー、おもろいっすね。
おもろい。え、集団離散をしたその理由は何だったんですか?
その生活が立ち行かなくなっていったからっていうところはあると思います。
例えばなんか水とかも川から引いてたりして、雨が増えると水が詰まったりして、そこをそれをこう直しに浜の上に登らなきゃいけないみたいなことがあるので、
あとは高齢化が進んで、やっぱりそういうのがどうしても維持できないという風になって、そこの集落の人たちと話し合って、離村しようとなったそうです。
すごいな。なるほどね。じゃあ、そこを復活というかさせるにも、いろいろ、なんだろう、そういうインフラ系とかは、当時ですら諦めたくらいだから現在めっちゃ厳しいよね。
大変だよ、確かに。
さすがにそうですね。
話してあるけど、別にそれを本当の村として復活させたいわけじゃないだろうから、そこをうまく活用できないかっていう。
そうですね。なんか活用方法はないかなとか。
心霊スポットから本気のお化け屋敷村にするみたいな。むしろそっちに出てるっていう。
それもありだと思います。
なるほどね。でも怒られそうですもんね。結局、YouTuberと変わらない人。
逆に茶化して怒られそうだ。
でも、当時住んでた人とかの話を聞いたりとか、結構ご存命の方も結構少なくなってきてるみたいなので、お子さんとかお孫さんとかにお話聞ければなとか思ったり。
なるほどな。壮大な話がというか。でも斎藤市の中にあるんですね。
そうですね。斎藤市街地から車で2、30分ぐらい山に入って、そこからまた歩いていくんですけど、意外とそんなに遠くないっていう。
そうなんだ。消失化で村がなくなるみたいな話が、今リアリティを持って話されてるけど、それの先進値があったんですね。
そうそうなんですよ。最先端を言ってるという。
ですね。しかもみんなで話し合って、これはもう出た方がいいんじゃないかって結構な決断だけど。
そうだよね。横の生活がやっぱり大変だったってことだよね。そういうふうなジャッジをするっていうことは。
そうですね。リストーンするときもそこで生活ができないようにかまどをあげて畳もあげて出ていくことっていう決まりが。
ああ、こっそり帰らないようにってことですか。
そうですね。ここはいつつ、あのくらいかな。平成10年とか何年間かはまだやっぱりそこに、そこで暮らしてた人はいる、いたみたいなんですけど。
ああ、強者ですね。
強者が。
いや、でもそうだよね。なんか決定的な、なんだろう、ポイントが気になりますよね。
まだ生きてるうちに聞きたいのは、なぜそのふるさとを捨てようっていう結構大きな決断をする中で、一番あ、これもう無理かもって思ったポイントみたいな。
ね、キーポイントがね。
すごい大事だろうな。
しかもそれを全員で多分話し合いの上でやってるっていうところが、なかなか効かない。
そのプロセスも含めて気になります。
そうそうそうそう。どういう話し合いをした時にそういうぐらいの決断に至ったのかっていう流れがね、すごい気になるところ。
そうなんですよね。そこがまだ全然解像度上がってないので、いろいろ話を聞きたいなとは思ってるところで。
なんか一本書籍書けそうだもん、それ。
いいね。確かに。書籍めっちゃいいですね。
確かに。
それをリサーチしながら、たまに途中経過で自然書を読んで話してください。
ぜひ、リポーターみたいな感じで、昔の、平成初期のテレビ番組みたいな感じで、すごいことがわかりましたみたいな感じで。
テロップとかもあのね、平成初期っぽい顔ですよね。
マイクでかいやつで。
映像の色味が反転する。どれぐらいの人に伝わるんだろうっていう。
でもなんか、サブカーがテーマになったドキュメンタリー映画があったりして、広報かどうかわかんないんですけど、YouTubeで。
こないだまで見て。YouTubeで見ましたっていう。
まだあるかもなんですね、じゃあ。
あるかも。
まあでもそうっすよね、ハイソン的な話はすごい、それこそダムで沈んじゃう村?みたいなので。
実際僕の地元もそんな感じの地域があって。
あ、そうなんですか、伊賀の方で?
そうそうそう。
もう今から60年前ぐらいに、そのダムのことが決まって、川上ダムって言うんですけど、そこが、
だから、僕が生まれた時には、元旧川上村っていうのは別の地域に集団、離村、それこそしていて。
で、これからそこはもうダム下になります、みたいな感じになってたんですけど、
そのダムができたのが3年前ぐらいなんですよね。
えぇー。
すごい気の長い話だなと思う。
それはなぜそんなに時間がかかったのか。
まあ、本当に結局なんか反対派と推進派の中でずっと揉めつつ、
で、やっぱりダムってめちゃくちゃお金かかるんで、国のお金とか市の負担金とか、
あと、まあそういう土砂災害の話もあるけど、水がめとしてのダム機能みたいなのも含めて、
地域だけじゃなくて、広域での決議というか。
流域でっていう。
あ、そうですね。
それで、別の市町村が、抜けますって抜けていったりして、
結構ね、大変な長きに終わったり。
あと、王三将王の餌口とかそういうアセスメントの面でも多分いろいろあったんだと思うんですけど、
その辺はやっぱり当たり出すとめちゃめちゃ難しい問題をはらみすぎてるので、
そのダムの話がしたかったわけじゃないんですけど、
その僕がすごい好きな写真家、おばあちゃん写真家の人の沈んじゃう岐阜の村を撮り続けた写真集とかあって、
なんかそういうところに感じるものがあるなとか、土地と人の関係性ってね、やっぱり、
どんどん僕ら世代薄くなってるからこそグッとくるものがあるっていうのは、
ありますもんね。
そうですね、確かにね。
それをぜひ、まだご存命の方が残ってるうちにぜひ聞いて欲しいなっていうのは思うので、また報告してほしいなと思いますけど、ぜひ。
目指せ書籍化で。
そうですね、書籍化絶対いいなって。
面白そう。
なんか、結構その情緒的な部分って結構やっぱりこういうものって感じるじゃないですか。
ただなんか、情緒的なことだけで済ましていいのかっていうところも結構自分の中であって、
なんかやっぱ、なんだかんだ言って資本主義なんで、
やっぱり人口少なくなったら、そういう場所は人がいなくなってしまうっていうのは仕方ないのかなというところもあるので、
それがどうしたら続いていくのか、続けられないのであればという形で終わるというか、終わるのがベストなのかっていうのを考えたいなという感じですね。
だいぶ厚いテーマですね、それは。
確かに。
問題提起がすげえ深い問題提起になりそうだよね、本当に。
いやーそうなんだよな。長野って結構人口少ない市町村、市町村が村っすね。
村がまあまああって、人口数百人台の村ってそこそこあるんですよ。
実際にですか?
そんなにあるの?
1個とかじゃなくて、5個ぐらいはあるんじゃない?
大きくなればなるほどそうだよね。走り目が行き届かなくなるというか、どういう選択をとるのかみたいなところのジャッジの仕方がね、どうしても難しくなってくるよね、ほんとに。
全てを救うわけにはいかないみたいなことではありつつ、行政としては平等に支配しないといけないみたいなところもあるもんね。
だしもちろんなんか、こういうふうに考えているんだけどっていう、本庁側の意識と、
いや、昔村立った時はこういうことまでちゃんとやってくれたのにね、地元側の意見っていうのは多分すれ違いそうだから、あーむずいなっていうのは思いますけど。
そうね。
いやいや、ちょっと配送がおもろすぎて、配送によっちゃったんですけど。
いや、雄大さんは、自然資本論、手伝う、サポートやりますって言ってくれたんですけど、
なんかどういうところを気に入ってというか、そのいいポイントというか、聞いてたポイントみたいなのあるんですか。
えっと、そもそも聞き始めたのは、それも最初に出てきたローカルプレイヤーで、
奥田さんの授業のワークサンプルに参加させていただいたので、奥田さんってどんな人なんだろうっていうところを調べてる中で、
全書本を見つけたっていうところなんで、気にせずに見ていた、斎藤市にいたので、もう斎藤市って7割森林なんで、
真っ直ぐ行けば森があって山があるんですけど、何気なく見てた自然の見方が変わったというか、
なるほど、そういう見方があるのかみたいなのを聞きながら学んで、それで好きになって、どんどんこう、完全にファンなんですけど、
ありがとうございます。すごい感動しかったところも好きですし、
そういうところで、お手伝い、関われたら嬉しいなと思ったので。
こちらこそ。
うん、めっちゃありがたい。でもそれまではあんまりこう、自然に関わったりとか、そういう感じでもなかったっていうことですか?
そうです。なんか、もともと自然に対して、自然書本論の話とかも聞いていて、いいなって思う原体験は多分あって、
自分の中でこれだなっていうのがあって、小学生時代を過ごしたのが、長崎県の、今もう合併して運営市になってるんですけど、
水穂町という小さな町の山の中の学校で育って、ちょうど今年廃校になったんですけど、僕の母校が。
で、もうなんか、人しか歩けないような山道を毎日峠行していて、
峠行途中に山に分け入って入ったりとか、
はいはい。
っていうので、結構その、育つ過程で、なんか自然に、自然に自然と触れ合う機会が多かったので、すごい共感できるところが多かったんだろうなと思っています。
あー、なるほどね。もともとそういう体験があるからこそ、違和感なく聞けるというか。
そうですね。で、そこからは自然からは離れていたんですけど、改めて今回、最近、自然賞の聞き始めて、
あ、こういう話好きだわ!ってなった感じです。
いや、わかります。ないもんね、あんまり。
あんまりね、そう。ないから始めたっていうところもあるよね。
大人になってどう関わっていけばいいんだろうっていうのは、もちろんなんか登山とかもあるんでしょうけど、
なんかそのためには道具を揃えないといけないし、なんか。
いやーでもそうだよなー、なんかこの間ね、運営チームでミーティングしてて、自然と共に生きるみたいなのはわかるけど、
何からやっていいかはわからないっていう話が出てて、そうですよね、っていう。
このね、運営チーム側ですらそういう感じっていうね。
っていうのってね、なんかちょっとできないかみたいな話を今してるけど、
まず僕らとしては入り口、なんか面白がってもらって、それこそ、いやわかるけどなーって思ってもらえたらまずいったいんだろうとは思うんですけど、
その次のアクションみたいなのもなんか面白く提案できたらいいよねって話は。
そうですね。
今してるので、なんかそれできたらいいですけどね、ほんと。
まあそうだよね、やっぱ自然資本論としては新体制を持ってゴールにたどり着かないといけないからね、やっぱり。
その入り口をちゃんと作りたいところがあるよね。
いいね。だから目標としては、その国民の住人に一人ぐらいは、マイまっすぐ棒を持ってるっていう。
じょうさん、じょうさんにならないといけないよね。
マイまっすぐ棒のまっすぐ具合をちょっと教えてもらわないといけない。
査定してもらわないといけない。
そうだね、このまっすぐはまだまっすぐじゃないといけない。
その世界史にちょっと面白いけどな、なんか飲み屋とか行って、
これ見てくれよってなんかおじさんがこうやってね、
お分かりながら。
まっすぐ棒すげーだろ、くれよみたいな。
いやいいよね、みんなちょっと先端焦げてね、黒くなってちゃうさ。
すごい健全じゃん。
いやもしかしたら昔はそういうやりとりが行われてたかもしれないですよね。
本当っすね。
まあそうね、確かに。だってね、もしかしたら火つけられなかったら一人前の男じゃねえみたいな。
そうですよね。
それは縄文時代の中頃なのかちょっとよくわかんない。
縄文のたしなみとしては。
いや絶対あっただろうな。
ねえ。
まっすぐ棒めっちゃ並べてたでしょうね。
縦話式住居みたいな感じで。
そうだよね、確かに。
燃やすやつとつけるやつとで違ったわけだよね。
いいからねっていう。
とっておきのやつと普段使いとか絶対あっただろうな。
確かに。
いいですね。
ぜひぜひ楽しくやっていけたらなと思いつつ。
逆に本当にいつでしたっけ、1月ぐらいから入ってもらってると思うんですけど、
だからこそ聞いてて気になってたとか、リスナー目線的にこういうのってどうなんすかみたいな質問とかあったりします?
聞いててすごい感動するところが、お二人の引き出しの多さというか広さがすごいなと思っていて、
なんかいろんな方をゲストに招いてるじゃないですか。
はいはい。
なんか引き出しがある程度ないとここまで引き出せないなと思っていて。
ね。
もう完全に気のせいなんですけど。
本当気のせい。
そんなことある?
なんか興味の大向くままにっていう感じでは、
ほらなんて言うんだろうね、ある程度の引き出しが必要なのかどうかちょっとわかんないけど、
ある程度こっちの好奇心によって左右されてる部分もある気がするよねやっぱり。
そうですね。
ちょっとっていうかなんだろう、もうちょい前までは、
それこそいろんなところを取材したり本読んだり自分でやってみたいっていうことの中で、
その知識が溜まっていく感覚も多少あったんですけど、
最近はこう漏れていく感覚もすごい。
忘れていくなーみたいな。
いや本当そうだよね。
そうなんですよ。それはまあまああるんで諦めてるんですけど。
でもなんか多分あるなーと思ってるのは、
何か見た時にこれってなんでこうなっているのかなーみたいなこととか、
あと自分で授業とかやる中で、
これめっちゃむずいのなんでだろうみたいなのを考えていると、
ゲストの人が来た時に、
これってこうなのはなんでなんですかねみたいな話とか、
それすげーわかりますっていう話に繋がりやすいのはあると思ってて、
なんかインタビュアーの極意としては多分そういう、
実践をやっているみたいな一個強みではあると思うんですよね。
で、プラスこれはなんでこうなっちゃうんだろうみたいなことに、
社会の事象とか、街歩いてて気になるみたいなことが、
引き出しとは、それがまあ引き出しなのかもしれないですけど、
それは結構ありそうですよね。
まあそれはめっちゃありそう。
なんかやっぱり日々何かしらに疑問を持っているというか、
本当その自然の現象とかも、
チクリの問題とかそういうのとかも、
なんでそうなっちゃったんだろうみたいなとかが、
多少こう自分でも疑問に思っていることもあれば、
それを少しかじる程度にしか調べられていないけど、
かじる程度には調べているみたいなところとか、
でも多分やっぱり実践者を前にしたら本当にかじる程度なんで、
結局そこから実践者の方に深掘りをさせてもらって、
いろんな話を聞くみたいなことにつながっていると思うんで、
なんかその辺のやっぱり不思議がっているところの、
その興味みたいなところが、質問にはつながっている気がしますよね。
そうですね。やっぱり大事なのは謙虚さですよね。
確かに。
謙虚にやっぱり聞かない。
聞き方というよりは心構え的に、
俺は知ってますって感じじゃなくて、
私は分かってないんだよなって常に思っているっていうのは大事な気がする。
でもやっぱり、奥田さんもそう思ってくれていると思うけど、
エネルギーの問題とか、自分たちにとっても領域が満ちすぎると、
なんか全然引き出せない感覚はあるよね、やっぱり。
クエスチョンマークが出て、何を聞いたらクリティカルかが分からない。
一回ありましたよね、過去後の回でエネルギーの話。
その発電、電気が起こる仕組みに対して実感がないから、
コイルが回ってどうするでしょうって言われた時に、なんですね。
我々の身体位置を大事にしている、
我々が踏み込めていない体験の領域のところは、やっぱりきっと分かってないんだよね。
全然分かってないよね、それは。
この間、街のDX担当みたいな人が、役場内担当者に、
シムカードのシムって何ですかって聞かれたっていう話をして、
シムカードってなんとなく分かるけど、何ですかって聞かれたら分からない。
みたいな感じで、ぷわっと分かるけど、
シムを入れたらなんでキャリアに繋がるのか分かりません。
あいつ何なんだろうみたいな。
あれが信頼性のないものなんで、そこ難しいなって思うけど。
そうだよね。